「2−E教室でお化け屋敷やってま〜す。よろしくお願いしま〜す」

 校内の廊下を歩きながら、先ほど受け取ったチラシを配る。
 笹瀬川さんのことでずっと忘れてたけど、今僕らは、学祭を回ると同時に宣伝活動も任されていたんだ。
 途中クラスメートの一人と出会ったことでそれを思い出し、その人に少々注意を受けながらも、チラシを大量に頂くことができた。
 そして今まさに、それを配る活動をしているわけだけど……。

「きゃっ! かわいい!」
「ねね、君どこの子? もしかして中学生!?」
「あ、あはは……」

 何故か女生徒と出会う度にこんな反応をされる。
 何もせず普通に歩いてた時は声なんかかけられなかったのに……やっぱりちゃんと姿を見たりしないからだろうか。
 しかし、ちゃんと姿を見られた上で中学生とは……色々変な扱いには慣れたけど、これは流石にショックだ。
 というか、中学生ってなんだよ! 今日は学内だけのお祭りなのに、そんなの居るわけないでしょ!

「2年の直枝、ですけど」
「え……直枝、って……もしかして、リトルバスターズの?」
「はあ」

 目をまん丸くしている。まるで信じられないものを見た、とでも言うかのように。
 ……僕は珍獣か。

「う、うそっ!? マジで!?」
「うわわわ……ご、ごめんなさい! 直枝先輩!! あまりにも可愛くって……って、あ……」
「あ、ははは……」

 後輩にまで中学生扱いされた……。
 まあ確かに今の僕は制服を着てないし、髪型も随分と変えてるから、気づかないのは無理ないが。
 でもそれにしたって限度ってものがあるだろう。何だよ中学生って。年下にまで、さらに年下に見られる僕は一体どうしたらいいのだろうか。プライドが傷ついた……。
 いや、待て。
 確かこの仮装をプロデュースしたのは……。

「ばっちりですね。ライブ準備の合間を縫って作った甲斐がありました」
「やっぱり狙ってたんだね……」
「いいえ。服はちゃんとしたドラキュラをイメージしたものですよ。ただ、着る人によって印象は多少なりとも異なりますから」

 手を口に当て、楽しそうに笑う。
 ――なんか……トドメを刺された気分だった。
 いっそのこと、実はこれも可愛く作りました、って言ってくれた方が良かった……。

「……っていうか、西園さんが着れば良かったのに」
「私が自分で、ですか?」
「うん。僕みたいな男が着るより、そっちの方が全然可愛くなると思うよ」
「……お褒め頂けるのは嬉しいのですが、私は着ることができません」

 顔を俯けて、少し残念そうに言う西園さん。何故だろうか。
 何か、人に言えない理由でも――

「……だってそれ、直枝さんのサイズに合わせて作ったものですから」
「確信犯ですかっ!」

 ――そんなの今のこの人にあるわけなかった。

「ちなみに、直枝さんのスリーサイズは上から――」
「い、言わなくていいよそんなのっ!! っていうか、何で知ってるの!?」
「冗談ですが」
「く……もう!」
「ふふ」

 目を細めて小悪魔っぽく笑う。
 ……ったく。この人も、だいぶいい性格になったなあ。その目つきといい、まるでちっちゃい来ヶ谷さんを見てるみたいだ。
 
 ――そういえば、他のみんなも、あれから随分と変わってきた。
 来ヶ谷さんは前より棘が取れたし、数学の授業もきちんと出るようになった。理由を聞くと、“あんな小物など、気にしてる方が馬鹿らしい”と豪快に笑って答えていた。授業を聞かないのは相変わらずだけど。
 謙吾は昔よりずっと笑顔が多くなったし、葉留佳さんは無差別なイタズラをしなくなった。
 クドも、自分とみんなとの違いを前向きに受け止めようとしている。それはきっと、周りのクドを見る目が変わってきたからだと思う。クラスのみんなも、クドが“ギャップ”について悩んでいることを知ったんだろう。前よりずっと真剣にクドのことを考えてくれるようになった。
 そして僕も――だいぶ変わった、のかな。
 強くなろう、強くなろうと……この1ヶ月間ずっと考えてきた。
 それがこの結果で……見事にいじられキャラと化してしまっている。
 最近は特に女性陣から“馬鹿”だとか“変態”だとか罵られるようになったけど……これも一つに、強くなるってことなんだろうか。全くもって嬉しくないが。
 まぁ、前よりずっとフランクに親しまれていることは間違いないんだけど……よくわかんないな。
 いや、っていうかそんなことより。
 ……今気づいたがこのコスチューム、本当にサイズがぴったりだ……。西園さん、いつの間に計ったんだ……?

「あ、あの〜……直枝先輩」
「ん?」
「明日の発表会で、その……リトルバスターズもライブをやるって、本当ですか?」
「あ、ああ……うん、そうだよ」
「ほらっ! やっぱり!!」

 キャー、と言って二人の後輩達は手を合わせる。
 う、うーん……なんか、こんなに期待されるとかえって怖いな。
 恭介達の宣伝のおかげで、いい感じに噂が浸透しているみたいだけど。

「これって実は、知る人ぞ知るって感じの噂だったんですけど、やっぱり本当だったんですね〜!」
「だから私言ったじゃん。サキが嘘つくはずないってー!」

 ――知る人ぞ知る、か。
 そういえば恭介が以前、なかなか興味深いことを言っていた気がする。
 “こういう宣伝は、ただチラシをばらまけば良いってもんじゃない。じわじわと、本当か嘘かわからない『噂』のように、少しずつ情報を流し込んでいくのがいいのさ”とか。
 僕はずっとその意味がよくわからなかったんだけど、今は少し……わかる気がする。
 このようなやり方なら、必ず人は噂の真偽を確かめるために会場にやってくる。噂の内容も内容だし、その効果はバツグンと言えた。
 僕だったら必ず行ってみようと思う。そうでなくても何か新しい情報が入ったら、必ずみんなに報告する。
 正式にパンフに載ってるわけではないのに、少しずつ、人づてに入ってくる裏イベントの情報。
 ――興奮しないわけがなかった。
 それが楽しみにならないわけがない。盛り上がらないわけがない。
 ……さすが、恭介だ。凄すぎる。

「直枝先輩は、どんな楽器やるんですかー!?」
「あ、僕?」

 ――ならば。

「えっと、本当は秘密なんだけどね……ドラム、かな」
「ええー!? うそっ!? すごーい!! かっこいいっ!!」
「え? そ、そうかな」

 “かっこいい”という意外な言葉に少し照れて、頭を掻く。
 この顔のせいで同級生からは“かわいい”以外言われたことないんだけど、後輩からはまた別なように映るんだろうか。そのはしゃぎ様からお世辞を言ってるようには見えないし……う、嬉しいかもしれない……。

「はいっ! かっこいいですよー! 西園先輩は〜?」
「私ですか? ……いえ、というか、私の名前も知っているんですね」
「そりゃあ有名人ですから! 科学部・漫研のアイドルじゃないですか! 私この前の恭理……もごっ!」
「……わかりました。わかりましたから、ここでは止めて下さい……」

 真っ赤な顔になって必死に口を押えている。
 いやまあ、最後のワードの意味がかなり気になるが……西園さんって結構交友関係広いんだな。もしくは、広くなったのか。
 うん――なんか……いいな。こういうの。
 みんな、どんどん変わってきてる。それも良い方向に。
 それは少し寂しくもあるけれど……きっといいことのはずだ。
 うん……きっと、そうだ。

「はぁ……有名になるつもりなど無かったのですが……」
「まぁ、悪いことじゃないと思うよ。西園さんの良さを知ってくれる人が増えるんだし」
「私の良さ、ですか」
「うん。前は色々誤解してる人多かったけどさ、今はそんな人も少ないでしょ?」
「え、ええ。まぁ……」

 少し戸惑いがちに、ゆっくりと頷く。
 ……きっと西園さんも、その意味を理解しているんだろう。
 でも僕は、西園さんにそんなこと言って欲しくない。
 ずっと僕ら以外との交流なんてなかった彼女。本の世界だけじゃなく、もっと外の色々な世界にも、目を向けて欲しかった。
 いいことなんだから……これは。
 
「それで、西園先輩はどんな楽器をやっているんですか?」
「……残念ですが、私は学祭の発表会では裏方役となっています」
「ええー!? そ、そうなんですかぁ……。見てみたかったのに、残念です……」

 がっくりと肩を落とす。
 いちいち大げさなリアクションだなぁ……と呆れつつも、きっとそれが若さなんだろうと勝手に頭の中で結論づける。……急におじさん臭くなったな、僕。
 ……そこでふと改めて、西園さんがライブに出られないということの意味を思い出して、隣を見る。
 残念と言われた西園さんの顔が……気になった。

「でも」

 ――その顔は、優しく微笑んでいた。
 
「願いは叶うものです。信じ続ければこそ」
「西園さん?」
「……なんて、小説の一節を思い出しました。人生そうそうそんな都合良いことなんて無いでしょうが」

 そうしてすぐに素の顔に戻り。

「この言葉をどう受け取るかは、あなた方の自由です。ですが私は……期待しています」

 二人の後輩の目をじっと見つめて、告げる。
 そして再度、柔らかく笑って。
 
「ちゃんと探してくださいね……私たちのこと」
「に、西園さん?」
「……は」

 “す、すみません”とこっちを見て謝る。いや、そういうことではなくて……どういう意味だ?
 長い付き合いで、西園さんのこんな雰囲気にはだいぶ慣れたつもりだ。でもたまに、本当に何を言っているのかわからない時がある。
 別に彼女はそれでも良いと思っているところがあるから、深くは追求できないし……。
 いや、それにしても大丈夫か……? 初対面の人間にこんなこと言って。気味悪がられたりしないだろうか。

「わかりましたっ! 探しますね!」
「ええー!?」
「私も信じて探します! 西園先輩のこと!」
「そうですか……ありがとうございます」

 微笑んで、三人でがしっと熱く握手を交わし合う。
 ……な、なんでそうなるんだ。
 実はこの子達も相当きてるのか……いやいや、もしかしたら今はそういうのが流行ってるのかもしれない。
 う、ううむ。でも、なんか良い結果に終わったみたいだし、いっか。
 そうやって、僕があれこれ考えてる内に彼女達は、“他の子も誘っていきますね!”と言いながら去っていった。
 
「彼女達とは仲良くなれそうです」
「あはは……なんか、小毬さんみたいな子達だったね」
「ええ。しかし……私もそろそろ言葉に酔う癖を直さねばなりませんね。変な人に思われてしまいそうです」

 自覚あったのか。
 いや……でも、それが西園さんだと思うから、大事にして欲しいところだけど。
 僕がそんなことを考えてると、西園さんは唐突にこちらを振り返って。
 
「直枝さんは、私を変な人だと思いますか?」
「う、ううーん……まあ」
「最低です」
「ええー!」

 目を細めて睨まれる。……べ、別に悪い意味で言ったわけじゃないのに。
 西園さんは個性的な人だって、だからこそ魅力的なんだって……そう思って言っただけだったのに。
 いやでも……さすがにそこは否定しておくべきだったか。まずかった。

「ご、ごめん。でも」
「――わかっています。それが、今の直枝さんでしょう」
「え?」
「本当に強く……優しくなりましたね。直枝さん」

 どこか、嬉しさと寂しさが混じったような。
 そんな、親が成長しきった子供を眺めるような目で、西薗さんは感慨深げに呟いた。
 その後の“ギャップ萌えですね”っていう言葉がなければ、きっと本当に感慨深いシーンだったんだろうけど。
 う、ううん。でもやっぱり、西園さんの言ってることは難しい。
 きっと彼女の頭の中では全ての答えが出ているんだろうけど、その中を覗く術は僕にはない。
 ……本当に僕は、強くなれてるんだろうか。
 そう一瞬考えたところで、すぐに頭を振った。
 ……言葉に囚われそうになったからだ。

「あなたもそう思いませんか? 笹瀬川さん」
「!?」
「え?」

 西園さんが急に僕から視線を外し、後ろの方を見る。それに僕が振り返ると。
 ……ま、また髪が壁から――

「その髪型、大変じゃないですか? 色々と」
「……うう」

 恥ずかしそうに、のそのそと廊下の曲がり角から出てくる笹瀬川さん。いやまあ……いつの間にそこに居たんだ。
 って、あれ? 変だな。だって笹瀬川さんはさっき謙吾と……。

「笹瀬川さん? 謙吾はどうしたの?」
「……宮沢様なら、大丈夫ですわ。今は棗さんや筋肉達と遊んでいます。三枝さんと二人きりになる余地はないでしょう」

 ツインテールにした髪をくるくると弄くりながら、どこかぶすっとした表情で話す。
 “髪結ぶのやめましょうかしら……”と暢気に呟いてるあたり、謙吾のことで大した問題は無かったのだとほっとする。
 ――そう。つまり笹瀬川さんは、先ほど謙吾と二人っきりになることに成功したのだ。
 そのためにとった作戦というのが……真人と葉留佳さんを利用する、というものだった。

「ストレートも、きっとお似合いだと思いますよ」
「ふん……」
 
 まず真人に、謙吾がかぼちゃパイの早食い対決をしたがっていると伝える。おまけに、お前みたいな雑魚筋肉になど到底負ける気はしないがな、という嘘の挑発も付け加えた。
 そうすると真人は当然ながら怒り狂う。まんまと挑発にひっかかって、怒り心頭で謙吾の前に姿を現す。
 何も知らない謙吾と、怒気満々の真人が対峙する。そして良い感じに場が緊張してきた所で、僕が大げさに騒ぎ立てる。
 “危ない! 今の二人からは、特殊なデュエルパワーが感じられる!! ここで今二人がガチ闇デュエルしたら、この場はとんでもないことになっちゃうよ! すぐに逃げるんだ!!”
 ……我ながら相当アホらしい言い訳かと思ったが、小毬さんや鈴が素で信じてくれたおかげで、上手くその場を混乱でかき乱すことができた。
 そこでめちゃくちゃにパニクってる小毬さんに、笹瀬川さんが“私達がこの二人をどうにかして止めますから、神北さんは三枝さんを頼みますわ! 今の内に出来るだけ早く、遠くまで逃げるんですの!!”と伝える。そうすれば、混乱状態の、おまけに天然である彼女は必ずその通りに実行してくれるはずだ。見事その狙いは的中し、何を言ってるのかわからず呆然としていた葉留佳さんを連れて、彼女は駆け足でその場を離れていってくれた。……途中でこけて泣いていたが。

 僕はそれを見送った後、未だに睨み合いをきかせている二人の間に割り込み、“ごめん真人、これは全部葉留佳さんの命令だったんだ。かぼちゃパイを食べさせまくって、動けなくしてから真人を倒す算段だった。でもやっぱり僕は、真人を裏切れなくて……”と超絶嘘八百を並べ立てた。もちろん、笹瀬川さんが用意してくれた目薬もばっちり使って。
 ……やっぱり我ながらツッコみ所満載だと思ったが、哀れ単純馬鹿な真人はそれを信じ込み、“三枝のやつ、純粋な理樹を利用するなんて許せねぇ!”と走り去っていってしまった。

 そうすれば残った笹瀬川さんと謙吾は、晴れて二人っきり……と。
 最初はあまりにもアホらしくて、本当に成功するものかと心配だったけど……何故か成功してしまった。本当にあの二人には申し訳なかったけど。
 謙吾は途中から様子がおかしいことに気づいていたようで、苦笑しながらも僕らのお願いを受け入れてくれた。
 いわく、“お前らの苦労を無駄にするわけにはいくまい”だそうだ。
 その言葉に僕は心底ほっとして、笹瀬川さんと二人で別方向へ歩いていくのを見送った。
 さっきはああやって弱音を吐いていた彼女だけど、僕が励ましで充電してやれば何とかいけるらしかった。
 真っ赤な顔で手足がカチコチになりながらも、懸命に謙吾に近づいていこうとする笹瀬川さん。
 そんな彼女を前にして、どうすればいいかわからないのか、苦笑しながらどこか気まずい態度を続ける謙吾。
 そんな二人が心配にならないわけがなかったが、ここからは僕が出る幕ではないので、静かに手を振って二人を見送ることにした。

 ……ちなみに、僕が何をしたいのかすぐに察知した恭介、来ヶ谷さん、西園さんは、各々で別の行動を取った。
 恭介は先ほどのパニックの時、逃げ遅れそうになっていたクドを抱えて一緒に走り去っていった。去り際にこちらに向かってウインクしてきたから、きっと僕の狙いに気づいていたんだと思う。まあもしかしたら、役得的な意味でただ礼を言っていっただけかもしれないが。
 来ヶ谷さんは、真人を騙して葉留佳さんのことを追わせた時に“あの二人は私に任せるがいい”と、優雅に笑いながら一言告げて、真人を追っていった。あの人が居なかったら後始末がものすごい大変になってたかもしれない。感謝しておこう。
 そして西園さんは呆れながらその場に残り、さっきまで一緒に宣伝活動をしていた……と。
 
「……ちなみに、さっきの質問ですけど」
「え?」
「私は、昔の直枝さんがどうだったのかよく知りませんから、答えられませんわ」
「そうですか」
「ええ。直枝さんは、直枝さんですわ。私にとってはそれ以下でも、以上でもありません」
「……そうですね。それで、良いと思います」

 お嬢様らしく、凛とした佇まいで話す笹瀬川さん。
 ――笹瀬川さんと僕が親しくなったのは、事故直後のみんなが入院していたあたりからだ。
 それまでは、ほとんど女子同士のつき合いでしかリトルバスターズとの関わりを持たなかった彼女。
 だけど、一番怪我が酷かった恭介のことを心配する鈴を励ましに来たり、小毬さんのお見舞いにやって来たりと、そこからやたらと顔を合わすことが多くなった。
 そのうち、個人的にもよく話をするようになってきて。
 だから、笹瀬川さんの言っていることは本当に当たり前のことで、本来ならとても淡々としている冷たい一言なんだけど。
 でもなぜか、僕にはその一言がとても温かく感じられて。
 僕自身をちゃんと真っ直ぐ見てくれている気がして……。
 
「……あなたは何を赤くなってるんですの?」
「え? あ、あれ!? 僕顔赤い!?」
「ええ。しかし別に、照れる要素なんてどこにもなかったでしょう。何なんですの?」
「い、いやあ……そ、そうだよね。あはは、僕馬鹿だね」
「ええ、馬鹿ですわね」
「……」

 前言撤回。
 先生、笹瀬川さんの言葉はやっぱりブリザードのごとく冷たいです。
 うう……そんな、何を今さら、みたいに言わなくても……。

「なるほど、これはなかなか……」
「は?」
「あ、いえ……私たちリトルバスターズも、だいぶ変わってきたなと思いまして」

 “事故の件が終わったことで、皆さんに余裕が出てきたからでしょうか”と、顎に手を当てどこか達観したように呟く。
 な、何のことかよくわからないけれど……みんなが変わってきたっていうのには僕も同意だ。
 それが何を意味するのか……そこまでは、あまり考えたくはないけれど。

「ところで、笹瀬川さんは宮沢さんと一緒に居ようとしなくていいのですか? いくら二人っきりになれない状況だとしても、そこで少しでも仲良くなろうとすることは重要だと思うのですが」
「そ、それはわかってますわ。ただ、そろそろ棗先輩のクラスに皆さんで遊びに行こうということになっていますから、わざわざ呼びに来てあげたんですの」

 感謝しなさい、とわざとらしく偉そうに言って、携帯を開いて耳に当てる。小毬さん達に連絡を取っているようだ。
 ……その、どこまで行ってもまず他人のことを考えてしまうお人好しの笹瀬川さんに、僕は溜息をついて笑った。
 ――僕らのことなんか何も気にせず、ただ自分のために謙吾と一緒に居ようとすればいいのに。
 そうやって笹瀬川さんがちゃんとしてくれれば、僕が余計な感情を抱くことなんて、無いのに。
 
「直枝さん達は見つかりましたわ。今から一緒にそちらへ向かいます。場所は……ええ、3−Cですわね。わかりましたわ」

 そうして、ぴっ、という機械的な電子音と共に通話を終了する。
 携帯をポケットにしまい、僕らを見て“ほら、とっとと行きますわよ”と簡単に一言告げて歩き出す。
 ……笹瀬川さんじゃないが、人の気持ちも知らないで――と言いたい。
 ここで少しでもめんどくさそうにしてくれれば。
 厄介な役を引き受けてしまったと嫌そうにしてくれれば、僕がこんな気持ちにならずに済むというのに。
 色んな感情が頭の中でごちゃ混ぜになったような、そんな複雑な心持ちになりながら、僕もまた歩き出す。
 そして隣に居た西園さんは不思議そうに。

「あれ? 私たちには電話をかけなかったのですか?」
「……別にいいじゃないのですの。何となく、ですわよ。というかあなたは、どうせ携帯にかけても出ないでしょう」
「あ、いえ……そ、それは……仕方ないのです。電話がかかってきてもどのボタンを押せばいいのかわからず、そうやって迷っている内に向こうから……私からではかけ方がわかりませんし」

 ――西園さんの携帯はもはや電話として機能していなかった。

「いえ、そんなことよりも――笹瀬川さん、もしかして」
「?」

 前を歩いていた笹瀬川さんに小走りで追いつき、そっと耳元で囁く。
 何を喋ってるんだろう、と僕が暢気に考えていたのも束の間……。
 
「っ!?」

 急に笹瀬川さんが顔を真っ赤にして飛び上がった。そして西園さんと若干距離をとり。

「そ、そそそそ!」
「そ?」
「そ……そんなわけないでしょう!? べ、別に直枝さんが誰と一緒に居たって、私は気にしませんわよっ!!」
「え?」

 ぼ、僕……?
 僕が、どうしたんだ?

「……あ」
「ぽ……」
 
 こちらを見て赤くなる両者。特に笹瀬川さんはひどい。今度は耳まで真っ赤にして――

「――わ、忘れなさいっ! 今聞いたこと見たこと全部!!」
「え、えええ!? い、いや! 聞いたも何も――」
「い・い・か・ら・忘れなさい!! いいですわね!?」
「は、はいっ!! サー!」
 
 肩を掴まれて物凄い形相で睨まれたので、ついハート○ン軍曹のもとでしごかれる海兵隊のごとく、フルメタル敬礼をしてしまった。
 な、何なんだ一体……。

「……嬉し恥ずかしハプニング、ですね」
「うううう……」

 今度は顔を手で覆い、よろよろと肩から壁に寄りかかる笹瀬川さん。
 いやまあ、あんた西園さんに何言われたんだ……?

「……そ、そんなことより、あなた」
「へ?」
「さっきはあんな後輩にデレデレとしてましたわね。ほんっとに嫌らしい……」
「ええええー!?」

 きゅ、急に今度はなんだ!?
 いや、そんなことより……“あれ”を見られてたのかっ!?
 そんなにわかりやすく照れていたのか僕は……。は、恥ずかしい……。

「ふん、あんなガキに少しかっこいいって言われたくらいで真っ赤になってんじゃないですわよ! この馬鹿!」

 ……むか。
 なんでそれくらいで馬鹿とか言われなくちゃいけないんだ?
 自分だって今真っ赤じゃないか。段々と腹が立ってきたぞ……。

「馬鹿ってなんだよ! 何でか知らないけど、今の笹瀬川さんだって真っ赤じゃないか! いや、もうお酒飲んでべろんべろんに酔っぱらってる人みたいだね!!」
「きぃーーーっ!! それを言うな! ですわ!! 大体、その例えが意味わかりませんわ!!」
「意味わかんなくないよ! お酒飲んだ人だよ!!」
「お酒なんか飲んでませんわよ! 勝手に決めつけないで下さる!?」
「はん、別に僕そんなこと言ってないし! 馬鹿じゃないの!?」
「く、くぅーーーっ!! あなたに馬鹿って言われると本当にムカつきますわ! 自分だって馬鹿のくせに!」
「うっさいな! 馬鹿だっていいでしょ! 馬鹿は馬鹿なりに一生懸命生きてるんだよ!!」
「何よ! 大体――」
「――何だよ! そんな笹瀬川さんだって――」
「――うるさい! こ、この! ――」
「――いたいいたい! 離してよ! ――」

 ……そんなふうに。
 まったく歩を進めず喧嘩を続ける僕らの端で。
 静かに呟いた、西園さんの“……羨ましいですね”という言葉が、なぜか耳に残った。
 そして僕がその言葉に反応して振り返ると、彼女はこちらにツカツカと歩いてきて。
 一瞬微笑んだ後、僕ら二人の頭に思いっきりチョップを食らわした。



『おかえりなさいませ、ご主人様!』
「お、おおう……」
「こ……これは」

 教室のドアを開けると、まずたくさんのメイドさんに出迎えられた。もちろん、あのお決まりの文句つきで。
 そして二人のメイド好きは、一方はたじろぐように、もう一方は感嘆するように声を漏らす。
 ――あの後笹瀬川さんに連れられ、僕らは恭介のクラスの前までやってきた。
 もうそこには既に他のメンバーが全員集まっており、執事カフェ・メイドカフェの前にこんなに人だかりが出来てるなんて異様過ぎるな……と若干複雑に思いながら、さっきのことを真人と葉留佳さんに謝りに行く。
 すると二人は一体何のことだと首を傾げていたので、これは来ヶ谷さんが本当に上手くやってくれたのだなと感謝する。見ると、彼女はこちらの視線に気づいてニヤリと笑い、人差し指を立てた。貸し一つ、ということだろう。
 そしてしばらくすると中から恭介が出てきた。そして恭しく頭を垂れて“それでは、これから執事カフェ・メイドカフェへとご案内させて頂きます”と、恭介にしては大げさな敬語で告げた。
 それに苦笑を漏らしながらも教室に入ろうとしたところ……この状態だった、というわけだ。
 恭介……僕たちが来るからって気合い入れすぎだよ……。

「では、私たちも……『おかえりなさいませ、お嬢様!』」

 恭介が合図して、横に並んだ執事さん達が一斉に頭を下げる。なるほど……こっちは“お嬢様”なのか。
 ……何故か恭介だけは僕に向かって頭を下げていた。きっとメガネが曇っているせいだね。知らないけど、きっとそうに違いない。
 冷や汗をたらしながら教室……いや、店内に入ると、まずは綺麗に装飾が施されたテーブルと椅子が目についた。
 てっきり教室で使っている椅子と机を使用しているのかと思ったが、決してそんなことはなかった。どこから持ってきたのか知らないが、円い木のテーブルと、背もたれの高い椅子という、やたらと高級そうなテーブルセットがゆとりを持って並べられていた。
 そしてそれら一つ一つには、シミもシワも全く無い真っ白なテーブルクロスが敷かれており、清潔感と高級感を存分にアピールしている。
 さすが恭介プロデュースだ……クオリティが半端ない。都会の喫茶店レベルじゃないか。
 そんなふうに僕が感嘆と驚きが混じったような感想を漏らしていると、後ろの方でやたらと恥ずかしそうにお辞儀をしているメイドさんが目に止まった。
 いや……ま、まさかあれは……。

「……皆藤さん?」
「い、いや……あはは。よく、いらっしゃって頂けました。ご主人様」
「……」

 ――マジで本人だった。
 化粧がされていて、おまけにウィッグのせいで髪型も相当変わっているため、かなりわかりづらいが……何となくあの人の面影があった。それで試しに声をかけてみたんだけど……まさか本気で彼だったとは。
 いや……ていうか、昔僕も女装されたことがあるから、なるべく傷つけたくないんだけど……これは言うしかない。
 ……可愛すぎる。
 綺麗よりも可愛いの方が良いと以前言っていたのは誰だっただろうか。
 僕はその時、一体何をアホなこと言ってるんだと心の中で大いにツッコんだものだが……今ここで断言しよう。あの時の僕はどうしようもなく間違っていた!
 綺麗よりも可愛い、綺麗よりもカワイイ、キレイよりもカワイイ……。
 そうだ! つまり、カワイイものこそ絶対なる正義なんだ! 真実なんだ! ジャスティスなんだ、リアルなんだ! ユニバースなんだっ!!
 キレイが一体何だ! それがどうした!! キレイな女性はこの萌えに勝てるというのか!
 いいや、絶対に無理だね! なぜならこれは――
 
「直枝君?」
「――うぇいっ!? は、はい! なんですか!?」

 気づいたら、お辞儀したままの皆藤さんに見上げられていた。
 ……うっ、こ、この上目遣いは……。
 やめてくれ……僕をもうこれ以上暴走させないでくれ……本気でやばくってもう――

「ふはははは!! 見つけたぞ、皆藤君! 他のメイドさんも良いが、君はまた格別だな!」
「ひいっ! く、来ヶ谷さん!?」
「……ふ。何を逃げようとしているのかね? この狭い店内だ。絶対に逃げられんぞ」
「た、助けて直枝君っ!!」

 この異常にハイテンションな来ヶ谷さんが恐ろしいのか、必死に腕にしがみついてくる。
 ……う、うわあ……元々高い声だからか、セリフも相まって本当に女の子に抱きつかれてるみたいだ。か、顔が熱くなって……。

「……理樹君」
「く、来ヶ谷さん。もう……」
「……代われ」
「え?」
「代われぇーーーーっ!!」

 そう言って鼻血を垂らしながら……こっちに突進してきた!!
 う、うあああ!? まじかっ!?
 ど、どうすれば!? いや、ここは僕が男として……って皆藤さんも男じゃないかぁーーっ!!
 ……ああ、もうだめだ……と、もう僕が心の中で完全に諦めようとしたその時。

「お待ちください。お嬢様」
「……む」

 来ヶ谷さんに劣らぬ物凄いスピードで間に入り込んできた人影があった。
 それを前にして、キキィーーッと、体重をかけて止まる来ヶ谷さん。いやまあ、あんたどれだけスピード出てたんだ。
 い、いやそれより、この声は……。

「何のつもりだ、恭介氏」
「お嬢様の奇行をお止めするのも、執事の務め……でございます」
「ほほう、私の行為を奇行呼ばわりするか。特大の蹴りをお見舞いされたいようだな」
「私はマゾヒストではございませんが……それがお嬢様の意思であるのなら、甘んじて受け入れましょう。しかし、その前に一つ、申し上げておきたいことがあるのです」
「む……なんだ」

 恭介の背中から顔を出して、来ヶ谷さんの方を見てみる。
 鼻血をふき取ってるんだろうか、ティッシュで鼻の辺りをふきふきしながら訝しげに尋ねるその姿はかなりシュールだった……。
 しかし、恭介はどうやってこの窮地を救ってくれるというのだろうか。こんな恭介が来ヶ谷さんに蹴り飛ばされるとこなんて見たくないし……。

「このメイドは変態ですが……」
「誰が変態だよっ! あんたらがやったんだろ!」
「……んっん。このメイドはノーマルですが……いえ、そんなことではなく、彼女は私たちの仕事仲間なのです。それが傷つけられる所を、私は見たくないのでございます」
「ふん、だからどうした。ならば代わりのものを何か用意してくれるのだろうな?」

 未だに僕の腕にしがみつきつつ、必死に吠える皆藤さんに萌えながら……じゃなくて。
 心配になって、恭介の顔を見上げてみる。
 そうそう簡単にこの人が引き下がるはずないと思っていたが……これは厄介なことになってきた。
 代わりのものなんて、一体どうするんだ? この皆藤さんの萌えに敵うなんてものは……。
 そして恭介は一瞬こっちを見てニヤリと笑ったかと思うと、すぐに来ヶ谷さんの方へと向き直り。

「もちろんでございます。では、このメイドを見逃して頂ける代わりに――」
「代わりに、なんだ?」
「――理樹を、『お嬢様』仕様にしてやる」
「のった!!」

 片手でグーを作ってガッツポーズする来ヶ谷さん。
 ……って、は?

「悪いな理樹。お前にはちょっと、『お嬢様』になってもらう」
「え? ……って、ちょ、ちょっと! 離してください!!」

 二人のメイドさんに両脇を掴まれる。
 ……ちょ、ちょっと待て。
 僕に、何になってもらうって……?

「おおー? 理樹君女の子バージョンがついにお披露目かぁー!? お披露目されてしまうのかぁー!!?」
「い、いや! 葉留佳さん、これって一体何――」
「ふ、恭介氏も粋な計らいをしてくれる。最初からこれを狙っていたな?」
「ああ、まあな。せっかく皆藤が女装したんだ。だったら行ける所まで行っちまった方がいいだろ?」
「いや、ちょ、ちょっと――」

 僕を置き去りにしてどんどん話が進んでいく。
 そ、そんな……またあの悪夢が……しかも今度は恭介達の見ている前で、なんて……。
 い、いや! だめだ!! そんなことされたらもう生きていけない!! 
 でも体を掴まれてて、こっちからは動けないし……。
 誰か……誰か助けてくれる人は!?

「り、鈴! お願い助けて!!」
「っ!? い、いや……わるいが、あたしもちょっと見てみたい……気もするよーな、しないよーな……」

 顔を赤くしながら目を泳がせてとぼけている……要するに見たいってことなんだろう。
 あああ、くそっ! 次は!?

「真人!」
「……悪ぃ。ここで止めたら、来ヶ谷に思いっきりぶっ飛ばされるからな……すまねえ」
「うむ。当たり前だ」

 苦い顔で辛そうに話す真人。いつもの筋肉もしぼんでいる。
 ……な、なんてことだ。悪代官の魔の手がこんなところにまで。
 くっ……こうやって、弱い民衆は搾取されていくのか。悪代官めぇ……。

「理樹君あんなに可愛かったんだから、みんなに見てもらった方がいいよ〜!」
「い、いやいやいや……きっと本気で褒めてるんだろうけど、全然嬉しくないからね……」
「ええ〜? 可愛いものはジャスティスっ! って、ゆいちゃん言ってたよ〜?」
「じゃすてぃすですー!」
「う、ううう……」

 だ、だめだ。情報操作されたこの二人には何を言っても……ほ、他の人は!?
 と、もっと大きく周りを見渡そうとしたところで、恭介に近くまでやって来られて視界をふさがれた。
 キッ、と強く睨み付けると、恭介はどこか悲しそうな顔のまま……。

「……いいよな? これで」
「よくないよっ!! ぜんっぜんよくないから!!」
「ちっ……ほら、もういいだろ? とっとと連れていってやってくれ。これ以上親友が惨めになる所なんて、俺は見たくねぇ……」
「うん! わかったよ棗君!」
「はいは〜い、お嬢様〜。こんな男の子みたいな服じゃなくて、ちゃんとドレスにお着替えしましょうね〜」

 きゃっきゃ、とメイドさんに腕を引かれ、教室から連れ出されそうになる。ああ……メイドさん達の良い香りが……じゃなくって!
 や、やばい……この、底が抜け落ちるような感覚。誰も止めてくれずに突き進んでいく、変態への道。
 しかもこれ、教室内だけじゃないんじゃん! 廊下に出るのかよ!! 
 うう……このままでは公衆にまで注目されることに……。
 僕だって、まだそこまで変態になりたくないよ! だ、誰か最後に……誰か!

「……」
「さ、笹瀬川さんっ! お願い助けて!」

 さ、さっきは喧嘩してしまったが……僕のご主人様(今だけ)なら、きっと助けてくれるはず!
 ね? こんなによく働く従者をあなたは放っておけるわけ――

「――ふん、知りませんわよ! あなたなんか!」
「ご主人さまぁーーーー!!」

 ぴしゃん!
 笹瀬川さんの手によって、思いっきり教室のドアが……閉められた。

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