『おっし、準備いいか? ……よぉ――っし! 待たせたな! 学祭ライブのトリバン、始めてくぜ! さっきの井ノ原組にも負けねぇように、しっかり気合い入れてくからよ! みんな、よろしくな!』
気の強い笑顔で発せられた岸田の言葉に、女子生徒からの黄色い声援、男子生徒からの張り千切れんばかりの大音声、そして一般人からの期待のこもった大きな拍手が、順々に送られる。
……やはり岸田は、恭介並みに女子からの人気があるのはもちろんのこと、他の男子生徒や、卒業生、他校の生徒や、ひいては(ライブハウス関連の人たちだろうか?)校外の一般人たちからも、深く深く信頼されているらしかった。拍手や歓声の質が、理樹たちや真人たちのものとはまるで違う。驚愕の差分がない代わりに、一つ一つの声援に、とても深い信頼感と期待感がしっかりと刻み込まれているような気がした。
『えーっと今回は、本当に色々ありましたけど……とにかく、こうやって無事に最後の学祭ライブをすることができて、本当によかったと思います。……あ、初めましてな人は初めまして。ギターの皆藤です』
『いや……てかお前、それだともう終わりましたって感じじゃんかよ。俺たちやるんだよ、これから! ライブをっ!』
『……あれ? もしかして、俺言葉なんか変だった? あ、ちゃんと俺らこれからやりますからねー。安心してくださいー』
突如として繰り出される二人のお馬鹿漫才に、会場内が一気に、どっと笑い声に包まれる。
『ギター練習しすぎて、ついに日本語がおかしくなったかよ』という岸田の冷やかしに、皆藤は困ったようにはにかみながら、誤魔化すみたいにギターをしゃららん、と軽く奏でてみる。
その、芯が太くてとても温かい音色に、またもや別の方で「ひゅーひゅー」といった小さな喜びの声が上がった。……どうやら、彼には彼にで、ちゃんとした個別のファンがついているようだった。
理樹はそんな光景をなんとなく遠巻きに見やって……思わず、感嘆の息をもらしてしまう。
……どうして、彼らはこんなに、会場をとっても暖かい空気にできるのだろうか。
理樹たちには、どうしてもできなかったことだ。
できたとしたら、ただ自分たちの力を相手に見せつけてやって、驚かせて、負けを認めさせたくらい。
よく考えれば……いや、よく考えなくても、本当にたったそれだけだったのだ。
彼らは本当に、どうしてあんなに……と、理樹がステージ上を見上げながら、ひそやかに考えていると。
『で、このベースの人が清水君ねー。……ああそういえば……彼とこうしてバンド組めるのも、よく考えてみればこれが最後なんだよね。……なんだか俺、ちょっと泣けてくるよ。すっごい好きだったのに、清水君のベース』
『いや……別に、いつでも組んでやりゃーいいだろ。大学とか行ったり、就職してからでも。好きにバンド組めば』
『あーあー……わかってないね、岸田っち。ここでこうやってお客さんの涙を誘っておけば、それだけライブが盛り上がるっていうのに……一生結婚できないタイプだなぁ』
『誰も結婚なんかしたくねぇよ! てめぇなんかと!』
そうやって早速たくらみをバラしてしまう皆藤と、そんな軽いジョークにマジギレしてる岸田に、思わず理樹も顔を歪めて笑ってしまう。
でもそれで、少しだけ……なんとなくだけど、理樹はこの謎が解けた気がした。
もしかしたら、『威圧』と『安心』――といった、観客への接し方の違いだったのかもしれない。
例えば真人たちのバンドが、圧倒的なクオリティと戦闘力で観客たちを屈服させてしまう、最強のバンドだったとしたら。
この岸田たちのトリバンドは、観客たち全員から深い親しみを持たれ、長く心から愛され続けるような、そんな最大の人気を誇るバンドなのだろう。
現に、会場を包んでいる空気が、先ほどまでとはまったく違う。
みんなを上から押さえつけるような、高圧的で緊張した雰囲気は、もうまったくゼロなのだ。
どちらかというと、理樹たち観客自身が、彼らと協力してライブを作っていくような――そんなイメージ。
相手を驚かすんじゃない。力を見せつけるんじゃない。
ここに居るみんなで、一つのライブを作っていく――そんな最高にかっこいいバンドが、まさに岸田たちのトリバンドなのだ。
……なるほど――もし自分がライブに行くとするなら、それは多分、きっとこういうバンドのライブになるのかもしれない。
そう心の中で断言できてしまうくらいに理樹は、今この場にいるのがとても心地よくって――別に、自分が今あのステージに立っているわけでもないのに、どうしてか――なぜか、心が無性に躍るのだ。
楽しいのだ。
こうして一人の観客として彼らを見上げるのが、とにかく楽しい。
ずっと、この瞬間が続けばいいとも思う。
そんな――今日初めての不思議な充実感を、理樹はまったく怪しいとも悔しいとも思わず、ただ広く心の中に受け入れていた。
そして、
『それじゃ、一曲目始めまーす。これ、僕らと顔なじみな人はよく知ってると思うけど……えと、よかったら皆さんも一緒に歌ってください。有名な曲です』
ボーカルの人がそう笑顔で話すのと同時に、待ってましたと言わんばかりに大きな拍手がたかれた。
皆藤はその拍手を照れくさそうに受け取りながら、ステージの端の方へ歩いていき、足を下にぶらりと投げ出すかたちで、ぼすんと床に座り込む。
当然として目前のお客さんたちは大いに喜んだが、かといって大事な演奏を邪魔するわけにもいかず、後ろに下がって少々のスペースを開けてやる。
皆藤は、それに行儀よく頭を下げると、すぐにギターを構え直し、前奏を始める。
会場の歓声がよりいっそう強まる中――理樹は、また少し嬉しい気持ちになった。
――本当に、知ってる曲だ……
これは……あの皆藤や岸田が、特に好きだった曲。ミーハーな理樹でも、その曲は以前からよく知っていた。
歌詞も今ではバッチリ暗記済み。英語の曲だが――彼らが部室で遊びながら練習しているのを何度も聞いたり、この件でちょっと興味が沸いてきた洋楽に何度も触れている間に、気がついたらすっかり覚えきってしまっていた。
落ち着いた、少し切なげなギターメロディに、ベースの温かい音がゆっくりと組み合わされる。
会場のみんなは――一体誰が最初に始めたかはわからないが、気づいたら曲のリズムに合わせて手拍子を取っており、知らず知らずのうちに、理樹もその輪の中に加わっていく。
そして、ちょっと長めのイントロが終わろうとする頃――次第に歓声が、少しずつ弱められていき、
『 Sometimes I feel like I don't have a partner 』
みんなで歌う。
『 Sometimes I feel like my only friend 』
ゆったりとしたギターとベースの音に、みんなの歌声だけが特に強調される。
『 Is the city I live in, the city of angels 』
見ると、隣にいた葉留佳や来ヶ谷、小毬やクド、そして真人と謙吾までも――みんな楽しそうに笑顔を浮かべて、手を叩いたり、肩を組んだりしていた。
歌詞を知っている者は、理樹と一緒に歌ったり。そうでない者は、それでも一生懸命歌おうとしたり、体をゆっくりと揺らしてみたり。
『 Lonely as I am, together we cry 』
そうしてAメロを歌いきると、少し間を置かれ、そこから岸田の静かなドラムの音が入るようになる。
ほんの少しだけ軽やかさを増した曲調に、理樹は心をよりいっそう踊らせながら、
『 I drive on her streets 'cause she's my companion 』
この一ヶ月の出来事に、思いを馳せていく。
『 I walk through her hills cause she knows who I am 』
何度も不安と心配で頭を悩ませてきた、この一ヶ月。
それでもやっぱり、ずっとみんなで頑張ってきた、この一ヶ月。
自分にはどうしても無理だと、何度も諦めかけた。
もう止めてしまいたい、やっぱり僕らは野球チームでいいじゃないか……と、何度も思った。
『 She sees my good deeds and she kisses me windy 』
ドラムも……わけがわからなくなるくらい、難しかった。
楽器が上手く扱えないせいで、みんなが落ち込んでいる姿を見るのも、すごく辛かった。
無理にでも笑って、やけくそになりながら、少しずつやってみるしかなかった……この一ヶ月。
『 I'll never worry, now that is a lie 』
体が壊れるかと思った。
心が、崩れてしまうかと思った。
途中で、何度も投げ出したいと思った。
けれど――――……今なら、こう言える。
『 I don't ever wanna feel like I did that day 』
ここまで来られて、本当によかった。
『 Take me to the place I love, take me all the way 』
今ここに立つことができて、本当によかった。
こうして、胸を張ってみんなと歌えることができて、本当によかった。
『 I don't ever wanna feel like I did that day 』
またここから、前に向かって歩き出せるから。
笑顔のまま、幸せなまま――またいつかこの時を思い出すことができるから。
『 Take me to the place I love, take me all the way 』
だから――この瞬間だけは、きっと永遠のままなのだ。
このことだけは、未来永劫ずっと大切にしようと、理樹は一人、歌いながら思う。
きっと理樹は、ずっとこのために、今まで頑張ってきた。
そしてこれからもきっと、それは同じなのだろう。
こんな、幸せすぎる一時のために――理樹はこれからも、ずっと頑張り続ける。
それだけは、間違いない。
そうしてまた、この瞬間は――永遠という一つの額縁へと、収められていったのだ。