その後、またいろいろな場所に遊びに行った。こんなに遠くの街に来たことはなかったので、鈴も真人もとても新鮮な気持ちで楽しむことができた。
 ただ、つらく思うのは、この楽しみも、いつか終わってしまうこと。
 鈴は、告白するという発想はなかった。
 自分で自分と真人との関係をそういったものに固めてしまうつもりはなかった。
 ただ、このように無邪気な繋がりをいつまでも保っていたかった。
 真人と恋をしなくたっていいのだ。特別なのだ。だから、もし特別な人がもし、鈴に別に現われたとしても、それが真人との関係を壊すものでなかった場合は、あまり躊躇することなく、鈴はその人と付き合うことを選んだだろう。
 ただ、臆病だった。
 人間はどうして、男女の友達のまま、ずっと長く、恋人よりも親密に、いられないことだろう。
 世界ではどうして、こんなに型ずくめなのだろう。
 鈴は真人のことが好きだった。でも恋愛とか、そういったものに消化し直すには、親密すぎて無理があるような気がした。もうずっと前から好きだった。だけど、でも、そこでどうも人事を動かす必要性は感じられなかった。真人のことを――ずっとそばにいてくれるようにできれば。
 そう、今日までは。
「はぁ……」
 故郷の街に帰ってきた。
 小さな駅舎から出ると、鈴は寂しくなって溜息をついた。午後4時、もう日は落ちつつある。
 ポン、と肩を叩かれる。
「どした? 元気ねぇな」
「ううん。別になんでもないんじゃ」
「そっか。夕方って寂しいと思わねぇ? オレ昔からそうなんだよ」
 夕方。鈴は街のほうを見張らした。夕方について思っていたことが同じだ。
「オレは、昔のころを思い出すんだが、もっとみんなと一緒にいてぇ、なんで家に帰らなきゃなんねーんだって思ったんだ。寮のシステムはありがたかったがな……」
 真人はしんみりと言った。自動販売機でコーラを二本買った。一本くれた。
「こうやって、オレら夕方の中にいると、一人じゃなくてよかったって、思うけどよ……なんちゅーか、今日はとくに寂しいな、って思うよな。なんでだろーなぁ」
 ごくごくとコーラを飲んだ。
 鈴はそれを両手で持って、じっと考えていた。真人は、もしかして……、
「なぁ、鈴」
 ふと振り返った。
「ちょっと、寄り道してかねぇ?」
 
 駅からは商店街を突っ切っていった方が学校に近いのだったが、河川敷の方をぐるっと回って行くこともできる。河川敷の道は人目を避けたいカップルにとって絶好のエリアとなっている。鈴はそれを知っていたのだが、真人の方でそんなことを考えているのかは定かではなかった。
 真人はゆっくりと空気を噛みしめるようにしながら歩いた。川面の光はおだやかに、優しく反射していた。オレンジ色に世界が染まり、犬を散歩する老人も、自転車に乗る子供も、どこか満足げに見えた。
「ここに来ると思い出すよな。みんなで写真撮ったとこ」
「ああ」
「野球、勝ててほんとよかったよな。マジで感動したぜ。あれからずいぶんと経った気がするよな……」
 鈴と理樹がくっついて、女子たちがそれに覆い被さるように引っ付いて、少し離れたところから真人、謙吾、恭介が肩を組んで笑っている写真だった。
 なんだかあの頃に戻りたい気がした。そうすればこの楽しかった数ヶ月間をやり直すことができるだろう。
「マジで戻んねぇかなぁ……あの頃にさ」
「え?」
「あ? いや、すまねぇな。辛気くせぇこと言っちまって。オレ駄目なんだ。みんなと別れるって思った時にさ、ああ、こうやってオレは放り出されていくんだってな。もっと寮に住んでいたかったんだ。かといって、そんなわけにもいかねぇけど。理樹とかおまえと別れるって思ったときに、胸にぽっかり穴が空いた気持ちになったんだ。何でだろな……もう、会えねぇって、そんな気もすんだ」
「そ――」
 そんなことないだろ。とは、言えなかった。未来は誰にもわからない。
「もちろんオレたちが努力すりゃ、未来にまた会えるかもしれない。でも、その時のオレらは、今のオレらじゃないだろうよ。まったく変わった人間で、今みたいに朝から晩まで馬鹿みてぇな遊びやってりゃいいだけの生活じゃねぇだろ。さすがによ」
「うん」
「他の人間と一緒になって、そこで新しい関係作って、なんとか生きてかなきゃなんねぇと思ったときにさ、……ああ、なんか……すげぇもったいねぇ……なんだか……すげぇつれぇ……って……そんな、気がすんだよな……」
 真人は言葉を選ぶように……何か、せり上がってくるものを抑えつけるように、一つずつ区切りをつけて、声を落として、言った。
「……しかし、わっからねぇもんだよな。まったくよ。おまえすっげぇ変わったもんな」
「え? ほんとか?」
「ああ。マジで変わったよ。ビビッたぜ。まったくよ……」
 真人は鼻をこすりながら、こちらを振り向いた。にかっと、笑っていた――。
 そこに寂しさは一つもなくて、ただ誇らしげな表情だけがあった。まるで、鈴を尊敬しているような――。
「オレたちの手にかかるお姫さまだったおまえがねぇ……」
「おひめさま? なんのことだ!」
「だから、オレたちがそうやって呼んでたんだよ。世間知らずで、オレたちがかばってやんなきゃなんねーってな。オレはな、白状するけど、そんな役回りがずっと楽しかったんだ。ずっとそのままでいてぇもんだと思っていたよ。恭介と、オレと、謙吾で、みんなのこと守るんだ。鈴や理樹は、その輪っかの中で、幸せに暮らすんだってな」
「だから、理樹は……」
 理樹のことは、もう終わったのだ。そう、言おうと思った。
 だけど、真人の雰囲気が“そう”させなかった。物を言わせぬ雰囲気があった。
「よし。言おう」
 真人はこう言ってうなずくと、じっと鈴のことを見つめた。
 真人の大きな瞳が、ここで夕陽の色を湛えていることに気が付いた。それは燃えるようで、何かを求める渇きがあった。
 それがじっと鈴の目に注がれていた。
「鈴。……ずっと、おまえに言いたかったことがある。……苦手なんだが、こう言うのはよ。でも決めた! オレと、付き合ってくれ!」
 はっきりとそう聞こえた。
「好きだ、鈴!」
 耳鳴りがした。胸の奥からじんじんと音波みたいなものが耳に強い負荷をかけ、一気に熱で赤く染め上げた。
 胸が一気にドキドキした。それでいながら、自分の口はひとりでに、ぜんまい人形のように動くのだ。
「うん……いいよ」
「ほんとか!」
「あたしもずっと好きだったんだ」
 こう言うと、自分の胸にえも言われぬ幸福感がやって来るのが鈴には感じられた。
 今まで感じたことのない幸せいっぱいの気持ちだった。
 ああ。ずっと、こうなることを求めていたんじゃないだろうか。それが、臆病な心のせいで、歪められて、鈴は、別の願いを取っていたのだ。
 それがこうして打ち破られて、鈴はほんとうによかったと思った。
「鈴。あのさ……」
「なんだ?」
「いや……なんでもねぇ」
「なんじゃ。はっきり言えこら」
「ううーん……」
 真人はぽりぽりと頬をかいた。
「言いたくないが……すっげぇ可愛いぞ、それ」
 ぞくぞくする気持ちが足から頭の先にまで抜けていった。
 鈴は、「ばーか」と言いながら、真人の腕を掴んで、自分の腕を滑り込ませた。それを大事に大事にぎゅっと温めて、宝物のように幸せを送り込んだ。
 

 二月十四日
 
 今日はバレンタインデーだ。さっそく真人は一個ももらえないという戦績を上げて寮に帰還したのだったが、そこで一足先に待っている人影があった。
「よっ。遅いぞ」
「わりー。わりー。ちょっと粘ってみたんだが、ダメだった」
「みっともないことするな。おまえは」
 鈴だった。
 頬を赤くして、目をキラキラさせて、胸には一つの銀の箱に収まったチョコのケースを持っていた。
「おじゃまするぞ」
「さみっ……暖房つけようぜ暖房」
 ピッ、とエアコンのスイッチを入れる真人。
 座布団を引っ張り出して、みかん箱の前に座る鈴。
 どきどきとしながら、みかん箱の上にチョコレートを乗せた。
「っていうか、彼女いるんだから、とっとと戻って来い。この馬鹿」
「いや……クラスのランク付けみたいのがあるんだよ。謙吾の野郎によ、チョコもらう数でいつまでも倍率ゼロ(0:48くらいのため)でいるわけにはいかねぇんだよ」
「まったく、おまえを心底見損なったぞ」
 そう言いながら、二人でくすくす笑い合った。
「ま、これで初めてもらったチョコレートになるな。今日初めてもらったチョコ」
「おまえはずっとあたしのチョコだけでいいんだ」
「なんでだよ……もうちょっとモテたっていいだろ!?」
「いいやよくない」
 赤い顔でじっと睨みつけながら鈴が言う。
「ず〜っと、あたしだけのもんだ」
「まぁ、そっちの方がいいかもな。物理的にもよ」
「何か言ったか?」
「い〜え」
 くすくす笑い合って、二人はくっつき出す。「ありがとうよ」と笑いながら、ゆっくりと鈴は頭を撫でてもらう。それは髪を伝って、肩に、優しく、閉じこめられていた愛が溶け出すくらいに熱く。
「あたしも食べていい? じつは楽しみだったんだ」
「おう。いいよ。一緒に食おうぜ」
 そろそろ暖房がかかってきた。でも二人は離れようとはしない。
 これからいくらだって、今までの二人でいることができる。
 これからいつまでだって、自分たちらしい自分たちであることはできる。
 でも、お祝いしたっていいではないか。
 一日、違うだけの、付き合った記念日。――そしてハッピーバレンタイン。
「ねぇねぇ」
「あん?」
「おいしいな」
「手作り?」
「残念だが……違う。そんな暇なかったからな」
「ああそう。でもうれしいぜ。すごくさ」
「ねぇ、ちょっとこっち向いてくれ」
「あん?」
 キスの味はチョコレートの味――熱い、熱い、心がとろけるような味だった――。

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