さびしい夜は一月につきものである。
 たとえ、仲間がいようとも。
 たとえ、親友がいようとも。
 すべてを包み込んでくれる、愛すべき人を持たぬ身に、一月の、夜の、肌寒い風は凶悪だ。
 ことにこんな日の夜は。

 一月二十七日
 
 鈴は、食堂で一枚の紙を睨みつけていた。
「進路、調査表……か」
 隣で真人が言った。
「なんだか、寂しさを感じるよな。その響きにはよぉ」
 小毬たちが振り向いた。
「そお?」
「俺には、進路なんて俺らが離ればなれになることしか想像できんねぇ。あーあ、ついに俺らも、卒業したらバラバラになっちまうのかなぁ……」
 謙吾が頷いた。
「仕方なかろう。未来はいずれそうなる。それよりも、もっと真面目に考えるべきだぞ。真人。おまえは大学進学にするのか?」
 真人はまっぴらだ、といった顔をした。
「大学に進学できる頭はねェしな」
「もっともな話だな」
「んだとコラァ!」
「おまえが自分で言ったことだろうがっ!」
「うっせぇ! そこは否定して、『そんなことないですよ。真人君は頭いいですよ』って優しく言うところじゃねぇか、違うんか、テメー」
 謙吾は心底嫌そうな顔をして、竹刀を掴んだ。
「なぜ俺が心底嫌なのに貴様に優しくしてやらねばならんのだ? 心底嫌なのに」
「なぜ二回言った? テメーコラ」
「二回言わねば貴様にわかりにくかろうと思ってな」
「テメェなんてこと言うんだコラー!!」
 襲いかかる。
 理樹の、そっちなんだ!? という言葉は怒号にかき消されてしまった。
 なんとなく寂しい感じがする。
 真人と謙吾の恒例行事を目にしていても、鈴のそんな感じは薄れなかった。
 進路調査表。
 たぶん、進学すると思う。
 でも、きっとみんなと同じ学校には入れない。
 兄貴は就職するし、理樹や来ヶ谷は鈴よりもずっと頭がいい。
 葉留佳や真人は逆に頭が悪すぎて、同じレベルの学校にはいけない。
 それに、その次はいよいよ就職だ。まさか、同じ職場にみんな行けるわけがない。
 それはさすがに鈴だって理解している。
 大学では、みんなバラバラになる。
 その次ではもっとバラバラに。
 そうしたら。
 鈴は、目の奥が真っ暗になっていくのがわかった。
 そうして顔を上げてみると、見る風景が灰色だった。なにもかもが色を失い、自分に語りかけてくる希望は、なにも、なくなってしまった。
「鈴?」
 理樹が不思議そうな顔をしている。
「お腹でもいたいの?」
「ん……」
 ちりんちりん、と“すず”が鳴る。
 二回は、否定の音。
「じゃあ、どうしたの?」
「ううん」
 鈴は、結局理樹にも伝えなかった。
 理樹は、何とも思ってないように見えた。
 それが少しだけ……、
「でもさ、寂しいよね」
 理樹は少し微笑んでから、言った。
「ずっと今までは、僕たち一緒だった。みんなで野球チームを作った時にも、しばらくの間、僕らこのままでいけると思っていた。でも違ったんだよね。時は嫌でも経っていくし、僕たちどんどん大人になってく」
「理樹は……平気なのか?」
 一縷の望みをかけて、鈴は訊いてみた。
 理樹は目を閉じて……、
「そんなわけないよ」
 ゆっくりと、噛みしめるように言った。
「ずっとこの時が続けばいいのにって思ってる」鈴の方を見てほほえんだ。「でもだんだんと、僕ら大人になってく。身体だけじゃなくって、心もね。少しずつ、受け入れることができるようになっていく自分がいるんだ。それが少し悲しいといえば、悲しい。でもどこか誇りに思っている自分もいる。難しいよね……とても」
 鈴は、ちんぷんかんぷんだ、と言った。
 理樹は平気そうだった。少なくとも、鈴よりはそんな感じだった。
 鈴はただ漠然と思った。
 このままじゃだめだ。
 このままなんとなく過ごしてたんじゃ、置いていかれる。
 理樹はこんな様子だし、来ヶ谷や、恭介に至ってはもっと泰然としているだろう。
 小毬ちゃんに泣きつくのもいい。
 でも小毬ちゃんだって、葉留佳だって、クドだって、一緒に泣いてくれるかもしれない、けど、だけど、あたしが今のあたしのままで、ずっとこのままのあたしだったら、小毬ちゃんたちは置いていくだろう。
 理樹と同じような微笑みを残して。
 そうなったらやばい。
 ただそう思った。
「もう帰ろうか」
 来ヶ谷がそう言った。
 もう八時半だった。
 まだ早かったが、最近はひどく寒くなるので、この時間に撤退することになっていた。
「ううっ、さむいな」
「さむいのですー」
 風がヒュゥゥゥ、と音を立てて、スカートの下のモモや膝小僧を撫でていった。
 クドが帽子を押さえて、ひどくつらそうにしている。
「ほんとこの時期、スカートの下になんか履きたくなりますよネ」
「まったく同感だ」
 来ヶ谷はウンウンと頷いた。
「スカートの下にタイツを履けばいいと思いますが」
「いやだって、姉御が」
「絶対に許さん。それでは生足が見えなくなってしまうではないか。私の学校に来る意味がなくなってしまう」
「あはは……」
「たまに来ヶ谷さんが女性で良かったと本気で思うことがあります」
 美魚がはぁ、と溜息をつく。
 しかし寒い夜だ。
 こんな日は、どうして訪れるんだろう。
 今までは、その季節は春であり、夏であり、秋だった。
 しかしこれからは本格的な冬だ。
 雪も降らず、凍てつくような冷たい、無情な冬がやって来ている。
 鈴は、ただ思っていた。
 このような日に、このような夜、なにも希望はなく、ただひとりであることの辛さが身に染みるこんな月空に。
 無情なる風の音のことこまやかな絶望の宴に。
 そうだ、好きな人を作ろう。
 好きな人を作って、その人と一緒に乗り越えていけばいい。
 リトルバスターズである“だけ”ではもうダメなのだ。
 一緒に“ずっと”自分といてくれる人。そんな人が今自分に必要なのだ。
 そうすれば、あたしは置いていかれない。
 その人がずっとそばにいてくれる。
 さて、あたしの好きな人は誰だろう? 鈴はそんなことを大真面目に考え出した。
 以前ならすぐ忘れてベッドに潜ってしまったであろう、恥ずかしい話題に、鈴は真剣に取り組んだ。
 気持ちいい温もりに胸がいっぱいになった。
 だってこんな日に、自分は女の子なんだから。

 2話へつづく

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