クー公の言っていた買い物というのは、どうやらチョコ作りの材料のことらしかった。
クー公曰く、あの来ヶ谷のやつが風邪で寝込んじまったから、代わりに材料を買ってきてくれと頼まれたらしい。
校舎を出て、商店街をのろのろと歩き、やがて街のスーパーにたどり着くと、オレはさっそくカカオの実を探し始める。
するとなぜか取り乱したクー公に腕を強く掴まれ、必死に引っ張られた。
「え? だってカカオの実だろ?」
「ちょ、井ノ原さん! それすごく間違ってますっ! 普通のチョコはカカオから作るんじゃありません! それと、スーパーにカカオはありません!」
「な、なんだって!?」
衝撃だった。
チョコなど一度も作ったことのなかったオレは、てっきりバレンタインの手作りチョコはカカオの実からチョコ成分を抽出して作るもんだと思っていたから(その後どうするかは知らねぇ)、この恥ずかしすぎる勘違いに顔がめちゃくちゃ赤くなった。
クー公までもが恥ずかしそうに頬を染め、辺りをきょろきょろと見回すと、すぐにはぁ〜っとため息をついて、呆れたようにすたすたと前に歩いていく。
無言で「とっととついてきやがれ」と言われている気がして、オレはおずおずとながら、その小さい背中を追った。
「これです。これでチョコを作るのです」
「なにぃっ!?」
また再び衝撃が走った。
クー公が取りだしたのは、よくオレもガキの頃に食ったことがあった、ベーシックな百円の板チョコだった。
その辺のお菓子コーナーに徘徊するガキ共と上背が同じくらいのクー公が、買い物籠にどさどさとたくさんの板チョコを放り込んでる姿は、とにかく異様すぎて、端からそれを見ていたオレはごくりと息を飲んだ。
つーか……市販のチョコからまた再びチョコを作るってわけかよ。なんだかインチキくせぇなぁ。
そんなことをしみじみ考えていると、クー公のチョコを放り込む手が一向に止まらないので、オレはふと心配になって籠を持ってやった。別にまだ全然軽かったけど。
「ありがとうです、井ノ原さん」
「おう、別にいいけどよ。つーか、一体何個買うんだ? クー公は他のやつらの分も頼まれてんのか?」
現在籠の中には八個の板チョコが投げ込まれている。このガキの聖地でここまでの大人買いをやられたとして、正直昔のオレだったらその野郎に間違いなく喧嘩を売っているだろう。
「? いいえ? 来ヶ谷さんと私のだけですよ」
「ええー……」
オレはまたも驚いてしまった。
手作りチョコって、こんなに材料を買わなきゃいけねぇんだ……。
そ、そりゃそうだよな……こんな薄っぺらい板チョコ一枚からじゃ、どうせ小せぇのが一個か二個ぐらいしかできねぇだろうし。……って、あれ?
クー公はひょっとして、チョコを何個も作るつもりなんだろうか?
「クー公って、そういやバレンタインにどれだけチョコを渡すつもりなんだ? 本命の相手とかいんのか?」
何気なくオレがそう聞くと、クー公は恥ずかしそうにこっちを振り返って、ぷるぷると首を横に振った。
「いいえ。残念ながら、本命はいないですよ。でも、私はなるべくたくさんの人にチョコを渡すつもりなのです。小毬さんとか、佳奈多さんとかにも」
「へぇ……女子相手にも渡すもんなのか」
オレがそう言うと、クー公は得意そうに笑って、
「はいっ、バレンタインってなんだか、とっても外国っぽい気がします。だからこのときにたくさん頑張るのですっ」
と、拳を作り、力強く答えたのだった。
オレも楽しく笑って、それに答えてやった。
「ああ、そりゃ確かにな。たくさん頑張れよ、クー公」
とても納得した。なるほど、クー公らしい理由だった。
それからクー公は計十個ほどの板チョコを籠に入れて、レジへと向かった。
その金は半分出しておいた。どーせこんなもん自己満足だが、連れの女に目の前で金を全額支払わせるってーのは、どうにもいい気がしない。
むしろ最初はこっちが全額払おうとして、
「どーせオレが買うもんなんて飯と筋トレグッズしかねぇんだから、ここでちょっとぐれぇは金使わせてくれよ」
とかなんとか適当なことを言ってのけてみたんだが、するとクー公は余計ムキになって、井ノ原さんはデリカシーがなさすぎだの、どこかやどこかが小さいからってなめないでほしいだのとわんわん喚いたので、結局二人で割り勘という条件に落ち着いた。
会計を済ませた後、あらかじめクー公が用意してきたブルーのマイバッグにチョコの山を放り込んで、オレがそのバッグを片手に持ち、じゃあ後他に用事がねぇんじゃ帰るか、となったとき、隣のクー公がふと足を止めた。
「どうした?」
オレが振り返って呼びかけると、クー公は、スーパーの別の入り口の方を見つめていた。
オレがそちらの方に目をやると……ああ、なるほど、深紅色と金色のデコレーションに溢れた、煌びやかな空間が目についた。
「あれって、バレンタインコーナーってやつか?」
「はいです。たくさん女の子がきてますー……」
クー公の言うとおり、そこにはたくさんの女子が群がっていた。
それはバレンタインチョコの既製品売り場で、恋するたくさんの女子たちが、きゃっきゃきゃっきゃと楽しそうな声を上げて商品を見比べたりしながら、憧れの先輩やら同級生やらの姿などに想いを馳せているように見えた。
オレたちは、その様子を遠くから眺めている。
あの女子たちも、もしかしたら来ヶ谷みてぇにバレンタインで好きな相手に告白しようとかしてる連中なんだろうか……にしては、意外と数が多い……。
まあ、ただの義理チョコってことも考えられるか。
「クー公、どうすんだ?」
なんだかクー公が混じりたそうにしていたので、後ろから声をかけてやる。
すると、クー公はおずおずとこっちを振り返って、
「わ、わふ〜……」
照れくさそうに笑ったので、それにオレも微笑んで、マントの背中を袋で優しく叩いてやった。
するとクー公はぴょん、と体勢を崩しながら前にジャンプして、こっちを振り返り、小首を傾げながら言った。
「一個だけ、見てきてもいいですか〜?」
「おう、いいぜ。オレも行った方がいいか?」
「え、えーっ、井ノ原さんはだめですよ! あそこへ一緒に男の子を連れてったら、とっても変な女の子だと思われちゃいます!」
「へ?」
クー公の言葉に、オレは実際にその光景を想像してみた。
うぉぉぉ、たっ、確かに、すげぇ恥ずかしいぜ……。クー公も恥ずかしいだろうが、オレの方もとんでもなく恥ずかしい。それにオレ、あそこの女子たちのパワーに勝てる気がしねぇ……ぎゅーぎゅーに押しつぶされて殺されそうだ。
光の速さでオレがクー公に頷くと、クー公はちょっぴり頬を赤く染めて、嬉しそうに向こうへと駆けだしていった。
その様子がなんだか本当に子供っぽくて、昔オレもあんなだったっけかなぁ……と、オレはしみじみ感じたのだった。
しばらくオレは、端っこにあった休憩椅子に座って、たくさんの女子に紛れて孤軍奮闘しているあいつを、微笑みながら、静かに眺めていた。