〜 タゴール爺さんのノォトブック 〜

 

 

 

 サン、と呼ばれる剣士がいた。

 彼はふとあるところで知り合ったアイヴォーンという商人とともに旅をしていた。

 アイヴォーンは行商人で、積荷を守る用心棒が欲しかったのだという。

 サンは十九の若い男で、背はさほど大きくはないが、素早く、戦いに長けていた。対してアイヴォーンは彼よりも六つも上で、もの知りだった。

 その日二人は皇都から見てはるか西、アイゼンシュールと呼ばれる地方を皇都へ向けて旅していた。

 日も暮れかかってきたころ、ようやくその日の目的地だったロンヌ村へと辿り着く。

「ふぅ……ようやく着いたな、サン。ここまで来ればあとも楽だぞ。きちんとした街道も敷かれるからな。旅人を装った盗人に気を付けりゃいいだけさ」

「宿はどうします」

「オレはもう野宿はごめんさ。多少高くてもきちんとしたベッドに寝たいもんだね。ところで、知っているかい、サン? ここではグリーンピースがうまい。高級品の産地がすぐ近くにあるんだな、これが。西国のブルボールや皇都イェーセンでは馬鹿高い値段がつくものを、ここでは格安で食うことができる。もちろんその値段で食えるようになるまで苦労したんだぜ」

「また顔馴染みってやつですか」

「もちろん。この世界じゃ顔が一つの証書さ」

「その商品を転売したりはしないのですか?」

「オレが? 馬鹿言っちゃいけないよ。販路もないし、オレの世界とはまた世界も違う。いいかサン、世の中にはわかりやすいが大事なルールがある。その一つが、他人の商売に手を出すな」

 アイヴォーンは一つの賑やかな宿屋を指差した。

「ところで、あそこが今日の宿屋なんだが、あそこが例のグリーンピースを出す店だよ」

「あそこに泊まるのですか?」

「ロンヌ村には二軒宿屋があるが行商人はよくあの店を選ぶ。情報の流通に便利だ。もう一軒は陰気くさい貴族や使者を泊める店だな。オレは言うまでもないが、おまえはどちらを選ぶ?」

「……」

 サンは曇りない眼で徐々に暮れていくロンヌ村を見ていたが、

「あちらの店へ」

「よっしゃ決まった!」

 賑やかな方を指差したのだった。

 

 店主に挨拶して馬を厩舎(きゅうしゃ)に入れながら、

「お仕事お仕事」

「あなたもご苦労なことだ」

 と、情報交換に余念のないアイヴォーンを見て、体の疲れているサンは嘆息したのだった。

 

 

(一) ロンヌ村での騒動

 

 飛び交うジョッキの音、喚声や笑い声、冷やかす声などの中で、サンは一人離れて酒の薄くしたものを飲んでいた。皿にはアイヴォーンの顔利きで大変安くしてもらったグリーンピースと、干した肉、炒めた野菜などが置いてある。

 彼は窓から月を見ていた。

 アイヴォーンはもう商人仲間の輪へと行ってしまった。サンはアイヴォーンが自分に気兼ねなく商売の話ができるように、気を使って離れて座っていた。喧騒をオルゴールにしながら、彼は決して酔わない程度に、酒を楽しんでいた。

 ふと目線を上げると、目の先の席に、ちょうど奇妙な二人が座ったところだった。一人は髭を生やした老年と壮年の間ぐらいの男だったのに、もう一人、フードを取ったその奥の顔は、金色の髪をすらりと流した見たこともないくらい美しい少女だったのである。

(エルフだ)

 と、サンは呟いた。

 エルフをサンは国で一人しか見たことがなかった。だがそれは男だったのである。国の大臣だった。高い鼻、尖った耳、すっきりした目元、青い瞳。瞳は青だったり緑だったり赤だったりするらしいが、そのどれもが宝石でもはめ込んだかのように美しいという。そしてかつ背が高い。

 エルフの特徴をそれぞれ列挙すると指の数が足りなくなる。中には伝聞で伝わった眉唾ものもあるだろう。だがそこの少女は明らかに他の娘と印象が違っていた。唯一、思っていたよりはさほど背は高くないが、エルフで間違いないだろう。

 そして一緒にいるのが普通の人間となるといよいよ奇妙だ。親子だろうか。種族が違う。師弟のようにも見えない。

 そういえば()の老壮年の男も、ただ者でない雰囲気を漂わせている。おそらく戦歴のある者だろう。サンがそのように思考を研ぎ澄ませながらじっと見ていると、ふっ、と少女に視線に気づかれた。少女は顔をしかめ、ふん、と顔をそむけると、頬杖をついてこちらに顔を見せないようにした。

 ふと彼は失礼なことをしてしまったと思うようになった。人前に出たがらないエルフがこうして村の酒場にいるということは何か事情があるのだろう。奇異の視線に当てられてさぞ心苦しかったろう。彼は少し迷ったが、立ち上がって、その少女と男に声をかけることにした。

「あの、こんばんは。先ほどは失礼しました」

「……なに?」

 と、不機嫌な眼差しを返してくる。

 サンは軽く頭を下げた。

「失礼と知りながら、つい物珍しさに我を忘れてしまいました。お許しください。よければ、これを」

 サンが取り出したものを見て、男も少女も目を剥いた。

「おいおい、それはカドゥーン(グリーンピースのこと)じゃないか。もらえないよ」

「構いません。これで忘れてくれとは申しません。ただ、不愉快な思いをさせてしまったので、その償いをしたいのです」

 少女は不思議そうにサンを見ていた。

 男は得心いったように笑い、

「いや、やはりおよばない。君の気持ちだけで十分だよ。なぁ、フィズィ? 彼はとても感心な若者だね?」

 その少女はまだ彼を警戒しているのか容易に笑おうとしなかった。

「そうですか。ではこれは下げていただくことにしましょう。私はもう食べることはできない。それじゃ」

 手を振って席を離れようとしたそのときだった。

 何か不吉な予感が、サンの脳裏をよぎった。

 何か、このままではいけないという思いだ。

 このままで楽しんでいては何か良くないことが起こる。

 取り返しのつかないことが起こる。

 そんな漠然とした不安である。

「……」

 宿の盛り上がりが少し下がったような気配がある。

 サンは外の闇を睨んでいた。

 このときサンは気付かなかったが、その後ろで先ほどの男もその妙な焦燥感に気付いたのである。

 サンは自分の席に戻り、皿をテーブルに置いた。傍らに立てかけてあった剣を腰に()き、夜に窓から目を通す。

 茫漠たる暗闇がある。だが恐ろしい予感はどんどん募るばかりだ。

 もしかして中に敵がいないか、振り返ったところ、先ほど笑ってくれた男も、同じように何か悟った表情で周りをうかがっているのが見えた。

 ふと目が合い、両者はお互いが同じことを考えていたことを察する。

 サンは場慣れしていた。剣の自信もあった。

 なら向こうの人物はどうか。

 見たところ自分よりも腕も経験もありそうだ。

 サンは視線で外を示し、その男を連れ出した。

 男が出てくる。

「何か感じませんか?」

「感じる。……して、そなたの名は何という?」

「サンです」

 夜の陰気な風の中に鈴の音が響き渡るように、その声は美しく力強かった。

「そうか。わしはエラズムスだ。お互い呼ぶときに困るだろう」

「やはり戦いに?」

「そうかもしれん。そうじゃないかもしれん。ちと正体がわからんな……だが動物は獲物を狙うときに特別な視線をするものじゃよ。そしてそれを浴び慣れたものだけがそれに早く気付ける。人は視線に気付くものだ。ちょうどさっきのフィズィのように」

「フィズィ……」

「どうやら来たようじゃ。まずい、サン、裏口を頼む!」

 サンは急いで駆け出した。裏口は寝室に近い。すでに休んでいる者がいたとしたら危険だ。

 裏口に辿り着くと、そこは森が間近に迫っていた。サンはすぐ身を緊張させられることになる。オオカミがいたのだ。

 黒いオオカミだ。あまり見たことがない。目だけが赤く妖しく輝いて、まるで夜の中の炎のようだ。

 サンは剣を抜いて大声を発した。「気を付けろ! オオカミだ! オオカミが村の中にいる!」

 一匹が襲いかかってきたが、権を横に(ひと)()ぎする。口を少し斬ったらしい、のけぞって、オオカミは忌々(いまいま)しそうに離れた。

「家から出るな! みんな気を付けろ! 戦える者だけ外を手伝ってほしい!」

 サンは剣を構えながら目を凝らした。森の中に一、二、三、四、五匹。傍らにニ、三匹。馬屋の陰に一匹。数が多い。いくらサンといえども負傷なしに追い払うことはできないかもしれない。

 一度に全員に襲いかかられては……と危惧していたところ、本当にそれは襲いかかってきた。サンは無我夢中で戦った。

 首めがけて飛んでくるオオカミを剣でたたっ切り、第二波を転がってかわした。手近にいる一匹を首筋に斬り、サンは、はっと気付いた。

 馬屋のカギを開けて入っている。中から馬の悲鳴が聞こえている。

 ここは商人が多い。金品を口に銜えて持ち去るオオカミがいて、魔法生物か、と思った。

 サンが飛びかかって一匹倒すと、後ろから一匹が不意を突いてきた。かろうじて横に転がってかわすと、さらに噛み付こうとしてきた牙を剣で受け止める。

(魔法生物……どおりで、しつこい)

 通常のオオカミなら一匹二匹やられれば群れは逃げていく。それが常識だ。

 なのにここではもう三匹も斬っている。まだオオカミはいる。

 サンはオオカミを突き飛ばして、裏口に駆け寄った。顔を出していた女将が見えたからだ。

「駄目だ! 出てはならない! 誰か戦える男を寄越してくれ! 私一人じゃ手に負えない!」

「ちょっと!」

 サンは不思議に思った。女将の「ひぇぇぇ!」と逃げる声は聞こえたが、その奥からさらに若い女の声が聞こえてきたのだ。

「ここを開けなさい! 大丈夫、私なら戦えるわ! あなた一人じゃ死んじゃうでしょう!」

 サンは、さっきの子だと思った。

「大丈夫だ。それよりも離れて! オオカミが裏口から侵入するかもしれない! 誰か男を連れてきてくれ!」

「だから! 私がどうにかできるって言ってるのよ! あなた一人なら死んじゃうけど、私と二人なら無傷でオオカミを消滅させることができるの! いいからここ開けなさい!」

「無茶だ! 相手は魔法生物だぞ!」

 しかしこの娘は奇妙なことを言った。

 オオカミを、消滅させる。

 サンはふと力を弱めたところに、無理矢理押し切られた。二人して外に転がる。その時にオオカミたちは積荷漁りに夢中で二人に襲いかからなかったのは僥倖(ぎょうこう)だと言えるだろう。

「危険だ!」

「だから、私を信用しなさい! オオカミの攻撃からはあなたが守ってよ!」

「なにを馬鹿なことを――」

 サンがそう言いかけた直後だ。

 少女は態勢を整え、左手に嵌めた指輪を少し押し出すようにして、相手をしっかりと見定め、息を深く吸った。

 そして吐き出された言葉は――、サンにはわからない言葉であった。

 美しく、どことなく古い趣のする言葉だ。

 そうすると少女の身の回りを淡いヒスイ色の光が包み始め、やがて辺りに霧が漂い出してきた。

 呆然とするサンの目の前で、黒いオオカミたちは霧に包まれ、音も何もすることなく、するりと消えていった。

 サンは、後ろで少女が軽く息をつくのを聞いた。

 すると、オオカミたちはどこにもいなくなっていた。

「……きみは……」

「どう? あれは魔法生物だったのでしょう? だったら同じ魔法で消せないわけはないわ。術師はちんけな素人ね。どこでこんな呪いを受けたんだか……」

 とにかく、と、ぽん、とサンは肩を叩かれた。

「あなたは見事だったわよ。お礼にさっきのことは許してあげる。私も腹を立てて悪かったわね」

 そうして裏口の戸から入っていく。

「でもなんでこんな術師が最近多いのかしら? やっぱり……誰かが……」

 ぶつぶつと呟き、そして振り返り、

「あ、いい? さっきのやつ、私が消したって言わないでよ? あなたが全部追っ払ったっていうの。私はそれを見てたの。大丈夫ですかお嬢さん! って言われて助けてもらっちゃったの。まぁその辺はどうでもいいとして……とにかく私が魔法使ったってことはバラさないでよね」

 彼女はそう言って、ずかずかと退散していった。

 そう、彼女は言ったのである。「魔法」と……。

 エルフは、魔法を使うことができる。

 

 

 

 サンは剣を収めた。オオカミの血は消えていた。

 宿の中に戻ると、騒然としていた。

 男の大半は表の防衛に集中していたらしい。よく無傷であれだけの数のオオカミを退散させられたものだ、と思った。そして魔法のことを、エルフの彼女のことを考えた。

 ふつう人間はエルフも魔法も目にしない。それらが表舞台に現れても国家機密とすることが多いからだ。

 あの少女。

 一体何者だろう。

 そして――、

「おっさん! 何ともないか!」

「ああ。皆が一緒に戦ってくれたおかげじゃな。おかげで何ともないよ」

「おいサン!」

 アイヴォーンが駆けてきた。

 肩を掴まれる。

「おまえ、大丈夫か!」

「はい。何ともありません」

 サンは微笑を浮かべた。

「か〜っ! 何ともないだってよ! オオカミを一人で撃退した勇者は格が違うな! さすがサンだよ!」

 サンは表情を硬くした。魔法のことはやはり伏せてあるらしい。

「しかし、……」

 荷物のほうが、と言おうとしたとき、商人の一人が声を上げた。

「おい小僧! オレの積荷はどうだった! パンナスは」

 パンナスというのは彼の愛馬だろう。サンは顔を伏せた。

「もうオオカミはいません。ご自分で見に行ってみるのがよろしいでしょう」

「何だとぉ!」

 その商人はどやどやと駆けて行った。オレも心配だ、おっとオレも、と続いていく商人が大勢いる。アイヴォーンもその一人だった。

 残ったのは少量の積荷であり、自身で保管できる商人と、普通の旅人、エラズムスと少女、宿の働き手だけだった。

 やがて裏口のほうから怒声と野卑な悲鳴が聞こえてきた。サンが椅子に座り、剣を傍らに置き、暖炉の火を見ていると、先ほどの、一番初めに怒声を上げた禿(はげ)(あたま)の商人が殺気立った眼をしてやってきた。

「おい小僧、おまえまさか、オレの宝石取ってねぇよなぁ!」

「私は、」

 サンは答えた。

「なにも取ってはいません。私はなにも取っていません」

「本当だろうな! ちょっと服の裏を見せてみろ!」

 男がサンの服を掴んできた。

「火事場泥棒は重罪だぞこの野郎!」

 そして胸元にその男が手を突っ込もうとしたときだ、

「やめろっ!」

 アイヴォーンの怒声がした。

 彼は動きを止めた男の腕を勢いよく引っ掴み、その手の中にあった光る物を奪い取って床に捨てた。

「なっ、なにしやがる!」

「おまえはわかってるのか! 今自分がやろうとしたことを!」

 彼は禿頭の男を責めた。

「な、何だってんだ!」

「サン。気を付けろ。みすみす自分の服の中に手を突っ込ませちゃいけない。それは、こういうときであればこそだ」

 アイヴォーンは指で床に転がっている宝石を指し示した。

「サン。この男はな、そこの宝石をおまえの服の裏に入れようとしたんだ」

「なっ! で、でたらめだっ! なんてことを言いやがる!」

「そうか?」アイヴォーンは振り向く。「オレは後ろで見ていたぞ。あんたが手に光るのを持ってサンの服に手を入れようとしたのを。ふつう、何か持ってねぇか確認するときは手ぶらでやるもんじゃねぇのかい?」

「だからでたらめだっ! なんでオレがそんなこと! おめぇの見間違いじゃねぇのか!」

「サン」

 アイヴォーンは振り返った。

「ちょっとこの男のポケットか何かを、まさぐってみてくれ」

「え……」

「何だと!」

「オレたちはみんな見ている。この男が一番に宝石類を一つだけ持って、戻って行った姿を。なぁ、そうだろう?」

 そうだ、そうだな、と周りがうなずく。

「今この男の服には何も宝石が入ってないはずだ。そうすれば、あそこの、さもおまえの服から見つけました、って言いたげの宝石が実はこいつが自分で入れたと証明できる」

 サンは静かに呼吸した。

 禿頭の男は脂汗をかいている。

 サンが一歩を踏み出した瞬間、「ちくしょう!」と彼は言った。

「なんだってんだ! もうやめだ、やめだ! オレはもうこんな村には二度と寄らねぇ! せっかく金落としていってやろうってのに、たいして面白くもねぇ所だ! くそったれ!」

 男はどかどかと音を立てて、寝室に行き、荷物を取り、金も払わずに去っていった。

 振り向いたアイヴォーンが、にかっと笑った。

「危ないところだったな。サン」

「はい。危うく、皆さんから非難を買ってしまうところでした。あの、ところで、積み荷は?」

「ん。ああ、」

 だめだ。やられてたよ。

 そう言って席につくアイヴォーンに、サンは唇を噛んだ。

「申し訳ありません。私が不甲斐ないばかりに」

「なぁに。こっちの身が安全だったからな。さすがにそれは責めないさ。けれどな、おまえが何故か無傷だから、あいつも気が立っちまったんだろうな。許してやってくれ」

「……」

 サンは、アイヴォーンが慰めてくれているのがわかって、悔しかった。

 アイヴォーンとはもう旅が続けられないのだろうか。

「おっさんがありゃ魔法生物だって言ってたな。オレは魔法というのがよくわからんが、とかく人間が作り出したもんらしい。オオカミを斬っても死体が残らなかったしな。と、すると――、」

 アイヴォーンはちら、と横目で先ほどの少女のことを見る。

 魔法を使えるのはエルフだけ。

 サンは、ぞっと背筋が冷たくなった。

「――っと、まあ、いっか」

 アイヴォーンは笑う。

「受けた損害はてめぇの不始末だ。いくら森閑としたロンヌだって無防備はまずいってことを教わったよ。また一からやり直すわ」

「あの、損害はいつになったら回復できます?」

「さぁな。一年くらいかな」

 サンは絶望的な気分になった。

 これではもう、アイヴォーンとは……。

「だからな、サン。……すまねぇな」

「いえ……」

「おまえはよくやってくれたよ。楽しかった。嬉しかったよ。でももうあいにく金がねぇ」

 立ち上がる。

「ここより北へ五十キロぐらい行った先に、ペリック、っていう商業都市がある。そこにオレの所属している組合があるんだ。いったんそこに戻って再起をかけるよ。だからな……サン。もう用心棒は雇えねぇ」

「はい」

 アイヴォーンは耳打ちした。

「それとな、これは助言なんだが、おまえ、あのおっさんと嬢ちゃんを連れてすぐここを離れろ。出発は今すぐにするんだ。妙な証拠でもでっち上げられたらかなわんぞ」

 アイヴォーン、と呟いて彼は見上げた。そこにはいつもの調子の、多少皮肉屋でぶっきらぼうな彼がいた。

「サン。あの二人組と一緒に行くんだ。じゃあな。また縁があったら一緒に旅しようぜ」

 そう言って、アイヴォーンは去って行った。

 宿の中は騒然として、また飲み始める者もいたが、多くの者は疲れて寝室に入るか外に出てしまっていた。

 サンは店の片隅で静かに飲んでいる二人を見つけて、駆け寄った。

「おお、先ほどの。サンと言ったかね」

「あなた、さっきは危なかったわね」

「いえ……。それよりもさっきは、ありがとうございました」

「あ。いいっていいって」

 少女は照れるように笑った。

「お互い災難ね」

「やはり、あなたも?」

「そう。さっきから妙な視線ばかりよ。私たちがみんなの生命(いのち)を守ったのに、やんなっちゃう」

「あれは魔法生物だったようじゃからな。生命より金銭狙いは明白じゃった。ようするに誰かの命令でここに来たということじゃよ」

「どちらにしても、災難ね」

 少女は嘆息した。

「ところで、あなた名前は? 私フィズィ・トレアズロン」

「私は、サン。サン・アルビオール」

「サン、ね」フィズィは静かに言った。「シンプルでいい名前」

「わしはエラズムスだ。この娘、フィズィと旅している」

 娘、ということは二人は親子だろうか。

 種族が違うが、拾って育てているのかもしれない。

「ところでサン君。何か用だったのかな」

「はい。――今すぐ、ここを離れたほうがいいと、私の連れの商人が言っておりました。それで、もし、ご迷惑じゃなかったら、私も連れて行って欲しいのです」

 エラズムスとフィズィは顔を見合わせた。

「君のお連れさんはどこへ行ったのかね?」

「積み荷が先ほどの襲撃でやられ、雇う金がなくなってしまったと。連れのアイヴォーンは毛皮商で、高級の毛皮服を皇都に運んでいたところでしたから……。私はその用心棒として彼に雇われておりました」

 エラズムスは言った。

「雇う金はわしらにはないんだがね」

「お金はいりません。とにかく、一緒に連れていってくだされば。……私は旅の剣士です。各地をとある目的で回っています」

「ふうん」

「よければ君のその目的とやらを聞かせてもらいたいがね。けど今はここから離れたほうがよさそうだ。商人の方がせっかく教えてくれたのだ。後をつけられてもかなわんから、街道はよして、その辺の野原に行こう。その間に聞かせてくれるかね」

「はい」

 と、サンは(うつむ)きがちに言った。

 フィズィはまだあまり納得のいっていないようだったが、エラズムスと共に立ち上がって旅の支度をした。

 

 

 

(一、終わり) ナクシャム平原にて……

 

「いやだわ! 復讐なんて! そんな人と一緒に旅なんてできないわ!」

 サンはうつむいた。

 返す言葉がなかったのだ。

「これフィズィ」

「だって」

 エラズムスは言った。

「まだ復讐するとは決まったわけではないよ。それに、もっと彼によく聞いてごらん。彼の言ってる『復讐』とは何なのか」

「……」

 むすっ、としたエルフの娘が、サンのことを見つめる。

「とにかく私はいやだわ。復讐なんて勝手にすればいい。でも犯罪者と一緒に見られるのはいやだわ」

 そう言って彼女は馬車の中に駆け込んでしまった。

「これ、フィズィ」

「お父様もそんな得体の知れないやつ放っておけばいいじゃない。それかなんなら縄で縛って次の町で番兵に突き出せばいいんだわ」

「これ、そんなことを言うもんじゃない!」

 返事はもう聞こえなかった。

 エラズムスは頭をかいて、サンに向き直り、苦笑した。

「おいでなさい。火に当たろう」

「はい」

 サンは上空を見上げた。月が頭をもたげ、星が砂粒のように空に広がっていた。

「それじゃきみは鍛冶屋だったのかい」

「はい。お師匠が死んでから、店を閉めておりますが」

 火はパチパチと音を立てて燃える。

「そのお師匠さんの(かたき)を取ってやりたいと。まぁ殊勝な心掛けであるが……」

 エラズムスはふわふわとパイプをふかした。

「でもきみの国では仇討ちが禁止されていたんだろう?」

「はい。そもそも、お師匠がその男のせいでお娘さんを亡くしたのは十五年も前のことですから、彼の行方はとうに知れなくなっております。名前もわかりません。顔も。唯一わかるのは、右肩から腕にかけて黒い火傷を負った男であると……」:

 エラズムスは無言だった。

「お師匠は死に際で言っておりました。あいつに復讐してやれなかったのがせめてもの心残りであると。何度も私に言って聞かせでおいででした」

「その男はもう死んじまってるっていう可能性はないかい?」

「十分あり得ます。でも、それなら、その男が死んだ、という証拠を持って帰ってやりたいのです。お師匠の墓に」

 エラズムスはぽくぽくとパイプをふかした。

「きみは、その男に恨みなど持ってないように見えるな」

 サンは無言で頷いた。

「お師匠さんに報いてやりたい気持ちだけで行動しているのかい?」

 サンは今度はうつむき、答えなかった。

「それは……」

「わからない?」

「ええ」

 サンは脇にあった剣を手に取った。

 炎の前にかざして、目を細める。

「私は、その男に、復讐という名目で会ってみたいのかもしれない。会ってみれば、怒りも湧いてくるかもしれない。あんなにお師匠を訳もなく苦しませた相手です。……私は、そう思う」

 エラズムスはパイプの煙を吐いた。

「……眠りなさい。その答えは、ゆっくり見つけるといい。明日から共に行動しよう」

「あの私、やっぱり」

「近頃どうも物騒だ。老人と娘二人での旅よりも、若い男がそこに一人いるだけで、どんなに心強くなるだろうか」

 サンは頭を下げた。

「娘にはよく言っておく。なに、人見知りの娘だから邪険にしてるだけだ。じきに仲良くなれる」

「あの、聞いてもいいですか?」

「彼女がエルフであることかい」

 サンはじっとエラズムスの眼を見つめた。

 そして、ゆっくり頷く。

「娘は正確にはエルフじゃあない。ま、おいおい話すよ」

 サンはそれ以上何も言わなかった。

 それを見たエラズムス。殊勝だと思ったのかもしれない、もう一言付け加えた。

「できたら娘の口から話が出るまで待っていておくれ。君にも、ありのままの彼女を受け入れる時間が必要だ。彼女にも、そしてわしにも」

 エラズムスは火を消した。

「時間が必要だ」

 

(二)へと続く……

 

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