「……」
「……や、やあ、笹瀬川。元気か?」
「……」
「あ、あのことだがな。あれは、本当は誤解で----」
「宮沢様」
「お、おうっ!?」

 ぴしっ! と気を付けのポーズを取る謙吾。
 顔中冷や汗だらだらだ……何となく頭の中で、浮気がバレて妻に叱られる夫をイメージした。
 そして謙吾の少し後ろで佇む葉留佳さん。
 じっと笹瀬川さんの方を見つめており、その顔からは何を考えているのか窺い知ることは出来なかった。

「その……返事を最後まで聞かず勝手に逃げ出してしまい、申し訳ありませんでした」
「あ……い、いや。俺も紛らわしいことを言ってしまい、すまなかった」

 そうして頭を下げ合う二人。
 って、紛らわしいこと……?
 何のことだ?

「あ、あの」
「う……うむ」
「宮沢様は……そ、その……三枝さんのことが、お好きなのですか?」
「……それについてなんだがな」

 少し目を逸らしながら言う笹瀬川さんに、謙吾は真剣な表情になって答える。

「ちゃんと話をしたい。聞いてくれるか?」

 同じく真剣な表情のまま、こくんと頷く笹瀬川さん。
 それを見た謙吾は、溜息をつき、腕を組んで。

「単刀直入に言えば、俺が三枝に言ったことは……『嘘』なんだ」
「え……」
「う、嘘っ!?」
 
 驚きのあまり声を上げてしまう。
 葉留佳さんの方を見ると、やはは、と困ったように頭をかいていた。
 ……って、そんな。
 今まで悩みに悩みまくっていたことが、全部……嘘だった、なんて。
 笹瀬川さんが落ち込んで、逃げ回って、涙を流したことが、全部……。

「いやー、驚いちゃいましたヨ。あれが全部嘘だった、なんて」
「……本当にすまん。我ながら、あの時は本当に馬鹿なことをしたと思っている。洒落にならない、大馬鹿だった」

 そうして深く、頭を下げる。
 笹瀬川さんを見ると……口を開けて固まっていた。
 それも当然だ。あまりにも唐突過ぎる、あっけない真実。素直に喜べなんて、そんなことが出来るはずが無い。
 僕は……謙吾を睨み付けた。

「……どういうことさ」
「すまん……理樹。お前は恐らくほとんど覚えてないだろうが、あれはお前に告白の仕方を見せようと言うことで、恭介が考えついた……その、『遊び』だったんだ」
「へ?」

 僕に、告白の仕方を?
 僕が謙吾達に告白の仕方を見せてもらった? 何故?
 僕は誰かに、告白しようと……思っていた!?
 ……って、ええええーーーっ!!? 

「ちょ、ちょっと待って!? それっていつ!?」
「随分と昔のことだ。まぁ、思い出せぬのも無理はない。三枝も相当記憶に混乱があったようだからな」
「え……って、ちょっと待ってよ。それはなんで……僕に?」
「……」

 謙吾は何故か、悲しそうな顔になって。
 だけど、どこか懐かしむような顔で。

「……お前に、好きな奴が居たからだよ」
「え……」
「お前は、そいつに告白しようと思っていた。だけど、告白の仕方がわからないと言ってきた。だから恭介と真人と俺は、リトルバスターズの女子達をターゲットにして告白の仕方を見せることにした」
「は……? って、ええええーーーーっ!?」

 何もかも驚きだった。
 僕に……好きな人が居た? し、しかも告白までっ!?
 それで恭介達は僕に告白の仕方を見せようと、リトルバスターズの女の子達に……って、うわぁ……なんて無茶苦茶なことするんだ!!
 まあ、恭介らしいけど……。

「そこで俺はクジで三枝に当たってな。なるべくロマンティックな告白を見せようとして……愛を語り合おうと言ったんだ。それをこいつが……」
「佐々美ちゃんと勘違いしてしまった、というわけですヨ……やはは」
「いやまあ……」

 一体どうやったらそんな結果に結びつくんだ……?
 いやまあ、だからもしかして、葉留佳さんは恋のキューピッド云々と言っていたのだろうか。
 だとしたら、なんて人騒がせな……。

「というわけで、俺と三枝の間には何も無い。だから安心してくれ」
「……そ、そーですヨ。この人騒がせな馬鹿には、ちゃんとさっき姉御直伝のローリングソバットを極めておきましたから、その……安心してくださいネ」
「いや、それは安心できないからね……」

 さり気なく危ない事を言っている葉留佳さんにツッコむ。というか、人騒がせなのはあんたも同じだ。
 ……でもまあ、良かった。
 謙吾のことはそう簡単には許せないけれど、これで若干の希望が見えてきた。
 もう葉留佳さんと喧嘩する理由も無くなっただろうし、安心だ。
 そう思って僕が笹瀬川さんの方を振り向くと。

「……」
「え……って、あ、あれ? 笹瀬川? どうしたんだ?」

 ……笹瀬川さんは、その顔に全く、喜びや安堵の色を浮かべてなかった。
 逆に顔を一層固くし、その目はどこか遠くを見ていた。
 予想した反応と違ったのか、謙吾は若干動揺した様子で彼女の目を見つめる。

「……事情はわかりましたわ」
「う、うむ! そうか、良かった! もう一度言う。本当に済まなかった!」

 そうして深く頭を下げる謙吾を目の前にしても、全くその表情を崩さない。
 笹瀬川さんの雰囲気は、この中では異質だった。
 彼女は今、一体何を思っているのだろうか。
 自分にもまだ希望があると知って……安心したんじゃないのか?
 それともまだ……謙吾の事を怒っているのか。

「……私も、もう一度聞きたいことがありますわ」
「うむ? いいぞ! 何でも聞いてくれ! 出来る限り答えて----」
「宮沢様は三枝さんのことが、お好きなのですか?」
「----って……は?」

 謙吾が固まる。安心して溜息をついていた三枝さんも固まる。
 そして僕も……固まった。
 ……なぜ今、その質問なんだ。それは、たった今答えたばかりじゃ……いや、まさか。
 まさか、この質問の意味は。

「ど、どういうことだ? 笹瀬川」
「あの件が嘘だったことはわかりました。ですが、それとは別にお聞きしてみたいのですわ。宮沢様が、三枝さんのことをお好きになられているのか、どうか……」
「……」
「答えられなければ、それでも良いですわ。三枝さんに全く同じ事を聞くだけですもの」
「え……」
「三枝さんは、宮沢様のことをどう思っているんですの? 好き……なんですの?」
「……」

 ……やっぱり、そうだ。
 笹瀬川さんが逃げ出す前に見た物は……あの爆弾発言を肯定する謙吾もそうだけど。
 それよりももっと重要なもの……それは、顔を真っ赤にして狼狽する葉留佳さん……だったんだ。
 それを今、笹瀬川さんは問いつめている。
 もしかしたら今日初めてなんじゃないかっていうぐらい、すごく落ち着いた様子で。
 さっきみたいな泣き虫猫じゃない。まさしく女王猫、といった威厳をもって。

「……俺は、わからん」
「ってちょ、謙吾! 今さらそんなのって……」
「無茶を言うな、理樹。俺は今まで恋愛なんぞに興味は無かった。なのに今すぐ答えろなんて、さすがに無理だ……」

 自分でも卑怯だと思うがな、と言って言葉を切る謙吾。
 その言葉に僕は、返すものを持たない。
 謙吾の今までの態度を見てきた僕は……そう簡単にその姿勢を否定することはできない。
 でも、ならば次は……。

「……」
「どうなんですの? 三枝さん」
「……きっと私は」
「?」
「わからない、じゃ済まないんでしょ?」
「ええ」

 当然だ、と言うように頷く。
 立って見下ろす葉留佳さん。ベンチに座って見上げる笹瀬川さん。
 その二人の目は、真剣そのものだった。
 僕や謙吾が、口出しできるものではない。
 黙って、見守るしかない。

「でも……ごめんね」
「……」
「私だって……わからないんですヨ」
「あなた……」

 申し訳なさそうに呟く葉留佳さん。
 それに対して、怒りで声を低くして、鋭く睨み付ける笹瀬川さん。
 ……でも僕は、葉留佳さんの気持ちもわかる。
 さっきの様子からして彼女は、きっと今まで謙吾を恋愛対象として認識していなかったように思える。謙吾をそういうものとして意識し始めたのも、恐らく先ほどの事件の時が初めてだったのだろう。謙吾と同様、今すぐ気持ちに整理をつけろ、なんていうのは本当に無理な話だった。
 でも笹瀬川さんは……きっとそれでも、葉留佳さんを許せないんだろう。
 嘘だったとは言え、一度はあの謙吾に告白をされた葉留佳さん。そしてさっきの彼女の狼狽している様子。
 それはきっと、笹瀬川さんの、今までずっと憧れていた姿だったはずだ。
 なのに未だに自分の気持ちをはっきりとさせない彼女に、笹瀬川さんはあからさまな怒りを抱いている。……それもまた、当然のことだった。

「でも……でもね、これだけは言えるよ」
「……」
「謙吾君のことは、嫌いじゃない……ですヨ」
「そう。そう……でしょうね」

 睨むのを止め、顔を俯ける笹瀬川さん。
 隣に居た謙吾は、少し驚いた様子で葉留佳さんを見つめていた。
 そして----。

「宮沢様は……三枝さんのことはお嫌いですか?」
「……そんなわけないだろう。仲間として、親友として……後なんだかよくわからないが、大切に思っている」
「なんだかよくわからない……ですか」
「あ、ああ。まあ、仲間だとか親友だとか、そういう言葉で済ますのはさすがに……な。俺もこれ以上、最低な男になりたくないものでな」
「……そうですの」
「ああ」

 隣に座ってる僕にはわかった。
 笹瀬川さんは……確かに、笑った。
 でもそれは、決して諦めの笑顔ではなくて、むしろ----。

「宮沢様、最後の質問……いえ、お願いですわ」
「うむ……なんだ?」
「……私と一緒に、明日の学祭を回って下さい」

 ----何かを決意した笑顔だった。
 その目には力強い輝きが宿り、見る者を全て魅了させるような、そんなカリスマとも呼べる雰囲気を纏っていた。
 もう落ち込んでいる哀れな女王猫じゃない。威厳を持って相手を見下す女王猫でもない。
 ただそこには、女王に相応しい絶対的な存在感だけを現している、本来の女王猫の姿があった。
 そして、それに相対する謙吾は。

「……俺は、お前も嫌いではない」
「はい……」
「だが、リトルバスターズと一緒に回れない、というのは……」
「大丈夫ですわ」
「え?」
「……私も、リトルバスターズと一緒に回ります」

 そうして笑顔を携えたまま……僕ら3人を見渡して、言い切った。
 ……誰が妥協したと、言えるだろうか。
 これは妥協じゃない。この笑顔は、妥協じゃない。
 別に二人っきりじゃなくたって、何も問題は無いといった表情。
 邪魔者が居たってそんなものは全員軽くぶっ飛ばして、私が勝手に宮沢様と二人っきりになって差し上げますわ、といった表情。
 その笑顔を見て僕は、やれやれと安堵の溜息をつくのだった。

「……うむ、そうか。それなら全然構わない。理樹も三枝も、いいだろう?」
「うん、僕は最初からまったく問題無いよ。葉留佳さんは?」
「……」
「葉留佳さん?」
「……ふふ、燃えてきましたヨ……」
「え?」

 フフフフ……と、俯いたまま静かな笑い声を上げる葉留佳さん。
 は、はっきり言ってちょっと怖い……たじろいで思わず距離を取ってしまう。
 そしてそのまま顔を上げ、ベンチに座っている笹瀬川さんを見下ろして。

「……その顔、明らかにはるちんに勝負を挑んでますネ」
「あら、勝負だなんて。あなたと果たして勝負になればいいですけど」
「ふっ、いいのかい? ……乗ったぜ。はるちん、乗っちまったぜ?」

 僕に心を何かに具象化して見る力があったら、きっと二人の間にはバチバチと激しく流れる電流が見えているだろう。
 そして、その間に挟まれている当の本人は。

「……理樹。お前もきっと、以前はこんな気持ちだったんだろうな……」
「へ……?」

 苦い顔で、よくわからないことを言ってきた。

「いや……いい。これは意外に、相当厳しい立ち位置だなと思っただけだ」
「うん、まあ……こっちとしては、変な憎み合いとかが起きなくて良かったな、って安心したけど」
「それは同感だが……少しは俺の気持ちも察してくれ、理樹」

 そう言って苦笑する謙吾。
 その後未だに睨み合っている彼女達を見て……二人で頷き合う。
 腕時計を見ると、もう9時半だった。4時半に行動を開始してから……もう5時間あまり。
 こんな時間となっては、もう風紀委員に見つかるとか見つからないとか、そんなのはもう関係ない。
 明日は待ちに待った学祭だ。恭介からは、思いっきり……そして全力で遊ぶぞと言われている。きっと全ての店を回る勢いになるんだろう。あの人なら、もしかしたら本気で達成してしまうかもしれない。
 
 そこでふと、先に寮に戻っているはずの恭介達のことを思い出した。
 もしかして、僕らのことを心配してるのではと恐る恐る携帯を開く……ああ、やっぱり。
 着信履歴には、小毬さん、鈴、恭介、真人、真人、葉留佳さん、恭介、葉留佳さん、真人、真人……そしてその後はずーっと葉留佳さんの名前があった。
 それを見せると、謙吾は思いっきりやってしまったという顔をして。
 試しに真人に電話をかけてみた所、本気で心配して筋肉がうんぬんかんぬん、とわけのわからないことを通話越しに叫ばれたので、真人の筋肉のためにも急いで寮へ戻ることにした。
 もちろんあそこで睨み合っている二人も連れて----。

 ----真っ暗な部屋で、布団に入りながら考える。
 今日のこと。明日のこと。明後日のこと。
 謙吾のこと。葉留佳さんのこと。みんなのこと。
 そして……笹瀬川さんのこと。 
 さっきはああ言ったが、もしかしたら今頃、布団の中で一人で泣いていたりしないだろうか。
 ただ僕のことを心配させないために、強がりを見せていただけではなかっただろうか。
 あるいはまた自分でも気づかないうちに……。……いや、やめよう。
 僕に出来るのは……また明日、謙吾との恋を応援することだけだ。うん。ただ、それだけなんだ。
 寝よう----。

 今日は、色んなことがあった。
 とてもたった一日に起きたことだとは思えない。
 何か見えない働きかけでもあったんじゃないかと、目を閉じながら、疲れでぼーっとした頭を使って考える。
 明日はこれ以上になるのかな、なんてどこか期待と心配が入り混じったような気持ちを胸に抱きながら。
 すーっと、僕の頭は深い眠りへに落ちていった。

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