……もはや、完全に学祭ライブのノリではない、と思う。

『どうだ、テメェらぁぁ――――っ! オレらの力を思い知ったかぁ――――っっ!』

 真人のMCに答える、うおおおおおおおおおぉぉぉぉぉおおあおああぁぁああぁぁぁぁぁぉぉぉぉぁぁぁぁああああ――――っ! なんていう今日一番の大歓声をたまたま通りがかった人が聞いたら、もしや有名なロックバンドかなにかが今この学校にやって来ているのだろうか、と大いに勘違いしてしまうことだろう。
 真人たちのバンドの四曲目が終了し、場のテンションが頂点に達する中で、理樹はテンションを上げすぎて逆に冷静になってしまった頭を使ってぼんやりとそんなことを考える。
 何度自分の心臓に、あのシャウトをぶつけられたかわからない。
 体全体を流れる血が、もの凄い勢いで熱くなってきているのがわかる。
 鳥肌なんて、もう最初っから立ちっぱなしだ。今さらなんともめずらしいとも思わない。
 そんな真人の歌声の素晴らしさを、理樹はどうにかして何かの言葉にしてみたいと思ったが……うまくそれを見つけることができず。
 むしろ、あの歌声になにかの言葉を当てはめることが、もう本当にそれだけで、歌声自体への冒涜のような気がして。
 でも、ただ……一言だけ。
 『凄すぎる』……という言葉だけは。
 まさにこの感動に、ぴったりの言葉なんじゃないかと、理樹はそう思って、首を縦に振ることにした。

『はっ! 後悔したかよ? オレらリトルバスターズと、軽音楽部を馬鹿にしたことをよ! ……まぁ……つっても、今さら出てきやがるわけねぇか』
『んー、仕方ないんじゃーん? つか、もういいんじゃね? 真人っち』
『うむ、そうだな伊津少年、真人君。こういった土壇場で見逃してやることこそ、奴らへの最大の罰となるだろうさ。……あんなクズども、もうもはや私たちの眼中にはないということだ』
『へっ。まー、そーだな。そんじゃま、ここまでにしといてやっか』

 どうやらこれで真人たちの怒りは済んだらしく、久方ぶりに、真人の優しい声が帰ってきた。
 依然として体育館には観客の声援が響きっぱなしであるが……その中で、なんとなく存在していた微妙な空気は、今ここで完全に消え去ったように思える。
 理樹の隣にいたクドと葉留佳は、緊張が解けたようにハッとして、いまだ興奮醒めやらぬ面持ちで、

「わ、わふぅー……べ、べりー、べりーかっこいい、井ノ原さんなのですー……」
「うん……てゆーか真人くん、あんなに英語喋れたんだ。すっげー……」

 瞬き一つせず、まじまじとステージ上の真人を見つめて、それぞれの感想を口にしていた。
 それに加えて、
 
「う〜ん……私も英語得意だけど、絶対あんなに速くは喋れないよ〜……。ねね、クーちゃん、後で真人君に教わりにいこっか?」
「は、はいっ、行くです行くです! 井ノ原さんの大好物のカツを持って、教わりにいきましょう!」
「い……いやいやいやいや、待て待て二人とも……あれはただ、あいつの発音やリズムが非常に上手いだけであって、だ、だから決して、あやつが英語を完全に喋れるようになったわけではなくて……そ、そもそもあの馬鹿が、英語など、で、でき、できるようになる、わけが……く、く、くぅ――――っ! じぇらしぃぃ――――――っ! お、俺もすごいとかかっこいいとか言われてぇ――――っ!」

 ……いろいろ真人は、みんなの心の中に種を残していったようだった。
 かくいう理樹も、真人のことをだいぶ見直したつもりだった。
 今まで理樹は真人のことを、部屋の中の温度をずっと絶えずに五、六℃くらい上げてくれる強制加湿器ぐらいにしか思っていなかったが、ここに来てその評価は、一日くらいはメイド服を着てご奉仕してあげてもいっかなーぐらい的に上がってきてしまったように思える。……別にやらないが。
 とにかく、理樹にとって真人の評価指数は、この件でいわばそれくらい上昇してしまったのであって……隣の女性陣たちからの人気っぷりも見ると(まぁすぐに戻るだろうが)……今度は少々、別の意味で心配になるのだった。
 いやまさか……絶対にあり得ないとは思うけど。
 ここでもし佐々美が『アレ』を見ていたとして……やっぱりわたくし、井ノ原さんのことが好きみたいなのでー……ごめんなさい直枝さん、とかなんとか言ってくれちゃったらどうしようとか、そんな詮無きことをむずむずと考えてしまったり。
 いやまさか、本当に、絶対に、万が一にも、そんなことあり得るはずがないとは思うのだが。
 とにかく……それくらい真人の株は、リトルバスターズの中でずぎゅ――――ん、と上がりきってしまった、ということだ。
 そんなことはまったく思いも寄らないであろう当の本人は、ステージ上でマイク片手に突っ立ったまま、少々退屈そうに。
 
『んー……MCっつっても、あんま話すことなんかねーよな? お前ら、なんかあるか?』
『ふむ……まあ、今さらメンバー紹介などやっても仕方ないのではないか? 時間も意外に押してることだし、ここはとっとと最後の一曲を終わらせてしまった方がいいと思うが』
『それもそうだねー。うし真人っち、とっとと行くべ』
『オーケー。……おしお前ら、次が最後の曲だ。もうお前らとの喧嘩も終わったからな、ちょっと次は気分変えていくぜ。しっかり聞き届けろよ、俺の筋肉ハート』

 ……もちろん、真人の筋肉ハートなぞを聞き届けたいわけではないが、理樹もそれに乗じて、「おおぉぉぉ――――っ!」と大きな歓声を返してみる。
 そうだ……理樹は実は、ここですっかり真人のファンになってしまったのだ。今この時だけ……のつもりだが。
 精一杯照れ隠しのつもりで、今この時だけ……今この時だけ……と頭の中で繰り返してみる。別に誰かが聞いているわけでもないのに、だ。
 この件が終わったら、もうすっぱり、元の親友同士に戻る。加湿器と、人間との関係に戻る。そうきっちり決めていた。
 ……だがどうしてこのとき理樹は、あの大事なことを忘れてしまっていたのだろうか。
 この井ノ原真人という馬鹿は、いつも自分たちの予想の斜め上に行ってしまう、最強の天然馬鹿だということを。

『では行くぞ。……曲名は、Numb(ナム)、だ』

 来ヶ谷の短いセリフの後に、数秒を置いて、特徴的なギターのイントロが流れ始める。
 それはまるで、宇宙空間のような独特のトランス感があったけれど。
 でもどこか……寂しげで、肌寒そうで。
 決して、みんなで集まって楽しく笑っているような、明るげな曲ではなかった。
 自分自身も少し冷たくて、荒々しいけれど……でもいつだって、孤独を感じている、そんなイメージ。
 やがて、なんか真人たちの曲ってこんなの多いなー、としみじみ理樹が感じ始めた頃……そのさらなる驚愕の瞬間は、すぐにやって来た。
 
 心臓が、凍った。

 

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