「えぇ――――――っ!?」

 真人のぽつりと言った一言に、食卓を囲んでいるリトルバスターズの面々は目を点にし、驚きの声を上げた。

「真人、大学受験するの!?」

「悪いかよ」

「ああ、悪い、悪いに決まってるぜ真人くん! その頭でひどい回答欄を全部チェックさせられ、×をつける手間をかけさせる迷惑を考えてみなさい! この、筋肉だるまー!」

「あぁ、うっせぇよ!? おまえもオレと似たようなもんだろうが! 筋肉女!」

「きっさまー! いったいはるちんのどこが筋肉女だこらー!」

「脳みそ筋――むがむが」

「食事中は静かにしろ」

 厳粛な面持ちで謙吾が割ってはいる。

「まったく……騒ぎならよそでやれ。三枝」

「だってさー。はるちん、そんなの我慢できないもん。真人くんがいたから、いつまでも暢気にしていられたってのに」

「あのよ……それってマジでオレのこと馬鹿にしてないか? オレより頭が良いとか思ってんだろ?」

「だって、仕方ないよね? 序列って嫌でもできるもんだし」

「テメェ……後で覚えてろ!」

「そうだ三枝。それはあまりにも失礼だ。いくら真人であってもだな」

「おまえもなかなかに失礼にも程があるぞコラァ!?」

 ずず、と意に介さず謙吾は味噌汁を飲む。

「本気なのか」

「あ?」

「その、貴様が試験官に迷惑をかける大学受験のことだ」

「余計な形容詞とか要らないから!」

「すまん。その貴様の無謀な馬鹿げた行為のことだ」

「比喩もいらねーよっ! てめぇいい加減ムカついてきたぞこんちくしょー!」

「受けて立つぞ!」

 竹刀を持って立ち上がろうとしていた謙吾の胴着の裾をつかむ西園美魚がいる。

「いけません……馬鹿が二人……いえ、そのように喧嘩をなさっては。ここが食事の席だと、宮沢さんが言ったではないですか」

「それはだな、西園」

「言い訳は要りません。着席してください」

 しぶしぶ、座る。

「井ノ原さんが努力して大学に行くというので、私たちは引き留めるよりも応援するべきではないでしょうか」

「ム」

「確かに無謀極まりない行為ですが、それでもあえて果敢に突入していく勇気は、何物にも代えがたいものではないでしょうか? 宮沢さん」

「た、確かにそうだ……」

「努力すれば、何でもできる。さあ、言ってみてください」

「努力すれば……」

 何故か謙吾が感動していた。

「努力すれば、何でもできる! その通りだ真人! うおお!? 燃えて来たぞぉぉ――――っ! 真人! 絶対に挑戦するからには一番になれよ! 俺は、おまえが東大に首席で合格すると信じて疑わん!」

「いやいやいや、もっと現実を見すえて行こうよ……」

「馬鹿謙吾、うざっ!」

「うざいはさすがに言い過ぎだけど……もっと、現実を見ようよ二人とも。それに、西園さん、謙吾をからかうのはよくないよ」

「失礼しました。あまりにもお馬鹿な人だと思ったので」

「え、そうなのか……」

 しゅん、とする。

「何を話してんだ?」

 恭介がお盆を持ってにこやかに笑いながらやって来る。

 今日は、ちょっとしたお祝いがある。

 ケーキを出されて、恭介は照れくさそうに、それを受け取った。みんなで「卒業おめでとう! リーダー!」と拍手され、頭をかきながら、涙ぐんだ、その後のことである。

「おお、マジかよ? やるな、真人」

「おお?」

 なんで褒められているのかわからない真人はたじろぐ。

「やるな。やっぱ男だよ。男なら、そうだよな。みんな、真人を称えるんだ!」

 ひゅーっ! どんどん!

 と、あまりにも意味のない拍手や効果音が繰り出される。ただ騒ぎたいだけである。

「俺はおまえを応援してるからよ。真人。おまえなら絶対にできるさ」

「でも真人くん、馬鹿だよ?」

 小毬がわりとひどいことを言う。

「馬鹿はときおり何すっかわからねーから馬鹿なのさ……覚えときな」

「う〜ん……わかったような、わからないような……」

「ばーか」

「うっせぇよ!」

「馬鹿は馬鹿なりに馬鹿げたレベルで追い上げてくるもんだぜ。おまえもうかうかしてらんねぇかもしんねぇぞ。鈴」

「んみゅ」

「はるちんもうかうかしてらんないっすヨー! あー勉強やだやだやだ!」

 鈴はケーキをむしゃむしゃ食べながら、けろりと言った。

「あたしは真人が大学受験するの賛成だ」

「え、どうして?」

「自分の下に馬鹿がいると、安心する」

 けろりとひどいことを言う鈴だった……。

「あーそれわかる! きゃーはははは! ばーかばーか!」

「ぶっ殺すぞ三枝てめぇ!」

「とにかくだ」

 そこで来ヶ谷が立ち上がった。来ヶ谷は隣の馬鹿を指差す。

「こいつと話し合ったところ、どうやら本気でやりたさそうなので、私が主に指導につくことにした」

「名案だな。こいつ一人の力じゃ無理だ。来ヶ谷がみっちり指導してやってくれ」

「私に全部任せてもらいたい。こいつのツボはきっちり押さえてある。みんなは……たまに、様子を見る程度にしてやってくれ」

「もともと受かるもんかもわからんからな」

 鈴の一言に笑いが起こった。

 このときだけ、来ヶ谷は鈴がひどく憎たらしくなったが、それは控えておいた。

「でも、井ノ原さんが仲間に加わって私もとっても嬉しいです!」

「そうだね。同じ受験仲間、一緒にがんばろ〜!」

「お、おう。サンキュな」

 クドと小毬と握手する。

 にやりと鈴の方を向いて笑うと、鈴が「ムッ」とした。

「ああ……まあ、よろしく」

「鈴もあんまり成績よくなかったんじゃないっけ? お互い良い刺激になると思うよ」

「きさま……きさまはどうなんじゃ? 理樹」

「あ〜僕は……」

 頭をかいて、理樹は少し気後れするような感じで、言った。

「まだ、大学に行くか、迷ってるんだ」

 一座が静まりかえる。

 どうして? と誰もが聞きたがったが、それを切り出す一言が出てこなかった。

「どうしてだよ。理樹」

 ようやく恭介が優しい言葉をかけた。

「どうしてって……まだ、よくわからないんだ。学びたいこともないし、それに、お金もないしさ。それに恭介が就職して、就職も実際ありかな。って思ったんだ。はやくお金を稼げるようになりたいしさ」

「俺は、おまえが、一番にえらい職種について、俺をこき使ってくれるよう願っていたんだぜ」

「い、いや! 僕が恭介を、だなんて、そんな!」

 顔が赤くなる理樹だったが、恭介が奥の見えない、深い眼差しで言った。

「やれよ。おじさんの金が心配なだけだろ? 説得してみろよ……きっと、いや絶対喜ぶからさ。俺は、おまえの頭を買ってるよ。真人だってああ言ってんだから、頼むから、俺みたいになろうとすんなよな」

「恭介……」

 来ヶ谷は理樹の顔をじっと見つめていた。

 理樹は、う、うん、と顔を赤くしながら、頷いて見せた。

「ともかく、もうちょっと考えてみるよ。恭介の門出なのに、辛気くさいこと言っちゃってごめん」

「ほんとだぜー? まったく、真人がああ言ってんだから、おまえもアメリカの大統領になる! ぐらいのこと言っておけよ」

「いや、それは国籍違うから無理だからね……」

「なれるさ。アメリカなんだから」

「無理です」

 さっと美魚がつっこみを入れて、一同に笑いが起こった。

 来ヶ谷だけは、笑いを灯さず、じっと真人を見、そして理樹を見て、笑う一同を見、深い感慨を感じていた。

 

 来ヶ谷はああ言いながらも、これっぽっちも真人の成功を信じちゃいなかった。

 というより、最初から失敗するものと決めつけていた。

 だから、こう言う。

「真人君」

 パーティがお開きになって、それぞれ自分の部屋に帰ろうという時、来ヶ谷が真人を引き留めた。

「ああ?」

「さっきのことなんだが……」

「あ〜」

「どうか、私のことも聞いてもらいたい」

「私のことって、何だ?」

「私の考えだ」

 佇まいを正した。

 真人の顔は、夜の月の輝きの他に、照明で照らされている。

 自信満々な顔の他に、少し真剣な様子も見える。

「その……無理は、しないで欲しいんだ。無理は、してほしくない。それで、私たちの関係が壊れるくらいなら、私は、最初から、お互いのことを認め合える関係になりたいと思うんだ。私は、真人君と一緒に大学生になれなくたって、別に大丈夫だと思っている。私は、すごく真剣なんだ。真剣に、君のことを好きで、大事に思っているんだ。だから、私が君とどんな未来を実現しようと、君の一番の人間になる自信があるし、私は、他の男など一切目もくれず頑張るつもりさ。それを、どうか信じてほしいのだ」

「ん〜」

 難しいことを要求されたな、と真人は顔で表していた。頭をかいてから、ゆっくり答える。

「オレ、ほんとに大事にされてんだな」

「あっ、当たり前だ! 本当に、君のような人間など、どこを探してもいないのだ!」

「ありがとよ」

「わっ」

 抱きついてきた。とたんに顔が赤くなる来ヶ谷。

 それが、苦しくはなかった。

 気持ちで繋がっている。だから、苦しく抱く必要はない。そんなことを強調したがっているような抱き締め方だった。

「オレはさ、信じてんだよ。おまえがそう言うってこと。ほんとに実現させそうだしな」

「そのつもりだ……」

 絶対に嘘はない。来ヶ谷はやると言ったらやる。

 絶対に。

「だけどさ」

 真人は体を離して、にっ、と笑った。

「オレ、筋肉馬鹿だけど、おまえと付き合ってから、何でもやってみてぇ気になったんだよな。オレ、付き合う前だったらさ、筋肉と喧嘩のことしか頭になくって、何かしようとか、将来のこと考えるとか、からっきしだったんだよな。それがさ、オレぁ、もう好きな女がいる。おまえさ……だから、世界が変わったんだよな」

「どんな、ふうに?」

「そりゃ、七色――レインボーワールドさ」

 ぷっ、と来ヶ谷は笑ってしまった。

「薔薇色、オレンジ色、何もかもあるぜ」

「君は子供か」

「あぁ、どうせガキだよ。でもさ、その前のオレぁ、ガキでも何でもなかったんだ。ただの体のでかい、何かだったんだな。それがよくわかったんだよ」

 来ヶ谷は、はっとした。

 真人はたまに、来ヶ谷をも、はっとさせることを言うことがある。

「オレ、ただおまえと一緒にいたいんだ。そのために全力注ぐんてことは、当然だろ?」

「真人君……」

「そりゃ無理かもしんねぇ。なんせ筋肉馬鹿だからな。でもオレ、おまえのこと好きだ。大学も一緒に入りてぇ。そんで、おまえと一緒にずっと過ごしてぇんだ」

 にっこり笑った。

 真人の、その人を包み込むような、それでいて茶目っ気があふれているような笑顔が来ヶ谷は好きだった。

 それを持ち出されると、何でも、理に反したことでも、受け入れてしまうような気がした。

「そうか……」

「なんせさ、親だって信じてねぇんだ。親父に言ったらよ、まるっきり信じねぇでよ、もし受かったら100万やるって言ってたよ。頭きちまって、絶対受かってやる! って、言っちまった」

「そんな親もたいがいだな……」

 まるっきり信じてない。

 それも親子か。と思った。

「だから、落ちてもともとなんだ。ヘコまねぇさ。だったらやるだけやってやんよ。もちろん半端にゃやらねぇぜ。死ぬほど努力するさ。一緒の大学入りてぇよなぁ」

「……って、私と同じ大学に入るつもりか!?」

 心底驚く。

「え、それじゃなきゃ意味ねぇだろ?」

「意味がないというかだな――……」

 来ヶ谷は大学を目指す意味についてしこたま議論してやりたかったが、ここは、何だか、嬉しかった。 

 そんなくだらない理由で進学を目指す学生が多いことはニュースで知っていた。ここに最たる例を見つけたとき、来ヶ谷の心に浮かんできたのは、軽蔑でも、呆れでもなく、ただ、満足する気持ちだった。

 自分が愛されているという気持ち。その魔力に打ち勝てないとは。来ヶ谷は自分を自虐したくなった。だけれど、心にあふれているのは歓喜だった。

「そうか。私は、最初から……諦めていたのだな」

「あ? 何だって?」

「ううん。何でもないんだ。君のその考えは気に入った。一緒の学校に入れるといいな、真人君」

「おう。努力すっからよ。筋肉増量させてやってやっから、楽しみにしてな」

「それじゃダメだ」

 笑い合った後、二人は別れた。

 

 

 その後、真人たちは進級した。真人も成績がぎりぎりだったが、春休みに補習があって、それを受けることによって無事進級できた。

 恭介がいなくなったのは寂しかったが、クラス替えは行われなかったので、まだ寂しさは多くなかった。葉留佳だけが、ぶうぶう不満をたらしていたが、理樹たちはお互い離ればなれにならなかったことに心から安堵した。

 真人はさっそく来ヶ谷の指示に従った。

 来ヶ谷の絶対守るように言った指令は次の二つだった。

 一つ――授業中寝ないこと。授業中一度も寝ずに、分からなくてもいいから、授業の板書を全てノートに書き写すこと。理解できなくても全然構わない。理解できないものを書き写すということは死ぬほど退屈なものだから、たまに絵を描いていてもいい。だが、抜け落ちは絶対許されない。真人はこれを守ろうとして、たまに寝てしまったこともあったが、後はたいがい起きていた。書き写すだけなら忍耐力だけで良かったからだ。来ヶ谷は絶対叱らなかった。ただその代わり、理樹に迷惑をかけ、ノートを書き写させてもらった。食事の時間もずらされて、一人で食事もしなければならなかった。

 二つ――放課後三時間、来ヶ谷の個人授業を受けること。これは真人の大好物だった。来ヶ谷は授業にはあまりノートや参考書類を使わなかった。来ヶ谷はまず中学一年の内容から始め、五教科全部やった。問題の意味やら、学問の目的などを真人と延々と話し合うだけの授業だった。たまに実験をやってみたり、英語の歌を歌ったり、放課後公園を散歩しながら、歴史の話をしたり、学問の内容などを噛み砕いて教えたりした。

 来ヶ谷は特にこの三時間の授業を大事にしていた。

 真人は文字を追うことが好きじゃない。だったら、現実的な物事に関連づけて、教えるほかはない。ということを、ライブの時に、いやというほど知ったのだ。

 真人は現実的な事柄に絡めて教えられると、驚くほどの集中力を持ってそれを聞いた。歴史的な年代を言えと問われたら、わけがわからなくなってしまうが、一体どんな事件がそこで起きていて、どんな性格を持った人物たちが、どんな情熱を持ってそれを起こし、時代を駆け抜けたのか、ドラマティックに教えられれば、真人はすんなりそれを覚え込むことができて、意外と記憶力が良いことがそこで判明した。

 来ヶ谷はそういった根本的な知識や各種の事情に非常に精通していたので、物事を興味が出やすいように教えるのが得意だった。

 数学の問題さえ、銃弾の行方だったり、線路の引き方であったり、街灯から伸びる自身の影だったり、そういった物事と絡めて話されると、真人は驚くほどすいすいと理解力を示していった。

 とは言うものの、明らかに授業の速度はゆるやかで、このスピードでは全然現時点で要求されるレベルに追い付くことはできないと彼女は思っていたが。

 三時間の後の時間――それは、大体八時だ。四時に学校が終わって、一時間、食事休憩が与えられるので。ノートを授業中取ることができなかった場合は、時間がずれ込み、みんなと一緒に食事を取ることを来ヶ谷は許さなかった。そんなわけで、真人はなるたけ真剣に頑張った。

 真人は三時間の授業の後、八時くらいからだが、自由に過ごしてよいと言われた。

 筋トレしてもいいし、理樹たちと遊んでもいい。早めに寝てもいいし、もちろん、自習してもよい。

 授業が始まってから一ヶ月くらいは、頭がもう疲れていたので、筋トレだけして、すぐ寝てしまうのが真人の常だったが、五月くらいになると、全く授業の内容が理解できないのがだんだん心配になってきた。

 真人は来ヶ谷に教えられることだけでは不十分だと思ったので、こっそり理樹たちと本屋へ行って、中学一年生用の問題集と解答を買ってきて、八時以降の自由時間にそれをやるようにした。

 真人はさすがに中学一年生のものなら楽に解ける。しかし、教えてもらっていないことがそこでいくつか出てきて、真人が解答と問題を睨んでいるだけではどうしてもわからないことが多く出現してきた。

 それをどうしても理解できないまま、朝の四時まで考えていて、ついに来ヶ谷にそのことを打ち明けたことがあった。

 来ヶ谷はまず、笑ってそれを噛み砕いて、簡単に教えてくれた。意味、目的、実用方法、そんなことを明快に話されると、真人はポン、と頭に電球が点くような感じで、物事のかけらが合わさり、一気に二つも三つも謎が解けた気がして、いつでも、そんなふうに分からないことが出てきたら、朝の食事の時間に提示するよう教えられた。

 そんなふうに、真人は少しずつだが、しかし確実に、中学一年生の所から追い上げを始めていった。

 

 つづく

inserted by FC2 system