四

 

 残念なことが起こった。

 今朝、起きて出かける前にポストを覗いたら、この前投稿した新人賞の結果が来てた。

 ……よくなかった。一次選考も通らなかったらしい。

 やっぱり良くなかったのか……。

 僕の小説は、何がいけないのだろう……。

 それが茫漠としているから、駄目なんだろうか……。

 そんな気持ちでバイトに行ったから、キレのない仕事っぷりで、鏡子さんにどやされた。

 

 僕は自宅に帰って、寝た。

 もう一度よく考え直してみる。

 何故僕はプロになれないのだろう。

 夜の静寂はシン、と凍りついたようで、何の答えもくれない。

 僕は改めて自分の投稿作品に目を通し、どこが良くないか探してみた。

 ……すると、たくさん見つかった。

 構成がメチャクチャ。中盤にだらけがある。キャラクターの性格が統一されていない。不必要な読点がある。

 だめだ……。

 こんなものばかりだった。僕の小説は。

 自分で夢中に描いたものが、時間を置いてもう一度見てみると、穴だらけになってる。

 僕のプロへの道というのは、この繰り返しだった。

 今回良くないと思ったことは、次はどうにか方法を変えて、改善に持っていく。けれど、いつまで経っても光明は見えない。

 参考書なんか、もう読み飽きた。

 自分の粗探(あらさが)しばかりしていると、すごく疲れてくる……。

 いつか、報われる日は、来るのだろうか?

 

 ちょうど、夏がやって来たと思ったときだ。

 バイトの仲間の皆が、海と温泉旅行に行くという。

 熱海だ。

 いいなぁ……熱海。もちろん僕は誘われてない。

 唯一の男子だから当然かもしれない。発案者の裕子ちゃんとは一緒に旅行に行くほど親しいわけじゃなかったし。連れて行かれても困っただけだろうな。

「暑い……」

 思わず口に出してしまうほどギラギラ暑いよく晴れた土曜日だった。

 いつものように鏡子さんの店へ出勤していくと、お店の前に本来いないはずの、遅番の菜留(なる)()ちゃんと、裕子ちゃん、それと主婦の方がお二人、車を停めて話していた。車はレンタカーだろう。裕子ちゃんが運転するらしい。

 僕が挨拶すると、そのときちょうど鏡子さんがお店の中から出てきた。

「私やっぱいいって。みんなで楽しんできな」

「えーでもぉー……どうせ、お店休みなんでしょ?」

「あんたらが誘ってくるから、休みにはしたけどね。やっぱ、いいわよ。支度もしてないし。やーやー、向島君。おはよー」

「お、おはようございます」

 僕はどぎまぎしてしまう。

 うう……やっぱり、何となく居たたまれない。

「お願いですってばぁー」

「くどい! って言ってんの。あんまり休みないんだからさぁ。休ませてってば」

「えー」

 裕子ちゃんは、「もー」だの「ぶー」だの言っていたが、最終的には菜留瀬ちゃんに説得され、車に乗り込んだ。

 主婦さんたちもそれぞれ挨拶し、「行ってきます」とそれぞれ申し訳なさそうに頭を下げ、車に乗り込んでいった。

 車がエンジン音を上げて去って行くと、そこには蒸し返るような暑気と、合掌のようなセミの声が残っていた。

「行っちゃったねえ」

「はあ……」

「おー暑っ。ねぇここ暑いから、中入らない? 冷房つけてあげるよ冷房」

 僕がお店の扉をくぐると、(お店の正面から入るのは二回目だった)お客さんは誰もいなかった。普段は点ける電気も落とされていて、なんだか暗く、並んでいるテーブルと椅子や、壁に掛かっている飾りなどが、まるでここを骨董品屋さんのように見せているのであった。

 夏の緑あふれる煌めきや、セミの降ってくるような鳴き声にこのレストランの休んでいる姿を合わせると、なんだか奇妙な感じがした。

 どことなくノスタルジックな感じだった。

 静かな店内。

 音楽もかかっていない。

 僕が中でただ佇んでいると、鏡子さんは奥からトレイを持って出てきた。

「今冷房つけたからねー」

「すみません」

「はい。アイスコーヒー」

「あ、いただけるんですか。ありがとうございます……何かすいません」

「いいっていいって。こっちの方こそごめんねー。最後までどうしようか悩んじゃってさー。店休もうか、旅行行こうか」

 彼女は自分のグラスを、(あお)った。カラン、と中の冷えた氷がぶつかる。

「やっぱり、お店はお休みに?」

「うん。する。っていってもひどいよねー。向島君、何ら海の話されてなかったんでしょ? 私んところにはいっぱい話来たけど」

「そうですね……」

 僕の声は自然沈んでいく。

「雅美さんも小野寺さんもどうして向島君に声をかけなかったんだか……うーん。とか言いつつ、実際心当たりある私」

 彼女は頬杖突きながらコップを呷った。

「僕も、わからなくないですけどね……」

「あ。そう? じゃぁさ、悪いけど、彼女らのこと、許してやってよ。きっとさ、止めたのは主婦たちだったと思うんだよ。私」

「気にしてませんよ」

 ちなみに雅美さんと小野寺さんは主婦の方々だ。

「お店、どうするんですか?」

「彼女ら、私連れていく気でさ。お店開けない気満々だったんだよねー。そりゃ大勢で遊びたい気持ちもわかるけど。もうこうなっちゃ店は閉じるしかないね。さすがに二人じゃ無理だし」

「……」

 これから週末だった。確かに、このまま開けては、お客さんに室の悪いサービスを提供することになるだろう。

「では今日は休みということで」

「ねぇ向島君、今日なんか用事あるの?」

「僕? いいえ? ないですけど」

「本当? それなら、私にちょっと付き合わない? ちょっと行きたいところ、あるんだよねー」

「?」

 僕は首を傾げた。

 けれど、鏡子さんのお誘いを、断る理由もなかった。

 鏡子さんに連れて行かれたのは、何故か、小学校だった。

 小学校は繁華街から少し離れた森や畑のど真ん中にあった。僕は早朝に登校していく彼らのジャージ姿ぐらいしか知らない。

 それに今日は土曜日だが? ……いや、平日に連れて来られてももっと困るけど。

 久し振りに入った「校庭」というところに、僕は優しいノスタルジーを感じた。校門の真上には青々とした葉っぱが覆い被さっており、涼やかな木洩れ日が僕の頬に落ちていた。

 風に揺れて、砂を転がすような音が降り積もる先に、なんだか賑やかな声が聞こえてきていた。

「鏡子さん? あれは、」

「ん。今日はね、ボランティアの日」

「ボランティア?」

 歩いていくと、声が確かになり人の数もよくわかるようになってきた。グラウンドの真ん中に、人だかりができている。

「この街にはねー、隔週でボランティアの日、っていうのがあって、有志を集めて何かボランティアをすることがあるんだよ」

「へぇぇ……」

 って、僕らも?

「参加主体は主に子供。これがさー、結構楽しいんだよ。子供たちはいつも友達と会う口実ができるから来るし、なんてったってボランティアの後にはお食事会があるからね」

「お食事会?」

「そそ」

 まさか……。

「ただ食いですか?」

 鏡子さんは笑った。

「君、飢えてるね。そんなわけないでしょ」

「なんだ……」

「ちゃーんと私らが用意すんの。でもとっても楽しいよ。みんなで食べるご飯だからね。子供らはいるし、お年寄りもいるし……」

 僕は何だか住んでる場所がこの人達と違う気がした。みんなで食べるということ、それが楽しいことなのかどうか、理解ができなかったからだった。

 ただ誘いを承諾してしまった手前、今さら帰るわけにもいかず、ぐんぐん温度が上がる灼熱の中、僕は鏡子さんとボランティアに参加することにした。

 ボランティアの内容は、町内清掃、早い話がゴミ拾い、ということだった。班が六つに分けられ、その斑でエリアごとにゴミをかき集めて行く。

 見れば、みんな軍手やゴミ袋、ジャージなどを用意して来ているにもかかわらず、僕は動きやすさもシャレッ気の欠片(かけら)もないデニムとティーシャツ姿だった。……鏡子さんも似たような姿だが。

 鏡子さんは街の中でも知り合いが多いせいか、早速人の輪に入ってケラケラ笑っている。

 僕はどうしたらよいかさっぱりわからず、何となく不機嫌そうなツラを(こしら)えて腕組みして立っていると、街の役人さんらしき人が、受付票を持って、

「兄ちゃん、参加するの? ゴミ拾い」

「是非参加させていただきたく思っています」

「あれ? ゴミ袋持ってきてない? じゃあはやく言いなよ。もうみんなに配り終えちゃってるよ。軍手と、ゴミ袋。はい、これね」

 ……なんと、両アイテムを授けてくださったのだった。

 何となく僕は、恥ずかしい思いがした。

 

 鏡子さんとは別のグループに入れられたらしい。振り分けはランダムだそうだ。親交を広くするため、なんだろうきっと、子供たちは友達同士競争してゴミをより多く集めようと息巻いている。ポジティブだなあ。

 しかたない。なんとか一人でゴミを適量拾って帰るとするか。小説のネタになるのかな、こんなの。

 気分転換がいいところだろうか。

 ……それにしても暑いな。肌が焼けつきそうだ。額には玉のような汗が溜まっている。支給されたミネラルウォーターが無かったら、脱水症状を起こしているところじゃないのか、これは。

 何となく一歩距離を置いてみんなの後を追っていると、斑の人たちはきょろきょろとこちらの様子を窺う。僕はムスッ、とした。何故だかよくわからんが、恥ずかしくなったのだ。

 せっかくだから触れ合いたいが、一体、ここに越してきてまだ間もない僕が何の話題を持っているというんだ? ムスッ、となるほかない。

 このような労働など、何の意味があるんだ? 僕らにはそれぞれ仕事があるじゃないか。掃除なんてプロがやればいい。

 非効率で、非生産的。

 あぁ、つまらない。

 何故僕は、こんなことをやっているんだろう。

 人々の前から消えてしまいたいから、小説家を目指したのに。人の前からいなくなってしまいたいから、旅をしたのに。

 僕は何なんだ?

 

 ゴミなんて、集めるのは馬鹿らしかった。

 なのにゴミ袋のゴミが一番多いのは僕だったのだから、案外僕は綺麗好きであるらしい。

 休憩地点で僕は木陰に入って休んでいる。

 すると、何やら一緒の斑の子供たちが、こっちの僕のことをじっと見ている。子供たちも額に汗を浮かべている。僕はミネラルウォーターを飲み切って、傍らにある公園の水飲み場で水の補給をしてまた飲んでいる。

 何なんだ。日陰に入りもしないで。

 と、よく見てみると、辺りには日陰はそうはなかった。公園の入り口付近にちょっとと、あとはここだ。ここにはベンチがあるから、休憩できる場所といったらここしかない。

 僕は、そういうことか、と思って、どいてやった。

 後ろを振り返りたくなかった。振り返らなくっても子供たちの涼やかなベンチに駆け寄る音は聞こえている。

 僕は炎天下に出て、額の汗を拭きながら、ペットボトルの水を(あお)った。そしてそれから、公園内に落ちているゴミを集めにかかる。

 午前だってのに、この日はなんて暑さだ。裕子ちゃんたちが海へ行きたがったのも納得できる。僕も連れていってほしかったぐらいだ。

 あれ、だったら、鏡子さんは何で行かなかったんだろう?

 ……?

 わからん。

 そう考えていた矢先、ちょん、ちょん、と肩を誰かに突かれた。

 暑さで脳まで沸騰していたからだろう、ガラにもなく、「あぁん?」と凄んでしまった。突いた人は特に怖がるでもなく、「あんたいい人やね」と笑いかけてくれた。

「は?」

「見てたよ。お兄さん何で一人で日陰占領してるんかねー、って言うとったら、ちゃんと子供らに譲っとったねー。偉い偉い。そういう『支え合い』が、世の中には大事なんよー」

 僕は……何が何だか、よくわからなかった。

 僕に語りかけた人は鏡子さんぐらいの年のおばさんだった。こっちの方がよっぽどおばさんくさく見えるが。

 向こうで大人たちがニコニコ笑っている。

 こちらを見て。

 バラバラの年齢層だ。

 定年越えのじいさんもいるし、ばあさんもいる。中年のおやじさん。壮年の仕事休みらしきおじさん。若い女性。僕と同齢ぐらいの女の子。中学生らしき少年。

 ……こんなに、たくさんの人がいたのか。

 ぜんぜんわからなかった。

「……い、いえいえ」

 僕はとっさに愛想笑いを浮かべた。

「たいしたことでは」

「お兄さん、どっから来たの?」

「僕ですか? 

「あぁちがうちがう。あんた学生さん? 引っ越してきたんでしょう? 知ってるんだから」

「いっ」

 班長らしき人の号令がかかって、ゴミ取り部隊は行動を再開する。

 僕はその間、人々の輪の中に詰め込まれてしまって会話ばかりしていた。

「小説家さん? あら、めずらしい仕事やねぇ」

「いえ、たいしたものでは……まだアマチュアですし」

「どっから越してきたんだって?」

「東京です。荒川」

「ねぇねぇ東京って渋谷はどのあたりにあるんだい? 原宿は? 銀座は?」

「そんなに一度に尋ねられても困ります」

「彼女はいるの?」

「こっちでは何ヶ月住んでるの?」

「あそこ知ってる? ケーキおいしいところ。知らないでしょ? こんど暇があったら連れて行ってあげますからね」

 会話ばかりしていて、気が付くともうエリアを一周して学校に戻ってきていた。まったくくたびれてない。これから野球の試合をやったって僕はヒットを何本も打てる気分だ。

 全部のゴミをシートの上に出して、そこから街役所の職員さんが中心となってゴミの仕分け作業だ。可燃、不燃、資源、とカードが立っており、そこに職員さんから指示された通りゴミを投げて行く。

 なるほど。こりゃいい。ゴミの分別の勉強にもなるし、分別精神も身に付く。それもゲーム感覚で、だ。職員さんが近くにいて詳しく教えてくれるから、やりやすい。世間話を交えながら、十分時間をかけて、分別しきれた。

「お疲れ。向島君」

「あ。鏡子さん」僕はこれ見よがしな溜息をついた。「酷い目にあいましたよ」

「え? なんかあったの?」

 何も知らないふうを装っている。

「誘っといて置いてきぼりにしたでしょう」

「あぁ」

 彼女は何でもないように笑った。

「ルールなんだから仕方ないじゃん。別にたいしたことじゃない」

「それはそうですが……僕、何で越してきたばっかりだってバレていたんでしょう」

「そりゃあ、君は少しここの人と空気が違うからねぇ。何となく洗練された空気があるし、こっちの大学に進学してきた学生さんだと思ったんでしょうよ」

「そうですかねぇ」

 僕は疑り深い目を向けた。

「僕は生まれはここより田舎ですよ。東京には三年しかいなかったんですから」

「じゃあきみは三年で都会の空気を身に付けたってことだね」

「知りません」

 僕は首を振った。

「鏡子さーん!」

 と、彼女を呼ぶ男の人の声が聞こえた。

「はーい!」と彼女も呼ばれて歩いていく。

「じゃ、また後で」

「後で、って、何ですか?」

「忘れたの? この後夕方からお食事会があるんだよ。私ら大人は買い出し部隊だね」

「では僕も……」

 彼女は手を振った。

「いいんだって。ここは私たちに任せておきな。いつも働いてくれているお礼と、今日一日棒に振ったお詫びだよ。今日はバーベキューの予定らしいから、楽しみにしておきな」

「そんな。僕はもう大人なんですから、金ぐらいは払います」そう言って三千円を出した。

「こんなにいらないっての」

 鏡子さんはそれを押し戻して千円だけ受け取った。

「君の意志は受け取ったよ。じゃあ夕方は楽しみにしておきな」

「鏡子さーん!」

「あ、ほら。君のせいだよ。それじゃ。子供とお年寄りたちの面倒は頼んだよー」

「ええっ」

 さらっと、とんでもないことを……。

 恐る恐る辺りを見渡してみると、もう僕以外の大人はいなかった。校庭の木によじ登って遊んでいる小学生の男の子たち、虫取りに出かけようとしている少年、グループで話している女の子たち。後はお年寄りたちが子供たちとボールを使って戯れている。

 また知らない人たちと……。

 苦手なんだよな、こういうの……。

 誰か話せそうな人がいないか、必死に探していると、誰か、僕を見て、「あらっ」と言う人がいた。

「え?」

「あら、あらあらまあまあ、あの時の!」

 あの時?

 僕は、この婦人と、会ったことがあるだろうか?

「久し振りねえ。今日参加していたのね」

「はあ」

「あら。覚えてない? 私、あの丘の上で会ったおばあちゃんよ」

「あっ!」

 僕は声を上げた。

 確か、三ヶ月ぐらい前、あのナポリの丘で会ったおばあさんだ。

 今日はレースのついた帽子も、日傘も、スカートもなかったから、わからなかった。ジャージ姿じゃあなあ。

「ん?」

 見ると、傍らに若い少女がいる。少女というか高校二年生ぐらいの女の子だ。黒髪で短いスカートを履いている。

 お孫さんだろうか? どことなく顔の造りが似ている。

「そちらは……」

 その少女は口をつぐんだ。開きかけていた口を、だ。

「あぁ、この子は」とおばあさんは言った。

「私の孫なの。体があんまり強くないから、こうやって外に連れ出しているのよ」

 その少女は髪が長かった。涼しそうな黒髪を背中の中ほどまで垂らしていて、そして、美しかった。

 目がくっきりとしていて、口が小さい。顔は人形みたいだ。その彼女はおばあさんに似ていた。

 あれ、そういえばあのおばあさんの名前まだ知らなかったや。

「あの、僕、」僕は名乗ることにした。「向島夏生(なつお)です」

「あらあら、まあまあ。私は立花(たちばな)紀子(のりこ)っていうのよ。ご丁寧にね。あ、こっちの孫は立花麗奈(れな)よ。麗奈はねぇ……」

「おばあちゃん!」

 突然麗奈ちゃんが大声を出した。暑そうにティーシャツの襟をぱたぱたと開けて、関心なさそうに言った。

「私、疲れちゃったわ。ねぇ、もう帰っていいかしら。バーベキューなんていらないわよ」

「あらまあ。どうしてよ」

「だって……」

 彼女は僕を見つめて、それから周りをきょろきょろと見渡した。

 どことなく不安げだが、何かあったのか?

「ここ、すごく暑いし。私体調すごく悪くなってきちゃった。もう帰るわ」

「それは駄目よ。麗奈ちゃん」

「どうして?」

 麗奈ちゃんは恨めしそうに紀子さんを見た。

「だって麗奈ちゃんの言っていることは嘘よ。今日はピンピンしてるって朝言ってたし。暑い夏は調子いいのはいつものことでしょう」

「とたんに体調悪くなるってことはあるのよ。ほら、こんなに汗かいちゃったし、家帰ってシャワー浴びなきゃ。美容院にも行って、バーベキューにはそれから来るわ」

「我がまま言って」

 紀子さんは怒った。怒ると麗奈ちゃんそっくりの顔になる。

「どこの病院に、熱が出てシャワー浴びれば治るなんていう医者がいるのかしら? そもそも美容院って? 美容院に医者がいるの?」

「ねぇお願いよ。おばあちゃん、私このままじゃ死んじゃうわ。駄目なのよ。暑いのは本当に駄目なの。おばあちゃんは医者じゃないでしょう? 私の苦しみなんてわからないんだわ。私が苦しさのあまり死んだら見捨てたおばあちゃんのせいだから」

「恨んでもいいわ。でもあなたはどう見ても元気よ。肌もツヤツヤしてるし、唇も赤い。すこし上気してるくらいがちょうどいいんだって。ご本に書いてあったわ」

「ほら、紫外線が」

「紫外線が気になるなら学校に入れてもらえばいいわよ。保健室空いてるから。いつでも使えるわ。それじゃあね。向島君、この子のこと、頼みましたよ」

 僕は頭が痛くなった。

「は? なんで僕が……」

「あら。向島君大人でしょう? 向島君はここにいるみんなのお守りを頼まれたのよ」

「えっ……えぇ――――っ!」

「ほら、大丈夫よ。子供たちがどこか遊びに行くときは、名前と行き先を聞いて、門限を言っとけば大丈夫だから。時間を一分でも遅らせると焼肉食べさせないって言えば死にもの狂いで戻ってくるから。でもそこのところはみんなルールを知ってるから大丈夫よ。私たちは日陰で子供たちと遊んでるし、出来るだけ面倒も見るから。学校には日直の先生も役人さんもいるわ。平気でしょう?」

 麗奈ちゃんはしきりにそわそわしている。

「私、これから修司さんところの紙芝居見に行くのよ。もう恒例になってるの。あなたもよかったら来て?」

「は、はあ……」

「麗奈ちゃんは?」

「私いい」

 そう、と残念そうに、紀子さんは去って行ってしまった。

 また、面倒を押しつけられたようだぞ……。今日はいいこと無いのか?

 バーベキュー、っていつからだっけ? それまでこのガキどもとお年寄りらと、この我がままそうな女の子……。

「はっ」

 いかん、いかん。

 じーわ、じーわ、と蝉の鳴く声と一緒に降り注ぐ熱気に頭がやられているようだ。

 日陰に行きたい……。

「ねぇ、麗奈ちゃん、だっけ」

 反応はない。

「具合悪いの? 保健室行く?」

「別にいい」

 ……っていうか、僕が保健室行きたいんだが。

 取り付く島もない。

「でも、具合悪いんでしょ? 日陰にでも行く?」

「私は、私の行きたいところに行きます」

 そう言って、彼女はジリジリと暑気の溜まるグラウンドへと腕を組みながら歩いていく。

 フラフラと、ジグザグ歩行している。

 本当は、どこにも行くところがないんじゃあないのか?

 あ、座り込んじゃった。

「おーい、大丈夫?」

「大丈夫です。私に近寄らないでください」

 なんて酷い言葉だ。

「だって君、あからさま変だよ? すごく辛そうだし」

「あなたの方が、どう見ても変です。これは暑いからなの。水飲み場まで歩いて行こうとしたんです。それから日陰に行こうとしたんです」

 再び立ち上がる。

「そっちに水飲み場はないけど」

「私一人になりたいの! ほっといてよ!」

 なんなんだ、いったい。

 彼女はフラフラと足をよろめかせながらジャリジャリとグラウンドを歩き、今度はがくんと足の力が抜け、へたれ込んでしまった。

「ねぇ、保健室、行こうか?」

 僕がそう聞くと、彼女は、恥ずかしそうに頷いた。

 

「どっか具合でも悪いの? 立花さん」

「え」

「さっきおばあちゃんと、そのことで口論していたから」

 彼女はベッドに腰かけて、俯いた。

「どうして……? そんなこと気になりますか?」

「あんまり。結構元気そうだったし。嘘っぽかったね。でも最後の君は、本当に具合が悪そうだった」

「向島さん、だっけ。向島さんおばあちゃんの友達?」

「まあ、そんなところかな」

「珍しいですね」

 彼女は眼をパチパチとさせた。

 保健室には時折涼しい風が入る。傍らには温かいお茶がある。女の先生が、机で書き物をしている。

 蝉の無規律な鳴き声が、聞こえるたびに、彼女の髪はそれに呼応するかのように風にささやかに揺れた。

「おばあちゃんの友達は大勢いるけど、あなたはその最年少かもしれません。ねぇあなた、歳は?」

「僕か。僕は二十三だ」

「二十三」

 へーえ、と彼女は口を丸くした。

「若くも、年食ってもいないね」

「中途半端だろ」

「そうね。でも私は、もっと中途半端よ。……」

「そお? うーん……じゃあ君は、十五とか?」

「はあ?」

 彼女は眼を丸くして呆然とした。意味がわからない、という顔をして、最後に溜息をついてくすりと笑った。

「どんな眼してるのよ……どんだけ女の子に夢見てんの?」

「だって中途半端って言ったから。子供と大人の中間って意味かな、って思って」

「それにしても限度ってものがあるでしょう。……そんなに若くないわよ。お兄さん」

「じゃあいくつ?」

「二十」

 彼女はきっぱりと答えた。それから顔を隠すように窓の方を向いてしまった。

「へええ! 二十!」

「な、何……」

「僕は遠慮なしに言うと、君がまだ高校生だと思っていた! そうか、もしかして大学生?」

 彼女は窓の方を見ながら、(僕に頭の後ろを見せながら)ちょっと声を震わせて言った。

「当たってるよ……。それで」

「大学生?」

「ちがう。ばか。高校生ってところ……」

「え?」

 彼女はベッドのシーツをぎゅっと握った。……

「あのね、誰にも言わないでくれます? 私、まだ高校卒業してないの。……まだ高校三年生なの。ほら、さっきの病気さ。あれのせいで学校休むしかなくって……ここ最近冬に発作が酷いの。冬から春にかけて行けなくなって……ちょうど今頃回復するんだけど、それで学校卒業できるわけないでしょ? 私……もう二十で……ハハハ……もう大人なんだよ。高校生の制服なんか着てたらコスプレより酷いわ」

 僕は手のひらに顎を乗せて考え込んでいた。

 彼女よりも多少は大人だった。何かかけるべき言葉を探していた。

「そうか。でも僕は君を初め見たとき高校生かと思ったよ」

「そうでしょ? だってまだ高校生なんだもん」

「そうじゃなくって」と僕は言った。「君はきっとまだ制服が似合うよ」

 彼女は僕をちらりと見た。それから何か言いたげに口を動かした。彼女はちょっぴり涙ぐんでいた。

「学校へは行ってるの? 夏」と僕は静かに言った。

 彼女はぷいと目を逸らしてしまった。それきり口をつぐんだ。

「向島さん、行かなくていいの? 子供たちとじいさんばあちゃんたちの面倒見るんじゃないの?」

 僕は「そうだな」と言った。そして立ち上がった。「それもそうだ」

 僕は彼女を保健室に置いて立ち去ることにした。

 きっと一人になりたがっていると思ったからだ。僕が立ち去るとき、彼女は身じろぎの一つもしなかった。顔は明後日の方へ向けられたまま。

 けれど、

「それじゃまた。立花さん」

 と言ったとき、彼女は律儀にも「また」とよく聞こえる声で言った。

 そして扉を閉めるときに、僕が「出て行くときは僕に言ってくれないと焼肉が食えないぜ」と言うと、「うぐ」と唸る声が奥から聞こえてきて、僕は笑った。

 

 自分でもどうしてあんなに気さくに話せたのかわからない。どことなく自分と似ている空気を持っていたから、一昔前の自分を見るようで、だから気さくに話せたのかもしれない。

 彼女のことは一時忘れ、僕は老人の間に交じり、様々な話をしながら、時折子供たちの遊びの相手をした。

 僕は自分でもちょっと意外なほど、子供とお年寄りが好きだった。見ていると心穏やかになるせいかもしれない。

 やがて空が紅く染まる頃になって、鏡子さんたち買出し組が戻ってきた。僕も荷物を運ぶのを手伝い、それをグラウンド横の、交通安全道路、とかいう自転車乗りの練習場のようなところに持っていった。いや、すごいな……自転車の練習場が小学校にあるとは。曲がりくねったコースや、坂になっているコースの間に、芝生があって、みんなはそこにバーベキュー台を置いて、燃やすものと炭を置いた。

 僕は炭火を使って肉を焼く係になった。昔キャンプでやったことがあったから、何でもなかった。

 練習場は広かった。本当にたくさんの人がいて、たくさんの社交が繰り広げられていた。街一個分がまるでここに移動してきたようで、まるでこの学校というところが一種の社交場になっているようだった。

 子供たちは親御さんと一緒にいたり、友達と裏の林の前で遊んでいたりしている。ひぐらしが涼やかな合唱を送り、少しぬるい空気が食べ物の匂いを運んでいく。

 大人たちにはビールが配られた。僕もビニールコップに一杯分もらった。それで乾杯しながら、焼き上がったお肉や野菜を子供たちから順に配った。

 みんな心に何の不満もないかのように気持ちよく笑い、日々の労働を、そして今日のささやかな善意を、ねぎらった。食事はまた明日からの使命への活力を(みなぎ)らせてくれる。それに大勢での食事は楽しい。僕は、こんなに大勢で、原始的に、外で気持ちよく会話をしながら食事をしたのは大変久し振りだと思った。少なくとも高校生になってから先は、一度もしたことがなかったと思う。田舎にも色々あって、田舎の全てが、こんな土地のように人付き合いが良いわけでもなかった。

 あれ、そういえば、あの子はどうしたんだろう?

 立花麗奈ちゃんだ。

 保健室から出られたんだろうか。そういう話は聞いてない。

 僕は皿を置いて、グラウンドの方へ歩いて行った。グラウンドから見える保健室の明かりは、消えている。

「あらあら。見つかっちゃったかしら」

 紀子さんだ。彼女は麗奈ちゃんと一緒にアスレチック台の上に腰かけていた。麗奈ちゃんはお肉を口で切ろうとしていて今頑張っている最中に僕と出会ってばつが悪そうにしている。

「見つけましたよ」

「ごめんなさいね、向島君。麗奈ちゃんったら、どうしてもあっちに行きたくないと我がままを言うの。それで、私がこっそり取ってきてあげたの」

 麗奈ちゃんはお肉を飲み込んでから、口を聞いた。

「何か用ですか?」

「いや。別に。……具合は?」

「もう結構です。この肉を見てわかるでしょう?」

 わかるかよ。それ見ただけで。

「……どうして向こうに行きたがらないの?」

「……別に」

 そっぽを向いてしまう。

「向島君、向島君」

 と紀子さんが手招きして立ち上がったため、僕はそっちについて行った。

「もう、何してるの!」

「麗奈ちゃんはね……ごにょ、ごにょ」

「やめなさいってば!」

 無理矢理引きはがしにかかる。

 そう言われても。僕は本当に「ごにょ、ごにょ」としか言われていない。

 どうやらこれは、紀子さんの引っかけだったようだ。可愛く微笑んでいる。

「私、何も言ってないわ」

 と、少女のように振る舞う紀子さん。

 なら僕も、

「確かに、何も言われませんでした」

 と正直に返すほかない。

 麗奈ちゃんは、

「嘘つき!」

 と言ってふくれてしまった。

「……本当はね、麗奈ちゃんは会いたくない人がいるらしいの。その人が今日来てるらしいってわかったとたん、顔が真っ蒼になっちゃってねぇ……」

 麗奈ちゃんは仕方なく、といった感じに、わけを話し出した。

「あーはいはい。そうですよ。向島さん、あのね、今日私の同級生だった子が来てるらしいの。……会いたくないの。だって向こうはもう女子大生だよ? どんな顔して会えばいいの?」

「あら」

 もう話してあったのね、と紀子さんは僕を見て微笑する。

「もういいのね。そうなのよ、向島君。大変でしょう。……この子も可哀想でね。なんにも悪くないのに、友達付き合いがうまくできなくて……」

「余計な同情とかいらないっ!」彼女は手で顔を覆う。「……なによ。こんな病気、消えてなくなればいいんだわ。こんなのがあるから私、いまだに友達も出来なくて、周りからは変な目で見られて……そのくせ、体とか顔つきだけは大人になってくんだから……ああもう、死にたい……」

 僕は頭をかいた。

「昼間挙動不審だったのはそういうわけか……」

 かつての友達と会って気まずくなるのがいやだったわけだ。

「ああ、焼肉食ってやる! くそ、くそ! こいつめ!」

「こらこら」

 妙齢の女性がヤケ食いしている様を見るのは少々忍びない。

「私、言ったのよ。ご病気なんてたいしたことない、本当の友達なら、きっとわかってくれるって……なのに麗奈ちゃんは」

「もう、おばあちゃんは学校の現実ってもんを知らないんだわ! ここは昭和初期じゃないのよ! 平成なの!」

 焼肉が無惨な姿になっている。

「まぁ、落ち着いたら?」

「落ち着いてなんかいられるもんですか! 私はね、悔しいの! 自分が! どうして私がこんなところでコソコソ食べなきゃいけないわけ! 小、中、高、と勉強もスポーツもほぼ一番で通ってきたの! 顔だって、そんなに悪くないし、女友達もいっぱいいたわ! 男の子たちからは憧れの的だったのよ!」

 手が付けられなくなってきたな。彼女の言葉がどこまで過去と一致しているのか怪しい。

 ただ、美しい、とは思う……。黙ってりゃ。

「それが……この、変な病気のせいで! この!」

「病名は何だっていうんだい?」

 紀子さんと麗奈ちゃんがそれぞれ説明してくれた。僕なんかには聞いたこともないものだった。

「それが、小さい頃からずっと体の奥に隠れているようなご病気らしいの。小さい頃にその兆候に気付ければ、治療もちょっと楽になったらしいんだけど……」

「詳しいことは、何もわからない?」

「説明されたけど、ただ、老人になるまで引きずるのが一般的、らしいのよ」

「場合によっては、死ぬまで」

「ええ。ただ、」

 と、紀子さんが麗奈ちゃんを哀れそうに見た。

「こんな若いころに顕在化するのは珍しいらしいの。多いのは三十過ぎの頃かららしいわ。ほんとにね……小さな頃からちょっとした兆候はあったんだけど、ただの強い風邪かと思ったんですよ。最初のうちは近くの医者にかかったんですけれど、小学校に入ってからは毎度のことになってたんで、ただ私やこの子のお母さんが薬局に薬をもらいに行くばかりで……」

 だんだんわかってきた。おそらく病気が本格的に始まったのは高校生になってからだったんだろう。それからようやく彼女の病状が得意なことに気が付いたに違いない。重病によくあるケースだ。

 しかし、今目の前にいる彼女は至極元気そうに見える。

「夏はこのとおり元気なんですけどね。秋が来てだんだん寒くなってくると、熱がよく出るようになって。酷いときは夜ずっと眠れないこともあるのよ。ねえ、麗奈ちゃん?」

 麗奈ちゃんは、黙って焼肉を食べている。

「なるほど……よくわかってきましたよ」

 それは、僕が手助けしてやれることはほとんどない、ということを含めて、だ。

「もうちょっと、焼肉持ってきてあげようか?」

「私、ビールが飲みたいわ」

「まあ!」

 と驚いた顔を紀子さんが作っていた。

 麗奈ちゃんは必死にお願いしてきた。

「ねぇ、お願いします。向島さん。私の身の上聞いたんでしょう? それなら私の今後辛い人生も聞いたわよね? 病人に水を与える気持ちで、ビールを持ってきてもらいたいの」

 暗い、もう星の出ている暗い夜だけど、はっきりとわかる、彼女のうすく開いた目の中に宿る魂胆。

「病人にビールか。聞いたこともない言葉だな」

「ねぇだめ? 私いつ死ぬかわからないのよ。生きているうちに楽しい思いをしてきたいじゃない」

 僕は頷いた。溜息がちに。

「わかったよ。持ってくる。二十歳だしな」

「やっりー!」

 ガッツポーズ。紀子さんは、「私ももらおうかしら」と目をキラキラとさせている。おいおい。

「だけど、一ついいかい。立花さん」

「うん。なに?」

「死ぬ前に楽しいことをしておきたいって気持ちは……あんまよくないと思うんだ。君の人生はきっとこれからも続いていく。その楽しみと明日への希望のために飲むんだね。いいかい?」

「? 変なことを言うのね? わかったわよ」

「ならいいよ。じゃ、持ってくる」

 僕は紀子さんの分も持ってくることを約束し、明るいライトのある方へ、歩いて行った。

 

 その夜、麗奈ちゃんはしこたまお肉を食べ、満足そうにしていた。女性としては食ったほうだ。

 僕も少し酔っぱらって、いい気分になっていた。後片付けを手伝って、校門から出るときに、今日一日中ここにいたのを不思議に思った。

 鏡子さんは言った。

「どお? 楽しかった?」

「ええ。もう。とても楽しかったです」

「そう。よかった」

 くすくすと口に手を置いて笑う彼女に、僕は不思議になって目を丸くした。

「なんですか?」

「ううん。あなたさ、今日の朝と今とじゃずいぶん違って見えるから。さては、労働の楽しみに目覚めたな? 今度からもーっとこき使っていいってことだよねぇこれはぁ」

「いっ! いえいえいえ!」

 酒臭い。

 相当酔ってるな、この人。

「安心しときなさいよぉ。賃金上げてやるからさ。その代わり二倍働いて」

「いやです。僕は一人しかいませんから」

「一人で二人分こなせばいいんだよ〜」

 僕は黙ることにした。このお化けを早くお家に届けて帰るとしよう。

「……たろ?」

「はい?」

「楽しかったろ〜? こうじまく〜ん?」

「あぁ、はい……」

 僕は考えた。

 確かに、ただ海へ行くよりも、多くのものを得られたかもしれない。最初はただ不幸だとばかり思ってたけど。

 僕は……残っていて十分楽しかった、と思った。海へ行ってもここまでは楽しめなかっただろう。

「……残りもんにゃ、……がある」

「はい?」

「残りものには福がある! って言ってんのよぅ! ……ふわぁぁぁぁ……眠く、なってきちゃった……」

「はあ?」

 全くこの人は……。どっちが大人だかわからないな。

 でも、この人のおかげだった。

「……ありがとう、ございます。鏡子さん」

「あぁん? ……も、だめ。飲み過ぎちゃってさ……」

「ちょ、タクシー呼びましょうタクシー!」

「初っ端飲んだ酒が……あれが……」

 僕は夜中、この人の家まで送って、金を払い、それで一人帰らねばならなかった。タクシー代千五百円。いつか請求しようとレシートを財布に忍ばせたままである。

 虫の鳴き声が、田舎はうるさい。


  

 つづく

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東村
尾の……」

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