ある芸人の話

 

 ある館に、夜、ピアノが鳴るという噂がたった。

 館主のキンデーウカさんは、幽霊嫌いでしたので、なにをそんな馬鹿な、どうせ夢でも見たんだろう、とおっしゃいます。

 けれど館で働く使用人たちは、絶対います。必ず聞こえるのです。どうか館主様、夜、一度でもいいからずっと目を覚ましたまんまでいてごらんなさい。聞こえるでしょうから。使用人たちがそういうので、キンデーウカさんは夜ずっと目を覚ましていることにしました。

 夜、風がびゅうびゅうと鳴る不思議な晩でした。キンデーウカさんは、蝋燭をともし、書斎で書き物をしていました。

 さて夜中の刻限、一時すぎです。

 いったいぜんたい幽霊などいるわけがない。おれが確認して明日使用人たちに証拠をつきつけてやろう。と、息巻いていました。

 かくして、聞こえました。

 ピアノの音です。

 キンデーウカさんはすぐに、館の二階の、ホールに面した客間で、それが鳴っているのだとわかりました。

 蝋燭を手に持って、彼はおそるおそる、部屋を抜け出します。

 犯人を捕まえてやる。どうせ使用人の中の一人がいたずらで弾いているに違いない。そういうことを心に言い聞かせて、彼は、わずかに胸の内から込みあがってくる恐怖を押し込めようとしました。

 キンデーウカさんはやはり勇敢な心の持ち主で、そういう幽霊とか迷信ごととかは一切信用しないたちでしたので、すぐに恐怖を追っ払えました。相手を脅かすような足取りで、のっそのっそと、絨毯の上を歩いていきます。

 だんだん音が近くなってきました。

 なんと、ショパンのノクターン第二番でした。

 静かに、どうしたことか悲しげに響き渡ります。夜の闇から、染み入るように天使の呻吟が聞こえるようです。

 見えもしないのに星の輝きが見えて、届きもしないのに月光が頭上から照らすようです。

 それはまるで夢のような演奏でした。

 キンデーウカさんは一瞬うっとりと、顔を柔和にしました。まるで夢見心地に美しかったからです。しかしすぐに顔を引き締めると、のしのしとその音が響いてくる部屋に近づいて、勢いよくドアを開けました。

 中は真っ暗でした。ランプの明かりも蝋燭の炎もなにもなく、ただ真っ暗やみの中でピアノの鍵盤が鳴っていました。

 キンデーウカさんは悲鳴を上げそうになりました。ピアノがひとりでに動いていたからではなく、そこに、ちいちゃな、自分のかつて生きていた娘の影を見つけたからです。

 娘の亡霊でした。

「リュージャナ!」

 と、キンデーウカさんは叫びました。

 娘の名前はリュージャナといったのです。

「リュージャナ、リュージャナ!」

 キンデーウカさんは扉の開いたところに立ち尽くしながら、そう中に向って叫び続けました。

 そうしてショパンのノクターン第二番が終わると、次もまた同じ曲が始まりました。

 そこから、どれだけの時間がたったでしょう。

 館中の部屋部屋では使用人連中が震えあがり、粗末なベッドの中でお暇を告げようか、どうしようか、算段し、いったい誰が先にお暇を告げるのか、ひそひそと噂しあっていました。

 ときには幽霊は楽しそうに弾いたり、ちょっとふざけるように間隔を伸ばしたり、あるいは怒りをぶつけるように力強く弾いたり、とにかくいろいろ演奏の仕方を変えて弾き続けました。

 亡霊のリュージャナはその長い金髪を、森の湖のかすかな反射光のように、月色になびかせ、同様にまた青白い色をした顔を、そっと、ピアノの抑揚をつけるときに上下させながら、ピアノを弾いていました。

 そうして最後に、とっても長い、ゆったりとした、悲しみの味がする、悲壮なノクターン第二番を弾きました。

 弾き終ると、幽霊はこちらを見、いたずらが見つかったときのように肩を縮ませながら、綺麗に消え去りました。

 キンデーウカさんは床に倒れて気を失ってしまいました。

 翌日客間の部屋で倒れているキンデーウカさんが発見され、介抱されました。

 しかしキンデーウカさんはずっと眠ったままで、どんなに揺さぶっても、目を開きませんでした。

 そうして三日たった早朝のころ、息を引き取りました。

 使用人たちはみな悲しみました。けれど、その彼の死に顔は、まるで天使にでも会ったみたいに、やすらかであったといいます。

 

 これで私の話は終わりです。

 パッサーはそういうと、ふっ、と蝋燭をかき消した。

 

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