「あ、このカツサンド屋美味しいんだよ。昨日真人たちと行ったところ」
「あなた……この私にいきなりそんな重たいものを食べさせる気ですの? 先ほど、やっと『スペシャル・デラックスチョコレート』を食べきったといいますのに」
「いや、あれはあんな意味不明サイズの巨大クレープを作ろうとした笹瀬川さんが悪いんでしょ……どう考えても人の食べるもんじゃないじゃないか。小毬さんでさえ遠慮するとか、わけわからないから」
「う、うっさいですわね! まさかあれほどまでとは自分でも思わなかったんですわよ!」
「最後の方は僕が食べてあげたしね……よくあんな甘いものをあそこまで一人で攻略しきったよ……」
騒がしい学祭の出店市場を歩きながら、僕は改めて、鉄の胃袋を持つ笹瀬川さんに感服する。……せいぜい美容には気を付けろという、真摯な願いを込めながら。
しかしそんな笹瀬川さんでも、いきなりあのカツサンドを食べるのは、やはりちょっと遠慮したいみたいだった。
僕は午後こそが本番になるので、なるべくここでガッツリ食べておきたかったのだが……まぁそれでは仕方ない。ちょうどいい量の食べ物屋さんでもないか、探してみることにしよう。
……と、そこで僕はあることに気づいて。
「ていうか笹瀬川さん、さっきあんなにクレープ食べたんだから、そもそもお昼無理なんじゃないの?」
「う……そ、それは確かに。そう言われてみると……正直厳しい感じがしますわ」
そう言って、難しそうな顔でお腹のあたりをさする笹瀬川さん。
だったらなんでお昼行こうなんて言い出したんだよ。と、ツッコみたくなったが、止めておいた。
僕だって……こうやって笹瀬川さんと二人で学祭を回れるなんて……もうそれだけで、もの凄く嬉しくなるんだから。
でも確かに、そうなってしまうと……やはり、ちょっと困ったことになる。
僕だけ一人お昼を食べてて、笹瀬川さんは隣でそれを見てるだけ……なんていうのは、やっぱりなんだか味気ない。
先ほどのジャンボクレープの件には、あれでそれまでの二人の緊張した雰囲気を解消できたという事実があるため、感謝したいといえば感謝したいのだが……正直、うまくいかないもんである。
と、僕がそんなふうにうんうん唸りつつ、学祭の通りを歩いていると、隣にいた笹瀬川さんが突然。
「ねぇ、あれなんでしょう?」
「ん……? って、うわ。すごい人だかり」
「ええ。なんかあそこだけ、空気が違いますわね……」
笹瀬川さんが指差した先を見ると……そこには、明らかに異様なレベルの行列を作っている店があった。
その看板を確認してみると――――……、えっと、ゆず入りたこ焼きのお店?
「ゆずって……あの、寒い日にお風呂に入れるやつだよね? なんかめずらしいね」
「……、まずその発想に辿り着くあなたの思考レベルを疑いたくなりますけど……確かに、たこ焼きにゆずを入れるなんて、聞いたことがありませんわね」
「ねね、じゃあさ、行ってみようよ。ほら、たこ焼きだから二人で分けて食べられるし」
「し、仕方ありませんわね。いいですわよ。……って、ちょ! 手!? ……な、なんで!?」
「あははっ! ほら、早く並ばないと食べる時間なくなっちゃうよ! 急がなきゃ!」
「そ、それはわかりますけどっ! な……あ、あう……にゃう……っ」
僕は、昨日の真人のセリフを都合よく拝借して、笹瀬川さんの手を掴み取り、たこ焼き屋へと強く走り出す。……内心めちゃくちゃ恥ずかしいのは誰に対しても秘密だ。
少し惚けたように顔を赤くして、それでもしっかりと手を握り返してくる笹瀬川さん。
僕らはお互いの体温や、手の肌触りを確かめるように、強く……柔らかく、手を絡め合う。
先ほどの言葉なんかとは裏腹に、僕はいつまでも……いつまでもこうして、二人で手を繋いで、道を走っていたかった。
僕らがこうして、想いを通して触れあえるのは……きっと今はこんな時だけで。
未来なんかとても簡単に、いくらでも変わってしまうのだろうけれど。
ただ僕は……今この時だけ。
ほんの今の、この時だけは、こんな些細な幸せを……噛みしめていたかった。
……やがて、だんだんとゴールが近づいてきて。
僕は、徐々に走るスピードを落としていき……最後に、名残惜しさ全開で、そっと笹瀬川さんの手を離していく。
最後の最後に、人差し指で相手の手のひらをそっと撫でた、『まだ離れたくない』というメッセージは、無事に受け取ってもらえただろうか。……なんて、一人そんな馬鹿なことを考えながら。
「ほら、着いたよ」
「……」
こくん、と目を伏せたまま、無言で相づちを打ってくる笹瀬川さん。
正直……この後、速攻で閃光パンチが飛んでくるんじゃなかろうかと思ったが、案外そんなことはないようだった。
昨日の来ヶ谷さんは、真人が2メートルほど吹っ飛んだんじゃないかっていうくらい全力の蹴りをお見舞いしてたから……僕もそれに倣って、1メートルぐらいは吹っ飛ぶ覚悟をしていたのだが……どうやら、あれはあれで特殊なケースであるらしかった。その直後ムクりと起き上がってなんでもないように振る舞える真人とだからこそ、できるじゃれ合いなのだろう。
「あ、でも後十分だって。こんなに並んでいるのに、意外と速いんだねぇ」
「……う」
エプロンをつけた女の子に「ここからは約十分待ちでーす」と伝えられ、僕がそれにわざとらしい反応を返す。
そして隣で、こくんこくん、と再び無言でそれに応える笹瀬川さん。
見ると笹瀬川さんは、先ほど僕と繋いでいた右手を、握ったり、開いたり……じっと見つめたり、もう片方の手とこすり合わせたりなど……なんだか色々と、意味深すぎる挙動をしていた。
それにはさすがの僕も、恥ずかしすぎて曖昧な笑みしか浮かべることができず……けれど、こうしてなにもせず突っ立っているのもあれなので……ならば僕も笹瀬川さんと一緒にと、先ほど繋いでいた左手を、自分の頬に当てたりして。
「な! ちょ、あ、あなたっ!」
「ふえ?」
突然笹瀬川さんが変な大声を出したので、なんだろうと思い、そちらに振り返ってみると、
「な、直枝理樹……あなたって人は、ちょ……へ、へへ、変態じゃありませんことっ!?」
「ええーっ!?」
ゆでだこのように真っ赤になった笹瀬川さんが、ぷるぷると震える指をこちらに向けつつ、なんだか嬉しそうな……嬉しくなさそうな、よくわからない表情を顔に浮かべて、最近僕のトラウマになっているワードをなんのためらいもなく口にお出しになった。
「なんで人と手を繋いだのを、そうやって頬にスリスリと……っ! あ、挙げ句の果てには匂いまで嗅いでいらっしゃるし!」
「ご、誤解だよ! ただ僕は、ほっぺとかに出来たニキビが気になっただけで!」
「ニキビなんてどこにもないじゃないですの! きぃ―――っ! お、男のくせに、うらやましい肌しやがって!」
「え、怒るのそこなの!?」
なぜか途中から怒りの矛先が変わり、そこからは延々と、女の子がニキビを防ぐために毎日どんな大変な苦労をしているか、ガミガミお説教されることとなった。……スキンケアですね。食生活ですね。わかります……はい。すみません。
……まあそんなこんなで、なんとか不祥事をうまく(?)誤魔化せたようなのだが、今度は逆に、僕は見えない女性の苦労という微妙に重すぎる現実を背負わされるはめとなった。……はい、僕顔洗うの一回だけです。チョーシ乗ってすみません。
「もうっ! これからはせいぜい口を慎むことですわね! 間違っても自分は普通の安石けんで洗っているなどと、女性の前で言うべきではないですわ! いいですわね!?」
「は、はい……」
これ言わせたのって笹瀬川さんなんじゃないかなぁ……と、半ば理不尽な気持ちになりつつも、プンプンと可愛く怒る笹瀬川さんの前で、僕は黙って頭を垂れる。
きっと女性にはまだ、数知れない悩みとそれに対する見えない努力があるのだろう。僕、女性に生まれないでよかった……と、このときは本気でしみじみと思った。
「まったくもう。……それで?」
「え?」
「な・ん・で、あなたは私と繋いで手で、変態まがいなことやってるんですの!? え、ええい……あなた、恥ずかしいと思いませんの!?」
……どうやら実のところ、あのことはきっちり覚えていらしたようで、笹瀬川さんは顔を若干赤くしつつも、僕をキツく睨んで怒鳴ってきた。
しかしこのとき……そんな笹瀬川さんの厳しい目と言い方に、僕は、別にそこまで言わなくてもいいじゃないかと、あんただってやってただろうと……そんなふうに悪く考えていってしまって、そしてそのうちにとうとう……自分の堪忍袋の緒が切れて。
「べ……別にいいじゃないかっ! それくらい、ついやっちゃう年頃なんだよ、僕は! 若さ故の過ちってやつだよ! ……いや、ていうか、最初にやってたのは笹瀬川さんの方じゃないか! こっちこそさっきは恥ずかしくってたまんなかったんだからね! どうしてくれるんだよ!」
「き、きぃぃ―――――っ! いちいち逆ギレすんな! ですわ! それに私は、あなたみたいに際どいことはやってません! ただ手を眺めてただけじゃないですの!」
「それを最初にやっちゃうあたりがもうダメなんだよ、笹瀬川さんは! なんだよその、『青春日記・第一ページ』みたいな、恥ずかしい行動! 思わず僕もやっちゃったじゃないか! 笹瀬川さんのせいだよ!」
「ひっとっっのせいにするんじゃない! そもそも、最初に手を繋いできたのはあなたの方じゃないですの! あ――もうっ! このエロ男! 馬鹿変態! そうやって私の貞操をコシタンタンと狙ってるんですのね! 残念ですが、そうはいきませんわよ!」
「はぁ!? なんだそれ!? いつ僕が笹瀬川さんの貞操狙ったんだよ! そもそも笹瀬川さんはいちいち純情すぎで、――――」
――と。
なぜかそうやって、知らず知らずの内にヒートアップしていく馬鹿みたいな口喧嘩を続けながら、僕が「あれ、これどうやって止めるんだっけ」とふと思った直後、その願いは、超弩級・絶対零度・私怨100%配合の不動明王様の一手によって強制的に叶えられることとなった。
つまり、それこそ――
「あなたたち……こちらが必死に校内取り締まり活動をしている間にそうやって二人でイチャイチャラブラブと青春薔薇色コース? へぇ……、……本当に、いいご身分ですね……」
「え……ふ、二木さんっ!?」
それこそまさしく、その華奢な全身から3メートルを超える巨大な不動明王の気配をむわっと立ち上がらせた、泣く子も黙るしかない、今日こそ確かに『風紀委員会』の腕章を装着している学校一のクールレディ(であるはずの)二木佳奈多さん、その人だった。
突然隣から、恐ろしく低い声で(けれど、どこかぷるぷると震えた声で)妬み以外の何物でもないであろう苦言をぶつけてこられた僕らは、必然的に口喧嘩をストップさせられることとなる。
僕の方は、突如として目の前に登場した二木さんに驚いて固まっていたのだが……横にいた笹瀬川さんは、そんな二木さんの一方的な言い分に、目をキンキンに尖らせて、食ってかかる。
「ちょ……っ! あなた! だ、誰がいちゃいちゃらぶらぶですって!? 言い争っていたのが見えなかったんですの!?」
「見えたからそう言っているのよ、発情子猫さん。ともかく……その辺の説明はめんどくさいから全部後回し。私がいなくなった後で、周りの反応を見てみればすぐにわかるでしょう。そんなことより、あなたたち」
「え。な、なに?」
はっ、男なんぞとイチャイチャしてる乙女チックな貴様ごとき、私の相手ではない! というかのように、二木さんは、ぎゃーぎゃー喚く笹瀬川さんを華麗に一蹴した後、その笹瀬川さんとの間に入り、腕を組んでこちらをギンと睨んでくる。……なんとなく「保護者であるあんたの責任よ……」などと呪いの波動をぶつけられているような気がした。
「前の列、とっくになくなってるんだけど」
「え? あっ! ほんとだ!」
「はぁ……あなた、もうちょっと周りに気を配ることはできないの? リーダーなんでしょう? リトルバスターズの。そんなんじゃ、いつ他の連中にこき下ろされるかわかっ――」
二木さんの言うとおり、前を見てみると、さっきまでずら〜っと並んでいた長い行列が、綺麗さっぱり消え失せてしまっていた。
これはやってしまった。それほどまでに僕は笹瀬川さんとのやり取りに熱中していたのか。ああ、なんて恥ずかしい。……などと、一人で大いに顔を赤くしながら、笹瀬川さんの手を取り、後ろの人たちに謝って、急いでお店の前へと駆け出していく。
くっくっくと失笑している店員さんたちから思いっきり目を逸らしつつ、慌ててたこ焼きを四パック頼む。……僕と笹瀬川さんが一つずつ。そして、リトルバスターズや岸田さんたちの分を二つだ。
「あいよっ!」という粋のいい掛け声が返ってくるのを耳で確認した後、僕は、ふう……とひとまず安堵のため息をつき、そこで初めて、なんだか左手が妙に温かいことに気づいて――――……瞬間的に、脳が爆発しそうな心地になった。
……ま、また笹瀬川さんの手を繋いでしまっている。しかも今度は、店の前に着いても繋いだまま……っ。向こうから振りほどこうとしてくることもない。笹瀬川さんも、真っ赤になった顔を思いっきり伏せてしまってはいるけれど……さらに体をぷるぷる小刻みに震わせてはいるけれど、嫌がる様子はまったくない。……ああ、これは、もしかして。……このままでは、僕のさっき出した答えなんか、実はなんの意味も持たなくなってしまうのではないか、ああ別にそれでもいいのかな、いやでもそんなこと僕が望んでいいはずがないし、いやいやでも――
――と、ドロドロにとろけきった頭であれこれ考えてるうちに……なぜか突然、目の奥にお星様が飛び込んできて――って。
「、〜〜〜〜〜〜〜……っ!?」
「……無視したわね、私を。語り始めると周りが見えなくなるのをいいことに、無視したのね……私を。いいわ直枝理樹。あなたには風紀委員長権限で、校則103条・風紀委員長不敬罪を適用します」
「……な、なんだよソレっ!? そんなの聞いたこともないよ! てか、今のは明らかに二木さんの傷害罪でしょ!」
殴られてジンジン痛む頭を押さえつつ、僕が涙目になってそう訴えかけると、二木さんはさらに、身に纏う負のオーラを一段と大きくしてこちらを睨み付けてくる。
「黙りなさい。私には懲罰権があるからいいの。ちなみに、その罰則は今私が作ったわ。校則の制定・改廃権も風紀委員会に属しているのよ。……今は違うけど、未来は必ずそうなる。そうなるように根回し中だから、多少フライングってことでいいでしょう?」
「ぜ、ぜんっぜんよくないし! そもそも、そんなのまったく自慢できることじゃないよ! 横暴だ!」
もはや公正もへったくれもない一方的な物言いに僕がそうやって文句を垂らすと、二木さんは「なんとでもお言い」というかのように、つんとすました態度で顔を逸らした。……身に纏っている負のオーラは、依然として絶賛拡大中であるのだが。……心なしか、「あんたたちいつまでも調子に乗ってんじゃないわよ。私だってねえ、好きな人とイチャイチャしたいのよ。でもしたくてもできねーんだよ、ちっくしょー」という心の声が聞こえてくる気がする。
そして二木さんは視線を正面に戻すや否や、顔を若干赤くして、慌てて僕と笹瀬川さんの繋いだ手を振りほどきにかかる。……ああ、せっかく自然に繋ぐことができたのに。……でも最後の一線を越えずに済んだから、ここは逆に二木さんに感謝しておくべきなのだろうか。
「はぁっ……はあ……っ、なんだか、だんだん自分がなにをしたいのかわからなくなってきたわ」
「そりゃそうでしょう。不毛すぎる戦いだと思うよ」
「っと! ゆず入りたこ焼き四パックおまちっ! 千円でーっす!」
「ああっ、とと。はーい。どうもすみません、ご迷惑おかけしましたー」
そう言いながら千円札を一枚渡して、いやに粋のいい店員のあんちゃん(一応同年代なはず)に頭を下げる。すると「いーってことよ!」という、これまた江戸っ子風味な笑顔を返され、こちらもまた照れくさく笑いながらお店の方を後にする。……笹瀬川さんが俯いたまま動かなかったので、これまた手を引いて。
それを目にした二木さんは、またもや不機嫌そうな顔をしていたが、笹瀬川さんが自分から動いてくれないことを告げると、「しょーがねえ」というように呆れたため息をついて首を振った。
「というか直枝理樹、あなたライブの準備はどうしたの? リトルバスターズ、さっきみんな体育館に集まってたわよ?」
「あ、ああ。うん……そうなんだけどさ。ほら、笹瀬川さんもいるし……お昼も、まだ食べてないしさ」
「……へえぇ、そういうこと。ほんっっっっっとうにいいご身分だわ……」
「あはー」という黒い半笑いを浮かべつつ、眇めた目でこちらをチラ見――ではなく凝視してくる二木さんに、僕は軽い畏怖の念を覚えながらも、どうか二木さんの恋もうまくいってくれますように、と100%自分たちのために、願う。
そうこうするうちに二木さんは、突然ぶるると震える携帯に呼び出され、次のカップルがいる場所――ではなく、次の取り締まり場所へと向かう。最後に、「このお祭りは、一般人によって支えられているようなもんだから、ちゃんと失礼のないようにしなさい」という、それはあんたにも言えることなんじゃないかと大いにツッコめてしまうような言葉を残して去っていった。
「……」
ぽつーん、と勝手に取り残されてしまった僕ら二人は、どこか適当に座ってご飯を食べられるところを探す。
……そういえば、二木さんの携帯で思い出したが、こうして僕がライブの準備に顔を出さずにいるわりには、未だに恭介たちから携帯へ連絡は入ってきていなかった。……気を遣ってくれているからだろうか。
僕ってば本当に、みんなに心配掛けすぎだ……と、ため息をついて頭を振る。
そういえばあの鈴は……今、どうしているんだろうか。
僕がいないのを……今、どう思っているんだろうか。
寂しがってないだろうか。辛く思っていないだろうか。……昨日あんなに、必死になって頑張っていたのに。
……けれどやっぱり、そんなふうに善人ぶって鈴を心配する資格さえも、きっと今の僕にはないのだろうと思い改め、ひとまず考えるのを止めた。
そしてやがて、賑やかな通りから少し離れた、人も少ないグラウンド側のベンチを見つけ、腰かける。
ここからだと体育館も近いし、見晴らしもいい。昔の卒業生か誰かが、サッカーボールを使って遊んでいるのが気に掛かるが、目に映るのはどうせそれくらいだ。
僕はガサガサとビニール袋からたこ焼きを取りだそうとして――――、ああ、そういえばまた笹瀬川さんと手繋いだままだった、と今更ながらに気づく。
確かにその……笹瀬川さんと手を繋いでいる、という恥ずかしさ度MAXの事実を考えると、顔が無性に熱くなって、嬉しいんだが嬉しくないんだが変な気持ちになってくるが……こう何度も繋いでれば、さすがに少しは慣れてくるというものだ。
依然として恥ずかしそうに、俯いたままになっている笹瀬川さんに小さく声をかけて、一緒にご飯を食べようとすると……彼女もまた、小さく、
「……もういい?」
「え?」
「もういい……? もう誰もいない……んですの?」
と、妙にしおらしい声で話しかけてくるのだ。
僕が再び、そのしっとりとした声に脳みそを沸騰させられたような心地になりながらも、「う、うん……大丈夫」と精一杯言葉を紡いで返すと、笹瀬川さんはやがてぶるぶると震えだし、突然、
「……、〜〜〜〜〜っ! うっにゃぁ――――――――――っっ!」
「うわあ!?」
爆発した。
「は、はは、恥ずかしくって死ぬところでしたわ! なんで!? なんで私、あんな衆人環視の元でこんな恥辱を味わわされなければ――――……って、はっ! も、元はと言えば、あなたのせいですわ! 一体、何回手繋いでくるんですの!?」
そして、上気しきった顔をこちらにくわっ! と向けて、ぷんすか怒り出す。
だがこのとき、脳内まですべて幸せ桜色に染まっていた僕には、そんなもっともらしい苦情は届かず、僕はそのまま「まぁまぁ」と笹瀬川さんをなだめすかし、隣に座るように促すだけだった。
いやはや……そういうことだったのか。
……うん……だけれど……これで、笹瀬川さんに正式に告白することができないということだけが、辛い。
僕らは決して、一定以上の関係にはなり得ない。……もちろん、『今は』だが。
僕らは友達。
今は友達で……あり続ける。
そう決めた。
お互いが今、どれだけ相手のことを好きになろうとも、それだけは変わらない。
だって二人で……そう、決めたんだから。
「ほんとあなたっ、わかってるんですの!?」
「ごーめんごめん。……あ、ほら。たこ焼きおいしそうだよ。みんなの分も買っちゃったから、冷めないうちに食べないと」
「ええい、話を逸らすな……って、あ、あら。……ほんとにおいしそう」
……わかってるさ。
さっきの売店のことは、正直やりすぎだったと思っている。
でも……、幸せだったんだ。
たとえ恋人と呼べなくたって、好きだと伝えられなくたって……笹瀬川さんとああして二人で楽しく学祭を回ることができて、手も繋ぐことができて……僕はまさしく、幸せに違いなかったのだ。
けれど、もうさすがにこれ以上は止めておくべきだろう。
ご飯を食べ終わったら、真っ先に恭介や小毬さんたちのところへ行って、謝ろう。
謙吾に、形あるままの『答え』を伝えよう。
鈴に――――……いや、止めよう。
それは考えても、きっとしょうがないことだ。
今は、とっととこのたこ焼きを胃に収めることだけを考えて……って!
「な、なな……っ!?」
「……あ、ほら。あんまり動くんじゃありません。落っこちちゃうでしょうが。……もう、仕方ないですわね。あむっ」
爪楊枝にぶっ刺さった、一つのゆず入りたこ焼き。
衣が破け、後ちょっとで落ちてしまいそう……というところで、それは無事に笹瀬川さんの口の中へ運ばれていった。
ここまで歩いてくるうちに温度が丁度いいものになったのか、特別熱がってふーふーすることもなく……って、いや、そんなことはどうでもいい。
今だ。
今、この人は僕に一体なにをしようとした……?
「これ結構……ていうか、もの凄いおいしいですわよ。ゆずの酸味が、いい感じに中のとろとろとマッチしてて……ふむむ」
「……」
「はい、じゃあもう一回」
「うん、もう一回♪ ……じゃないよ!」
僕の素早いノリツッコミを受けて、笹瀬川さんは純朴そうな顔でわざとらしく首を傾げてみせる。
笹瀬川さんの左手にはもう一つ、爪楊枝に繋がれた「早く食ってくれ」とでも言わんばかりにぷるぷる震えるたこ焼きが。
そして、最も重要なのはここ。
その爪楊枝の先端が、どうしようもなく真っ直ぐに、僕の口へと向けられているということで――
「あなたが早く食べてくれないと、また落ちちゃいますわよ。ほら――さっさと口をお開けなさい」
「いっ、いやいやいや! 笹瀬川さん、あんたなにしてるんだよ! ちょ、ほら、早く自分で食べて! 落ちるから!」
「ああもう、しょうがないですわね……はむむ」
またもや風に吹かれて落ちかかっていた小さなたこ焼きを、笹瀬川さんは不機嫌そうに口に入れていく。
そしてつまらなさそうな顔で、あむあむと咀嚼した後、こちらをチラリと横見、不敵笑い。
ぎゅぴーんと光る、そのとんがったおめめを見れば、この人の狙っていることなど……まあ、一目瞭然というものだ。
いやまさか。そんなはずは。と思いたかったが、この状況と今の笹瀬川さんの表情を見れば、その答えに辿り着かざるを得ない。
つまり、この人は。
「……ほら、今度こそ行きますわよ。あーん♪」
「あーんじゃないよっ!」
「なにムキになってるんですの? はんっ、これくらいで恥ずかしがってるようじゃまだまだお子様ですわね、直枝理樹。先ほど私が味わわされた恥辱の数々……この程度じゃ、全然足りませんわよ」
「くっ……や、やっぱりそうか!」
ニヤニヤとSっ気がほとばしる、その細められた両の眼が、声に出さずとも雄弁に全てを物語っていた。
言うなれば、仕返し。
先ほど勝手にされるがままになってたのはそっちだっていうのに、どうしてこのお嬢様ってやつは、そんな事実を脳内で素敵変換してしまうんだろう。
つまり、あの件は全部勝手に僕のせいにされたということで、今僕はその報復を受けている。……報復というよりは、権力をフルに使った処刑といった方がいいかもしれない。
てか、なに考えてるんだよこの人は。
そんなことしたら……っ、本当に僕らは、『答え』を守りきれなくなるだろう。
そうなったら一体、僕らはどうするんだ。
「ちょ、止めてよ! 本当になに考えてるんだよ! 笹瀬川さんと僕は別に――」
「付き合っていません。……けれどいいでしょう? 誰も見てないんですし。それに女の子同士なら、友達でもこういうことはしますわ」
「僕女の子じゃないじゃん!?」
「女の子ですわよ、十分。……顔は」
「くっ……」
……嬉しくないわけ、ない。いや、もちろん女の子だと言われたことではなく。
お昼ご飯を、二人仲良く『あーん』で食べさせ合うなんて、僕の考えていたことのずっとずっと先――はっきり言って、幸せ未体験レベルだ。
もちろんこの人はわざとやっている……と理解している。どうせそれで恥ずかしがる僕の顔を見て、先ほどの腹いせとして楽しんでいるのだろう。
本当にどうしようもない人だ。……これじゃ、本当にイチャイチャラブラブの恋人同士じゃないか。
……いや、だが待てよ?
この人がわざとやっているということは、つまり……僕がそのまま『あーん』と口を開き返すとは思ってもいないわけで。
そのまま『あーん』で食べさせる気など……本当はさらさらないということになる。
ふ……この勝負、勝ったな。やっぱりおつむが少々足りないようだね、この人は。
なんてことはない。
そのまま僕が、『あーん』で来たのを『あーん』で食べ返してやればいいんだ。
ふふふ。まさか僕が『あーん』を受け入れるとは思ってもいないだろう。恥ずかしそうに頬を染めて困惑する顔が目に浮かぶ――
そしてそうすれば、もう二度とこんな『あーん』なんて恋人臭い真似、そうそうやり出して来ないだろう。
よし……
「あーんっ♪」
「おっ、ついに観念しましたわね。はい、あーん♪」
「……」
なにい。
止める気配ゼロ。
本当に恋人みたいな笑顔になって、うっすら頬を赤く染めたまま、風に揺れてぷるぷる自己主張してくるTAKOYAKIを差し向けてくる。
ぼ、僕は……これを受け入れてしまうのか。
い、いいのかそれで。
そしたら、本当にこの人と恋人みたいになってしまうぞ。
こんな幸せ、もう二度と引き戻せなくなるかもしれないぞ。
ああでも……その宙を浮かんでくる、なんだか黒光りする毒々しいソースにまぶせられた、たった一つのたこ焼きが……なぜか僕の目には、その後ろにいる女の子の美しい顔立ちと相まって、とても魅惑的なものに映ってしまって……
慌てて閉ざそうとした口が、また自然と……開いていってしまう。
止めることができない。
幸せの桜色に、脳みそが侵されてゆく……とけてゆく。
ああ、だめだよ……そんな。
ああっ。
「あ、あ――ん……」
「あ〜〜〜〜〜――――……っげないっ♪」
「ふえ?」
ぱくんっ。
……元々開いていた、僕の口に、入るものはなにもなく。
ただ乾いた空気だけが、ひゅうひゅうと通り抜けていって。
あの、僕が狂おしく待ち望んだたこ焼きは……綺麗に来た道を引き返し。
笹瀬川さんの小さなお口に……粛々とゲットインされていった。
満面の笑みで、おいしそうにたこ焼きを頬張る笹瀬川さん。
……
…………
………………たこ焼き。
ウェア、イズ、ア、タコヤキ?
「お――っほっほっほっほ! やーい、引っかかった、引っかかった! ばーかばぁーか! 直枝さんってば、この私が本当に『あ〜ん』なんて恥ずかしい真似すると思ったんですの!? 嘘に決まってるじゃないですの! おぉ――――っほっほっほっほっほっほっ!」
思いっきり腹を抱えて、涙ながらに爆笑する小悪魔。……もちろん笑いすぎ、という意味で。
ケタケタと足を上下に動かしつつも、その眇めた視線はきっちりこっちのアホ面へと注がれている。……超・ざ・ま・あ♪ という表情で。
呆然とするしかない僕の目の前で、やがて段々と笑声が収まってきたのか、ひーひーと変な悲鳴をあげつつ、笹瀬川さんはわざとらしさ爆発。性悪そうな表情で。
「あ〜らぁ〜? 直枝さん、どうなさったんですのぉ? お顔が真っ赤っかですわよぉ? もしかしてぇ……熱? 風邪でもひかれたんですの? あら、だったら大変。医務室に行かれた方がよろしいのではなくて? ……ぷっく、くふっ、ふ、ふふふふ、ほぉ――――っほっほっほっほっほっほ!」
……下れ、天罰!
僕がそう心の中で叫ぼうとも、実際にこの人に天罰が下るはずもなく、目の前の性悪猫はゲラゲラと笑いながら、幸せそうに顔を歪め、身をくねらせ、ベンチの板をどんどこ叩くのみであった。
怒りに身を任せ、僕も仕返しに『あーん』攻撃を繰り出してやろうかと思ったが、そこは所詮他人のネタ。まず引っかかるはずもなく、この笹瀬川さんは「あ、くれるんですの? どーもっ♪」などと笑いながら、宙に浮かした僕のたこ焼きを自分の爪楊枝で引ったくっていった。……ちくしょう。途中でぽちゃっと落ちて汚れてしまえ、制服。
そしてその後も何度か似たような攻防を繰り返していくうちに、自分のたこ焼きの分がすっかり減ってしまっていたことに気づき、慌ててパクパクと口に運び始める……気づいたが、これがやっと初めてのまともな食事だった。
ああ、でも。本当においしい。……ふーん、ゆず入りたこ焼きか。恭介たち喜ぶかな。でも恭介のことだから、もうとっくにこんな食べ物の存在なんか知ってそうだなあ。もぐもぐ。
そうして、たこ焼きを慌てて口に運んだり、途中で笹瀬川さんに直接パックから引ったくられたり、逆にこちらから引ったくろうとして引っぱたかれたりなどと、二人でわぁわぁきゃいきゃい遊んでいるうちに、やがて時は過ぎ、そして――
「ふう……ごちそうさまでした。……なんだか、無駄に体力使いまくった食事だったなぁ」
「食事というより、闘いでしたわねえ。はー、ごちそうさま、ですわ。食べた食べた♪」
「そりゃあんたは満足したでしょうね……」
笹瀬川さんは一人満足顔でペットボトルのお茶を飲み、ご機嫌そう。てかそれ僕が買ってきたやつでしょ。
なんだかんだ言いつつも、笹瀬川さんはきっちり一人前+僕の三分の一ほどのたこ焼きを食し、どうしたらこんなに胃に物が入るのか、僕の頭にはほとほと疑問の余地が残るのだった。……せいぜい今日の夜、体重計とのバトルを楽しみにしておけよ。
そんなふうな僕の呪詛にも気づくこともなく、笹瀬川さんは自身の髪を軽く撫でながら、「時間は?」と横目で聞いてくる。
……気にしていてくれたのか。と少々驚きながらも、僕が「十二時三十五分」と返すと、笹瀬川さんは「そう」と短く言葉を切り、すたっと立ち上がった。
「さすがにそろそろ行かれた方がよろしいですわ。本当はもう……準備、始まってるんでしょう?」
「うん……って、あれ? 僕そんなこと言ったっけ?」
「風紀委員長との話を聞いてましたわ。……まったくもう、いらない気遣って」
はーあ、とため息をついて頭を振る笹瀬川さんに、僕は恥ずかしくとも、少し複雑な気持ちになる。
……別に笹瀬川さんのために秘密にしておこうと思ったわけではない。
ただ僕は、僕自身のために、笹瀬川さんに余計な気遣いをさせないようにと思って、したまでのことだ。
顔を振り、そのことを無理やり頭の中で強制終了させつつ、ふと携帯の着信履歴を見ると……なんと、メールが一件来ていた。なになに。
「お前ライブ終了した後、コーラ一気飲みな」……これは、岸田さんからだった。
遅刻した分の罰ゲーム、ということだろう。……いいでしょう。と返すことにした。僕のコーラ一気飲みスキルを見てせいぜい驚けばいい。
僕が得意顔なまま、携帯のフリップを閉じてベンチから立ち上がると、横で笹瀬川さんが、なにやら真剣な表情で――
「直枝さん」
「ん?」
そう、僕の名前を静かに呼びかけてくる。
この人が直枝さん――と呼ぶときは、決まって真剣な話だったり、笹瀬川さんが下手に出ているときが大半だ。この場合は前者だろう。僕がそのまま顔の作りを変えず、穏やかにそちらへと向き直ると。
「聞いてもらいたいことがありますわ。……いいかしら?」
「……うん、いいよ」
まさか告白――……と、一瞬そんなワードが頭をよぎるが、すぐに「ないない」と打ち消した。
笹瀬川さんはそのまま、右手で左肘を押さえるようにして腕を組み、目を横に流した後、ぽつぽつと小さな声で語り始めた。
「私……宮沢さんのこと、諦めませんわ」
「うん……」
そんなこと、最初から知っているさ。と言いたかった。
たとえ、その本心が違おうとも。本当であろうとも。
僕らの間では、その言葉は必ず真実となりうることで、こうして当たり前なままに、その事実を確認できるようにしておかなければならないことであった。
なにも問題はない。
そう……なにも。
「でも、」
「え」
笹瀬川さんは、そうしてそこで言葉を切って、こちらを見つめてきた。
優しい……それは、とても穏やか表情で、その視線だけは、こちらとキッチリ繋がっている。
……なんだか、声もなく「今から言うことをよく聞いておけよ」と言われているみたいだった。
僕は、ありったけの不安と期待をないまぜにした劇薬で、心臓の鼓動だけをグンと速くさせながら、その視線を投げ返す。
そして、
「もう一人の方も……これからは、きちんと見てみます」
そんなことを、笹瀬川さんはとびきりの笑顔で、僕に告げるのだった。
「もう、自分自身に嘘はつきませんわ。……自分にだけは、嘘はつきません」
ほんの少しだけ……両の頬を上気させながら。
ここにしかいない……僕だけを見て。
「その人のこともよく見て、言葉を交わして……一緒に歩いてみます」
目を閉じて、これからの未来に思いを馳せるように。
または、この場所が始まりだと、そう僕ら自身に言い聞かせるように。
「そうしないと、本当に宮沢さんのことが好きなのか、わかりませんものね」
そうして最後に、いつもの不敵顔へと戻り、どこまでも調子に乗るなと僕に足止めをかけてくるのだった。
それはまるで、まぬけ面で眠っている僕を叩き起こす、バケツの冷水のようで。
ついて行くのではなく、ついて来いという、笹瀬川さんなりのその手厳しい言い方は、僕らの関係を無理やり再認識させるには十分なものだった。
僕は「……そだね」と思いっきり最初から知っていたふうに頷き、それを精一杯の反抗とする。
笹瀬川さんはそんな僕を見て、目を細めてすましたように笑い、「そんなとこですわ」とだけ残してゴミの片づけに入る。
僕もそれに倣って一緒に片づけをしつつ、そういえば……と思い当たる。
今日お昼ご飯に誘ってくれたのは……もしかしたら、そういう意味だったんだろうかと。
思えば、謙吾や鈴、小毬さん、他のリトルバスターズの仲間のことなしに、笹瀬川さんと二人っきりになれたのは、実はこれが初めてだったりする。
笹瀬川さんは今日こそ……初めて、僕自身だけを見てくれたのだろうか。
今の、告白まがいのやり取りが再び頭に浮かんでくる。
僕は……彼女を裏切らないような言葉を、少しずつ、慎重に選んでいって。
これを、今日最後の反抗とすることに決めた。
元々聞かなきゃいけないと思っていた言葉だ。
ちょっとしたルール違反になるかもしれないが……それくらい、さっきからずっとやってるし、別に構わないだろう。
「笹瀬川さん」
「ん?」
胸のリボンを整え、髪を整え、短いため息一つ。
さあもいっちょ仕事いくか――というところで、笹瀬川さんは何事かとこちらに振り返る。
……これを言わずとして、なにが変わるというのだろう。
僕は半ば、これを伝えるためにやって来たようなもの。
ここまできた意味を、次の未来へと伝げていこう。
僕は、口を開き――
「ライブ、二時からだから。絶対来てね」
そう、無邪気な笑顔で、言ってやる。
だけどここまでは、先ほどクレープ屋で別れる時に伝えようと思っていた言葉。
ここからは、ちょっとした冒険だ。
この想いを、次のステージへと連れて行くために。
僕も、笹瀬川さんの隣について行けるように。
あと、ちょっと悔しいから、仕返しの分も多めに含めて。
笹瀬川さん流の不敵面を、僕も真似てやって。
「その人も、笹瀬川さんに見てもらえるなら絶対頑張れる……って思ってるはずだからね。きっと」
一瞬……驚いたような表情をしていたが、すぐに、ふふんとあちらも不敵笑顔。
売り言葉に買い言葉。とっととこの雑魚を軽くいなす言葉を思いつき、笹瀬川さんも微笑みながら口に出す。
「宮沢さんのついででしたら、とお伝えください」
あー、やっぱり負けた。
にしし、と一転、意地悪く笑って背を向ける笹瀬川さんは、数歩進んだ後こちらを一瞥。「それでは、ごきげんよう」などと、なんともお嬢様くさい、人を思いっきり嘗めた態度で、この数日間の茶番劇にひとまずの幕を下ろそうと言うのだった。
見てないだろうけど、はるか後方の彼方。僕も右手の中指を突っ立てて、ビシッと「調子に乗るんじゃねーぜ」ポーズ。……をやろうとしたけど、恥ずかしいのですぐに止めた。
秋の涼しくとも柔らかい風が、髪の毛を優しく撫でてくる。
僕は一度だけ、ん〜〜〜、と伸びをして、ため息一つ。
みんなの分のたこ焼きが入ったビニール袋を持ち、もう綺麗さっぱり見えるようになった体育館の全景を見据えて、ゆっくりと駆け出した。
腕時計を見れば、十二時四十分。
さて……、罰ゲームのコーラとは、一体ペットボトルで何本まで用意されているんだろう。それとも瓶か? などと、下らないことをしめしめと考えながら、目指すは体育館のステージ。
岸田さんを見つけたら取りあえずジャンピング土下座を敢行。踏んでくださいと言える覚悟もできている。
リトルバスターズのみんなには、このたこ焼きを渡すから……ってわけじゃないけど、普通になにも言わず謝ってみよう。
ほかのみんなには……そうだな、取りあえず謝って、時間に遅れた分は労働量で返すこととしようか。
ライブが始まるまでの時間は、刻一刻となくなってきているが……もう先ほどまでの言い様のない不安感は消え去った。
確かにまだ、たくさん緊張はしている。
怖いな、とも思う。
けれど、ここにきて一つ……心の中に、生まれたものがあった。
前へ進むことへの、意義。
前に進まざるを得ないのではなくて、進んでみたいと思う気持ち。
その、妙な高揚感というか、バルルルルルルとエンジンがかかっていくような自分の中の変な気持ちは、同じく心中にある不安の塊を消し去ってくれるような中和剤のようにも思えて……さっきより、少し安心できるようになった。
僕らの学祭は……まだまだ、これからだ。
ここからがまさに、本番。
学祭ライブ。
大事な大事な――僕らの、試合のとき。
持っていくものは、持った。
やり終えることは、やり終えた。
後はもう――頑張るだけだ。
待ってて、みんな。
すぐに、そっちに行くから。