放課後の教室。
 夕日が差し込み、窓際に居る生徒の顔が赤く染まる。そんな頃合い。
 だが今、僕の目の前に立っている人物の顔が赤いのは決してそのせいだけじゃないだろう。

「あ、あの……」
「何かな?」

 胸の前で手を強く握りしめ、目をそわそわさせている。そして顔が赤い。
 敢えてどうとは言わないが、その様子とこの状況を見れば大体の人間が同じ見解に達することだろう。

「私、あなたに伝えたいことが----」
「嫌だね」
「……え?」

 まさか言う前からこんな反応が返ってくるとは思ってもいなかったのか、まだ頭の理解が追いついてないといった様子で、呆然とこちらを見つめている。
 君の事はよくわかっている。もちろん、ここに何しに来たのかも。

「な、なぜ……」
「何度も言っただろう? 僕は今忙しいんだよ。君の相手をしている暇なんてないんだ」
「そんな……」

 顔を絶望に染め、俯く女生徒。
 自分でも冷酷な言葉だと思うが、これは正直な気持ちだ。
 だがそれでもまだ諦めきれないのか、下を向いたまま、振り絞るように言葉を続けてくる。

「でも……っ! 私にはあなたしかっ!」
「それは、君の勝手な都合だろう? 僕を巻き込まないで欲しいな」
「あ……」
「もう一度言う。僕にはやることがある。君に付き合っている暇なんてない」
「……………」

 ついに何も言えなくなった彼女。
 ……ふん、これでお終いか。
 だけどまあ、考えてみれば、ここでこんな簡単に終わらせてしまうのも少しつまらないな。
 せっかくこうやって勇気を出して来て下さったんだ。その勇気をいきなり無駄にしてしまうのも、些か失礼かもしれない。
 ならば、彼女にもう少しだけ希望を持たせてやろう。
 ならば、彼女にあと一度だけ手を差し出してやろう。
 もちろん、真っ当な手なんかじゃないんだけどね。残念ながら……。

「……そうだな。でもまあ、君が僕の言うことを聞いてくれるなら、考えてあげてもいいよ」
「え……っ!」

 その言葉を聞いた途端、ハッと顔を上げてくる。その顔には驚きと、そして若干の希望の色が見える。
 ……期待していた通りの反応だ。ふふ、本当に扱いやすいな。
 ようし、楽しくなってきたぞ……。

「いいかい。君は、僕がこれから言うことに必ず『はい』と答えて頷くんだ」
「は、はい」
「よし……まずはジュースを奢ってもらう」
「はい……」
「後はお昼の弁当も欲しいかな。お金使いたくないし」
「はい……」
「雑誌買ってくるのも頼むよ」
「はい……」
「宿題もやっといてくれるかな」
「はい……」
「僕の代わりに、真人の筋トレに付き合うんだ」
「はい……」
「ツッコミもお願いするよ。あれ実は結構疲れるんだ。僕の代わりにやっといてよ」
「はい……」
「あと学祭中は語尾に『にゃ』をつけて」
「はい……」
「それだけじゃない。ネコ耳と尻尾もつけるんだ。そしてメイド服に着替えて『おかえりなさいませご主人様、ですにゃっ!』っ
て可愛く言ってもらう。僕を呼ぶ時は、必ず3回まわってニャーと言うんだ。もちろん命令を聞く時も同じだよ。これからは三食全てもんぺちで、飲み物はヤクルトだ。そして----」
「はい……。……。……? って!! ふっざけんな!! ですわーっ!!!」
「ぶほっっ!!?!?」


 立場逆転、という言葉がよく当てはまる光景だと思った。

「まったく……こちらが下手に出ているからって、調子に乗って変なお願いしないでくれませんこと!? といいますか、後半のは何なんですの!!?」

 さっきと一転して、尊大な態度で僕を見下ろす笹瀬川さん。目はいつも以上に鋭く釣り上がっており、相当怒っているということがわかる。
 だがそれでも決して優雅な物腰を崩さないその姿は、さながら女王猫と言った印象を周囲に与え続けている。
 今すぐ土下座して最高級のもんぺちでも献上しないと即座に噛み殺されそうな勢いだ。
 もっとも、そんなことやったら本気で殺されかねないが。

「けほっ……い、いやっ! この前王様ゲームやったから僕ちょっと調子良くってさ、思いつくままにぽんぽん挙げてみたんだけど」
「私で遊ばないでくれませんこと!? あなたの遊びに付き合っている暇などありませんのよ!?」
「ご、ごめんっ! ……っていうか、やり始めたの笹瀬川さんじゃないか!」
「……くっ! わ、私としたことが、こんな男にほいほい惑わされるなんて……」

 聞いてない。
 こちらを睨むのもやめ、窓に頭からよりかかって自己嫌悪モードに入ってしまっている。
 うーん……っていうか。

「笹瀬川さんってさ、結構ノリいいよね……」
「正攻法に飽きただけですわ……」
「ってやっぱり笹瀬川さんも----」
「おーい直枝! 遊んでんじゃねーよ。とっとと作業進めろー!」
「あ! ご、ごめんっ!」

 クラスメートの怒声で我に帰り、慌てて手元の作業を再開する。
 ……今日は学祭準備の日だ。
 今僕は、教室でお化け屋敷の準備を手伝っている。
 本来、学祭発表会に出る予定があったり部活動に入ってる人は、別にクラスの出し物を手伝わなくてもいい。自分たちも別の準
備があるからだ。
 でも、こうしてクラスの活動に参加してないとそれなりに立場も悪くなるし、何より僕自身手伝いたいと思ってここに居る。
 バンドの最終調整はさっき済ませてきた。今は真人達が部室を使っているはずだ。後は自由に個人練習したり、こうやってクラ
スの出し物の準備を手伝ったりして良い。
 ここまでは何も問題無い。何も問題無いはずなんだけど……。

「お化け屋敷……ありきたりですこと」
「そのセリフ何回目?」
「……多分、5〜6回目ですわ」
「だよね」

 この人がさっきから僕の周りをうろついてるせいで全然集中出来ず、クラスメートに散々怒られる始末だ。
 最初にこの教室に来たときは何事かと思ったんだけど、いざ用件を聞いた時はその下らなさに思いっきり呆れた。

「あの、直枝さん」
「ごめん」
「ま、まだ何も言ってないじゃありませんの!」
「いくら僕だって、同じやり取りを10回以上やれば先が読めるよっ!」
「くっ……ならば話は早いですわ。で、受けて下さいますの?」
「だから今忙しいって何度も言ってるでしょ! それくらい自分でやってよっ!」
「だから無理だって何度も言ってるでしょう! それくらいわかりなさいっ!」
「何だよもう! この分からず屋!!」
「何よっ! 分からず屋はあなたですわ!! このお馬鹿!!」
「馬鹿って言った方が馬鹿だよ! この馬鹿さすすがわっ!」
「きぃーーーー!! さりげなく噛むんじゃないっ! ですわっ!!」

 ぜぇ……はぁ……ぜぇ……くっ! 
 な、なんてしつこいんだっ!
 さっきからこのやり取りを何度も繰り返してくる……。もう多分これで12回目くらいだ。
 何度教室から追っ払っても、色んな登場の仕方で結局僕の所までやってくる。鈴の口調を真似して連れていこうとしたり、さっ
きみたいに変なシチュエーションを装ったり。
 正直もう疲れた。
 アホらしくってこれ以上口論を続ける気にもなれないよ……。

「ああもう! あなたは黙って、そ、その……み、宮沢様の……ところまで、案内、してくれれば……それでいいだけですわ!」
「はぁ……」

 こうやって顔を赤くしてモジモジしてくるのも12回目。謙吾のことが好きなのは知ってたけど、よく飽きないなぁ……。
 一体、この人の頭の中ではどんな謙吾が走り回っているんだろう。うーん多分、目の中にお星様がたくさんついてる謙吾だ。き
っとそうに違いない。

「ちょっと! その溜息は何ですのっ!?」
「……謙吾を探すぐらい一人でやってよ。好きな人なんだから、行動ぐらいチェックしてないの?」
「なっ! し、してませんわよそんなこと! 汚らわしい!!」

 汚らわしいって……。
 本当なら、意外に純情な笹瀬川さんにここで拍手を送りたいところなんだけど。
 正直この迷惑極まりない状況で、そんなことをしてあげられる余裕は僕には無い。

「その……もう一度聞くけど、何で僕も一緒に行かなきゃいけないの?」
「あなた! 私一人で宮沢様と相対しろと言いますのっ!?」
「無理なの?」
「無理に決まってるでしょう!!」
「いや、そんな威張られても……」

 わけがわからない。こういう所で無駄に威張ってくるのは鈴にそっくりだな……。
 というか、こんな調子でその先どうするつもりなんだろう。この人の将来が純粋に心配だ……。
 
「というより、今日はあなたの他に誰もいませんのね。珍しい」
「ん? ああ……まぁ、みんな忙しいからね。真人達は今ちょうど部室で練習中だし、鈴達は明後日の準備で駆けずり回ってるは
ずだよ」
「ライブ、でしたっけ。宮沢様も出演なさるらしいですけれど」
「うん、謙吾はベースだよ」
「ベ、ベース……? な、なんだかよくわかりませんけど、きっと演奏するお姿も大層お美しいはずですわ! ああ、宮沢様……

 再度トリップする笹瀬川さん。謙吾の話題が出る度にこうして向こうの世界に行ってしまわれる。
 よほど好きなんだってことがわかるけど、今は感心なんかしてられない。
 一人で勝手に妄想を膨らましてる隙にこっちで作業を進めなければ……せいぜい今度は長く妄想を続けてくれることを祈る。
 他人の妄想を願う、なんていう明らかにおかしな考えを抱きつつ、僕は手元にある仮面に模様を塗りたくっていった。


「はっ……そうですわ。そのためにはまず、宮沢様との約束を……。あなたっ! とっとと連れてきなさい!」
「はぁ、どんな妄想してたのか知らないけど……今回は早かったね」

 予想よりだいぶ早く戻ってきた笹瀬川さんを見て、溜息をつく。
 最初は10分くらい顔を赤くしながら一人で変な挙動をしてくれてたんだけど……今回は2,3分で戻ってきた。おかげで作業
はほとんど進んでない。
 それにまた理不尽な要求してくるし……いいや、適当に流そう。

「も、妄想ですって!? そそ、そんな破廉恥なことするわけないでしょう! 馬鹿にしてるんですの!?」
「何か、そのためには……って聞こえたんだけど」
「たっ、ただの幻聴ですわよ!! というより、私の言葉を無視しないでくださいます!?」

 ダメか。
 もう、仕方ないなぁ……。
 うーん……でも、真っ向から断ってもどうせまた同じ事の繰り返しだし、今回はちょっとやり方を変えてみるか。

「僕としてはね」
「?」
「君の恋をどうにか叶えてあげたいと思う。本当に謙吾のこと好きなんでしょ?」
「え、ええ……まあ」

 いちいち赤くなる笹瀬川さん。見てるこっちが恥ずかしい。

「……とにかく、僕は謙吾の親友としてそういうのは嬉しく思う。君と謙吾もお似合いだと思うしね」
「直枝さん……」

 驚きに目を見開いて、こっちを見つめてくる。
 取りあえずお似合い云々は今思いついたことだけど……別に嘘じゃない。
 謙吾は恭介と同様、女子達にすごい人気があるけれど、ここまで真剣に慕ってくれる人なんてそうはいない。
 熱烈なファンはちゃんといる。けれど、笹瀬川さんは彼女たちとはどこか違うように思えた。
 もちろん外見とか、クールな印象に惚れているのは同じなんだろうけど……でも、笹瀬川さんは決して遊びでそんなことしてい
るわけじゃないと思う。
 単なるアイドルとして謙吾を見ているわけじゃない。それには僕も、何となく気づいていた。

「だから本当は君のことを手伝いたい。謙吾の友人として、そして……君の友人として」
「そ、そうなんですの……」
「うん。でもね、その前にはどうしても避けられない障害があるんだ」
「え?」
「僕は君の味方であると同時に、クラスの味方でもある」
「……………」
「僕は本当に心苦しく思うよ。友を思う気持ちはちゃんとここにあるのに、結局僕は何も出来ない。辛くて胸が張り裂けそうだ。
……僕はさ、きっと弱い人間なんだろうね。友という存在のために、多数という障害も乗り越えられない弱い人間だ。なじってくれていい。憎んでくれてもいいよ。だから……」
「……だから、何ですの?」
「一人で行って」
「とうっ!」
「ぶっ!」

 おでこにチョップを食らう。痛い。
 うぅ……ニヒルな男を演じれば気圧されて諦めてくれると思ったけど。どうやらこの人はそんなに単純でもないみたいだ。真人
や鈴だったら大体これでいけるんだけどなぁ……。
 僕が今日何度目かわからない溜息をつくと、途端、後ろの方で勢いよく扉が開かれる音がした。


「おーっす! 小毬ちゃんかワンコか理樹君か謙吾君か、とにかく誰でもいいけどいるー!? っておー、いたぁーー! ……って、あれ? 佐々美ちゃん?」
「あなたは……」
「あれ、葉留佳さん。どうしたの?」

 特徴的なツインテールをぶらさげて、いつも通り騒がしく登場するうちのギター&ボーカル。
 クラスメートが床で作業をしている所をジャンプで飛び越え、こっちに向かってくる。相当迷惑な行為だ。普通に避けながら歩
いて来いと言いたい。
 実際顔をしかめている人もいるが、彼女はそんなこと気にも留めずこちらに歩いてくる。

「いやー、いい加減クラスの準備飽きちゃいまして……抜け出してきたんですヨ。お姉ちゃん後は任せた! って感じに」
「後で何されても知らないよ……」
「やはは、大丈夫大丈夫!! ちゃんと手伝う分は手伝ったし!! で、佐々美ちゃんは? 謙吾君に会いに来たの? んー、なんか今は居ないっぽいけど」
「ええと……わ、私は……」
「謙吾に一人で会いに行くのが恥ずかしいから、一緒に来てってさ」
「うえっ!? こ、こら!!」
「えー、じゃあ私一緒に行ってあげますヨ! おーっし! ついに私の恋のキューピッドとしての実力を示す時が来たかー!!」

 腕を組んでうんうんと頷く。
 ……しめた。
 なんか色々ツッコみどころがあるけど、どうやら僕の役目は葉留佳さんが引き受けてくれるようだ。
 ようやくこの無限ループから解放されるのか、よかった……。

「え!? い、いいですわよっ!」
「遠慮すんなってー。水くさいぞー? ついでに言うと猫くさいぞー?」
「ね、猫……? わけがわかりませんわ! とにかく、あなたからは何か不安な感じがしますのよっ!」

 まぁ……それはわかる。
 葉留佳さんが絡んだ途端、何故だか知らないけど大抵の事件はめちゃくちゃになる。
 笹瀬川さんは葉留佳さんとあまりこれと言ったつき合いは無いはずだけど、動物の勘みたいなので危険を察知しているんだろう
。きっと。

「えー! ひっどいなぁ! 理樹君はいいのに私はダメなのー? はるちん、謙吾君の恋のキューピッドもやったこともあるのにー」
「へ……い、今なんて……?」
「ん? だから、恋のキューピッドだよ? 謙吾君の」
「な、何ですって!? ちょっとその話詳しく聞かせなさいっ!!」
「ひゃわーーっ!?」

 葉留佳さんの肩をつかんでガクガクと揺さぶる。す、すごい形相だ……。
 っていうかこの人は、笹瀬川さんの前で何てことを言い出すんだ!
 わざとなのか、ただの天然なのか……まぁたぶん後者なんだろうけど。
 
「い、いやっ、この前っ、前、いい、いつっ、いつ、だったか、忘れたっ、けどっ」
「早く言いなさい! 誰!? 誰なんですの!? その相手は!!」
「言うっ! 言うから、がくっ、がくがくは、やめて、やめてぇーー!!」
「え? あ……」

 その言葉を聞いて初めて自分のやっていることに気づいたのか、すぐに手を離す。
 やっと解放され、ふらふらっとバランスを崩す葉留佳さん。その勢いで僕によりかかってきて、“楽ちん楽ちん”と言い出した
ので頭に軽くチョップを入れておいた。脈絡が無いのにもほどがある。

「いったぁー!! もー! 二人してはるちんを虐めるんですカ!? もう脳みそぶったたかれて頭がパーンだよ!? パーーーーーン!! ああなんてこと!? 理樹君のせいだからね!」
「どうでもいいけど、自分で言ってるからね……」
「えっ? 知らないの!? 頭がパーンって!! 超有名なのにー!」

 全く話が噛み合ってない。
 確かにそのワードはなんか聞いたことあるけど、敢えてツッコみたくはない。
 それに、いちいち反応してたら余計脱線する。もうほとんど脱線してるけど。

「あ、そうだ。頭がパーンってなんかお化け屋敷っぽくない? こうパーーーンで脳みそぶしゃぁーーーーっ! ってさ! おおっ、なんて良いアイディアなんだ! 流石だよはるちん君!」
「絶対やらないからね……」
「ちぇー、ちぇー!」

 もうそんなのはお化け屋敷ではない。
 大体はるちん君ってなんだ。わけがわからない。

「もう!! ほんっっっっとにどうでもいいですわ!! さっさと相手を吐きなさい!!」
「えー、面白いのに」
「さ・い・ぐ・さ、さん……?」
「は、はいっ! えーっとですね、ボス」
「誰がボスですかっ!」

 早速子分になっている……下っ端根性全開だった。
 そのまま笹瀬川さんの取り巻きにでもなればいいんじゃないか。一番最初にやられる役で。
 いやまぁ、それにしても……誰なんだ?
 謙吾が葉留佳さんに恋のキューピッドを頼んだというなら、謙吾には好きな人が居るということになる。でも僕はそんな話聞い
たことがない。
 葉留佳さんと知り合ってから、謙吾が僕ら以外の誰かと親しくしていたか?
 いや、まさか……そんなはずはない、と思うんだけど……。

「ボスですヨ」
「もうそのことはいいですわよ! で、結局誰なんですの!?」
「だから、ボス」
「は!? だからあなたは、早くターゲットを言えばいいんですのよ!」

 ターゲットって……あんた何する気だ。

「だーかーらー! ボスなんだって!! 謙吾君のお相手は、佐々美ちゃん!! わかった!?」
「佐々美って女ですわね!! 見てなさい! 今すぐ行って……って、へ? ……ささみ?」
「うん。いつだったか忘れちゃったけど、謙吾君、佐々美ちゃんと愛をどうこうって言ってましたヨ? だからはるちんがわざわ
ざ手伝って……って、あれ? ボス?」
「……は、え……」

 変なポーズなまま固まっている笹瀬川さん。
 ……いやまぁ、ちょっと待って。
 謙吾が、笹瀬川さんを? そんな馬鹿な! 一度もそんな素振り見せたことがない。逆に、しつこくてずっと困っていたはずだ

 いやでも、笹瀬川さんと愛をどうこうって……。
 うわぁ、本当にあの謙吾がそんなこと言ったのか!? 
 情報元が葉留佳さんなだけにすごい怪しいけど……き、気になるっ!!

「あれ? 佐々美ちゃん知らなかったっけ? 確かその時一緒に居ましたよネ」
「……え、あ……」
「笹瀬川さん?」
「……い、いえ。すみません。あの、もう一度……言って頂けませんかしら?」
「んー? だから、謙吾君が佐々美ちゃんと……えーっと、そうだ。愛を語り合いたいって言ってましたヨ!」
「はえっ!?」
「な、何だって!」

 キャー、と頬に手を添える葉留佳さん。対して笹瀬川さんは顔を真っ赤にしたまま固まってしまっている。
 あ、愛を語り合いたい……だなんて、何て恥ずかしいことを。
 で、でも、あの馬鹿謙吾なら本気で言いそうだな。
 とすると、謙吾は本当に笹瀬川さんのことを好きだってことに……。
 うわわわわ……やばい、知りたくなってきた! 作業なんかしてられないよ!!

「やはは、だから大丈夫ですヨ! 私も一緒に行ってあげるから、ほら佐々美ちゃん! 行きますヨ!」
「……ゆ、夢ですわ」
「え?」
「これは……そう! 夢なんですわね! あ、あなた、ちょっと私のほっぺを引っ張って頂けます?」

 そう言って僕の方を向いて自分の頬を指差してくる。
 また先が読めるボケを……。にわかに信じられないのはわかるけど……もう、しょーがないな。
 僕が呆れながら近づくと、次の瞬間横から葉留佳さんがすごいスピードで割り込んできた。

「はいはーい! ちょえーーーいっ!!」
「え……? いにゃぁぁーーーーーーっ!? いにゃっ! いにゃにゃいにゃいいにゃいいにゃいいにゃいにゃい!! ちょ、ち
ょっと!! やめて!! やめにゃさい!!! やめにょおーーーーーっ!!!!」
「あいヨ! ……ってふぎゃんっ!!??!」

 思いっきり拳骨を食らい、頭を押さえてうずくまる葉留佳さん。心なしか、ぷしゅ〜〜、という擬音が聞こえてきそうだ。
 いやまぁ……やると思ったけど。
 
「……はぁ……はぁ……くうっ! ちょっとって言ったでしょう! なんで思いっきり引っ張るんですの!!? っていうかなん
であなたなんですの!? なんで両方引っ張るんですの!? なんでなんで! なんで……あう……」

 半泣きのまま一頻り文句を言った後、赤くなって俯いてしまう。
 うんまぁ……ここが現実なのは確かだ。
 だが意外だったのは、笹瀬川さんが喜ぶような素振りを全く見せてないことだ。
 まだ実感がないのだろうか。想い人とまさか相思相愛だったというのだから、もっと舞い上がっても良いはずなのに。
 まぁ葉留佳さん情報だし、信憑性が薄いのは確かだが。

「あいたたた……。へ、へん! さっきのお返しですヨ!」
「……………」
「って、ありゃー。本気で悩んじゃってますネ」
「あ、当たり前でしょうっ! まさか、宮沢様が私のことを……」
「うーん。でも葉留佳さん情報だからなあ」
「あー! 理樹君ひっどーい!! 信じてないなー! じゃあそんな理樹君にはコレをあげましょう!」
「……え?」

 わけがわからないまま手に何かを渡された。これは……髪飾り?
 葉留佳さんがよく付けてる、ビー玉にゴムがついたようなやつだ。今もまさに髪を縛るのに使っている。
 って、何故? 

「あ、それお姉ちゃんのだから。さっき逃げてくる時にちょろっと取ってきたのですヨ。後で理樹君から返しておいてくださいネ
「ってちょっとぉーーーっ!?」

 さり気なく恐ろしいものを渡された!!
 ってことは、今彼女はこれを求めて探し回っているということか……。
 やばい、なんか色々な意味で身の危険を感じる……って、いや! 違う!!

「ってそんなことどうでもいいから! これからの事考えなきゃ!」
「ちぇー。もーしょうがないっすネ」
「宮沢様……そんな、ああ……」

 笹瀬川さんが見るからに狼狽している。
 ……事態は当初とだいぶ変わってきた。
 笹瀬川さんが謙吾に会いに行きたいと言ってきた時は、一人で勝手に行けばいいと思ってたけど。
 こうなったなら一緒に行かねばなるまい。ここで一人で行かせるのはさすがに酷だ。そして、葉留佳さんと二人で行かせるのは
もっと酷だ。
 と、取りあえず……さっきの髪飾りはポケットにしまっておこう。



「というか、佐々美ちゃんはどうして謙吾君のこと探してるんですカ?」
「あー、それは……」

 僕の口から言っていいものか……と口ごもる。
 僕に言う時も相当恥ずかしそうな様子で、やっとの思いでそれを口に出せたという感じだった。
 まぁその内容を聞いたら、何となく頷けるものだったけど。

「もしかしてー、学祭で二人っきりでデート、とかですカ?」
「なっ!?」
「まぁ……そうなんだけど」
「ちょ! こら!!」

 思いっきり図星の反応をしてたのでつい言ってしまった。
 まぁ、これから葉留佳さんにも手伝ってもらうんだし、彼女にも目的は知っておいてもらった方がいい。
 謙吾の恋の相談も受けたみたいだし、もしかしたら良いアドバイスをくれるかもしれない。まぁその事実すら怪しいんだけど…
…。

「へっへーん、やっぱりそうだったかー! うんうん、若いっすなぁー!」
「うう……」

 腕を組んでニヤついている。あんたはオヤジか。

「で、でも……どうすればいいのかわかりませんわ。こんな状態で顔を合わせられるかどうか……」
「うーん」
「考えてきたセリフも全部吹き飛んでしまいましたし……ああ、でも宮沢様は……」
「だいじょーぶだって!! 向こうも好きなんだから! 会って話せばきっと上手くいきますヨ!」
「ま、まだそうとは決まってないでしょう! それに、そう上手くいくとは限りませんわ!」

 まるで自分に言い聞かせるように口にする笹瀬川さん。
 ……少し、意外だったな。彼女がちゃんと冷静に状況を見られているなんて。
 いつも鈴と勘違いのまま喧嘩しているような人だから、謙吾が自分の事を気になってると知ればすぐ有頂天になってしまうかと
思ったが、案外そうでもないようだった。
 うん……そうか。なら、できるだけ手伝ってあげたい。

「……取りあえず、行動しよう」
「へ? い、今からですの?」
「うん。今はもう夕方、そして学祭は明日だ。それに笹瀬川さんにはさっきも言ったけど、謙吾は明日、僕たちリトルバスターズ
と学祭を見て回ることになってる。今ここで時間を無駄に引き延ばしたら、受けてくれなくなるかもしれない」
「いいんですの……? 直枝さん」

 少し戸惑うように聞いてくる。
 きっとまだ自分の気持ちに整理がついてないこともあるのだろうが……彼女が今聞いてるのは、クラスの準備のことだろう。
 正直、一度手伝うと言った以上今さら断るなんてことはしたくない。それに、僕はリトルバスターズの代表としてここに居るよ
うなものだ。今ここを離れると、ライブの盛り上がりに影響が出るかもしれない。
 でも、こんな状況になってしまったら、さすがに事情も変わってくるというものだ。

「いいよ。クラスのみんなには、明日のお化け屋敷をたくさん手伝うって事で納得してもらう。他のみんなもきっとそういう扱いになるだろうしね」
「直枝さん……」
「まだ少し戸惑いがあるかもしれないけど、大丈夫だよ。僕らがちゃんと隣についてるから。ね? だから、頑張ろう?」
「え、ええ……ありがとう、ございます……」
「よっ! リーダーかっこいいぞー! あ、でもやっぱり理樹君も二人の恋が気になるんですよネ?」
「……………」

 ……一番黙っておいて欲しいことをサラッと口に出された。
 リトルバスターズの空気の読めなさについてはもう十分議論したことなので今さら言いたくないが……敢えて言おう。
 そこ! 可愛く首を傾げればいいってもんじゃない! 少しは空気読め!
 ああ、せっかく良い男風になってたと思ったのに……。

「……………」

 一転して、笹瀬川さんにじと目で睨まれる。
 くっ……そうさ! 僕は、他人の恋の行く末が気になって気になってしょうがないおばさん男さ! 
 蹴りでもビンタでも罵り言葉でも何でも来いっ! 男らしく全部受けて立ってやる!

「……ふ

 ----って、あれ? 笑ってる?
 
「……まったく、しょうがないですわね。さっきはあれだけ忙しい忙しいと言っていらしたのに」
「い、いや。それは」
「わかっていますわよ。どちらも本当なのでしょう? 私の傍に居てくれると言ったのも、私と宮沢様のことが気になるのも」
「え……あ、う、うん」
「ならばそれでいいですわ。私はあなたのその気持ちに感謝して、利用するだけですもの」
「り、利用って……」

 何だか本当に感謝されてるのかわからなくなるな……。
 僕がそう呟きを洩らすと、彼女はまた笑って。

「あら、何もおかしいことなんてないですわよ。あなたの前者の気持ちには純粋に感謝を、あなたの後者の気持ちには、それなりのお返しを。ただそれだけですわ」

 そういうことか……。
 僕は二人の行く末を追いかける。そして、彼女はそんな僕を利用して頑張る。
 フィフティ・フィフティの関係。なんて、わかりやすい。

「……ありがとうございます二人とも。私、あなた方が傍に居てくれるなら、頑張れそうですわ」

 そうやってまた、屈託の無い笑顔を見せてくる。
 ----少し……見とれてしまった。
 やっぱり彼女は女王猫だ。
 優雅で、高尚で、そして時には尊大で、あたふたしてて落ち着かない所もあるけれど、たまにこうやって子供っぽい笑顔を見せ
てくれる。
 だから僕らみたいな平民、いや平猫は、こんな風に付き従ってしまうんだ。
 助けてあげたいって思ってしまうんだ。
 
「それでは行きましょう。ほら、とっとと宮沢様の行きそうな所まで案内してもらいますわよ」
「う、うん。わかった。じゃ、まずは軽音楽部室だね」
「軽音楽部の部室ですわね。わかりましたわ」
「あ、ちょっと待って。クラスの委員長に話をつけてくる。先行ってて。すぐ追いつくから」

 さっさと来るんですのよ、と言って廊下に出て行く笹瀬川さん。
 委員長はだいぶ騒がしくしていた僕らを見ていたのか、快く承諾してくれた。頑張れよ、とも言ってくれた。
 僕が一頻り感謝の言葉を述べて外に出て行こうとした時、後ろから肩を叩かれた。



「やーやー。カッコよかったっすヨ、理樹君」
「葉留佳さん。まぁ、葉留佳さんのおかげだよ。……うーん、いやでも、これはおかげと言うべきなのか、葉留佳さんのせいと言
うべきなのか。どうなんだろうなあ、微妙だなぁ……」
「あー、ひっどいなぁー! 理樹君ってばさー、最近私に冷たいんですヨ〜ヨヨヨ〜……」
「誰に言ってるの……」

 つい心の声が出てしまっていた。
 というか、最近の葉留佳さんのキャラがそうなってるだけだと思うんだけどなあ。
 僕は溜息をつきながら、葉留佳さんと並んで、少し早いペースで廊下を歩いていく。

「いやーでも、佐々美ちゃんと謙吾君どうなるんでしょーネ」
「あれ? 葉留佳さんは、謙吾が笹瀬川さんのこと好きだって知ってるんでしょ?」
「やははー、まぁそうっすケドー……」

 他の教室からは同じように騒がしく作業をする音が聞こえてくる。
 唐突に変な事を言い出すな……ついに自分の情報の信頼性が低いということに気づけたのだろうか。
 だとしたら良かったと思いたかったが、その少し真剣味がかかった声を聞いて、即座にその思考を切り捨てることにした。

「でも、あの謙吾君っすヨ? あの硬派でクールでくそ真面目で剣道馬鹿でジャンパー馬鹿でのりたま馬鹿で、男しか知らないような奴ですヨ?」
「いやまあ……前半のは同意するけど、最後のは絶対誤解を招くから止めてね」
「それを好きになる佐々美ちゃんはまだ良いとして、あの馬鹿が本当に佐々美ちゃんとつき合いたがってるのか、ちょっと自信も
てないですヨ」
「うん、まあ……」

 まあ、葉留佳さんが心配になるのもわかる。
 今まで謙吾に告白しようとする女子達はたくさん居た。
 でも謙吾はその全てを、“今はまだ、そういうものに興味を持てない”と言って断ってきた。
 理由を聞くと、“まだまだお前らと遊んでいたいからさ”と笑って返してくるのだが……。
 これでは本当に笹瀬川さんのことが好きなのか、疑わしくなってくる。

「それにその……もし、謙吾君が佐々美ちゃんと付き合うことになったら、うんと……」
「ん?」

 珍しく口ごもる葉留佳さん。
 何だろう? まだ他に心配なことでもあるんだろうか。
 少し寂しそうな顔をして、言葉を続ける。

「……きっともう、気軽に遊べなくなるっすヨネ」
「? そんなことは無いと思うよ? あの謙吾だし、何も変わらないと思うけど」
「理樹君や真人君はいいよ、同じ男同士だもん。でも私は……そのほら、女の子だし」
「あ……」
「きっと、誤解されちゃいますネ。やはは」

 そうだ、今回はリトルバスターズの中の話じゃない。笹瀬川さんは、当然リトルバスターズのメンバーではない。
 だから、もし付き合うことになったら、僕ら男同士でもきっとそれなりに遊ぶ回数は減るだろう。
 そんなことを、昔僕も悩んだことがあった。杉並さんの時だって----って、え? 
 ……なんで、杉並さんが出てくるんだ? 
 あんまり会話したこともない、クラスの女子だ。
 彼女と何かあったっけ……。いや、何も無かった、はずだけど。
 ……変なの。

「私も、もうイタズラとかして謙吾君と遊んだり出来ないのかなー……」
「葉留佳さん」

 ……悪戯はやめた方がいいと思うけど。
 でも確かに、謙吾と葉留佳さんは結構仲が良かったように思える。
 親友というより、なんだか親子みたいだった。
 口うるさい父親と、騒がしい娘。
 時には謙吾に悪戯して追いかけ回されたり、時には謙吾が葉留佳さんの挙動を注意して悪戯されてやっぱり追いかけ回したり、
また時には子供っぽく一緒に遊んだりしていた。
 葉留佳さんが今どんな気持ちなのか、それを窺い知るすべはない。
 そもそも、覗いではいけないと思う。
 僕はただ----。

「謙吾を信じよう」
「……理樹君?」
「葉留佳さんがそう思うなら、きっと謙吾も同じ気持ちを抱いてるはずだ」
「そんなの、わかんないよ」
「うん、わからない。だから信じるんだよ」
「信じる……」
「うん。どういう方向に物事が転ぼうとも、謙吾を信じ続けるんだ」

 ----そうすればきっと、良い方向に変わっていけるから。
 僕たちは謙吾がどんな人間か知っている。信じることに必要な材料はたくさんあるんだ。
 ……ごめん葉留佳さん。今の僕には、こうやって元気づけるほかない。
 いや……笹瀬川さんもいる手前、これでもやり過ぎなくらいかもしれない。
 前方に笹瀬川さんの姿が見えてきた。もうそろそろ、彼女を応援する僕に戻らなきゃいけない。

「やはは、難しいっすネ」
「そうだね」
「……理樹君、やっぱり強くなったですヨ」
「え、そう?」
「うん。なんかリーダー、って感じかなー」

 そうだろうか。
 自分では、まだまだ役不足だと思っているんだけど。
 でもそう言われると、自分が成長してるって実感できて、少し嬉しい。
 あの事故前から、僕は確実に強くなってるんだって。

「……前みたいな弱い優しさは、もう無いんですネ……」
「え? 何?」
「やーやー! 何でもないですヨ! 理樹君は優しいなーって!」
「え、いや、そんなことはないよ」

 手を大げさにブンブンと振ってくる。
 何か呟きかけた気がするけど……気のせいか。
 
「またまたー! うん、理樹君のおかげで元気出たっすヨ! 信じるって難しいけど、やってみる! あ、あと----」
「ん?」
「----そういう優しさも、はるちんはありだと思いますよ」
「え?」
「なーんでもないない! おっし、佐々美ちんの所までダッシュだー!」
「あ、待ってよ! もう!」

 葉留佳さんに少し遅れて、夕日に赤く染まる廊下を駆ける。
 ----聞こえるには聞こえていた。
 少し寂しそうな、そしてどこか懐かしむような表情をする葉留佳さんにも気づいていた。
 今彼女がどんな気持ちなのか、僕にはわからない。
 走りながら窓の外を見ると、裏庭や中庭でたくさんのお店を準備している生徒達が見えた。
 恭介達も今、ああやって駆けずり回ってるんだろうか。
 こちらを振り返って、遅いですわよと言う笹瀬川さん。
 ごめんごめんと謝る僕ら。
 時間は緩やかに、だが速やかに進んでいく。
 誰の思惑も関係なしに、皆に平等に。全てに平等に。
 僕らは、軽音楽部室へ繋がる階段を下りていった。

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