「うああ……さ、さわんな、馬鹿兄貴っ!」
「ふっ……お兄ちゃん、なんだか嬉しいぜ。鈴もいつの間にか大人になっちまったんだなぁ……と、しみじみ思ってたからよ」
「でも恭介がそれ言うと……なんだか変なふうに聞こえるよね」
「それは完全に同意ですね、直枝さん」
「なんでだよっ!」

 ……そうして楽しそうに笑い合う四人の顔を最後に、私はシャッ、と控え室への黒カーテンを閉じる。
 隣で中腰になって覗いていた葉留佳君は、「いいんすか、姉御」と少し心配するようにこちらを見上げてきたが、私はすました顔を作って横目で見返し。

「何のことかね」
「へ? い、いやぁ……それをはるちんの口から言うのは、ちょっと憚られまして」
「ふっ。今回の件で、私の中の鈴君の可愛さゲージはぐんぐん上昇中だ。そして、あとで剥ぐ……ではなく、ハグしてやることは、今日の私のスケジュールの中で最重要項目として既に完璧にインプットされている。なにも問題はない」
「いや、それこそがもうかなりの問題だと思うんですけど……って、あー! ちょ、待ってください姉御ー!」

 ツカツカとステージに向かって歩いていく私の後ろを、葉留佳君が慌てて走りながら追いかけてくる。
 まったく。別に……なにも問題などなかろうに。
 他人の恋だ。見ていて楽しいのは確かだが、私ごときが口を挟むべきものではない。
 それにしても先ほどのは、なるほど……確かに鈴君らしい恋の形であった。理樹少年も、あれなら安心して元の関係を取り戻せるだろう。
 ……とと、いかんいかん。そんなことはどうでもよかったのだ。さっさとライブ準備に取り掛からねば。また岸田氏にどやされて、その結果として腹いせに皆藤少年をいじり回すはめになりかねん。……ふふ、少年にも少しは尊厳というものを残してやらねばな。
 そうして私は、くっくと黒い笑みを浮かべながら、絡まったマイクコードを整理するという楽な仕事に取り掛かった。

「よう棗、そっちの準備は終わったのか?」
「ああ。あのことなら大丈夫だ。その時が来ればすぐにでも取り掛かれる。誰にもわからないところで、しかも一番近い場所に仕掛けてきたからな。あとはお前がそのまま来てくれれば、それだけですぐに始められる」
「おう、そうか。まぁ……ギャラリーの出入りもあるだろうからな。そこまでハイペースじゃなくてもいいだろうが……で、それで? ちゃんと練習はしてきたか? 二人とも」
「ん……たぶん」
「緊張は、しますが……普通にやる分には、問題ないかと」
「そうかー。よしよし、それなら安心だな。俺も合間見つけてそれなりに練習してきたからよ。頑張ろうな。……って、そんな緊張すんなよ。ちゃんと俺と棗がついてるからよ」
「す、するわ……ぼけー」
「すみません。こればかりは……どうにも」

 ステージの隅から、そんなヒソヒソとした会話が聞こえてくる。……まさか、聞こえていないとでも思っているのだろうか。この来ヶ谷ちゃんの地獄耳の前には全て無駄なあがきだな。
 感づかれないように視線を送って見てみれば、彼らの中で余裕があるのは岸田氏だけで、ほかの三人はどこか緊張気味だ。……恭介氏だけはまだマシな方だったが。
 ふむ……しかし四人が話していた中の内容で、記憶に思い当たるものはない。どうやら、また恭介氏企画の秘密イベントのようだな。よくもまあ、目下就職活動中の男がそんなに飽きもせず次々と案を思いつけるというものだ。
 だが、これは丁度いい遊びになるな。その推理でもして適当に時間でも潰しておくか。あーめんどくさい。

「ふ〜、こっち終わったよ〜。ステージ裏部隊、ただいま帰還しましたっ。ああーっ、理樹く〜〜んっ! おかえりー!」
「はれ? リキ、いつの間にこっちに戻ってきたのですか? わ、わふー! こ、これはっ……おくとぱす・ばーにんぐですー!」
「あ、小毬さん、クド。うんただいま。時間、遅れてごめんね。……あ、それみんなで分けて食べていいよ。お土産……っていっちゃなんだけど、結構おいしいから」
「……ふみゅ? もぐもぐ……も、ももっ! わ、わふーっ! こ、これはゆずですかぁー! 私、知ってるです! すご〜くおいしいんですよねーっ! この、え、えーっと……ゆず……ゆず……」
「いやまあ、無理に英語にしなくてもいいからね……ほら、食べて食べて」
「じゃ、いただきま〜っす!」
「いただきますですー! ……本当はもう、食べちゃいましたけど……わふっ」

 また反対の一隅から、きゃっきゃと戯れる可愛い三人組ガールズの会話が聞こえてくる。
 なにやら見てみると、理樹少年が遅刻した分の差し入れを持ってきたようだが……、正直、食べる気はしない。食欲がないのだ。
 ……ちっ、なんだ私は。早速ネガティブな気分になってしまっているではないか。
 これからはまたすぐライブがあるというのに……今は絶対、皆に心配をかけるわけにはいかん。
 そのためには、まず私自身のこの嫌な気持ちを完全に取り去る必要があって……っと、そうだ。
 推理の続きだ。それをし続けていれば、私が変な気分になることもあるまい。
 ふむ……まぁ、そうだな。これはそうそう頭を使わずとも、あのメンバーと会話の内容、そして恭介氏の思考回路を辿っていけば、簡単に答えにたどり着けるというものだ。
 十中八九……『アレ』だろう。ここではないどこか……という可能性が高いわけだから、その場合、鈴君との条件とも多少なりとも合致する。そしてそれを美魚君と岸田氏という存在で補強してやればもうパーフェクトだ。
 ……なんだ、解けてしまった。もちろん穴だらけの推理ではあるが、決して無理な話ではない。やつらにはそれだけの準備をする時間がちゃんとあったはずだ。
 ちっ……なんだつまらん。もう終わりか。もっと私を楽しませろ――……なんて、そういえばなにかの格ゲーのキャラの勝利ゼリフにあったな。なんだったか。
 ……忘れた。そんな雑魚丸出しの「これからやられますんで」的なセリフを吐く輩など、格ゲーの世界にはごまんといるだろう。所詮、私の敵ではない。
 ……いや待て。だとすると、そんなセリフを吐いた私こそが、「これからやられます」的なキャラになる……ということにならないか? ん? どうなんだ、答えろこの野郎。来ヶ谷唯湖め。お前にはドジっ娘属性はないはずだぞ。
 くそう……こ、こいつめっ。どうだ。うらうら。

「ちょ、姉御! なに余計に縛ってんすか!? ……って、スゴォ――ッ!?」
「はぁ……はぁ……ど、どうだ葉留佳君。見てくれ。全部一つに繋げてみた」

 誇らしげに笑う私の手には、どでーんと、一昔前のパソコン室にあったようなケーブルの塊――すなわち、ぐちゃぐちゃに結ばれたマイクケーブルの束があった。そして、それをキラキラと目を輝かせて見つめる深紅色いたずらガール。ふははは。貴様のいたずらっ娘レベルではまだまだこんなことはできまい。どうだ、すごいだろう。

「これ……一体どうやったんすか!? はるちんにも是非教えて――って違うっすヨ! だめですよ、早く直してテープでまとめないと! また岸田君に怒られちゃいますヨ!?」

 ぬ。この不良娘め……いつの間にそんなよい子に変身しおった……
 私は葉留佳君に聞こえないように、小さく舌打ちを洩らすと、

「ん……あ、ああ。そうだったな。……いやしかし……我ながらこういう細かい作業は向いていないようだ。私は向こうの大がかりな作業の方を手伝ってくるから、ここは葉留佳君に任せたぞ。それじゃっ」
「へ? ちょ、ちょおっ! あ、姉御――!?」
 
 ……言うなれば、飽きた。
 私の今の行動については、たったそれだけの単語で説明できる。
 私は葉留佳君に、ばらばらっ、とケーブルの山を投げ渡すと、これまた一昔前のドラマ俳優よろしく、爽やかに手を振りかざしてその場を走り去っていった。
 私はそのまま、スタタターッと向かい側まで走り、なにやら難しい顔でPA装置をいじっている皆藤少年を発見。唇の端に笑みを浮かべつつその隣へと滑り込む。
 私が突然来たことでびっくりして仰け反っている少年を華麗に無視し、つまみを適当にカチコチ回す。すると途端にドラムの音量が爆発したように上がり、スピーカーの近くで話し込んでいた謙吾少年と真人君が勢いよく吹っ飛んだ。ふはははは。馬鹿め。
 ……と、そんなことはさすがに言ってられないので、少し冷静になってつまみを戻しながら、私なりのアレンジを加えつつ(一言で表せば、適当に)華麗な音響セッティングをしてやった。ふっ、どうだ?
 ……だが今度はなぜか、もの凄く強烈なハウリングが体育館内に発生し、その場にいた全員が耳を強く塞いだ。かくいう私も。筋肉馬鹿たちはビクビクッと体を痙攣させた後、動かなくなった。
 ちぃ……そうか。マイクのゲインを上げすぎたのか。え……ええい、なぜ私はこんな初歩的なミスをしているんだ。放送委員の肩書きはどこに行った。
 しかもなんだこれは。全然大がかりな作業ではないだろうが。アホか私は。
 くっそう……なんだか、無性にイライラするぞ。
 ……これでは全然、うまく隠し通せてなどいないではないか?
 昨日も、そして朝も、どれも上手くやれていたというのに。なんでこんな時に……ちくしょう。
 なんで私はあんなものを見てしまったんだ、馬鹿。別に放っておけばよかったのに。
 こんな状態では、無事にライブなんぞに出られるわけが……

「ちょ、来ヶ谷さんっ、なにやってるのさ!」

 む……
 
「さっきから全部見てたよ……っ! もう、さっきも機材で遊んでたし! 葉留佳さんも困らせてるし……一体どうしちゃったんだよ!」

 めずらしく怒った顔の理樹少年が、トテトテとこちらに駆け寄ってくる。
 ……い、いや、違うんだ理樹君。
 私はただ、暇だったから……別に君に迷惑をかけるつもりなどなかったし、これは私なりの、遊びを混ぜた貢献の仕方だったのだ。だから別に、君に怒られるようなことは……

「遅刻した僕が言えるようなことじゃないかもしれないけど……っ、みんなは今、真剣にライブに向けて頑張ろうとしてるんだよ! 見えないところでサボりこそすれ……こんなわかりやすく邪魔するなんて、こんなの……っ、全然来ヶ谷さんらしくないよっ!」

 え。
 じゃ、邪魔……?
 私が、邪魔だと?
 そんな、馬鹿な。
 待ってくれ理樹君。私はだから、そんなつもりは……っ。

「ちょ、待てって理樹! お前も落ち着け!」
「……あ。きょ、恭介」

 慌てて駆け寄ってきた恭介氏が、理樹君の頭を押さえつけ、こちらを軽く睨んでくる。
 私の隣にいた皆藤君は、そのまますぐにすべての音量をオフにし、がっくりとため息をついた。
 岸田氏は黙って、倒れた筋肉たちを控え室へ運びながらも、鋭い一瞥をこちらに寄こす。
 さらに、ほか全員から冷たく注がれる視線。
 あれだけ活気に満ちあふれていたはずの体育館のステージが、この時だけ、痛いほどの無音に染まる。
 ……なんだ。
 私が、悪いのか。
 私は、別に……

「来ヶ谷」
「……っ」
「お前は控え室に行って、真人と謙吾の面倒見てこい。まだライブまでには五十分ほどある。……それまでに、頭を冷やしてこい」

 恭介氏はそれだけの言葉を残し、理樹君を連れてドラムステージの方へと戻っていった。
 理樹君は、こちらを一度だけ睨んだ後……すぐに悲しそうな顔に戻り、なにも言わず去っていく。
 そして同じように、なにも言わないまま、元の作業に戻る者。
 なにしてんだよ……といった表情で、こちらを睨み続ける者。
 心配したような様子で、私の方をチラチラ覗いてくるリトルバスターズガールズのみんな。
 そのどれもが……どうしてか、私にとって、まるで胸を抉るナイフのように……痛かった。
 私は顔を俯け、反対側にある控え室の方へと、とぼとぼ歩き出す。
 途中、一度だけ葉留佳君のもとに寄り、そして――

「――すまん」

 そう……なにも見ないまま、一言だけ告げていく。
 葉留佳君は……なにも、言い返してはこなかった。
 

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