その後は食事を取って、おのおの部屋でお菓子を食べたり、話をして笑ったり、トランプをしたり、テレビを見たりして、最後の休息を楽しんだ。

 これからラストスパートをかけていくので、ちょっとしたはめ外しをして、英気を養うためだ。

 鈴、来ヶ谷、真人、謙吾は布団に入って寝てしまっていたが。

 みんなが寝る12時ごろになって、ようやく体力を回復して、来ヶ谷は目を覚ました。

「ふう……」

 部屋が真っ暗になっている。あたりを見回すと、それぞれが布団にくるまって寝ている。寝相が悪い小毬の胸元をすばやくキャッチしたが、それはまるでお母さんにしがみつく子供のような鈴に防がれた。鈴はぐっすり寝ている。小毬にしがみついたまま。

 葉留佳は佳奈多と一緒の布団で寝ている。佳奈多は夢の中でも何か心労を負っているのか、苦しそうにしている。対して葉留佳はどこか気楽げだ。

すうすうと寝息がそこかしこから聞こえる。

 来ヶ谷は窓に行って、少しカーテンを開けた。

 月光が青白く来ヶ谷の頬に照った。来ヶ谷は財布を自分の鞄から取って、部屋を出た。

 自販機でジュースを買って、一人で飲む。

 これから受験が本格的に始まる。空気もピリピリしていくだろう。

 来ヶ谷は受験などさほど問題にしないくらい頭がよく、また知識も豊富にあったが、この未知の体験に、一人の女学生らしく心細くしていた。

 誰か、話し相手が欲しかった。今からでは容易に寝付けそうにない。布団の中で一人感じる孤独ほど嫌なものはない。読書をして時間を潰すこともできないし。

 来ヶ谷は悩みに悩んだすえ、部屋に入って、男子の布団の方へ行った。

「真人君、真人君」

 ちょんちょん、と彼の肩を叩く。

 彼は「あ?」と目を覚まして、それから「う〜ん」と背を伸ばした。その後で溜息をつく。

「あ? どした、こんな時間に?」

 小声で言う。

 来ヶ谷は真人に顔を近付けて、内緒話するように小さく言う。

「眠れないんだ……相手してくれないか。散歩にでもいこう」

 真人はしばらく考えていたが、何も言わずに布団から起き上がって、浴衣の上にコートを羽織った。来ヶ谷もコートをつけて、静かに戸を開けて出て行った。

「眠れなくなってしまって……すまない」

「いいよいいよ。オレも、最悪なことに夜の時間爆睡してたからなあ。ったく、謙吾の野郎のせいでよ」

「ふふ」

 来ヶ谷は怒ってないことにほっとした。そうしてこんな夜の散歩を当然のことと思ってくれる優しい彼に感謝した。

「全く馬鹿なことをしたな。お互い」

「今になって元気になってちゃ、な……」

「ご飯を食べた後にすぐ寝てしまったし……」

「少し散歩して腹空かすか」

「そうだね」

 くすくすと笑いながら、真人たちは入り口から外へ出た。

 フロントにはまだ起きている人がいて、わけを話すと簡単にドアを開いてくれた。

 夜は凍えるように寒かったが、二人でくっついていれば、耐えられないほどではなかった。

「星……すごいね」

「全くだ……こんなの初めて見たぞ」

「今日はすごい日だ」

 来ヶ谷と真人は夜空を見上げると、星がまるで勢揃いしたかのように、蒼い空にまんべんなく散らばっているのが見えた。

 物音はなく、風もない。

 それは音のない輝きを土に投げかける。キラキラと光で話す星々が、真人たちの行方を輝かす。

「さみぃな……しかし」

「あのその……」

 来ヶ谷が言おうか言うまいか迷っていたところ、真人は意を察して、コートを開いてくれた。来ヶ谷は喜んでその中にくるまった。真人のコートの中に二人はくっついて温まり、ゆっくりと外の道路を歩いていった。

 星々は枯れた木々の枝から光を投げかけてくる。それは冷たく、そして強い、孤高の光であった。

「あのさ……」

「ああ」

「オレ、これ受験終わったら言おうかなと思ってたことなんだが……」

 胸が高鳴った。

 まさか。と思うが、来ヶ谷の心配は杞憂に終わった。

「あのよ……勉強、教えてくれてありがとな」

 真人は頬をかきながら、照れくさそうに言う。

「オレ、おまえのおかげですっごくたくさんのこと知ったんだ。そりゃ、大学に入るための知識も大事さ。だけどさ、もっと大事なこと、おまえのおかげで分かったんだ」

「それは?」

「それはだな……」

 真人は、ゆっくりと、言葉を考えるように、少しずつ言った。

「オレ、その、今までアホで馬鹿だったろ?」

「うん」

「否定しねぇんだな。ま、いいけどよ。そんで、オレは、受験がみんな終わったら、適当に暮らして生計立てて、それなりの嫁さんもらって、適当に中途半端に生きていくだろうって、何となく思ってた……もし、おまえがいなかったら、の話な」

「うん」

「そいつがさ、おまえと一緒に勉強したことで変わったんだ。どう変わったかというと……なんつーか、勉強ってのも、本当の勉強ってのも悪くねぇな、って思ったんだ。数学の基礎とか暗記するだけじゃなくってさ、色々楽しい勉強を考え出すことだってできるんだ。オレは、おまえと一緒に勉強して、すっげえ楽しかったんだ。だからオレ、これから大学行くのが楽しみで仕方ないんだ。もっとたくさん勉強してみてぇんだ……もちろんおまえと一緒だから楽しいんだけどさ」

 顔が赤くなる。どうしてこう恥ずかしいことをぽんぽん男ってのは言えるのか、ちょっと研究してみたくなった。

「オレ……人の体とか研究してみてぇんだ。オレ筋肉のこととか、高校の頃は独学で勉強してみた。バトルで勝つためさ……それ、すっごく楽しかったんだ。必要な知識に思えたからよ。だから、オレはいつからか、学校の勉強とそういったもんを別に考えてた。別もんだってさ……おまえが教えてくれるまでは」

「人体学か」

「人体学っていうの? まぁ、おまえと同じ理系選んだのはそういうわけだよ。もっと体の仕組みについて勉強してぇなぁ、って、もし許されるなら、って、思ってんだ。どうだ? 楽しそうだろ?」

「うん……私もそう思う」

「そうだろ。それにオレ、もう一つわかったことがあるんだ。人生なんて、理樹や謙吾、それから鈴、恭介たちと別れちまったら、つまんねーことしかねぇんだ、って、勝手に決めてたけどさ……オレにはまだまだやることがあるんだ、って、初めて最近わかったんだ。学びたりねーこととか……見てねぇことがこの世にはたくさんあるんだってな……初めてわかって、そん時すっげぇ嬉しかったんだ。希望っていうのかな……そういうのがこの世に対してもりもり湧いて来たんだな。体鍛えるのも面白ぇけど、世の中のこと知ってくのも悪くねぇよ。まだまだ生きていきてぇ、って、本気でそう思って、そういうの知れて、すっげぇ嬉しかったんだ。その……おまえがいたからさ……」

 真人は顔を赤くしながら、うかがうようにこちらをのぞき込んだ。

 来ヶ谷は間近に映る彼の素顔を、何故かとても魅力的だと思ってしまった。

「おまえのおかげだよ。その……ありがとな」

 低い声の彼に、心が震えた。ぞくぞくとして、自分の手に力がこもった。

 大好きだ。

「でも……君は、怖くないのか?」

 なのに、こんなことを聞いてしまう。

 怖いので。誰よりも自分が。

「あん?」

「受験のことだよ。……もしかしたら、私か、君のどちらかが、試験に落ちてしまうかもしれないじゃないか。……そうなった後のことを、きちんと考えているか? そりゃ、君のことだから、最大限努力して私と一緒に居てくれるのは分かっているし、私もまたそうするつもりでいる。それに疑いはない。……だけど、不安を感じはしないのか? 君は、どうしてそんなに朗らかなんだ?」

「う〜ん。そだな、」

 頭をぽりぽりとかいた。

「無駄なものなんて、一つもなかったからかな……」

「無駄なこと?」

「別に落っこちても悪い気しねぇんだ、オレ。だっておまえからもらったもん多すぎるからよ。それだけで嬉しかったんだ。だから、試験に落ちても、オレは無駄じゃねぇと思うんだ」

「ああ、ああ……」

 来ヶ谷はぽろぽろと、自分を偽っていた殻が破られて、真理の光が差してくるのが感じられた。

 真理だ。彼は真理を話している。

 いつもだ。

 ずっと前からだ。このように、希望を与えてくれる。

「それに、オレは結局、自分との戦いだと思ってる。試験なんてよ……ようはてめぇに打ち勝てるかどうかだったんだ……だから、オレはオレにびびってらんねぇ、びびってちゃ、勝てるバトルも勝てねぇし、んなもん情けなさすぎるからな」

「ああ、ああ……」

 涙が溢れてくる。来ヶ谷は心が徐々に解き放たれていくのを感じた。

「それにオレはもう1つ分かったことがある。センター受けてみてな。オレらがする想像っていうのは……多分ほとんど当たってねぇんだ。センターって……本当はもっと難しいもんだと思ってたけど、実はかなり簡単だった。だから、これはオレ、喧嘩と同じもんだと思った。目がギラギラしてるやつとか、図体でけぇやつ見ると、昔思ったもんだけどよ、こいつやべぇ、って。でもぶち当たってみるまでそいつの力なんて分かんねぇんだ。ぶち当たって、全力を出して、きっと倒せねぇやつなんて、ほとんどいねぇんだ。それが元々無理な相手じゃねぇ限りな。でもオレたちは、予想をかなり高く見積もっちまうみてぇだ。この試験やべぇとか、こいつ強そうだとか、そんで、物事ってのは、案外そういうだけのもんだ、って、オレは気付いた。だから、それからは楽になったんだ……」

 真人は振り向いた。にかっ、と、いつもの微笑みを見せる。

「だから、むしろオレ逆に楽しみなんだ。はやく試験日来ねぇかなぁって。だってそんだけオレとおまえ、一緒の大学に行ける日近付いてくんだろ? だから楽しみなんだ」

「……」

 来ヶ谷は涙を流していた。

 それを拭く。

 みっともない。嬉しいからって、こう涙もろくなっていては。

 来ヶ谷が嬉しかったのは、こうやって励まされたからではない。

 来ヶ谷は、初めて自分のように、目標に向かって真摯に、また純粋な気持ちで頑張れる人間に出会ったと思った。

 真人は自分に似ている。

 そうして、初めて自分と対等なところまでやって来た。

 だから、これを話しても問題ないような気がした。

「真人君……一つ、話を聞いてくれないか?」

「あん?」

「私は……その、孤独だった、と思うのだ。今まで。そして、孤独というものが大嫌いだった」

「ああ」

「私はね、幼いころはもっと純粋だったと思うのだよ。それこそ小毬君みたいにね。でも愛されたりなかったのだと思う。みんなが自分のことを見てくれない、そんな不満を抱えて生きてきた」

「……」

「だから、私は努力したし、当時才能があると言われてきた勉学の方を特に頑張った。そうすることで尊敬を集めようと思ったし、そうすれば自分をみんな好いてくれると思っていた」

「ああ」

「でも……反対だったことにずっと最近になって気が付いたんだな……悲しかったよ。私が他人の知らない知識や思想を知れば知るほど、私はずっと、誰もいない荒野に一人立っているみたいに、孤独に……なっていくんだな、と、気付かされたんだ」

「わかるぜ」

「うん……だから、私は、いつも不安を抱えていた。人に理解されないのが嫌だったのだ。だから私は心を閉じこめた。仮の自分を作って、距離を置いてみんなと接した。どうせ理解してもらえない。考えが理解できないと思われ、距離を置かれるぐらいだったら、最初から考えを明かさない方がいい、自分の努力を見せない方がいい、馬鹿な変人だと最初から思われて、それで愛されていた方がいい、と、ずっと思っておったのだ……でも、大変だった……」

 涙があふれてくる。

 人は自分を偽るものだ。

 いつだって。

 来ヶ谷は自分自身を偽って、周りに合わせながら生きてきた。

 誰でもやることだ。

 でも、人には、どこかに、本当の自分を見せられる場所を持っているものだ。親とか、恋人とか、親友とか。

 来ヶ谷はそのどれをも持ってなかった。来ヶ谷の本当の考えを、精妙で奥深い理想や思想、細やかな価値観を理解してくれるのは誰もいなかった。

 むしろ気味悪いものとして遠ざけていくのが常だった。

 誰もがそうなのだ。

 理解できないものは不可解だから遠ざける。

 それが世の習わしで、人の在り方なのだ。

 だから、人々から抜きんでた存在は、ときに、人々の目の前で八つ裂きにされる生け贄となるものだ。

 それが今までの歴史だった。

 来ヶ谷はそれが怖くて、理想に一途になれなかったし、どこか、世をくだらないものとみなしていたところがあった。

 来ヶ谷は誰よりも、自分を受け入れてくれる場所を探していた。

 誰にもあるものが、誰よりも頑張っている来ヶ谷にだけは与えられなかったのだ。

 来ヶ谷はクラスの全員よりもはるかに大人だった。成長が早く、もうその思考は立派な大人すらも顔負けするほどだった。

 しかし、心の奥では、年相応の弱さを常に抱えていた。

 来ヶ谷は、そんな自分を、何だかかわいそうな物語のキャラクターを見るような目で、哀れな眼差しで、見つめていた。

 目が尖っていた。

 口が尖っていた。

 寄せ付けなかった。

 それが何だか、今では滑稽に思える。

「誰かに愛されたいと思ってやったことなのに……結果は反対だった……」

「ああ」

「私は……ずっと不安を抱えて生きてきた。それが……今、本当に滑稽なものだったと思えてならないのだ」

 来ヶ谷は振り向く。

 真人の方を見て、愛情の眼差しをその目に浮かべる。

「君が……いてくれるからだ」

 来ヶ谷は微笑んだ。

「君がいてくれるから、私は、もう自分を偽らなくて済むんだ。少しずつだけどな……人を信頼している、普通の人物に戻れると思う。もちろん頑張りは続けていく。でももう不安はない。人に受け入れてもらえるためじゃない。君とこれから面白おかしく生きていくためさ」

 真人は笑った。

 そうして、来ヶ谷のことを力を込めて抱き寄せた。

「不安になったら、オレんとこ来いよ……すぐこうしてやるからよ」

 来ヶ谷は涙いっぱい溜めて、真人の胸の中でうなずいた。

「うん」

つづく

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