「……」

 そしてすぐに、またあの女番長が戻ってくる。
 声も、先ほどより低く、落ち着いたものになり。
 顔つきも、目つきも、先ほどとはずっと変わって。
 けれど、その涙は残したままで。

「……夢を見た」

 目は、薄く開いたまま。
 けれど涙をふき取ることはせず。

「最悪な夢だった……。何故か私が『不思議の国のアリス』の舞台でゴスロリのドレスを着せられ、わけのわからんトランプ野郎にナンパされたり、妙にキザっぽい口調で喋るデブったチェシャ猫に長い愚痴を聞かされたりしていた。もう二度と行きたくない……そんな場所だった」
「いやまあ……」

 むくりと起きあがって、目をゴシゴシと擦る。
 理樹はここで、『温かい夢だったよ……』とでも言うのかと思っていたのだが、実際は妙にリアルでファンシーでシュールな夢だったのだということを聞いて、がくりと肩を落とす。
 しかしそこで来ヶ谷は、だが――と続けて。

「――私はそこで、笑っていたんだ。年相応に。こんな冷めた笑いではなく……まるで少女のように、確かに……笑っていた」

 涙は止まらず、流れ続ける。
 それで、何度も何度も擦って。
 でも止まらなくって。
 やがては、制服の腕を顔に押しつけたまま。
 掠れた、声になって。

「そこには……私のずっと探していたものが、あった気がしたんだ……。ずっと欲しくってやまなかったものが、そこには……当たり前のようにあったんだ……」
「来ヶ谷さん……」
「私は……自分のずっと欲しかった物が、何だかわかった気がした。……まあもっとも、すぐに忘れてしまったが」

 そうして涙は止まり。
 そこに溜まった涙も、手で払って。
 目を開いて、立ち上がる。
 そして、茜色の夕空に微かに浮かんでいる星々を見上げながら。
 来ヶ谷は、己の中に溜まった物を、ゆっくりと吐き出すように、長い溜息をついて。

「ふう――まあ、その後は……大体覚えているよ」
「え?」
「あのお気楽女が君らに色々いらんことを言っていったようだが……まあ、忘れろとは言わん。だが、他の誰にも言うなよ?」
「あ……う、うん……」
「お、おう……」

 どこかスッキリとした口調で話す来ヶ谷に、少し気後れするように答える二人。
 そんな二人の返事を聞いて、『ふ……』と微かに笑うと。
 視線を戻して。

「――さてっ! まずは葉留佳君の公開処刑だな!」
「い、いやいやいや! そんな朗らかな笑顔で宣言されても!!」
「ふ……何故止める? きゃつのせいで、私の計画がおしゃかになってしまった上に、あんなわけのわからん女まで呼び寄せることになったのだぞ? これはそれ相応の責任を取らせねばなるまい。ふむ……まずは、おっ○い100揉みぐらいから始めるか」

 さらっと、そして堂々とそんなセクハラ宣言をする来ヶ谷に、理樹は再度頭を痛めつつも……一つ、重要なことに気がついた。
 こうして質問すること自体、もしかしたら取り返しのつかないことになる恐れもあったが――しかし、聞いておかねば決して安心できないことも事実だった。

「……来ヶ谷さん」
「ん、なんだ?」
「もしかして……入れ替わってすぐの時のこと、覚えてる?」

 恐る恐る尋ねてくる理樹に、来ヶ谷は不思議そうに首を傾げて。

「ん? いや、何も覚えてないぞ? ……というか、私はさっきまで夢を見ていたと言っただろう。その後の様子を見れば、特に問題なくみんなと仲良くやっていたようなので安心していたのだが……なんだ、何かあったのか?」

 最後はどこか訝しげに聞いてくる来ヶ谷に、理樹は、

「――い、いやいやいや! 何もしてないよ! 普通に現れて、普通に挨拶して、普通に帰っていったよ! 礼儀正しい子だって、みんなに褒められてたよ!!」

 腕を思いっきりぶんぶんと振って、全力で何も起こらなかったことをアピールするのだった。
 
 ――あの有様を知ったら、全員ただじゃ済まなくなる……っ!
 
 理樹は、あの最初の真人へのくっつき様や、子犬のように頭を撫でられて喜んでいる『彼女』の姿を思い出して、首筋に嫌な汗が流れるのを感じた。
 来ヶ谷は、そんな理樹の必死な思惑に特に気づくこともなく。

「ふ……そうだろう。まあ、曲がりなりにも『私』だからな。……いや、待てよ? だがそうなると、私は礼儀正しくない子ということになるのではないか? ……ん? どうなんだ? ほーれほれ」
「わっ、ぶ……ちょ、やめてっ!」
「ダメだ、許さん。大人しくおねーさんに耳の裏を舐められて昇天してしまうがいい」
「ちょ、ほんと止めてお願いだから、耳の裏弱いんだから僕!!」

 すっかり元通りになった来ヶ谷に、また元通り弄り回される理樹。
 隣に座っていた真人や美魚は、そんな様子を見て呆れたように溜息をつきつつ、笑う。
 理樹を助けようとした小毬は……当然のごとく巻き添えを食らい。
 そして――彼らも。

「お……? って、来ヶ谷! 戻ったのか!?」
「ん? ああ――恭介氏か。うむ、心配かけたな。先ほど帰還したよ」
「あ、ああ……って、もう本当に元の来ヶ谷なんだな。なんかこう改めて見ると、物凄いギャップがあるな……」
「む? なんだ、そんなに違いがあるか? 前の私と」
「いや、違いがあるってな、お前……あの時のお前はどう見ても――」

 と、そう恭介が言いかけた所で。
 後ろから猛スピードで駆けてきた二つの影が――

「――あ・ね・ごぉーー〜〜〜!! はるちん、とーーーっても心配したんっすヨ――――って、うひゃあ!?」
「葉留佳さんっ!? ……わ、わふーーーっ!?」
「くっくっく……まさか、自分からわざわざ処刑台に上がってきてくれるとは。葉留佳君とクドリャフカ君は相当アレな展開がお望みらしいな」
「EE? あっ、ちょ! やめ……あうっ!!」
「ほーれほれほーれ。4人まとめておねーさんがじっくり料理してやる。そう簡単に○○(ピー)れると思うなよ」
「か、堪忍して姉御ぉーー! わひゃ!?」
「わふーーーっ!? な、なんでわたしまでっ!?」
「ふえええーーーん!」

 そんな、いつも通りの彼女達の様子を見て、恭介は。

「……ったく。まあ、いいか。終わったことだしな」

 と、呆れ笑いをして、バットを担いだまま部室の方へと歩いていった。

 

 

 

 

 
 ――その後は、また今まで同じように、平和な日常が過ぎて行った。
 リトルバスターズは様々な出来事を通して、より結束力を高め。
 それぞれの個人のメンバーは、それぞれの方向に少しずつ成長して行った。
 そんな何でもない日常を送る中、彼らの心には、ふとある一つの共通な願いが――あるいは、ある種の興味が――芽生えて行った。
 
 ――すなわち、『もう一度彼女に会いたい』ということ。
 来ヶ谷唯湖と呼ばれた――けれど、自分たちの知っている来ヶ谷唯湖とはまた違った少女。
 ドジで、運動神経ゼロで、子犬のように弱々しい……そんな、まるで正反対の性質を持った、同じ来ヶ谷唯湖という少女。

 ある者は、あれから一体どんな名前を考えたのかと気になり。
 またある者は、もっと彼女と仲良くなりたかったと切に願い。
 またまたある者は、今度こそビデオに納めて本人に見せてやろうと企んで。
 そしてまたある者は……自分が一体何をやらかしてしまったのか、知りたくて。
 みんながみんな――彼女とまた会いたいと願った。
 
 そしてこれは――そんなある朝食での、子猫の一言。

「あのキノコ、まだうちの冷蔵庫にあるぞ?」

 ――そしてそれが、一体どのように使われたかは……また別の話。

 

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