「そろそろいいか? 棗」
「おう。セッティングもオーケーだし、だいぶテンションも上がってきた。手持ちぶさたな二人が可哀想だしな。始めてやっか」
「とっととやれっ! 馬鹿兄貴! どんなしゅうちプレーじゃこれは!」
「……え、しゅ、羞恥プレイ?」
「そうじゃっ! あほ! 知らんのか!? しゅーちぷれーじゃ! あほ! つか、はやくやれ! あほっ! ばかっ!」

 恭介は、鈴の罵詈雑言を片耳で聞き流しながら、――……犯人は西園か、と疲れた顔で、恨みがましい視線を美魚に送ってみる。
 が、当の本人はこちらに背中を向けたままツーン、と棒立ちんぐ。微動だにしていない。
 ……あれ、いやまさか、と恭介が不審に思い、恐る恐る美魚の方へ歩いていき、その顔を覗き込もうとして――……石像のように固まった。

「……お、お前はなにをやっているんだ」
「棗×直枝……棗×直枝……棗×直枝……っ……はっ、な、なんですか恭介さん……って、ふわっ!」
「……」

 なんと、目を閉じて瞑想していた。……そして恭介は、本当にそんな傍迷惑な瞑想内容に泣きたくなった。名誉毀損で訴えてやろうか。
 美魚は、突然近くにあった恭介の顔にびっくりしたのか、大きく手をバタバタとさせて仰け反り、若干後ろに倒れそうになる。
 予想外の天然っぷりに恭介は冷や汗をかきながらも腕を掴んで引っ張ってやると、少々暴れたが、美魚はなんとか持ち直して安堵の溜息をついた。
 普段から日の光を浴びていなさそうな、透き通るみたいに白く輝く美魚の肌合いに、触っていて少々息が詰まりかけたが、特に顔には出さないようにして、ぶっきらぼうに手を離し。

「……お前はなんちゅー真似をしてるんだ……緊張しているからって瞑想とはまたありきたりな……しかもどんな妄想だよ、それは」
「ほ、ほっといてくださいっ。これは私の荘厳なる無我の境地なのですから、恭介さんには関係ありません!」
「なにが無我の境地だよ……我だけしかねーだろーが。……はぁ、もういいや。西園、こっちの準備は終わったから、もうそろそろ曲をスタートさせるぞ。はやく元の位置につけ」
「え、ええっ!? もうですか!? なんでもっと早めに言ってくれないんですか! まだ心の準備というものが――」

 なにを言う。お前は今まで、自称荘厳なる無我の境地とやらで一人瞑想していたんだろう。……とは口に出さないまでも、振り返った背中で思う存分それを語ってやる。
 時は夕暮れ。紅が弱まり、徐々に藍によって支配されつつある頃合い。
 時間がない。風紀委員も、もしかしたら先ほどの音を聞いてここに駆けつけてきてしまうかもしれない。いくら佳奈多がうまくやってくれたとしても、さすがに限度というものがある。
 恭介は定位置につき、ストラップをやや低めにかけたギターを構え……広く辺りを見渡してみる。
 こちらへ熱い声を出して手を振ってくれている女子生徒たちが全箇所にいるのはもちろん(さすがに恭介も自覚している)……ぽつぽつと、リトルバスターズや軽音楽部のメンバーたちが見える。……中央の前方に、葉留佳、クド、小毬、来ヶ谷ら四人――恥ずかしがる鈴や西園をからかったり、応援したりして遊んでいる。こちらと反対側の右方向には、一際でかい二人がズン、と大きな存在感を放って全体を見すえている。
 理樹の姿だけはよく見えないが……取りあえず、佳奈多の方は発見した。いやまさか、本当にあれで変装しているつもりなのだろうか。不気味すぎてかえって目立ってしまっていることこの上ない。……やはり、あの子はちょっと頭が弱いのかも。
 恭介はそれに肩をすくめて苦笑しながら……ほんに、自らの心の中で、あのお馬鹿な子に感謝する。
 こうして野外ライブを開くことができたのは、本当にあの子のおかげだ。
 あいつには後でなにか飯でもおごってやるか……と、ひとまずの算段を立て、恭介は隣の岸田を見やった。
 岸田は適当にドラムを叩きながら、いつでもオーケー、という眼差しでこちらを見返してくる。
 二人はそっと頷き合うと、改めて楽器の音出しを止め、前方にいるボーカルの鈴と美魚に合図。マイクのある定位置に立たせる。
 ガチガチに緊張しきっているのは見え見えだったが……怖くなったら、いつでもこっちを振り返ったり、マイクを持ったまま色々動き回ったりしていいと伝えてある。
 まぁ緊張で頭がどうにかなっちまいそうなのは、俺も一緒なんだけどな……と恭介はひそかに心中で苦笑しつつ、強張った体を解きほぐすように一つ深呼吸。そして最高のタイミングを待って、前奏を始めていく。
 
 ここはまさに、真なる最高の舞台。
 学祭ライブのトリをもぶち抜いた、本物の大トリバンド。
 自分たちを柔らかく照らし出すのは、鮮やかな紅と藍のグラデーション、及びその中心で光り輝く小さな星々。
 そして間近で自分たちのことを熱く眺める観客たち。その誰もが、この突然の出来事に喜びと期待を抱かずにはいられない。
 そう……自分たちはまさに、この誰にも予想できなかった土壇場で、颯爽と登場した隠れ真ヒーロー。
 普段はライブの雑用として働き、繰り返される地味な仕事に苦労を重ねてはいるが……ところがどうしたことだろう、まさにこの超脇役だったはずの恭介組こそが、学祭ライブの大トリを飾る最強のロックバンドだったのだ! なにぃー! どーんっ!
 恭介は、たった一人で曲のメロディラインを構築するという重要な仕事を必死にこなしながらも、心中でそんな日曜朝七時台にやるキッズ向けヒーロー番組のような妄想テロップを口ずさみ、くっくっくと嬉しそうに笑顔を噛みしめる。
 ついに自分はやった。
 あの漫画の世界のような……まるで夢みたいな最高のシチュエーションを、この現実に確として創り出すことができた。
 後はそれをこのまま、かっこよく最後までぶっちぎってやればいいだけ。
 だからここからは……いや、まさにここからが、真に重要な局面。
 決して手を抜かず、決して油断せず、決して慢心せず、この棗恭介が持つ力の全てをもって、この学祭ライブの終焉を色とりどりに飾りきってやろう。
 そして、やがてそれが完成したとき、この学祭における真の勝利者となるのは――――、
  

 ――この俺、棗恭介だっ!
 

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