来ヶ谷が一人で葉留佳のことで自分を責め続けている間に、一週間が経った。

 その間、葉留佳は一度も理樹の部屋やE組の教室に顔を出さなかったし、一通のメールさえ来なかった。

 そして、こんな噂が流れ出した。

「三枝が、学年次席の斉藤に告ったらしいぜー」

「えっ。マジかよ。斉藤に? うっわ……馬鹿だなー。斉藤めちゃめちゃ可愛い彼女いんじゃん」

「それがさ、『わたしと一緒に付き合ってお勉強して!』って告ったらしいぜ。あいつ頭わりぃから、顔可愛くても、ポイント低いよなー」

「俺は結構三枝好きなんだけどね……」

「同感。なんだけど、でもいつも騒がしいからなぁ……しかも貞操固そうじゃん。ああ見えて」

「わかるわかる。振られてめっちゃくちゃ落ち込んでるらしいぜー」

 理樹は、残念そうにこれらの噂を聞いて、顔を伏せた。

 鈴はなんだか不機嫌だった。不機嫌に謙吾につらく当たった。

 謙吾はいつも通りだったが、深く考え込むような仕草がときどき見られた。

 真人はいつも通り勉強していた。

 来ヶ谷はずっと自分を責め続けていた。しかし、責めるのも何も、結局は何も生み出しはしないと分かって、じょじょに前を向くようになってきた。

 それからまた数日が経ち、ある、こんなイベントが持ち上がってきた。

「ついにか」

 放課後、真人が血が沸き立つような素振りを見せて、大胆にそう言った。

 球技大会。

 秋の恒例行事だ。

 体育祭と並んで開催される。一・二年が陸上競技中心の体育祭で、三年が球技大会だ。

「こんな季節に球技大会やるのもどうなんだろう……って、ずっと思ってたけどねぇ」

「なに、理樹君。ちょうどいいよ。いくら受験が大事だって、ずっと体を動かさなければ不効率に陥るからね。これが過ぎたら後は勉強するだけなんだ。ここはひとつ、何も気にせず頑張ろう」

「そうだぜ! 理樹! オレはずっとこの日がやって来るのを待ち続けてた! そのためにオレは一週間前から物理ドリルを死ぬ気でやり続けてたんだからなぁ! よっしゃぁ! 全力で勝ちにいくぜ!」

 球技大会は、クラスごとのトーナメント戦で行われる。あらゆる種目に参加可能で、チームメンバーは、いつでも変えてよい。

 ただ試合中のメンバー変更はそれぞれの競技のルールにのっとってやらねばならない。

 参加種目はサッカー、野球、バスケット、バレー、テニス、卓球、ラグビーで、メンバーはどれに、どの回数でも出てもよい。

 その自由度のために、はるかに戦略的要素が高くなる大会である。

 二日間かけてこの大会は行われることになっている。

「3−Eの諸君!」

 全員が声の聞こえてくる方を振り向いた。

 そこには額に汗を浮かせた、体操着姿の、なぜかバレーボールを小脇に抱えた、葉留佳が立っていた。

 不敵な微笑みを見せている。……

「そして、リトルバスターズのみんな! はるちんだよ!」

「は、は、はるちゃ〜ん!」

「葉留佳さ〜ん!」

 小毬とクドが泣きながら飛んでいった。

 一週間も顔を出さなかったので、この友情も終わりを迎えてしまったのかと思っていたのである。

 鈴も美魚も飛んでいって、3−Eの中で比較的葉留佳と仲の良かった女子もそっちに向かっていった。

「も〜、どうして教室来なかったの〜? 野球の練習も来ないし……すっごく心配したんだよ!」

「はるかさ〜ん、ぐすっ、うぅ、うぅ〜」

「やーやー小毬ちゃん、クー公、ありがとね。ごめんね、寂しい思いをさせちゃって」

「ほんとだよぉ〜……喧嘩になっちゃったかと思ってた……ほんとにもう、どうしようって……」

「わふぅ〜……」

「はるかぁ……」

「どうどう。みんな」

 葉留佳は笑いながらみんなを抱き締めた。

 しかしその格好については何ら説明しなかった。

「でも……ダメなんですヨ。はるちんたちは敵同士なんだから」

「えっ?」

「へ?」

「この球技大会戦国時代! 勝ち上がるためには、昨日の友すらも敵となってしまう、割り切った考えを持たねばならんのですヨ、3−E諸君!」

「え……はるちゃん、何を、言ってるの?」

「きゅ〜ぎ、たいかい!」

 葉留佳は、バレーボールを掲げて見せた。

「えいっ!」

 そのバレーボールをふわりと浮かせて、アタックを打つ。

 それは真人の頭に飛んできて、ばこん、と当たった。

「いてぇ!」

「はるちんが……はるちんたちが、この一週間、何をやっていたか、知りたいデスか?」

「え?」

「知りたいデスか……そうですか、なら仕方ないですネ」

「まだ何も言ってないんだが」

「我々、3−Aは、球技大会に向けて全力を費やす所存です! あちょーっ!」

 飛び上がって、妙なポーズを取った。

「いい? はるちん達は、マジで本気。全部門、優勝する気でいるから、マジで覚悟してくださいネ」

「え、ちょっと、はるちゃん……」

「三枝さん、本気ですか」

「だから本気だって」

 葉留佳は、額の汗をぬぐった。

 さわやかなオーラが3−Eの全域を駆けめぐり、男子の心を捉える。

「E組なんか、楽勝にぶっ倒しちゃうんだから、覚悟してよね!」

「んだとぉ……」

「葉留佳さん、やったんだね……猛特訓を。その汗が告げているよ」

「へっ。ランニング千本なんて通常メニューっすヨ」

「勉強もしないで」

「ぎくっ」

 首を直角に垂れたが、すぐ気を取り直した。

「いいの! はるちんたちは、かなり健全に高校三年生の一年間を過ごします! この思い出深い球技大会を一生の宝物にしようという努力の何がいけないのかね!」

「いけなくはないけど……でも、もう少し勉強もした方が……」

「シャラップ! 勝ち組の言うことは聞きたくねーな!」

 また髪をさらりと払って、男子の心を虜にした。

「葉留佳さん……」

「はるちんたちは……本気なんですヨ。アウトローっすよ! ドロップっすよ! やりたくてもやれねぇんすヨ! 最後に一花咲かさねぇでどうすんの!」

「う、うん。わかったよ。僕らも勝ちに行く。やるからには、本気でやらないとね」

「オーウ! それが聞きたかったよベイベ! ……じゃあ、三日後はヨロシク。首を洗って待っててくださいヨ! あでゅー!」

 葉留佳は走り去っていった。

 廊下の先には、男子の一団が待ちかまえていて、葉留佳の到着を待っていた。葉留佳が合流すると、部活の面々のように、ランニングを始めた。

 妙な掛け声を上げて向こうに走り去っていく汗くさい一団を見て、3−Eは不思議な気持ちを抱いていた。

「謎多き一団だな」

「ただのバカ共だろ」

「まあ、A組はスポーツやってる人多いからね。わりと葉留佳さんが言ってたこと、本気なんじゃないかな」

「この季節にスポーツ真剣にやるってことか? かぁ〜……暇人だね。ど〜も」

「で、どうするの? 真剣に、やるの?」

「う〜ん」

 リーダーを恭介から受け継いだ理樹は、今、リトルバスターズとしての判断を仰がれていた。

「僕らも取りあえず球技大会には出なくちゃいけない……ルールを再確認しよっか」

「えーっと、球技は全部で七つ。卓球とテニスだけは個人でやるみたい」

「それ以外は自由に参加可能か……これは、メンバー選定大変そうだなあ」

 大体、このクラスはリトルバスターズが中心となっているため、理樹の判断に従うのが通常となっているため、理樹の判断はクラスの判断となっている。

「ルールがもう一つあるね。団体種目は、半数程度女子も混ぜなくてはいけない……って、えぇー!」

 理樹は頭を抱えた。

「これは……どうやら今年からみたいだね。やりにくいなぁ……」

「おまえエッチなこと考えとるだろ」

「ん、んなわけないじゃない!」

「接触して胸とか揉んじまったらファールになんのかな」

「安心するがいい……それは、おまえが人生でファールを犯したことになるからな……人生のイエローカードが提示されるだけさ……」

「あれ? 背後に寒気が……アーッ!」

 

 三日後、球技大会当日となった。

 快晴となり、爽やかな風も吹きつつある。

 湿度も温度も良好。動きやすい日和だった。

 運営部からは、水分補給をこまめにするように。気分が悪くなったらすぐ保険委員に言うように。と繰り返しスピーカーで呼びかけられていた。

「よし。いよいよだね」

「おう。やってやろうぜ」

「適当に頑張る」

「適当に……か。そうだね。僕らはA組のことはあまり気にしないで、僕たちらしく……」

 理樹は恭介のことを思い出した。

 彼だったら、ここで理樹みたいなことは言わないだろう。

 対抗されたらこちらも対抗する。

 勝負を申し込まれたら、嬉々として飛び込んでいく。

 油断などしない。全身全霊をかけて勝負を勝ちに行くだろう。

「いや。やめよう。A組に絶対全部優勝なんかさせちゃだめだ。僕らでA組の勝利を阻止するんだ!」

「いきなりどうしたんじゃ? おまえ」

「いやに張りきってるじゃねぇか」

「気付いたんだよ……恭介は、絶対こう言うってね」

 真人と鈴はお互いに顔を見合わせた。

 そうすると、お互いに笑みが自然と浮かんでくるのを感じた。

「そだな」

「わかってるじゃないか」

「僕たち、リトルバスターズじゃないか! 葉留佳さんは今向こうだけど、僕たちは団結力だけは負けないんだ! いいか、みんな! 絶対僕らで全部優勝するんだ! A組なんかには負けないぞ! えい、えい、おー!」

 E組は理樹の鼓舞に応えた。もちろん、リトルバスターズのみんなも一緒である。

 リトルバスターズはこの学校の代名詞にもはやなりつつあるので、彼ら他の生徒もノリが良い。

「よし! ……とは言うものの、昨日の彼ら、明らかに自信満々だったからなぁ。対策なんか立てないでも大丈夫かな」

「君がそう言うだろうと思って、私が事前に下調べして来たよ」

 来ヶ谷は名簿を取り出した。

 どうやって手に入れたのかと誰もが聞きたがったが、まずは来ヶ谷の説明を聞くのが先だ。

「たくさん部活動をやっている人間がいるね……サッカー部、野球部、そしてバスケット部、ここらへんは強いぞ。レギュラーが何人かいる。個性が強い編成になるだろう……個人の能力が物凄く高いから、彼らは総じて、団体戦では一対一を望んでくるはずだ。組織的な戦いでは我々に分があるな」

「そうか……組織的に、だね」

「結束ならお手の物じゃないか」

 理樹は微笑んだ。

 来ヶ谷も微笑む。やってやろう。そんな気持ちが渦のようになってE組を取り巻いた。

「相手にとって不足はないよ! もちろん、他の組だって油断しちゃだめだ! 一戦一戦、勝ち抜いてこう!」

『おぉー!』

 

 球技大会一日目。はやくも、理樹たちはこの大会の難しさ・戦略性の高さを思い知ることになった。

 同時に平行して試合が開催されるので、理樹たちは主力を振り分けることの難しさ、振り分けながらも勝ち抜いていく難しさにようやく気が付いた。

 理樹はすぐに勝ち残れる競技を三つに絞って、後は捨ててしまった。

 理樹たちは、サッカー、野球、バレーの三つに全てを懸けることにした。卓球とテニスだけは、謙吾と理樹が果敢に取り組んだが、理樹だけはテニスの準決勝で惜しくも負けてしまった。

 バスケットとラグビーは一回戦で敗退し、他の種目ではなんとか勝利を上げることができた。

 しかし、それにしても、主力は大忙しである。

 謙吾はバレーと卓球に専念し、理樹・鈴・真人・来ヶ谷はサッカーと野球に休みなく出た。この二つは幸いにも同時に行われることがなかったし、一試合のみだったので、何とかそんなに疲労せずに二日目に持ち越せることになった。

 しかし、一日の試合を全て終えて、結果表を見たときにリトルバスターズには戦慄が走った。

「A組……一回戦全て突破だとぉ?」

「ええー」

 理樹は真人からトーナメント表を見て驚いた。そこにはでかでかとA組の特集が上部に載っており、下部にそれぞれのトーナメント表で、A組が一回戦突破、それもラグビーやテニスでは決勝進出まで果たしていることが掲載されていた。

「嘘でしょ……どうやってやったのさ」

「どうやらこれは、彼らの尋常じゃない身の入れようを物語っているようだな」

「アホだな」

「アホだけど、これは確かに……すごいよ。どうしよう、みんな」

 リトルバスターズは円になって集まった。

「どうしようと言われても……はるちゃんには頑張ってほしいような、でも困るような……」

「とりあえず勝ちに行くしかねぇんじゃねぇ? 向こうさんはこんだけ競技平行させてて大変だろうしよ」

「その通りだ。これは彼らにリスクを負わせるはずだ。……まあ、それも見越して、の結果なのだろうがね」

「どうするのだ、理樹。作戦を変えていくか?」

 理樹は、ううん、と首を横に振った。

「取りあえず、頑張ろう。これしか無いよ。でも葉留佳さんは何かやってきそうだね。僕たちは次にA組と当たる。サッカーとバレーでね。もしかしたら……野球も決勝で当たるかもしれない。先に倒しちゃえば、彼らの全部門優勝は無くなる。……どっちにしろ、大変そうだけどね」

「無理はするんじゃないぞ。これはただの行事なのだからな」

 理樹は無理をして、徹夜して作戦を練るんじゃないかというのが謙吾の心配だったのだが、理樹は落ち着いて笑って否定した。

「大丈夫。そんなことしないから。思いっきりぶつかろう。小競り合いは僕の得意分野じゃないからね」

「そうだな。馬鹿兄貴は卑怯なことよくやったが、理樹はそんなことしないもんな」

「うん。できない、っていうのが本当のことだけどね……とにかく、今日はお疲れさま! 明日、また頑張ろう!」

『おう!』

 夕方、リトルバスターズならびにE組の面々は散会した。

 

 二日目もよく晴れた日だった。

 風が少し吹いており、また日射しの強い日でもあった。

「水分補給はきちんとして下さい! 試合参加者にはスポーツドリンクが無料で配られるので受け取ってください!」

「試合用のスポーツドリンクは、学食からの提供だってさ……」

「この学校一体何なんだよ。いつも思うけどよ」

 真人と理樹はアクエリアスを飲んで、体を動かしていた。

 サッカーの準決勝が始まるのである。

 争いから脱落したクラスたちが、人だかりを作ってコート周辺を埋めている。

 二日目は盛り上がりを見せてくる。バスケットは決勝、テニス、ラグビーも決勝がもうすぐ行われるのだ。注目度の高い試合はギャラリーも多くなる。

「A組かぁ……よし、なんとかするしかないよね。みんな、集まって!」

 作戦を確認する。

 最後に円陣を作って、E組優勝! と掛け声をかけると、散開して行った。

 キャプテンがハーフラインにそれぞれやって来て、コイントスと、握手、フェアプレー宣言が行われる。

「あら、直枝理樹」

「佳奈多さん……葉留佳さんはどうしたの?」

「あの子なら今バスケットの決勝に出てるわ。今一応勝ってるわよ。終わったら、こっちの試合に参加する予定」

「そんなのありなの……」

「ありだからしょうがないじゃない。あの子は出る気満々だったわよ? まったく……何だか気合いが入り過ぎのような気もしたけれど」

「佳奈多さんは? 受験時期にこんなの馬鹿馬鹿しいって思ってるの?」

「残念だけど違うわ」

 不敵な微笑みを見せる。

「私は、合理的に行こうとしているの。勉強だけだと効率が悪いから、いい思いつきだと思って普通に楽しんでるわ」

「A組の空気は一種異様な気もするけど」

「あの子が焚きつけたの……何があったのかは知らないけれど、迷惑をかけるわね」

 溜息をついた。

「それじゃ、よろしく。いいプレーをしましょう、直枝理樹」

「うん。こっちこそよろしく。お互い怪我がないようにね」

 くす、と微笑んで、佳奈多は自分のコートへ戻っていった。

 ビブスを着るのは理樹たちだ。理樹はコートの中央へ戻っていき、屈伸運動をしながら試合開始の笛を待つ。

 そしてついに、キックオフの合図が出され、相手側がボールを蹴り出した。

 一言で言えば、理樹たちはかなり苦戦した。

 理樹たちはFWの鈴や、長身のサッカー部の男にボールを預けたり、高いボールを出してヘディングを決めてもらって昨日の試合に勝った。

 しかしA組は中盤のディフェンスが物凄く固く、簡単に鈴にボールを預けることができなかった。

 またさらにサイドの来ヶ谷は相手ディフェンスに徹底的にマークをされており、ボールが行き届かない。

 物凄く集中力のいる戦いとなった。

 ファールを受けて、小毬が倒される。

「いたいよ〜……」

「相手、かなり真剣だね」

「うん……ちょっと休んでていい? 足、なんか足首のところが変な感じする」

「コートの外に出て休んでて。やばかったら言って」

「うん」

 理樹はコートの中に入っていって、相手のタックルが強すぎるので、ボールをあまり持たないよう、パスワークを使って攻めていくように指示した。

 そうすると相手はとたんに攻めてこなくなった。

 FWの鈴たちにボールが渡りそうになった時だけ、プレスをかけて来る。

 理樹が中盤を突破してスペースを作ろうとしても、潰してくる。中盤の相手ディフェンスには屈強なサッカー部がいるらしい。二人でコンビを組んで理樹を叩きに来る。

 そういう展開が20分続き、ついにゴールを割れないまま、前半が終了した。

 ハーフタイムには、E組は何か釈然としない感じだった。

「これは……見るからに、時間稼ぎだったね」

「僕も……そう思うんだけど、どうしてかな」

「無論、後半で勝負をかけに来るためだ」

「うーん……すると、どうすればいいのかな」

「なに、我々も勝負に出ればいいのだよ。前半は中盤の底が相手はガチガチに固められて、鈴君にボールが届かなかったし、サイドに回せばカットされた。センタリングも上げられん。我々はロングボールを主体にすればいいのだと思う。広がって、強い、そして速いパスを出すんだ。そうすれば腰を上げてきた相手選手たちを引っかき回すことができる」

「毎度毎度すごいね。戦術家だね」

「簡単なことではないぞ。ロングボールとなれば相手にもカットされやすい。ドリブルを混ぜていかねばあっという間に点を取られる。我々はゾーンで守るのだ。それでいいと思うかね、理樹君」

「うん。大丈夫だと思う」

 ゾーンディフェンスは、一対一ではなく、相手の突破スペースを消す、深い守備のことだ。

 きちんとボールを奪って、相手のスペースにロングボールで一気に放り込めば、後は鈴たちFW陣が簡単にシュートを決めてくれる。

 というのが理樹たちの作戦。

 対するA組は、全く気合いの入れようが違っていた。

 後半に全てを集中させる勢いになっていたのである。

 後半、ホイッスルが鳴る前に、選手交代が告げられた。

「ふっ」

 颯爽と現れるのは、美しい髪を風に靡かせた、スポーツアスリート少女――

「ふっふっふ」

 頭は子供でも体は大人、その名も三枝葉留佳!

「ようやく……来たんだね」

「やっほーやっほー☆ みんな、よく勝ち残って来れましたね! はるちんがここにいるときに戦えて、本当ラッキーっすよ!」

「言いたいことは……それだけかい?」

「なに? マジになっちゃってるんですか? ふっふっふ……ダメダメ。女の子なんだから、接触はいけませんぜお客様!」

「くっ……卑怯じゃないか! 僕はこれでも真面目にやってるんだ!」

「な〜に。今すぐ分かりますって。はるちんの凄さをねぇ!」

「おまえら、何ぺちゃくちゃ話してんだよ! とっとと始めるぞ!」

「は〜い」

 理樹たちが中央にボールを置いた。

 A組のディフェンスを抜く突破口は見当たらない。

 ただ……相手は攻勢に出てくるはずだ。雰囲気がそう告げている。

 葉留佳が不気味な存在だった。そして、佳奈多もだ。

 両サイドに設置されたこの二人は、何かただならぬものを匂わせた。そういえば、佳奈多は前半一度もボールを奪われなかった。相手をからかうようなボール捌きで、疲れさせることだけを念頭に置いたようなパス。

 後半、A組は全く違うチームになって来る。

 そんな予感が、理樹にはしていた。しかしもうすぐ試合が始まる。

 笛が吹かれた。

 鈴はびっくりしてすぐバックパスしてしまう。すごいプレスをかけてきたのだ。

 理樹はサイドの美魚にパスを送った。美魚はボールを受け取ると、相手のすさまじい闘争心に一気に恐怖の火をつけられ、すぐにボールを返してあわあわと逃げて行ってしまった。

「やばい! みんな、ゾーンディフェンスだ!」

 しかしこの際、そんな指示は何の役にも立たなかった。

 全く違うスピードでパスを出され、下手だと思っていた相手FWの女子は、驚くほどパスが上手くなった。こちらのDFを引きつけて、サイドにゆるいスルーパスを出す。

 そこに飛び込んで来たのが佳奈多だった。

「西園さん! サイドディフェンス!」

「あわわわわ……。えっと、どこですか? それは」

 理樹は頭を抱えて崩れ落ちた。

 サッカーを知らないのがここにいた。

 佳奈多は美魚を簡単に抜き去り、ペナルティエリア付近にまで侵入してきた。

「相川君! 小毬さん! あの人を止めて!」

「任せろ!」

 佳奈多はボールをちらつかせて、相手の股をボールの通り道にした。呆気に取られた相川君を軽々と抜き去り、小毬と一対一になった。

「あいつ、あんなのマジかよ……」

「はわわわわ〜! ど、どどど、どうすればいいの〜!」

「小毬! シュート打ってくる! おまえで道を塞ぐんだ!」

「え、ええ〜! こ、こう?」

 佳奈多は可哀想な目で小毬を見た。グラウンドに寝そべっている不思議な少女がそこにいた。

 佳奈多はゆっくりとボールを這わせ、小毬を突破した。

「何やってんだよ! 寝っ転がってんじゃねーよっ! ちきしょー! オレが止めてやる!」

 真人は腰を深く落として、ボールを待ちかまえた。

 佳奈多がゴールを目指して振りかぶる。

「来る!」

 と思った瞬間、真人は自分が思った方向へ飛んだ。

「えっ?」

 しかしシュートは飛んで来なかった。真横へボールは鋭く飛んで行ったのである。

 シュートミスかと思いきや、そこには信じられない選手がいた。

「さ、三枝だ! 三枝だ!」

 ギャラリーがわき返った。

 そこにはツインテールを後ろへ靡かせた、DFを置き去りにしたスピードプレーヤーがいた。

 ペナルティエリアのど真ん中にころころと転がってくる絶好のボールを、ダイレクトでそのままキーパーのいないゴールに叩き込んだ。

「ゴォォォルッ!」

 観衆が沸き返る。

「よっしゃぁぁ――っ! やったよー! はるちんやったよー! おねぇちゃぁ――んっ!」

 パスを出した佳奈多の方へ手を振りながら走っていき、抱きついた。

 真人は呆然とボールを目で追っていた。

 ころころと転がって、ネットに包まれる。

「ごめんね……道を塞げっていったから、あれが正しいと思ったの……」

「小毬……おまえって……いや、なんでもねえ、すっごく馬鹿な時たまにあるよな」

「うわぁぁぁぁん! やっぱりはっきり言われたぁ――っ!」

「気にすんな! 頭切り替えていけよ! 次からはオレももちっとマシなセービングすっからよ! おまえも考えていけ!」

「う、うん……」

 理樹は暗い顔で、とぼとぼと真人に近付いてきた。

「ごめん……真人。まったく予想していなかった」

「オレもさ。あの二木のやつ、ずっと体力温存していやがったんだな……あんなにうめぇとは。取りあえず、理樹。サイドを要注意だ」

「うん。僕もそう思う。取りあえず、そうしなきゃね」

 理樹は走り去っていった。

 真人はボールを中央に送り、再び笛が吹かれる。

 理樹たちは、その後も大苦戦を強いられる。

 佳奈多と葉留佳は強力なドリブラーだった。スピードがあり、体の使い方がうまく、また周囲の状況判断にも長けていた。二人は一対一ですいすいとボールを通していき、危険なパスを中央に放り込む。真人たちは何とかそれをキャッチしたり、来ヶ谷がスライディングクリアしたり、理樹が競り勝ったりと、善戦したが、体力はじょじょに削られていき、後半10分が経過するころには、絶望的な雰囲気がE組の陣地を包んでいた。

「はぁ……はぁ……っ」

「直枝君。イエローカードね。足挟んじゃだめだから」

「すみません……」

 相手のオフェンスを無理に転ばして、理樹にイエローカードが提示される。

 理樹たちは、まるでボクシングで相手に乱打を浴びた、哀れな、へろへろのボクサーのようになっていた。選手が疲れ切っている。プレーは乱雑になり、パスは適当になる。

 対してA組は汗もそんなにかいておらず、楽しげにプレーしている。笑顔を表情に浮かべ、お互いナイスプレーを声で呼び合いながら、ハイタッチをかわしている。その先で、理樹たちが膝に手を置いている。

「どうしよう……このままじゃまずいよ……」

「理樹君。時間がまずい。残り10分を切っている」

「そ、そうだね……でも、どうしようか……A組強すぎだよ……特に両サイドが」

「こちらも攻撃を仕掛けなければ、このまま試合が終了してしまうぞ」

「わかってる……わかってるけど……」

 ボールをキープするだけで精一杯。逃げるようにパス回しをし、プレスにおびえながら、バックパスとクリアを繰り返すだけの10分だった。

「私を、サイドバックに置いてくれ」

「へ? 来ヶ谷さん?」

「必ず、三枝葉留佳を止めてみせる」

「うん……わかったよ」

 とにかく止めなくちゃ。この流れを。

 そういう思いしか理樹にはなかった。

「しっかりしろ理樹君。これはチャンスなんだ。相手は勝利を確信している。ここにつけ込むチャンスが必ず出てくるはずだ」

「でも……」

「私に、ある考えが浮かんでいる」

 ピピ、と笛が吹かれた。

 相手のフリーキックが始まる。

「いいか理樹君! 君は、私が葉留佳君からボールを奪ったら真っ直ぐにサイドを走るのだ! そうすれば後は変わる!」

 来ヶ谷はすぐに担当の位置へ戻っていった。サイドバックとポジションをチェンジして、彼は来ヶ谷の位置へ入る。

 ボールはすぐにまた葉留佳の足元へと入った。

 意気揚々と攻めていこうとした葉留佳の前に、長身の来ヶ谷が立ちはだかった。

「あっ……姉御……」

「ここは通さない。絶対にだ」

「ちょっと怖ぇーっすよ……姉御。でもはるちん、いつまで経っても姉御に頼ってばっかりの女じゃねぇっすからネ。はるちん本気出したら姉御より強いんすから!」

「やってみるがいい!」

 葉留佳は俊敏性を生かしてフェイントをかけた。

 ボールは葉留佳の足元で喜ぶように左右上下へと跳ね回るが、それを操る葉留佳の顔は凍り付く。

 まったく隙が生まれないディフェンス。

 そして、まったく崩れないバランス。

 一定の距離感。

 どうやっても抜けない。そんな気がする。

 たまらずすぐに葉留佳はバックパスを出そうとした。

 しかし、何か思うところがあったのか、すぐにボールを戻して、一旦来ヶ谷から距離を取ろうとした。

 そしてまた攻めていこうとした、その直後、

「甘い」

「あっ!」

 スライディングでボールが奪われてしまった。

「君はエゴイストだよ。バックパスをするべきだった。もっとも、それだって計算済みだったがね……」

 来ヶ谷はボールを前に蹴り出して、走り出した。

 理樹に目がけて、大きなロングボールを出す。ボールは綺麗な弧を描いて、理樹の目の前に落ちる。

「理樹君!」

 理樹は、ディフェンスが前屈みになっていたところの裏をかいて、まったくのフリーになった。敵は不意を突かれて、慌ててディフェンスに回る。

 理樹はボールをトラップし、ゴールを向いた。

 一心不乱にスライディングしてくるDFをかわし、ペナルティエリアに向かった。

 相手はやはり、守備が単調になっている。

 組織が解けてしまっている。

「これなら、いける!」

 理樹はドリブルでゴールへ向かっていく。

 鈴の位置を確認した。

 DFの裏にいる。マークが厳しい。

 理樹に向かってもう一人のDFが追い付いてきた。それをかわし、理樹は逆サイドに向かってパスを出した。

 そこに見えたのだ。

 走り込んでいる、まったくフリーのFWが。

「斉藤君! 頼んだ!」

「おう! いっけぇぇ――――っ!」

 ゴールまで一直線! DFの姿はない。

 彼の放ったシュートは、キーパーのファインセーブにあうが、威力の強かったシュートはキャッチできず、弾かれてしまう。

 それを狙っていた鈴が、つま先でボールを押し込んで、ゴールを上げた。

「いやったぁぁあああ! 理樹―! 斉藤君! あたしが入れた! ゴールだぁぁ――っ!」

「いよし!」

 ガッツポーズ。

 理樹たちは同点に追い付くことに成功する。

 残り時間、五分。

 劇的弾だった。

 ゴールはそれ以後、なかなか割れなかった。

 お互い全力を振り絞って攻撃・守備を繰り返したが、キーパーのファインセーブにあったり、DFが執念を見せたり、決定機を決めきれなかったりと、惜しい場面が何度も続いたが、しかし、審判の笛がロスタイム終了を告げ、引き分けとなってしまった。

 延長戦は認められず、PK戦へと移行した。

「うぅ……」

 キーパーとキッカーが壮絶な心理戦を繰り広げ、ついにこの時がやって来る。

 四対三。

 A組がキックミスしたのだ。E組もその後外したが、一本多くE組の方が決めている。

 葉留佳は、ゆっくりとボールを真ん中に置いた。

 ゆっくり、下がる。

「うーっ……緊張するなあ……」

「きやがれ! 三枝!」

「うっさいなぁ……黙っててよ! はるちんのスーパーゴールを決めてやるんだから、そこを一歩も動くんじゃありませんよ!」

「んなわけに行くか! 馬鹿野郎!」

「馬鹿って言うなボケー!」

 葉留佳は何を思ったのか、走り込みはしたものの、足をぴたりと中空で静止させた。

 フェイントをかけようとしたのだろう。

 時間差と、左右のフェイント。

 けれど、こんな状態でやろうと思ったってたかがしれている。

 体がぴくぴくと変なふうに動き、蹴り出す。

 体重の動きがままならないへっぴり腰のシュートは、ぼてぼてと転がり、真人の足に付着した。

「……あ?」

 時が、止まった。

 真人も、理樹も、佳奈多も、ギャラリーも、一言も喋らなかった。

 哀れな女子生徒がその中心にいた。

「えー」

 審判が頭をかきながら、やって来る。

「反則だから。そういうの」

「えぇ――――っ!」

「かわいそうだから、もう一回蹴っていいよ」

 かわいそうなので、もう一回チャンスが与えられることになった。

 かわいそうな葉留佳は、今度こそはと助走をつけて駆け出すが、真人の威圧感に負けてしまったんだろう。またも小細工なフェイントを混ぜようと思い、体勢を途中で崩して、すっ転んでしまった。

 この時、この瞬間、三枝葉留佳は「かわいそうな女子」ランキング一位へトップインした。

「ゲーム終了! A組の負け! E組の勝利!」

 何も歓喜の声などなかった。

 

 葉留佳はチームメイトに慰め(?)られながら、泣きながら去っていった。

「葉留佳さん……気の毒に」

「緊張しちゃうとだめなのよ。あの子」

 呆れながらも、かわいい妹を見つめている佳奈多だった。

「元気な時は、誰も注目していない時……だからって、こうやってわがまま言って、注目浴びて、それでヘマしてちゃ世話ないわよね」

「知ってたの? 葉留佳さんの悩み」

「全然。ただ、そう思っただけ。きっとクラスがいつまでもあなたたちと一緒にならないで、劣等感抱いてるんじゃないかって、そう想像していただけ」

 改めて佳奈多のことをすごいやつだと思った理樹だった。

「それじゃ。フェアプレーをありがとう。直枝理樹」

「ううん。イエローももらっちゃったし。それに、そっちが全然真剣だったからだよ。僕らも真面目にやんなくっちゃって、その時思ったんだ」

「真剣にやるのはいいことだわ。何事につけても」

「全く、そう思うよ」

「決勝、勝つのよ」

「わかってる」

 佳奈多は握手をして、微笑みながら去っていった。

 A組との戦いはまだまだ残ってる。

 一応勝つことができて、彼らの陰謀――全勝利するという野望――は阻止されたけれども、その分他の競技では死にものぐるいで勝ちに来るはずだ。

 葉留佳のことだから、立ち直りも早いだろうと思いつつ、理樹はバレーで勝負しに体育館へと向かった。

 

 また三枝葉留佳は途中からバレーに参戦してきた。

 理樹・真人・鈴・クド・謙吾のメンバーは五分五分の試合を続けていたが、中盤に差しかかり、少しこちらが押してきた、といったところで葉留佳の登場である。

「君たち!」

 指を差される。

「さっきは、ちょ〜っとしたミスから勝ちを与えちゃったけどねぇ……今度、はるちんはマジっすから! 調子に乗ってられんのも今の内っすよ!」

「葉留佳さん……」

「もぉ――っ! 馬鹿を見るような目ではるちんを見ないでっ! 視線が痛々しいわ! 死にそう!」

「だって、なぁ……」

「はるか。落ち込むんじゃない」

「うっさいうっさい! 鈴ちゃんだってねぇ、容赦しないんだから! クー公もね! うっし、行くぜっ!」

「毎度騒がしいやつだ」

 謙吾は何故か無視されていたが、プレーでは謙吾が際だつばかりだった。

「いっくぜー!」

 葉留佳が味方のトスに反応して飛び上がる。

「はるちん特急ダイナマイツ、」

 長い必殺技名を言った後、敵を見渡して、

「アタァ――――ック!」

 スパイクを打つのだったが、

「ふん!」

 いつも綺麗なレシーブを謙吾にされてしまうのだった。

「おい三枝! 宮沢ばっかり狙ってんじゃねーよ! あいつエースだぞ!」

「や、やはは……ごめんごめん」

「能美とか井ノ原を狙え!」

「……って、おい!? オレも雑魚扱いかよ!?」

「井ノ原さん! 二人一緒に雑魚認定されましょう!」

「おまえは背がねぇから仕方ねぇけどオレは――っ!?」

「大丈夫です! こうやって隠れていれば狙われません!」

「主旨違ぇぇ――っ! つか、話聞け――!」

 謙吾は、しかしほとんどのスパイクをレシーブして見せた。

 ほとんど謙吾を狙ったスパイクだったが(葉留佳の場合)その一つとしてカバーしきれないものはなかった。

 相手の攻撃が停滞し、疲労が溜まりつつあったところで、理樹や鈴のスパイクが相手の守備を崩し、結果的に、勝利をもぎ取ることができた。

「宮沢、化けもんだ……」

 謙吾は涼しい顔で敵の讃辞を受け取っていた。

 葉留佳だけは何も言わなかったが、会場を去っていく際、少しだけ、二人の視線がかち合った。

 二人は一瞬だけ相手の顔を認め合った。

 その瞬間はすぐに消えてしまったが、謙吾はそれ以後、またも黙りがちになった。

 とにかく、サッカー、野球(残りのメンバーで勝利したらしい)、バレーが決勝進出である。 

 

 つづく

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