3
 
「こまりちゃん。こまりちゃんの彼氏ってどんやつだ?」
 学生ホール。
 今日鈴は小毬たちが通う大学に遊びに来ていた。
 小毬は照れくさそうに笑った。
 頬が赤い。
「えぇっと……携帯で写真撮ってるんだけど」
「見せて」
「じゃあ、一枚だけ。なるべく恥ずかしくないの探すから……」
「べつにいいじゃないか!」
「いや! 見られたら鈴ちゃんだってやっぱり変って思うもん!」
「思わないって!」
「ちょっと待って! ちょっと待って!」
 携帯を取り返して、ほっと一息つく。
 辺りを見回して、ぽちぽちと携帯を操作する。
「こ、これ……」
「あれ? 体が半分しか映ってないじゃないか。下半身が彼氏なのか」
「これ以上は見せられないの。あとその言い方、ちょっとエッチだと思います……」
「え?」
「エッチだよ鈴ちゃん!」
「え?」
 鈴は呆然とする。どうやら怒られているらしい。
「ご、ごめんこまりちゃん。何気なく言ったんだ」
「うん……わかってるよ」
「顔は見せてくれないのか?」
「一枚もいいのがなくて……」
「この大学にいるんだろ?」
「うん。先輩だけど……」
「理樹は元気か?」
「理樹君モテモテだよ〜」
「ほぉ〜」
 拳がいきり立つ!
「どんなやつなんだ? こまりちゃんの彼氏」
「真人君ほどにはかっこよくないよ〜」
 謙遜のつもりだったのだろうが、
「そうか……気の毒にな」
「え?」
「あいつより格好悪いやつなんて想像できない」
「そ、それはいくらなんでも……」
「あいつより格好悪い彼氏なんて、ちょっとこまりちゃんが気の毒になってきたぞ」
 本気で心配されているらしいとわかって、
「や、やっぱり、普通の彼氏かも……」
「そうか。だったらいいんだ」
「うん……」
 鈴は早速問題をぶつけた。
「こまりちゃん……あのさ、今幸せか?」
「え? 鈴ちゃんは真人君といて幸せじゃないの?」
「よーわからん……」
 肩を落とす。
「真人……あいつとはもう長いんだけど……友達としてはな、でも、高校卒業して、あいつと二人でいる時間ばっか増えて、どう接したらいいのかわからん……」
「友達から恋人になったんだもんね〜」
「うん」
「そういうの、すっごく素敵でハッピーだと思うけどな〜」
「はっぴー?」
「ロマンティックだよ〜。恋する女子は一度は憧れる恋だと思うよ。でも、やればやっただけ、大変かもしれないね〜……」
「う、うん……」
 鈴はテーブルに両腕で枕を作って、そこに顔を乗せた。
「なんちゅーか……どうやって接すればいいのか、とか……」
「真人君ってでも一途だよね」
「こまりちゃんもそう思うか?」
 興奮しだす鈴。
 小毬は頷いた。
「結婚したがってたり、するんじゃないかな」
「け、結婚――――っ!?」
「しっ! 鈴ちゃん、ここ人多いから!」
 鈴の口を押さえて、辺りに目を配る。
 愛想笑いで誤魔化す小毬。
「鈴ちゃん。油断してるとね、男の子ってずんずんそういう計画進めちゃうから、一人で悩ませてたらダメだよ」
「く、詳しいな……」
「鈴ちゃん。ちゃんと男の子の手綱を握らないと。一緒に考えるとか」
「こまりちゃん、こまりちゃんはそういうふうに結婚とか考えてるのか?」
 小毬は微笑んで、
「え? そんなわけないよ〜。漫画の知識だから。でも大事だよきっと。それとなく、そういう話題振ってみるとか……」
「け、結婚って……突飛すぎるじゃないか」
「鈴ちゃんってそういうの考えないもんね」
「あ、当たり前だ! あたし……いきなりそういうのとか……分かんないし……」
「わたしもそうなんだよ〜。でもきっと、真人君だったら、男らしいから、そういうところ綿密に計画立ててそうじゃない?」
「う〜ん。真人かぁ……あいつ馬鹿だが、みょ〜に変にやる気になってるとこあるしなぁ」
「やる気って? まさか、」
「え? 違う違う!」
「違うよね。あ、でも、そうなったらすぐわたしに言わないとだめだからね! 鈴ちゃん、きっと真人君のことボコボコにしちゃうと思うから!」
「いや、しないけど……まぁなんちゅーか、あたしらまだ二年目なわけで。どーも、どう恋人っぽくしたらいいのやら、悩んでる……こまりちゃん、こまりちゃんはどういうふうにそいつに接してやってるんだ?」
「う〜ん」
 小毬は顔に人差しゆびを当てる。
「こう、ぎゅ〜っとしたりとか、」
「うん」
「一緒に手を繋いだり、」
「うん」
「それくらいかなぁ? あと、男の子に普段見せないところを見せるといいらしいよ」
「へ?」
「こう……いちゃいちゃ、と」
「ほうほう」
 鈴は頷くたびに、真人とのやり取りを頭の中で想像していた。
「いちゃいちゃ、か……」
 だーりんっ♪ と言って、抱き付く、みたいな……。
「げほっ! げほげほ! んな馬鹿な!」
「鈴ちゃん、どうしたの!?」
「ごめんこまりちゃん、むせちゃって……」
「大丈夫?」
「だいじょうぶ。なんとか……」
 恥ずかしい。
 とかではなく、純粋にただ気持ち悪い。
 お口にスプーンで「あぁ〜んっ♪」と、入れてあげる時とか……。
「うぇほ! げほげほげほ!」
「ど、どうしてそんなにむせてるの!?」
「いや……自分に吐き気が」
「え? 吐き気?」
「何でもないんだ。どうもすぐそういうのをするには勇気がいるようだ……」
「普段も、友達みたいに接してるの? 真人君とは?」
「あ〜……そうだな」
 鈴は記憶から思い出を取り出す。
「なんちゅーか……そうじゃない時もあるけど、そうしている時が一番落ち着くというか……」
「鈴ちゃん。それって、鈴ちゃんらしいね」
「へ、変か? 何か、やらないとダメか?」
「う〜ん……」
 なおも考えるが、
「真人君がどう思ってるか、だよね……」
「そうなんだ……」
「何か、変化とか起きてたり、するの」
「変化? う〜ん……」
 鈴は腕を組む。
 うまく言葉に言えないが、ちょっと引っかかっていることがあった。
 それがそもそも、鈴が悩んでいる原因に直結していた。
「いつからか……ちょっと不安に思うことがある」
「不安?」
「ああ。真人、本気であたしのこと好きなのかなって」
 小毬は笑い出さなかった。
 親友の言うことはきちんと受け止めたいと思っている心の顕れだ。
「どうして? どうしてそう思う?」
「いや……あいつ、いつもバイトとか、将来に向けての勉強とかやってるんだ。金貯めて、何にするかわかんないけど、とにかくあんまりあたしみたいに今のままがいいとか、思ってないみたいなんだ」
「それって、」
「け、結婚なのかなあ。なんちゃって……」
 鈴は顔が赤くなるのを抑えられなかった。
 鈴は今の、のほほんとした関係で十分満足している。しかし、真人の方でどう思っているかは定かではない。
 しかし、ここで尋ねるのが怖いのは、人間なら当たり前のことだ。
「怖いのは、置いてかれることなんだ……何かあいつ、いつも何か頑張ってるけど、それ、あたしのためなんだろうか……もし、そうじゃなかったら、あたしのことだって邪魔に思うかもしれん」
 小毬は何にも言わなかった。じっと考えているようだった。
「あたし……どうしたら、真人から嫌いになられないかって、ずっと考えてるんだ。でも真人も友達っぽい関係のままがいいと思ってるかもしれんし……いきなり、何もかも変えるのは、ちょっと……」
「鈴ちゃん」
「こ、こまりちゃん」
「大丈夫だよ」
 鈴の手を握って、ふんわりと微笑む。
「大丈夫大丈夫」
「は、はは……」
 小毬に手を握って微笑まれると、何だか、自分が考えていたことが不思議とちっぽけなものに思えてくる。
「誰だって思うよね。そういうの」
「そ、そうなのか……?」
「うん。いろんな男の子と女の子がいるけどね、たまに相談事もされたりするんだけど、男の子ってね、そういうものなんだって。つまり、何でも挑戦したがるたちみたいなの」
「へえ」
「努力して、世の中で自分の力を試したい、何か実になることをやりたいって、純粋にそう思うらしいの。だから、そういうの理解できない女の子とは、別れちゃったりするの」
「わ、別れるって」
「大丈夫。鈴ちゃんは別れたりしないから。真人君そういう人じゃないと思うし、鈴ちゃんだって、きちんと分かってれば、やれることあるでしょ?」
「そ、そうかな」
「うん。男の子のそういうところ分かってあげて、後ろから支えてあげるのがいいんだよ。たまにちょっと優しくしてあげて、大好きだよって、何かで伝えてあげると、いいんだよ」
「む、そ、そうか……」
 鈴は考えた。
 どんなことで伝えればいいのか。
 男の喜びそうなことは何なのか。
「逃げられないように、ぎゅっと捕まえておかなきゃ! 真人君、きっと心のこもったことなら何だって嬉しがるよ。そうやって、付き合ってけば大丈夫だよきっと」
「うん。ありがとう。こまりちゃん」
「大変だけど、わたし、鈴ちゃんにはうまくいってほしいって思ってるんだよ。だから頑張ってね」
 鈴は頷いた。

 

 
 4
 
 鈴は、そっとアパートの鍵を開けた。
 誰もいないのを確認し、音もなく入る。
 玄関にどさりとスーパーの買い物袋を下ろした。
 電気を付ける。
「ふぅ……よし」
 鈴は玄関から上がる。
「一人で入るの初めてだなあ……くさいな、あいつの部屋」
 真人は今留守にしている。
 少し前に借りたアパートの部屋。
 まだあまり物が置かれていない。しかし、整頓はあまり得意ではないようだ。
「バイト終えて帰ってくるまで、予想では一時間……」
 鈴はスーパーの袋を持ち上げた。
「ちゃっちゃと作らなきゃ」
 
 鈴はほとんど料理をしたことがない。
 いつでも母親に作ってもらうので、それに甘んじている。
 しかし猫の餌などは自分で用意したりするし、何をどうすればいいのか、少しは心得ているつもりだ(猫と同等に扱われる真人には同情を禁じ得ない)。
 鈴は、
「えぇっと……これって、どう切ればいいんだっけ……」
 料理本と格闘していた。
 カレーを作るのである。
「あれがこうなって、これがこうなるから……まあ、このへんは適当でいいだろ」
 具を切ってどぼどぼと鍋に入れていく。
 ルーを入れて、ぐつぐつと煮る。
 ほんのりいい匂いがしてきたころに、玄関のドアが開く音が聞こえた。
「真人? おかえり! ――?」
「鈴? なんでおまえがいるんだ?」
「な、なんでおまえがいるんだ――っ!」
「それはこっちのセリフだ。我が妹よ」
 恭介だった。
 断りもチャイムもなく入って来て、鈴の手元をのぞき込む。
 カレーの匂いを嗅いで、ううん、と機嫌よさげに笑う。
「いい匂いだな……真人のやつにメシを作ってやってるんだな。最高だ。鈴」
「う、うっさい! おまえに用はない! かえれーっ!」
「おいおい。実の兄に向かって結構な言い草じゃないか。どうしてそう怒るんだまったく。……ふん。仲良さそうじゃねぇか」
「お、おまえに関係あるか!」
「往年の犬猿の仲からしてみれば、想像できねぇぜ……真人♪」
 鈴の口真似をする恭介の胸元にハイキックが飛んだ。
 恭介はそれを瞬時にかわす。
「何て暴力的な妹なんだ……もしおまえ、真人の仕事先の上司に見られたらどうする……一発で終わりだぞ」
「何の話じゃぼけぇ! つーか何で来た! ここに用は無いはずだぞっ!」
「用ならある」
 恭介は袋を持っている。
「以前借りていた漫画を返しに来たんだ。それくらい、いいだろ? べつに」
「ふん。分かったから、とっとと用を済ませて帰ってもらおーか」
「ふん。うまそうな匂いじゃないか。カレーか……真人が喜びそうだな。おや、こっちにはカツが」
「う、うっさいわ! 黙って帰れ!」
「きさま、味見はしたか?」
「あ? いちおー……してるけど」
「どれ。よこせ」
 恭介は鍋からおたまを取って、飲む。
「ふむ……ちぇ。なんだ、普通に美味いじゃないか。こう、漫画みたいに料理が上手じゃない妹を期待してたのに」
「別におまえに作ってるわけじゃない」
「真人があまりの不味さにぶっ倒れるんじゃないかと心配になったんだよ。杞憂だったな。失礼した」
「別に、そーそーそんなお約束みたいなの起こらんだろ普通。あたし、きちんとレシピ通りに作ったし」
「それが問題なんだ」
 恭介は途端深刻そうな顔つきになった。
「は?」
「このカレーは確かに美味い。美味すぎて、普通の男ならこれだけで満足し、おまえにとろけちまうだろう。だがな、はっきり言おう。味が普通すぎるとな」
「な、何のことじゃ……」
「うむ。おまえの個性が感じられないとでも言い直そうか……男は女の手料理を喜ぶものだが……だがそれが、定食屋でもいただける、個性のない味だったとしたら、どうなる……?」
「き、きさま!」
「俺は現実を語っている。鈴、そのカレー、仮に真人に食べさせたとしようか……そしてそこで、まさに俺が『実はそのカレー、俺が作った』と発表したとしたら、どうなる? 真人は鈴が作ったに違いないと確信できるだろうか? それだけの味がこのカレーからのぼり立っているだろうか!」
 鈴は動揺した。
 鍋を見つめる。
 鈴は、カレーからのぼり立っている湯気から、自分らしい香りが出ているかどうか気になってきた。
 しかし、正気に戻って頭を振る。
「ま、真人なら、そんなの気にしないはずだ!」
「いーや……気になるはずだ。なんせあいつは味にうるさい……肉が一ミリ薄かったからといって、いつまでもグチグチ文句言う男だぜ? カレーだって味の小さな違いにだって気が付くはずさ……俺が言いたいのはだ、鈴、おまえの個性を出した味付けにすることだ。そうすれば、このカレーは思い出のカレーとなり、おまえと真人のこれからの長き日の間で語り継がれるであろう記念になるはずだ」
「そ、そうなのか……?」
「さてここに、得意先で頂いてきた、苺がある」
 恭介は袋から苺のパックを取り出した。
「これを切り刻んで入れてみろ……う〜ん♪ とってもスウィーティーに、素ん晴らしくトロピカルな味になるはずだ」
「……冗談言ってないか?」
「おいおい。俺はいつも本当のことを語る男だぜ」
「嘘ばっかり言ってた記憶しかないが」
「まあ、ここは俺に騙されたと思って、この苺を使えって。これで真人のハートをがっつり掴むんだ……どうだ。兄らしい気遣いと言えないか? これは」
 鈴は足早に部屋を行ったり来たりした。
「ちょっと考えさせてくれ……」
「おう。いいぜ。じゃあ俺は帰るからよ。苺を入れるも入れないもお前次第。後は任せたぜ」
「とっとと帰れ」
「ふん。真人のやつによろしくな。俺はいつだってお前たちを応援しているからな……ふふふふ」
 恭介は、意味深な微笑みを送りながら、部屋を出て行った。
 時計を見る。
 もうすぐ真人が帰ってくるころだ。
 合鍵をもらっておいてよかった。美味しい料理を食べさせてあげることができるからだ。
 鈴は彼に「おかえり」と言うことが、なんだか幸せに感じられた。
 しかし、あの兄貴が来たことで、何だか場面はよくわからん変貌を遂げた。
 このカレーが馬鹿にされたことには思い切り腹が立ったが、実際このカレーはどうだろうか?
 美味しい? そりゃ、美味しいだろう。
 でもそれだけでいいものか?
 自分の味とは何なのか。
 真人が帰ってくる。
「うぅーす。ただいまー。おっ、鈴。来てたんだな。お、なんだコレ! すっげーうまそうな匂いじゃん! よっしゃ! 腹めちゃくちゃ減ってんだオレ! さっそく食わせてくれ!」
「あ、ああ……おかえり」
 真人は不思議そうな顔をした。
 鈴は難しい顔で悩みを続けた。
 果たしてこれを入れるべきか?
 時間はもうない。
 真人が上着を脱いで、荷物を置いてくる前に早く決めなければ!
「リ、リビングに持ってくからちょっと待ってて!」
「へぇーい。やったー、カレーかぁ。へっへ、楽しみだなあ。……おっとそうだ、カツはでかいの入れてくれよ! 大盛で頼む!」
 鈴は焦った。
 部屋を行ったり来たりする。
 そのうち、テーブルの上にある、苺のパックに目が行く。
 嘘だとは思いながらも、鈴は二つ取って、包丁で薄く刻んで、真人の皿の中に入れた。
「い、入れた〜!」
 真人はリビングで今か今かと待っている。
 鈴は、怖かったので、自分の皿には入れなかった。
 神妙な顔つきで皿を運ぶ。
「うっわー。オレ、鈴の手料理って初体験なんですけど! マジ楽しみだなあ!」
 鈴は痛々しい微笑みを浮かべた。
 この純真無垢な男がどう変化するのか、恐怖感で一杯だった。
 サラダの盛り合わせを持って、再びリビングに行くのが怖かった。
「おい、まだかよ。おまえが来るの待ってんだかんなー」
「い、今行く!」
 自分の皿も一緒に持っていく。
 真人の隣に座ってドキドキとしながら彼の顔を見つめる。
 何を思ったのか、頬にチューされた。
 鈴はますます怖くなるばかりだった。何が起こるのか……これからどんな風に彼の顔が冷たく、厳しくなっていくのか!
「いっただっきまーす!」
「……いただきます」
 食べ始める真人。
 鈴は一切手をつけず、見守っている。
「うん?」
「う!」
 鈴は怯える。
「う、おお、おおお……」
「だ、大丈夫か! 真人、吐きそうなのか!」
「う、うう、うめぇ……」
「え?」
「泣くほどうめぇよ! こんなカレー、食ったことねぇよ! 甘くて、まろやかで、一瞬すげぇ変な味になるけど、何だか後味爽やかで!」
 真人は本気で泣いている。
「ああ、幸せだオレ……おまえと付き合うまでの十数年間、ずっと不遇だった青春が今ここで報われたようだ……」
「そ、そう……」
「ところで何入れたんだ? ちょっと普通じゃねぇ味だけど」
「言えない! 絶対言えない!」
 真人は首を傾げる。
「そうか。ま、変な味になるときも一瞬あるけど、その絶妙な感覚が最高だよ。ありがとな鈴。やっぱ彼女の手料理って一味違ぇよ」
「あ、あはは……」
 鈴は胸を押さえて心の底から溜息をついた。
「よかった……」
 自分もスプーンを使って、カレーを掬ってみる。
「うん……普通の味だ」
 ちょっと真人のが食べてみたくなる。
「あ? おーい鈴、どこ行くんだよ」
「ひみつ」
 自分も苺を入れて食べてみたくなったのだ。
 鈴は苺を刻んでパラパラとカレーの中に入れる。
 恭介もたまには役に立つ。
 今度何か礼をしようと思って、自分のを食べてみた瞬間、
「うっげぇぇぇぇ……」
「鈴!? どうした!?」
 トイレに駆け込んだ。
 そこから一部始終は割愛させていただくが、
「なんじゃこれ! 死ぬほど不味いわ!」
「鈴……何を言ってんだ? 結構美味ぇじゃねぇか?」
「お前は別にそう思うかもしれんが、こんなに不味いカレーを食ったのは初めてだ! あんの馬鹿兄貴……どうお返しをしてやろうか……」
「恭介? 何だ、恭介の野郎来てたのか?」
「ああ。そこにある、お前の漫画を返しに来たって」
「水くせぇなぁ。一緒に食ってきゃいいのによ……」
 鈴は思った。
 まんまと逃げられた、と。
 それから美味い美味いと食べてくれる彼氏をよそに、不思議な幸福感と絶望感の間で揺れ動き続ける棗鈴であった。

 つづき

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