ガラッ!
 扉が開いた。やっと真人が帰ってきたようだ。
 そして手には何も持たず。
 ……何も持たず?

「あ、あのよ」
「……君は、何故手ぶらなんだ」

 ゆらり、と立ち上がる。
 ここからは顔は見えないけれど、真人の様子を見てれば、今どんな顔をしているのかわかる。
 怒ってる。すごく。

「い、いやっ! これには深いわけが、あって、だな」
「ほう。では聞こうか。今までどこで何をしていた。そして、何故手ぶらなんだ。答えろ」
「いやよ、話すと長くなるんだが……それでもいいか?」
「構わん。さっさと言え」

 そして誰もが真人の次の言葉に注目して……。

「……放送室って、どこだ?」

 ……………。
 めちゃくちゃ、短かった。
 誰も喋ることが出来なかった。もちろん、呆れて。



「……真人少年、そこに立て」
「こ、こうか?」

 真人を部屋の外に連れて行き、廊下の少し向こう側に立たせる。
 僕とクドは中から顔を出して見守る。
 この展開は、まさか。

「いいか、絶対に動くなよ」
「な、何なんだよ」
「動くな」
「ちっ……。わかったよ」
「よし」

 来ヶ谷さんが2,3歩後ろに下がる。
 そして助走をつけ……飛び、真人の胸に全力で蹴りを叩きつけた。


「わ、わふ〜……。井ノ原さん、大丈夫ですか〜?」
「おう、クド公か……。俺はもう、ダメ、みてえだ……はは」
「い、井ノ原さんっ!!」
「幸せに、なれよ……。がくっ」
「井ノ原さぁーーーーーーんっ!!」
「何をふざけている」
「ッデファ!」
 
 真人の頭を蹴り上げる。いい加減可哀想になってきた……。
 なんか真人もぐったりしてきてるし。

「く、来ヶ谷さん。もう、いい加減許してやってよ」
「そうですよぅ! かわいそうです〜……」
「う……」

 さすがにクドのお願いは無下に出来ないらしく、渋々頷いた。

「くっ……さすが、来ヶ谷の姉御だぜ。効いたぁ……」
「ふん。君のM的な発言など、こっちとしてはどうでもいいんだ。何故手ぶらなのかはわかった。次は、今まで何をしていたのか答えろ」
「へっ? そりゃぁ、放送室がどこか探し回ってたんじゃねぇか」
「馬鹿だ……」

 今すぐ鈴になって、”こいつばかだっ!”と世界の中心まで行って叫びたい。
 そして、それだけ馬鹿なこの男に賞賛の拍手を送りたい。

「まったく、この男は……」
「仕方ねぇだろっ! これでも頑張ったんだ!」
「それで、場所を聞きに戻ってきたんだね……。でも、職員室に行って聞けばよかったのに」
「職員室ぅ!? んな所いったら説教に連れられて放課後が終わっちまうじゃねぇかよ!」

 ああ、そうだ。真人はリトルバスターズの中でも特に教師に目をつけられてる人物の一人でもあったんだ。
 成績、授業態度、日頃の行動、服装……説教に使える話題はいくらだってある。
 でも、放送室に行くんなら必ず職員室に行って鍵を借りなきゃいけないわけだし。
 あ、ってことは……。

「……なんだ」
「来ヶ谷さん」
「わ、わかっている! こいつ一人で行かせた私の落ち度だと言いたいんだろう!」
「はぁ……」

 なんだかなぁ。
 やっぱり、この人も抜けてるなぁ。

「それじゃーみんなで行きましょうっ!」
「えー! 俺もう疲れたぜ。いい加減休みたいんだが」
「いや、クドリャフカ君。君は理樹君とここで勉強を続けていろ。私とこの馬鹿の二人だけで十分だろう」
「無視かよっ!」

 あんたはそんなこと言える身分じゃない。

「理樹君も、今の内にちゃんと勉強しておけ。もう十分君には手伝ってもらったからな、後はこっちに任せろ」
「う、うん。わかったよ」
「よし。ほら少年、行くぞ。君は荷物持ちだからな」
「へいへい。ったく、しょうがねぇなぁ」
「何だと?」
「はっ! 何でもありません!」

 完全に主従関係が決まってしまった二人は、わぁわぁと賑やかに出て行く。
 取り残されてしまった僕らは、勉強を続けることにしたのだが……。
 ひとつ、クドに聞いてみたいことがあった。
 これで何か解決するわけじゃない。
 でも、あそこまでの話を聞かされて、中途半端に終わらせたくはなかった。
 何も出来ないし、何かをする気もない。
 でも、知れる所までは、知っていい所までは、知りたいと思った。
 それがあの話を聞いた者としての、責任だと思ったから。

「あのさ、クド……」



 私たちは職員室を後にし、放送室までの廊下を歩いていた。
 空はもう赤く染まり、徐々に紫が混ざってきているような頃合い。
 開いた窓から秋の涼しい風が吹き、体が熱いものには恐らく単純に心地よさを、体が冷たい私にはどこ寂しさを与えていた。

「あのよぅ、来ヶ谷」
「なんだ」
「さっきのことなんだが……」
「さっき?」

 何だろう、と首をかしげる。
 こいつのことを思い切り蹴り飛ばしてやったことだろうか。もしかして、本気でMに目覚めたか。どうしよう。
 そんなことを少し考えたのだが、彼の真剣な表情を見て改めた。そして口を開くのを待ち……。

「俺と理樹は、あの部屋に見覚えあるって言ったろ」
「ああ、それがどうした」

 あまり聞かれたくない話題だったことに気づき、私は胸の鼓動を上げていく。
 まさかと思うが、私の反応に気づいたか。この馬鹿が。
 そして……やはり、その予感は当たっていた。

「なんで、あそこで言っちまわなかったんだよ」
「……何の、ことだ」
「あの世界での、お前との記憶のことだよ」
「……………」

 覚えていたのか。
 いや、それも考えてみれば当たり前のことだ。
 彼は棗恭介や宮沢謙吾と並んで、あの世界を作った”マスター”側の住人。
 あの世界の記憶など、早々無くなるはずがなかった。

「言った所で、どうしようもないだろう。というより、君は気づいてたのか。理樹君があの部屋に見覚えがあることに」
「そりゃな。あいつに元々そういう事実があったのは知っていたし、ちょっと部屋に入った時の様子が変だったからよ。俺からけしかけてみた。別に覚えてなかったらそれでもよかったんだが」
「君は……」

 なんて、計算高い男なんだ、こいつは。そして、実に冷静な男だった。恐ろしいほどに。
 そして自分が、今までこいつと長い間知り合いであったにも関わらず、全くそのことに気づいていなかったことに驚いた。
 彼の馬鹿っぽさは、完全に仮面なのか。
 いや、というか。
 こいつがあの世界の記憶を持っているということは。
 こいつがあの部屋に見覚えがあったということは。

「君は、覚えているんだな? あの世界のことを」
「まあ大体な。理樹は俺らのこと以外ほとんど忘れちまってるみてぇだが」
「違う、そうじゃない」
「あ?」

 こいつが、家庭科部室に入ったことがある、という世界。
 夢にまで出てきた世界。思い出したくもない。
 だが……知らねばなるまい。本当だったらもう数発ぐらいは蹴りを入れさせてもらうが。

「君が、あの家庭科部室に入ったという世界のことだ」
「あ……ああ! あの筋肉の世界のことか!」

 ぽん、と手を叩く目の前の筋肉。
 取りあえず、背中に回し蹴りを決めさせてもらった。

「い、いってぇな!! 何しやがんだ!」
「……私は怒っているんだ、自分に対して。今まで君が全ての記憶を持っているということに気づかなかった、自分の愚かさに対して。それは私の、私自身に対する怒りだ。受け取っておけ」
「だったら何で、てめぇ自身にやらねぇんだよっ!」
「私はMではない。だが君には丁度いいと思ってな」
「俺もちげぇよっ!!」

 どこか空回りした問答が繰り広げられる。

「けっ! 大体てめぇだってあん時はノリノリで、『筋肉イェイイェーーーーイ!』とか踊ってたじゃねぇかよ!」
「う、あ、あの時の私はどうかしていたんだ! 貴様らが発する毒電波にやられて、私は私でなくなっていた。ただそれだけのことだ!」

 あの時のことを思い出す。
 ううっ! ダメだ! 恥ずかしくてこれ以上は思い出せない!
 くっ! この馬鹿に最大の弱みを握られてしまった……。

「ってか、何だよ『筋肉イェイイェーーーイ!』ってよ。馬鹿じゃねぇのか」
「忘れろぉぉぉーーーーーーーーーーー!!!!」
「ッグファ!」

 首筋に、鈴君直伝のハイキックを食らわせる。
 ダメだ……顔が火照ってるのが自分でもわかる。ええい、許せん……!

「大体貴様らが始めたのだろうが! それを馬鹿などと! ………あ。いや、まぁいい」

 危ない危ない、またもやこいつに乗せられ、不毛なやり取りを繰り広げる所だった。
 まず一つの問題は消化した。まだ幾つかこいつに聞きたいことがある。

「ふざけるのもここまでだ、真人少年。いくつか君に聞かねばならないことがある」
「別にふざけてねぇけどよ。……あの筋肉世界の終焉のことか?」
「違うっ! そんなことはどうでもいい! 私が聞きたいのは……」

 そうだ、私は一番重要な問題を取り違えていた。
 まず聞き出さねばならなかったことは、この男の狙いだった。

「なぜ君は先ほど部屋に入った時そんなことをしたのか、だ」
「……わからねぇのかよ?」
「ふん、おおかた見当はついているがな」

 恐らく、リトルバスターズの中で一人だけ救われなかった私を気にして……だろう。
 それはまぁ……嬉しいが、実際余計なお世話というものだ。

「だったら、聞いてどうすんだよ」
「はぐらかすな。質問しているのは私だ」
「ああ、まぁ、お前が考えているので当たってると思うぜ。で、質問はもう終わりか?」
「っ…………」

 彼の、ここまで落ち着いた様子は、今まで見たことがない。
 これでは恐らく、リトルバスターズの中で最も冷静な男と言ってもよいだろう。あの、恭介氏よりも。
 やりにくい……。

「君はさっき、なぜ理樹君と私の記憶を喋ってしまわなかったんだ、と言ったな」
「ああ、それがどうかしたのか?」
「忠告したい。余計なことはするな」
「あぁ? 余計なことだぁ?」

 あの思い出は、私と理樹君だけのものだ。
 誰にもその領域を犯されたくないし、誰にも気にして欲しくない。
 最初に私がリトルバスターズを裏切ったのは事実だが、これは理屈の問題じゃない。
 あの問題は、私と理樹君だけで、解決しなければならない。
 誰にも、そこには土足で上げさせない。もちろん、葉留佳君やクドリャフカ君と言えども。

「それは私たちの問題だ。君には関係ない」
「関係なくはねぇと思うが」
「関係ないといったらない!! 何なんだ、貴様は! 人には、決して踏み入れて欲しくない部分というものがあるだろう! それがわからんのか!」
「……………」
 
 くっ! 何なんだ、私は! 
 子供みたいに声を張り上げて、らしくない。いつもの冷静な私はどこにいった?
 それに対してこいつは、憎たらしいほどに落ち着いている。
 わけが、わからん。

「……もう一度言うぞ、その問題には関わるな。私はきちんと自分だけで解決してみせる。君の助けは要らない」
「解決ってのは何だ? そうやって自分の殻に閉じこもって、うだうだやってることか?」
「何、だと……?」

 頭にきた。それはもう、本当に。
 こいつに私の何がわかるというんだ。
 ……自分の声が、自然に低く、そして冷たくなっていくのがわかる。殺気に、包まれていく。
 そして人間というのは、本気で怒ると、逆に冷静になれるということがわかった。
 取りあえず、冷静に話をしてみることにする。
 本当は今にでも飛びかかりたいものだが。

「……いいだろう。君の考えを、聞かせろ。返答次第では、正真正銘本気の蹴りを入れさせてもらうが」
「俺の考えね。ま、別に大したことじゃねぇが」
「さっさとしろっ!!」

 右足で地面を思い切り踏みつける。
 自分でもビックリするぐらい大きな音が響き、体の中に”じ〜〜〜ん”と振動が伝わってくる。
 ちっ……やってしまった。誰かが不審に思って駆けつけてこないか心配だ。

「……わかったよ。別によ、どうしてもお前が理樹に話したくねぇってんなら、それでいいんだ」
「……………」
「だけどよ、もうお前だけだぜ。リトルバスターズの中で未だにあの世界のことを引きずってんのはよ」
「な……」

 知って、たのか。
 まだ私が、あの世界での出来事から立ち直っていないことに。
 こいつには、もう綺麗さっぱり忘れたように振る舞っていたはずだが。
 そして……もう、私、だけなのか。

「理樹とお前が恋人だった頃の、あの時の記憶を乱暴に扱ったことは謝るぜ。お前が言ってる、誰にも触れられたくないことってのもわかる。悪かった」
「く……」

 そうやって頭を下げてくる。
 なんでこいつは、こんな簡単に謝るんだ。
 本当に、やりにくい。
 
「でもよ、お前何もしてねぇじゃねぇか。何もしないで、ただ理樹を遠くから見て苦しんでるだけだ。それも、たった一人でよ」
「っ…………!」
「たださっきは、お前に何か行動の切っ掛けを与えてやりたいだけだったんだよ。俺にはそれぐれえしかできねぇからな。まぁ、ちゃんと効果はあったみたいだが」
「な、なんだとっ!?」

 効果が、あった? 
 どういうことだ。
 まさか、こいつは……。

「あれを、聞いていたのか!?」
「ああ。まぁ実はあれからすぐ戻ってきていたんだが、中が妙な雰囲気でよ。なかなか思うように入れなくてな。悪ぃ」
「くっ! ど、どこからだ!」
「ええっと、初恋がどうこう、って辺りからだったかな」
「は……」

 い、一番聞かれたくなかったことが……。
 もうだめだ、死にたい。
 もう、怒る気も失せてきてしまった……。

「ったく、あそこで言っちまえばよかっただろうがよ。それでお前らは晴れて恋人に戻れて、救われたはずだ」
「……馬鹿か君は。それは私の一番望まぬことだ。私がただ単に記憶をバラして理樹君を取り戻したとしても、それは私を好きになってくれた理樹君ではない。私が、好きにさせた理樹君に過ぎない」

 言ってしまおうと思ったことなんて、何度もあった。
 その度に私は、自分を引き止めてきたんだ。

「あいつ自身から思い出させてぇってのかよ」
「ああ、それでなければ意味がないからな」
「……無理だぜ」
「何だと?」

 こいつは、一体何を言うのか。 
 
「恭介が、お前の時の記憶だけは念入りに消したからな」
「あ……」

 いや、そうか……。
 うっすらと、気づいていた。
 小毬君や、クドリャフカ君の場合なら、もしかしたら、自然に思い出させることができるかもしれない。
 現に彼は家庭科部室を見ただけで、その事実を記憶として若干引き出せていた。
 だが私の話では、ほとんどそれらしい記憶を呼び起こすことができなかった。
 それはつまり……。

「なんでか、わかるだろ?」
「……ああ、知っているよ」

 それは、私がリトルバスターズを裏切ったから。
 目的を忘れたわけではない。
 ただ、それよりも。
 自分に感情というものがちゃんとあったことが嬉しくて。
 それを、理樹君と付き合うことで、もっと知りたくて。
 だからその先を、願ってしまったんだ。
 
 そしてその思いは、世界の構造にまで干渉した。
 恭介氏は、私のことを危険人物と判断したのだろう。
 強制的にリセットされて、退出させされた。
 もちろん理樹君の記憶も、念入りに消された、はずだ。

「だからさ」

 そう言って真人少年は、開いた窓から顔を出して、校庭を眺めながら言う。
 私も窓の外を見る。
 外は、もう薄暗くなっていた。

「お前が救われるにゃ、言っちまうしかねぇと思って、な」
「……なぜ、君はそこまでするんだ」
「なぜ? なぜって言われりゃぁ、そうだな……」

 ……なぜ、君はそこまでしてくれる。
 言葉を切り、腕を組んで考えるような素振りを見せてくる。
 こいつはまさか、何も考えてないのか?
 馬鹿なのか、計算高いのか、どっちなんだ……。

「お前に、戻ってきてもらいてぇから、かな」
「私に……」
「いい加減もう、一人で頑張るのはよせよ。俺たちは仲間だろ? お前と理樹の問題がバリケードだってのはわかるけどよ、そうやって一人で頑張って、みんなと距離置いてるお前なんてもう、見たくねぇんだよ」
「……………」

 みんなと距離を置いている私……そうかもしれない。
 リトルバスターズで一人だけ救われなかった私。
 リトルバスターズを裏切った私。
 みんなと遊ぶときも、どこか、引け目のようなものを感じていた気がする。
 
 理樹君と会う度に、辛い思いをしてきた。
 あれだけ好きだった理樹君を目の前にしても、私は何も出来ない。
 言ってしまおうと何度も思った。忘れてしまおうと何度も思った。
 不自然に、みんなが居るその場から消えたことも、何度もあった。
 今日みたいに、あの世界のことを思い出して沈んでしまうことも、何度もあった。
 その度に、みんなに心配をかけていたのか。 
 馬鹿だな……私は。

 そしてこいつは、そんな私を救おうとした。
 いや、事実私は、こいつに救われていたんだ。
 何も考えないで馬鹿をやるこいつの隣に立つと、そうやってうじうじしている自分がバカバカしく思えた。
 沈んでいる時も、何度もこの馬鹿に助けられた。 
 真人少年の隣に居る時は、辛いことも、悲しいことも、全部忘れられた。
 あの頃の私に戻って、思いっきりみんなと遊べていたんだ。
 もちろん、こいつはそんなの意識してやっていたとは思ってもいなかったが。
 そして今も……。

「……ちなみに、『デリケート』だぞ」
「る、るせぇっ!」
「プッ」
「んだよ!」
「フ……フフ、ハハハッ、ハハハハハッ! アハハハハハハハ!」
「な、なんだこいつは……いきなり大笑いし始めたぞ!?」

 おかしい。
 カッコいいセリフを吐いたつもりなんだろうが、肝心な所で抜けている。
 ああ、楽しい。
 やっぱりこいつは馬鹿だ。
 馬鹿な、いつもの真人少年だ。
 いや、あの冷静な少年もまた、真人少年なのだろう。
 こいつはやはり、ずっと何も考えていない。
 別にただ、それだけだったんだ。

「ハハハ、ハ……は、はぁ、はぁ、はぁー……ふぅ。お、おかしすぎるぞ、少年ッ……プッ、クッ……」
「い、いくらなんでも笑いすぎだぞ、お前。な、涙まで流してやがるぜ。レアな来ヶ谷だが、このやるせない感は何なんだ……」
「ふぅ、ふぅー……。あー、久々に大笑いさせてもらったぞ。真人少年、よくやった!」
「いや、なんで褒められてるのかわからねぇんだが……」

 呆然としている真人少年。
 どうすればいいのかわからないんだろう。
 ああ、みんなに対する引け目など、どうでもよくなってしまった。

「ふふ。君の気持ちはわかったよ。ま、その点は問題ない。今日のあの話を盗聴していたならわかるだろう」
「盗聴って……犯罪者みてぇに言うんじゃねぇよ!」
「れっきとした犯罪だと思うが」
「るせぇ!」
「ははは!」

 再度笑う。
 気づいたら、真人少年も笑っていた。
 いつもの、ニカッとした顔。
 ああ、やっぱりそれが、私としては好ましい。
 君は真剣な表情をするより、笑っている方がずっといい。

「へっ! まぁ、お前があれで何か掴めたってんならそれでいいんだ。だけどよぅ、そうすると……」
「む?」
「俺は別に、ここで何もしなくてもよかったってことじゃねぇかよ!」
「その通りだが?」

 自分で自分のやったことに対して驚いている。やはりこいつはアホだ。
 だが、私としては、大いに実りのある時間となったよ。
 ありがとう。真人少年。
 なんて、実際に言うわけないが。
 
「あー、まぁいいや。じゃ、これでいつものお前が戻ってくるってこったな。小毬やクド公なんか心配してたんだぜ」
「む、そうなのか。それは……」

 知らなかった、な。
 やはり私は、自分のことに関してはどこか鈍いのかもしれない。
 彼女たちには謝って……いや。
 飾らない、いつもの私の笑顔を見せよう。
 それが、きっと一番いいだろう。

「って、もうすっかり夜になっちまったな。今日の所はもうやめとこうぜ」

 外を見ると、本当にもう真っ暗だ。
 もう今から放送室に向かっても、どうしようもあるまい。
 理樹君たちはどうしてるだろうか。彼には、散々勉強につき合わせてしまったな。
 後で何か埋め合わせでもしようか。
 うむ、それがいい。その時にまたたくさん弄ってやろう。今日は、似合わない私を見せてしまったからな。そうやって安心させよう。

「うむ、そうだな。では職員室に鍵を返して、理樹君達の所に戻るぞ」

 おう! と後ろから大きい声が響いてくる。
 ……本当にありがとう。真人少年。
 救いの道は、他にもあった。
 理樹君だけじゃない。君と理樹君、そしてリトルバスターズみんなに救われる道が。
 私はきっと、これで救われる。
 仮にこれが救いの道じゃないとしても、私が救いだと思えば問題あるまい。
 本当にありがとう。理樹君、真人君。
 そして……リトルバスターズ。



 ---時間は少し遡り、家庭科部室---

「この部屋の、見覚えですか〜?」
「うん、僕と真人は見覚えがあったんだ。真人は、僕やクドとここで会ったことがあると言った。それでクドに聞きたいことがあるんだ」
「リキ……」
「この部屋に、僕たちが来たっていう覚えは、ある?」
「……はい、ありますよ」

 静かに、ゆっくりと、そして深く頷いた。
 やっぱりそうだ。僕たちは確かに、ここに来たことがある。
 では、それはいつだったのか。
 それが思い出せないんだ。
 だが、“思い出せない”ということが、逆にヒントになる。

「僕は、一つ仮説を立てたんだけど、聞いてくれるかな」
「はい……何ですか?」
「僕たちがここに来たのは、あの世界に居た時だ。違うかな?」
「……………」

 なんか、尋問してるみたいでちょっと罪悪感が出てくる。
 おまけに、ちっちゃいクドが黙って俯いてる、なんていう状況だから何か子供をいじめてるみたいで。
 い、いやいやいやっ! 僕は、知らなきゃいけないんだ。
 知れるなら、知ってもいいなら、ちゃんと知りたい。
 間違いだったらもうそれでいい。どうだ……?

「すごいですねーリキ……。当たってますよ」
「ほ、本当?」
「はい。でもー、そこまで知っているなら、私からはもう何も言えないです」

 どこか儚げな顔で、沈黙の言葉を述べる。
 それは……。

「それは、どうして?」
「私は、あの世界でちゃんと救われました。だから、もういいんです」
「?」

 言ってる意味が、よくわからない。
 もういいって、どういうことだろう。

「私はもう今だけで幸せです。でも、まだ幸せになれてない人がいるんです」
「幸せになれてない人?」
「はいー。だからその先は、その人が自分からリキに話せるようになるまで、待ってあげてください」
「……そっか。うん、わかったよ」

 幸せになれていない人、か。
 もしかして来ヶ谷さん、なのかな。
 いや、もうやめよう。もうこの先はダメだ。
 その人が僕に話してくれるまで、ちゃんと待つべきだ。

「リキは、優しいですねー。でも、ちゃんとその人も、ようやく前を向いて歩き出せたと思います」
「え?」
「リキのおかげですっ」

 わふー! と言っていつもの調子に戻るクド。
 よ、よくわからないけれど。
 幸せになれなかった人が、幸せになれるなら、それほど喜ばしいことはない。
 そして……やっぱり、あの世界なのか。
 クドはやっぱり覚えてるみたいだけど、僕は忘れてしまっている。
 それが良いことなのか、悪いことなのかわからないけれど、ちょっと仲間はずれみたいで寂しい。
 でもまぁ、いいか。
 クドと一緒で、僕も今幸せだから。

「そういえば、あの二人遅いね」
「わふー。もうふぁいぶ・はーふですー!」

 5時半ということらしい。
 もうすぐ完全下校の時間だ。
 そろそろ帰らないとあの怖い風紀委員のお姉さんがやってくる。

「CDぷれいやー無くて探しているんでしょうかー」
「多分ね。でも、もう戻ってきても時間がないと思うんだけど、どうするんだろう」

 そこでふと考えた。
 待てよ。
 今行ってるのは二人。真人と来ヶ谷さん。もちろん二人っきり。
 ってうわぁ……も、もしかして。

「君の期待しているような事実はないぞ」
「うわぁっ!?」

 いつの間にか隣に立っていた。
 も、もしかして口に出していたのかな。うわ、恥ずかしい……。
 っていうかいつの間に帰ってきたんだ。

「せっかく二人っきりにしてやったのに、何も進展していないようだな。まったく、少年はヘタレだ」
「……………」
「あ、おかえりなさいーっ! 来ヶ谷さんー!」
「うむ。ただいま、私のクドリャフカ君。いい子にしていたかね」

 そうやって抱きつく来ヶ谷さん。まるで親子だ。
 そして来ヶ谷さん、それって自分も何も無かったんだから、一緒にヘタレだってことでいいのかな。

「おうっ! ただいま、俺の理樹よぅーーっ!」
「うわぁ!」

 暑苦しい筋肉をフルに使って抱きついてくる筋肉。
 ちょ、ちょっと苦しいから……。

「わふ〜……」
「やっぱり、『4人はゲイ説』は正しかったようだな。クドリャフカ君、携帯で写真を撮って西園女子に売るぞ」
「やめてよっ!!!」

 完全にいつもの調子を取り戻してるなぁ、来ヶ谷さん。
 っていうか、真人も離れてよぉーーー!!!!

「こら、あなた達! もうすぐ完全下校の時間よ! はやく帰りなさい!」
「あ、佳奈多さんーっ!」

 げっ!
 あの怖い人がドアから入ってきた!
 クドはなんか同じルームメイトらしくて仲が良いみたいけど、正直僕はちょっと苦手だ……。
 何か言われる前にとっとと帰らなきゃ。

「あら、クドリャフカ。ここに居たのね。でももうすぐ時間よ。はやく帰る準備しなさい」
「はいー……すみません」
「そして、来ヶ谷さんも」
「うむ。わかっているよ。君も毎度毎度ご苦労様だな」
「あなた達が騒ぎを起こさなければ、もう少し休めるのですけれど」
「それは無理な要望というものだよ。はっはっは」

 彼女たちが談笑している。
 今のうちに僕たちも、はやく帰る準備しよう。なんか言われる前に。
 あれ? 動けない! って真人ぉぉーーーーーーー!!

「はぁ。では、あなた達も……へ!?」

 固まった。
 僕らを見て。
 僕の隣には、まだ僕に抱きついてる真人。
 この状況はまずい。
 色んな意味でまずい。

「あ、あのぉ二木さん? 誤解だからね?」
「……や、やっぱり、噂は本当だったのね」
「ちっ、違うよっ!! これは真人が!」
「大丈夫。安心しなさい。私は気にしないから」

 胸に手を当て目を瞑りながら、そんなことをおっしゃる。
 妹と一緒で全く話を聞かない人だ!
 ぜ、絶対に安心なんかできない!
 
「ただあなた達が葉留佳に妙な真似をしなければ、それでいいわ」
「しないよっ!! っていうか誤解なんだよぉーーーー!!」
「だから安心なさいって言ってるでしょう! ほら、抱きつくのは自分達の部屋に戻ってからにしなさい!」

 あぁぁぁぁ……。
 “ふん!”といって、頬を赤く染め去っていく二木さん。
 もうだめだ、死にたい。
 明日から僕らは変態として扱われるんだ。
 また変な西園さんに付きまとわれるんだ。
 どうしよう……。

「うむ。いつかこうなると思っていたが」
「わふ〜……」
「っていうか真人いい加減離れてよぉーーーーー!!」
「いいじゃねぇかよ理樹。来ヶ谷だってやってんだろ」
「よくないよぉーーーーー!!」

 ……そうして、英語の勉強会は終了した。
 その後、噂を聞いた恭介と謙吾にまでドン引きされた僕ら。
 っていうか二木さん噂広めるの早すぎだからぁーーーーー!!!

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 第6話 SSメニュー 第8話

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