来ヶ谷はストライク2、ボール2まで溜めて、ようやく葉留佳を捉えた。

 来ヶ谷の打ったライナーの打球はサードとショートの間を抜け、レフトの追いつけない、ファールラインギリギリのところへ飛んでいった。

「フェア!」

 来ヶ谷は全力で疾走する。

 鈴ももうとっくに二塁に向かっており、来ヶ谷は一塁までも蹴った。鈴は三塁へ、そして来ヶ谷はボールの所在を追いながら、本気で走った。

 計算づく。

 二塁に危なげなく到着。レフトは捕球した球を投げなかった。判断がつかなかったのだ。

「やったぁぁ――!」

 E組ベンチとギャラリーがわき返った。来ヶ谷の名前がコールされている。

 来ヶ谷はヘルメットを取り、汗を拭った。

「タイム!」

 相手チームが宣言し、キャッチャーの男が葉留佳に向かって走っていく。

 流れがこちらに傾きつつある。

 鈴の出塁からだ。

 あるいはそれは、クドが打ったからか。

 葉留佳は苦しげに膝に手を置いて、呼吸していた。

「大丈夫か! 三枝!」

「だいじょうぶ……まさか、打たれるとは」

「水分補給しろ」

「だいじょうぶだって……」

「いいから飲めって!」

 さっきうんと飲んだのに。無理矢理ペットボトルを渡されて、口を開けて飲む。

「こぼすなよ」

「うん……」

「いけるか?」

「いけるよ……後ツーアウトでしょ。やるしか、ないもん」

 キャッチャーはゆっくりと葉留佳の観察をした。

 バッター席を振り返る。

「直枝か……まずいな。といっても、代えるわけにも……」

「代えないで!」

「三枝」

「大丈夫……大丈夫じゃないかもしんないけど、そっちから見たら、でも、後一打席でもいいから投げさせて……理樹君を討ち取ってやるんだから……このまま負けっぱなしで終われないよ」

「だけどな」

「お願い」

 葉留佳はキャッチャーの目をじっと見つめた。

 その目は疲れ切っていたが、闘争心は消えておらず、キラキラと輝いていて、美しかった。

 懇願するようではない、ただ、自分の有り様を、自分のやる気を見てくれ、といった表情。

 キャッチャーの男は胸を打たれた。

「わ、わかったよ」

 美しい、とその顔が表現していた。

 顔を赤くしながら、頭をかいた。

「ありがと」

「いいか? 三枝。後二点だったらくれてやってもいい。だけど、一球一球アウト取ることに集中してけ。二点はやる。だけど、ツーアウトそこできっちり取ってこう」

「うす」

 相手は葉留佳の目を見た。

 うなずいて、キャッチャーポジションに入っていく。

 葉留佳は腕を上げようとして、激痛を感じた。それでも無理してぐるんぐるんと回し、溜息をついた。

 顔が苦しげに歪む。

 しかし、また闘争心に火がつけられ、不敵な眼差しも浮かぶ。

「プレイ!」

 理樹が眼差しをくれた。

 理樹は、バットを垂直に構える。

 葉留佳は真剣そのものに見える。真剣、という概念をそのまま体で全て表現しているようでもある。

 目の形、口の動かし方、体の佇まい、そして放たれる不思議な熱気。それらが目に見えない威圧感としてバッターボックスに伝わってくる。

 理樹は、葉留佳をずっと、見誤っていたことに気が付いた。

 もしかしたらそれは、葉留佳も葉留佳で成長したからかもしれなかった。とにかく理樹は葉留佳の今までのイメージを取り外して、新たなものに付け替えねばならないことに気が付いた。

「ボール!」

 一球一球に魂が籠もってる。

 それは、どんな魂だ?

「ストライク!」

 葉留佳は、自分と戦おうとしているんじゃないのか?

 葉留佳は、自分自身に負けないがためにあそこに立っているんじゃないのか?

 人間はみな、そうやって生きていくんじゃなかったのか?

 そうやって、生きて、仲間になるんじゃなかったか?

「ファール!」

 理樹は、全く新たな目で葉留佳を見た。

 あの愛らしい、動物のような、溌剌とした可愛さが、全て無くなったわけじゃない。けれど、それをもって今の彼女を表現することはあまりにも野暮で的が外れている。

 今、彼女は、何か誇り高いもののように見える。

 葉留佳は、本当は、そんな人間じゃなかったか?

 葉留佳はボールをキャッチした。

 もう一度投げる前に、大きく溜息をつく。

 その度に闘争心が新たにされる。

 その美しい両目はこちらを真っ直ぐに見ている。

 理樹はその威圧感に負けないように、唇を引き結び、自分の恐怖心を律した。

 律する。

 この世で一番に難しいことだ。

「ファール!」

 葉留佳の表情がますます険しくなる。息が切れ出して、表情が歪み始める。苦しそうに喘いで、汗を拭く。切れ切れになった集中力をまた再び練り上げる。その作業はひどく苦しく、また辛い。

 虚しい努力に見えるか?

 いや、そんなことはない。

「ファール!」

 理樹は、リトルバスターズとは、こういうふうに、お互いに戦い、そして仲間になり、作られていったんじゃなかったか? と、昔の日々を思い出していた。

 真人と恭介が戦ったこと。

 今度は謙吾と真人たちが戦ったこと。

 理樹も、三人と、そして自分自身と戦った。

 そうして、ようやくのこと、居心地のいい、深い満足感が生まれたのではなかったか?

 葉留佳も同じなんだ。

 自分の力で、何かを証明するために戦っているのだ。

 それは何ら虚しい戦いじゃない。

 人として生きていくために、誰しもが、このような戦いを、人それぞれの形、人それぞれの場所で、行わねばならないのだ。

 その必要性に、人は、自分に正直に生きていれば、いつか必ず気付くようになる。

 そうしてその後、何か結果が出て、

「ファール!」

 ボール球を打つ。

 理樹はヘルメットを被り直す。

「ボール!」

 何か、自分にわかることが出てくるだろう。

 そうしたら、お互い、もっとよく認め合うことができて、また以前よりもいい形で、友達に、最高の友達になることが可能のはずだ。

 いや、そうに違いない。

 だから、

「もうっ……」

 葉留佳はイライラしてきた。

 対する理樹は静かだ。

 だから、と理樹は思う。

「でやっ!」

 だから、本気で戦わねば、葉留佳の友達だとは、言えないのだ。

 小気味のいい音。

 それは、弾かれた。

 弾かれたボールはぐんぐん空を突き破って、それぞれの頭上を大きく越していった。

「打った!」

 理樹は走り出す。ボールはぐんぐんライト方向へ伸びていき、ライトの頭上を越えてもまだ伸び、ギャラリーの近くに落ちた。まだバウンドするのを、ギャラリーは驚きながら道を作り、そのままにさせ、大きな歓喜で理樹を祝福した。

「いよっしゃああぁぁぁ――――っ!」

「理樹! 今だ、回れ!」

「理樹いけ――――っ!」

 理樹は一塁を越え、二塁に走った。

 二塁も問題なく蹴り、三塁へ。そのころにはライトもボールを掴み、内野に向かって大きく投げた。

 内野に渡るぎりぎり前に三塁を抜け、理樹は全力疾走した。

「あいつマジか!?」

「行け――っ!」

 内野は驚き、大きく振りかぶってバックホームへと投げた。

 理樹は脇目もふらず、一心にバックホームへと走り、そしてダイビングした。

 キャッチャーがボールを掴みタッチングしようとする。

 それをぎりぎりでかわして、キャッチャーの足を軸にして大きく地面を回りながら、ホームベースに手を置いた。

 静まり返る。

「セーフッ!」

 理樹たちに歓喜がわき起こった。

 E組のベンチから選手らが飛び出し、理樹を迎えに行く。

「ホームランだ! やったぜ! さすが理樹だ!」

「理樹君!」

「やったな!」

 逆転。

 3―2。E組がここで逆転し、望みを繋いだ。

「タイム!」

 対するA組側は、葉留佳の元に全員集まっていた。

「三枝!」

 葉留佳は、膝に手を置いて、俯きつつ、手で涙を拭っている。

「大丈夫か!?」

「ごめん……ほんと、もう……最悪……わたし、下手くそで……」

 メンバーはそれぞれ顔を見合わせた。

 咎めようにも咎められない。

 葉留佳の頑張りを誰もが目の当たりにしていたからだ。

「わたし……勝ちたいのに……なんで……こんなの……」

「三枝……」

「葉留佳さん……」

 その時、A組ベンチの方から男の声が聞こえた。

「A組、ピッチャー交替だ!」

「おい!? 誰だよ!? ちょっと待てこら!?」

 キャッチャーが苛々した様子で振り返る。

 しかし、その顔が固まる。

 みんなも振り向く。信じられない光景がそこにあった。

「え?」

 葉留佳も涙を拭いて目を上げる。その目は、大きく見開かれる。

「ええっ!? なんで!?」

 なんで――みんながその疑問を持っていた。

「なんで謙吾君がここにいるの!?」

 宮沢謙吾が胴着姿のまま、真剣な顔でこちらに歩いてきていた。

 頭には野球帽。片手にグローブをつけて。

「三枝よ。俺は、おまえの戦いを、三回からずっと見ていたぞ」

「えっ……」

「俺は、ここに戦いに来たぞ。おまえのために、おまえの信じたもののために俺も一緒に戦うぞ」

 謙吾は、マウンドに立った。

 葉留佳のことを見下ろして、真剣な眼のまま、言った。

「よくやった」

 微笑む。

「よく頑張ったな」

 手を頭に添える。ぎゅっ、と、温かい手は、葉留佳の頭を優しく撫でた。そしてそれは、葉留佳の望んでいたものを、たったそれだけ、ただその数行の言葉、たった一瞬の行為によって叶えてみせた。

 もちろんそれは、真剣に戦ったものだけが得られるもの。

「後は、俺に任せろ」

 葉留佳はうつむいて、涙を再び流す。

 しかし悔し涙ではなかった。求めるものが得られた戦いの勝利による涙であった。謙吾の言葉一つ一つ、動作一つ一つ、目、声、そして温かさ、それが何より葉留佳に嬉しかった。

 もちろん、今さら出てきて何だ、という気もした。何をきざなこと言ってるんだ、おかしくなる。という気もする。しかし葉留佳は涙が止めどなく溢れてくるのを抑えきれなかった。自分で自分が信じられないまま、葉留佳は涙を流す。認められたのだ。何よりも、自分が頑張った証をもらえて、ここに居ていいという証をもらえた。

 そしてそれは自分が勝ち取ったものだった。

 これは葉留佳の勝利だったのだ。それが嬉しい。ああ、そうだったのだ。と、葉留佳は泣きながら気が付いた。

 自分はこんなにも寂しがり屋で、それでいて、たまらなく、照れ屋で、笑い方が下手くそで、それでいながら、一生懸命だった。

「後は俺に任せろ」

 この言葉にどれほど信頼できる何かが含まれていることか。

「俺が、このチームを優勝させてやる」

「うん……」

 グローブを取って、マウンドから去ろうとする。

「ちょっと待てぇぇ――いっ!」

 真人が叫んだ。

 さっきから不満たらたらで、誰もあの男があの場所にいることに突っこまないのを不審に思っていたからだった。

「何だ真人。邪魔をする気か?」

「それはこっちの台詞だっつーのっ! てめぇ、つーか何でそこにいんだよ!? 卓球は!?」

「卓球か。とっくに優勝して試合を終わらせてきたが?」

「あんだとォ!?」

 真実だった。謙吾はもう三回の始まりから野球の観戦をしていた。

「大体てめぇ、だったらこっちに来るのが筋じゃねぇかよぉ!? なぁ!?」

 理樹たちも、取りあえず頷いておく。

 謙吾は向き直って、葉留佳の肩に手を置きながら、宣言した。

「俺は、A組チームのピッチャーになるぞ!」

「はぁぁ――――っ!?」

「別に、他のチームで参加してはいけないという規則はあるまい!?」

「誰も考えつかねーんだよ! そんな馬鹿なこと! おい運営部!」

 ギャラリーも騒ぎ出した。

 運営部の名前がコールされる。

 これはオッケーなのか、ダメなのか? 解答が求められる。

「ちなみに言っておけば、」

 謙吾がまた大声で叫んだ。

「俺は一度もそっちのチームにメンバー登録されたことがない!」

 チームとして、謙吾が野球に参加したことはない。

 これは事実だった。謙吾はバレーと卓球に全試合出場したが、それ以外は出ていない。

 運営部は、論議に入った。

 それは約一分してから、結論へとなった。

「A組! それで構いませんか?」

「構わん!」

 謙吾が大声で答える。もうすでにA組に入った気になってるようだ。しかしA組から反論が出ないので、運営部はそれでよしとした。

「E組はよろしいですか? E組がよければ、選手交代を認めます」

「おい理樹。どうすんだよ?」

「理樹君」

「直枝さん」

「りき」

 理樹はずっと考えていたが、顔を上げると、みんなに言った。

「謙吾のことを、認めてやれないかな?」

「りきに従うぞ」

「私もです」

「そうだな。私もそうする」

「オレもだ。別にそう目くじら立てることじゃねーしな。突っこみどころ満載だけどよ」

「僕は、謙吾も……」

 理樹は言い直した。

「謙吾も、戦わなきゃいけないことがあると思うんだ」

 みんな黙った。

 理樹は続ける。

「きっとそれって、勝ち負けとかとは関係なくて、本人の問題なんだ。僕らにとっても。謙吾にとっても、葉留佳さんにとっても」

「それでいいんです」

 美魚が微笑んだ。

 クラスのみんなも、事情はよくわからなかったようだが、面白好きの連中なので、全員オーケーを出した。

「よし。みんな、ありがとう……。E組は、オーケーです!」

「では、運営部は生徒自身の自主性を尊重することにいたします。宮沢謙吾くん、三枝葉留佳さんと交替し、投球練習に入ってください」

 謙吾は笑った。うまくいった、という表情だ。

「三枝」

 去ろうとしていた葉留佳を呼び止める。

「余計かもしれないが、言わせてくれ。俺は、おまえと一緒に戦いたいのだ。俺は、おまえの名と共に投げていることを忘れないでくれ。おまえの誇りを胸に宿し、その誇りのままに、あいつらに全力で勝負を挑むということを、覚えておいてくれ」

 葉留佳は、ゆっくりと、頷いた。

 そして涙で真っ赤になった目元を細くして、微笑んだ。

 控えの選手に肩を貸され、ゆっくりと歩いていく葉留佳を見送ると、謙吾は一気に目元と口元を引き締めた。凛々しい顔つきになると、女子たちの黄色い声援が飛んだ。

「宮沢―! 投球練習はどうすんだ?」

「一、二回投げさせてくれ」

 しかしそれは投球練習というよりも、ゆっくりとしたキャッチボールのようなものだった。肩を動かし、感覚を掴むための。キャッチャーからしてみれば、こいつで大丈夫かと疑いたくなったが、謙吾はそれで問題ないようだった。

「よし」

 バッターボックスに入ってくる。

 真人だ。

「貴様と最初に戦うことになろうとはな……」

「へっ。てめぇと決着をつけられると思うと、嬉しいぜ」

「戯れ言を。すぐ叩きのめしてやるぞ。いつものようにな」

「面白ぇ! 寝言ほざいてられんのも今の内だぞコラァ!」

 真人は真剣に目を研ぎ澄ませた。

 謙吾はゆっくりと振りかぶる。

 だが投球のスピードは段違いだった。

 ズドン! とまるで重たい岩が激突したかのような音がミットからする。

「ストライク!」

「……は?」

「痛ぇ……な。コラ! 宮沢! すごすぎるぞおまえ!」

 キャッチャーが喜びながらボールを返す。

 謙吾はそれを涼しげに受け取り、

「ほんの肩慣らしだぞ」

 くだらないものを見るような目で真人を見下ろした。

「……あ? くだらねぇことうだうだ言ってるのがてめぇの趣味か? ふざけやがって! ちょっと速いからって図に乗るんじゃねぇぞ!」

「ぐだぐだうるさいのはそっちだ。すぐに投げるぞ。構えるがいい」

 もう一球投げる。

 バットを振ったが当たらない。

「ストライク!」

「さらに速くなったぞ!」

 観衆がどよめく。

 E組のベンチは騒然としていた。鈴よりもスピードが出ている。

 それもほんの肩慣らしらしい。

 どんどんスピードが上がっていくように見える。

「ボール!」

「どうした? 怖じ気づいたか?」

「ンのヤロォ……」

 真人は真っ赤になった。

 バットに力を込め、次の投球をよく見、合わせてきた。

 それは、確かに投球を捉えたはずだった。

 だが、

「嘘ォッ!?」

 バットが途中でポッキリ折れてしまい、そのまま剛速球はキャッチャーミットに吸い込まれていった。

 バットの切れ端は、破片と共に数秒遅れて地面に落ちた。

「嘘ォォ――――ッ!?」

「ストライク! バッターアウト!」

 観客はどよめいた。

 しかし謙吾は当然のように涼しげだ。

 リトルバスターズの面々は、来ヶ谷までもが、絶句していた。

「嘘……あんなの、プロでさえなかなかないのに……」

「まじかあいつ」

「宮沢さん……やはり、宮沢さんらしいですね」

「俺、あんなの打てっこないぞ!?」

 次の男子が狼狽していた。

 真人が悔しげな表情で戻ってくる。

「あー……ちくしょう。ありゃ無理だわ。捉えらんねー……」

「バットにヒビが入ってたんじゃない?」

「多分、速すぎて芯捉えらんなかったんだ……そもそもあいつの球の威力があり得ないんだけどさ……」

 真人はバットの切れ端を持ってきた。

「記念にもらってきた。いるか?」

「トゲトゲが痛そうです!」

「いるか!」

 五番として出て行った男子も、早速討ち取られ、三振、チェンジとなってしまった。

「ああ、やっぱりな」

「どうする? 一点差だが……」

「最後の五回裏か……」

 理樹は立ち上がった。

「何とか守らなきゃ。延長戦に持ち込んだら多分負けだよ」

 その意味は誰もが理解できた。謙吾がいるからだ。

 鈴は立ち上がって、グローブをはめるが、

「鈴。大丈夫? 腕」

「たぶん」

 腕を回す。

 笑った。

「もう痛くないぞ?」

「そっか」

 鈴は何かふっきれたような表情をしていた。謙吾の登場で何かが変わったのだ。

 理樹もあの張り詰めた空気がどこかに行ってしまったかのような気がした。でも真剣な勝負に変わりはなく、謙吾でさえ、必死に勝負を挑んで来ているというのに。

 理樹は不思議にも、この勝負がどんな結果になったとしても、構わないと思うようになっていた。

 本気の勝負ができれば。

「ピッチャー、いったれー」

 応援はさらに熱くなってくる。

 相手の打者は非常に疲れている。それは鈴もだ。

 真剣勝負。

「でやっ!」

 ファール。

 ボールの速さも落ちている。だが、威力は無くなってはいない。

「もう少しだ……もう少しであたしらの勝ち……うりゃ!」

 打たれた。

 一、二塁間。守備の合間を抜け、ライトまで行った。

 観客の歓喜がそれに応える。

 一塁ヒットとなった。

「くそっ!」

「鈴! 集中! 集中!」

「わかっとる! ……あ、」

 バッターボックスを見て絶句した。

 ヘルメットを被った、眼光を研ぎ澄ました謙吾がそこにいた。

「そうか! 謙吾、葉留佳さんと代わったから!」

 謙吾はいくつか素振りをして、武士の佇まいを持って鈴に相対した。

「鈴」

 低い声で呼びかける。

「悪い。ホームランを打たせてもらうぞ。それで俺たちの勝ちだ」

「はぁぁぁ!?」

 鈴は失礼な奴だと思った。いくら何でもこいつは馬鹿にしているというものだ。

 鈴相手にホームランなど、なめすぎだ。

「打てるもんなら……」

 憎しみを込めて振りかぶる。

 持ったボールに全集中力を込める。

「打ってみろぼけ――――っ!」

 ライジングニャットボール。

 謙吾は、しかし、

「うらぁぁ――――!」

 カキン、とバットがボールを弾いた。

 ボールは空を突き抜けるように、ぐんぐん伸びていく。鈴さえも、目を懲らさねば見えないほどであった。太陽の輝きに隠れて。

 ボールはずっと先――センターの向こうまで行って、ギャラリーの柵すらも越え、誰もいないグラウンドへと落ちた。

「ホ、ホームランッ!」

 運営部の生徒までもが実況みたくなっていた。

 マイクを掴んで実況解説を始めた。

「ぎゃ、逆転ホームランです! す、すごすぎ! 逆転サヨナラホームラァ――ンッ! A組、逆転優勝です! 宮沢謙吾君がここでホームランを打ちましたぁ――っ!!」

 観客、そしてA組のメンバーが叫んだ。

 女子たちの黄色い声援、男子たちの野太い喜びの声、それらが渦となってホームで佇む宮沢謙吾に取り巻いていた。

 彼は涼しげに溜息をつくと、右手を上げて、ゆっくりベースを回り始めた。

「う、嘘だろ……あいつ、マジでホームラン打ちやがった!?」

「そ、そんにゃ……」

 鈴はマウンドにへたり込む。

 喝采がギャラリーから送られる。謙吾を讃える声が鳴りやまない。

 逆転優勝だ。

 ツーランホームランを軽々と叩き出して、謙吾は悠然とベースを走る。女子たちの前を通り過ぎるとき、少し微笑むと、「宮沢様! 結婚してください!」「宮沢様、素敵過ぎますぅぅ――っ!」と狂おしい愛の告白が相次いだ。

 男子からも、E組の応援者たちからも拍手が送られる。

 対するリトルバスターズたち、そしてE組のチームは、呆然として、誰も言葉を紡ぐことが、およそ意味のある会話をすることができないでいた。

 驚いて、もう何も言えない。

 鈴はマウンドにへたれ込んで土に指でへのへのもへじを書いているし、真人は開いた口が塞がらない、理樹や小毬は目が点になっており、時間が停止している、美魚は顔を赤くして感激している、クドも何やら、英語と日本語が混ざった不可解な言語をぼそぼそと喋りながら、目を押さえている。

 来ヶ谷だけは、目元を押さえて笑いを噛み殺していた。

 謙吾が悠々とバックホームに戻ってくると、A組のチームがベンチから飛び出して、優勝の立役者を迎えようと待ちかまえていた。

 しかし誰よりも速く飛び付いたのは、葉留佳だった。

 涙をまき散らしながら、飛び付いて、何も言わずに抱き付いた。

 謙吾はそんな葉留佳を笑顔で抱き締めながら、

「三枝」

 真剣な顔で話し出した。

 理樹たちの方からは、何を言っているのかよく聞き取れない。歓喜の声がうるさすぎるからだ。誰もがこの劇的な逆転勝利に酔いしれていた。ドラマティックな展開に、勝った方も、負けた方も、関係ない傍観者も、喜びを爆発させていた。

 謙吾は歯留佳に向かって真剣に何か言っている。

 葉留佳は、顔を硬直させて、みるみる頬を赤くしていく。

 ぶるぶると震えて、胸を押して飛び退く。そうして、慌てながら走って行ってしまう。葉留佳はグラウンドから離れて、一人体育館の方へ行ってしまった。誰もいない方へ。

 そんな様子を、理樹は美魚と隣合ってじっと見つめていた。

「あはは……」

「よく頑張りましたね。二人とも」

「全くだよ。僕ら、とんだ噛ませ役だったかもね」

「二人の恋を成就させるのは、崇高な役目です」

「そうかなぁ……。まあ、喧嘩しなくなりそうだから、これでいいんだよね。きっと」

「はい」

 美魚は満足したように微笑んだ。

 総合優勝チームは、A組に決まった。

 最優秀選手賞には謙吾、そして最も印象に残った選手賞は葉留佳へと送られた。

「あいつ……マジかよ……かっこよすぎんだろ」

 疲れた顔の真人のぼやきに、笑っている来ヶ谷がいた。

 

 つづく

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