「本当にありがとう……小毬さん」
「ううん〜。どういたしましてだよ〜」

 小毬さんに深々と頭を下げる。部屋は広くとも、周りには若干人がいるので恥ずかしいと言えば恥ずかしいが……今はそんなの関係ない。
 本当に助かった。
 いや、どのようにして助かったか、などと具体的に謝意の内容を説明することはできないが……たしかに僕は、この小毬さんに助けられた。彼女がいてくれなかったら、僕はいまだあの灰色の闇の中を彷徨っていたことだろう。それを考えると、今でも本当に恐ろしく感じる。
 ライブに出るために、この件は必ずちゃんと終わらさないといけないし……うん、だからこそ小毬さんには、どれだけ感謝してもしたりない。
 笹瀬川さんが、ちゃんと今学校に来てるということ。
 それを叶えてくれたのもこの小毬さんだし、僕に教えてくれたのもあの小毬さんだ。
 本当にこの人は、僕の個人的超いい人ランキング上位には必ず入って――って、あれ?
 そういえば、なんで……小毬さんは。

「小毬さん、そういえばよくわかったね?」
「ふえ? なにが?」
「えっ? い、いやっ、そ、そのう……言ってないのに。ぼ、僕の……好きな、人……」

 目を逸らしながら、僕の声は段々と細く小さくなっていく。
 くっ……は、恥ずかしすぎる。
 今さらながら、なんで自分の好きな子をいちいちこんなところで公言しなきゃいけないんだ。言わずとも小毬さんならわかってもらえると思ったのに……その質問を素で返されたのも色々と不意打ちだった。
 だが、一度聞いてしまったならちゃんと答えなければならないし、その……小毬さんは恩人だし。
 ええいっ、ていうかなんで小毬さんは笑ってるんだ。あんたも女の子でしょ。気まずくないのかっ。

「だって、理樹君言ってたよ〜」
「は?」
「笹瀬川さんのこと……教えて欲しい! 答えてくれっ、こまりさんっ! ってー。はう……あのときの理樹君ってば、すっごい男前で、私ちょっぴり『さーちゃんいいな〜』って思っちゃったよ〜」
「……」

 僕の声色を真似て、かなり大げさに身振り手振りでさっきの再現をしてみせる小毬さん。……ちなみにぜんぜん似てない。そもそも僕はそんなにガキ大将みたいな声してない。と、自分では思う。
 いやしかし……我ながら、あのときは熱くなりすぎてしまったようだ。まさか知らず知らずそんなセリフを吐いていたとは。……いや、ていうか僕本当にそんなセリフ言ったっけ? 恥ずかしすぎて否定したいところだが、うまく思い出せない……
 それにしても小毬さんの最後のコメント……僕は一体どう受け止めればいいのだろうか。……流すべきか、素直にごめんなさいって謝るべきか。
 そんなどうしようもない気まずさの中で、僕が思いっきり辺りに目をきょろきょろ、にょろにょろさせていると、小毬さんはそれを見て面白そうに笑って。

「だいじょ〜ぶっ。さーちゃんは、友達だもん。……『仲間』なんだもん。ちゃんと応援するよ〜」
「う、うう……そ、それはなんか、どうも……」
「えへへー。照れた理樹君もかわいくていいな〜。理樹君のことも、ちゃんと応援してるからね〜。……あ、そうだ、そんな理樹君にもう一つ言っておきたいことがあるんだよ〜。……うーんでも、どうしよう。これ、べつに言わなくってもいいかなぁ〜。うーん……」
「え、なに?」

 口に出してしまってから、だいぶ手遅れ気味にうんうん唸り始める小毬さん。……どうしても聞きたくなるっちゅー話である。
 そもそも今黙っていること自体が恥ずかしかった僕は、これ好機とばかりにすかさずその言葉に食いついてみた。
 そして小毬さんは少しのあいだ僕の方をじっと見つめた後……いいことを思いついたみたいに、手をポンと叩き、嬉しそうに微笑みながら語り出す。

「えっとね〜。私さっき、途中だったでしょ? さーちゃんの話」
「あ、ああ……うん。そういえばそう……だったかな」

 うまく思い出せないが……確かに、笹瀬川さんがあれからどうなったかについては、途中で話が逸れてしまったせいで、結局うやむやなままだった気がする。
 けれど今彼女が学校に来ているということは、きっと小毬さんがどうにかうまくやってくれたということで。
 僕はさっき、勝手にそう思いこんで安心していたのだが……確かに詳細が気になるといえば気になる。
 そして小毬さんは、なおも楽しそうな笑顔を顔に浮かべたまま。

「さーちゃんもね〜……理樹君と『同じ』だったんだよ〜」
「はい? お、同じ?」
「うん〜。でも、どこが『同じ』だったかっていうのは〜秘密。理樹君だけ知っているのは不公平だもん」
「そんなっ!」

 そんなふうにやんわりとおあずけ宣言を下す小毬さんに、僕は一気に肩すかしを食らったような気分になる。
 小毬さんはそんな僕を見てまた楽しそうに微笑むと、再び手元のギターへと手を伸ばし、ライブの練習を再開した。……どうやら聞く耳持たず、ということらしい。
 僕がそれに深いため息をつくと、同時に控え室の外で、ひときわ大きな拍手が起こった。
 ……ずいぶん長い拍手だ。きっと今、お芝居の演目がすべて終わったのだろう。
 僕は一度だけ目を閉じて……ゆっくりと席を立つ。
 時刻は――十一時きっかり。もう十分休んだ。
 体も普通に動く。周りの世界は色彩を完全に取り戻し、それを見据える僕の目も、すっかりクリアになってきた。
 僕は最後に、顔だけ小毬さんの方へと振り返り、そして――

「最後にひとつ聞きたいんだけど」
「ふえ? なに?」
「そのギター……結局なんだったの?」

 ――世界へと、戻っていく。

「あ、このギターはですね〜。皆藤さんのお古の『ふぇんだー』っていうんですよ〜」

 ――そして時は、刻み始めていく。

「いやいや、そういうことを聞いてるんじゃなくてね……」

 ――答えは、まだ出ない。
 ――なにも、変わっていない。

「なんで小毬さんは、僕と話す時にそのギターを持ってきたのか……ってこと」

 ――けれど、なんだろう。この気持ち。
 ――不思議と安心するような……晴れやかな気持ち。

「あ〜、それはですね〜」

 ――本当に、不思議だ。
 ――不思議な、感覚だ。

「ただ私が、ギターの練習したかったからだよ〜」

 ――きっと、うまくいく。
 ――そう思えるなにかが……確かにここにはあった。

「ぷっ、なにそれっ」
「あーっ! もー、なんで笑うのー!?」
「だ、だっておかしいんだもん……っ、本当に、なにか意味があるのかと思ったよっ」
「知らないよー! だって私練習したかったんだもん〜」
「はいはい……ぷくっ」
「りきくんーっ!」

 そうやって、顔を真っ赤にしてぽかぽか叩いてくる小毬さんに、僕は元気をもらって。
 本当は、なにも変わってないかもしれないけれど……今僕は、確かにここに立っていられて。
 歩き出せる。
 ドアの隙間から、体育館の入り口にかかる外の明かりが見える。
 拍手の音は、まるで自分を鼓舞してくれる応援団のようにも思えて。
 記憶に残る小毬さんのギターは、心を安らかに包んでくれた。
 歩きだせる。
 なにも、すべての不安が消えたわけじゃない。
 闇はいつでも隣にあって、僕を怯えさせてこようと必死だ。
 けれどその闇を……ただ僕自身が受け入れてやれば。
 恐怖で、足がすくんでしまうことはない。
 だから僕は……こうやって歩き出せるんだ。
 強く……強く、確かな一歩を、前に。
 最後に……小毬さんの方へと振り返って、ため息一つ。
 口を、開いて。

「それじゃ、いってくるよ」

 その一言に、精一杯の感謝の気持ちを込めて、僕は――

「うんっ、いってらっしゃい〜」

 ――みんなより少し先に、特別な舞台へと、上がっていくのだった。

 

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