ある男の夢

  

   私は気が付くと、どこかに沈んでゆく感触をえた。

 目を開いてみると、なんと、そこは海の中だった。

 私は仰向けになった形で、まるで天空に昇っていくような形だが、しかし、海の底へ、底へと沈んでいるのだった。

 視界の先に太陽の光が明滅している水面を捉えることができた。けれどもうだいぶ遠く、今から引き返しそうという気には、なぜかなれなかった。

 ためしに体を動かしてみると、簡単に動いた。すぐに私は起き上がり、体勢を整えた。

 さて、自分はまるで魚になったみたいだな、と思った。海の中の景色が明瞭に見える。私が「そっちへ行きたい」と思うと、ものすごい速い速度で移動することができた。しかも、すごいぞ、自由自在だ! 私は歓喜した。これなら世界大会でも優勝できるかもしれん! 私はひどく上機嫌で、「これから海底探検に出発だ!」と思った。

 私はぐんぐん下へ泳いでいった。寂しいことに、魚は一匹も泳いでいなかった。心の中で私は、昨日食べた(あじ)に対して、すまなく思った。

 ところでぐんぐん下りて行くと、なにやら白いものが見えてきた。私は訝しく思って近づいていくと、やがてそれがドームの天井だとわかった。

 そう気付いた瞬間、私は海底に立っていた。青い青い天空とも取れん美の極致。私は感動したが、なんと私のすぐそばには、非常に背の高いビルが、地面に突き刺さっていた。ビルは私の両脇に、十五メートルぐらい離れて立っていた、私が立っているのはコンクリートの地面だった。おや! 地面にコンクリートがあるぞ!

 なんて不思議なことだ!

 私は、私の立っている位置から、高く上方を見上げて、そこに太い連絡通路が通っているのを発見した。それは二つのビル同士をつなぐ連絡橋だった。

 よく見てみると、とても高いビルだった。人間が二十人くらい肩車しても、きっと背の高さでは負けてしまうだろう。

 私は歩き出した。

 しかし、不思議なことだ。

 このビル群、どこかで見たことがあるぞ!

 ちなみにあるのはビルだけではなくて、歩いていると、視界の先に信号、横断歩道、四辻、バーや服飾店などが見えてくる。それらすべての建物に見覚えがあるのだ。

 魚はやはりここにもいなかった。人も同時にいなかった。なんて不思議なところなんだろう、と思って、なおもその風景を眺めていると、私ははっ! として、ことに思い当った。

 ここは私の街だ!

 私の中にそう衝撃が走ったとたん、街の建物はゆっくりと起動しはじめ、ところどころの部屋に白い電気がつけられ始めた。

 私は驚いたと同時に、そのときにはもう空を飛ぶ能力を有していた。

 町の中心には駅があり高架線が走っているのだが、前々からそこを飛び越えたいと思っていた願望がついに実現した! 私はまるで棒高跳(ぼうたかとび)走者のように助走をつけると、ぽーんっ、と、軽々とその高架線を飛び越えてしまった。

 私は空でも飛ぶみたいに、自由自在に海を泳ぎ回った。しかしそれは実際に空を飛んでいるのと同じ感覚だった。だって私の街がこんなにも下に見下ろせるんだから! ああ、私の住んでいる家はあんなに小さい! 近頃よく行くケーキ屋さんがあんなパン屑みたいに! 気になっている女の子の通う学校があんなところに! 小さいなぁ、愉快、愉快。

 そうして私が空を飛んでいると、ようやっとお魚さんたちが出迎えに来てくれた。魚たちは群れを作ってまるで踊りでも見せるみたいに、私の周りを縦横無尽に駆けめぐった。

 珊瑚礁の花々がまるで私を祝福してくれるよう! 私も自由自在に泳いで、踊りを見せてやった。水面から差し込んでくる太陽の白い光芒が非常に美しくて、私の心は躍った。非常にいい気持ちだった。珊瑚礁や魚たちはコーラスを歌い、私は太陽のスポットライトが当る大座で非常に上手な歌と踊りを披露するのだ。魚たちから万雷の拍手が贈られる。私は一礼して、それからまた遊泳を開始した。すいすいと軽やかに泳ぎ、太陽と花々の交わるところを非常にいい気持ちで通り過ぎた。様々に向きを変えて、顔も上下逆さまにしてもみたが、特に難しい泳法などは要らず、簡単にこれができた。苦しくもなかった。ここにきて、私は、あれ、海の中なのに苦しくないなんて変だな、と思った。しかしなぜかそれ以上不思議に思わなかった。なんらかの理由で、そうか、それならこの現状も理解できる、とうなずいたのだった。

 やがてそうして気持ちよく自由自在に飛びかっていると、ずっと遠くから、非常に大きくて黒い(くじら)が現れた。私は恐れなかったが、その鯨は私に「乗れ」と言っているのがわかった。

 私はその背中に乗ってみた。すると鯨は向きを変えて上方へと昇っていった。

 そうか、帰るんだな、と私は思った。下を見下ろしてみると、私の街が非常に小さく見えた。

 鯨はどんどん上へ、上へと昇っていった。

 ああ、寂しい。もうお別れか。でも、かならず戻ってくるからね。海底の神秘的な街よ。

 そう思っていると、水面が近付いてきて、私はその太陽の光の中に投げ出された。

 すると、目が覚めた。

 そうして、今までのものがすべて夢だったと知れた。

                                  ―ある男の夢―

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