作戦などと、この馬鹿な頭で考えられるはずもなかった。

 理樹に相談したところ、理樹も正直に言って彼女を作ったことのない身のため、それらしい良い振る舞い方などわかりもせず、もうどうにでもなれ、と半ばやけっぱちにただ日を待つこととなった。

 あと強いて決めることといえば、なんの映画を見るか、その程度であった。

 もっとも心配になる懸案は他にもたくさんあったが、オレたちがどんな未熟な想像を膨らませたところで、それがそのまま現実になるわけでもないのだから、あえて、明確に決めるのは避けた。

 ただオレたちは、自分たちでどんな映画が見たいかだけ明らかにしておいて、あとは適当に飯を食う場所、集まる時間などを考えた。

 その約束の当日になって、オレたちが朝食を食って支度をして校門のほうに出ていくと、メンバーは小毬、西園、鈴、クー公が集まっていた。

 謙吾は部活で来られないらしい。他の来ヶ谷と、三枝は、元々予定があったとかなかったとか。その妙に曖昧な理由が、なぜだかオレの頭に引っかかった。

「今日は晴れてよかったね〜」

 そのにこにこ顔で話す女の子は、小毬である。

 小毬は白を基調としたひらひらした服に、紫の細身のジーンズを履いていた。

 うおぉぉぉ……実はあいつの私服姿を見るのが初めてだったオレ!

「おまえ、今日もその格好なのか」

 そういう鈴こそ、いつもの私服である。

 白と赤の裾の短いパーカに、こちらの裾の短いジーンズ。

 理樹のほうは紺色のジャケットになんの面白みのないズボン。オレは言うまでもなくいつもの学ランである。

「うっせぇな。べつにいいだろ」

「むしろ真人が別の格好をしてきたら驚きだよ」

「それもそーだな」

 鈴はいやに納得している。なんだかムッときた。

「井ノ原さんは、私服というものを持ってないのですか?」

 西園が冷めた口調でいう。

 こちらの私服を拝むのは初めてだ。

 黒っぽいブラウスに、一本の白のタイをつけ、下は白いロングスカートを履いている。

「いや、確か真人は私服を持っているはずだよ」

「では、なぜそれを着てこないのですか?」

「あたしはいつもこいつと一緒に出かけるとき、こいつはずっとこんな格好だからな、べつに今さら気にしないが、ちょっとこまりちゃんやくどたちと一緒に歩かせたくはないぞ」

「べつにいいだろ! コラァ!」

「井ノ原さんはその格好が似合ってますよー。わふー!」

 クー公は深紅のセーターに、薄桃のミニスカートをはいている。なかなか似合っているが、ちょっとした子供っぽさは否めなかった。つか、肌白いなー……。

「うん。私も、真人君はその学ランが似合ってると思うよ〜」

「お、おう。マジか。小毬」

「うん〜」

 小毬はにこにこ笑っている。

 オレは、すこし感動してしまった。

「小毬さんも、すごく似合ってると思うよ」

「はわわっ。理樹君そんなこと言っちゃだめだよ〜!」

 小毬は顔が真っ赤である。

 西園からきつい眼差しが理樹に走った。

「わ、わふ〜」

「……」

 西園はきっ、と理樹のことを睨んでいる。

 理樹はその時点でやっと自分のやってしまったことの意味に気づき、無言の笑顔で冷や汗を流していた。

「……おまえ、ほんとに鈴のことが好きなのか?」

「これはぼくの悪い癖だよ……」

「オレ、よくわかんねぇけど、きっと多分、もうおまえなにも言わねぇほうがいいと思うぜ」

「う、うん……」

 オレたちはこそこそ語り合った。

 その間に、小毬が若干慌ただしく校門に向かって歩いていく。

「じゃ、じゃぁ、行きましょ〜!」

「おー」

 鈴のあんまりやる気のない返事が続く。

 オレたちはついていった。

 理樹はつねに鈴のことを気にしていたようだが、生来の臆病さからか、なかなか近くには行けずにいた。

 オレはそんな理樹の頑張る様を後ろで見ていた。

 しかし西園が近くに寄ってきたので、必然的にそいつの相手をせざるを得なくなった。

「井ノ原さん」

「なんだよ」

「ちょっと、いいですか」

 なにやら小声で話しかけてくる。

「ん?」

「このデートは、井ノ原さんから誘ったらしいですが、主要な狙いはなんですか? そもそもどちらの発案ですか。直枝さんですか。井ノ原さんですか」

「あ? ん、う〜ん……」

 オレは悩む。

「どっちでもねぇと思うけど……。強いて言えば、オレからかな」

「こう言い切ってしまうのは何なのですが、」

 西園はやや疲れた眼差しをして、いった。

「直枝さんはダメダメです」

「うへぇ……」

「ついでにいうとあなたもダメです。ありえません」

「な、なんだとぉ……」

「最初から色々ダメです。そもそも直枝さんは、私以外の誰かに好意を抱いているようですが、いったい誰でしょうか」

「気になるのか、おまえ」

「はい」

 西園は、ぴくりとも笑わず、そうオレに尋ねた。

「そりゃ、理樹本人に直接尋ねてみたらどうだよ」

「なるほど……」

 西園は冷たい目で、理樹の後頭部を見やった。

「面倒ですね」

「……」

「井ノ原さんが小毬さん。直枝さんが、鈴さんですね」

 オレは黙った。黙るしかなかった。

 何者だ、こいつは……。

「当たっていましたか」

「……」

「だいたいわかるのですよ。よく観察していれば」

「おまえ……」

 西園はなおも小声でいった。

「その時点で、先ほどからの状況を鑑みても、あまりよろしくないと思います」

「そうなのか?」

「はい。直枝さんは早速、八方美人のどヘタレっぷりを発揮していますし、あなたはそもそも問題外です。あなたはいったいここでなにを考えているんですか」

「いや……べつに」

「もうちょっとオシャレに気を遣うべきです。べつに無理してなにか奇抜な格好をしてきなさいなどとはいいませんが」

「なにをしろっていうんだよ……」

「そこまで教えるのは私の主意ではありません」

 西園はそういって、口を閉ざしてしまった。

 携帯電話を取りだして、誰かにかけている。

 誰かが電話口に出る。

 西園がきょろきょろと首を巡らす。

「もしもし。三枝さんですか」

「……」

「『あいーっ! そちらの状況はどうですかー?』

「ダメです。なにか色々ともう」

 よく見ると、電柱の影に、三枝のものらしきツインテールが垂れ下がっていた。

「『そうかね?』」

 来ヶ谷の声がした。

「『まだ決めつけるのは早い。理樹君の空気読めないっぷりと、そこの馬鹿の天然独立志向は、もうすでにあらかじめわかっていたことだろう。あとそれと、そこの馬鹿がすでにこちらの姿を発見しているようなのだが、いいのだろうか』」

 来ヶ谷だった。

 来ヶ谷がいた。

 こちらを見てニヤニヤとしている。

 オレは嘆息して、思いっきり駆け出したくなった。

 西園は「またなにかあったら連絡します。引き続き監視に」といって、電話を切って、オレのほうを見た。

「と、いうわけです」

「なにが、と、いうわけです、だよ、てめぇ!」

「リトルバスターズなんですから、彼女らなりの配慮というものでしょう」

「完璧に面白がってるじゃねぇかよ!」

「そうでしょうか」

 西園は口を切った。

 そのまま前方を見る。

「一つの形でしょう」

「……つーか、おまえも一緒に遊んでるしな……」

「ですから、遊びではないのです」

 ややからかうように、西園は唇をゆるめる。

「井ノ原さんは、元から自分を偽って実像以上によく見せることができない人ですから、最初はこの程度がちょうどいいかもしれませんね」

「あん?」

 西園は訳知り顔で、語った。

「しかし、うまくいくとは限りませんよ」

 西園はもうそれ以上、オレに対してしゃべらなかった。

 

 映画は、いま世間で人気作品として注目を集めている、ある小説が原作の、探偵ミステリー物だった。

 これは当たった。

 もっとも男女共通して、楽しみやすい映画だった。

 これはちなみに西園がセレクトしてくれたものだ。さすが西園だ。ついてきてくれてよかったと思う。

 鈴はやたらと少年バトル物を推すし、小毬とクー公はファンシー系の動物アニメがいいと盛り上がるし、オレといえば、鈴とはまた別の大人っぽいアクション映画がいいと思っていたんだが、やや渋すぎるので、小毬たちには受けまいと思っていたところ、西園がナイスチョイスをしてくれた。

 原作既読者で、さらに映画の人気情報を前もって調べてきてくれているのが強かった。

 オレたちはそのミステリー探偵映画を見ておおいに楽しんだ。

「だから、やっぱりあいつが犯人だったんだ! ほら当たった!」

 鈴は理樹と、視る前から、パンフレットの写真で犯人が誰か当てるゲームをしていたらしい。一見事件に関わってないかのように見える、頭の切れる大学教授が犯人だった。鈴はその男を疑っていたのである。

 理樹も彼女とそうやって盛り上がれることができて、よかった。

 オレは、といえば……。

「ほぇぇ……。私は、推理してみようとしたけれど、全然わからなかったなぁ……」

「そもそも、小毬さん、鈴のあれは当てずっぽうだから」

 理樹が苦笑している。

「なんだと。しかしおまえは当てられなかったじゃないか!」

「そもそもぼくは真剣に推理してみるよ、って言っただけで……」

「オレもさっぱりわからんかったが、結構楽しめたぜ」

「うん〜。それはそうだね〜」

 小毬が笑ってくれるので、オレも嬉しいばかりである。

 なんだかなぁ……。

 たいしたことのねぇ、男のちょっとした、ささいな喜びだとわかっていても、これは否定できねぇなぁ……。

 小毬が喜んでくれたなら、とりあえずオレとしてはオーケーなわけだ。

 好きなんだなあ、やっぱり。

 さて、小毬自身が喜んでくれることが最低条件だ、ここから気合い入れてかかっていかねぇとな!

「あたしとしては、最初この男の写真を見たとき、くさいと思った。一見善良な顔してそうな男が、じつは腐った心の持ち主であったりするのだ」

「え、それって、ぼくのこと……」

「ちがう! 理樹じゃない!」

 鈴はなぜか慌てている。

「そもそもおまえ、まったく推理してねーだろ」

「鈴ちゃんは、推理しなくても推理小説を楽しめる人なんだね〜」

「わふっ。私も途中からそうでした」

 西園がここで冷静な意見を述べる。

「この物語を書いた原作者は、とても推理が難解なミステリーを描く作家として有名です。しかし、絶対に推理できないという意地悪な構造なのではなく、物語の各所に、犯人に結びつけられるキーアイテムが隠されています。犯行の動機、嘘の証言、アリバイ、背後の関係、そして死亡推定時刻……。一度紙に書いて、登場人物たち全員の事情を明確にすると、ややわかりやすくなりますよ」

 西園はそれからメモ用紙に人物相関図と犯行の要点やなにやらを書き記して、再び犯人を割り出す、とても論理的なショーを見せてくれた。

「このように、です。こうすると犯人はこの男の確率が高くなります」

「なるほどーっ」

「でもこの人、最初すっごく主人公の女の人に優しかったので、ちょっと悩んじゃいます〜」

「それが物語のミソなのです」

 西園は指を一本立てて、楽しそう。

「なんだか、すごいね〜……」

「オレはなんつーか、推理をしなくっても普通に楽しめたがな」

「そのように物語が書かれているから、そうなのです」

「そうだね〜。私も、主人公の女の子が、好きな男の子の疑惑を取り払えて、結ばれたのだけで、感動しちゃえたよ〜」

「わふっ。やっぱり私の思った通り、あの二人はくっつきやがったのですっ」

「クドはそっちのほうでも推理してたんだねぇ……」

「あたしは、ともかく、女が推理物をやるってところに、面白さを感じたな」

 その後もさまざまな意見が自由に取り交わされたが、とても楽しく休日の午後を過ごせたと思う。

 オレはその中で、ほんの少しだが、小毬との仲が近づいたのをうっすらと感じて、よかった、と思った。

 いつか、会えるかもしれねぇ。

 見つかるかもしれねぇ。

 小毬。

 オレにとっては、小毬のあの顔が謎でありミステリーだった。

 あのときの情景が目に焼き付いている。

 もっと仲良くなれたら、会えるかもしれねぇ。

 オレはすっかり、そのことばかりに心を捕らわれていた。

 べつに、このように、たくさんの人数と一緒に小毬と顔を合わせることが、面白くないわけではなかった。

 小毬は小毬だ。

 それは変わらずにそのままだ。

 でも。

 小毬とは、もっと深く付き合ってみたいのだ。

 その奥深くにある、繊細な琴線で、自分とかみ合うところがあったように思えるのだ。

 なにがよくて、なにがだめなのか。

 オレは小毬自身に、そういうところを抱くし、また、そうやすやすには言わないだろうが。

 深い、一番深いところで、なにかが触れ合う音が聞こえたのだ。

 かすかに聞こえたのだ。

 そのとき、オレはそれを求めるようにした。

 小毬との着実な未来を想像するのだ。

 それはかすかに華やかな様相を備えている。

 オレたちは、元の学校へ帰った。

 三枝と来ヶ谷は、途中で買い物に行ってそれから帰った、と言っていた。

 

 人形劇の季節がやって来た。

 恭介がそういった。

「おまえらは忘れちまってるかもしれないが、」

 恭介は夜中にみんなを食堂に集めて、目を閉じつつ腕を組んで、そういった。

「十月の末には、おれたちは地元の幼稚園の演劇会で人形劇をやることになっているぞ」

「そういえばそんなことあったような、なかったような……」

「あったんだよ、理樹」

 恭介は強い語勢で念を押す。

 理樹は圧されて身を少し引く。

「覚えていないかもしれないが、あれは、確か銀河系を舞台とした、ロボットバトルものを公演する予定だったな」

「いや、ないからないから」

「あるはずないだろう、そんなもの……」謙吾がいう。

「その中学生が好みそうなストーリー観からして、まず間違いなく恭介氏の発案だろうな」

「記憶の混濁という事でしょうか」

 西園が妙なことを言っている。

「記憶の混濁に見せかけて、ちゃっかり自分好みのストーリーにしてしまおうというわけだな」

「いやらしいです」

「あのな、」

 恭介は冷や汗を浮かべて、みんなに言い切った。

「どうしておれは、ちょっとお茶目をやったぐらいで、ここまでぼろ雑巾並に扱われなきゃいけないんだ?」

「わふ〜……」

「日頃の行いのせいでは」

「のんのん」

 すると小毬が指を横に振った。

「みんな、恭介さんのことが好きだから、からかいたくなっちゃってるだけですよ〜」

「小毬さん」

「おお……小毬……おまえってやつは……」

 恭介はあまりの感動のためか、目に涙を浮かべている。

 西園はちょっと慌てている。

「わかった……みんなの気持ち、わかったぜ……」

 西園はすましたように言った。「そういうことにしておいたらどうですか」

 恭介は涙を振り払っていった。

「おれが悪かった! やっぱり銀河系ロボット劇は止めにして、森の愉快な仲間の劇としておこう!」

「ていうか、そもそも、銀河系ロボットバトルって、人形劇で実行不可能だから……」

 理樹の言っていることに、皆もっともである、と頷いた。

「そういや、たぬきとかのぬいぐるみで、森のまったりした動物たちの話にするんだったっけか」

「ちなみにおまえは、摩天楼の前に落ちているゴミの役だったがな」

「うおおおぉぉぉぉ――――っ!? すでに場所が違ぇぇ――!?」

「舞台の隅っこのほうで、真人専用の背景を用意すれば楽しいんじゃないか」

 鈴がなにやら生意気なことを言っている。

「んだとてめぇ。てめぇも一緒に空き缶やっか!」

「なに?」

 うーん、と鈴は考えている。

「……空き缶ってなにするんだ?」

「こう、哀愁感を漂わせて、渋めに、『カラカラ……』とか言っているだけでいい」

「なんだか楽そーだな。あたしそれでもいい」

「ちなみにそれはおれが許可せんぞ」

 恭介に却下されてしまった。

「ってことは、オイ……このオレが一人で空き缶役かよ!」

「大丈夫だ。前回は急だったんで無茶な役を振っちまったが、今回はあらかじめやることがはっきりしていたからな。ぬいぐるみの数も多くすることができた。みんな見ろ」

 恭介が手元に控えていたスポーツバッグの蓋を開けると、うさぎ、たぬき、小鳥、りすなどのぬいぐるみが出てきた。もうそれらはすでに、指が通るように加工がすんでいる。それとなぜか底のほうにG.I.ジョー人形があった。

「おおー! これもしかして、全部恭介くんの手作りー!?」

「ふっ……」恭介はすました。

「病院での療養中、こっそりな」

「じつは手伝わされました〜……」

 クー公がこっそり手を挙げている。

「クドも手伝ったんだ……恭介ってば無茶なことを」

「はい〜……あるとき、恭介さんの見舞いにいったら、大変そうだったのでお手伝いを〜……」

「ちなみに私もな」

「はい〜。来ヶ谷さんと偶然恭介さんの部屋にいったら、」

「ぬいぐるみを殺害していたので、私たちも協力することにした」

「わふ〜!」

「ええー!」

「しねぇ!」

 恭介が必死に弁解する。

「あんなの、ただ中の綿を取りだしてただけだろうが……っ」

「ふっ。なかなか楽しい作業だったよ」

 来ヶ谷はけろりと意味深な笑顔を浮かべて言ってみせる。

「とくに、ほじくり返した綿を、こっそりと湿らせて、クドリャフカ君のうなじにくっつけてみたりとか、ね」

「あんたなにしてるの……」

 来ヶ谷は無駄な作業が好きであった。

 恭介は咳払いしていった。

「と、とにかくだ!」

 全員を見渡す。

「これで役数も多くなった。披露日は再来週の日曜になっている。それまで猛特訓して準備するぞ」

「脚本は? もうできてるの?」

「いいや、まだだ。おれは脚本が苦手なんでな。これからくじ引きで、脚本、裏方、それぞれのキャストを決めるぞ」

「はいはいはーいっ! はるちん、主役がいいでーすっ!」

「おい、ざけんな三枝! てめぇばっかにいい目見させるかよ! 野球慈愛では活躍できなかったけどなぁ……今度の人形劇での主役は、オレに決まってるだろっ!」

「あ、おまえは空き缶役だったんじゃねぇか?」

「嘘つけてめぇっ!?」

 さっきくじ引きで決めるって言ったばかりだろ!

「冗談だよ。冗談。さっきこうやって簡単にくじを作っておいたからな、それぞれ引いてみろよ。役を引いた人間は、必ずそれを実行すること」

「向いてる、向いてないがあっても?」

「もちろんだぜ、理樹。だからこそ燃えるんじゃないか」

 恭介は少年のような微笑みで腕を振るわせる。

 それももっともなことだ、とオレたちは全員そのくじを引く。

 折りたたまれた紙を開くと、そこには、「くま役」と書かれてあった。

「イヤッフゥゥゥ――――ッ! 来たぜぇ、主役ゥ!」

「す、すごいね……まだ脚本さえ決まってないのに、この自分主役意識……」

「あほとしかいいようがないな」

「まったく気が早いというものだ、この馬鹿は。おれなんかうさぎ役だぞ! イヤッホォーイッ!」

 なんと謙吾はうさぎ役であった!

「うわ……」

 三枝が若干引いている。

「謙吾君の声で、うさぎちゃんってかなり違和感ありますネ」

「というより、このうさぎちゃんはもうオスで決定なのでしょうか」

「そいつは、脚本係に決まったやつに聞けばいいんじゃないか?」

 恭介が取り澄ました顔でいう。

 目を配らせると、そこにはこれ見よがしに「脚本がかり」と書かれた紙を見せつける女の姿があった。

「私だが」

 なんと来ヶ谷だった!

「うわぁ……」

 さらに引きつった顔を浮かべる三枝。

「もう色々残念なストーリーが決定した感じ?」

「なんだと貴様。私が脚本家であるのがそんなにいかんというのか。葉留佳君のくせに生意気だ。ほーらほら。羽交い締めにして耳にフーッ、とする振りをしておっぱいを揉んでやる」

「わひゃーっ! やめてぇ――!」

 三枝たちのことは放っておこう。

しかし、来ヶ谷のやつが脚本か……なんてピンポイントな配役……いや、ある意味おそろしい。

 しかし、やっぱり若干が気になるのが、理樹と小毬の役なんだが……。

「わぁー! たぬきさんの役だよ〜!」

「おおー!」

 なんとこまりはたぬきであった!

「こまりちゃん、主役取ったのか!」

「えへへ。やったよ〜」

「なにっ! 主役はオレじゃなかったのか!」

「いやだから、まだ脚本決めてすらないから……」

「ふっ。この者どもの配役うんぬんは、すべて私の手の中にあるわけだな……」

 来ヶ谷が目を爛々と光らせている。なんだか嫌な予感がした。

 しかし来ヶ谷は決してやっつけ的に仕事を放っておく人間ではないので、まぁそれなりに、おそらくあるよくない方向に無駄に凝った作品ができあがるだろうと思っていた。

 ちなみに全員の決定した配役をここで述べると、オレがくま、小毬がたぬき、理樹がエイリアン(やっぱ登場するのかよ!)、西園が小鳥、鈴がりす、謙吾の野郎がうさぎであった。

 裏方は、三枝が舞台セット係、クー公が音響、来ヶ谷が脚本、恭介が舞台演出兼監督となった。

 さて、どんな物語ができることやら……。

 来ヶ谷の脚本ができるまで、オレたちは取りあえず三枝たちのために、様々な案を出してみて、その日はそれだけで終了となった。

 

「エイリアンは、どういった経緯で森の仲間たちに絡んでくることになるのかわからないけど、これそのままじゃ、動かせないな……」

 理樹は部屋で、嘆息しながら人形を見つめていた。

「なにか裏に棒でもくっつけて、それで動かせばいいんじゃねぇか?」

「それはぼくも考えたけど、強度の問題があるよ。ぺらぺらの紙じゃぽきっと折れちゃうし、かといって硬い棒とかだとこの人形に貼りつけるのが大変だし……大体、体が細すぎるんだよ。どこで買ってきたんだろ、こんなの。まぁとにかく、前からは見えないようにしないといけないわけだから……」

「下から、ちょびっと見えるくれぇはいいんじゃねぇか」

「うーん……」

 そうこう悩んでいるうちに、

「きたぞー」

 鈴がやって来た。

 理樹は突然はっとして、顔を赤らめる。

 なんだよ理樹、やっぱこいつのことが好きなんだなあ。ちっとはまじめに男らしくしてろよ。

 がんばれ。チャンスを逃すなよ。

「や、やあ。鈴。どうしたの?」

「?」

 鈴は不思議そうな表情。

「どうしたもこうしたもないだろ。あたしがこの部屋に来ちゃいかんのか?」

「い、いいや……そ、そういえばそうだね。どうぞ、くつろいでよ」

「? 適当に漫画借りるぞー」

 鈴は理樹の本棚から適当に数冊の漫画を取りだし、みかん箱の前の座布団にお腹をどてっ、とつける形で寝っ転がる。

 行儀が悪い。ま、オレも言えたものではないが。

「っつーか、おまえ、なんもやることねぇのかよ?」

「なんだ? 馬鹿があたしの読書を邪魔するのか?」

「てめぇ……なんでたって、そんなにオレのことを敵対視するかね」

 鈴はなぜか最近やたらとオレに冷たい。なぜであろうか。

「だいたい、なんじゃ。なにもやることないって。あたしの姿を見て、おまえはなにも感じないのか?」

「普通に漫画読んどるだけだろ……」

「えーと、鈴は、なにか劇の練習はしなくていいの?」

 理樹が冷や汗混じりに問いかける。

 鈴は、こちらを見て、あー、と上の空に返事をして、寝っ転がったまま、ポケットに手を突っこんで、しわくちゃに丸め潰されたりすのぬいぐるみを取りだした。

「そういえばそんなこともあったなぁ」

「完全にやる気ねぇな、おい……」

「鈴……」

 鈴はそのりすのぬいぐるみの下部に、ずぼっと手を入れて、動かし始めた。

「あたし、鈴。りすをやっている。りす歴十七年だ」

「なにそれ。演技のつもり?」

 鈴は顔を赤くした。

「そ、そのつもりだが」

 理樹はオレと顔を見合わせた。

 無言になる。

「な、なんじゃおまえら。あたしの演技がそーとーいかんというのか。……う、うにゃうにゃ、あたしはなすビーが好きですにゃー」

「いや、そもそもりすはにゃーと言わないでしょ……」

「えっ」

 鈴は目を大きく広げてこちらを見る。

「じゃあ、りすはなんて言うんだ?」

「えっ、そりゃぁ……う、うーんと……真人、りすってなんて喋るんだっけ?」

「ちゅーちゅー、じゃねぇの?」

「それはねずみじゃ」

「ねずみだねぇ、うん」

 オレたちの間に一瞬奇妙な沈黙が走った。

「りすって鳴き声どんなだったっけ? ……」

 誰も喋らなかった。

「鳴かんだろ、りすは。だからあたしのオリジナルでいくつもりだ」

「待って! それじゃ色々危険すぎるから! だって見るのは幼稚園児だよ!」

 理樹が慌てて止めに入ったところ、鈴の携帯の着信音が鳴った。

 リリリリリリ、と音がする。

 鈴が携帯に出る。

「もしもし」

 鈴が話している間、オレと理樹は相談する。

「まずいよ。このままじゃ。鈴がりす役なのに、猫になりきろうとしている……」

「つーかよ、そもそもおまえ、これってチャンスなんだからよ、ここで頑張って仲良くなろうとしろよな。オレ、外に筋トレしに行ってくっか?」

「そんなことやってる場合じゃないよ!」

 鈴の電話はそこで終わったようで、携帯を顔から離して、ポケットにしまう。

「だ、誰からだったの?」

 理樹がおそるおそる尋ねる。鈴は、「ん」とこちらを見た。

「こまりちゃん」

「!」

 オレの心の中に、わずかな動揺が走る。

「暇だから、一緒にお稽古しましょうって。理樹の部屋にいるっていったら、じゃあこっち来るって言ってた」

「お、おぉー」

 オレはひとまず驚いてみせる。

 む、むむむむむむ。

 なんだか大変なことになってきたぜ……。

「や、やったね真人!」

「お、おいおい……なんだか、う、ううーん……なんだろな。なんとも言えねぇ気分だぜ。……どうすりゃいいんだ」

「仲良くなるチャンスだよ!」

「だからそんな場合じゃねぇって!」

「どうして? 真人はべつに慌てる必要はないでしょ?」

「いっ、色々複雑な理由があるんだよ!」

 オレは当座をごまかした。

 鈴はごろんと寝返りを打って、漫画を読みながら、ぼやく。

「あー、めんどくさいなー」

「……」

 ここでは鈴の本音が垂れ流しである。本人は気づいているのだろうか。自分を思い慕ってくれる人間がここでそのありさまを見ていることに。

 しかし、ここまで気を遣わない間柄ってのも、ある意味じゃうらやましいなー……。

「だめだよ、鈴」理樹はいった。「小毬さんの前ではしゃんとしないと」

「あたしもわかってるんだが、」

 鈴はすっと背中を起こして、こちらに向かって言う。

「どうも、理樹たちの前だとどうでもよくなってしまうな」

「そんなことを真顔で言われてもね……」

 理樹はなんだか落ち込んでいる。

「とりあえず、こまりちゃんが来るまでは漫画を読んで精一杯だらけるぞ」

「……こんなところを恭介が見たらどう思うか……」

「ふん」

 鈴は鼻を鳴らす。

「きょーすけがなんと言おうと、あたしは断固漫画を読むことを止めんぞ。断固読むぞ。こまりちゃんが来るまではな」

 鈴はポケットから再びりすのぬいぐるみを取り出し、片手に装着した。

「おっと。危ない危ない。せめて稽古していた振りはせんとな」

「……これが、おまえの好きな相手の実情か?」

 オレは理樹に尋ねた。

 理樹はなんだか震えるように顔を引きつらせた。

「……いや。好きなことには変わりはないというか。ぼくの気持ちに気づいてくれて、いつか直ってくれることを期待するというか……」

「おまえ、ぜってー尻に敷かれるタイプだよな」

 そうこう理樹と内緒話している間に、小毬のやって来る音が廊下から聞こえた。

「こんばんはー」

 小毬の声が扉越しに聞こえた。

「やっほー! 遊びに来てやったぞー、やはははー、暇しているであろう諸君!」

 なんと、あのうるさい三枝葉留佳も一緒であった。

 勝手に扉を開けて、どやどやと入ってくる。

「いやだから、練習しているんだってば」

「なにぃー! はるちんの理樹君たちと一緒に遊ぼう作戦がもう失敗に帰したとー!?」

「いちいちテンション高ぇんだよ、てめぇは」

「あっ。鈴ちゃんえら〜い。もう一人で練習してるんだね〜」

「うむ。もう手がしびれるくらいやっていてな」

 鈴は、あくまで今まで何時間も一人で特訓していました、という体で話を進めていくつもりであるらしい。

 疲労の表情の造りまで万全である。アホ極まりなかった。ここはアホばかりか。

「葉留佳さんは、いったいなんの用できたの?」

「あっ、ひどーい! 理樹くん、はるちんがあの微妙な舞台セット役になっているからって、ここで一人のけ者にする方針ですかー! やー、これは悪質ないじめだー! 陰謀だー! 理樹君の怨念だー!」

「むちゃくちゃ言ってるよ……」

「よーするに混ざりたいんだろ、おめぇは」

「じつははるちゃんとは、さっき廊下でばったりすれ違ったの〜」

 小毬はじつにニコニコと喋る人である。そうされると、三枝のこの上ない迷惑な訪問も、すこしは許してやろうという気になれる。あくまでちょっとだが。

「もう、私には小毬ちゃんだけが唯一の救いですヨ……ヨヨヨヨ……あっ、チョコボールがありますネ。もーらいっ! あーん!」

「……ねぇ、真人、これはいったいどうすればいいの……」

「ほっとけ。鈴や小毬が勝手に相手するだろ」

「ねぇねぇ、みんなも食べる? チョコボールにポッキーもあるよ」

 三枝は勝手にお菓子棚からオレたちのお菓子を差し出している。あつかましいことこの上ない。

「えへへ。それもいいんだけど〜、じゃ〜んっ!」

 小毬はバッグの中から、いつもの大量のおかしを取りだした。

「お邪魔するということで、たくさんのお菓子を持ってきました〜」

「おおっ! 小毬隊員、ナイスである! ヤフゥー!」

「いちいちうっさい。はるかは」

 鈴は手にはめ込んだりすのぬいぐるみで、てい、てい、と三枝の頭を叩く。

「あいたたた! いやっ、もうこれは、断固としてお菓子パーティに発展しないわけにはいかないでありますぞ! 私は断固としてお菓子を食う! そして遊ぶぞ! 断固、邪魔するために来たのだからな! ファ〜ッファッファッファ! というわけで理樹君の人形をいただきーっ!」

「あっ、ぼくのエイリアン!」

 隅々から隅々まで、一分の隙もなくハイテンションでぎゅうぎゅう詰めにされている三枝の頭は、ここでさらなる脈絡のない行動をもたらした。

 理樹のエイリアン人形を奪い取り、ひととおりいじくってみせる。

「ん〜」

 三枝はなんだか郷を削がれたような顔をした。

「しまったぞ、これは」

 頭をかりかりと掻く。

「理樹君のエイリアン人形を奪ったのは間違いだった! はい、返すね、理樹君!」

「ああ……もう、なにがなにやらわけわからないよ……」

「というわけで、今度はこっちのぬいぐるみを強奪だ、やーははーっ!」

「あっ、オレの熊の助が!」

 今度はオレのくまのぬいぐるみを奪い取りやがった!

「な〜に〜。『熊の助』なんていうかわいい名前つけちゃってるんですか〜。真人くんは。いいネっ。なかなかいいセンスしてますヨ! さすが真人くんだー!」

 三枝は、人をからかうような目つきになったり、しきりに感心したりと、じつに忙しい。

 お菓子を食う暇などないほどである。

 お菓子をばりぼりと貪っているのは、主に、小毬と鈴だけであったりする。

「がおー!」

 三枝が手に熊の助を装着して、鈴たちに襲いかかった。

「なに二人してお菓子を食べとんじゃい! はるちんにも、いや、この熊の権之助太郎にもちょっとは献上してくれたまえよー! というわけで、飴玉いただきぃー!」

「もうおまえ、なにしに来たんだよ……」

 あながち、邪魔しに来たという弁も間違いではないのかもしれない。

「やははー」

 三枝は一呼吸置いて、照れくさそうに頭を掻いた。

「じつは、舞台セットなんていう難しい役回りになっちゃいましたから、ここはひとつ、みんなの意見も聞こうと思いまして」

「それは前にも言わなかったっけ」

「あー、いやー、やはは……。それもそうなんですが、やっぱりちょっと寂しくなってしまいまして……はるちんもみんなの練習に混ぜろぉーいっ! というわけで、ここに推参してみたわけなんですな。照れ照れ」

「わけなんですな、じゃねぇよ。ったくよ……」

 オレは、大事な熊の助ぬいぐるみが奪い取られてしまったわけだが、

「しかたねぇ。しばらくそれで遊んでいろよ」

「えっ。いいの?」

 三枝のためにしばらく貸してやることにした。

「いいよ。オレはこっちで、一人で筋トレしてるし。おまえらのやり取り眺めてるだけでも楽しいからよ」

「お、おぉー! なんて優しいんだ、真人くぅーん!」

 それから三枝は、そういう事情なので、思う存分オレの熊の助を使用して、鈴たちの頭に噛み付いたり、一緒にぬいぐるみを使ってバトルを催していたりしていた。

 オレは隅で腕立てや腹筋運動などをしていたが、そんな折々も、よく小毬の視線を気にかけていた。

 小毬はどこを見ているのか。

 オレであるはずがなかった。

 オレのことをじっと見ていてくれて、肩を叩いてくれる。

 そんな隅っこでなにしてるの。こっちに来て、一緒に遊ぼうよ。

 そういう発展はこの世には存在しない。

 いつまでたってもこのままかもしれん、と、オレはうっすらと、頭の中で想像した。

 しかしそれも致し方ないことだと、心のどこかで諦めているオレも実は存在していた。

 小毬のことはオレもよくわからん。

 どうすりゃうまくいくのか。

 誰かに教えてもらいてぇけど、そんなこと教えてくれるやつなんか誰もいない……。

 教えてくれるとしたって、そいつのおっしゃることは、たいていそいつの中の価値観や、恋愛の理想像によって形作られた、そいつのベストなやり方にしかすぎないから、オレの現状にはそぐわないものが多いと思う。

 オレは、焦ってもいたが、どこかで冷静になっている心も持っていた。

 諦めた心を持っていながら、それでもあいつのことが気になって、目で追うことをやめられなかった。

 希望なんてないと、ある一人のオレの理性はいった。

 そもそもこれは恋などではない、と、もう一人のあるオレの理性はいった。

 しかしもう一人のオレは、そんなことないさ、と言った。

似合わねぇくせに難しいことを考えるんじゃねぇよ、当たってみろ、当たって砕けろ、うまくいきゃ、こっちを振り向いてくれるさ、とも言っていた。

 詮ずるところオレは気持ちがあやふやだった。

 これは恋であり、これは恋ではない、と、未知なるものを自らの今までのたったごくわずかな経験と知識によって仕分けられるほどの大胆さを持っていなかった。

 物事の内部へとまったく入り込まない鈍重な知性と性質を持っていたらどんなに軽やかに動けたことだろう。

 つまらないことを考えるオレ。

 自然と筋トレのスピードが速くなる。

 終わることがない。

 あまり外音の響きが聞こえてこない。

 そんなとき、小毬の「えへへっ」という微笑む声が、確かな響きを持ってオレの耳に伝わってくると、オレは「はっ」として、我に返り、そちらのほうを見やる。

 小毬の屈託のない笑顔を見て、ふと、にわかに、自分はいったいなにをやっているのだろう、という気になった。

 小毬の笑った理由が知りたい。

 小毬と気持ちを共有したいのに。

 完全にだめだ、これは。

 失恋の道にどんどん進んで行っている。

 しかしオレは、馬鹿だからか、はたまた勘が鋭いのか、告白だけは済ませずに終わらせられない、という一種重要なことを本能的に理解していた。

 そういえば今の今まで、オレは「告白」ということさえも、未経験であった。

 こんな正直に真面目な気持ちになったのは初めてだ。

 小毬が初めてなのだ。

 なんとしても成功させたい。 

 しかしそれは、かなり険しい山道であるような気がするのだ。

 間違ったら即、崖に転落してゲームオーバーだ。

 くだらねぇ。

 そんなもの挑戦するべきなのか。オレは。

 筋トレでもすっか。

 小毬たちは、ほどなくして帰っていったようだった。

 オレはなにも言わなかった。

 オレにも何の一言もなかった。

 あるいは、なにか別れの挨拶を言われたかもしれないが、オレは筋トレに没頭していて、半ばうつろな気持ちでいたため、返事をしたかもしれないが、それは今になってみると真実かどうか定かではなかった。

 小毬たちが帰ったのに気づくと、オレは「はっ」として、すぐ今までしていた筋トレがなんだか馬鹿らしいものに思えてしまった。

 つまらねぇ。

 なにやってるんだろう、オレは。

「真人、メール送っといたら?」

 理樹はオレのほうを見て言った。

「メール? って?」

「だから、小毬さんにメールだよ。今日せっかくチャンスだったのに、あんまり会話できなかったね」

 理樹はなんだかがっかりしている顔つきだった。

 理樹は溜息をつく。

「はーあ……ぼくらって、なんだか態度はっきりしないね」

「理樹」

「……」

 理樹はのろのろと体を動かして、自分のベッドに横になる。

「どうして恋なんて、しちゃったんだろう……」

 オレは理樹の姿を見て、様々な想いを胸の中に行き来させた。

 理樹を見ていて悲しくなった。

 こいつもオレと同じ気持ちを抱いているのか。

「しょうがねぇだろ。相手を選んで恋なんてできるわきゃねーしよ」

「うん。でも、ぼくさ、たまに考えるんだ」

「なんて?」

「もし鈴にこんな気持ちを抱いてなかったら、ぼくは、今どんなに楽に鈴と話せるだろうって。どぎまぎなんかしないで。鈴の挙動に、一喜一憂なんかしないで。相手がぼくをどんなふうに思ってくれるとか、嫌われたりしないかとか、そういうことをまったく気にしないで、素直に鈴を信じることができるんだろう、って」

「……」

 オレはなかなか理樹の言葉に返事を出せなかった。

 理樹のベッドの近くに、どすっ、と尻をつけて座り、オレは携帯を取りだした。

「メール、送るよ」

「え?」

「送ることにすっからよ。元気出せ」

「小毬さんに?」

「おう。無駄かもしんねぇけど。今のままじゃ、オレら、ただの友だちだろ? 変に思われても、しょうがねぇよ。友だちのままで、終わらせられるのは、やっぱどう考えても嫌だからよ」

「……」

 オレは理樹に携帯の本文が見えないようにして、ゆっくり、文字を打っていった。

 なににしよう。

 今にわかに頭に思い浮かんできた言葉でいいよな。

 妙に飾り立てたこと言ったって、しょうがねぇよ。

「……」

 理樹はなにも言わなかったが、気づいたころには、いつの間にか理樹も携帯を取りだしてメールを打っていた。

 きっと好きな想いを込めているのだろう。

 今まで通り、無視されてしまうかもしれない。

 変に思われてるだろう、きっと。

 そもそもメールを送る理由など、ないのだから。

 好きだってことをほんのちょっとでも知ってほしい。それよりほかには。

「真人」

「あん?」

「もう送った?」

「送ったよ」

 オレは、理樹に「送信しました」という完了の文字を見せてやった。

 理樹はじっとオレの携帯の画面を見ていた。

「もう今ごろ向こうに着いてるぜ」

「真人、なんて送ったの?」

「そいつは秘密だ。……はっ、そういや、オレって小毬に連絡以外のメール送るの初めてだった」

「へぇぇ……」

 理樹は面白がった。

「初メールなんだね」

「とくに意味のないメール送るのはな」

「ぼくも……送信」

 理樹が送信ボタンを押す。

 すると、「送信しています」という文字とともに、花や太陽などのキャラクターが動画になって流れていく。

 数秒後、「送信されました」という文字が浮かんできた。

「送っちゃった〜……」

「届いてるかな」

「届くには届くでしょう」

 理樹は、ぱちん、と携帯を閉じた。

「返ってくるといいなぁ……」

 オレは、頷くことすら、もっともすぎている、と思って、頷かなかった。

 小毬にも届いただろうか。

 届いたとしても、まだ見ていないかもしれない。

 風呂にでも入っているかもしれない。

 なんて思うだろうなぁ……。

 たとえ変だと思われてもいいから、ほんの少しだけでも特別だと思ってほしい。

 ほかの男とは別物だと思ってほしい。

 そうしてまたおまえとあの奇妙な話をしたい。

 なんとなく気怠げな話をしたい。

 二人きりで。

 

 次へ

 

inserted by FC2 system