二月六日

 鈴は真人のことをずっと考えていた。ふと、温かい気持ちになっていることに気が付いた。
 理樹のことは、もうよしてしまった。何だか、もうずっと前のことのように感じられる。あのとき、真人がいなかったら自分はまた殻に閉じこもってしまっていただろう。
 そのことを、何かお礼の気持ちとついでに伝えようと思っていた。
 なのに、何もいい考えが思い浮かばないのだ。
 そう――自分は臆病になっている。なぜ? ただのあの馬鹿に、お礼一つ言うだけで妙にあれこれ考えてしまっている。
 どんな言い方で言えば自分は可愛く映るのかな、とか、そんなことを思って頭を振ったのももう何度目かしれない。
 そういうんじゃないのだ。真人と自分の関係は。
 じゃ、何なのか――。
 何も――わからなかった。
 鈴はそれを突き詰めることを忘れた。思い出してみる。悩んで、悩んで、それでも答えが出なかったら、悩んでみるのを一度やめればいい。
 鈴は朝早起きして、まだ日も昇っていない朝から校内を走ってみたりした。
 そうすると疲れるが、同時に気持ちいい気分になっていることに気が付くのだった。頭が爽快になり、陰鬱な気分など吹き飛び、前よりもまっすぐに物事が見えるようになる。そうすると自分の気持ちとも正直に向き合うことができるようになり、だんだん、理樹のことは忘れていくことになった。
 といっても最初は容易じゃなかった。自分の気持ちが裏切られた最初の出来事だった。――リトルバスターズ内では。それも、自分が絶対的に信じていた旧友の理樹にだ。といっても、理樹のせいではなかった。理樹は鈴の気持ちなど何も知らないのであり、影で笑っているとか、そういう卑怯な気持ちには全然鈴はならなかった。そうだ、理樹も、……
「理樹も、同じだったのかな」
 理樹も、同じ気持ちだったのかもしれない。だとしても許せないことだが。それはまた別問題だった。
 理樹は理樹で、寂しかったのかもしれない。そのときに自分がそばにいなかったのはまた自分が悪い。でも理樹のことはしばらくの間許せなかった。口も聞いてやらなかったし、絶えず無視した。
 真人から、理樹が鈴と話したいと言っていると聞いたときも鈴の怒りは収まらなかった。そうして、手紙を受け取った。理樹から、恭介を伝ってきた。
 そのときに鈴は理樹から気持ちの全てを聞き、鈴はゆっくりとだが、理樹を許せるようになっていった。鈴は朝のランニングを敢行し、汗だくになるまで走った。そのとき、全部自分が悪かったと思い付き、その後理樹に手紙を書いた。全部謝り、理樹と仲直りしたいと書いた。そのあと理樹とは普通に会話するようになった。
 理樹への気持ちは打ち明けなかった。理樹に重荷を背負わせたくなかったからであり、理樹もきっと気付いてるはずなので、今さら言ったところで自分がみじめな思いをするのは避けられないと分かっていたからである。
 それから鈴はいつか真人にお礼をしたいと思っていた。
 だが、何故?
 何故こんなにも胸がドキドキするのだろう。
「んなアホな」
 好き――という言葉が思い浮かんだ。
 冗談。あんなアホのどこがいいのだ。
 好きになる要素――鈴ならたくさん知っているだろう。つまりそれは、鈴にお似合いの相手、ということになる。鈴だけが真人の良いところを知っているのだから。
「い、いやいやいや! 何考えてんだあたし!」
 だんだん頭がはっきりとしてくる。それは鈴が成長したから。受け入れることのできる強さを得たから。
「だ、だって――真人だぞ!? 真人――……う、うーん。あたしなら別に、いい……かな」
 そうすると胸がおかしくなったみたいにドキドキしている。正しい物の見方に自分の気持ちは正直に映る。
「い、いや――まだ早い。そうだ、ランニングして来よう」
 とは、いいつつも動揺は起こり得るものである。鈴はくたくたになるまでランニングしたが、胸の気持ちは「はやく受け入れなさい」と鈴に強く言っていた。
 鈴は、風呂に入っているときも、携帯をいじっているときも、布団に入って部屋を暗くしたときも、真人のことを考えていた。
 ただそれは全然不快な気持ちではなかった。
 うれしい。楽しい。一緒にいたい。ただそれだけだった。
 恋とか、そういう気持ちに変換するのはどうにも滑稽に思えた。
 今さら初々しくするのも馬鹿らしいと思った。でも、そうではいけないことが鈴にはわかっていた。
「あいつ……いなくなるよな」
 鈴の元からいなくなる筆頭は真人だった。
 真人は、鈴と友人であるが故に、鈴の元から去るだろう。卒業後、何の前触れもなく、全国一周してくる。そんなことを奴は言う。そうに決まっている。
 鈴は、そうであってはならないと思った。
「よし」
 鈴はベッドに起き上がって、枕元の充電中の携帯を取った。暗い部屋に、携帯のライトに鈴の顔が浮かび上がる。真剣な表情にりんごのように赤い頬を加えていた。
 
 
 二月七日
 
 今日は土曜日だった。学校が休みなので、大半の生徒は朝遅くまで寝ている。部活の連中は練習試合に出ているため寮内は静かだ。
 そんな静かな食堂で、ガツガツと大急ぎで食事を取っている見慣れない女生徒がいた。……
「ごちそうさま! 行ってきます!」
 行ってらっしゃ〜い。と、食堂のおばさんがにこやかに手を振った。
 
 見慣れない女生徒は既にメイク済みだった。神北小毬から伝授されたメイク術で生まれ変わり、髪型も変え――ポニーテールをやめて、下ろしていた――ふんわりと立体感のついた美しい鳶色の髪がたいそう優しげに風に波打っていた。
 大人びた私服はベージュのコートで始まり、黄色いミニスカートと茶色いブーツにニーソックスを加え――ピンク色のマフラーでしめていた――見慣れない女生徒のお洒落な装いは、知っている学校の人間なら度肝を抜かしただろう。だが誰も起き出していない――ある一人を除いては。
 それももう校外に出ていた。
 真人は鈴から昨夜メールで一緒に街へ行こうと誘われていたため――朝の筋トレに励んでいた。朝の筋トレに励む理由は真人だけが知っている。
「お待たせ!」
 待ち合わせ時刻から遡ること二分十七秒、見慣れない女生徒が可愛く頬を染めて校門から出てきた。
 外は寒い。加えて朝早くなので若干靄(もや)も出ている。朝の輝きと白い靄のせいで、空気は黄金色のうすいカーテンのように美しく煌めいていた。
「あれ?」
 真人は立ち上がって、腕を組み、思案した。
 こちら様はどなた様だろう――。
「ほら、行こう?」
「えっ、えええ!?」
 手を組まれる。
 声は鈴だ――もしかして、鈴に姉などは――……いなかったはずだ。あるはずがない。そんなもの。
 だったらそっくりさん?
 当の鈴は絶対こんなことしないし、こんな話し方でもない――鈴は、もっと男の子らしくあるべきだ。
「なに赤くなってんじゃ? ドキドキしたんだろ。このあたしに。まじで変態だな」
 前言撤回。間違いなく鈴だ。
「おまっ――てめぇ何やってんだよ。放せコラ!」
「あたしの言うこと聞いてくんなきゃやだ」
「ああ、聞く聞く! あとおまえのそのオシャレ具合なんなんだよ! こっちが普段着なの恥ずかしいだろうが!」
 鈴は手を離した。真人のことをじっと見つめる。朝の光に肌が輝いている。後光のようなものが射しているのは気のせいだろうか。
「まず、な」
 鈴は指を差した。真人に突きつけるように。
「その格好!」
「うっ……」
「あたしが矯正してやるから覚悟しとけ。この、あたしに相応しいようにしてやるから」
「ふ、相応しいって……」
 真人はただいつもの格好をしているだけだった。オン・オフ兼用の使い勝手よさ抜群のハーフ学ランだったが、鈴のこんな変わり様を前にしてはただ恥ずかしいだけであった。鈴だって、小毬たちと遊ぶようになるまではスカートなど私服に絶対取り入れなかったのだったが、ここに来て鈴はオシャレ星人と認定されるほどの造詣の深さを手に入れていた。
 とは、いうものの、鈴だって何の恥じらいもなくこのような格好をしてきたわけではない。男子に披露するのは初めてだったし――それに、真人と二人で出かけるとなると、その選定にはいつもの五倍もの時間を費やすこととなった。早起きして正解だ。
 鈴は喜んでいた。真人をこうやってどぎまぎさせることが、心底楽しくてしょうがなかった。いくつ際どい発言を織り交ぜてやろう。その気になられ過ぎても困るが、鈴は、目いっぱいこれでいじり回してやろうと、小悪魔のように微笑んでいた。
「真人。何か食いたいものあるか?」
 朝の歩道を歩きながら、鈴は尋ねた。
「食べたいもの? そ、そうだなぁ……何でもいいよ、食えれば」
「おまえなぁ……」
 鈴は溜息をついた。朝飯を一緒に食べようとしただけなのに、何だろうこのやる気のなさは。
「何でも食いたいものおごってやるっちゅーに、あたしにそれを考えさせるのか?」
「はい?」
「いや、その……」
 何でこっちが赤くなるんだろう! 消えてしまえ、筋肉星人!
「あたしの、その、相談に乗ってくれただろ。あたしに何かおごらせろ! このアホ!」
「あ〜……そんなこともあったっけなぁ……」
 まさか、忘れていたというのだろうか。どんだけ筋肉のことしか考えてないんだろう。ちょっと心配になる。
「ありゃ別にいいよ。だって友達だろ?」
「ま〜そ〜だが」
 友達という発言が何か気に食わなかった。友達は友達だが、それを言うのはこっちではないのか?
「まっ、あんだけ惣菜食ったんだしな。ここはおごってもらうぜ。それの返済分くれぇはよ」
「はぁ……ま、いいが。で、何が食べたいんじゃ?」
「カツ!」
 遠慮しなくていいと分かった真人は手の施しようがなかった。
「カツなんかよせ。体に悪いだろ」
 というか、朝からカツって糖尿病で死ぬんじゃないだろうか。
「これにしろ」
 鈴がコンビニに入って手に取ったものは――カロリーメイトだった。
「えぇ〜。こんなもん、おやつじゃねぇかよ〜」
「じゃ、二個買っていい」
「ま、栄養はありそうだしな……」
 真人はしぶしぶといった表情でコンビニを出た。鈴がなかなか出て来ないのでおかしいなと思っていると、鈴は遅れてサンドイッチを手に、にこやかに“しな”を作って出てきた。これ、と言って、サンドイッチを手に持った。
「公園で一緒に食べよ?」
 真人がその口調に固まったのは――言うまでもない。
 
 鈴はぱくぱくと体裁を気にしながら食べていたのだが――真人にどうやら食欲はないようだ。いつもはガツガツ食って会話も弾むはずなのに――そのせいで内容物がたまに飛んでくるほどだ――鈴はそれが頭に来ていたのだが、こうまでひっそりともしゃもしゃ勿体なさげに食べるのは、少々真人に悪いことをしたな、という気持ちがわいてくるほどだった。
「おまえ、それで足りんの?」
 真人は心配げに鈴の手の物体を眺めた。
 サンドイッチ――トマト、レタス、タマゴの三種――は非常に上品にむしり取られている。
「うん♪ いつもこうなんだ」
「嘘つけよ……」
「ほんとだもん♪」
「う、うわぁ――――っ!? もう我慢できねぇ――――っっ!! おまえ、その作り笑いやめろそれ! こっちが耐えらんなくなる!」
「ドキドキしたろ?」
「別の意味でドキドキしたわ!」
 真人は赤くなるやら青くなるやらで、薄気味悪い色になっている。
「ま、ほんとのあたしだったらこの二倍は食べないと気が済まないんだけどな」
「それが普通だよ……腹すかしても知らねぇからな……」
「実はもう食べてきたんだ」
「はぁ? じゃあ、その、サンドイッチ、何?」
「やってみたかったんだ」
「うん?」
「その……こんな、感じの」
 彼氏と一緒に上品な食事――まるで大学生みたい――言えるわけないだろこんなの! と鈴は絶叫していた。もちろん心の中で。
「はぁ……まぁいいけどよ。でも、もっと普通にしろよな。言ってくれりゃぁ、何だって付き合ってやんだからよ」
 真人はただ鈴の体調面を気にしただけだったが……その発言は鈴に爆弾を投下したのと同様だった。
(つ、付き合う――――っ!?)
 鈴は動揺した。
(い、いや待て。付き合うっていうのはそういう意味じゃなくて……え、いつでもこういうふうにしてくれるってこと? あたしが望めば? う、う……う〜……)
「うわぁぁぁ――――っ!」
「ど、どうしたんだよ!? 鈴!」
「い、いや……なんでもない……ただ、うにゃーっ、て、叫びたくって……」
「そ、そうか……」
 真人は心配そうにこちらを見つめている。自分が何を言ったのかも知りもせず……。
 しかし何という格好だろう。どこぞのバックストリートのファイターエリアではこれで通るかもしれないが、鈴のようなオシャレで身を固めた者と歩くには、ちょっと可哀想なものがあった。
「とりあえず、服買いに行くか」
「へーへー」
「なんだそのやる気のなさは。あたしが“こーでねーと”してやるぞ。ついて来い」
「え、なんでそこだけ東北の人っぽいんだ?」
 鈴は真人の言ってる意味がわからず本屋へダッシュしていった。

「あのよ……」
「うん? あ」
 鈴は本屋にいた。真人は手持ちぶさたに呆けている。
「何で服買いに行くのに漫画エリアなの?」
「あっ……これは! 新刊が出てたから! つい! こっちだった!」
 鈴は雑誌エリアへ飛んでいく。
 ファッション雑誌を背伸びしながら取って、ぱらぱらとめくり出す。
「ほら、一緒に読も?」
「読みます読みます! だからそれはやめてくれっ!」
「あはは」
 変なの、と鈴は思った。鈴はだんだん真人をいじることに慣れてきた。これでいて意外とシャイな奴なのだ。自分はずっと大人なのだ。それが再確認できて鈴はいい気分だった。
「えぇ〜っと……なんじゃこれ。とっぷす……?」
「え、」
 真人は信じられないような目で鈴のことを見た。
「だ、男子のはあまり見ないからよくわからないな! う、うん!」
「嘘くせぇなぁ……おまえだって見ないだろうが」
「なんだとっ! あたしのどこがファッション遅れだというんだ!」
「別にそこまでは言ってねぇけどよぉ……なになに、ふんふん……まぁ、こんなのはオレには似合わねぇと思うがなぁ……ま、一着ぐれぇなら買ってもいいかもな」
「おまえ金持ってるんだからじゃんじゃん買ったらいい」
「おまえな! あれは大事な軍資金なんだよ! 将来のために貯めてんの!」
「何に使うんだ?」
「そりゃあ……あのさ、秘密だよ」
「ひみつ〜?」
 生意気なやつだな、と鈴は思った。
「こうしてやる! こちょこちょこちょこちょ!」
「効くか、ボケ」
「くるか、くるか!」
「うっせぇ、静かにしろ!」
「じゃあ……」
 鈴は思いきって真人の腕を自分の胸元に近付けてみた。真人は破裂しそうなぐらい勢いよく従順になった。とは、後の鈴の談である。
「あのさ……将来やりたいことがあるんだよ」
「え?」
「そのために貯めてんの。ちょくちょく日雇いバイトしてな」
「そうなんだ」
 真人はやっぱりそうだった。鈴の思ったとおりだ。貯めている――とは、何をするつもりなんだろう。鈴にはわからなかったが、鈴に何もそういう考えがないことが急に恥ずかしくなった。
「あ、これとかいいな」
「え、なになに?」
 ただそれでも、真人は自分にとって大切な仲間だ。真人はいつでも笑いかけてくれる。だけど、仲間のままで終わってしまうことは、もしかしたら……もしかしたら、ありうるんじゃないだろうか。鈴は、大人になり、自分一人が置いてきぼりにされ、そうして仲間たちから疎んじられ、いないも同然の扱いをされていくのが急に頭に浮かんできた。
 恐ろしさで身が竦んでしまいそうだった。
「これ、買ってくるわ」
「そう」
「立ち読み厳禁、本屋さんに奉仕しねぇとな。行ってくる」
 鈴は呆然と立っていた。
 小さな本屋だ。照明も派手じゃない。クラシックの音楽が遠い。鈴は耳鳴りを感じるようになった。ふと寂しさがせり上がってきた。理樹のことが思いついた。
 真人も、そうなんだろうか。
 真人も、みんなと同じで寂しがり屋なんだろうか。そうして自分が知らない間に好きな子と一緒になって、自分の前から消えていなくなるのだろうか。
 鈴はわからなかった。
 わからないまま、早く戻って来てくれ、と一心に願っていた。
 何時間待ったかしれない。しかし、時計の針はほとんど進んでいなかった。やがて、真人がやって来た。
「ちょっとどっか寄ろうぜ。店を――って、お〜い? 鈴?」
「っ!」
 鈴は真人の手を掴んだ。ようやく暗い世界で見つけた、人の体温のある確かな存在だった。証が必要なのだった。鈴とずっとそばにいてくれるという確固たる証が。
「お、おいおいどうしたんだよ。何か怖いやつでもいたか? 安心しろ、そんなやついたらぶっ飛ばしてやっかんな」
 これは真人が昔よく鈴に言っていたことだった。真人は急に昔の怯えてばかりいた鈴を思い出したので、こんな言葉が急に思いついたのだった。
「あ、てゆーか……いきなり殴ったらまずいな。もう。ほらほら、とりあえずこんなとこ出ようぜ。なんか温かいもん飲もう。それから落ち着いたら、出かけようぜ」
 鈴は小さな声で、「うん……」と言った。
 真人はぽりぽりと頬をかいた。
「ったく……まぁ、オレだったらいつでも近くにいるからよ。無理は言わねぇが安心しろや」
 ふと鈴は顔を上げた。その言葉を鈴はいつまでも憶えていることになる。と、これは後の鈴の話。
「うん」
「ほら、行くぞ!」
「うん!」
 とりあえずは――安心する。それでいいのか、鈴は、一度保留にする。それは来たるべき時に悩めばいい。
 
 鈴は、それから真人と電車に乗って遠くの街へ行き、そこで一つのファー付きのコートを選んでやった。真人に似合う、パンキッシュな黒のコートだった。
 真人はそれで一ヶ月間納豆定食(150円)で暮らしていかねばならなくなったが、そのコートをたいそう気に入っていた。鈴の選択にしちゃやるじゃねぇか、と、新しい戦闘服を手に入れることができてご満悦だった。
「まさか、さすがにこれは学校には着てけねぇか……」
「今のままでもだめだけどな」
「んだよ、固ぇこと言うなよ」
「普通のことじゃ。ボケ。あたしがそれでどれだけ迷惑被ってると思ってるんだ」
「え、例えば、どんな?」
 鈴は歩道を歩きながら様々な二木佳奈多とのやり取りを語った。散々な目に遭ったことが大多数だったが、不思議とこうやって真人に話すのは嫌じゃなかった。別に恩を着せたいわけじゃない。謝ってほしくもない。ただ楽しい。そう、真人のことについて自分が自分らしくあり、日常に――こんな大変な、どたばた騒ぎを繰り返す突飛な日常に――文句を言って、そして、真人とそれで笑い合うことの喜びが、ただ今はもうはっきりと感じられるのだ。
 真人は弁解したが、そんな冗談みたいなやり取りが鈴にとって、とっても楽しい思い出となった。
 もしこれで、たとえ真人と離れてしまっても――この日を忘れないだろうし、この日の思い出を胸にしまってまた鈴は頑張っていけるだろう。
 鈴は真人と駅地下にあるゲームセンターへ行った。クレーンゲームで、きわどいスカートを履いた女の子のフィギュアをゲットしてしまい、結局真人の部屋に置くことになったこと――真人が心底かわいそうになった――レースゲームでぶっち切って、人だかりができるほどのタイムをレコードしたこと――真人が負けず嫌いで1000円も連コインしてきた。財布からさらに金が消えていった――音楽ゲームで真人と協力して素晴らしいところまで行ったこと――普段知らない場所で、知らない人々の間に混じって、まるで恋人みたいに男女として、屈託もなく楽しんだことは、また鈴の大切な思い出にもなった。
 またカラオケにも行った。歌声を披露したのは男では真人が初めてだった。鈴もあれからシャイな自分を直すべく、小毬とカラオケで歌いまくっていた。自分のシャイな部分をじょじょに克服し、自信をもって臨んだ時には、鈴は恭介にも劣らない美声を持っていたことに気が付いた。真人は拍手して褒めてくれた。真人はプロレスやK−1の入場曲を歌い、鈴はアニソンを歌った。趣味も相性も合わないように思えたが、変に気を遣うことなしに――また相手の趣味も予想通りだったので――お互いに安心して楽しむことができた。
「はあ〜。やりきったなぁ!」
 鈴は真っ直ぐ伸びをした。夕暮れの公園である。二月の夕は早い。もう四時なのに公園は赤く染まっている。
 公園を真っ直ぐに歩いていけば、駅につく。そこで、一日のデートも終わる。
 そう、これはデートだったのだ。鈴は恥じらいもなくそのことを認めた。とっても楽しかった。鈴は真人のことをいじり回すのが好きになった。だけど、学校に戻ったらもう控えなくちゃならないだろう。
 今日で終わりなのだ。
「あのよ、」
 真人は頬をポリポリとかきながら、言う。
「また……遊び行かねぇ? ときたま、よ」
 鈴は振り返った。
 どうしてこの男は今自分が考えていたことをぴたりと当ててしまうのだろう。まさか、そんなに自分のことを気にかけてくれているのだろうか。
 ふと頬が赤くなった。
「別に……うん、いいと思う」
「そか」
 真人は笑った。何だかほっとしたような笑顔だった。
「今度は誰かもう一人連れてくるか? 誰かよ」
「別にいい。あたしは今日すっごく楽しかったぞ」
「そうかよ。ま、みんな忙しそうだったからなあ」
 それは本当だろうか。鈴は頭をめぐらせた。
 真人は鈴の横に立った。とうとつに強い風が吹いてきて、真人は顔をしかめた。
「おおっ! すげぇ風だぜ……大丈夫か?」
 真人は自分を盾にして風を防いでくれていたので、特に何も感じることはなかった。
「さみぃよな……これすげぇ温かいぜ。選んでくれてありがとうよ」
「ううん」
 気に入ってくれてよかった。そして、真人がこんなに優しくてよかった。それがとても、嬉しい。
「もうそろそろ帰るか。みんなも心配するだろうしな」
「うん」
 手を繋いで帰ろうとしたけれど、それは、やめた。
 鈴はまだ段を踏んでいないのであり、下段で足踏みしていることだ。鈴はもう真人をからかうとか、照れさせる気はもうないのであり、今日はもうこれで満足だった。
 少なくとも今日のうちは――。
 帰って、寝て、ベッドの中で、楽しい夢を見るまでの間は――。

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