「ふう……」
河原に面した土手。
理樹はそこで頭に手をやって寝転がり、その後ゆっくりと小さく溜息をつく。
それはまるで、ずっと体の中に溜め込んできたものを吐き出すように。
あるいは、今自分の眼前に広がる、その澄んだ空色に圧倒されたかのように。
その気持ちは、理樹自身でもハッキリとわからなかったし、それも別に自分にとってどうでもいいことだった。
ただ今は、この空を静かに見つめて。
「綺麗だな……」
無意識のうちに、そんな言葉が口から零れる。
我ながら陳腐な言葉だと思い、心の奥で苦笑したが、それを顔に出しはしない。
今は、この雲ひとつない真っ青な空に……ただただ、心を奪われていた。
「……」
ちくちくと、伸びた雑草が首筋に当たる。
それが少し気になりながらも、顔を動かさず、その虚空を見続ける。
冬特有の、固く冷たい風が顔に吹きつけるが、それも特に気にせず。
ただぼーっと、遠くから聞こえる子供達の声に何となく耳を傾けながら……理樹は、何もない空を眺めていた。
――平和、だな。
人知れず、そんなことを思う。
ずっと東京に居た自分には、こうして一人で静かに空を見上げる時間なんて無かった。
勉強やバイト、ゼミナールやサークルの活動などに追われ、こうやって感傷的な気分になる暇さえ無かった。
時間なんて無駄にできない。タイムイズマネー。暇があったら何か将来のために云々かんぬん。
ずっと、誰かにそんなことを言われ続けて、理樹は……確かにその通りに2年間生きてきた。
別に何か信念があったわけじゃない。何か社会に出て成し遂げたいことがあったでもない。
ただ自分は、そういった生き方が当たり前だと思ってきたし、だからその為にこうして都内の大学に出向いているのだと、その為にこうして大事な両親の遺産を使わせてもらっているのだと、それ故に甘えてなどいられないのだと、ずっとそう自分に言い聞かせてきて、実際そこに何の疑いも持っていなかった。
でも――
「(やっぱり……綺麗だ)」
――ふと、全てを投げ出してみたくなった。
もちろんそれは、今時の若者によくあるような、現在の自分の姿に疑問を持ち、『自分探し』の旅に出たいなどという洒落た心から来るものではなかったように思う。
実際理樹はそんな人間を内心軽蔑していたし、今の自分にはそんな暇つぶし紛いの旅をしている余裕など到底ないと思っていた。
だから……ここに来た理由は。
……それは、ある種の好奇心というか――いつも真面目に授業を受けていたはずの自分がいきなり居なくなったら皆どう思うのかな――などという気持ちからなのか、それともまた、もしかしたら自分もそんな人間達と同じように、繰り返されるあの味気無い日常にただ疲れ切ってしまったせいなのか……それはとうとう自分でも判別つかなかったが、はっきり言えることが一つあった。
自分がこうして故郷にやって来ようと思ったのは、ただ――
「(都会にある、あの狭苦しい空もいいけれど……僕は、こっちの方が好きかな)」
――ただ、東京でふと見上げた空が……どうしようもなく、綺麗だったからだ。
それを見た途端、理樹は唐突に自分の周りを取り巻くものが……東京に来てから、自分がずっと必死に追いかけてきたものが……どうでもよくなってしまった。
ヘッドフォンから流れる音楽を、流行のロックからヒーリングに切り替えて。
ただ理樹は、路傍の電柱によりかかって、静かに空を眺めた。
通行人に変な目で見られるのも厭わず、ぽけーっと口を開けたままじっと空を見上げ、数秒後――
「……ほんとに来ちゃった、んだよね」
――急遽こうして、故郷に戻ってくることを決意したのだった。
そしてそんな、あまりにも今更な発言に苦笑しつつ、体を起こして、今も昔も変わらないあの河原を眺める。
……その水面は、太陽の光を過剰に反射し、こちらからでも少し眩しく感じる。
川は音を立てず静かに流れ、その近くでは、ぽつんぽつんと小さく釣りをしているお年寄り達が見えた。
冬の乾いた風が容赦なく自分の体に吹きつけるが……今の理樹には、その澄んだ空気が逆に気持ちよかった。
ここ最近は、都会の無機質で、それでどこか圧迫されたような空気しか知らなかったから、この故郷の風はとても新鮮で気持ちがいい。
――そう。理樹は、上京してからはほとんど故郷には戻って来ていなかった。
故郷といっても、別に帰れる家があったわけじゃないから。
自分にはとっくの昔から、そんなものは無かったから。
中学も高校も寮生活だったし……後見人の家は、何となく行きづらかったというのもある。
後見人は後見人だ。
自分にとって、あの人はそれ以上でも以下でもなかったし、それは向こうにとっても同じようなものだと思った。
あるいは棗家に泊まるという手も考えたが、本人達が居ない今となっては、どうせただそこの家族に迷惑をかけるだけだと思い、遠慮した。恐らくは、別にそんなこと気にしなくとも良いと言われただろうが。
だからまあ、今日もまた……誰とも会わず、すぐに東京へ戻るつもりだった。
けれど――
「かぜ引くぞ、理樹?」
――唐突に、自分に投げかけられた声。
ある女性の……高い、そしてまだ若干幼さを残したような美しい声。
けれど――理樹にはそれが、一瞬誰のものだかわからなかった。
自分の知っている人間の誰とも一致しない。
いや、実際には数秒後すぐに『ああ、この人か』と気づいて納得いったのだが、今この段階では全くその声色に聞き覚えが無く、意を決して振り返ってみると、そこには――
「――鈴?」
ずっと大人っぽくなった鈴が――腰に手を当てて立っていた。
「うん、鈴さまだぞ」
「いや、鈴様って」
――久しぶりに会ったというのに、初っ端からボケてくる鈴。
その鈴の変わり様に大いに驚きながらも、つい反応してツッコみを入れてしまう自分。
鈴は、こちらのそんな全く変わってない様子が嬉しかったのか、目を細めて微笑みながら、よっこらせと隣に腰掛けてくる。
「いつ帰ってきてたんだ?」
「い、いやまあ……今日、かな。またすぐ夜に戻ると思うけど」
「なにぃ……? お前は一体何しにきたんだ?」
「い、いやあ……あはは」
アホだな、と本気で呆れてる鈴に、自分は苦笑しか返せない。
それは自分でも全くその通りだと思ったからだが、理樹のそれにはもう一つ理由があった。
――去年、会ったはずなのに。
自分の隣に座る鈴はもう……子猫ではなかった。
髪型や顔はそんなに変わってなかったが、雰囲気はまるで別人のよう。
声も、最後に会った時よりずっと落ち着いた……大人猫のそれになっていた。だから気づかなかったのか、と理樹は何となく納得する。
そして、その身に着けている服装も――
「――それ、結構似合ってるね。っていうか、今って仕事中じゃないの? 3時だけど」
「いや、今はみんなでお散歩中だ。あそこ見ろ、ほら」
指差された方に振り返って見ると、子供達と一緒に、楽しそうに遊んでいる保母さんの姿があった。
鈴の同僚だろうか、こちらに気づいて手を振っている。
すると隣に居た子供達も、こちらを指差してきたり、ふざけて手を振ってきたり、先生と一緒に居る誰だか知らない大人を見て不思議そうな顔を浮かべたりしてきた。
理樹は、それらの状況を頭の中で丁寧に整理し――うん、と頷いて一つの答えを出した。
「仕事しなよ」
「うっさい。働いてないニート小僧如きが、あたしに指図するな」
「……」
――勤労の意を促すぐらい、別に子供でもやっても良いと思うんだけど。
理樹は、そんなズレた反論を思い浮かべると同時に、どこか納得いかない気分を味わいつつも、やっぱり元は何も変わってない幼馴染に幾ばくかの安心感を覚える。
もう一度向こうを見ると、保母さんと子供達は、こちらを見て何やらコソコソと内緒話をしていた。そしてそれを聞いて、一層楽しそうにはしゃぐ男の子や女の子達。
……最近の子供はませてるよなぁ……と心の中でしみじみに思いながら、理樹は一つ思い出したことを口にした。
「そういえば、電話でしか言ってなかったね。就職おめでとう」
「……就職してない人間に言われると、ものすごく腹が立つな」
「えっ、なんで?」
「馬鹿にされてる気がする」
ぎろりと睨んできた鈴に、いやいやいやと腕を振る。
馬鹿になど全然していない、と反論しようかと思ったが……理樹は敢えて止めておくことにした。
本当に馬鹿になどはしていなかったつもりだが、もしかしたら――それと近い、どこか羨望のような――自分とは別の世界に居る住人として彼女を見て……そのせいで、どこか皮肉を込めた言い方になっていたのかもしれない。
その可能性を考慮して、理樹は素直に謝ることにする。
――感傷的になるついでに、少し卑屈になっていたのかもしれないな。
そして鈴はそんな理樹を見て、冗談だ、と軽く笑った。
……それにどこか裏切られたような気分になりつつも、いつの間にか、自分よりずっと大人になっていた鈴に心の奥底で感心する。
――顔つきも、よく見たら変わってるような。
体育座りで腰掛けて、静かに河原を眺めている鈴を、まじまじと隣から見つめる。
細身だけれど温かそうなセーターに、動きやすそうなジーンズ。
その上に、たれねこの絵柄がプリントされたエプロンを着けていなかったら、まるでいつもの私服のように思えてしまうが……。
――まいったな。
知らず、頭を掻く。
鈴の雰囲気はもう……完全に保育園の先生だった。
それはきっと、もう彼女は既に社会に出て働いている立派な大人だということで。
それに対する自分は、まだまだ子供の学生ということで。
同じ年齢で、しかも恭介と同じく、ずっと彼女の手を引いてきたつもりだった自分は。
やるべき事を放棄して、ここでこうしてただ空を眺めていた自分は……一体何なのだろうと複雑な気分になる。
一気に現実に引き戻された挙句、ここで無言の説教を食らっているようだった。
「で、お前はこんな所で一体何をやっているんだ?」
まるで先生に『何でお前は学校をサボったんだ?』と怒られてるような感覚に陥りながらも――いや、実際には間違ってないだろうが――理樹は何とか物怖じせずに返事をしようとする。
「ん……いや、ちょっと、空を……ね」
「空? ……あー、きれいだな」
「うん、でしょ?」
「うん」
そうして鈴も、一緒に空を見上げる。
自分がまた寝転がると、鈴もまたそのように。
「服汚れちゃうよ?」
「別にいい。いつもガキ共に汚されてるからな」
「あ、そ……」
「お前だってそのスーツ、いいのか? 高そうだが」
「……いいんだよ、別に」
「ふーん……そうか」
「うん、そう」
「ふーん」
……こうして。
こうして、人と一緒に空を眺めてみると、また違った見え方がしてくる。理樹はどこか、そんな風に考えていた。
目を凝らして見ると、青紫の空の彼方に、もう月が混じっているのが見えた。
こんな昼間から青空と月が両方見れたことに少し感動しながら……理樹は、
「仕事、楽しい?」
そんな、客観的には当たり障りの無いものと取られる質問をした。
「ん? ……んー、楽しいか楽しくないかで考えると……楽しいかもな」
「そっか」
そうしてまた、黙って二人で空を見上げる。
こうして厚い手袋をしていても、川沿いの寒さはそれを容易として突き破り、手の感覚を失わせてくる。
理樹は向こうに帰る前に、恭介達とよく行った地元のラーメン屋に寄ろうと何となく考えていた。
そんな理樹を横目で見ながら、鈴は。
「お前はどうなんだ? ……いや、ここでこうして暗くなってる所を見ると、ぜんぜん楽しくなさそうだな。当たりだろ?」
「……」
ぶっちゃけ言うと……今すぐガツ食いしたい気分だった。
「いやまあ、暗くなってるって……鈴にはそう見えるの?」
「うん。何だか今にも、川に飛び込んで自殺しそうに見えた。だから声かけたんだ」
「……」
感謝してくれ、と平気で言う鈴に、理樹は本気で自殺してやろうかとうっすら考える。
……しかし、まさか自分がそんなふうに見られていたとは、驚きだった。
自分はただ、この綺麗で真っ青な空――今はもう、若干茜色に染まってきたが――を見上げて、感傷的な気分に浸っていただけだ。その美しさに心を奪われていただけだ。
――ただそれだけなのに、何故鈴から馬鹿にされなきゃいけないんだ。
実際鈴はそんなつもりなど無かったのだが、見事にズレまくった感覚(無自覚)の持ち主である理樹はそう解釈して、むー、と唸り声を上げる。
すると鈴は、少し困ったように『うそだ、うそ』と苦笑しながら手を振る。
それが余計に、自分が大人から馬鹿にされてるような気がして、一層理樹の頬は膨らむこととなった。
「本当は、すぐに理樹だってわかった。ただ遠くから見たら……何だか泣いてるように見えたからな」
「……む」
今度は純粋に自分を心配するように見つめてくる鈴に、理樹は膨らませていた頬を元に戻す。
「泣いてなんか……ないよ」
そう言って再び空を見上げる。
遠くから、鈴の同僚の先生の、先に戻っているからー、という声が聞こえてくる。
それに鈴は、すみませんー、と一度体を起こして手を振り、またゆっくりと元の体勢に戻る。
――田舎だから、できることだな。
それを横目で見ながら、理樹はそんなことを考える。
自分が居た都会の幼稚園や保育園なんかでは、まずこんなことは許されない。
きっちりと労働時間やマニュアルなどが定められ、それを破った者は、その規定通りの罰によって裁かれる。それも社会的非難というオマケつきで、だ。場合によってはクビにされ、最悪二度と同じ職種につけなくなるかもしれない。
理樹は大学でそれ関係の勉強をしている時、嫌というほどそんな現実を教授から知らされたし、その理由もきちんと理解してきた。当たり前なことだとも思っていた。その認識はこんな光景を目の当たりにしても何ら変わることは無い。
鈴もあの先生も、少なくとも短大は出たはずだから、そういうことをきちんと理解しているはずだ。
でも実際は、こんな状況――
――うらやましい、な。
そんなことをふと考えていると、唐突に、こっちに振り向いた鈴と目があった。
慌てて理樹は顔を逸らす。
自分でも理由はわからなかったが、何故か顔を逸らした。
「似ているな、理樹」
「え?」
「いたずらをして、叱られる子供に似てる。そっくりだ」
「は、はぁあ?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
――ぼ、僕があんな子供と同レベルだって?
もちろん鈴はそんなことは言っていないのだが、理樹は長い都内生活で半ば強制的に植えつけられた自分のスーパーネガティブ思考によって、そのように受け取ってしまった。
一気に心の中で高まる不満。
鈴はさっき以上に頬を膨らましている理樹を見て、まるで仕事の範疇であるかのように、どうどうと頭を叩く。それが余計理樹の不満の元になっているとも知らずに。
「もう! からかわないでよ!」
「あははっ、すまん理樹。あまりにも可愛かったから、ついやってしまった」
「か、可愛いってさぁ……鈴」
楽しそうに笑う鈴に、もはや理樹は呆れた溜息しか出てこない。
――何なんだよ、一体。
何故自分が子ども扱いされてるのかもわからず、ふん、と鼻から声を出して、再度空を見上げる。
もう空の美しさなんて……わからなくなってしまった。
ただそこには、空が在るだけ。それだけしか感じ取ることが出来なくなってしまった。
――鈴のせいだ、全く。
半ば逆恨みに近い念を心に抱きながら、理樹は、冗談混じりに謝罪を返してくる鈴から顔を逸らし続ける。僕らの関係も随分変わったもんだ、と頭のどこかで何となく考えながら。
「さて――と、悪いが、そろそろ戻らせてもらうぞ。あたしが居ないと、猫があのガキ共にいたずらするからな」
「ああ……うん」
猫――保育園にもいるんだね、なんて事は、まるで返ってくる答えがわかり切っていたので聞かなかった。
鈴は立ち上がって、背中についた草をぽんぽんと叩き落としながら。
「今度はいつ帰ってくるんだ?」
「……あー、うんと……わかんない」
「あほだな」
「う、うっさいよ!」
ぼ、僕だってちゃんと忙しいんだからね――と、またどこかズレた反論を返す理樹。
それが余計面白かったのか、腰に手を当てて盛大に笑う鈴。
また鈴に馬鹿にされた気がして、理樹はぐぐぐ、と拳を握り締める。手が悴んでいて全く力が入らなかったが。
そして鈴はそれに一頻り笑った後、息を切らせながら、今度は一転して保母さんらしい優しそうな笑みを浮かべ、理樹に再度語りかける。
「ちゃんと帰って来い、理樹」
「……」
「年末になったら、みんなあたしんちに来て、鍋パーティするから。その時お前もちゃんと来い」
「……考えとく」
「うん、そうか」
顔を逸らして答える。
鈴はそんな理樹を見て、どこか嬉しそうに頷いた後、今度は立ったまま――空を見上げて。
「さっきはああ言ったが……正直、あたしもよくわからん」
「え?」
「楽しいか楽しくないかなんて……よくわからん。ただあたしは何となく、そう思い込むようにしてる」
「……」
だってまだ働き始めだしな、と付け加えて、鈴は顔を戻す。
そうして微笑を携えたまま、理樹の目をじっと見つめて。
「あたしも暗くなることだってある。だからお前も、もしそうなったら――またここに戻ってくればいい」
「……い、いやでも、僕には帰る家なんて――」
「ん? あたしんちで十分だろ? まあ狭いが、人一人くらいなら余裕だぞ? ざざ子もよく泊まりに来る」
「い、いやいやいやいや……」
さらっと危ないことを言う鈴に、慌てて理樹は腕を振る。
鈴も自分ももう大人だ。そういうことを平気で言い合っていいわけがない。
いや別に……同じ部屋に泊まったからと言って今更どうにかしてしまう気など理樹には到底無かったが――いやむしろ、久々に鈴の成長を垣間見たせいか、そんなこと恐ろしすぎると感じてしまうほどだが――そこは二十歳越えの一人の男性として、否定しておかねばならなかった。
何より、そんな鈴のこれからが純粋に心配だ、と理樹は思った。
「大丈夫だ、その時はさし美も呼ぶから。あいつが居れば、お前もそんな心配はいらんだろ」
「いやいやいや、それは逆に心配するからね……」
……主に僕の身体的にね、ということは敢えて言わないでおいた。面白がって本当に呼ぶ可能性もある。
理樹は佐々美に散々変態呼ばわりされた挙句、思い切りブチのめされる想像をして、体をぶるっと震わせつつも……どこかスッキリとした気持ちになっていた。
――やっぱり、変わってないな。
苦笑をしつつ、立ち上がる。
そして腕や背中についた葉っぱを払い、空を見上げる。
また少し、茜色に染まった空を見ながら、理樹は――特に何と思うこともなく、視線を鈴に戻した。
「それじゃ、帰るよ」
「うん。今度はそっちの友達も連れて来ていいぞ」
「……いや、やめとくよ」
「ん? どうしてだ?」
――自分と同じような人間を連れてきたって、その場の空気を汚すだけだ。
理樹は、なるべくこの幸せな空気を、都会の穢れたそれで汚してしまいたくはなかった。
――ここは、このままがいい。
今度来る時は、自分もこんなスーツは必ず脱いでこようと決め込んだ。
心のどこかでこの故郷の空にそう謝りながら……理樹は鈴の質問に対する、何か都合の良い言い訳はないかと考えていた。
そして――
「――ま、僕友達居ないから」
気づいたら、そんなことを笑って口に出していた。
「そうなのか……? かわいそーなやつだな」
「うん……かわいそーなやつで生きていこうと思ってさ」
「仕方ないな、今度からちょくちょくこっちに遊びに来ていいぞ」
「……うん、そうさせてもらうよ」
そうして理樹は、呆れたように笑う鈴と共に、また空を見上げた。
その空は、東京で一人見上げた時よりも、先ほど鈴と二人で見上げた時よりも、ついさっき見上げた時よりも――ずっと綺麗に見えた。
故郷の空もまた自分を応援してくれているようだ――と、どこか自分に都合の良い考えを思い浮かべながら、歩き出す。
冷たい風に吹かれながらも、その足は、商店街に並ぶあの懐かしいラーメン屋へと向けられて。
――また、頑張ろう。
理樹はそう……静かに決意するのだった。
自分を支えてくれる人たちに……この空に、ただひたすらに感謝しながら。
――ここに来て、よかった。
鞄を腕に引っ掛け、ポケットに手を突っ込みながら、横目で空を見上げる。
そして寒空に綺麗に浮かぶ薄めの月を、一瞬だけ見つめた後……理樹は寒そうに身を震わせて走り出す。
さて何を頂こうかと、熱心に財布の中身と食べるものを検討しながら――
理樹はラーメン屋跡地、ファミリマートへと入っていった。