「よし、ではこれで朝のホームルームを終了とする。お前ら、ちゃんとクラスの担当の時間には戻ってくるんだぞ」

 そう言って担任が去っていくと、一気に教室の音が騒がしくなった。
 早速仕事の準備に取りかかる者、友人同士でガヤガヤと教室の外へ出て行く者、若干興奮気味にこれからどこへ行こうかと話し
込んでる者、そして――

「いよっしゃあ! 今日はカツを食いまくるぜ!!」
「いやまあ、いつも学食で食べてるでしょ」
「……というか、学祭にカツ自体を扱ってる店などあるのか?」
「わふ〜! まるで井ノ原さんのためのお店みたいですっ!」
「さすがにそこまでピンポイントなお店は無いと思いますが」
「あほだな」

 ――僕らリトルバスターズも、他のお店へ出かけるため皆でこうして集まっていた。
 そういえば、今のリトルバスターズで学祭を回るのは今回が初めてだったりする。
 去年も去年で恭介が起こした大騒動に巻き込まれて、それなりに楽しかったけど――今年の学祭はそれよりも、もっとすごいレ
ベルになるだろう。
 明日の学祭2日目にはライブも控えてある。恭介を除けば、そうやって僕たちが直接学祭を盛り上げる側に回るのは初めてだ。
 今年の学祭はきっと……一生の中で、とても思い出深いものになるに違いない。
 そうやって僕が楽しみに――そしてどこか感慨深げに、これからのことへ期待を膨らませていると。

「思うのだが、少年」
「ん?」

 来ヶ谷さんが、どこか納得のいかないような表情で話しかけてきた。

「……何故君は、スカートじゃないんだ?」
「いや、そんな本気でわけ分からないみたいに言われても……」
「せっかくの学祭なのだから、別に我慢しなくてもいいと思うのだが」
「いやいやいやいや……勝手に僕の願望を捏造しないで下さい……」

 残念そうに首を傾げてくる。
 まったく……やっとそろそろゲイ疑惑が収まってきたかと思ったのに、今度はそっち方面で変態扱いされるなんて絶対にゴメン
だ。
 あれから西園さんだけじゃなく、そちらの方面の方々にも色々付きまとわれて本当に大変だったんだ……もうあんな悲劇は二度
と起こしてはならない。

「う〜ん? でも、こっちの理樹君もかっこいいよ〜!」
「え? そ、そうかな?」
「どらきゅらさんですーっ!」
「……ふむ。確かに理樹君萌えー、だな」
「萌えー、られても困るんだけど、ドラキュラとしては……」

 約1名の微妙な感想にがくりと肩を落とす。この人から、一度ぐらいはカッコイイという単語を聞いてみたいと思った。
 ……そう。僕は今、ドラキュラの仮装をしていた。
 謙吾ほどじゃないが、若干前髪をかき上げて、ワックスで上の髪をツンツンにして小悪魔っぽさをアピール。
 それから、襟のとんがった白シャツと黒マントに身を包んで……最後にさり気なく八重歯のアクセントをつければ、ほら、こわ
〜いドラキュラの出来上がり(西園さん談)……だそうだが。
 どう見たって何か別の狙いがあるようにしか思えない。そもそも何で僕がやらなくちゃいけないんだろう……。
 これ、お化け屋敷の宣伝のはずなのに……もっと適役がいるじゃないか。

「はっはっは!! 心配するな理樹! これなら客足も途絶えんだろう! 主に女性客のな!!」

 この人とか。
 ……というか、謙吾は何も仮装していない。何故だ。理不尽すぎる。
 いやまあ、こんなハイテンションなドラキュラが居てもやだけど……。
 
「かわいいと思うぞ、理樹」
「あ、あはは……ありがとう。鈴もかわいいよ、それ」
「ふっ……そうだろう。あたしも鏡見てびびったくらいだからな。いやもう、くちゃくちゃびびった」
「うん。なんか、何となく頭を撫でてあげたくなるような……よしよし」
「ふにゃっ!? ちょ、やめろ、ぼけっ!」

 ちょっと触っただけで、ぴゅー、と逃げられてしまった。
 そして小毬さんの背中に隠れて、顔だけ出してこっちを睨んでくる。

「ふえ? り、鈴ちゃんっ?」
「……ふん」

 ……いやまあ、きっと照れてるだけなんだろうけど、ここまで過剰に反応されると、やはりそれなりにグサリと来てしまう。後で恭介と飲みにでもいこうかな……ジュースだけど。

「鈴ちゃんも、か〜わいいよ〜っ!」
「っ!?」
「なでなで〜……」
「う、ううう……」

 さすがに小毬さんからは逃げられないのか、顔を真っ赤にしてされるがままになっている。
 うん――鈴の仮装は猫女だ。まんまというか、なんというか……ただ猫耳と尻尾と猫の手グローブをつけただけだ。
 でも僕は、その猫耳と尻尾で終わらせない所がいいと思う。重要な萌えポイントだ。
 さらに、小毬さんの背中で縮こまって頭をなでなでされ続けている鈴の、恥ずかしながらもどこか不満そうな表情が余計に子猫
っぽさを際だたせていてとても良い。うん……グッとくる、ってやつだ。
 ……うん。もう良いんだ……別に。変態って言われちゃったし、僕。
 ――そんな風に僕が、喜びと共にどこか哀愁めいた念を抱いていると。

「よう! 待たせたなっ!」
「あ、恭介――って、へっ!?」
「……え!? きょ、きょーすけさん!?」

 恭介がいつものように窓の外からロープを伝って、すたっ、と降りてきた。
 いやまあ……この登場の仕方って、もし窓の鍵を閉めていた時はどうなるんだろう……なんて一度考えたことがある。アクショ
ン映画のように蹴破って入ってくるんだろうか、なんて……いや、今はそんなことどうでもいい!
 その恭介の格好が――

「――なんだお前、それスーツか?」
「ああ。……って、あれ? 言ってなかったっけか? 俺らのクラス、執事カフェ&メイドカフェをやるんだぜ?」
「な、なにいっ!? メイドカフェだとお!?」
「ああ、そうさ。お前の大好きなメイドさんだ」

 ――恭介は、真っ黒なスーツを着ていた。
 制服のような薄い黒ではなくて、もっとシックなイメージの黒。
 それにネクタイまでもが黒で統一されていて……服装だけ見ると執事というより、どこかのマフィアの幹部のような印象だった

 だが――

「は……? って、お、おいちょっと待てよ、あれは誤解だっただろうが!」
「……恭介氏。その話は本当か」
「ん? ああ本当だぜ。なっ、真人!」

 そう言って、嬉しそうにばんばんと肩を叩く恭介。
 対する真人の顔は、逆にみるみる真っ青になっていって――

「ち、ちょ、ちょっ、ちょっと待て! 恭介の言ってることはちげえ!! お、俺は、断じてそんな趣味は――」
「奇遇だな、真人君。私もだ」
「――って、は?」

 思い切り蹴りを食らわされると思っていたのだろうか、腕で顔を隠して後ずさる真人に、意外な言葉がかけられた。
 そして来ヶ谷さんは微笑を保ったまま、顎に手をやって。

「私も、メイドさんが好きなのだよ。可愛い女の子がメイド服に身を包み、『おかえりなさいませです、ご主人様っ! わふー!』と言ってくれるだけで……私の心はどうしようもなく満たされるのさ。君にもわかるだろう?」
「あ……ああ。まあ……」
「そして、『お待たせ致しました! ご主人さまっ!』と、私の元にかちゃかちゃと覚束ない足取りで紅茶とお菓子を運んでくるク
ド……ではなく、メイド。ああ、もちろんミニスカとニーソの絶対領域は必須だ。そして……そのメイドが佇む横で、私は優雅に紅茶と一切れのケーキを頂く……ああ、何という至福の一時……」

 うっとりと、そしてどこか遠くを見るような目で、しんしんと語る。
 いやまあ、誰のメイド姿をイメージしているのか一発でわかるんだけど……。
 というか、この人には恥じらいというものが無いのだろうか。聞き方によってはとんでもなくヤバい発言に聞こえるぞ……。
 そんな僕の心配もどこ吹く風、来ヶ谷さんはゆっくりと真人に向き直り、柔らかく微笑んで。

「なに。つまり私も、君と同じ思いを抱く者ということさ。だから何も心配は要らない。ただ君は何も気にせず、私と一緒に優雅な一時を楽しめばいい」
「……へっ、そうか……。ふう、助かったぜ」

 やれやれ、と心底安心したような様子で額の汗を拭う真人。

「……」
「いやあ、それにしても驚いたぜ。まさか来ヶ谷の姉御もそうだったとはな。同じ趣味ってぇのは、案外近くに――――って、だ
ぁはあっ!!?」

 まだ何も助かってなどいない、とツッコみかけたところで真人の体が真横に吹っ飛ばされた。 

「――貴様と一緒にするな」

 ……いやまあ、やっぱりあんたですか。
 回し蹴りに使った右足を引っ込め、汚い物を見るような目で真人を見やり。

「まさかこうも簡単に引っかかるとはな……真人君」
「……ってーな! いってぇどういうことだよ!!」
「わからんのか? 貴様は今、自分がメイド趣味だということを公然と皆に宣言したのだぞ」
「は……? って、ああぁぁぁぁーーーーっ!!?」

 アホだ。
 頭を抱えてのたうち回っている。
 にしても、真人が本当にメイド好きだったとは……これで恭介のロリに続く、第二の犠牲者が出てしまったことに……。

「ふん……貴様は一人で、裏の勝手口で残飯でもかっ食らっていればいいんだ」
「ってちょっと待てよ! 店に入れてくれさえしねえのかよ!? ていうか大体、お前もメイド好きだってさっき――」
「貴様と一緒にするな……と言っただろう! こんの変態めがっ!!」
「な、なぜぇ!? どぅあーーーーーーーーっ!?!!?」

 再度蹴りで吹っ飛ばされる真人。
 その後なんかその先でギャーギャーと喧嘩する声が聞こえてきたが……もういいや、放っておこう。
 それに溜息をついた僕は、向こうで鈴達と話をしていた恭介の方へと向き直り。

「恭介……そのメガネは?」
「ふ、お前も気になるか? このインテリメガネが」
「執事にメガネとは……必ずしも一致するわけではありませんが、恭介さんならアリです」

 どこかうっとりとした表情で話す西園さん。
 ――そう、恭介は……何故かメガネをかけていた。
 スラッとした黒スーツに、白い手袋、そして周囲にどこか知的な印象を抱かせるノンフレームのメガネ。
 その、いつも以上に落ち着いた雰囲気を醸し出してる恭介に、僕は一瞬息を飲む。
 そして、時に浮かべるそのさり気ない微笑を目の当たりにすれば、多くの女性が簡単に虜にされてしまうだろう。
 なんかこう、名刺を出されて“執事です”と名乗られても、これなら簡単に信じてしまいそうだ。

「だけどまあ、執事カフェとはまた凄いの持ってくるね……」
「そうか? 最近じゃ、メイドカフェと並んで密かなブームになってるらしいぞ。ま、俺もこういうのは嫌いじゃねえし、楽しん
でやるさ」
「……楽しむって?」
「それはだな、こんな風にだ」
「へ?」

 襟を正し、んっん、と咳を払う。
 そうしてニヤリと軽く笑ったかと思ったら、直ぐさま小毬さんの方へ向き直り。

「……おや? お嬢様、リボンが曲がっておられますよ」
「は……え? って、ほ、ほわわわ……わぁーっ!?」
「こ、小毬さんっ!?」

 柔らかい笑みを浮かべながら、膝をついて小毬さんの胸元にあるリボンに手をやる。
 そして顔を真っ赤にして、ほわわわと狼狽する小毬さん……いやまあ、これが執事というやつなのだろうか。

「さすが恭介さんです。膝をつくという執事の基本を忘れませんね」
「そ、そんなのあるんだ……」
「当然です。執事は決して主人を上から見下ろしてはいけないのです。必ず主人の下につき、主人を下から支える……それが執事
のあるべき姿と言えるでしょう」

 そして何故か異様にハイテンションになっている西園さん。
 口調だけは冷静だが、ぷふーっと鼻息を荒くしている時点でもう色々とダメだと思う。そろそろ、はぁはぁと息切れをきかせ始
める時間だろうか。

「これはこれは、鈴お嬢様。肩がこっておられますね」
「うむ。わかるか? よし、揉め」
「畏まりました。……お加減はよろしいですか?」
「……う、うんっ。いいぞ……」

 恭介に後ろから肩を揉まれ、ほにゃー、ととろけ切ったような顔になっている。
 ……というより、メガネの恭介に敬語って、なんか異様に嵌りすぎてて違和感ゼロだなあ……本気で執事みたいだ。

「……こんな兄貴なら、お兄ちゃんって言ってもいいかもしれんな」
「光栄でございます。お嬢様」
「ふにゃぁ〜……お兄ちゃん〜」
「何でございますか?」
「呼んだだけ〜」

 ……うわわわわ。
 こんな鈴見たことないっ!
 こ、これが執事パワーというやつなのかっ!? すごすぎる!!

「兄妹で、執事と主人の関係……!? こ、これは、もしかしたら! もしゅかしたら、新しい領域を発見す……し、したかもしゅれません!」
「いやいやいやいや……思いっきり噛んでるからね。落ち着いて下さい」

 なんか思いっきり感動してるが、取りあえず興奮しすぎだ。目もやばい。迂闊に変なことを言ったら、何かとんでもないことに巻き込まれそうだ……。

「いやまあ……というか、あれは良いの?」
「え? あ、ああ……う、後ろから肩を揉む分には、別に立ったままで構わないのです。膝をついたりすると揉みにくいですし、
逆にそれでは謙りすぎて失礼、ということになってしまいます。いえ、そんなことより良いネタが思いつきそうですよ! 直枝さん!」
「そ、そうなんだ……。あ、いや、それはまた後で……」

 正直そのネタを僕に振ってくるあたりで、何が言いたいか大体わかるので全力で辞退することにした。大体なんでこの人はこんなに無駄に良い笑顔なんだろう。
 いやまあ……そんなことは取りあえずどうでもいいとして。
 ……なんか執事には、色々と基準があるらしかった。そしてそれら全てを軽くクリアしてる恭介って……一体、何者なんだ……

「恭介、俺には何もしてくれんのか? ほらこう、旦那様とか呼んでくれたりは」
「申し訳ありませんが、男性の方にはお仕え出来ません」
「当たり前です。何を言っているんですか? 宮沢さん。男性で恭介さんの奉仕を受けられるのは直枝さんだけです」
「……」

 先ほど一転して氷点下の眼になった西園さんに、がくっと肩を落とす謙吾。いやまあ……僕も肩を落としたい気分なんだけど。
 というか執事って、いつから女性専門になったんだ? まるでホストみたいだ……。

「……っとまあ、こんなとこさ。お前らも店に来れば、もっと本格的にやってやるよ。メイドさんもいっぱい居るぜ」
「あはは……考えとくよ」

 ……なんか、見てるだけで妙に疲れる執事だった。店に行ったらもっと大変な目に遭いそうだ……。
 僕はやれやれと溜息をついて恭介達から視線を外し、窓の外を見た。
 
 ――見事な快晴だった。雲もほとんど無い。窓を開ければ秋の心地よい風が吹いてくる。
 僕はそのまま少し、窓から顔を出してぼーっと外の光景を眺めた。
 真下にある中庭には、何かのイベントに使うのか、とても大がかりなステージをセットしている人達が見える。
 そしてその側には……昨日笹瀬川さんと一緒に夜空を眺めたベンチがあった。
 
 ――僕は顔を戻し、窓を閉め、つい隣まで来ていた暗幕を張る作業をする人達を手伝いながら、笹瀬川さんのことを考える。
 そういえば、まだ笹瀬川さんと葉留佳さんはここに来ていない。今日は謙吾のことで何か競い合うことになるようだけど……僕
はどうしたら良いのだろうか。
 いや……そんなこと、最初から決まってる。
 笹瀬川さんを応援する。葉留佳さんには悪いけど……。
 出来ることなら二人を同時に応援してあげたいけど、そんなこと無理に決まってる。いかに優柔不断な僕でも、そこまで無責任
にはなれなかった。
 何より、笹瀬川さんの一生懸命頑張る姿は、純粋に好ましいと思った。
 そう……彼女は、とにかく一生懸命なんだ。
 一度は諦めかけて……それでも精一杯勇気を振り絞ってぶつかって、でも結局ダメで、逃げて、泣いて……。
 でも、それでも最後には元気を取り戻して、また再度ぶつかった。そして手に入れられた今日という日。
 ……そんな彼女の傍らについて応援するのが、僕にはとっても楽しかったんだ。
 
 彼女は強い人だと思う。本当の意味で強い人だ。恭介や僕なんかより、ずっと――
 彼女は挫けない。誰かが隣に居れば、やがて最後には必ず立ち直る。それは、本当に強いってことだと思う。
 でも本当に強いってことは、本当は弱いってことだから……誰かが居なきゃ、すぐ倒れてしまうんだ。
 だから僕が、彼女の隣につく。
 僕が彼女を、本当に強い彼女にしてやるんだ――

 ――なんて考えた所で。
 ふと思考を止めて、心の中で苦笑した。
 僕は、こんなに言葉に酔う人間だっただろうか。
 目的や意義なんかどうだって良いじゃないか。僕は彼女の応援をしたい。ただそれだけだ。
 まあ、僕の応援なんかもう要らないかもしれないけどね……と、昨晩の彼女を思い出して、また苦笑した。
 そうこうしている内に暗幕もかけ終わり、後はもう電気を消せばそれだけでお化け屋敷の完成となった。
 もうそろそろ僕たちもここから出なきゃいけないな、と考えていた所で、ようやくそのお目当ての人物達がやってきたのがわか
った。


「やーやー、おはよう皆の衆!」

 ガラッと教室の扉を開けて、葉留佳さんが入ってくる。
 ……そしてその扉の横には、ちょこんとはみ出している、ある紫がかった髪が。
 いやまあ……あんた一体何やってるんだ?

「ったく、おせーぞ三枝。お前が遅刻したせいで大変な事になっちまっただろうが」
「いや、あれはどう考えても君のせいだと思うが……」
「およ? 何かあったんデスか?」
「こいつが何故か突然、『自分はメイド好きです! よろしくお願いします!!』と叫びだしてな。対応に困っていたところだ」
「だぁはあああーーーーーーっ!!? ちーーーーげぇーーーーーーーっ!!!!」

 在りもしない事実を言いふらされて、再度床を転げ回る筋肉。
 あー、っていうかセット崩れるからやめてよ! ああ、設置した壁にぶつかって本当に悶えてる……。

「やはは……これは、なんて言ったらいいんですかね」
「君はただ親指を立てて、『グッド変態!』と言ってやればいい。喜ぶから」
「リョーカイっす姉御!」
 
 二人からグッド変態グッド変態、と連呼されて何度も壁にぶち当たっていく真人。
 あ……ついに動かなくなった。

「い、井ノ原さんっ!? 大丈夫ですかー!?」
「……は。く、クー公……いいのかよ……。お前も俺の近くに来ると、変態がうつるぜ……」

 変態になったクドなんて見たくもなかった。

「大丈夫ですっ! 私もメイドさんのことは好きですっ!」
「な! ほ、本当かよ!?」

 その驚きで、がばっと起きあがる真人。
 いやまあ、まじですか……? リトルバスターズの中のメイド好き人口がこれ程までに多いとは、僕も驚いた。
 でもこれは……どうやっても簡単にオチが読めてしまうような……気がする。何たってあのクドだし。

「メイドさんって……とってもかっこいいのです! 落ち着いていて、きりっとしてて、優しくて……大人な魅力満載なのです! 私もいつかああやって、びしっ! とキメたいのですっ!」
「は……」
「あ、あはは……」

 ……やはりクドは、みんなと全く別の次元でメイドを捉えていた。いや、ある意味一番正しいイメージなんだろうけど。
 でもまあ、なんかそういうのはクドらしいというか、とても可愛い感じがして、少し笑ってしまった。出てきたのは随分と疲れ
た笑いだったけど。
 ――いや、ていうか。
 あの人はいつまであそこでああやってるんだ……。

「……笹瀬川さん、何やってるの?」
「っ!」

 髪がもそもそっと動いた。
 まさか気づかれていないとでも思っていたんだろうか。めっちゃくちゃはみ出してるんだけど……。恭介なんか、後ろで失笑し
てるし。

「いや……あのさ、言いにくいんだけど」
「……?」
「髪……はみ出てるから」
「っ!!」

 ババッ、と慌てて髪が引っ込められる
 僕はそれに深い溜息をついて、重い足取りで廊下へと出る。
 そして隣を見ると……やっぱり居た。

「笹瀬川さん……」
「……」

 しゃがみ込んで頭を抱えて……横目でこちらを精一杯睨み付けてくる。そしてその前に立ちつくす一人のドラキュラ……恐ろしくシュールな光景だった。
 それが数秒間続いた後、まるで何事も無かったかのように立ち上がり、服の乱れを直しながら……こほんと咳を払う。
 そして、思いっきりガチガチに引きつったスマイルを浮かべて。

「あ、あら。奇遇ですわね。どうしたんですの?」
「はあ……」

 額に手をやって、再度深い深い溜息をつく。
 ――何にも変わってないじゃないか。
 今の行動のどこに奇遇と言えるファクターがあったのか、それにツッコむことも大いに僕のポリシーとして重要だが……今は到
底そんな気になれない。
 昨日の笹瀬川さんはあんなに強い眼をしていたのに、一日経ったらこうだ。
 まったく……本当にしょうがないな。

「何ですのっ!? その溜息は!」
「奇遇って……僕たち、一緒に回ることになってたでしょ?」
「わ、わかってますわよ! ただその……私は、人に会ったら奇遇ですわねって言ってしまうんですのよ! 癖なんですの!!」
「それは……また難儀な癖だね」

 僕の言葉に顔を赤くして、“ほっといてくださいます!?”とそっぽを向く。
 本当にどうでもいい癖だった……っていうか、そんな癖持ってる人なんて聞いたことがない。鈴や真人レベルの、小学生でも見
破れる嘘だった。

「はぁ……葉留佳さんと一緒にとっとと入ってくれば良かったのに」
「な、なんか入りづらかったんですのよ」
「もう、昨日はあんなに強気だったってのに……はあ」
「……あなた、さっきから溜息ついてばっかりですわね。老けますわよ」
「誰のせいだよっ!」

 笹瀬川さんのナチュラルなボケに思いっきりツッコむ。……ああ、なんか一度そうしてしまったらどっと疲れが出てきた。
 やっぱり……だめだこの人。とても放ってなんかおけない。
 やっとせっかく謙吾と一緒に学祭を回る約束を取り付けられたというのに、こんな調子では……。

「……とにかく、ほら行くよ。みんなに挨拶しないと」
「わ、わかりましたわよ……って、腕を掴むな!!」
「こうでもしないと来てくれないでしょ。まったく……ほんと、僕がいないとダメダメだね、笹瀬川さんは」
「ふん……ナメないで頂けますこと? あなたの力なんか借りなくたって、すぐに宮沢様と二人っきりになって差し上げますわ!
ほーっほっほっほ!!」

 そうやって高笑いしている割に、一歩もその場から動こうとしない。
 あ、頭が痛い……。
 一人で教室にも入れない人間が、一体どうやったらそんなことを達成できるというんだ。
 でも――

「あらら……やっぱり、足踏みしてるみたいですネ」
「あ、葉留佳さん」

 教室から顔を出し、こっちを見て溜息をついている。
 ……そう言えば、この二人はさっき一緒に来てたんだ。
 それなのにこの人といったら……相手にまで心配されててどうするんだ。
 でも――

「……う、うるさいですわね。あなたにまで心配される筋合いなんかないですわ」
「こらこら、喧嘩しない」
「喧嘩じゃないですわよっ! 尋常な勝負ですわ!」
「勝負になればいいですけどネ〜。フヒヒヒヒ」
「くっ! こ、こんの〜……」

 昨日言ったことをそっくりそのまま返され、わなわなと拳を震わせる笹瀬川さん。……いやあ、このままじゃ本当に勝負になるかわからないぞ……。
 でも――

「はあ……もう、葉留佳さんも無駄にこの人を怒らすようなことしないであげてよ」
「えー! 理樹君はそっちの味方なんデスカー!?」
「うんまあ……最初に応援するって決めたのは笹瀬川さんの方だし」
「えー、ひっどいなぁ……やっぱり理樹君、変わったですヨ」
「……む。そうかな」

 ちょっと残念そうに呟く葉留佳さん。冷たいやつだと思われただろうか。
 ……でもそれも、仕方ない。こんな哀れな捨て女王猫、放っておけない。
 って、なんかそうなると、僕が笹瀬川さんの執事みたいだな。執事はダメダメとか言ったりしないだろうけど。
 ふむ……執事というよりは、旅のお供をする生意気な従者だろうか
 そう考えた時、あまりにもピッタリなその関係に、僕は心の中で吹き出してしまった。

「ま、いいですヨ。そんな理樹君も寛大なはるちんは許してやるのだ。思う存分その哀れな子猫に尽くすがよいですヨ」
「ちょっとあなた! 誰が子猫ですって!?」
「はは、そうさせてもらうよ」
「って、あんたもさり気なく笑って流すんじゃない! ですわ!!」
「ぶほっ!」

 鎖骨部分に左エルボーを食らう。不意打ちだったので地味に痛い。まあ既に日常茶飯事なので多少慣れたけど……。
 僕が痛がってる隙に葉留佳さんは、“おーっす、謙吾君あっそぼーぜー!”と叫びながら教室に引っ込んでいってしまった。

「あ、あ! あの馬鹿女がっ!」
「けほっ……ってこら、そんなこと言わないの」
「ちょ、いたいいたい! 耳をつねるな! このっ!」

 ブオン、と迫り来る右フックを、体を反らして避ける。ふん、いつまで経ってもやられっぱなしの僕じゃないぞ。
 避けられたことに向こうは余計腹を立てたようだが、こっちはいちいちそんなの相手にしてられない。
 耳から手を離し、そのままの勢いで笹瀬川さんを教室に引っ張っていく。

「あ、ちょ、ちょっと!」
「なに?」
「うでっ!」
「……うで?」

 と、そこで初めて、自然に彼女の腕を掴んでいたことに気づく。
 試しに離してやると、物凄い勢いでバックステップを取られた。そしてその腕を押さえたまま、フシャーとこっちを威嚇してく
る。
 ……いやまあ、手を繋ぐのはさすがに抵抗あるから腕にしたんだけど、それでもダメなのか。

「あ、あなたっ!」
「はいはい?」
「くっ……軽々しく、腕なんか掴まないでくれませんこと!? さっきもですけど! 私とあなたは別に――」

 ――と、そこまで言って……固まった。
 ……いやまあ、何を想像しているのかわかるが、そこで黙って赤くなられるとこっちも逆に恥ずかしい。
 僕の顔もきっと相当赤くなってるんだろうなと思いながら、離した手をポケットに突っこんで、目を逸らす。

「――別に、何でもないじゃないですの」
「……うん、何でもないね」
「はぁ……これから宮沢様に会いに行くというのに、あなたは何でそうやって邪魔するんですの?」
「いやいや、邪魔なんかしてないでしょ。今連れて行こうとしたんじゃん」
「そ、そうでしたわ。はぁー……ふうー……。よ、よし! 行きましょう!」

 そう言って真剣な表情を取り戻して、ずんずんと大股で歩いていく。
 そんな、まるでこれから決闘をしに行くような笹瀬川さんを見てたら、おかしくて笑ってしまった。
 ……まったく、だめだな。あんなに身を固くして、一体どうするつもりなんだ。
 また色々と大変なことになりそうだ、と心の中で苦笑しながら僕は彼女の後ろをついていく。
 でも――

「たのもー! ですわ!!」
「いや、道場破りじゃないんだから……」
「あー! さーちゃん! やっと来た〜!」
「遅いぞ、ざざこっ! もっとはよ来い!」
「え……え!?」

 二人に駆け寄られて慌てふためく笹瀬川さん。
 まさか、自分が来るということを皆が知らないとでも思っていたのだろうか。ふっ……ならば、それは甘い考えだと言わねばな
るまい。まるでデ○ーズのチョコレートパフェレベルだな。
 笹瀬川さんが来るというメールは、既に昨日の内に全員へ送信済みだ。主に僕がやったが。
 さらに、リトルバスターズのお客様歓迎体勢は校内でも指折りだ。どんなお客様でももれなく、リトルバスターズ特有のカオス
空間&エロス空間(by 来ヶ谷さん)へと誘ってくれるだろう。
 ふはは、いつも強気な女王猫が。喜びに身悶えるがいいわ……おっと、つい僕のダークサイドが。
 ……と、そんな風に、僕がニヤニヤしながらその光景を見守っていると。

「やあ、おはよう。笹瀬川」
「……あ! み、宮沢様っ!」
「うむ、ちゃんと来てくれたんだな。安心した」
「あ……」

 腕を組んで、一見平然とすましているが、なんか所々に色々イタズラされた跡がある……落書きやら何やら。
 その犯人が大いに予想できる僕は……その人物へと目を向けた後、大いに溜息をつくのだった。

「今日はまあ……う、うーむ。なんて言ったらいいんだろうな。どう思う、理樹?」
「いやいやいや、なんで僕に聞くのさ……」
「あ、ああ。こういうのは俺も初めてでな、どうすればいいのかわからんのだが……」
「いやまあ、普通に『楽しんで欲しい』でいいと思うよ?」

 ここにも心配な人がいた。
 やれやれ……笹瀬川さんだけかと思ったけど、どうやら僕はこの人のことも面倒見なきゃいけないみたいだ。 
 大変なカップルだなあ、と心の中で苦笑しながら、僕はその当たり前すぎる質問に答えてやるのだった。
 
「う、うむ。そうか。よし……笹瀬川、今日は楽しんでくれ!」
「は、はいっ! 宮沢様!」

 そうやって、ぎこちなく笑う二人。
 やっぱり今日は本当に大変な一日になりそうだ……色々な意味で。最初は楽にやれると思ったが、それは大きな間違いだったか
もしれない。
 でも――

「よし、全員揃ったな! ではこれから、学祭へ出発するぞ!」

 ――でも、こんな風になって良かった、って思う自分も……実は居るんだ。
 
「明日はライブの準備や練習でずっと朝から忙しい。つまり、俺たちが思いっきり遊べるのは今日しかない! これがどういうこ
とだかわかるか、小毬隊員!」

 ――なんか、安心したんだ。
 笹瀬川さんが、何も変わってなかったってことに。
 また彼女の隣に立って、恋の応援が出来るということに。

「はいっ! つまり、今日だけで思いっきり遊ぶしか無いということですね〜! 隊長!」
「ああ、その通りだ! 良くやった、100点だな!」
「やったぁ〜!」

 ――まだここに居てもいいんだって、そう思えたから。
 この……居心地の良い場所に、まだ居てもいいんだって。
 こんなこと考えちゃいけないとは思うんだけど。
 でも……。

「それに、今日はなんとお客様がいる! 女子ソフトボール部の4番エース! そして、鈴の永遠のライバルでもある……笹瀬川しゃしゃみさんだっ!」
「笹瀬川、さ・さ・み! ですわよ!! 兄妹揃って何なんですの!?」
「ささみさんだっ!」

 ――そんな、前と何も変わってない笹瀬川さんを見たとき、僕は……確かに安心したんだ。
 呆れるよりも、心配に思うよりもまず、ただひたすらに……ほっとしてしまった。
 本当にさっきは、顔のニヤケを隠すのが大変だった。バレてなかっただろうか。

「……ま、まあ、よろしくですわ。と言ってもほぼ全員、私のことなんか知っておられるでしょうけど」
「お友達だよ〜!」
「お友達です〜っ!」

 ――そして今日、また僕は、笹瀬川さんを応援することになった。
 冷静に、そして客観的に見れば、僕は実際相当おかしなことをしてるんだと思う。
 でも……僕もみんなと同じで。
 自分の気持ちなんかそう簡単にわかったり、割り切ったりできないから。
 だから僕は……そのまま前に進むだけだ。
 この道は間違っていたのか、正しかったのか、いつかそれに気づけるまで。

「よし! 全員準備は整ったな!」

 ――いや、やめよう。
 考えるのは、考えるべき時だけでいい。
 今はただ……全力で遊んで、全力で楽しもう。
 うん、僕も楽しまなきゃ!

「それじゃ出発――いや、ミッション・スタートだ!!」
『おーーーーー!!』

 恭介の宣言に手を掲げて応える僕ら。
 そうして……長い長い、学祭一日目がスタートしたのだった。

第19話 SSメニュー 第21話

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