(3)

「十一回目の勝負……」

 今度は理樹たちの技術の問題で勝負が長引いてきた。

 佳奈多は真人に教えてもらってカーブやフォークなどの類似品も投げれるようになった。鈴以上の成長速度だ。

 ひょっとしたら運動神経は抜群なのではないだろうか。ただ、開花するのが今さっきだっただけで……。

「おーい。そろそろ終わらせてぇから、さくっと空ぶってくれよ」

「いやだね! 絶対飛ばすんだ! 見てなよ……まず一球目は、しっかりよく見て……」

 佳奈多は振りかぶる。

 だんだんコントロールが増してきて、外角や内角などの振り分けもできるようになってきた。

 理樹も野球の練習で打ち慣れてはいるが、鈴とはリズムも投げ方も違う佳奈多にかなり戸惑っている。

 結局その球もバットに掠ることなく、ミットに吸い込まれていった。

「くっ……くっそぉ――――っ!」

 佳奈多は無表情で真人からボールを受け取る。

 徐々に暮れゆく空を見上げながら、ふとあくびをする。

「ふわぁ〜あ……疲れちゃったわ。ねえ、私にも一本打たせなさい」

「へ?」

「さっきから球投げばっかりで飽きてきたのよ。あなた達があまりにも下手だから」

「な、なんだって……」

 理樹は愕然としながら、佳奈多にバットを差し出した。

 悔しそうにピッチャーグローブをはめて、マウンドに向かう。

「一本だけだよ! 僕の球を打ってごらんよ!」

「いいけど適当に投げなさい。打つのも久し振りだから」

「ふっ……いいだろう」

 理樹は眼に炎をめらめらと燃やしながら、片足を空中に高く上げた。

「どっりゃああああああ――――――っ!」

 限りなく本気(マジ)であった。

「……っ!」

 佳奈多はジャストのスイングで、カァン――と、打球を高く打ち上げた。

「うそぉーん……?」

 佳奈多は手で(ひさし)を作って、その打球の行方をじっくりと追った。

「ホームラン、かしら……」

 理樹はグローブをマウンドに取り落として、がっくりと膝をついた。

「ばっ、馬鹿な……」

「おい理樹! オレにもやらせろ!」

「うっ、うん! お願い、頼んだよ!」

 結果は同じだった。

「うそぉぉぉぉ――――っ!」

「ふっ……」

 佳奈多はくだらなさそうに後ろ髪をひるがえした。

 どうやらとうとう自分の実力に気が付いてきたようである。

 ここから佳奈多の本領発揮だ。

「あらあら……どうしたの? これでおしまい? 勝負は私の勝ちでいいかしら? だったらそれぞれ二人に一つずつ命令ができるはずよね」

 青い顔をして二人が佳奈多のことを見た。

「命令その一、直枝、あなたの薄汚い女装写真を見てやるわ。出しなさい」

「はイッ!」

 ガリッ、と歯が砕ける音がした。

「命令その二、あなたのそのとても迷惑な筋トレ、私の視界で二度としないで」

「イエッサー!」

 涙が血の色に変わっている。……

「へぇ……ほうほう……ふ、ふぅん……」

 真人から手渡された直枝理樹秘蔵女装写真(ブレザー版)を見て、佳奈多は目を見開き、それから頬の上あたりを赤く染めて、眼を細くした。

 二枚目に移る。二枚目はワイシャツを半分だけはだけている写真だ。ワイシャツの下が艶やかな白肌になっていて、奇跡的に胸の部分が隠されているので、想像がうまくかき立てられるうまい写真である。

「うっ……」

 口を押さえて、まじまじと見つめる。

 理樹がグラウンドの向こうで夕陽に目を向けて体育座りをしている。

 三枚目はパンチラの写真だ。もちろん男物のトランクスだが、懸命にスカートを押さえようとしている姿が、性的な興奮を促す。

「や、やばっ……」

「ねえ、何がやばいって? お願いだよ教えてよ佳奈多さん!」

「こっ、これはとうてい歯留佳には見せられないわね……」

 赤い顔をしてそれをジャージのポケットにしまう。

「うっ……うう……ひどいよ」

「安心なさい。直枝。このことは誰にも言わないから。この日の記念にするだけよ」

「それが僕にとっては色々と致命傷なんだけどっ! この日の記念なんかにしないでよぉぉぉぉ――――っ!」

 佳奈多は泣き叫ぶ理樹を無視して、野球ボールをバウンドさせる。

 宙に投げ、それを掴む。

「さあ、もう一回やろうかしら? 今度はどんなことをしてくれるのかしら? 直枝」

「ちょっと待って! 真人はまだ何もしてないよ! 真人のことはどうするの!」

「何を言っているの。彼はもう罰を受けているわ。永続的な罰よ」

「そうだぜ。理樹。オレはこれでも徐々に精神的ダメージをだな……」

「そんなの知らないよっ! くっそぅ……こうなったら僕が二人に引導を渡してやる! サッカーで勝負だっ!」

「いっ、たぁぁぁぁぁ――――!」

 理樹が真人のシュートを手で弾きながらも、勢いは止められない。そのままゴールの中に吸い込まれていく。

「よし二木、おまえ、三枝の真似をしろ」

「絶対にイヤ」

「そんな拒否るなよっ!? 勝ったのはオレだろ!?

 二回戦。サッカーボールで1on1。ディフェンスを抜き去って、キーパーとの勝負を制したほうが勝利のポイント制である。

 五回勝負で真人の勝ちになった。

「いいからしろよ。勝者の決定は、」

「くっ……絶、対……」

「よぉーし!」

「佳奈多さん、それでいいのっ!? なんだかどんどん悪い空気に染まっている気がするけど!」

「うるさいわね。こうやって自分も公平に罰を受けること。それが人の上に立つ者に必要なことなのよ」

「言っていることは立派だけど行動を見る限り馬鹿だよ!?

 佳奈多はポニーテールに結っていたゴム紐を取って、それを器用にツーテールに結い直した。そうして前髪を若干いじると、もうすっかり妹の三枝葉留佳の姿になった。

「これでどう? 井ノ原」

「すげぇ……」

 真人は素直に感嘆していたが、理樹は

「すごく、シュールだよ……」

 心に大きなショックを受けていた。

「葉留佳さんがそんなクールな雰囲気でいるなんて、今まで見たこともない……」

 クール、というところに反応したのか、佳奈多は照れた。

「べ、別にどうってことないわ。姉妹なんだもの。それに双子だし。どっちも多少似てるってことよ」

「え? それって、葉留佳さんもクールなところがあるってこと?」

「……」

 佳奈多はだまった。それについては言葉を選ばずそう軽率に話せないようである。

「クール、というかね……すこし気難し屋なところがあるかもしれないわ」

「へええ」

「逆に、おまえも馬鹿っぽいところがあるってこったな」

 真人が仲間を見つけたとでも言わんばかりに嬉しそうに笑う。

「馬鹿? はあ……あなた、おめでたいわね」

「ありがとよ」

「真人、別に褒めてないから」

「あの子は演技をしているのよ。それがあの子の本当の貌じゃないわ。取り繕った仮面なんだから……」

 佳奈多は事情を知っているふうに、冷たく、そしてややつらそうに、そう話した。

 理樹はそんな佳奈多のちょっと意味深な物言いに、首を傾げた。

「そうかなあ……? まあ、人間誰でも人前では態度を変えるもんだけど」

「そういう意味じゃないわよ」

「まあ、三枝のあれは半分本気っぽいけどな」

 確かにその通りだ。

 葉留佳の天然ボケは、たとえ仮面だとしても、もうそれは、真の仮面――葉留佳の本当の性格になりつつあるのだ。それを真人は知っていたから、佳奈多がそれを意外に思うのも無理はなかった。

「あなた……」

「ん? どうした?」

「い、いいえ。別に……。さあ、まだ直枝への命令は残っているわ。あなたは何を命令するの?」

「そうだなあ……。よしっ! 決めた!」

 真人は理樹に「ビシッ!」と指を突きつけて、

「命令を一個から二個に増やせ!」

「絶っっっっ対に嫌だよ!」

 それだと僕は永久に真人の言うことを聞くことになるじゃないか! と理樹は言った。

「かてぇこと言うなよ。べつに、オレの食券分を肩代わりしてくれとか、そういうことでいいんだからよ」

「なんで!? どうして僕がこれから真人の食事代を払い続けなきゃいけないの!?

「直枝。これは命令よ。従いなさい」

「それを言うなら佳奈多さんだって命令に従ってないじゃないか! いい、これは『葉留佳さんの真似をしろ』だよ? 口調とかも真似てもらわないと!」

「あら。そんなことでいいの? じゃあ……こんなんでいいですカ?」

「えっ……」

 いきなり声が変わった。表情も、話し方も、すべて。

「やはは」

 照れ臭そうに頭を掻いている。

 理樹たちは絶句していた。

「もうっ。そんな黙られると困りますヨ」

「……役者だ……」

「三枝だ。三枝がここにいるぜ……」

「なーに言ってるんですか真人君。わたしは正真正銘、姉の二木佳奈多ですヨ?」

「ちくしょう! いつの間に入れ替わったんだ二木の野郎! 卑怯な真似しやがって!」

「そんなわけないでしょう? 頭の中に虫でも湧いた?」

「……」

 再び絶句する真人と理樹。

「はあ……。こんなことで騙されるようじゃ葉留佳も大変ね。いまいち頼りにならない男共だわ」

「り、理樹ぃぃぃぃぃぃっ!」

「ま、真人ぉぉぉぉぉぉっ!」

「これ、目の錯覚じゃねぇよな!? ここ、現実だよな!?

「うん、そうだよ、現実だよ真人! 大丈夫だよ! もう大丈夫だからね! 何にも真人は悪くないからね!」

「だよな、理樹! うおぉぉぉぉぉ――――っ!」

「何なのよ……」

 一人変な顔をしている佳奈多であった。

 

 結局理樹の罰ゲームは二回だけ食券をおごることとなり、次ゲームが開始された。

 バレーボール、鬼ごっこ、かくれんぼ、筋肉さんがこむらがえった(?)など、数多くの競技が繰り広げられ、おのおの、絶対の命令によって順調に心に深い傷を負っていった。……

 そうしてゲームを続けていると、日も暮れて薄暗くなった。

「はあ……。だいぶ遊んだね」

「そうだなあー。オレはまだまだいけるけどな」

「もう真人の顔もよく見えないけどね」

 暗くなった学校。ここまで人の少ない夕暮れは久し振りだった。

学校の裏山からひぐらしの鳴く声が聞こえてくる。シリリリリリ……と。

「あー。でも楽しかったな。久々によ」

「そうだね。久々に」

 今日はめずらしいゲストもいたし、と、理樹は佳奈多のほうを見る。

 すると佳奈多は、暗闇の中、校門のほうを見つめているのがわかった。

「どうしたの? 佳奈多さん」

「向こうに誰かいたような……」

 校門のほうで何かが光ったというのである。

「きっと気のせいね」

 こんな夜遅くに学校を尋ねてくる者なんていない。佳奈多は腕を上げて背筋を伸ばしながら、あくびをした。

「ふわぁ〜あ……くたくた。こんなにくたくたになったのは夏休みが始まって以来だわ。しかも委員会や寮会の職務なしに、こんな遊びで……」

「スカッとしたろ?」

「どうかしらね……」

 今日で佳奈多のリトルバスターズの仮入団も終わる。

 それからどうするのかは、まだ決まっていない。

 佳奈多はどうするのだろう。

「ねえ佳奈多さん、佳奈多さんは実家には帰らないの?」

「実家?」

 佳奈多は声を強張らせた。

 どうしたのだろう。

 やはり何か話しにくい事情などがあるのだろうか。と理樹は思った。

「そうね……。やっぱり、色々迷惑かけるから、帰れないのよ。自分で身の回りの世話するのも、社会に出るための勉強だと思ってるし」

「おまえ、両親とかは許してくれてんのかよ、それ?」

「許してくれているもなにもないわ」

 本当は何も話し合っておらず、半ば家出状態なのだが、佳奈多は黙っていた。

「どういうこと?」

「私からの希望なのよ。実家に戻ると、色々やんなきゃいけないこともあるし、それに、私って妹にべったりくっつかれるの苦手なの」

 佳奈多は葉留佳に非常に好かれていた。

 まるで今までいがみ合っていた分の埋め合わせだと言うように、葉留佳は積極的に佳奈多とスキンシップを取りたがった。佳奈多は「暑苦しい」と言いながらも、決してそれを嫌ってはいなかったはずだ。

 だから、それは――、

「私はね、あの子の邪魔をしたくないの」

 身を引くという優しい姉の心遣いだった。

「邪魔、って?」

「言葉の通りよ。……悪いわね。もうこれ以上うまく説明できそうもないわ」

 真人が、「理樹」と小さく耳打ちして、(もうこれ以上聞いてやんねぇほうがいいぜ)と言葉の裏の意味が伝わってきたので、理樹は、

「そう。……わかったよ。誰にでも説明しにくい事情ってあるよね」

「そうね」

 馬鹿なことを言いながらも、佳奈多はくすりと、ほっとしたように微笑んだ。

「それなら、ずっと夏休みは寮にいたんだね」

「そうでもないわ。私、この前まで予備校の夏期講習に泊まりがけで行ってたから、今まではずっと向こうの合宿所にお世話になっていたのよ。この前期限が切れて、寮に戻ってきたの」

 なるほど。それで理樹はずっと佳奈多を見なかったわけだ。

「どうでもいいけどよ、オレ腹減ったよ。そろそろ飯でも食いに行こうぜ」

「ところで真人はどうして僕のところに来たのさ。実家は?」

「ん? べつにいいじゃねぇかそんなもんはよぅ。オレ図体でけぇから、家にいっと迷惑なんだよ。おふくろと親父には後で連絡しとくから、今日からオレも寮に泊まらせてくれ」

「ええっ! そんな……」

 僕のハッピー一人タイムが……まだあの漫画もあのゲームも攻略してないのに……、と理樹は内心思い悩んだ。

「んだよ。そんなにオレとの同棲生活が嫌かよ」

 そして馬鹿の真人はとんでもない語法の間違いをした。

「って真人! それの使い方究極的に間違ってるから!」

「ん? 間違ってねぇだろ。同棲は同棲だ」

「絶対に違うからぁぁ――――っ!」

 シャワーで全員汗を流し終えた後、三人は再び食堂に集まった。

「仲がいいのね……」

「よくないって!」

 佳奈多は開口一番そんなことを言った。……もちろん、肩に回されている真人の腕を見てのことである。

「ちょっと待ちなさい直枝。そんなこと言われてみなさい。相手が傷つくことがわからないの?」

「本気で誤解していると思うんだけど、僕に弁解の余地はあるのかな」

「だから、照れないでいいって言っているでしょう? ほとほとデリカシーのない男ね」

「だからデリカシーのないのはそっちじゃないか!?

 佳奈多のちょっと残念そうな顔が、理樹の心に再びナイフを切り入れる。

 シャワーを浴びてきたからか、佳奈多の頬は少し紅潮している。

「見苦しいことこの上ないけど、性の価値も多様化の一途をたどっている現代の日本……これぐらい許容できないようでは風紀委員会の名折れね」

「そこは禁止してよ!? 風紀委員長としてそれはまずいよ!?

「ふん」

 佳奈多のかすかな微笑み。どうやら、からかって遊んでいるだけらしい。

 そんな色っぽく笑う彼女の顔が、とても魅力的で、理樹はすこし困惑した。遊んでいる間は葉留佳と似ている似ているとばかり思っていたが、ここに至ってやはり姉の佳奈多は葉留佳とは異なる魅力を持っていると思う。

「あ、からかったね?」

「どうかしら。……ま、夏は色々と人を開放的にさせるから、しかたないんじゃないかしらね」

「そうだよね。仕方ないよね……。夏だからね」

「あなたがね」

「むろん佳奈多さんがだよっ!」

 この物騒な話題を持ち出した真人は我関せずとカツカレーをばくばくと食べている。こいつは一回粛正したほうがよさそうだ。

「はあ……もう疲れたよ……」

「ずいぶん運動したし、当然ね」

「うんまあ」

 と、ようやく理樹は落ち着いて、いつもの調子を取り戻せた。

「今日はごめんね。勉強に集中したかっただろうに」

「はい?」

 と、佳奈多は予想外だったのか、目を丸くして、それから、

「なによそれ」

 とおかしげに笑う。

 今度は理樹が困惑する番だ。何故?

「え、えっと……おかしいとこがあったかな?」

「馬鹿にしているのかしら」

「ばっ、馬鹿になんかしてないって!」

「嘘よ。冗談」

 おかしくってたまらないという顔をしながら、佳奈多は、笑いを堪えて言う。

「あなたの方から誘ってきたくせに、相変わらずいいかげんな男ね」

「あっ」

 理樹は顔が赤くなった。

 なんだか、佳奈多の「誘ってきた」という言い方が妙に色っぽかったからだ。

「ま、今日はそれなりに気分転換になったわ。無駄になった時間は多少あったでしょうけどね」

「うう」

 彼女の辛辣な言葉はそれでもまだ生きている。

「それでも、わたしは、――」

 彼女がそう言いかけたときだ。

「あっ、お姉ちゃ――んっ!」

 葉留佳の声が聞こえた。

「えっ?」

 葉留佳……、と呟きながら、佳奈多は振り返る。

 と、その直後、佳奈多に後ろから抱きつく私服姿の葉留佳がいた。

「うぐむっ」

「お姉ちゃんっ! もー、こんなとこにいたの!? 部屋に行っても誰もいないんですもん!」

「は、葉留佳……苦しい……」

「あっ、ゴメンゴメン!」

 やはは、と笑いながら体を離し、頭をかく。

「あれ、三枝?」

 カツカレーから目を離した真人が、目を丸くする。

「あ、葉留佳さん」

「いよっ! 理樹くんに真人くん! 相変わらず仲がいいね!」

「ごふっ」理樹はお茶を噴き出しそうになった。

 相変わらず色々と何かをぶち壊していく娘だ。

「でしょう? 私としては、風紀を乱す存在を監視する仕事で手一杯よ」

「ホホウ。それはドンナ?」

「イロイロ」

「ホホウ。イロイロ……」

「ちょっと待って、佳奈多さん! 葉留佳さん!」

 葉留佳が目を丸くした。

「おヨ? いつの間にお姉ちゃんと理樹くんが仲良く? 下の名前なんかで呼んじゃって」

「さあ」

 彼女は顔を逸らして肩をすくめた。葉留佳に勘づかれてはまずい。別になにもないんだけど。と佳奈多は思う。

「何度も言うけど誤解だからねっ! 僕は真人とは何にもないから!」

「もうすでにその言動が誤解を招く言動ですヨっ! いよっ、ラブラブバカップル!」

 ラブラブバカップルとは褒めているのかけなしているのか非常に疑問な単語である。脈絡ゼロ。

「はあ……もう、何を言っても無駄だと思うから、あえて何も言わないけど……」

「ところでどうして戻ってきたの、葉留佳?」

 佳奈多はお茶を飲みながら尋ねる。

 葉留佳は旅行鞄を床にどすんと置いて、佳奈多の隣の席に腰かけた。

「いやぁー、だって、お姉ちゃん夏期講習終わったのに全然戻ってこないんですもん」

「はっ、葉留佳っ……」

 佳奈多がおろおろとする。

「それにちょうどはるちんも長期休講になって課題をいっぱい出されたから、お姉ちゃんと一緒にやろうと思って」

「あ、ああ、そう……」 

 佳奈多は理樹と真人と葉留佳の顔をそわそわと見比べる。

「というわけでこれからしばらくの間お姉ちゃんの部屋に泊まりますネっ!」

「え、ええっ!」

「ム……どうしてそんなに驚くんですか。さては……なぁにかはるちんに隠していることがあるなぁ? どうせお姉ちゃんのことだから自堕落な生活なんでしょうけどネっ!」

「葉留佳……ちょっと、いいかしら……」

「え?」

 佳奈多が葉留佳の肩を掴んで立ち上がる。

 連れられていく葉留佳。

 向こうで、

「いやあのっ、今のははるちんの冗談で……」

「言い訳は――、――というのは知っているかしら? ところで――」

「ああわかった! わかったから私の髪を引っ張らないで!」

 という会話が聞こえてきていた。

 ずずずっ、とそばを食べながら、理樹はなんとなく深入りしない方がいいと決めた。

「うう……」

「失礼したわね。直枝」

「ううん……」

 涙を浮かべて帰ってくる葉留佳の姿に、理樹はちょっと背筋が寒くなった。

「自堕落っていいますけどね、あなたの生活のありさまを人に押しつけるのはよくないわよ、葉留佳」

「はい……」

「あなたと違って、私は品行方正、清潔で真面目な学園生活を送っているんだから、余計な風評を流されると困るのよ」

「はい……」

 どこがだよ。と真人は呟いた。

 理樹も、彼女のジャージのポケットに入っている自分の女装写真を佳奈多の持ち物として全校生徒に知らしめてやりたいと思った。……自爆するだけなのでやらないが。

「呆れた妹ね、まったく。こうやって連絡もなく突然戻ってきて……」

「だって」

 口をすぼめる葉留佳。

「お姉ちゃん、私が寮に行くって言っても、どうせ『あなたは実家にいなさい』って言うと思って」

「そんなことないでしょう。別に……いつでも来ていいのよ」

 佳奈多はすこし顔を赤くしながら、素っ気なく言った。

 葉留佳は顔を輝かせて、

「ほんとっ!? お姉ちゃん!」

 真横から抱きついた。

 慌てた佳奈多は顔を真っ赤にして、箸を取りこぼしてしまう。

「あーっ、もう!? 何するのよ!? 落っことしちゃったじゃないのよ!」

「だって〜……えへへ。お姉ちゃん大好き」

 理樹は佳奈多から目を逸らした。なんだか見てはいけない光景だと思ったからである。ちなみに真人は咀嚼しながら直視していた。

「ちょっ、……あなたって、本当に馬鹿な妹ね……おちおち食事もできないじゃない。まったく……」

「あっ。お姉ちゃん、どこ行くの?」

「新しいお箸をもらってくるわ。葉留佳、何か飲む?」

「うん! じゃあ、オレンジジュース!」

「私はお茶か水かどっちがいいって言ったのよ!」

 がなる佳奈多に葉留佳は微笑む。「どうして私が百円出さなきゃいけないのよ!」といいながらも、すごすご自販機に向かう姿は微笑ましいものであった。

 姉がいないのをこれ幸いと、葉留佳は食事中の二人に向かって話しかける。

「久し振りですネ、理樹君、真人君」

「おーう」

「うん。久し振り」

「姉のことですけど、迷惑かけてませんでした?」

 苦笑しながら言う葉留佳。二人は目を見合わせた。

「そんなことなかったと思うぜ? まあ、言い方がたまにムカつくことがあるが」

「うん。別にたいしたことはなかったと思うよ。僕の大事なものが没収されたこと以外は」

「そうですか」

 葉留佳は二人の言葉(とくに後半)に姉らしさを感じて、ほっと一息つきながら、苦笑いした。

「じつは、ずっと心配してたんですヨ。寂しくないかって」

「ほお」

「お母さんとかお父さんが、実家に戻ってこないかって何度催促しても、『私は寮で暮らす』の一点張りで……本当はお姉ちゃんも、みんなと一緒に暮らしたいはずなのに……」

「いろいろな事情があるんだって、なんとなくは知ってたよ」

「うん。……すごく、とんでもないくらい複雑な事情」

 葉留佳は寂しそうな顔をしながら、理樹をじっと見つめて、それから、徐々に笑顔になった。

「その話は、いつか、ね」

「うん。別に、今すぐ聞こうとは思わないし。ね、真人?」

「おう。そうだな」

 うなずく真人に、葉留佳はほっと一息ついた。

「あっ、お姉ちゃんが戻ってきそう」

 ふと自販機のほうを振り向いて、姉の帰還を確認する。

「ところで聞いておきたいんですけど、お姉ちゃん、ちゃんと元気だった?」

「へ?」

「お姉ちゃん、ちゃんと、元気だった?」

 時間がないことを焦ってか、葉留佳が言い聞かせるように言葉を句切って言う。

 理樹たちが返事をする前に、佳奈多が戻ってきてしまった。

「葉留佳。いったいさっきから何を二人と話しているの?」

「あっ、お姉ちゃん。あざーっす! いただきます!」

「せっかく買ってきたんだから、あとで私にもよこしなさい」

 投げられた質問はうやむやにされ、葉留佳が今度は別の質問をする。

「ところで三人とも、今日はなんかしてたんですか? なんだか当たり前のように卓を囲んじゃってますけど」

「えっ」

 佳奈多の上擦った声。

「た、卓ってねぇ、あなた……」

 と、微妙なところでつっこみを入れる。

 理樹は苦笑いしている。

 佳奈多の動揺が面白いのではなくて、

(何を言っても文句を言われそうだ……)

 との懸念のためである。

 そんな中、食事をちょうど終えた真人がお茶を飲み、「ふぃー」と溜息をついてから、言った一言。

「二木はよ、もうちょっと笑顔になれば、妹を心配させなくて済むようになると思うぜ」

 なんて、空気の読まない一言を投下したのだった。

「えっ」

 と、佳奈多が硬直したのはもちろん、

「え、え」

「え、え、え〜」

 と、理樹や葉留佳も、眼を瞬かせる。しかし片方葉留佳は、徐々に意図がわかって、にんまりとしていたが。

「あ、あなたって人は……」

 佳奈多は顔を赤くして目をつり上げている。

「あなたのようなお馬鹿さんに心配される筋合いはないわ。とんでもない独善者ね」

「理樹、どくぜんしゃって何だ?」

「真人の褒め言葉だよ、きっと」

「違うわよ!」

 佳奈多は怒りながら真人の肩を揺さぶったが、本格的な軽蔑にはいたってないようだった。それというのも、真人の一言が妙に自身の懸念と合致していたからだ。……

 それだから、嬉しかったのだ。単純に。

「もう二度とそんなことは口にしないで。吐き気がするわ」

「理樹、まずい。オレ、二木のリバース(注:嘔吐物)を目撃しないといけないらしい。どう謝ったらいいんだ!?

「そんなことは未来永劫する気ないから安心なさい!」

 ぺちっ、と頭をはたかれる真人。

 そんな二人のやり取りを見ていた理樹と葉留佳がおかしさに声を上げて笑った。

「なんかすごく仲良しになってますネ。なにかお姉ちゃんとの間であったんですか?」

「うん。それがね、佳奈多さんがリトルバスターズに仮入団するっていう――」

 リトルバスターズ。

 夏の間だけのおかしな新チームの騒動は、まだまだ終わりそうにはない――。

  おわり

 

 

 あとがき

 

 今まで本当にお待たせしました。

 続編を小出しにしていくようだったら、いっそのこと完結までさせてしまえ、という僕の独断によって、読者様のお目にかけるのがこんなにも遅れてしまい、申し訳ありませんでした。

 リトルバスターズのSSを読みたい、とメッセージをもらったのがついこの前のこと。

 そこから構想がもりもりと湧き出し、一日かけておおかたのシナリオを考え、筆に起こしたのが始まりでした。

 最初は原稿用紙に書いていたのですが、途中からワード一本にシフト。

 途中で多くの本を読んだり、執筆方法を変えたり、さまざまな試行錯誤を経てきた作品でした。

 僕にとっては、本当に久しぶりに、完結までもっていけた作品でもあります。

 僕にとって、どういう形でもいい、自らの納得のいくやり方で、とにかく完結させる、ということが、近頃の目標でもありました。

 こういった形で区切りをつけることができて、とてもよかったと思っています。

 

 また機会があればリトルバスターズの話を書くかもしれません。

 予定は未定、ですが。

 オリジナルの話はもりもり書いていきますので、そちらのほうもよろしければご覧くださいませ。

 

 5月8日深夜 どむとむ

 

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