「ねえ、真人」
 理樹はオレの目を見て、おずおずと口を開いた。
「真人は……ずっと最初から、あそこにいたの?」
 オレはぶっきらぼうに答えた。
「いんや。最初からじゃなかったぜ。途中から聞かせてもらってたんだ。悪かったな」
「ううん……別にいいけど」
 理樹が悲しげに目を伏せる。全然よくねえ、って顔に見える。
 あるいはオレがそう見えたのは、理樹に対してどうにもよくない感情を抱いているからか。
 理樹とはずっと友達でいてぇと思ってる。それは本心だ。
 でも、その暗く沈んだ顔を見てると、どうにも苛立っちまってしょーがない。
 理樹とは友達だ。なら、取りあえずこっちの言いたいことは言っとくか……。
「なぁ、理樹は……あいつのさっき言ってたこと、本当に全然わからなかったか?」
「え……再会とか、約束とかの話のこと?」
 オレは頷いた。
 理樹がぎこちない笑みを作る。
「そうだね。来ヶ谷さんは、なぜか僕も覚えているふうに言ってたけど……でも正直、本当に僕には身に覚えのないことなんだ。あそこで来ヶ谷さんの告白を受ける約束なんて……全然した覚えはないよ」
 そんな理樹の平淡なセリフに、オレは心臓をナイフで切り刻まれたような気になる。
 本当に……なにも覚えてねぇんだ。
 前々からわかっていたことだったのに、オレは、オレたちの目の前にそびえ立たっているその超然たる事実に、今さら身が竦みそうになる。
 でも、だったらどうして……理樹はあいつの告白を断ったりしたんだろう。
 そんな質問をストレートに投げかけることは……やっぱりできなかった、けど。
「でも理樹はやっぱ……あいつとは釣り合わないと思うのか?」
 理樹は目を逸らして答えた。
「うん……来ヶ谷さんとは釣り合わないっていうより、そんな資格はないって表現する方が正確かな。僕は来ヶ谷さんと恋人になる資格なんてきっとないと思うし、そんなんじゃ仮に付き合ったって、すぐ来ヶ谷さんを傷つけて終わりになるだけだと思う」
 そんなことねえだろっ、ってオレは今すぐにでも叫びだしたかった。
 理樹と来ヶ谷が仮に付き合ったとして、それですぐ別れることになるだなんて、オレの頭ではこれっぽっちも想像できなかった。
 恋人になる資格とか、そんなめんどくせぇこと言ってんじゃねぇって、ここで叫んじまうのは簡単だった。
 けれど……恋人になる自由があるんなら、恋人にならねぇ自由だってあるはずだ。
 誰かと恋人になるってことが、必ずしも正解の道とは限らねえ。そしてそれは誰かの責任でも、義務でもねえ。
 馬鹿なオレにだってよくわかることだ。
 オレなんかが偉そうに口を挟める話題じゃない。
 けど――今のオレはなぜか悔しすぎて悔しすぎて、胸の奥の内臓が圧縮して破裂しちまいそうになって、やっぱりオレは、どうしてもそんな理樹の言い分は受け入れられないのだと、心の奥で深く実感していた。
 ただ、会話だけは続ける。
「あいつと恋人になる資格がないって、理樹はどうしてそんなふうに思うんだ?」
 理樹は目を少し見開いて、とたんに今日一番の悲しげな表情を作る。
「どうしても、こうしても、ないよ。僕は来ヶ谷さんと一緒にやっていく自信がないんだ……。例えば、来ヶ谷さんと恋人になって、あの人と手を繋いだり、優しく耳元で名前を囁かれているところなんかを想像すると、僕は自分がどうしても恥ずかしくなって情けなくなって、たまらなくなるんだ。来ヶ谷さんに対しての申し訳ない気持ちでいっぱいになって……引け目を感じて、いてもたってもいられなくなる。ずっと一緒にいられないって思う。僕の言ってること……わかる?」
「わからねえ」
「そっか……そうだよね」
 理樹は寂しそう目を伏せて、両足を腕で抱え、縮こまってしまっていた。
 背中でベッドの脇にもたれかかって、理樹は体育座りのまま、小さく項垂れる。
 そんな理樹の話を聞きながら、オレはどうしようもなく苛立っちまっていた。
 すくっと立ち上がって、声をかける。
「まあ、あいつはお前のことをまだ諦めてねぇはずだから、もーちょっと真剣に考えてみてやってくれよ。あいつの言ってた言葉の意味も……やっぱり全然覚えてませんでしたとかじゃなくて、もっと真剣に考えてみてくれ」
「僕は……ちゃんと真剣に考えてるよ」
「じゃあもっと真剣にだ。いいか、自分でもちょっとやりすぎなんじゃねぇかっていうくらいに真剣に考えろ。あのとき、お前がリトルバスターズを作ったときみてぇに、自分勝手な想像を膨らませて爆発させろ。じゃねぇとあいつは救われねえ」
「……え、どこ行くの、真人?」
「あん? 今日は謙吾のところで寝るんだよ。オレがいると筋トレとかで色々うるさくって、よく考えられねぇだろ」
「待って」
 理樹はすっと立ち上がり、部屋を出て行こうとするオレに声をかけて止めた。
「真人は……行かなくていいよ。今日は僕が謙吾のところに行く。いつも真人には部屋を空けてもらってて悪いから、今日は僕が出ていく」
「は? なんでだよ。今考えなくちゃなんねーのはオレじゃなくててめぇの方だろ」
 あ、理樹に対して、てめぇって使っちまった……だめだなオレ、本気で苛立ってる。
 かっこ悪ぃ……。
 けれど理樹は、そんなことは微塵も気にしていないように、凛然と首を振った。
「ううん……考えなくちゃいけないのは真人も一緒だよ」
「は?」
 こいつは今なにを言ったんだろう。オレの方も考えなきゃならない? どうして?
 理樹は打って変わって、そのくりくりとした大きな瞳に強い意志の光をみなぎらせ、毅然とオレの方を見て続けた。
「今の真人はどう考えてもおかしいと思う。普段の真人は、もっとクールで無関心な人間のはずだ。ある意味真人は、僕たちの中で一番心が冷めている人だと思っていたのに、今はどうでもいいことに熱くなりすぎてる気がする。ねぇ真人……真人はいつから、筋肉やバトルのこと以外にそんなに熱くなれるようになったの? その理由を考えてみたことはないの?」
 オレは失望して、吐き捨てるように言った。
「ねぇよ。オレはてめぇみたいに物事にあれこれ理由をつけたりするのが好きじゃねぇんだ。あと、これはどうでもいいことじゃねえ」
 オレが熱くなるのは、大抵どうでもいいことなんかじゃねえ。とっても大事なことだ。
 特に今回のは、いつもみてぇにみんなから冗談っぽく馬鹿にされても、それを素直に笑って許せるほど薄っぺらい話題じゃねえ。
 頼むから、どうでもいいとか言うんじゃねぇよ……本当に理樹相手でも、我慢できなくなるぜ。
 オレは鋭い視線で理樹を睨み付けたが、理樹は一向に臆せず、その丸い瞳で、強くこっちを睨み返してきた。
「それは、真人にとってのことを想像で言ったみたんだよ。僕はどうでもいいだなんて全然思ってない。でも……まあいいや。それならなおさらここで一晩考えてみるべきだよ。一晩でわからなかったら、二晩でも三晩でも、ずっと考えてみるといい」
「はっ……その間、てめぇはずっと謙吾のところに居座るってのか。ちっとはあいつへの迷惑のことでも考えてみたらどうだ?」
「ちゃんと考えてるよ。でも、僕がダメになってた時はずっと真人がそうしてくれたじゃない。それに、謙吾が迷惑だっていうなら僕はなんでも手伝うつもりだよ。胴着を洗ったり、部屋の掃除をしたり……今度は僕の番だから」
 言うなり理樹はオレの返事を待たず、ポケットから自分の携帯を取りだして謙吾への連絡を始めた。
 繋がって、一言二言会話して、すぐにオーケーが出たらしい、じゃあ荷物を持って行くから、と堅い笑みを浮かべながら言い、電話を切った。
 理樹がこっちへ凛然と振り返ったころには、オレは長い長い溜息をついていた。
「なにしてんだよ……そんなのお節介すぎるっつーの」
「お節介じゃないよ。それに……僕らはしばらく、これから顔を合わせられなくなると思う。……わかるでしょ?」
「……ふん」
 理樹の強い眼差しの奥から、ひりひりとした怒気が伝わってくる。
 オレのどこにそんなに苛ついてるのかは知らねーが……その様子だと、理樹は一晩じゃなく、数晩に渡ってここを空けるつもりみてーだ。
 だったらちょうどいいや。オレもしばらく理樹の顔なんか見たくねーと思ってたしな。向こうもそう思ってくれてるってんなら、都合がいい。
 今朝見せられた理樹の女装写真のことなんかは微塵も忘れて、オレはその華奢な体つきや、線の細いさらさらとした黒髪を見て、ひどく憎々しげな気持ちを抱いていた。
 オレがドアの横で理樹のことをじっと睨んでいると、理樹はすぐに家出の支度を終えた。少し小さめの旅行鞄みたいなやつに衣類や諸道具などを詰め込んで、オレの横を足早に通り過ぎようとしていた。
 そこでふと、少し寂しげな視線を寄こしてくる。
「じゃあね……真人」
「……おう」
 最後に、オレが言いたかったこと。
 それは、ずっと伝えようか伝えまいか迷っていたこと。
 理樹とは、絶対に喧嘩なんかしたくねぇ。
 誰かが悲しむからとか、喧嘩はよくねぇからとか、そんな理由じゃねぇ。
 オレはずっと理樹の味方でいてやりたいと思っていたし、理樹にはずっとオレの味方でいてほしいと思っていた。
 別に、理樹にオレの言うことを聞かせたいわけじゃねえ。理樹との仲は理屈で語れるもんなんかじゃねえんだ。
 だけど、オレは結局そのことを理樹に伝えなかった。 
 きっと理樹ならわかってくれる。オレは理樹とは戦いたくねぇってこと。
 そうやって一方的に理樹のことを信じることにして、オレは部屋を出て行く理樹を静かに見送ることにした。
 
 理樹……オレら、絶対、喧嘩なんかしたくねえよな。
 望みをぶつけ合って喧嘩なんて……もう、したくねぇよ……。

 

 

 

 

 一体理樹と何があったんだ、っていう電話やメールは、あれから山ほどやってきた。
 特に鈴や西園なんかからは、理樹をいじめると許さないぞとか、なにかが起こる前に必ずこちらに相談してくださいとか、しつこく言われた。
 オレは、共犯者の謙吾や恭介にだけは、今回の事情を詳しく話しておくことにした。
 そして予想通りあの二人は、事の一切をオレと理樹に任せる、という意見で一致していたのだった。
 静まり返った部屋の中で、オレは電気を消してベッドに入る。
 恭介と謙吾にだって、思うところはそれぞれにあるんだ……。
 恭介はあのことを、マジで死ぬほど来ヶ谷に詫びたいと思っているし……だからこそ自身はなにも言わず、全員からの恨まれ役となることを選んだ。
 謙吾に関してはもっと複雑だ。理樹の記憶を完全に消去することについて、当時あいつは最も強く反発していた。あのときオレはずっと中立という立場を貫いていたから、特になにも言わなかったが、謙吾は今の状態についてもあんまり納得がいってないらしい。
 今の状態ってのは……つまり、オレがあいつの隣にいる状態ってことだ。
 んなのわかってる。これがとんでもなくくだらねぇ三流のエピソードだってことも。
 でもあのまま来ヶ谷を放っておいたら、あいつはどんどん壊れちまって、負わなくてもいい傷を負って、そして自身ではそれに気づきもしねぇまま、一人惨めに舞台から去っていくしかなかったろう。
 あいつが救われるのは、今のリトルバスターズのメンバー全員の願いだ。
 そんでもって、結局その願いを最初に実行に移したのはオレだったわけから……謙吾自身もそれをよくわかっているから、オレに全てを託した。
 救ってやってくれ、だなんて、オレは神様じゃねぇんだけどな……。
 理樹にこそ言うべきだろ、それは。
 はぁ……しっかし、わけがわからねえ。
 来ヶ谷が裏庭から去っていったとき、それで全てが終わりになると思っていたのに。
 理樹とうまくいって、それで全部終わりだと思っていたのに、一体なんでこうなったんだ。
 オレだって、もうあいつの傍にいるつもりなんてなかったよ。
 裏庭からあいつを送り出したとき、ああこれでこいつとオレの奇妙な関係も終わりなんだ、って思ってたよ。
 でも……やっぱり駆けつけちまったんだよなぁ……。
 やっぱり放っておけねぇんだ……来ヶ谷は、どんなに外で強がってクールぶっていても、本当のところはこれでもかっていうくらい間抜けで、鈍感で、脆くて弱くて……そんでもって、とんでもなく純情なやつなんだ。
 うーん、オレはもしかしたら、来ヶ谷のことを実の娘みたいに思ってるんだろうか?
 守ってやりてえ。頭なんかはオレよりすげぇいいくせに、死ぬほど不器用に生きてるあいつを。
 なるべく誰にも渡したくねぇと思う。渡すんだったら、必ずあいつを大事にしてくれるやつじゃなきゃならねえ。
 って……い、いや、別に来ヶ谷はオレの所有物なんかじゃねぇけどよ……実際に親子でもないし。あんな娘いたら怖すぎるっつーの。
 でもなーんか、心配になっちまうんだよなぁ。
 あいつ、このままどこにも行かなきゃいいのに……って、そんなの無理か。
 はあ……愛する我が娘を嫁に出す親父の気分っていうのは、きっとこういうもんなのかね。やるせねぇ……。
 って、オレはなんであの女に「愛する」なんて言葉を使ってんだぁ……あああぁぁぁぁ……。
 もうダメだ。頭が痛くなってきた。
 寝よ。
 

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