オレたちは日曜日に、遅い朝食を取ると、食堂に集まった。

 ぽつぽつと雨音が聞こえてくる、小雨の日であった。

 気温が下がり、うすら寒い日だった。

 食堂の薄白い蛍光灯が元気なく輝いている。

「さて。劇の本番まで残すところ一週間となった。この間にだいぶ時間を消費しちまったな。各自、それなりに準備はしてきたか」

「はい、きょーすけさん」

 小毬が手を挙げる。

 オレはそちらのほうを見て、すこし悲しい気がした。

「なんだ、小毬」

「いちおう私、たぬきさんの役だから、たぬきさんになりきれるように、ぽんぽこぽんぽこ、って歌う練習はしていたんですけど、」

「あ、そういう練習だったの……」

 理樹がすかさずつっこむが、小毬はそのまま意見を続けていく。

「物語の感じとして、どんな性格のたぬきさんになるのか、わからないから、練習といえばそれくらいしかできなかったんだけど〜……」

「問題ない。そこまで熱烈に深い演技をする必要はない。脚本家もまさかプロの演技ほどには求めないだろうさ。なぁ、来ヶ谷?」

「無論だ」

 来ヶ谷は冊子にした脚本を十枚分机の上にぱさりと投げ、腕を組んだ。

「私がただ楽しむために書いた脚本だからな」

「それ、問題なんじゃ……」

 理樹はやっぱりつっこむが、暗黙の了解で、スルーされる。

「一応全員目を通しておいてくれ。そこまで長くない話だ。……さて、その後はそれぞれグループに別れて活動するぞ。来ヶ谷、おまえはおれと一緒に行動。裏方役と、出演役との調整に当たるぞ」

「承知した」

 来ヶ谷が恭介のほうに寄っていった。

「一度、解散する」

 恭介は続けていった。

「出演組のリーダーは理樹。みんなをまとめろ。なにか脚本や演出方法などで気になることがあったら話を聞く。裏方組の長は、おれだが、当分は三枝が指揮を執ってくれ。おれはちょっとこれから来ヶ谷と幼稚園の先生方のところに打ち合わせに行ってくる」

「わかったよ」

「あいヨー!」

 理樹たちが返事をすると、恭介と来ヶ谷は食堂を出て行ってしまった。

 さて、居残った連中は、恭介に言われたとおり、出演組と、裏方組に別れた。

 オレたちはまず脚本に目を通した。

「これ、まだ完全な台本じゃないんだよね?」

 理樹がそういうと、鈴が「そーなのか?」と尋ねた。

 謙吾が答えた。

「厳密にはな。恭介の言によると、おそらくこれから多少の改訂が加えられるのだろう。おれたち全員の意見を聞こうというわけだな。おそらくもうそこまで時間はないだろうが」

「でも、すごいよ、これ〜。ものすごく綺麗にまとまってるよ〜」

 小毬が脚本を開いて、みんなに見せるように持って、いった。

「うむ。悔しいが、普通にページをめくっていても結構面白いな」

「可愛い感じを出しつつも、それぞれ配役の人の個性を考えていて……さすが来ヶ谷さんだよ。これはあの人も十分楽しそうだ」

「あの人の才能は、文芸にまであるのですね」

 西園や理樹たちがしきりに感嘆していた。謙吾も同様だったが、活字に慣れていないオレなんかには、読んでる途中で頭が痛くなるだけで、面白いと感じるどころか、自分のしゃべるセリフとその前後のシーンぐらいしか頭に入れることができなかった。鈴もちんぷんかんぷんであるようだ。

「いちおう、最後まで読んだぞ」

 鈴が疲れた顔でいった。

「わ〜。『ぼくたぬきちですっ。ぽんぽこぽんぽこ。お腹がなるよ〜。お腹いっぱいだぁ〜』だって。か〜わいい〜♪」

 小毬は楽しそうにセリフを朗読していた。

 なんだかオレは、拍子抜けしてしまって、すこし安心したが、やはり腹の底にはちょっとした不安があった。

 小毬、距離が空いたままなのかなぁ……。

 話しかける勇気が出ねぇぜぇ……。

「うおぉぉ……『おれ、謙吾。剣道三段だ。ふっ、オレの半径二メートル以内に近づくなよ。切っちまうぜ。この新聞紙ブレードでな……』って、なんでおれは本名と本人の特徴モロだしなんだ――っ!?」

「あっ、ほんとだ……」

「私含め井ノ原さんまで専用の独創的な名前が用意されているのに、宮沢さんだけこうとは……来ヶ谷さんの愛を感じますね」

「どこまでふざけているのだ、あいつはっ!?」

「シュールだねぇ……」

 謙吾の惨憺に関わらず、役名とセリフはそのままで取りあえず続けられることとなった。

「真人。シーン1だと、小毬さんの次に真人の登場のセリフがあるよ」

「お、おう。……んーと、『がおぉ――! おれさまの縄張りに入っているやつはだれだぁぁ――! 筋トレ、てめぇにもさせるぞぉぉぉ……それがいやだったら、木の実を置いていけぇぇー!』……って、オレまで微妙に本性が出ている!?」

「あははは。真人らしくっていいじゃん」

「おまえ、かたき役なんだな」

 鈴に若干からかわれるようにいわれる。

 オレは、なんだか悔しかったが、べつにこの役にたいそうな不満はなかったため、とくに怒って反論はしなかった。

「へん、そういうてめぇこそ役はいったいなんなんだよ?」

「聞いておどろけ……あたしの役は、なんとたぬきちくんの親友だ!」

「おお〜! 鈴ちゃん、お友だち〜♪」

「やったな、こまりちゃん!」

 女の子同士、二人手を取り合って踊りあっている。

 ちっくしょおぉぉぉ……オレがそのポジションをやりたかったぁぁ!

 鈴のやつめ! 運がいいやつだぜぇ……!

「そんで! 理樹の役は、どんな感じなんだよ!?」

「……脚本、見ればわかるよ……」

「ん? なになに、エイリアン……宇宙王、美空ひばり、四十五歳。りすのりんたろうの奥さん。――ってなんだこりゃ! だははははははははっ! 意味不明、すぎるだろ! わははははははは!」

「……あ、あははははは……」理樹も力なく笑う。「もう、黙って全部受け止めることにしたんだよ……」

「しかし、待て、理樹」

 謙吾がとっさにフォローする。

「美空ひばりは、じつは体内に超強力レーザーを隠し持っていて、悪の暴君クマッチャビンを倒すのにすごく役だっているぞ!」

「べつに全然嬉しくないよ! いや、エイリアンだからそういう展開は予想していたけどさ!」

「美空ひばりに対して、いえ、本物の、という意味ですが、これはかなり失礼ではないでしょうか」

「理樹、あとで名前ちょっと変えてもらえ」

「そうするよ……あんまりにもこれは、ひどいからね……」

 理樹は力なく項垂れていた。

 残るは西園の役回りとなった。

「ところで西園、おまえの役はどんな様子だ?」

 謙吾が西園へ問いかける。

「私ですか」

「小鳥の役。名前はみどりちゃん。帽子がトレードマークで、やや斜に構えている……とあるが、なんだかこれだけじゃよくわからんな」

「私は、」

 西園は、一つ一つの言葉をじっくり考えるように、ゆっくりしゃべった。

「物語の、ナレーター係のようです。小鳥である私が各場面に飛んでいって、シーンが展開していくようです。私が子どもたちの目となり、声となる。悪の親玉クマッチャビンとの戦いを子どもたちと一緒に応援します。私のしゃべるセリフもありますが……これは……」

 西園は、なぜか言葉に躊躇した。

「……あとで、来ヶ谷さんにセリフを変えるよう進言しましょう」

「あれ? 気に入らなかったの? 結構軽快なしゃべり方だったから、いやだった?」

「いやというか、私にはどうも無理そうです」

「そうかな?」

 西園は、すました顔で、脚本を閉じ、とんとん、と机の表面で紙の角を叩いた。

「名前のほうも。……これはどちらかというと、ちょっといやですね。私にはもうすこし静かな影のような名前が似合うのです」

「そうかなー」

 理樹はやたらと不審そうだったが、西園というやつも、結構好みにうるさいやつだった。それは今さら驚くべきことではなかった。

「そろそろ、練習を開始しましょう」

「と、いうか……結局おれの名前はこのままなのか!?」

「来ヶ谷さんに言えば変えてくれるんじゃないかなー。でも、謙吾の場合は断られそうだけど。なぜか、来ヶ谷さんの愛がそこだけに異様に感じられるから――」

「んな愛いるかぁぁぁ―――っ!」

 謙吾が絶叫する。理樹たちは笑っていた。

 オレは、一呼吸置いて、まじまじと自分の喋る箇所を眺めた。

 っつーか……オレ……かたき役だったのかよ。小毬とも闘うんじゃねーか……まじか。いやだなぁ……。

 みんなとも闘うんだなぁ。

 一対四か。西園だけはナレーター役だから、数には入らねぇとして。

 小毬……。

 小毬と話す機会、ねぇかなぁ……。

 どうにかして、この気まずい距離感を元の距離に戻してーよ……。

「さて、それじゃあ始めよう!」

「直枝さん。まずは、セリフをはっきりと大声で言えるように練習をしましょう。ひとまず人形は置いておいて」

「そうだね。じゃあ、まず、シーン1から、セリフ見たままでいいから、一人一人順番に喋っていこう。発声練習したときのことを思い出して!」

 オレたちは、各自脚本を持って、自分のセリフを、はっきりと喋っていった。

 途中でこんなところがあった。

「『えーい。りんたろうくん! あのクマッチャビンは強いよ。森の親玉で、悪のくまくま山賊団のリーダーなんだ! みんなあいつらのことはいやがってるけど、強いから、あんまり逆らえないんだ!』」

「『ふん。たぬきち、おまえは臆病なやつだな。あたし……いや、おれさまのこの巨大どんぐり・西乃村正さえあれば、あんなやつはすぐ倒せるぜ!』」

 鈴と小毬はオレの縄張りへと二人してやって来る。そういうシーンであった。

「『やいやいやい! 出てこい、くまくま山賊団! この新しい森の住人、りんたろうさまが、悪いやつらはみーんなやっつけてやる!』」

「『が、がんばって! りんたろうくん!』」

 オレは、声を溜めて、なるたけ大きくセリフを読んだ。

「『ぐおぉぉぉ……。オレ様の眠りをさまたげるやつはどこのどいつだぁぁぁ……!』」

 のっしのっし、と悪の親玉クマッチャビンが、森の奥から出てくる、と次の箇所に書いてある。

 オレはりすのりんたろうを発見する。

「『へっ。なんだ、おまえは? 見ない顔じゃねぇか……。生意気にも、オレ様に刃向かうってのか? おもしれぇ、ここの一番の強いやつが、いったい誰かって教えてやるぜ!』」

「『負けるかぁぁ――――っ!』」

 オレはりんたろうとしばし対戦する。

 ここは取っ組み合いをするだけでいい、と書かれてある。

 しかし、ここで勝利するのはオレだ。

 りすのりんたろうは、武器の西乃村正を取り上げられて、蹴っ飛ばされる。

「『うわぁー!』」

「『へん、それ見たことか! 今後はオレ様に逆らおうなどとは、夢にも思うなよ。それっ、そこに隠れている弱虫のたぬきちも同じことだ! 罰としてこれから腕立て百回、腹筋百回、スクワット三百回、これを三セット続けろう!』」

「『うわぁーん、りんたろうくーん!』」

 たぬきのたぬきちが駆け寄る。

 ここで西園のナレーションが入る。

 先ほどのセリフが気に入らないという件があったため、なんとここは西園のアドリブだ。

「『さて、なんとしたことでしょう。りすのりんたろうは、勇気あるものでしたが、むなしくもやられてしまいました。しかしまだもう一人、たぬきちくんが残っています。たぬきちくん、逃げないで! あなたは友だちを置いて逃げてしまうのですか!?』」

「『う、ううぅ……』」

 小毬はよく上手に役に入っていて、怖がる声を上げている。

 そして、ここでたぬきちは、りんたろうのことを庇い、オレとりんたろうの間に割って入る、ということになっている。

「『や、やめろー!』」

「『へん、てめぇはなんだ? この弱いやつを守るってのか? 逃げたらよかろうによ。逃げるんなら、おまえだけは筋トレするのを許してやるぜ!』」

「『に、逃げないっ!』」

 小毬はオレに向かって叫ぶのだった。

「『りんたろうくんはぼくの友だちだ! ぼくは、おまえなんかに負けない!』」

 オレは、小毬に向かって叫んだのだった。

「『るせぇ! 弱いやつがまた弱いやつを守るってか!? くだらねぇ、オレにやられちまえー!』」

 小毬は、オレのパンチの一撃で、簡単に吹っ飛ばされる、と書いてある。

「『わぁー!』」

「『出直してきな!』」

 オレは、たぬきのたぬきちと、りすのりんたろうをこてんぱんにやっつけて、森の奥へ入っていく、とある。

 こんなことがあった。

 完璧なかたき役だ。

 この物語の面白いところは、かたき役のオレがなかなか強いところだ。

 簡単な勧善懲悪のストーリーになっていない。

 しかし、物語が進むと、りすのりんたろうやたぬきのたぬきちが、さらなる友情に目覚めて、力を強くし、オレは結果的にやられてしまうと、ある。

 悪い悪の親玉は倒されて、ハッピーエンドというわけだ。

 なかなか面白いストーリーだと思った。

 しかし、本当に面白いのは……、

「ちょっと休憩しようか」

 オレだけが知っている。

 セリフの表面には出てこない、ある深い趣がある。

 それは、くま役のオレだけにわかる。

 あるいは、この脚本を作った、来ヶ谷にも同じく……。

「二回も最後まで通したからね、ちょっと疲れたね」

「あたし、ちょっとジュース買ってくる。こまりちゃん、なにがいい?」

「私も一緒に行くよ〜」

 小毬は微笑んで、鈴と一緒に行くことを決めた。

「理樹。あたしがなにか飲みもの買ってきてやる。好きに選べ」

「え、ええー! ……い、いいの?」

「いいに決まっとるだろ。なにやってんじゃ。はやく言え」

「え、ええっと……じゃあ、コーヒーで」

「りょーかいだ。あ、金は払えよ」

「……はい……」

 鈴は、理樹のほうから顔を移して、オレのほうに振り向く。

「馬鹿。ついでだからおまえのも一緒に買ってきてやる。なにがいい?」

「お」

 オレは、鈴の殊勝な心がけに驚いたのと同時に、その隣にいる、小毬のほうを見て、ただこう思った。

「オレも一緒に行こうか」

 ただ、そんなことがやすやすと口の上に上せられるわけがないのだ。

「めずらしいじゃねぇか。おまえがそんなことを言い出すなんてよ」

「うっさい。とっととなににするか言え」

「じゃ、スポーツドリンク」

「スポーツドリンクな。……謙吾とみおは?」

「おれはいい。そんなに数多くなると、大変だろう」

「では私も同行するとしましょう。それなら持てます」

「……」

 謙吾は悩んでいたが、

「……では、茶を頼もう」

「ウーロン茶でいいか?」

「ああ」

「では行きましょう」

 謙吾の分も買ってきてくれることになって、謙吾含めオレたちは、その女子三人が食堂の入り口にある自販機コーナーに去っていくのを見送ったのだった。

「……鈴、めずらしいね」

 理樹が小声で。

「そうだな。きっと……配役のりんたろうの友情に、啓発されたんだろう。物語にすぐ感化されるところは恭介の妹らしいが、あれは鈴のよきところだな」

「そうだね」

 理樹は鈴らのほうを見て、微笑んでいた。

 それから練習は、午後の二時頃まで続けられた。

 オレは何度も小毬たちに倒されまくった。

 

 翌日もそのまた翌日も、外が雨なのは変わらなかった。

 おかげで野球の練習はまったく行えなかったが、その分人形劇の練習に専念できるので、オレたちにとってはそれほど忙しさは変わらなかった。

 来ヶ谷や恭介たちと交渉して、脚本の細かなところは修正してもらい、完全なる台本が出来上がると、オレたちは一日二時間、必ず合同練習を行なった。

 台本もだんだんしわくちゃになってきて、セリフもだいだいそらで言えるようになってきたころだった。

 またこの日も雨が降っていた。

 裏方組のクー公と、三枝、恭介との最終調整が食堂であった。

「というわけで、このクマッチャビンがやられるところのびー・じー・えむは、壮大な感じにしたいんですが、どうでしょうか〜?」

「それはいいけどよ、そんなに背景音楽の引き出しがあんのか? クー公」

「ちっちっち〜」

 クー公はませた顔で指を左右にゆらす。

「この一週間、私が英語の発音練習のほかに、なにをしていたと井ノ原さんはお思いなのですかっ?」

「いや……。筋トレとか?」

「筋トレも確かにしてましたーっ!」

 クー公は嬉しそうに跳び上がるが、

「……。う、おほん」

 後になって若干恥ずかしそうに、咳払いをすると、こう続けた。

「図書館のぱそこんで、いんたーねっと、を使って、たくさんの無料のびー・じー・えむ、さーびすを、だうんろーど、していたのですーっ!」

「おおー! よく言えたネ、クド公」

「むきーっ! 三枝さんは私を馬鹿にしすぎですっ!」

 むきになって顔を真っ赤にするクー公である。

 謙吾が咳払いして注意を促した。

「……それで? 用途にあった背景音楽は見つけられたのか? そんなに都合のいい無料の音楽は、そんなに転がっていないと思うが」

「確かに、選別と探索は多難を極めましたのです……」

 クドは日本語に限って美妙に難しい表現を使う。

「しかし、恭介さんや来ヶ谷さん、三枝さんの協力で、ついに、ついに我々は美妙ともいうべき最適なるびー・じー、えむを十曲揃えることに成功したのですーっ!」

「……微妙?」

「美妙ですっ! 字が違います!」

 クー公からはやけに細かいつっこみをされた。

 クー公のBGMの件はもうこれでだいぶ片づいたとして、

「それじゃ、次、舞台セット係」

 あとは三枝の舞台セットと、恭介の演出の件である。

「あいヨー。じゃーん。みんなこれを見てくださいー」

「おおー」

 みんなのどよめきが起こる。

 三枝が椅子の影から持ち出してきたのは、だいぶ大きな、ダンボール製の舞台セットだった。

 しかしまだ色がほとんど塗られていない。

「まだ、未完成?」

「う、ううーん。じつはこれでも頑張ったんですけどネ。ちょっと一人だけだとこのへんが限界だったんで、あとは手が空いている人に手伝ってもらいたいんですけども」

 三枝がやったのは、舞台セットの形を切り抜いただけであった。

 しかし時間が足りなかったというのは嘘ではないだろう。べつにサボってたわけじゃないというのはオレにもわかっていた。なにせ三枝は、何度も作ってはやり直し、作ってはダンボールを調達し直し、という作業を繰り返していたのを、オレたちは知っていたから。

 最適なる背景の形を導き出すのに――なにせそれは演出係の恭介や、オレたちの要望もいくつか考慮しなければならないから――相当の時間がかかったのだ。

「そいつはみんなで手伝うことにしよう。なにせ作業量が半端ないからな。その代わりリアルなものを作れよ」

「あいヨーっ!」

 お次は恭介の演出の件となった。

「それで、具体的な演出法だが、」

 しかし恭介はなにも持っていない。右手を顎の下につけて、すましている。

「簡単なライト、それとちょっとした効果音を使う。ライトは秋葉原に行って調達してきたし、効果音もおれのほうで独自に集めた。あとは編集して、自由に繰り出せる機械を作るだけだ」

「んなもん、残りの時間でできんのか?」

「ふん、」

 恭介が品良くすます。

「おれに任せとけ」

 恭介という非凡な人物にこうまで言われて、その通り任せることのできない人間などいない。

 みんなが同様に息を飲んだほどであった。

「キャストの連中のほうはどうだ? もうとっくに総てのセリフはそらで言えるようになったんだろうな」

「……う、」

「じ、自信ねぇけどな……」

「おいおい。大丈夫か?」

 とは言うものの、恭介は慌てた様子を見せない。からかう材料をここで見つけたといわんばかりに、なんだかにやにやしている。

「……う〜ん。あとちょっと、個人練習が必要かも〜……」

「おいおい。まじかよ。セリフを完全に暗記して、本番ではアドリブかましてくれるぐらいじゃねぇとな。張り合いがねぇぜ。なぁ、来ヶ谷?」

「無論だ。たとえば、小毬君や鈴君、美魚君なら、セリフの抑揚を変えて、妙に熱っぽく、色っぽく、艶めかしく読んでくれても一向に構わんのだぞ」

「いや、構うよ……」

「なぜ、理樹君が反論するのだ?」

「相手は幼稚園生なんだってば!」

「……あ、あははは〜」

「頼まれたってやるか、ぼけ」

「常識で考えて、幼稚園生に大人の色気を表現しても理解できないかと思われます」

 来ヶ谷はなんだかぶすっ、とした。

「なんだ。つまらん」

「つまる、つまらないの問題じゃないよ……」

「だったら理樹君が女性のセリフを女性口調で喋ってくれることを期待するのみだ」

「エイリアンが女性口調ってそもそも無駄に不可解だよ……。幼稚園生の教育に悪い影響を与えるから、ぼくの役は鈴の友だちってことにして、って言ったはずだけど……」

「ふん。それならそれでいいが、貴様、本番の登場シーンを覚悟しておけよ」

「いったいなにがあるの!?」

「それは私と恭介氏だけの秘密だ。ふっ、ふっ、ふっ……覚悟しておくがいいぞ。理樹君」

「だから、いったいなに!?」

 理樹と来ヶ谷のそんなおかしなやり取りで、オレたちの最終調整は終決したが、オレはこの段になっても、未だに小毬との距離を縮められずにいた。

 な、なんだかな……。

 恋って、難しいよなぁ……。

 好きなのに、なんにもできなくて。

 ただ小毬に嫌がられてんじゃねぇか、って考えただけで、こんなにも動きにくくなるとは。

 我ながら情けない。

 そもそも、オレみてぇな筋肉だるまが、あんないたいけそうな、清純そうな美少女に想いを寄せるなんてのが、ギャグにすらならねぇ醜態なのだ。

 相手はオレとの特別な関係などごめんだろう。

 そうだ、嫌われものなのだ。オレは……。

 くまのような大男は、みんなから疎まれる影の存在なのだ……。

 小毬。

 ……望んじゃ、いけねぇのかな。

 恋人じゃなくたっていいよ。

 好きな女に想いを向けてくれ、なんて贅沢なことは言わねぇ。

 ただ……話したいんだよ。

 今までと同じように。

 そこで、時々、他の男よりもちょっとだけ親密っぽいところを、かいま見ることができたら、オレは、それだけでいいんだよ。

 キスも抱擁も裸もエッチもいらねぇ。

 取りあえず、いらねぇ。

 ただもっと一緒にいてぇんだよ。

 おまえを好きになりてぇんだ。

 あのときほんの一時だけ見せてくれた、おまえのちょっとした苦しみとか、悲しみとかが、ものすごく綺麗で、そしてそんな憂えを知っているにも拘わらず、いつもは元気でハッピーな小毬のことが、好きで、そんなおまえを見て、もっと好きになりたい。

 ただそれだけなんだよ。

 あいつらは恋人じゃない。って、そう思われたって、いいんだよ。

 いいんだよ……。

「真人―」

 理樹の声が、唐突に聞こえた。

「おう? どうした?」

「どうしたじゃないよ。さっきから呼んでるのに。これからぼくの部屋でみんなして遊ぶことになってるから、一緒に行こうって言ったら、ぜんぜん真人返事しないんだもん」

「はぁ? なんだよそれ、練習しねぇでいいのかよ? 発表会はもう三日後だろうが?」

「あははは……それがね、恭介の発案で……」

「また恭介かよ」

 オレはやや呆れながらも、それに頷いた。

「しゃぁねぇな。おう。行くぜ。で、なんの遊びなんだ?」

「ううーん。雨が降ってるから、また地味〜な、やけに熱中するテーブルゲームとかにもなりそうだけど」

「またぁ?」

 オレは脱力しながらも笑って、理樹のところへ駆けていくのだった。

 そのとき、小毬がこちらをちらりと見てくれた……。

 見てくれた、ような気がした。

 ずっと背を向けていたが。

 一瞬だけ、こちらを。

「……へっ、」

 オレは、いい気分になった。

 追いつくスピードを速くした。

 

 発表会の日があと二日に迫った、翌日の金曜日だった。

 オレと理樹が、人のまだ少ない時間帯に食堂へ行って、席について練習しているころだった。

 来ヶ谷と、西園が、後ろに小毬を控えさせて、やって来た。

「やあ。やっとるね。二人とも」

「あれ? 来ヶ谷さん。……それに、西園さん、小毬さん?」

「こんにちは」

 来ヶ谷や西園がそれぞれ挨拶した。

 小毬はその後ろに控えていたが、なんだかそわそわしていて、ちょっと不思議だった。オレはそのほうへ手を向けて、「よっ」と挨拶すると、小毬は柔らかく目を細めた。

「こんにちは〜……」

「どうしたの? 来ヶ谷さんたちも練習?」

「私がいったいなにを練習するというのだ? あとは恭介氏と一緒に監督の立場に回っているのだよ。練習しに来たのはこちらの二人だ」

「どうも」

「あ、あはは〜……お邪魔しま〜す」

 西園はつっけんどんに、小毬はやや照れながら、こちらに挨拶した。

 オレと理樹は目を丸くして、顔を見合わせてしまった。

「ここで?」

「君たちの姿が遠くから見えたのでな。私たちも先ほど、広くてあまり他人に迷惑がかからない場所を選ぼうといって、この場所に来ようと話し合ったのだよ。君たちがもうすでに着席していたのは、予想外であった」

「まぁ、いいから、こちらに座りなよ」

「すまない」

「あれ? 来ヶ谷さんも?」

「私は見学だ」

 来ヶ谷はそう一言置いて、こちらをじっと見て、にやりとした。

 西園はオレの隣に、小毬は理樹の隣へと腰かけた。

「じゃ、じゃあ、ちょっと各自危ない箇所を合わせてみようか」

「はい。それでは、4ページ目の、シーン3からお願いします」

「わかったよ」

 ここは小毬の独り語りから始まる。

 森の中にくまくま山賊団がはびこっているので、たぬきちが困っているという話だ。

「『あぁ、どうしよう。あぁ、どうしよう〜』」

 小毬が自分のセリフを読んでいる間、西園が、すっ、とこちらに口を近づけてくる。

 ぼそぼそ、と耳打ちをする。

「井ノ原さん。今ならいいですよ」

「は? ……あ?」

「井ノ原さん。あなたは、小毬さんのことが好きなんでしょう?」

「お? ……いや、は……?」

 オレは呆然としてしまった。

 そうすると、机の下から、西園の肘が、ちょんちょん、とオレの腹に当たる。

 小毬はもとより聞いていない。

 理樹も小毬のセリフに問題がないか集中してそちらにばかり耳を傾けている。

 西園はこうも言った。

「今まで勝手なことをして申し訳ありませんでした」

「……」

「しかし、察してください。どうして私たちがあんなことをしたのか。……色々、込み合った事情があるのです。まさか、それを疑うほど無粋な方ではないと信じたいですが」

「……い、いや、聞かねぇよ。信じるよ。オレは……それが、オレのできるまず一つのことだと思うからよ」

 西園はこちらのほうを見て、ふっ、と柔らかく微笑んだ。

「よかった」

 西園はただそれだけを言って、あとはもう普通の西園に戻ってしまった。

 自分のセリフを言う番が来て、滔々と西園は小鳥のナレーションを流れさせた。

 すでに手に装着した小鳥のぬいぐるみを動かしながら。

 オレは小毬のほうを見た。

 小毬はどこを見ているともなく、あるいはどこかを凝視しているようにも見え、またあるいは真剣に西園の発声に聞き入っていたようでもあったが、またただぼーっとしているだけにも見えた。

 オレは、小毬のほうを見て妙に心が浮き浮きしてくるとともに、なんだか一抹の悲しさを覚えた。

 理由の明確でない悲しさだった。

 それはどこから来るのかわからない。

 前途への怯えか。あるいは、西園たちに気を利かせてしまったことへの後悔か。あるいは、小毬を苦しめたことへの自責か……。もう一度、こうして近くで小毬の顔を見られたことの嬉しさへの、反動か。

 取りあえず、オレはどうしたらいいのかわからなかった。

 ただ、会話がしたかった。

 そればかり考えていて、口がまったく動かなくなった、そんなときであった。

「ほら、井ノ原さんの番ですよ」

「……あ? お、おおぁ! すまん! 今、どこだ!?」

「六ページ。三行目ですよ」

「ろ、ろく、六、六ページ? ええーっと……ん? アレ? ……お、おう」

 オレはようやく該当の箇所を見つけて、そのセリフを読もうとした。

「ん、……『が、がおー。オレ様の縄張りに入ってるやつは、どこのどいつだぁぁぁ……』……」

 ちょっとした沈黙があった。

 その沈黙の後、みんながくすくすと笑い出した。

 オレは、びっくりしてしまった。

「な、なんだよ!?」

「井ノ原さん……」

「真人」

 理樹がくすくすと笑っている。

 小毬までも、笑みが堪えきれずに、笑っていた。

「ぜんぜん怖そうじゃないよ。その今のセリフ」

「むしろ鈴さんや小毬さんたちに近しい、可愛いものがありましたね」

「うっそ、マジで!」

「なかなか面白い見せ物だったよ。ときに、真人少年。君の今のセリフはいいな。……君は、見ていると、セリフを喋るときによく声を作る癖がある。それは必ずしも悪いことではないが、そのために余計な力がかかりすぎて、妙に調子のはずれた演技になることがある。もっと自然な感じでセリフを読んだらよかろう。そう、ちょうど、今のようにね」

「……」

 来ヶ谷にくすくすと微笑まれながら指摘されて、オレは、顔が赤くなってしまった。

 は、恥ずかし――っ!

 オレとしたことが……気の抜けたしゃべり方になってしまった!

 だがしかし、

「あははは」

 彼女が、笑ってくれたのだった。

 あの笑顔で。

 あの毎日みんなに見せている、けれど作った笑みではない、本物の笑顔で。

 ほんわかと、オレの顔を見て、笑ってくれたのだ。

「だ、だははは!」

 オレは笑ってしまった。

 一緒に笑ってしまった。

 一緒に笑いを共有するだけで、満足だった。

「おかしいよ〜」

「わはははは! すまん! もう一回やるからよ! 許してくれ!」

「では、もう一度、どうぞ」

 西園からもう一度演技の指示が出される。

 オレはいった。

「『がおぉぉぉぉ! よしっ、オレの縄張りに侵入しているやつは、どこのどいつだぁ!』」

「真人、今度は台本にないセリフが入ってるよ!」

「うっそ、マジで!」

「あはははは〜」

「『よしっ!』って、なんだ。なんなんだ、真人少年」

「はえぇ!? オレ、そんなこと言ったかなぁ!?」

「あはははは。だめだよ〜、おかしくなって、お腹がよじれるよ〜」

「大体なんですか、『よしっ!』って。『よしっ!』って思うなら、小毬さんたちが縄張りに入ることぐらい、許してやってください」

「ふははははは。このセリフはさすがに、アドリブとして許すことはできんな。真人少年。気持ちはわかるがね」

「あぁ? い、いってぇ、なんの気持ちだって――」

「見ればわかるよ――」

 来ヶ谷は、楽しそうにこちらを見て、うっすらと微笑むのだった。

 小毬はずっとおかしそうに笑っていた。

 オレはますます心地よくなった。

 小毬が笑ってくれるだけでどうしてこんなにも気分がよくなるんだろう。

 もう絶望的な気分だったのに。

 またこのような元の状態に戻れたというだけで、オレはこんなにもお調子者になってしまう。

 ああ、好きなのだ。

 どうしても好きだったのだ。

 優しい彼女が。どこかミステリアスな彼女が。笑顔が可愛い彼女が。

 いつの間にか、ずっと、好きになっていたのだ。

 だとしなかったならば、オレは、このとき、こんなにまで喜ばない――。

「ようしっ! 見ていやがれ! 今度はもっと恐ろしいくれぇに気合いの入ったアドリブを――」

「そもそも、真人、アドリブは別に入れなくてもいいんだから――」

「いや、オレは断固として入れるぞ! オレの今のこの熱烈なる侵入者への激情はこんな陳腐なセリフじゃ表現しきれねぇ! うおぉぉ――――!」

「ふははははは!」

「あはははは〜!」

「ふふ」

 みんな笑っていた。

 理樹まで笑っていた。

 オレまで笑っていた。

 これだったのだ。

 たった、これだけで、よかったのだ。

 少なくとも、他にどんな怖くて冷たい事実があろうと、ただこれだけの憩いの瞬間さえあれば――。

 オレは、すべてに立ち向かえるし、すべてに寛恕の気持ちを持つことができるのだ――。

 それくらい、小毬の笑顔は偉大なのだ――。

 

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