4

 これは、レーエが木田康作に、夜の間に暇潰しに語ったことだった。

 

 霊は人間たちと変わらぬ生活をしている。

 それは勉強だったり、仕事だったり、恋愛だったり、散歩だったりと、ここでよく見かける風景と変わらない。

 私はラーラという靴職人の女の子と同居していて、いつもは花を束にして売ったり、手紙を代筆したり、飲み屋で歌を歌ったりしている。

 仕事に対する取り決めは、キダのいる日本ほどそう厳しくはない。ただ私たちは、仕事に対する取り組みに、一種の必要な喜びを見いだして、価値のあることとしている。仕事をすることがなければ、霊は満たされない。満たされなければ、放浪する霊となる。放浪するようになった霊のことを、私たちは「彼が旅に出た」と言い、悲しんで酒を飲み合う。そう、悲しみの、彼のためのワインを空けるのだ。放浪は無限の痛みを伴う。霊は孤独となり、精神の死を迎える。それ以降、霊は思い返されることがない。

 私はもっぱら、放浪でない旅行に出ることがとても多い。仕事も行く先々でしている。

 つい最近、失恋が私の心を襲ったことがあった。惹かれていた男の霊が(霊には性別が元々ないが)、私を好きだと言っておきながら、やっぱり前の恋人のほうがよかったと素晴らしく最低なことを私の目前で宣ったのだ。

 私たちは喧嘩別れした。

 私は彼の下劣さを皮肉り、彼は恥ずかしさで涙を流した。それから張り手を一つ贈り、彼のところを辞去してきた。霊にはもともと利益に絡んだ争いはない。ただ一時的な喧嘩はどこにでもある。魂を触れさせればよいのだが、彼の気持ちをわかりたくないという思いが強かった時だったので、私も彼もそうしなかった。彼は私に絶交を言い渡したため、彼はしばらく私の前に姿を現わさなかった。

 私といえば泣いた。少女のように泣いた。ラーラが慰めてくれたけど、彼女はやはり私の張り手がいけなかったと言う。もちろん彼も身勝手なことを言ったけど、霊には相性というものがあり、相手が一人あなたを嫌いになったところで、その相手よりもっといい人がいるかもしれないのだから、あなたの魂は決して傷つけられたわけではないのだと。そうしてやはり彼ともいつか仲直りしなければならないと語った。

 私は、その解答はさておき、しばらく一人になりたかったので、その日から旅行に出かけた。

 私は旅が好きだった。

 人間の世界と同じように、ここには木も草花もいる。でもそれは霊とは少し違う。ここに生存しているのは霊だけだ。それは元からそこにあったそうして無限に活動しているその形式を保つために

 私は一つ山を越えて別の街へ行った。

 そこで家を一つ借り、夜は飲み屋に行って歌を歌った。私はそのお金で本を買い、山の奥の借家の近くにある湖の畔にやすらいで、湖の水鏡のきらめきを温かく感じながら、木の幹にもたれかかり、買った本を読んだ。

 私は旅の他に歌と本が好きだった。

 そうして「無限なるもの」である木々や草花、蝶々や鳥たちを眺めるのが好きだった。

 私はどっぷり浸るようには読まなかった。いつも私を慰めるのは歌と夢であり、本はやすらぎの一つに過ぎなかった。読書にあきれば私は足を伸ばした。

 木洩れ日が私の頬に落ちてゆくのを確かめ、木々のゆとりのある優しさにうずまる快感を確かめ、小鳥の歌や、蝶々の不確かな曲線を残す羽ばたきを確かめた。

 湖の水鏡は青緑色にきらめいている。さざ波が立つのはまるで誰かが水面に手を触れたように静か。馥郁たる花々の香りに私は世界の美しさの何分の一かをかいま見て、目を閉じる。すると、夢の大地が私を待っている。

 私が幼い少女のころ、私を受け入れてくれた緑の丘や、木洩れ日が豊かな森に住むリスや小鳥たち、あの美しかった黄金の空、果てなく続く水平線が、私の元へ以前よりも美しい形で帰って来た。私はあのころ好きだった少年と共に、丘を駆け、犬に餌をやり、歌を歌った。海に船を出してもらい、その船室でこっそりキスをした。私たちは漁に参加し、釣果を父に報告すると喜びのあまり私たち一家は宴会じみたものを開いたものだ。

 私は次の夢を選択した。そのころの夢は私が大人になったころだった。そのころは緑の大地や香ばしい素敵な森に代わり、厳然とした家々が並び立つ豪奢な都会が私を待っていた。金箔のドレスが私を包み、歌を歌うことを禁じられ、そのために私はより慎み深く、上品な、物静かな女性になった。歌は彼のいないところで、こっそりと歌った。私はくすんだ都会の空に悲しみを訴え、狭苦しく、おおらかでないこの環境に自身を悲しませ、じょじょに衰えさせていく形のない悲劇に、身を竦ませた。私の中にふつふつと燃えたぎるものがあった。それは自由への渇望だった。私の故郷に自由はないことは知っていた。あの頃にはもう霊に出会っていたから。霊は、故郷に戻らずにここでもうすぐ生を終えるのがあなたの定めだと言った。それが定めなら仕方がなかった。私は夫とはたいして話をせず、ただ霊とばかり話していた。私は自分の中の何かを燃やし続けていた。

 あの黄金の水鏡をあともう一度見ることができたらと渇望したことが、いったいどれほどあったことだろう。もうあの純真だった乙女には戻ることができないのだ。悲しみの言葉で自分の器を満たし、憂鬱と不満とで私の心はますます衰え、ますます燃えて灰になっていった。悲しみの歌ばかり歌っていた!

 でも、いまは――。

 目を開く。

 夢想から醒めて、私は私の体を眺める。

 そうして歌を歌い出した。

 私の歌は、悲しみを乗り越えた、慈愛と誇りに満ちている、そして純朴な故郷の味があり、そしてそれをもう二度と手に入れることのできない解放感と、親しみに満たされている、とよく詩人から言われる。彼らは私のことを知らないのに、共感してくれる。魂を触れ合わさなくても、自然とそうなる。

 私が歌を歌っていると、後ろからリュートの音が聞こえだした。私は歌うのを止める。すると、気恥ずかしそうに青年が森から姿を現わした。

「いい声だったもので」彼ははにかむように笑う。

 私はその彼の言葉に応えるように、ふう、と一つ音を発する。微笑が私と彼とのやり取りだった。そこから音楽が生まれ、華やいだ音程のやり取りが交わされた。悲しみの旋律と喜びの情調が溶け合った。私は夜の長い日、孤独に岩に腰かけていると、どれだけ幸福か、歌った。

 彼はリュート弦で荒野のさみしい風を哀れっぽく送り、でもその中に芽生える満月との楽しい語らいを表した。

 フルートの澄んだ音色がやがてそれに加わった。彼女は森の楽人だった。黒い澄んだ目をして、熱っぽくこちらを窺っていた。彼女は小動物の役割を演じた。私はやがて旅の次の地を歌った。緑の湖畔、花々が咲く岸辺で、湖のかすかな溜息を感じながら、様々な動物たちと戯れるのだ。草花はつつましく微笑み、太陽の輝きをその化粧としていた。輝きを反射する湖はいかにも楽しげで、戯れる動物たちは皆その姉に感謝を捧げた。やがて動物たちは巣に帰る。太陽は頂きに沈み込む。私は孤独になるが、戯れた記憶はまだ胸に熱く、ふくよかなる夜の森の薫りによって、それをそのまま夢の中まで持っていくのだった。

 私は歌を終えて、二人に謝辞を述べた。

 男女の楽人はそれぞれ初対面だったらしく、即興によるこの音楽会にまだ興奮を隠せないでいた。

 彼の名はジュペールといい、彼女はラビといった。私たちはジュペールに夕食に招かれ、そこで楽しく夜の一時を過ごした。

 私は私の運命というものを、いまだ存在すると、霊になった今でも信じている。

 運命は誰にでもある。

 そうして、それは誰とでも繋がっているのだ。ちょうど誰かが亡くなれば誰かが悲しむといった具合に。私たちはやがて時とともに、受け入れることしかできないのを悲しく思いながら悟るのだ。

 私は私がやがて何かのひょうしに消失しても、泣きもしないし怒りもしないだろう。

 私は私の運命の道に従ったまでで、運命を愛しているのだ。従うのは信頼しているからで、運命というものを突き放して、自分の力で物事をやりとおし、危難をくぐり抜け、誰かと駆け引きしたりすることを、非常に不安定なことのように思うのだ。

 私は運命を正すために時おり下に降りることがある。

 運命というのはデリケートなもので、すぐねじ曲がったり、中にいるものを吐き出してしまったりするのだ。

 この時はまだキダと一緒にやることを想定していなかったが、私は霊として生身の人間に運命を告げ知らせるこの役目を好いていた。

 実際、どの職業よりも名誉のある仕事だった。

 風が吹けばそれが偶然だと思ってはならない。その風によって助かる命も存在する。雨が降れば洪水になって大勢の命が失われるが、同時に助かる命も大勢いる。そうして失われた命によって、助かる命もまた存在する。悪劣な山賊などの消滅がそうだ。心を入れ替える余地があり、またそれが運命であるならば、その者たちの命は助かるだろうが。

 運命は逆らう者には熾烈だが、従順な者には寛大だ。キダには是非、よく従順になってもらいたい。

 私の話にはまだ少し続きがある。その後に私はラビとジュペールが恋人になってキスをしているところを見、また祝福した。二人は私にとって親友であり、かけがえのない夕べを過ごした大事な記憶の主役なのだから。

 私は山をまた一つ越えた。

 だけれども、また何故か寂しくなって、私はすぐに自分の街へと帰ってしまった。

 私の恋人とは仲直りした。もちろん彼とは友達からやり直さなければならないのだけれど。――でも、どうしてだか、あなたにわかる? それが運命だからです、キダ。

  5へつづく

inserted by FC2 system