放課後。
 軽音楽部室(みんなはスタジオと呼んでいる)での練習時間が終了し、片づけに入ってる頃。
 ふと……小毬さんが自分のギターを持って、足早に部室を出て行くのが見えた。

「小毬さん……」

 それが気になった僕は、片づけを隣にいた真人に任せて彼女の後を追うことにした。
 実は、練習中もずっと彼女の事が心配だった。
 でも“気にしないで”とも言えないし、“信じてるよ”なんてもっと言うべきじゃない。
 謙吾からも、何も言ってやるなと忠告された。
 僕たちは、ただ黙って彼女のことを見守るしかなかったんだ。
 でも……やっぱり僕は、彼女のことを放っておけない。
 無責任に言葉を投げかけちゃいけないというのはわかる。でも、このまま何もしてあげられないなんて嫌だ。
 どういう形でもいいんだ、何か力になりたい。とにかく何か……。
 だから追いかける。一人で俯いたまま、小走りでかけてく彼女の事を。



「小毬さんっ!」
「ふえ……理樹君?」

 少し大声で呼びかけると、彼女はそれに気づいたのか足を止めこちらを振り返る。
 最初は追ってきた僕を不思議そうに見ていたが、すぐにハッとして、気まずそうに顔を俯けてしまった。
 それでも次の瞬間には顔を上げ、笑顔を向けてくる。
 僕には……それが作り笑いだとすぐにわかった。

「どうしたの〜? 理樹君」
「あ、いや……」

 どうしたの、と言われると返答に困る。そういえば、そもそも僕は彼女のことを追いかけてどうするつもりだったんだろう。
 僕は彼女の力になりたい。それだけは確かだ。
 ならば具体的にどうするのか、それをあんまり考えてなかった。
 うーんと、どう返すべきだろうか……。
 あ、そうだっ!

「そうだ小毬さん、お菓子食べよう!」
「え……? お菓子〜?」
「うん。お菓子」
「でも、もうすぐご飯だよ?」
「ちょ、ちょっとぐらいなら大丈夫だよ!」
「うーん、そっかぁ〜……。うん、理樹君がいいなら、いいよ〜」

 うん、やっぱり。
 小毬さんを元気づけるためには、取りあえずお菓子だ。若干だけど、その顔にいつもの笑顔が戻ってきた。よかった……。
 走って駆けていく女性を呼び止めて、その第一声が“お菓子食べよう”なんて、どう考えてもおかしすぎるけど。
 彼女は特に不審に思うことも無いみたいだ。いや、もしかしたら僕の考えに気づいてるからかもしれない。
 でも、それならそれでいい。僕は頑張るだけだ。
 小毬さんの力になる。
 自分に何が出来るかわからないけれど、何かしなきゃ。何をするかなんて、その時に考えればいい。
 今は、行動だ。



「は〜い。ワッフルですよ〜」
「あ、ありがとう……」

 帰り道から少し外れたベンチ。僕たちはそこに座ってお菓子を食べることにした。
 辺りはもう薄暗くなってきている。
 だが、この学校では暗くなると所々にライトがつけられるため、そのおかげで僕たちは、隣に座るお互いの顔ぐらいなら簡単に認識できるようになっていた。

「ごめんね小毬さん。自分から言ったのに何も用意してなくて……」
「いいんだよ、理樹君〜。こういう時のために、私はたくさんお菓子を持ってるんですから〜」
「そ、そうなんだ」

 そう言えば、持ってる量の割に小毬さんはあんまりお菓子を食べない。あくまでその割に、だけど。
 きっと自分の分だけじゃなくて、みんなにあげる分もいつも用意しているんだろう。そういう所は小毬さんらしい。
 そのおかげで僕も今、こうやってお菓子を頂けているわけだけど……。
 うう、自分が情けない……。

「……あ、美味しい」
「えへへ。それみんなにも人気あったんだよ〜」
「へえ、そうなんだ。すごい美味しいもんね、これ」
「うんっ!」

 そうやって嬉しそうに笑う。
 良かった。元気そうになってきた。これでもう大丈夫かな……。
 って! 僕はただお菓子をもらって食べてるだけじゃないか!
 あ、でもこれ、やっぱり美味しい……。 

「理樹君は、ワッフル好き〜?」
「……へ? う、うーん。割と、好きかな」
「わ、ほんと〜? 私もそうなんだよ〜。やっぱりワッフルは、偉大ですね〜」

 自分が褒められたわけでもないのに胸を張る小毬さん。
 あ、小毬さんもちゃんと元気になれたみたいだし、やっぱり別に……。
 って、いやいやいや! 僕はここに何しに来たんだ! 
 僕はただお菓子をもらいにきたんじゃない! 
 どうにかして、あの話題に自然と持ち込めないか……。

「あの、これは手作り?」
「ううん〜。本当はお菓子作りしたいんだけど、最近は忙しいから……って、あううう……」
「あ、こ、小毬さんっ!?」

 最近忙しい、の部分でバンドのことを思い出してしまったのだろうか。表情を一転させ、俯いてしまった。
 何となく背景に“どよ〜ん”という文字が似合いそうな気がする。
 なるべく自然にあの話題に近づくために、取りあえず話を振ったんだけど、物の見事に自爆されて一気に目的を達成してしまった……。
 いいのかなあ、これで。
 嬉しいのか残念なのか、何か複雑な気分だ……。
 と、とにかくっ!

「……忙しいって、バンドのことだよね」
「うん〜……。ほんとは、今日も帰ってすぐに練習しようと思って〜」
「あ、そうだったんだ」

 隣に立てかけてあるギターケースを見る。
 だから、さっきはあんなに急いでたのか。
 でも……。

「小毬さん、無理はダメだよ。もっと気楽にいこうよ」
「で、でも〜。私が下手なせいで、みんな練習にならないんじゃ……」
「う……。そ、そんなことないよっ!」
「でも、今日だって……」

 泣きそうな顔になってまた俯く。
 くっ、一瞬どもってしまった自分が憎い。
 ……確かに小毬さんの言う通り、最近の練習は思うようにいってない。小毬さんの担当するギターパートだけがどうしても完成しなくて、中途半端な練習になってしまっている。
 ライブまで後一週間。時間はない。
 だけど……本当に難しいんだ。
 楽器に触れた人間だけがわかる難しさ、というものがある。
 小毬さんのパートはハッキリ言って一番難しい。ただそれだけなんだ。
 
「みんな小毬さんのせいだなんて思ってないよ。あれは難しすぎるし、しょうがないと思う」
「う、う〜ん……」
「僕もまだまだ下手だよ。ちゃんと練習になってる」
「でも、もう本番まで時間がないし〜……」
「う……」

 く……だめだ。もう返す言葉が見つからない。
 小毬さんの言っていることは全て事実だ。
 対して、僕が言っているのはほとんど現実的根拠の無い、ただの気休め。
 でも、正直今の小毬さんは見ていられない。
 いつも笑顔を絶やさず、周囲に幸せを振りまいていた小毬さん。
 その彼女がこうやって沈んでいるんだ。一人で責任を背負い込んで、プレッシャーに押しつぶされそうになって。
 彼女は実際かなり参ってるはずだ。誰かがここで彼女を支えなきゃ。

「……小毬さん、僕は小毬さんの力になりたいんだ」
「ふえ?」
「うん……何も出来ないかもしれないけれど、何かしたい」
「理樹君……」
「僕だけじゃない。他のみんなもきっとそう思ってるはずだよ。だから……」
『よく言ったぜ! 理樹っ!』
「へっ?」

 な、なんだ今のは? 
 僕が次の言葉を言いかけたところで、突然謎の声が夜道に響き渡った。
 僕が声のした方に目を向けると、茂みからガサガサと何かが出てきた。
 って、あれはまさか……。



「恭介っ!?」
「あれ、恭介さん〜?」
「おう! 恭介さんだ」

 こちらに歩いてきながら、ニカッと笑う親友。
 も、もしかして、ずっと僕らのことを見ていたんだろうか。
 それも茂みからなんて、恭介らしい……。
 
「恭介、もしかしてずっとそこに居たの?」
「おうそうさ! だが、断じてストーカーとは違うからな」
「ふえ?」
「……………」

 何も言っていないのに、勝手にこうやって墓穴を掘ってくる……最近なんか色々あったせいなんだろうけど……。
 僕の親友はどこに行ってしまうんだろう。色んな意味で存在を遠く感じた。

「居たのは俺だけじゃないぞ。ほら、お前らも出てこいよ!」
「……ちっ、仕方ない。ほら、出るぞ」
「なんで僕まで……」

 恭介が茂みに向かって呼びかけると、順番に二つの人影が出てきた。
 よく見ると、岸田さんと皆藤さんだった……。
 制服に付いた葉を落とし、ツカツカと僕らの前まで歩いてくる。

「……言っておくが」
「は、はい」
「あそこに隠れようと言ったのは棗だからな」
「うん。この人は知らないけど、僕らは断じてストーカーと違いますから」
「って、お前ら! 裏切るのかよっ!」

 醜い争いを始める先輩達。
 ……裏切るも何も、もう同類としか判断しようが無い。
 僕が苦笑してふと隣を見ると、小毬さんもどうしたらいいかわからないのか、少し困った笑顔になってその光景を眺めていた。



「はあ……っていうか皆さんは、何でそこに隠れてたんですか?」
「ん? そりゃ、お前達が気になったからさ」
「直枝と神北、お前ら片づけサボっただろう。説教しに来てやったんだよ」
「いやー、片づけしないで済む上手い口実が出来たと思って」

 三者三様の返答が返ってくる。ひ、久々に頭が……。
 それに誰の回答も、何一つ隠れていたことに対する答えになっていない。
 そのことは、もう触れないでおいた方が良さそうだ。

「で、お前らを追ってきてみたら……その、な」
「その〜……勝手に話を聞いちゃって、ゴメンね」
「ふん、神北の悩みはライブに出る直前なら誰でも持つもんだ。気にすんな」
「うわ……そんな風にサラッと厳しいこと言うから彼女出来ないんだよ、岸田君は」
「何だと?」

 ギャーギャーと騒ぎ出す。
 もうあの二人は放っておこう……。

「小毬。まぁ、岸田の言ってることは本当だ。そういう不安は誰にでもあるもんだ」
「はい〜……」
「……で、でも恭介っ」

 そんな事はきっと、小毬さんもどこかでわかってるはずだ。
 でもそれだけじゃ不安を上手く処理できないから、こうして困ってるんじゃないか。 

「わかってるよ、理樹。だからこうやって手助けに来てやったんだ」
「え……?」
「ふえ?」
「よし。小毬、理樹! そして、後ろのうるさい二人!」
「あん?」
「な、何?」

 呼びかけに反応してみんなが注目する。
 恭介は僕ら全員が見渡せる位置まで歩いて行き、振り返った。
 そしてニヤリと笑って……。
 ってこれは、まさか。

「お前ら4人には特別ミッションを与える」

「小毬は今、不安とプレッシャーを抱えて落ち込んでいる」

「それらを吹き飛ばし、いつもの元気な小毬を取り戻すために」

「今日はめ〜〜〜〜〜〜〜〜〜いっぱい、遊ぶぞ! いいな! それじゃ……」

「ミッションスタートだ!!」



「で、何をする? 理樹」
「いや、そんなキラキラした目で問いかけられても……」

 ここは僕の部屋。 
 夕食後、ここにはいつもと若干違ったメンバーが集まっている。
 僕と恭介、小毬さんに鈴、西園さん、そして岸田さんに皆藤さんの7人。急遽結成された小毬さんバックアップ戦線だ。
 ちなみに真人は、今日もまた来ヶ谷さんに連れて行かれた。

「おい馬鹿兄貴」
「ん、なんだ? 鈴」
「これは、何の集まりなんだ?」

 状況をまだ理解してない人がいた。

「決まってるだろう、小毬を元気づける会さ! ちなみに会長は俺。副会長は小毬だ!」
「あ、小毬さんポスト与えられてるんだ……」

 ほんとよくわからない会だった。
 “細かいことは気にするな”と言われた後、鈴の方を見る。
 鈴は、ちょっと心配そうに小毬さんの顔をのぞき込んでいた。

「こまりちゃん、元気ないのか?」
「え、ええっと〜……」
「こら、鈴。本人にそうやってストレートに聞くんじゃねえ。もっとオブラートに包んでやれ。ちなみに、副会長だからな」
「そ、そうか。済まなかったこまりちゃん。いや、副会長どの。もっと……お、おぶ……ん? あ、おぶに包んでおくべきでした」
「え、う、うん……ありがとう、鈴ちゃん」

 ものすごいグダグダっぷりだった。
 いつもはボケ役の小毬さんも、棗兄妹から繰り出されるカオスワールドにはまだまだ太刀打ち出来ないようだ。
 
「ところで、何できしだっち達がいるんだ」
「ノリだ」
「そうか」
「ええー!?」
「もうお前……本当にそれだけだな。いや、ここは敢えてそれにツッコまなかった棗妹を褒めるべきなのか」
「もう放っておいてあげて下さい……」
 
 あの人達に突っこもうとするとキリがない。
 とっとと先に進もう……。

「事情はわかりましたが、それで、私たちは具体的に何をするのでしょうか?」
「遊ぶ」
「いや、何をして遊ぶのかがわからないんだけど……」
「これから決める」
「ええー」

 自身満々に言い放つ恭介に絶句する。
 なんでそんなに堂々としていられるのかがわからない。
 なんか、さっきのお菓子の件で落ち込んでた自分が馬鹿に思えてくる……馬鹿なのはこっちのはずなのに。

「あ、あの〜。恭介さん」
「どうした、何かやりたいのがあるのか?」
「私、ギターの練習しないと〜……」
「おーっと、さっそくこの会の存在意義が根底から覆されそうだぜ。想定しなかった大ピンチだな!」

 何でこの人はこんなに楽しそうなのか甚だ疑問だ。というか、それくらい最初から想定しておけと言いたい。
 根底から覆されるというより、ただ最初からボロボロだった基盤が崩れ落ちただけだと思う。

「そう言えば神北さん、ギター苦戦してるんだったよね」
「は、はい〜。もうライブまで時間もないし〜」
「ちょっと手、見せてくれる?」
「……え? ってほわあああああああっ!? あ、あのっ! えっと! はい! ど、どうぞっ!」
「あ、うん……なんか、ごめん……」

 いきなり手を取られたもんだから、テンパりまくる小毬さん。
 顔を下に向けて、とにかくすごいポーズで手を出している……。
 皆藤さんもちょっと引いてるみたいだ。
 
「……ええっと、これ痛くない?」
「うえっ!? あ……はいっ。ちょっと、痛い、です……」
「ううーん。これは一日ほっといた方がいいかもしれないね。大丈夫だよ、すぐ硬くなるから」
「マメが出来てる、ってことですか?」
「うん、ひどいマメだ。あれじゃまともな演奏は出来ないよ」

 そ、そうか。
 小毬さんがフレーズを完成させられなかったのは、もしかしたらその痛みが原因だったのかもしれない。 
 だとしたらよかった。若干だけど、希望が見えてきたぞ。

「ま、練習しまくった証拠ってわけだな。よし、そういうことだ小毬。今日は遊ぶぞ!」
「ええっと、い、いいのかなあ……」
「いいんだよ、最近全然他のことしてなかったろ? 今日は全部忘れて、俺らと目一杯遊んで、また明日から頑張ればいいさ」
「恭介さん……」
「な? そうすれば、みんなもきっと安心するぜ?」
「は、はいっ!」
「よし!」

 小毬さんが、笑顔になった。
 まだ少し固いけど、確実にさっきより良い笑顔になっている。
 やっぱり……恭介は凄い。
 一見やっていることは馬鹿そうに見えて、その実、裏ですごい計算が為されてるんじゃないかと疑ってしまう。
 僕だけじゃない、みんなのことも全部計算して……いや、やめよう。
 僕も小毬さんと一緒に思いっきり遊ぼう。
 それがきっと、小毬さんの力になる、ってことだ。
 
「それじゃ、何をしようか?」
「最初に話が戻ったね……」

 やっぱり、何も考えてないだけかもしれない……。

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