第2章 ベリエス

 

 鉄の無骨な城壁に、ツタ類や苔が張り付いている。

 フューリーは城門に近づくとフードを取った。怪しまれないようにするためだ。だがジーナのフードは取らなかった。

「もし、」

 暢気に頬杖をついている門番に話しかけ、フューリーは後ろの三人と、二匹の馬に目を向ける。

「通してほしい。四人だ」

「……あんたら、どっから来た?」

 寝ぼけながらも、脇についている小窓から顔を出した門番は、眠そうな眼差しでやや鋭い質問を投げかけた。

 フューリーがそれに顔をしかめた。

「あなたにそれを知らせる必要があるか? そしてあなたにそれを知る必要は?」

「もちろん、そりゃあ、ないな」

 ひねくれた笑みを浮かべる門番。

「だが最近見かけない人間の出入りが多いんでね。一応職務だから聞くようにしている。あんた、そういやこの前来たんだっけな。おれは会ってないけどよ」

「私のことを知っているのか」

「名前はフューリー――だろ? そのときの門番はおれじゃなかった。カフスのやつだったが、そいつが、えれぇ別嬪さんが来たって言ってたから、きっと今あんたのことだと思ったのさ。桃色の髪とも言っていたな」

「ちっ……」

 フューリーも、こんなときでなければ、舌打ちもしなかったろう。この噂好きの、垢抜けていない、愛らしいベリエスの街の人々を、とても親しく思ったことだろう。こんな非常事態でもなければ。

「行きはお一人さんだったのに、帰りは連れがいるのかい? そっちは?」

 あくまで門番の視線は、好奇のものである。黒い存在の片鱗は感じられない。

「ファルサリア方面に住んでいる者たちだ。これからベリエスを一緒に通過したい。通してもらえるか」

「なるほどね。見たことねぇ顔だ。いいよ、通っても」

 門番は簡単にそう答えた後、門の脇についている小さな扉から、一行を中へ通した。

「最近物騒だからねぇ。すまんね、お連れさん方」

「いいえ……」

 ジーナが小声でそう答えたときだった。

「お、そうだそうだ。そうだった」

 短い髪の、若い門番が、ぴしゃり、と自分の額を叩いてこう言った。

「あんた、ちょっと待ってくれるか」

「え?」

 門番がジーナの肩をつかむ。それで大きく顔色を変えたフューリー、パリスたちだったのだが、門番はその変化に気づかないようだった。

「さっきここを通っていったやつらに聞かれたんだが……いやね、なにしろ気味悪いやつでね……おれもなんだか腹が立ったから協力なんかしたくないんだが、まぁ、今になってちょっと気になってね、あんたら、アリーシャ・ヴィンフィールトっていう女の子を知らないかい?」

 一行の間に重い鈍痛のような衝撃と、それから、静寂の沈黙がおとずれた。

 ジーナは再び、暗い、底からやってくるような波動が、今度は四方から、形をともなって自分を襲ってくるイメージに囚われた。息が詰まりそうに重くなり、こんなところから早く立ち去ってしまいたいという思いに強く駆られた。

「あんたは知ってんのかよ?」

 そこでパリスがとっさに機知を利かせた。逆に門番にそう尋ね返したのだ。

 気安げに。

「いんや。聞いたことねぇ名だ。ファルサリア市内に住んでいるらしいが、なにしろ、おれはファルサリアにあんま行かねぇし、昔は有名な名前だったっつー話だが……おれはそういう政治とか情勢とかについて興味がないんでね」

「おれはあんたの特徴と顔を覚えたぜ。出会う女にはいちいち名前を尋ねるが、男にはさっぱり尋ねない門番だってね」

「ふははは!」

 門番は面白そうに笑う。

「おもしれぇこと言うじゃねぇか。兄ちゃん。じゃあ改めて聞くが、あんたはなんて名前で、どうしてこのベリエスにやって来たんだい?」

「おれはパリス・インディゲート。無論おれも、世の美しい女性たちを探し求めにさ!」

 パリスが若干芝居っぽく大仰な言葉を述べると、門番はさらに気をよくしたように、がははは、と哄笑した。

「この別嬪さん二人じゃ、満足できねぇかね。この色男が」

「いやぁ。できれば、おれはエルフの女性に会ってみたいんだけどね。おそろしく綺麗だというからさ」

 その言葉に、フューリーがぴくっ、と顔をしかめた。

 パリスと門番の男はそれですっかり仲良くなったように見え、ジーナを捜している連中のことなど話の種からすっかり取り除かれてしまったようだった。

 さらにそこから、門番の男はエルフのことについても詳しく教えてくれ、それを立ち聞きしていたジーナは、今晩泊まることになった宿屋のある一室で、それを興味深そうにさらにパリスに尋ね返したのだった。

「ねぇ、あの門番さんと話していたことって、いったいなんなの?」

「ん?」

 パリスは剣を帯びごと外して、壁に立てかけながら、答えた。

「エルフのことですか?」

「ええ。会ったことがないから」

「私が、エルフの女性に会いたい、といったら、あのオヤジ、だったらここから戻って、北西の古森に向かえばいいと言ったんですよ。そこにエルフの里があるから」

「知っているわ。その古森の奥の奥、うーんと奥に、エルフが住んでいるっていうんでしょう」

「伝承にすぎない」

 パリスとジーナが楽しく話していたところへ、マントを外したフューリーがそう短く答えた。

「人間は誰も彼らに会ったことがないんだろう」

「ええ。物語や、歌の中にしか出てこない。『その後彼らは隠れひそみぬ』っていう言葉でよく締められているわ。だって古森なんて、誰も近づかないから」

「行かないほうがいい」

 マントを脱ぎ、そこからしめやかに現われた彼女の装備は、その名の通り、あまり身を包まない、軽装だった。素足が腿まで剥き出しになっている。

「エルフは人間に会いたがらない。森も行く手を阻むだろう」

「そうなんですか?」

「エルフなど、いるかどうかもわからぬ。伝説の種族だ。今はそんなことよりも、現状をどう打開するかに話を置こう」

 銀の帯から剣を取り外し、フューリーは、自分の座っているスツールのそばにそれを置いた。

「そうですね……。このまま、ベリエスをすぐに出なくてよかったのですか?」

「ここの住民は思った以上に詮索好きで、旅人と言えば、私か先ほどの連中か、君たちぐらいしかいないらしい。このままでは注目を引く。いずれにしろ食料を補給しないといけなかったし、街の者に怪しまれぬためには、宿屋に一泊でもしなければならない」

「見つからなきゃいいですけどねぇ」

「居心地が悪くて、休んでる気がしないですだ……」

 パリスとベルが口々に愚痴を言う。フューリーは壁に背をもたれさせて、静かな視線を二人に向けながら語った。

「やつらもまさか、この部屋まで駆け込んできはしまい。時間が経ちすぎて、頭が煮えたぎるまではな」

「頭が煮えたぎったら駆け込んでくる、ってことなのね……」

「そのとおりだ。だが我らは明朝に出発する。宿屋の主人に、もうそう告げてある」

 一行が今いる部屋は、四つのベッドが並んだ、普通よりやや大きい寝室だった。フューリーには文句を言いながらも、ジーナも、パリスも、ベルも同様、久し振りにまともなベッドで休めるとわかると、もう自然と顔から険しさが取れてくるのだった。

 ジーナもしばし恐怖の種を忘れて、いつもより饒舌になる。

「フューリーさん、忘れていたわ」

「なんだ?」

 フューリーは大儀そうに肘を近くの棚の上に置き、艶めかしく足を組んで(本人は意識してないだろうが)、白くてほっそりとした素足を、見せびらかすように組み直した。

「本名はなんていうんですか?」

「……」

 ジーナはわくわくとした子どものような表情で尋ねたのだが、フューリーの顔は寂しげに沈んだままだった。

「あとで教えよう」

「いまじゃだめなんですか?」

「私の本名を知っている者は、あまり多くはない。私もフューリーと呼ばれてから長い。そちらの名のほうが落ち着く」

「では、いつかもっと仲良くなったときに、教えてくださいね」

「ふ、」

 ジーナはまるで、もう一人自分に姉ができたようにはしゃいでいた。

「もっと仲良くなったとき、か……」

 フューリーは物思いに耽る。フューリーにとってジーナはただの護衛対象だった。まさかそこからそんな関係が今まさに芽生えようとしているとは、驚嘆すべきことだった。

「それでね、それでね、私」

「お嬢様」

 パリスの咎めるような声がする。

「さっさと寝て明日に備えないと、また足がのろくなりますよ」

「んもう、黙っててよ、パリス。今は女の子同士の会話なんだから。見つかってもたいして問題じゃないあなたたちは、食料でも買いに行っていて」

「……」

 パリスは、押し黙ると、そのままなにも言わずにベルをつれて出て行ってしまった。

 今晩だけは人並みの夕食を採れるはずだ。パリスはフューリーから銀貨一枚を受け取ったから。

「それでね、フューリーさん」

「なにかね」

「剣を、私に教えてほしいの」

「?」

 フューリーは訝しそうな表情をした。

 ジーナは、自分の椅子を座ったまま引きずり寄せ、フューリーに詰め寄る。

「旅の、こうした合間合間でいいのよ。今日、私、確信したわ。暢気な旅なんてしてられないってこと。本当だったら毎日教えてほしいわ。私、明日に命なんてないかもしれないんだもの」

「ジーナ……」

「もしかしたら、命は繋がっても、死ぬことよりももっとずっと酷いことをさせられるかもしれない。チューザーお兄様の殺害の駒として使われるとかね……。そうならないように、すくなくとも、私も、すこしは戦えるようになっておかなきゃいけないわ」

 フューリーは、ここで、厳しい顔になって言った。

「私は君に指一本触れさせるつもりはない。敵にはな」

「でも、フューリーさんは一人よ。大勢を相手にしていたら、必ず隙が生まれてしまうわ」

「否定はしない」

 しかつめらしい顔でそう答える。

「だから、よ。私も、自分の身だけは、ちゃんと自分で守れるようになっておきたいの。だめかしら? 思い上がりかしら? 私、とっても怖いわ。人なんて殺したくないわ。動物だって殺したくない。このナイフで……」

 ジーナは懐から、持ち出してきた短剣を取り出し、すっ……と静かな音で、それを抜きはなってみせた。

「首をかき切るのよね。家畜はそうやって殺すと言っていたわ。もちろんさんざん鉄槌で殴ってからだと言っていたけれど。眠り薬も飲ませて。でも……私にそんなことできるなんて思わないわ。怖い。すっごく怖いの……」

 フューリーはなにも言わずに、ただただ真剣な顔をしていた。

「でも、やらなくっちゃいけないわ」

 ジーナはフューリーに向かって体を横にして、ゆっくりと、一つ一つの動作を確認するように、軽く、穏やかな茶色いランプが灯っている部屋の空気を、斬ってみせた。

「倒さなくっちゃいけないわ。誰よりも私のために。やらなくっちゃいけないのよ」

「それが敵に君を傷つけるように警告を発することになったとしてもか?」

「わかっているわ」

 ジーナは悲しそうな顔で目を伏せると、静かにつづけた。

「中途半端な剣技じゃ絶対だめ。それじゃ苦しくなるだけでなんにも変わらないわ。でもね……」

 ジーナは、再び剣を目元までかかげ、その鮮やかに輝く刀身を眺めてみた。

「私は望まないわ。あなたの手助けが届かなくって、パリスやベルの手も届かなくって……それで私が敵の槍に胸を貫かれること。チューザーお兄様との取引材料に使われるのはもっと嫌だわ。そうしたらもう生きる希望がなくなってしまう。そうならないために……私は剣術を学ぶのよ。これっておかしいこと? 無駄なこと? いいえ、無駄なんかではないわ。覚悟するべきだわ。私だけ弱音を吐いていられないわ。なにか、なにかできるもの。私にだって。なにか……それを、私は見つけたいのよ」

「……」

 フューリーは目を閉じて、しばらく考え込んでいた。

 ジーナはそれを根気よく待った。

 やがて、フューリーはゆっくりと目を開けると、立ち上がって、床に靴の音を鳴らして歩いた。革の編み上げ靴だ。膝には紺の布が軽く巻かれている。パンツはやや短く、動きやすそう。上衣はうすく汚れた白いシャツで、その下には、開かれた胸元からわずかに見えるが、銀色の鎖かたびらが仕込まれていた。

「教えよう」

 ジーナは、いつフューリーがそう言ったのかわからないほど、なんともなしに呟くのを、たしかに聞いた。

「ただし騒音は立てられぬ。今やここは灯台の真下……安全だとは言えても、一歩間違えればすぐ敵に見つかってしまうのだからな」

「心得ているわ」

「君の覚悟、私は感心した。たしかにその通りだ。君もある程度の戦闘知識を学んでおくべきだと私も思う。もし、敵に捕らえられた後も、機知を働かせて逃げ出せるだけの程度にはな」

 それからフューリーは、ジーナとの距離をやや空けたまま、ジーナに、「短剣を投げて寄こしてくれるか」といった。ジーナはやや危ながりながらも、よろよろと、柄の方を向けたまま、フューリーに向かって投げた。

「ありがとう」

 それを、まるで空気でも掴むように平然と取って、フューリーは片手に持つ。何度も握りを確かめたりして、天井にかざしてみたりする。

「なるほど」

 フューリーはそう言って、柄をジーナに向け直し、近づいていって、またジーナの手に持たせた。

「柄をしっかり握って」

 ジーナは言われたとおりにしてみせる。

「その短剣は刺突用に作られている。もちろん横薙ぎに斬ることも可能だが。一番簡単で、一番手っ取り早い戦法が、『突く』ということだ。その剣の、鍔から上、そう……刀身のところに、軽く人差し指をかけて」

「切れたりしないかしら?」

 ジーナはおずおずと、言われたとおりにする。

「切れぬ。そうとう強く食い込ませない限りは。そう。しっかり握ったね。そうすると狙いがぶれない。もちろん、その持ち方を変えて振るうことも可能だ。戦法の一つとして考えられる。だがその持ち方のほうがきっと今の君には一番いい」

 フューリーはジーナの側面に移動し、腕を持って、そのまま前に動かせた。

「こうして、殴るように剣を突き立てるんだ。言っておくが、敵が油断しているときに限るぞ。君は滅多に剣を出してはならない。あくまで無防備だと思わせるのだ。そのときに、狙え。そう、こうして殴るように、拳を押し出して。狙うのは胸か喉。なるべく敵の懐に飛び込むか、あるいは背中から飛びかかって、首に突きつけるのが良い」

「……」

 ジーナはなんだか怖くなった。指がすこし震えてきた。

「これは人間を相手にした場合の戦い方だ。そして、この場合は、相手も素人か、おそろしく油断しているときに限って通用する。そういう戦い方だ。敵がゴブリンなどの怪物だったり、オークだったりトロルだったりした場合は、決して近づいてはならない。もっと大きい武器で戦わなければならない。あくまで短剣で戦いたいならば、私のように素早い動きを身につけるべきだ」

「……そんな恐ろしい怪物と、戦うときがあるのかしら」

「恐らくあるだろう」

 ジーナはその一言で、凍り付いて動けなくなった。油断すると短剣が手からこぼれ落ちそうになった。

「だが、今すぐではないし、可能性も、人間に比べたらずっと低い。それは……かの、暗黒の都市にひそむ軍勢が動き出したときの場合だ。今は間者を送ってくる程度。その間に君をチューザーの国まで連れて行けたら、君は戦わなくて済む」

「……」

 ジーナは、震える両手をやっと心で押さえつけて、手のひらに短剣が乗っているのを見つめたまま、呟いた。

「そうなのね」

 フューリーはなにも答えなかった。

「もっと、詳しく教えてちょうだい」

「体を動かすのはここで終わりだ」

 フューリーはジーナに背を向けて、離れていった。

「あとは実戦の知識を教えよう。これ以上体を動かすと自然と物音が立ってしまう。やめよう。こちらにおいで。ベッドに入って休んだらいい。そこで私も教えよう」

 ジーナは頷いて、靴を脱ぎ、フューリーの隣のベッドの下に並べて置くと、毛布の中に体を入れた。

 フューリーはベッドには横たわらず、腰をそこにつけて、講義を始める体勢を取った。

 

 明朝、夜も明けきらぬうちから、一行は宿屋を出発した。

 対面側の、国境を抜けるために。石畳を通り抜けていく。あたりは静まり返っている。起き出してくる者などない。

 ジーナは、おそらく、自分の旅は終始このような感じなのだろうと、閑散とした、大通りを歩いていて、そこに響く馬の蹄の音と、自分たちの静かな靴の音を聞きながら、考えた。

 門番に行き先を告げて、城門を通してもらう。行き先は、ファブレー公国。しかし本当にファブレーに行くわけではない。

 城門から抜け出た先は、カテラ原と同じで、一面の草原だった。ただしジーナの目には、カテラの原よりも、ここはずっと大きく、広大で、ここから一気に世界が広まったように感じられた。

「しばらくは街道をゆこう」

 遠くから観察している者がいるかもしれない、とのことである。フューリーの言うことは――彼女は、自分では絶対ではないと言っていたが――一番の経験者なので、みな黙って従った。

 歩きやすい道をしばらく歩いているうちに、東の尾根から、朝日が昇ってくる。燃えるように赤い朝日。寒々とした空気が、徐々に暖められて、この世界の一日が始まっていく。雲は黄金色に輝いている。それからだんだんと白くなってきて、世界はだんだん朝になる。汗も出てくる。

 風の匂いはおいしかった。ジーナはいい気分だったし、パリスも、ベルも、似たような感慨だった。

 そんなときだった。

「待った」

 フューリーが足を止めて振り返った。一行もそれにつられて振り返る。

「どうしたんだ?」

「フューリーさん?」

 後ろの、今では小さくなった門から、一つの、黒い点のようなものが出てきた。

 動いている。

 そしてそれはだんだん大きくなりつつある。

 フューリーはそれをじっと見つめていた。

「まずいな」

 フューリーは後悔したように呟いた。

「み、見つかったの?」

「剣を出してはならぬ」

 フューリーは小声でそう言った。

「今から隠れても遅い。……すまぬな、私の判断は間違っていたようだ。たとえ私たちの正体がばれたとしても、すぐに別の道を取るべきだった。まさか奴らがこんなに朝早くから、ここを張っているとは思わなかった。パリス、ベル。お嬢様を護ってくれ。ただし、敵だとわかるまで剣を抜くな」

 フューリーはそれから一歩も動かなかった。ただじっとして、その影がだんだん濃く、だんだん大きく、やがてそれが馬の形と、そこに乗っている一つの人影だということに気が付くまで、そして最後にこちらの目の前にやってくるまで、動くことはなかった。

 騒々しい音を立てて、軍馬は止まる。騎乗の人は兜を被った、大男で、金髪らしく、兜の裾からその髪がはみ出していた。

 腰には短剣。背中には弓筒と、長弓を差していた。

「顔を上げろ」

 その男はただ一言、そう命令した。

 ジーナとフィーリーは、男に顔を見せるために上げた。男は一瞬歓喜の表情を浮かべて、それから、

「ピィ――――――ッ!」

 と、指笛を吹いた。

 直後、ジーナにおそろしい闇の気配が押し寄せてくる。恐怖だ。恐怖だった。例えようもない恐怖。それはおぞましい存在の察知であり、自らの命が天秤にかけられ始めたことの発覚だった。

「隣のおまえは、エル=ギルドの使いの者だな? 見たことがあるぞ。そうか、金色(こんじき)(おう)ハルバラも動いていたという――」

 男は最後まで言うことができなかった。

「むんっ!?」

 フューリーが抜刀し、跳び上がって、男の首元に剣を流れさせたからだ。まるで動きが見えなかった。ジーナが気づいたのは、フューリーが首をはねるのに失敗して、男の剣と、兜に受け止められたということだった。

「わははは!」

 それから男は馬を翻し、一行から長い間合いを取る。そうして一度剣を鞘に収め、弓を取り、矢をつがえた。

 狙いはジーナ!

 しかし、フューリーにそう思わせることこそが、この男の狙いだったのだ――。

「なに?」

 だがフューリーはさらにその先を読んでいた――。

 身動きを取れなくして、おそらく、仲間がここに駆けつけてくるのを待つのが男の作戦だったのだろう――そもそもよく考えれば、四対一というこの状況。不利なのはどう見ても男のほうだったのだ――フューリーはそれをよく見抜き、躊躇することなく、男の足下にまで流れ込んだ。

 風に乗るような身のこなしで、馬の側面に駆け上がり、まるで重力など感じてもいないような軽さで、剣をゆっくりと首元に突きつける。

 剣は朝日を浴びたからか、それとも、なにか魔法が掛かっているのか、淡く緑色に輝いていた。

「私と戦いたかったら、馬から下りるのが上策だったな」

「な……」

 フューリーはそれ以上なにも言わず、剣を男の首に食い込ませた。そして、抜く。男は首から大きな血しぶきを上げて、馬から転げ落ちた。

 フューリーは息を上げて、剣をしまい、一行に呼びかけた。

「はやく逃げるぞ! 追っ手を呼び寄せられた!」

 その一言にジーナたちは正気を取り戻させられた。パリスは馬の手綱を引き、すぐに街道から逸れる。ジーナとパリスもそれについていった。フューリーもその後に急いで続く。

 しかし。

「げ……」

 前方の逃げるはずだった森から、怪物が出てきたのだ。

「ゴブリンだ!」

 フューリーが叫ぶ。ジーナは緊張した。

「小鬼だと!」

 パリスも叫んで抜刀する。

 ベルは左方を見つけて驚嘆する。

「お嬢様! あちらから!」

「え? ……」

 ジーナはぞっとした。狼の群れが、こちらにどんどん向かってきているのだ。黒い小さな点。しかしそれは、すぐに狼の群れだとわかった。すぐに直感できたのだ。

「あ、あわわわわわ……」

「ベル! おまえも剣を抜け!」

「は、はぃっ!」

 褐色の、気のいい調理人も、剣を抜かざるを得ない。

「最悪だ……」

 フューリーが、後悔するようにそう呟いた。

「私の読み間違いだった……。敵は、もう、暢気に構えてなどいなかった。すぐにデプベルスを落とすつもりでいたのだ。チューザーの存在はここまで大きかった……。くそ!」

 フューリーは剣をもう一度正面に構え、背中でジーナを護るように、パリスと肩を並べた。

「もうやつらは私たちを殺すつもりでいる! しかし、ジーナだけは生かされるだろう――。だがそれだけはどうしてもあってはならぬ! 君らは全方向に注意しろ! そして背後にいるジーナへの注意を怠るな!」

「わかってます!」

「は、はいだ!」

 パリスもベルも、剣を構えつつ、若干震えている。どんどん闇の手の者がこちらに近づいてくる。ジーナは気が動転して、絶えず、剣を取ろう、剣を取ろう、と思っていても、懐に手が伸びない状態だった。なにも考えられなかったのだ。

 そのとき、フューリーがなにか、聞き取れないほど素早く、また聞いたこともないような言葉を口にした。

 そしてそれが魔法の呪文だとわかったときは、すでに、フューリーがここから遠く立ち去っていて、前方の、ゴブリンの一隊の半数をその剣で斬り倒しているときだった。

 目にも留まらぬ速さ。それがジーナの、フューリーにおける感想だった。

 そして美しい。

 剣の軌道、体の動き、拳や蹴り、そして敵の攻撃を利用した、反撃。そのどれもが、まるで、フューリーが一人の画家で、そこに絵を描いているのだと錯覚するほどに、綺麗だった。あるいは、まるでここに歌が流れていて、それをエルフのように、歌い踊っているのが彼女だと。

 彼女の四肢は薄白く光っていた。

 ゴブリンは悲鳴を上げることすら覚束なく、盾はことごとく役に立たず、剣は彼女の身に届くことがなく、雄叫びも、一瞬で途切れた。直ぐさま全滅させられる。

 そしてすぐにフューリーは戻ってきて、ジーナにその油断ない横顔を見せる。

 彼女はなにも語らなかった。

 そしてその直後、狼の群れが到着する。

「パリス、ベル! そこから動いてはならない!」

 飛びかかろうとしたパリスたちを押しとどめ、フューリーはまたもや呪文を唱える。

 するとそこに、一筋の鋭い雷光が落ちた。とたん、あたり一面に炎が燃え広がり、狼の半数を焼かした。残りの半数も、炎を怖がって逃げ、続けて放ったフューリーの魔法の餌食となった。

「まずい……どんどん来るぞ。ジーナ、なにしている! はやく動け! 逃げるんだ!」

「え、ええ。……」

 ジーナは急かされて、よろよろと動き出す。ジーナの動きにつられて、フューリーたちも動き出す。そこでジーナは立ち止まった。森は危険だった。どんな怪物たちが潜んでいるかわからない。

 ……であるなら、このまま草原を突っ切るしかないのだ!

「くっ!」

 フューリーは再び、舌打ちをついて、飛び出していった。敵の刃を受け、その間に、三匹の喉元を捉える。あまりにも数が多いので、パリスも加勢に付いていった。

 ジーナの傍には、ベルだけ……。

 今度こそジーナは、懐の短剣に手を伸ばそうと思った。今なら手に取れる気がした。

 しかし、ふと頭によぎった、昨日の言葉。

 抜いてはならない。

 あくまで敵が油断したときにだけ……。

「……」

 ジーナは懐から手を離した。

 そして悔しかった。

 なにか魔法が打てればよかったかもしれない。

 矢を放てればよかったかもしれない。

 フューリーのように、あるいはパリスのように、剣を振るって敵を倒せればよかったかもしれない。

 あるいは盾になることができれば。

 自分はなにもできやしない。ベルのように人を守り抜くこともできない。

 それがとても悔しくて、そんな闇の気配は、ジーナの心をすぐに覆ったのだった。

 そんなときに隙が生まれるものだ。

「がっ!」

 横から突き出てきた棒によって、ベルが吹っ飛ばされる。

 ジーナは呆然とした。

 恐る恐る、棒が出てきた左方を見てみる。

 そこには槍を持った、騎乗の、もう一人の男がいた。

 作戦だったのだ!

「しまっ――」

 フューリーがそう叫んだのが聞こえた。

 その直後には、ジーナは敵の腕に捕らえられ、まるで押しつぶされんほどに締めつけられ、脇に抱えられていたのだ。

「くはははは!」

 大男は笑っている。ジーナは、びゅうっ、と頬をとんでもない風が通りすぎていくのを感じた。馬が走り出したのだ。どんどん戦場から遠ざかっていく。

 攫われた。

 自分は攫われたのだと思った。

 草原のはるか彼方では、まだフューリーたちが戦っている。こちらを追いたくても、手間がかかって追いかけられないようだ。

 自分はこうして無力だ。

 そのときに、ふと昨日の、フューリーの言葉が頭に思い浮かんだ。

「油断しているときに剣を突き立てろ。相手に無防備だと思わせるのだ」

 ジーナは、片手だけ、どうにか敵の束縛から抜け出せて、自由にできるようになったことに気がついた。

「突くなら胸か喉がいい。確実に殺すなら、やはり喉にしろ。敵のふところに飛び込んで――」

 ここはどこだ。

 敵の懐だ。

 そして、まさに、手を少し動かすだけで、敵の首に触れることができる。

 丹念に、そして、慎重に、ジーナは懐から短剣を抜いた。

 男は戦場から逃げることにばかり躍起になっている。あるいは、この、自分が手にした手柄に酔いしれているのか。

 どちらにしろこちらを見ていない。

 ジーナは恐ろしい気持ちで、胸をガンガンと鳴らせながら、口で、鞘を挟んで、ゆっくりと抜いた。

「人差し指を鍔の上にかけろ」

 心でフューリーの言うとおりにする。こうすると狙いがぶれない。

「最後に、」

 これは、ジーナがベッドに入った後に話してくれたことだった。

「敵の肉を突いたら、一秒だけ待て。そして、すぐに引き抜け」

 一秒、とは。ジーナが慌てすぎないようにするための条件。

 ゆっくり、作業を行なうことによって、目標をブレないようにするための、フューリーの言葉。

「――」

 ジーナは、勢いよく短剣の切っ先を、敵の首元に押し込んだ。

(ごめんなさい……)

 そう心で懺悔の言葉を呟きながら。

 敵は、そのまま馬上から落ちていった。

 

「よかった、よかった……ジーナ……本当によかった」

 フューリーは申し訳なさそうに表情を崩して、それでもどこか嬉しそうに、泣きじゃくるジーナを抱きしめていた。

「うぅ、うう……」

「怖かっただろう。すまなかった。よし、よし。助けが遅れて本当にすまなかった。私の、本当に失態だった。今回の事件はすべて私のせいだ。許してくれ……」

 ここは街道からすこし離れた岩場。そこに、ちょうどよく屏風岩になって、姿を隠してくれている安全なところへ、一行は避難したのだった。

「恐ろしい経験をしたろう。怖かったろう。だが、こんな言葉は間違っているかもしれないが――よくやった、本当に。私はもうだめかと思った。早速、最悪の事態に陥ってしまったかと危惧した。だけど、ジーナ。あなたは私の言いつけをきちんと守ったし、それで、自分の命も守ったのだ。よかったことだ。よく覚悟した。本当に……」

 パリスはなんだかばつが悪い気がした。こんな恐ろしいことになって、本当だったら、フューリーを思いっきりなじってやりたい気分だったのに、それができないでいたのだ。今ここでフューリーを責めたら、その胸に抱きついて泣いているジーナは間違いなく怒るだろうし、結局のところ、誰のせいでもない、ということが明確になって、損をするのは自分一人だとわかっていたからだ。

「ともかく、よかったと思いますだ」

「ベル」

 ベルが、すこし早い昼食の準備をしながらいった。

本当はここで食料を減らす予定はなかったのだが、今は戦いの後であるし、なにか、良い思いでもしないと、体に染みついた血の気が薄れないと思ったのだ。

「おれはもう懲り懲りだね。本当に死ぬかと思ったぜ。冗談じゃねぇ。ゴブリンだけじゃなく、狼まで来たときは、おれもさすがにここで死ぬか……って思ったからな」

「おらも真剣に思っただ」

 ベルも心中穏やかならん表情でそう語った。

「怖かった、怖かったよぉ……」

 ジーナは涙を流してすすり泣いていた。涙に目を赤く腫らして、ぐりぐり、とフューリーの胸に顔を押しつけて。

 フューリーはもうそれ以上なにも語らなかった。まるで本当の姉妹みたいに、いたわしげな表情で、ジーナの背中をさすっていた。短剣はもうすでに鞘に収められてある。あの男たちの死体は、すべて狼たちが片づけてしまった。お腹の中に。敵の同盟など所詮そんなものだ。

 時刻はまだ午前中である。太陽はまだ東の空にある。雲が大きく段々になって、いくつも散らばっている。風は弱く、すこし湿っていた。

 フューリーは何匹も斬ったし、何人も殺した。パリスは二匹と一人を切り倒した。ベルはすぐ気絶してしまった。ジーナは先ほどの一人を……。

 戦いの後の気分もやや落ち着いてくると、その話のほうに話題が向くのは、自然の成り行きだった。

「ねぇ、フューリー……さん。さっき魔法を使ってたわね。魔法、使えるのね。そういえばこの前もそんなことをすこし言っていたような気がするわ」

「元気が出たようだな」

 フューリーは質問にすぐには答えず、そういって微笑み、非常食の「カスチャ」という焼き菓子を食べさせると、再び旅の支度をした。

 そのカスチャを食べたジーナは、みるみる怖い気持ちが消えていき、打ち身の傷も癒え、体中が元気になるような気がした。

 立ち上がりながら、フューリーは答える。

「そのとおりだ。私は魔法を使うことができる」

「すごいのね……フューリーさんは剣も使えて、魔法使いでもあるなんて」

「君たちはそうではないのか?」

 すこし興味を持たれたふうに尋ねられたので、ジーナとパリスは顔を見合わせてしまった。

 自分たちも支度をしつつ、答える。

「使うことなんてできないわ。使い方なんてさっぱり知らないもの」

「魔法なんて見たこともあまりないんだ。おれたちファルサリア・ファルサリンはな。市中の大学の、ギルバニオン大学がすべて知識を独占しているから」

「なるほどな……」

 フューリーは、やや憤慨するような眼差しになって答えた。

「人間であれば誰でも訓練で魔法は使えるようになる。魔法なんて簡単だ。しかし、その国の研究期間がその知識を独占しているというのはよくある話だ。私のいる国でも、軍隊と研究者しか魔法を使うことができないし、許されない。だが私は別に魔法使いとも呼ばれていなかったな」

「? どういうこと?」

「あ……」

 フューリーは、口をすべらせた、といったように、口を押さえる。

 とっさに誤魔化した。

「私がただ剣士として、任務をこなすことが多いだけの話だ。ただ、それだけだ……」

「フューリーさんは、軍人として魔法をお習いになったの?」

「いや……そうではない。い、いいえ……うん、すまぬ、忘れてほしい。なんでもないのだ。私は……魔法だったな、魔法は、昔からたくさん使えた。剣と同じような感覚で使うこともできる。私の武器の一つだ。魔法は……魔法、魔法か……」

「どうなさったの?」

 ジーナはフューリーの様子がおかしいことに気が付いた。

「なんでもないのだ」

 フューリーは悲しげな面持ちで手を横に振る。

「私は……、本当は、そう言われてみれば、魔法使いでもあるかもしれないな」

「でも、お城じゃ魔法使いとは呼ばれないのね?」

「……」

 フューリーはもうそれ以上語ることはなかった。

 一瞬だけ、ジーナの質問に、慌てたような表情を作ったのだが、質問を無言で切り捨てると、元の、冷徹な、すさまじい睨みを利かした、凛としたフィーリーに戻った。

「行軍を続けよう」

 フューリーは言った。

「君の兄がいる国――ラストバルトにはまだまだ気が遠くなるほどの道のりがある。そして、もう道中は今までほど安全ではない。いっそう神経をとがらせて足下の悪い道を通っていくか、いっそのこと思い切って最短距離を突っ走っていくかだ」

「もちろん危険が少ないほうだろ」

 パリスがいう。

「この場合どちらのほう危険がより少ないのか、選びにくい」

 フューリーは答える。

 太陽は、だんだん正午の位置に近づいていっている。そろそろ出発しないといけない。

「私たちの取れる道は二つある。一つは、このまま北に直角に折れて、サンシャの森を抜け、斬り崖(きりがけ)山を登り、その山腹からアファドの坑道を通って向こう側に行く。二つは、このまま西に、つまりロザンクトへ足を向け、そこの人間たちの国を転々としていくか。どちらの道も極めて険しい。坑道には悪龍が棲んでいると聞くし、サンシャの森も、美しいが、道らしい道は少ない。斬り崖山は当然険しい。アファドの坑道の入り口もどこにあるのか、探すのは容易ではない」

「八方ふさがりだな」

「パリス」

 ジーナは、咎めるようにパリスの名を呼んだ。

「そんなことをいうもんじゃないわ。ねぇ、フューリー……私はどちらの道でもいいわ。どっちにしろこれからいくつも危険をくぐり抜けていかなければならないんでしょう。一回でも先ほど私を捕まえに来たような人たちと戦わなくて済むなんて思っていないのよ。今度からは、私も戦わなきゃ。先ほどの戦法は二度と使えないでしょうし」

「たしかに」

 フューリーは頷く。

「あれは一回きりの戦法だった。というより、一回で済ませておくべきだろうな。今後からはあなたはもっと広く、そして熟練した戦闘技術を身につけなければならない。そうすれば私も幾分か守りやすい。いつまでも戦えないままであっては困るからな」

「お嬢様……。あんまり無理しねぇでくだせぇ」

 ふふ、とジーナは微笑んだ。

「ありがと、ベル。でもいいのよ。無理なんてしないわ。わかってる。あなたも私が無理しそうだったら止めてね。そして力のつく料理、期待してるわよ」

「あいさ!」

「さて、参りましょうか。指揮は……そうね、あなたが執って頂戴。フューリー。もうこれからはフューリーと呼ぶことにするわ。旅の仲間だものね。あなたの選ぶ道ならどこへでも付いていくわ。あなたは信頼できるもの」

「買いかぶり過ぎではないか」

 フューリーは静かにそう笑っていたが、フューリーもジーナのことは仲間だと認めるようになったのか、信頼する眼差しでジーナを見つめるのだった。

「しかし、そうなるとなおさら選びにくい。坑道は私も通ったことがない。中はわずかな採光窓以外からは一切光の届かぬ魔窟だという。古の悪龍が住まっている。このまま我らだけで行くのは危険だな」

「でも、普通の道は、追っ手も抜け目なく張ってるんじゃないか。それをくぐり抜けていくのは、かなりつらいぜ……」

「そのとおりだ」

 フューリーは難しげな顔になって、静かに目を伏せた。

 しばらく一行の間には重い沈黙がつづいた。

 やがて、フューリーの口から、静かに結論が出される。

「ロザンクトへ行こう」

 ジーナやパリスたちの間に緊張が走った。

「しかし、そのままロザンクト地方を進み続けるわけにはいかぬ。坑道を通り抜けられる道を知っている者を探すのだ。ここから近くには、ベリエスより活気がある、ニデルの街がある。そこに行くとしよう。旅慣れた者も多く集っている。そこで、誰か手頃な者を雇い入れるしかあるまい」

「竜の巣に喜んで同行してくれる死にたがりでもいりゃぁな」

「パリスっ」

 ぴしゃん、とジーナが肩を叩くも、そのパリスの皮肉は、長く、重く、一行の間に沈潜と横たわるのだった。

 

 それから一行の旅は二日続いた。

 しばらくは荒れ地の道だった。草原が終わり、茶色の大地が剥き出しになった土地を歩いていた。無限の蒼穹を鳥が高く飛び、ひゅーっ、という、空々しく、寂しく吹く風の音が絶えず聞こえていた。

 ごつごつとした岩場に半ば無理やり体を横たえて、休憩しているとき、ジーナが小声でフューリーに囁いた。

「フューリー」

「なんだ」

 女性同士の二人は、日を重ねるごとに、親密になっていったようである。とくにジーナは、フューリーをもう一人のお姉さんのように扱った。

「本名を教えてくれる気になった?」

「……」

 フューリーはきょとんとしていたが、その後、すこし難しそうな顔になった。

「そんなに知りたいのか?」

「だって」

 ジーナはだだをこねるように腕を小さく振った。

「気になるんだもの」

「教えても差し支えはない。ただ、私は、あまりその名を気に入ってはいない。人前で呼ばない、と約束ができるなら、教えてもよいが」

「ほんとう? じゃあ、約束するわ。絶対誰にも言わない。さあ教えてちょうだい」

「しかたがない……」

 フューリーは嫌々ながら口をジーナの耳に近づけて、囁き声で、こそこそこそ、と語ったのだった。

 

 つづく……

 

 

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