次なる課題がやって来ました。

「『明日のHRで立候補しろ』……」

 これはわかりやすい課題でした。明確に範囲がしぼられています。

 しかし、明日のHRでなにがあるのか、それだけがわからないのでした。

「明日っていうなら、今日はのんびりでもしているか」

 日なたに足を伸ばして、鈴ちゃんは子猫たちに囲まれて、うたた寝を始めます。

 きっと、学校でうたた寝をするのは、鈴ちゃんくらいなものです。

 翌日のHRの時間、鈴ちゃんの予想もがけない出来事が起こりました。

「え〜、明日、学校に県議会議員のお偉いさんたちがやってくる」

 ちんぷんかんぷんでした。ただ、難しい話だということはわかりました。

「それについて、我がクラスから、彼らを案内して回る委員を選出したい」

 鈴ちゃんは内心、これかーっ! と思いました。思ってみると、すごく嫌な役目でした。

 知らなくて、大きい体のおじさんを一人で案内するなんて、死んでも嫌でした。いや、死ぬよりはましでしたが、でもそれでもやっぱり嫌でした。

 どうしようかと思っていると、先生が「やりたい者はいるかー?」と希望を取り始めたので、鈴ちゃんの頭はこれ以上ないくらいに混乱しました。

 じぃ〜っ、と、周りの手を挙げる様子などを観察します。

 誰も手を挙げませんでした。

「ふむ。誰もいないのか? 残念だなあ。やる気があるやつにやってもらいたいのになぁ……しかたない、ここは、学級の委員長に、」

 ええい、しゃーないっ、と鈴ちゃんは内心叫び、手をばっと挙げました。

「棗?」

 先生の不思議そうな視線が向けられます。

「なんだ、それは? 手を挙げているのか、それとも脇にかいた汗を乾かしたいのか?」

 鈴ちゃんは、ばっ、と勢いよく挙げたつもりでしたが、実際にはひどく消極的に見える、中くらいにしか、手が挙がっていなかったのです。

「て、手を挙げてます」

「なんだそうか。はっはっは。すまんすまん。よし、偉いぞ、棗」

 先生は笑って、黒板に、女子:棗鈴と書き入れます。

 鈴ちゃんはほっとしました。それから、先生に偉いと言ってもらえたのは、ちょっと嬉しかったのでした。

 しかしとんでもないことになってきました。

 勢いで手を挙げてしまったものの、このままでは一人でそのおじさんたちの相手をするはめになるかもしれません。

「もういないのか? 棗はいい子だな。やる気があっていいじゃないか。誰も見習おうとするやつはいないのか? ほれ、おまえ、井ノ原なんかどうだ。いっつも仲良しだろ」

「先生。真人は寝ています」

「そうか……それは、仕方ないな……」

 口でしばらくもごもごとしていましたが、先生は流し目で、理樹くんに「たたき起こせ」と命じました。直後、真人くんは耳をつねられて起こされました。

「できれば男子と女子、一名ずつにしたいんだよ。一応、まだ時間はあるから、放課後までに、棗と一緒にやりたいやつがいれば、先生のところに来るように。いなければ、先生が勝手に決めてしまうからな」

 先生はそう言って、次の連絡事項に入っていきました。HRが終わり、放課後となります。

 放課後までにあと一人の男子を決めなければなりません。事情を理樹くんたちから聞いた恭介お兄ちゃんは、なんだそんなこと、と簡単に言います。

「おまえが一緒にやってやりゃあいいだろ、理樹」

「ええ……そんな、僕には向いてないよ。知らないおじさんの案内なんて。しかもすっごく偉い人なんでしょ」

「おまえが、そんな調子じゃだめだな」

 恭介お兄ちゃんは失望したように溜息をつきます。

「鈴はこんなに偉いっていうのに」

 お兄ちゃんに頭を撫でられると、鈴ちゃんはちょっぴり嬉しくなります。

「しっかし、なんでまた鈴はそんな面倒くせぇことをやろうとしたんだ?」

 耳を赤くした真人くんが、腑に落ちない顔で聞いてきます。

「それが使命だったからだ」

 鈴ちゃんは平然と答えます。真人くんは目を丸くしたまま、固まりました。

「そろそろ、使命とかを感じる年頃なんだよ」

 恭介お兄ちゃんが注釈を入れます。「マジか?」と真人くんが驚いていました。

「オレも一応同い年なんだけどな」

「おまえはまだまだガキだということだろう」

「んだと、てめぇ、謙吾!」

 謙吾くんと真人くんで喧嘩になってしまいます。この二人は頼りになりそうもありませんでした。

 しかし恭介兄ちゃんは学年が違うので参加できません。理樹くんはそもそもやる気がありません。ここでは鈴ちゃんが主役ですから仕方ありません。

 どうしようもないのでした。

「ここはやっぱり理樹が――」

「やあ。やっているね」

 恭介くんがそう言いかけたところ、向こうから、来ヶ谷唯湖お姉さんがやって来ました。腕にはクドちゃんが抱かれていました。

「私も混ぜたまえ。いったいなにを話しているんだい?」

「はっ……」

 恭介くんが、はっとします。

「これだっ!」

「?」

 解せない顔の、来ヶ谷さん。

「どうしたんでしょう、恭介さん?」

「クド君。私もさっぱりだ」

「これだ。これしかねぇ!」

 その様子を端で見ていた理樹くんが、まさか……と呟きました。

「来ヶ谷、おまえに命令が――いやっ、頼みがある!」

「ほう?」

 眉をひそめ、来ヶ谷さんがうっすらと微笑むように恭介くんを見つめます。

「男装してくれっ!」

「は?」

 そして、瞼をおっぴろげて、そのまま、固まりました――。

「ふざけているのか?」

 教員室で、担任の先生が冷や汗混じりにそう問い返しました。

「先生。それは三年の棗恭介先輩に言ってください」

「やすやすと承知するほうもどうかと思うが……」

 来ヶ谷お姉さんと先生のやり取りが続きます。ですが、どこかずれたやり取りでした。

「とある事情があって、どうしてもお偉いおじさまたちを案内したくなったのです。棗さんと一緒に。お願いします」

「その、事情とは、なんだ?」

「乙女の事情です」

「……」

 先生はもうそれ以上なにも言いませんでした。重い手つきで、書類に、男子:来ヶ谷唯湖と書くと、手つきで、もう帰れ、と示しました。

 鈴ちゃんと来ヶ谷ちゃんが一緒に教員室を出ます。

「決まってしまったな、鈴君」

「あたしは別によかったが、おまえはそれでもいいのか? 男役だぞ?」

「無論、構うまい。宝塚みたいで楽しいじゃないか。まっ……もっとも、最初に男装を考えついた恭介氏には一発パンチでもくれてやりたいものだが」

 はーっ、はーっ、と拳に息を吹きかけ、来ヶ谷ちゃんは見えない恭介氏の顔を殴ります。それから、鈴ちゃんと目があって、フフフ、と意味深に笑います。

「制服は理樹君に借りることにしたのだよ」

「えっ、ほんとか? あいつ、そーすると着るものがないんじゃないのか?」

「私の制服を貸すことにした」

「なにー」

 どーん。

 理樹くんはその日一日中、女子の格好をすることになったのです。どーん。

 こんな学校、虚構世界の中にしか存在しないでしょう。

「理樹はそれ、オーケーしたのか?」

「無論、オーケーさせた」

「それは理樹の意思によるものじゃないんじゃないのか?」

「過程など、」

 来ヶ谷ちゃんが遠い眼差しになります。

「結果の前ではどうでもいいことなのだよ、鈴君」

 つかつかと廊下を歩いていきます。

 夕方の、赤い陽射しが斜めに差した、人の少ない廊下でした。

「しかし、なんだな」

 ですがそこで、来ヶ谷ちゃんが立ち止まって、わなわなと体を震わします。

「私が男子の制服を着るのか……いや、男子の、というより、理樹君の制服を……ふ、ふふふ、むふふふ……」

「落ち着け、くるがや」

「すまない鈴君。いや……理樹君の制服という点についてはこの際どうでもいいんだ。私が、この紛れもない女体の私が、男子の制服を着るということに、いささかの、女子一般としての躊躇いが存在するのは、このクールレディ、来ヶ谷唯湖としても、それは否めないというかね……」

「言っていることがさっぱりだ」

「ようするに恥ずかしいってことなんだよ。鈴君」

 顔を若干赤くして、胸を押さえるように、両肩を抱きます。

「なにかに目覚めてしまったらどうしよう……」

「そっちなのか?」

「無論、冗談だ」

 肩を押さえたままで、前へ歩いていきます。

「髪もまとめなければならないな……ポニーテールでいいか。鈴ちゃんはそういう男の子のことを、どう思う?」

「うーん」

 鈴ちゃんは腕を組みます。

「似合っていればいいと思うぞ」

「それはようするに、私ならいいということかい?」

「そうだな」

「ふふ……鈴君。おねーさん感激だぞ」

 嬉しそうな顔で、来ヶ谷ちゃんは鈴ちゃんの横に並びます。

 そうして教室に帰っていきました。

 鈴ちゃんは来ヶ谷ちゃんの男装も、理樹くんの女装もなんとなく楽しみでした。

 

「み、みんな、見ちゃいやだよ……」

 翌日。理樹くんの女子の制服姿がお披露目となりました。スカートを精一杯下に引っ張って、白い鳥のような足を、隠そうとしています。

 真っ赤な顔できょろきょろと目線を逃がしてばかりです。

「理樹、おまえ、似合っているな」

 鈴ちゃんが純粋に褒め言葉を送ります。

「あ、ありがとう……」

 理樹くんはどうしたらいいかわからずに、引きつった笑みを浮かべます。

 彼も、きっとここで何かの強さをつかみ取れるでしょう。

「理樹くん、私たちの間に混じっても、全然わからないよ〜」

「一緒に並んでみましょう! わふー!」

 やんややんや、と理樹くんはクーちゃんたちに取り囲まれ、腕を抱かれます。

 遠くから眺めても、あの中に一人異性の変態が入っているとはにわかには信じがたいことでした。

「理樹」

 変貌してしまった友人をこの目で見た恭介くんは、真面目な、重い表情で問いかけます。

「おれと付き合う気はないか?」

「ないよっ!」

「わふ〜! 直枝さんは恭介さんと付き合うのですかー!?」

「付き合わないよっ!?」

「なんだかすっごく似合ってる感じが悔しいぞー!? 理樹くんを男の変態に取られるなんてぇー! ワーン!」

「止めてよぉぉぉぉぉぉ!」

 理樹くんの叫び声には涙がにじんでいました。

 西園さんのカメラのフラッシュが、数回たかれました。

 そこに、理樹くん以上の、本日の主役が登場です。

「待たせたな……」

 がらっ、と教室の扉を開けて飛び込んできたのは、すらっとした、足の長い、秀麗な美青年でした。

 髪が長く、線が細く、背は高め。顔をもっと見たいと誰もが思いましたが、どこのものだかわからない学生帽を目深に被っていて、よく見えません。

 それと胸のあたりに奇妙な盛り上がりがありました。

「くっ……きついな。具体的には――、」

「言わなくてナッシン!」

「おっと」

 すかさず葉留佳ちゃんが止めに入りました。鋭い視線が、一匹のわんこと、一人の文学少女から放たれたのを察知したのでした。

「危ないよ、姉御ったら」

「はっはっは。すまんすまん」

 そこには、理樹くんの制服と、かっこよく、素敵な、謎の学生帽を身につけた来ヶ谷さんがいました。

「いや、正確にはもう姉御ではないぞ。兄貴と呼んでもらおうか」

「兄貴―!」

「やっぱりお兄さんと呼んでもらえるか」

「お兄さんー」

「うむうむ。可愛いやつだ。オレの女となるがいい」

 よしよしと頭を撫でて、胸に抱きます。きゃー、と葉留佳ちゃんは嬉しそうに顔を真っ赤にします。

「さて、待たせたな。諸君。おお……」

 来ヶ谷ちゃんが改めて周りを見渡すと、そこで初めて理樹君の様子に気が付きました。

「なんて美しい……」

 早速理樹くんの足下にかがみ込みます。

「明るい春の野に咲く、晴れやかなスミレのようだ。そして君の声は、春の歌声……」

 構わず手を取って、その甲にキスをします。

「私と付き合ってくれまいか? 直枝さん」

「……もう、なんて反応を返したらいいかわからないよ」

「私は本気だよ」

「僕も本気だよ……」

 本気で困惑してそうな理樹くんでした。

「ちっ。ガードが堅いやつだ。だがいいだろう。君はさっき、恭介氏との仲を囁かれていたな。だめだ。だめだ、許さん。そんなこと。早速私が既成事実を作る」

「既成事実ってなんのこと!?」

「うるさい。黙れ、ファッキン」

 そうしていつの間にか、西園さんの手からデジタルカメラを奪い取ると、理樹少女を肩に抱き、満面の笑みで、ぱしゃっ、と写真を撮りました。

「はぁ……」

 ほっと、熱い溜息。

「満足だ」

「あんたなにがしたかったの!?」

「もうこれで、私と理樹少女との瑞々しい青春恋物語は、永久に保存された」

「兄さん、はるちんとの物語はー!?」

 後ろでわめく後妻がいながらも、来ヶ谷さんは余裕を持った顔でにやにやと笑いました。

「こっちもぴったりじゃねーか」

 そんな様子を端から見ていた恭介くんが、やや呆れたような口調で言いました。

「まったくだ」

 鈴ちゃんが続きます。

「ただ、この胸にある突起物はいったいなんなんだ?」

「む。突っついてはならんよ」

「ごめん」

 鈴ちゃんが謝ります。

「一応さらしは巻いてみたのだが、これが限界だった……。おっと、別に他意はないけどね」

 わんこは微笑みを浮かべていましたが、じょじょに敵意ゲージが溜まっているようでした。女の子の前では余計なことを言わないほうがよいのです。

「だが、ばれやしないだろう。今の私はどこからどう見ても、この学校の一男子高校生だ」

「確かにな。これも筋肉って言っときゃぁ、ばれやしねぇだろうし」

「……頷けるが、君と同類のようにされたのは、なんだか納得がいかんな」

 へ? と目を丸くする真人くんから顔を逸らして、来ヶ谷さんは軽蔑したように目を細めます。

 鈴ちゃんは、あと、その頭に乗っている学生帽が気になりました。

「くるがや、それはいったいどうしたんだ?」

「ん、これかい?」

 帽子を外し、指でくるくると回しながら、来ヶ谷さんが答えます。

「恭介氏に借りたんだ。変装用具とか言ってね。この男は色々変なものを持っているものだ。仮面とか、実物そっくりのモデルガンとかな」

「就活先でもらったんだよ」

「ふーん」

 とにかく、その帽子をかぶった来ヶ谷さんは、あまり顔が見られなくて、なかなか都合が良さそうでした。

 凛々しい表情とも相まって、なんだか、生徒会長のような格好良さも滲み出ていました。

 あるいは、片目を隠した、今をときめく、不良の美形番長でした。

「さて、それじゃあ、時間が来るまで接待のおさらいでもしていようかね」

「またやるのか」

 鈴ちゃんがげっそりとします。

「無論だ。いくら歳の離れたおじさんだからと言って、見る目はするどい。真剣にかからなければいけないよ」

「もう昨日死ぬほどやったじゃないか」

「聞き分けのないことを言う鈴君にはこうだ」

 正面から抱かれて、顔におっぱいをくっつけられて、鈴ちゃんは窒息しそうになります。

「むーっ!」

「でなければ、こう」

「にゃうーっ!?」

 今度は体を反転させられて、鈴ちゃんのおっぱいが揉まれます。鈴ちゃんはびっくりしました。

「やめろー!」

「なぜ? 私と鈴君の仲じゃないか。彼氏彼女の関係だろう?」

「姉御、三股だったの!?」

 葉留佳ちゃんの叫びがとどろきました。

「もう止めろ、来ヶ谷。おまえの姿格好からして、かなりひどい」

「ふむ。はっはっは」

 来ヶ谷さんは手を鈴ちゃんのおっぱいから離すと、豪快に笑いました。

「世のすべての女の子は私のものだ!」

 そう高らかに宣言します。

「……と、言うことのようにかい?」

「……そうだ」

「はっはっは。恭介氏ともあろうものが、かなり面白い顔をしているな。彼女にしてやろうか?」

「……遠慮しておきます」

「はっはっは。おにーさんはいつでも歓迎だよ」

「……」

 そんな光景を、一人の文学少女が遠巻きに見て、鼻血を垂らしていました。

「まさか……来ヶ谷×恭介……!?」

 そんな小声での叫びを聞いた、近くの謙吾くんは、不可解そうに頭をひねりました。

 

 お偉いさんが乗った高級自動車が、学校の校門前に静かに止まります。

 そこから出てきた県議会議員さんと、理事長さんが、鈴ちゃんたちの担任の先生にまずは挨拶します。

 それから傍に控えている鈴ちゃんと来ヶ谷さんを見て、にこやかに微笑みを浮かべました。

「今日はこの二人が、学校内を案内する予定です。二人とも、自己紹介なさい」

「えーっと……二年E組の、なつめ、りんです……」

「うん。よろしく」

「あ。」

 太くて分厚い手が、面前に出されたので、鈴ちゃんはおずおずと手を差し出し返します。

「よ、よろしくお願いします……」

「うん。今日は一日お願いね」

「あ、はい……」

 鈴ちゃんは終始気後れしていましたが、それでも、こんな知らないおじさんの前では、いつもより堂々としていました。

 それから、お偉いさん方の視線が来ヶ谷さんに向けられます。

「私は二年E組の来ヶ谷、ゆい……」

 来ヶ谷さんはそこで口が止まりました。

 固まって、なにかを必死に考えています。

 それはほんの一、二秒でしたが、とても奇妙な「間」でした。

唯蔵(ゆいぞう)です」

「唯蔵? めずらしい名前だね」

「そうですか。両親たちが気まぐれだったもので。ははははは」

「でも、男らしくっていい名前だね」

「そうですか。あははははは」

 来ヶ谷さんは乾いた笑みでした。

 顔に冷ややせが浮かび、きつく、帽子を被り直します。

「ところで、君」

「はい?」

「この学校の生徒は、男子は必ず制帽を被るのかい? 事前の情報にはなかったのだが……」

「もちろん、被りませんとも」

「なら君は?」

「私は……とあるクラブで、以前の学校の気風を推しているのです。そのための、体を張った主張活動というわけです」

「なるほど。クラブに熱心なのは、いいことですね」

「もちろんですとも。先生」

 来ヶ谷さんはにこやかな笑みを浮かべつつも、さすがに帽子を被ったままでいるのは失礼だと思ったのか、ぱっと取って、ポケットにしまいました。

「これはこれは」

 そんな来ヶ谷さんの顔と、鈴ちゃんの顔を改めて見た議員さんが、驚いた顔を作って笑いました。

「美男子に美少女ですね。お似合いだ。一緒にこうしてやって来たということは、もしかして恋人で付き合っているのかい?」

「はい」

 平然と答えた来ヶ谷さんに、鈴ちゃんはぎょっとしました。

 けれど、知らない人の手前、なにも言いませんでした。

「ですが交際には品行方正を努めています」

「良いことですね。健全な気風が校内にあることは、良いことです」

 議員さんはそう言ってしきりに来ヶ谷さんたちを褒め、学校の案内を頼む、と言いました。

 来ヶ谷さんは微笑を湛えながら、議員さんと理事長さんを優雅に案内していきました。

「あれは野球チームです」

「はて? 今は授業時間中のはずだが」

 来ヶ谷さんが指差した先には、グラウンドで野球に耽るリトルバスターズの姿がありました。

「体育の時間なのでしょう」

「でもそれにしたって、制服でやるのはちょっと不作法というか……」

「議員さんたちがいらっしゃるというので、ちょっと良いところを見せようと頑張ってしまったのでしょう。ほら、見えますか。あそこでやたらとこちらを意識している大男を」

「ああ。すごく背の高い男の子だね」

「彼は井ノ原真人といって、この学校を代表する筋肉質な男です」

「たしかに素晴らしい筋肉だね」

「ところ構わず筋トレしたがるやつですが、生意気ながらもどこか憎めない男です」

「けれどどうして彼は、野球に参加せずにグラウンドのランニングなんかしてるんだい?」

「……議員さん方を、意識してのことでしょう」

「たまにこっちを見て、妙なマッスルポーズをすることもかい?」

「無論それこそ、こちらを意識している証左と言えるでしょう」

「ふむ。まあ、元気があるのはいいことだね」

 それから来ヶ谷さんは、寮の方へと議員さんたちを案内していきます。

「ここは私たちの寮です」

「君たちも寮住まいなのかい?」

「はい。私は男子寮、こちらの鈴君は、女子寮で暮らしています」

「どうも」

「そうかそうか。きっと楽しい生活なんでしょうね」

「騒がしい毎日です」

「でも男子寮と女子寮は距離が離れているので、大丈夫です」

「余計なことは言わなくていいんだよ、鈴君」

「ごめんなさい」

「はっはっは。まあ、恋人に会いたがることも、わからんでもないですが、若いなりの分別は身につけるようにね」

 鈴ちゃんは、ただ話の流れに参加したくて、適当なことを言っただけなのですが、妙なふうに解釈され、顔を赤くし、俯いてしまいました。

 来ヶ谷さんはニヤリとしました。

「ところで、この学校にはやたらと猫や犬の姿があるんだけど、みんなで飼っているのかい?」

「いいえ。どこからか迷い込んでくるようです」

「危険じゃないのかい?」

「彼らが危険だったことなど一度もありません。ただ、少々共に暮らすには狭いですね。賑やかなので、いいことですが」

「そうか。これは敷地の問題に参考になるなぁ……」

 来ヶ谷さんはすましていました。

 ところで、授業終了の鐘が鳴ります。二時間目終了のチャイムです。来ヶ谷さんはこれを機に、学食のほうへと案内していきます。

「ここが学食です」

「なるほど。狭いですねぇ」

「女子と男子で、使う時間を分けなければならないほどです」

「なるほど。でもそれもいいでしょう。まだ学生なんですからね」

「そうですね」

 ちっ、と、来ヶ谷さんは心で舌打ちしました。

「あれはなんですか?」

「さっきの井ノ原真人と、親友の、宮沢謙吾です」

「なんか剣呑な雰囲気じゃないですか?」

「ああやって少々過激にじゃれ合うのは、彼らのストレス発散なのです」

「なんか、パンを奪ったとか、変なことわざを教えたとか、妙なことが聞こえるんだけど」

「本気の喧嘩じゃない証拠でしょう」

「そうか。まあ、学生らしくっていいね」

「わかっていただけて嬉しく思います」

 来ヶ谷さんは次に自分の教室に向かいます。

 そこでひとまず、案内の役目が解かれます。来ヶ谷さんは優雅に鈴ちゃんの手を取って、元の席に座らせた後、自分の席に戻ります。

 一度、不審に思われないために理樹くんの席に行こうかと思いましたが、なんだか真人くんと隣り合って座るのは嫌だったので、そのままにしておきました。

 授業が始まります。

 物理の授業でした。

「あー、ここ、わかる者おるか?」

「はいっ!」

 来ヶ谷さんは、普段でも稀なくらいに、勢いよく立ち上がって、教師から返事もされないうちに、つかつかと教壇のほうに歩み寄っていきます。

 ですが、教師とはとっくに打ち合わせ済みのことだったのです。

 視線を交わしたときに、にやり、と口にかすかな笑みを灯し、先生は来ヶ谷さんに、来ヶ谷さんは先生に、作戦開始だと、目で合図を告げます。

 難しい化学式を、複雑な注釈付きで、来ヶ谷さんが流れるように書いていきます。

「オーバー」

 来ヶ谷さんは英語でそう言い、カッ、とピリオドを打ちます。

「――スッ、トレボン(フランス語)!」

「メルシー」

 なぜかフランス語に変わります。

 素晴らしいことこの上なく、化学式は正解でした。万雷の拍手が送られます。

「とれびあ〜ん!」

 小毬ちゃんがそう叫びます。

「べりー・ぐっどですー!」

 クーちゃんは舌っ足らずな英語で。

「やっぱ惚れるぜ、あいつはよぉ!」

 真人くんは、ちょっとどきっとすることを言います。

「くっ……来ヶ谷さん、す、すす、素敵!」

 理樹ちゃんが真っ赤な顔で言いました。ちなみに、今までのこれがすべて台本のセリフでした。

 後ろでそんな様子を見ていた議員さんが、呟きました。

「活気があっていいクラスですねぇ」

 近くで聞いていた鈴ちゃんが、「そうか?」と思いました。

 授業は終始そんな様子で続けられ、議員さんたちは事あるごとにメモを取りました。

「では、最後に、校長先生のところに案内してくれるかな」

「任せてください」

 来ヶ谷さんはそう言って、廊下に出ようとしましたが、そのとき、

「ん?」

 後ろから腕を引かれます。

 見ると、鈴ちゃんが腕を握っていました。

「待て」

「なんだい?」

「最後ぐらいあたしに案内させろ」

「おっと……」

 来ヶ谷さんは今まで、自分が中心になって議員さんたちを案内していたことに気づき、申し訳なく笑いました。

「鈴君、やる気だな」

「あたしが主役だからな」

「おやおや。それは厳しい言葉だな。では、頼んだよ」

「任せとけ」

 鈴ちゃんは一度振り返り、議員さんたちに呼びかけます。

「こちらです」

「はいはい」

 そして鈴ちゃんは、来ヶ谷さんの前に出ます。

「おや、今度は棗さんが案内人ですね」

「……」

 鈴ちゃんは恥ずかしそうに顔を赤くしましたが、おずおずと答えます。

「そ、そうです」

 その間に来ヶ谷さんは、一番後ろへと行きます。

「今日はお邪魔して悪かったねぇ」

「いえ、そんなこと」

「ところで君は、この学校にいて楽しいかい?」

「まあな。じゃなくって、はい」

「それはどうしてだね?」

 鈴ちゃんは歩みを止めないまま、答えます。

「仲間がいるからだ」

「そうかそうか」

「じゃなくって、です」

「ははは」

 太陽の光も薄くなり、午後の黄金の明かりは、窓を照らしていました。

「いい学校だね」

「そうですね」

「私たちはね、敷地の問題を調査するとともに、実は、最近の学生の実態をよく調査しにも来たんだよ」

「ふーん。じゃなくって、そうですか」

「学生の抱えている問題は本当に多い。とくに最近は目立って顕著だ。それに学校というところは、これから私たちのような人材を作っていくところだから、とくに注目が必要なんだ。だけど世間はあまりにもこれに関心を払わない」

 鈴ちゃんはちんぷんかんぷんでした。

「でもちょっと安心したよ」

 議員さんは嬉しそうな顔をしました。

「こんな学校もあるのだ」

 わー、わー、と遠くで生徒たちの元気な声がします。

「中にはひどい学校もあってね。……君たちは、そうならないようにね」

「大事にします」

「え?」

 鈴ちゃんは続けて言いました。

「ちゃんと、仲間を、大事にします」

「それがいい」

 議員さんは納得したように笑いました。

「ときには喧嘩することもあるだろう」

「ああ」

「でも、それでもちゃんと仲直りしなくちゃいけないよ。自分のほうが悪かった、と思わなくちゃいけないよ」

「まったくそうだ」

「でもこれが一番難しい。学生のほとんどは、甘やかされて、これができないでいる」

「そうなのか?」

「ただ私の目が曇っているからかもしれないけどねぇ……、いつも、そうなのだよ。私たちの国に蔓延している大病の一つが、それだ。いつかは脱皮しなきゃいけないのにねぇ、そこから」

「むずかしいな」

「よく考えなくっていいんだよ」

 議員さんは笑って言いました。

「よく考えなくって、いいの」

 鈴ちゃんは、なにも答えずに、あるいは答え方がわからなくて、そのまま、議員さんたちを校長室へ案内していきました。

 ただ、頭の中では、大事にしよう、仲間を大事にしよう、と言葉を響かせて――。

 

 それからはまた、暢気な日々が続いていきました。課題も、なかなか来ませんでした。

 きっと失敗してしまったのだろう、と鈴ちゃんは思いました。それならそれで、残念ではありましたが、鈴ちゃんにはわりとどうでもいいことでした。

 楽しい日々は続くのですから。恭介お兄ちゃんや、真人くん、謙吾くん、理樹くん、こまりちゃん、クーちゃん、葉留佳ちゃん、美魚ちゃん、来ヶ谷さんと遊んでいるだけで、毎日がお祭りでした。

 そんな中の、ある日。

 鈴ちゃんはふと思いました。

「そろそろ彼氏が欲しいな」

 なぜか強くそう思うのでした。

 なんだかこのタイミングで彼氏が出来ないと落ち着かないのでした。しかし、目に付く男たちは、どれも自分と釣り合っているとは思いません。いえ、釣り合っているという言葉よりかは、自分と彼らが付き合って、うまくいくとは到底思えないといったほうが適当でした。それは自分にも原因がありましたし、相手にも、もしくは双方にも原因はないのに、きっとうまくはいかないだろうと思えたのでした。それはなにか見えない問題だったのでした。

 鈴ちゃんは悩みました。別に恋はしなくてもいいが、なぜかそろそろ、シナリオの進行的に、彼氏となる人物が必要だと、思えたのでした。あるいは、彼女です。ようするに恋人がいなきゃこれ以降のイベントが進行しないのです。あるいは課題の紙が来なくなったのも、そのせいだと思いました。

 そのとき、ふと、来ヶ谷さんと出会いました。

 あれから来ヶ谷さんは、男らしく鈴ちゃんと接しようとしてきます。恋人になった覚えもないのに、ときどきそういうことを仄めかします。

「やあ。鈴君」

「くるがや」

「元気にしているかね」

「いつも顔合わせてるじゃないか」

「なるほど。鈴君の言うことはもっともではある」

 来ヶ谷さんは鈴ちゃんがいっつも秘密の隠れ家にしている、体育館脇のコンクリート床に腰かけました。スカートが汚れることはほとんど気にもしてないようでした。

「だがヨーロッパの人は言うじゃないか。『ごきげんよう』と。『How are you?』と。あれは、元気でやってるかい、という意味なんだよ」

「ふーん」

「あまり深くは考えないでくれたまえ」

「うん。まあ、あたしは一応元気だ」

「そうか。それは良かった」

「元気なだけで良かったのか?」

「良いことじゃないか。君が元気だと、私も嬉しい」

 来ヶ谷さんはにっこりと、紳士らしく微笑みます。

 鈴ちゃんは突然に、ふと、あることを言いたくなりました。

「くるがや」

「なんだい?」

「あたしたち、つきあおう」

 それはとても突飛なことでした。ただ、恋する気があるの、ないの、したほうがよい気がするだのと、長ったらしい言い訳を連ねるより、鈴ちゃんはこういったはっきりした言い方のほうがいいと思いました。

 来ヶ谷さんはきょとんとした顔を作りました。

「私とかい?」

「なんか、あたしとおまえが付き合えば、何事もうまくいく。そう思えるんだ」

 それは鈴ちゃんの心から思った言葉でした。

 そう言わなければならない、強い運命を感じました。

「ははは。まったく。それは私がいつも君に言っていることじゃないか」

「それじゃなんにも問題ないのか」

「君はいいのかい? 私なんかで」

「うーん……」

「理樹くんとか、素敵な男子がいるじゃないか」

 鈴ちゃんは腕を組みます。理樹くんは確かに、一番恋人になった後の、イメージが保てるほうでしたが、なんとなく、今は、そっちの道を取りたくない気がしたのです。

 鈴ちゃんは自分でもよくわかりませんでした。

「理樹とはまた今度な」

「なんだい、それは」

 来ヶ谷さんはけらけらと笑いました。

「とにかくいやだ。理樹は、なんだか、あたしにとって弟みたいなやつだからな」

「そうかね」

「そうだとも」

「ふふふ」

 来ヶ谷さんはそこで、妖しい瞳をちらつかせました。

「本当に私でいいのかい? 食べてしまうぞ、きっと……」

「食べられるのは嫌だが、きっと、いい」

「え、えぇ……」

 今度は来ヶ谷さんが動揺する番でした。まさか、そういうふうに返されるとは思ってもみなかったのでしょう。

 まだ心の中では冗談で済まされる、という決めつけが、来ヶ谷さんの心を揺さぶりました。

「ほ、本気なのか?」

「うーん……男たちは、どれもいやだが、来ヶ谷なら、あたしいいぞ」

「む、むぅ……」

 来ヶ谷さんは真っ赤な顔で、考えに沈みました。そんな彼女は、鈴ちゃんにとって、今までにないくらい可愛らしく、可憐で、淑やかで、愛おしく感じました。

 来ヶ谷さんは火照った顔で、こちらをちらちらと見ました。

「じゃ、い、いいのかい……?」

「いいぞ」

 この段になると、さすがの鈴ちゃんも、ちょっと顔が赤くなりました。

「うむ。わかった」

 来ヶ谷さんはそろそろと鈴ちゃんの手を取ると、それから、ぎゅっと握りました。

 来ヶ谷さんと鈴ちゃんは恋仲になりました。

 さあ、これで、次なる課題がくるはずでした。鈴ちゃんはそう予感しました。

 

 実際次の課題はすぐに来ました。

「『併設校をすくえ』……」

 鈴ちゃんには意味がすぐ掴めました。あれから、(あれからというのは、議員さんたちを案内し終わってから)、先生たちから「併設校へ交換留学生に行かないか?」と誘われていたからです。きっとそのことだろう、と鈴ちゃんは思いました。

 鈴ちゃんは考えました。

 知らない人たちのところへ行くのは苦手です。

 それに、この学校の併設校というのは、とあるクラスのグループが、修学旅行中にバスごと崖から転落して、全員が事故死したという、災難に見舞われ、学校全体が落ち込んでいるという話です。自分がそんなところに放り込まれて、なにかできるとは思えませんでした。

 鈴ちゃんは、どうしよう、と思いました。

「相談しよう」

 鈴ちゃんはまず来ヶ谷さんに相談しに行きました。

 来ヶ谷さんは、とても明確で、とても優しい一言を残してくれました。

「鈴君がしたいと思うことをすればいいよ。それはきっとすべて正しい」

「ほんとーか?」

「うん。だって、君は生来、優しいし、賢いのだからね。私は信頼している」

 来ヶ谷さんは頭を優しく撫でてくれました。

 鈴ちゃんはすこし考えてみて、とある解決策を考えつくと、うん、と頷きました。

「わかった」

「わかったのかい?」

「うむ」

 鈴ちゃんはしきりに頷きます。

「先生のところにちょっと行ってくる」

「ああ。行っておいで」

 鈴ちゃんは先生のところに行きました。

「こーかんりゅーがくせーって、一人じゃないとダメなんですか?」

「いや、ダメというわけではないが……きっと、数人くらいならオーケーだぞ」

 先生はもごもごと答えます。

「十人じゃダメですか?」

「十人!?」

「はい」

 先生は仰天しました。それから、電話で先方に連絡を取って、協議を重ねた結果、こう言いました。

「オーケーらしいぞ」

「やった!」

「……なぁ、どういうことなんだ。棗。それで、結局行ってくれることになったのか」

「ああ。行ってやる」

 鈴ちゃんは誇らしげに頷きました。

「だが、あたしはリトルバスターズ全員を連れて行く!」

「な、なんだと!? あいつらをか!?」

 先生は再び仰天しました。でも、鈴ちゃんはもうすでに決めていました。

 飛ぶようにしてみんなに相談しに行きます。

 一番驚いたのは恭介くんでしたが、ある程度まで話すと、鈴がそう決めたんなら、と承諾してくれます。

 鈴ちゃんは喜びました。

「じゃあ、みんな、併設校行きでいいんだな!」

「オーケーだよ〜」

 こまりちゃんが答えます。

「はるちんも、鈴ちゃんやみんなと一緒ならいいっすヨ!」

「オレの筋肉を他校にも見せるときが来たか!」

「リトルバスターズ、一致団結のときというわけだな。面白い。ジャンパーの繊維が唸る!」

「そんなものを唸らせるてどうするのだ、君は……」

 来ヶ谷さんが呆れた眼差しで突っこみます。

「わふ〜。英語を勉強しとかないといけません〜」

「クドはそのままでいいと思うけどなぁ……。でもなんだか、ちょっと怖そうな学校だね。僕らだけで大丈夫かな」

「元々は鈴にだけ来ていた話だ。鈴にできる仕事なら、おれたちだって出来るだろ」

 恭介くんが、不敵な顔でにやりとします。

 鈴ちゃんは頬を膨らましたが、頼もしい物言いに、また、安心して笑うのでした。

「まさかこの私が、こんな大役を任せられることになるとは思ってもみませんでした」

「みおは不安か?」

「自信がある、と言えば嘘になります。ですが、皆さんのお力になることはきっと出来るようです。私も同行させていただきましょう」

「よしきた!」

 全員の決が取れました。鈴ちゃんたちはこれから、一ヶ月、知らない学校へと赴きます。

 でも怖くなどありません。みんながいてくれさえすれば。

 鈴ちゃんは学んだのでした。

 なにか、自分の力だけではうまく解決できそうにもないことがあったら、すぐ、人の力を借りることを考えるのだと。

 そうすればきっとうまくいく。知らない世界でも、きっと、うまくやっていける。

 だって鈴ちゃんは一人ではないのです。

 これから先、みんなと離れて、一人になったとしても、そのことを知っていれば、一人にはならないで済むのです。新たな未来、新たなる土地で、新たなる仲間を作って、鈴ちゃんはたった一人でも(そのときには一人じゃないかもしれませんが)、十分やっていけるのです。

 そのことに気づくのに大きな努力が要って、さらに、一番大きな収穫を得れたのは、きっと、他でもない、鈴ちゃんのお兄さん、恭介くんだったでしょう。

 彼は間違った方法をとり続けていました。

 しかし今、明るい笑い、明るい楽しみ、明るい光の中で、ちょっと恥ずかしげに、今までの自分の過ちに、気づくことができたのです。本当にひそかに。誰も言わずに。自分の心の中だけの秘密として。

 そうやって気づいていくのです。 

 恭介くんは、すこし恥ずかしい気持ちでしたが、さらに、それ以上に、とても晴れやかな気持ちで、鈴ちゃんと、そして理樹くんたちと、賑やかな振る舞いで、併設校を元気にしていく様子を心に思い浮かべるのでした。

 そして、暗い笑みではなく、ようこそたどり着いた! と、クラッカーでも鳴らしたくなるような、楽しい拍手でも送るような、明るい場所で、この世界の秘密を鈴ちゃんに打ち明けるところを、想像するのでした――。

 

 おわり

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