どうやら別のギター審査では、小毬さんが合格したらしかった。
 彼女が一番最初に選ばれるとは、かなり意外だった。
 本人もとてもびっくりしたらしく、しばらくあわあわとしていた。

「まぁ、小毬は投球フォームの時も速攻で身につけたからな。習得能力はこの中で一番高いんだろう」

 恭介は、お前もあんまり気にするな、と言って頭に手を乗せてきた。
 嫉妬するわけじゃなかったけど、あれをクリアした人がもう出てきたとなると、自分の中に妙に焦る気持ちが湧いてくる。
 鈴と西園さんはキーボードの所に向かったので、今僕は一人でドラムの岸田さんの所に来ていた。

「おーす。魅惑のドラムエリアへようこそ。ふふ」

 魅惑って…。

「ドラムは楽しいぞぉ〜。出来れば、だけどな」
「はぁ…」
「さっきの二人は、漫画とかじゃ思いっきりドラムやってそうなイメージだったんだがなぁ…。これが意外に上手くいかなかった」
「そうですか…」

 今の僕には、彼の冗談を笑顔で返す余裕など無かった。
 次のドラムでは、絶対に成功しないといけない。
 
「ん、あんまり元気無いじゃないか。さては、さっきのギターがうまくいかなかったかな」
「…っ!」
「心配するな。ギターが出来なくても、ドラムが出来ればいい」
「で、でもっ! ドラムも出来なかったら…」

 それまで笑みを浮かべていた岸田さんは、僕の言葉を聞いた途端真剣な表情になって、僕を教え諭すように言葉を紡ぐ。

「ドラムが出来なくても、ベースが出来ればいい。ベースが出来なくても、キーボードが出来ればいい。キーボードが出来なくても、棗と一緒にサポートに回ればいい。そうだろう?」
「………」
「お前の居場所はちゃんとある。だから、安心しろ。今回はそれを選ぶだけだ」

 はい…と僕は答えた。
 淡々とした、厳しい言葉だった。 
 だけど…少し、ほんの少しだけ、楽になった気がする。
 やっぱり、なんかこの人、ちょっと恭介に似てるかもしれない。



「よし、じゃ始めるぞ。このスティックを握ってみてくれ」
「こうですか?」
「ああ、うん。そうだ。それで、左手で手前のやつを、右手で左側のシンバルを叩いてみろ」
「え…こう、かな」

 腕を交差させて、それぞれを叩いてみる。

「もうちょっと力を入れて叩くんだ。うん、そう。良い感じだ。じゃ、ちょっと俺のを見ててくれ」

 席を交替して、岸田さんのを見る。
 …やっぱり、上手い。
 リズムがハッキリと、輪郭を持って頭に響いてくる。

「このリズムを取ってみろ。一番基本的なやつだ」
「はい、やってみます」

 シンバルを基本にして、そしてそこにドラムの音を混ぜるように叩いていく。
 しばらく同じリズムで叩いた。
 うん…これなら、出来るぞ。
 自分でもわかる。良い感じだ。

「うん、ここまではいいな。じゃ、次は足の奴を混ぜるぞ」
「え?」
「今右足の辺りに踏み込む所があるだろう。それを踏んでみろ」

 確かに、それらしいものがあった。
 試しに踏み込んでみると、ドンッ!と大きくてこもった音がした。

「うん、それだ。じゃ、もう一度俺のを見ていてくれるか」
「はい」

 岸田さんが実演してみせる。
 さっきのリズムにさらに、足の所の大きいドラムの音を混ぜていく。
 そうすると、一気にかっこいいリズムになった。
 つい、ドラムのリズムに合わせて踊り出してしまいそうになるくらい、めちゃくちゃにかっこよかった。
 
「ドラムをやるなら、まずこれが出来なきゃダメだ。ちなみに、さっきの二人はこれが出来なかった」
「え…」
「これを完成させれば、お前がドラム担当になれるんだ。頑張れ」
「は、はいっ!」

 あの真人や謙吾が出来なかった…。
 そんなものが、果たして自分に出来るのだろうか…。
 でも、これが出来れば、ドラムをやっていいんだ。
 よし…頑張るぞ!



「違うな。そうじゃない。少しだけ、シンバルと上のドラムのリズムが崩れている。足の方に意識を集中させすぎだ」
「は、はいっ!」
「どこかのリズムを基準にするのはいいが、ちゃんとそれぞれのリズムも考えろ。どのような構成になっているのか、叩く前にまずは頭で意識しろ」
「くっ…」

 これが、予想以上に難しかった。
 ドラムなんて、パワーがあればいいだけだと思っていたけれど、もしかしたら一番繊細で複雑な仕事かもしれない。
 上のリズムは取れる。でも、足の方も混ぜるとなると、意識がバラバラになってわけがわからなくなる。
 
「ふぅ…少し、休憩するか。まぁ、お前はさっきの奴らよりセンスがいい。もっと落ち着いて練習すれば、モノになるかもしれねえ」
「は、はい…」

 つ、疲れた…。
 窓から外を見てみると、空はもう暗くなり始めていた。
 時刻は5時。
 6時が完全下校の時間だ。
 それまでにこれを完成させなきゃいけない。
 ちょっと、外に出て気分転換しよう…。

「あれ…」

 謙吾だ。
 あのジャンパーに、胴衣姿…なんていう特異な格好は見間違うはずもない。
 廊下の向こうで、誰かと話している。
 謙吾の背に隠れてよく見えなかったが、どうやら向こうも剣道服を着ているようだ。
 同じ部活の人かな。
 え、あれ…そういえば。

「謙吾は部活、どうしたんだろう…」

 そうなのだ、謙吾は元々剣道部員。今日も部活があるはずだ。
 なのに僕たちに付き合って、先ほどまで一緒に軽音楽部室に居た。

「部活、出なかったのかな…」

 少し、心配になる。
 今、彼は剣道部員と何を話しているのか。
 良いことか、悪いことか。
 そう考えてるうちに、その人は謙吾に礼をして、向こうに走っていった。
 謙吾が、振り返ってこっちに向かって歩き出した。
 そして、目があった…。

「謙吾」
「どうした、こんなところにいて。楽器は決まったのか」

 優しい笑みを浮かべて、謙吾がやってくる。

「あ、ううん…。今はドラムをやってて、もしかしたらどうにかなりそう…ってとこかな。謙吾は?」
「俺はさっき、ベースギターに決まった」
「えっ! ほんと!?」
「ああ。それにしても、すごいな理樹は」
「え?」
「アレに今、挑んでるんだろう?」

 謙吾の言うアレとは、さっき僕が練習していたものだ。
 岸田さんは、これは謙吾達ができなかったものだ、と言った。

「うん。でも、やっぱりすごい難しいよ…」
「そうだな。あれは俺には無理だ…。たはは、お前に最強だとか抜かしていた俺が、情けない話だな」
「いや、でも謙吾もすごいよ。楽器、決まったんでしょ」
「俺だけじゃないぞ。能美もキーボードを弾けていたし、三枝は正式にボーカルとして認められた。まだギターには苦戦してるみたいだが」

 いつの間に…。

「みんな、すごいね…」
「やっぱり知らなかっただろう。もの凄い真剣にドラムを叩いていたからな」
「あ、うん…」

 そうなんだけど、今はそれよりも…。

「ねぇ謙吾」
「…部活のことか?」
「…うん」

 やっぱり、気づいてた。
 僕が気にしてることに。
 謙吾は少し、真剣な表情になって。

「あの事故の後、無断で二日学校を休んで修学旅行に行ったろう」
「…うん」
「実はあれで、しばらく活動停止処分になってしまった」
「え!?」
 
 知らなかった。
 彼自身は何も言わないで、僕らの遊びに付き合ってくれていたから…。

「そ、そうなんだ…」

 …いや、何故僕は知らなかったんだろう…。
 あれからずっと謙吾が隣に居てくれることが、本当に嬉しくって…。
 リトルバスターズを取り戻せたことが、すごい嬉しくって…。
 その不自然さに気づかなかった。
 僕は、馬鹿だ。
 親友失格だ。
 でも、謙吾は…。
 …笑ってる?

「話さなくて、悪かったな」
「う、ううん。僕の方こそ、知らなくて、ごめん…」
「いや、いいんだ。でな、さっき、一年の部員と会ったんだが」
「うん」

 さっきの人だ。

「たったそれだけでそんな処分を受けるなんて、やっぱりどう考えても厳しすぎるから、顧問に相談してみるということらしい」
「…それで?」
「やめておけ、と言っておいた」
「え…」

 そ、そんな!
 謙吾は、いいのだろうか…。

「あの人は、一度決めた決定を覆すような人じゃない。それに、規律を破ったのは俺だ。罰を受ける覚悟は出来ている。まぁ、実際にもう受けているんだが」
「で、でも…後輩さんがせっかく心配して…」
「あいつらの好意は有り難く思っている。だが、そうするとあいつらの立場まで悪くなるだろう」
「う…」
「それに、こんなことを言うのは不謹慎かしれないが」

 謙吾は少し考えた後、校舎の外からの、運動部のかけ声が聞こえてくる方に目を向けながら言う。
 その顔は、どこかスッキリとしていた。

「嬉しいんだ。こうなって」
「謙吾…」
「俺は失った時間を、取り戻したかったんだ」

 その言葉は、あの世界で…彼自身が涙ながらに叫んだ言葉だった。
 あの世界での出来事は、もう朧気にしか覚えていなかったが、彼の心からの叫びは未だしっかりと記憶している。

「あの世界で、俺はずっと意地を張り続けていた」
「悲しい未来なんか見たくないと、ガキみたいに今の永遠だけを望んだ」
「そのためにクールぶって、かっこつけて、お前達から離れていた」
「俺が一番欲しかったものは、すぐ目の前にあったというのに、な」
「俺は、一番大事なものを得るために、一番大事なものを捨てようとしていたんだ」
「もう、そんな過ちを犯したくはない」
「もう事故やあの世界のことは関係ないが…今は、リトルバスターズと過ごしていたい」
「一番大事なものの隣に在りたい」
「それが、今の俺の願いだ」

 そう言って、謙吾は笑った。
 
 僕は…嬉しかった。
 一度は彼と、敵対したこともあった。
 彼のことが、わからなくなったこともあった。
 でも、今こうして謙吾は、僕に笑いかけてくれる。
 僕らを、一番大事な存在だと言ってくれる。
 今も、彼は未来なんて見ていないのかもしれない。
 今しか大事にしていないのかもしれない。
 でも、その姿勢は前と180度違う。
 前を向いて、懸命に自分の大事なものと向き合おうとしている。
 だから、嬉しかった。
 子供の頃の、ずっと僕らと遊んでいた謙吾が、やっと、僕らの元に帰ってきてくれた気がした。

「そっか」

 謙吾の笑みに対して、僕も笑った。



「なんか、スッキリした顔になっているな」
「え、そうですか?」
「ああ、いい気分転換になったようだな」

 部屋に戻ると岸田さんがドラムの所で待っていた。
 部屋を見渡すと、もう半分くらいは審査も終わってるようだった。

「さっきも言ったが、お前はやっぱりセンスがいい。後は、落ち着くことだけだ」
「はい!」
「うし、そろそろ外も暗くなってきた。とっとと済ますぞ」

 僕は席に座り、目をつぶる。
 リズムの構成を、明確に頭の中でイメージする。
 そして、息を吐いてスティックを構える。

「よし…」

 まずは、シンバルでリズムを取り、遅れて上のドラム、下のドラムを混ぜていく。

「ここから…」

 シンバルと上のドラムのリズムは変えない。常に一定だ。
 下のドラムだけが、最初は1回…そして次に2回になる。

「お?」

 僕は焦っていた。
 何も楽器が出来ないと、自分がリトルバスターズの中で役立たずになるような気がして。
 みんなが自分から離れていってしまう気がして。
 でも、違った。
 僕は馬鹿だった。
 
「…うんうん」

 役立たずとか、そんなの関係なかった。
 謙吾は僕らを大切な存在だと言ってくれた。
 岸田さんの言うとおり、僕の居場所は、ちゃんとあった。
 僕は、みんなのこと、信じ切れてなかった。
 僕は馬鹿だったんだ。

「おーーーっし! いいぞ!」

 でも、だからこそ、やらなきゃ。
 逃げることは、いつでも出来る。
 だからこそ…頑張るんだ。

「おう、もういいぜ! 何だよ、一発で出来たじゃねえか!」

 自分の居場所を確保するためじゃない。
 単純に、恭介や小毬さん、今一緒に頑張ってるみんな、そして軽音楽部さん達の頑張りに応えるために。
 
「あ? もういいって! ほら!」

 ああ、もうわけがわからないや。
 頭の中にイメージしていたリズムなんて吹き飛んでしまった。
 今僕はどうなって…。

「っだーーーー! 聞け! コラ!」

 …え?

「出来てるよ! 完璧だ! だから降りろ!」
「うえっ!? は、はいっ!」

 岸田さんに無理矢理席から降ろされる。
 そして彼はあきれ顔で溜息をつく。

「俺の声が聞こえない程に集中してたのか…」
「すみません…」
「ははっ! まぁいいさ。これでお前がリトルバスターズのドラムだ」
「僕が、ドラム…」

 やった…! 成功したんだ!
 僕が、ドラムかぁ! すごいぞ!
 あ、でも…。
 …なんかよく考えてみると、ぜんっぜん似合わないなぁ…。
 ギターなんかが丁度よかった気がする。ダメだったけど。 

「なんか複雑そうな顔してるな。ひょっとして、似合わないと思ってるか?」
「あう…」
「ま、所詮楽器なんてそんなもんだ。普通にお前のような華奢な女の子がドラムやる時だってあるぜ」
「ええー!?」

 そうなんだ…すごい意外だ。
 っていうか、僕のような華奢な女の子って…。
 なんか間接的に自分が女っぽいって言われてるみたいで傷つく…。
 
「うん。取りあえずこれでドラムテストは終了だ。お前以外の奴もテストしてみてもよかったが、もうすぐ時間だからな。ここまでにしとこう」
「わかりました」
「だが、ここからが大変かもな。正直、今覚えた2つのリズムだけじゃ話にならない。これから曲聞いたりして色々やってくぞ」
「は、はいっ!」

 そう言って岸田さんはドラムの片づけに入る。
 僕も手伝うことにした

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