第2話

 

 僕は家族への電話というのを忘れてない。

家族というか、僕に両親などいないから、必然的に妻への電話になるのだけれど……。

「愛してるよ」などと末尾に言うのが恥ずかしくて、赤面したりするのが、やっぱりまだ結婚三年目という僕らの、ちょうどいい実態なのかもしれなくて、でも会社の同僚などに話すと、「直枝さんそりゃおしどりっすね」などと冷やかされるのは、やっぱり自分たちは変なのかなぁ……という疑念にも繋がるけれど、僕らは僕らで、そんな子どもっぽいやり取りが似合うと一種の自信を持っているので、僕は今日の朝も、恥ずかしながら、敢えてそうしたのだった。

 ……僕は朝っぱらから、いったいなにをやってるんだろう。

 酒はもう頭に残っていない。だが気分的にちょっと酔っているのかもしれない。こんなこと、真面目な気持ちでできるか。

 僕は照れくさくなる顔を押さえつつ、最後に、星座占いのチャンネルに切り替え、それを見ると、きっちり、僕の星座は最下位となっていた。

 昨日の分の……転落ということか?

 今日あなたは、避けられない最大の不幸と巡り会います。お気をつけて……だって。

 馬鹿にしている。お気をつけてだって? そういうのが職務怠慢っていうんだよ。そっちでできる限りのことをしてくれればいい。ぷんぷん。と、僕はとくに意味もなく、ガキっぽく怒ってみせる。

 はぁ〜……なんだか憂鬱。出鼻をくじかれた気分だった。

 しかし、最大の不幸か。

 飾り付けられた言葉じゃないか。いったいなにが待ち受けているんだろう、と、僕はちょっとそら恐ろしい気持ちになりながらも、靴を履き、玄関を抜けて道路に出る。

 今日はちょっと早めの出勤だ。まだ顔を合わせてから二日目だから……という殊勝な理由ではないが、もともと僕の考えでは、上司というのは、部下の誰よりも早く職場に行って、職場を温めておくのが第一の仕事だと思っている。重役出勤なんて、そりゃ、ドラマの中だけの話だ。そうしたいやつはそうすればいいけど、上司が部下よりも頑張るのは、僕の会社では、常識だ。

 しかしどうも靴の走りが重い。

 さっきの占いの結果が、ず〜ん、と僕の背中にのし掛かっているようだ。

 はっ、さては、これが、あの不幸の結果というやつか? 心理学めいているけれど、そうなのかもしれない。と、僕はやや馬鹿っぽく、希望的観測をしてみせる。

 そんなわけ、ない。

 取りあえず財布だけは死守しとこう……と、胸ポケットを押さえながら、一人疑心暗鬼として、レンガ造りのオシャレな本通りを歩いていると――、

「!?」

 唐突に、後ろから肩を叩かれる。

 妙だ、と思って振り返る前に、

「もし。きみ」

 と、よく芯の通った声が、後ろからかけられる。この声の出し方は――、一発でわかった。

 警官だ。

 自信に満ちた声。静かでいて、腹の底まで響くような声だ。

いっぱしの大人である僕さえ(二十八だ)、ちょっとびびる。

僕は自分の罪状を確認しながら(そんなものはないけど)、おそるおそる振り返ってみた――。

「……」

 そして固まった。

 婦警さんだったのだ。僕は、てっきり男の人だと思っていたのでびっくりした。そういえばちょっとキーの高い声だった気もする。

 その警官さんは、交通課の、わりと可愛い(べつにファンシーという意味ではない。女子が憧れそうな)制服を着ている人だった。

顔は、制帽を目深に被っていて、見えない――。

「ちょっと質問したいのだが」

「はあ……」

 でも僕は、確かこんな格好で、よくこんな感じにパトロールしてそうだった人を、わりと身近に、知っていた気がする――。

「きみは、私の知り合いじゃないかね」

「……」

 彼女は、まるで男みたいなしゃべり方で、僕に質問した。

 僕はさらに硬直した。

「くっくっく」

 その警官さんは、ついっ、と、指で制帽のひさしを軽く上げる。

「やあ。眼鏡、変えたね? 生意気な」

 僕はとんでもなく仰天した。

 や、やっぱりこの人だったのだ!

「くっ――くっ、く、来ヶ谷さんっ!?」

「なにをそんなに驚くことがある。理樹君」

 相手は来ヶ谷さんだった!

「ふっふっふ……浜月町へようこそ。理樹君。君は今月初めから、ここへ転勤になったね? わかっているよ。鈴君から聞いた」

「え、ええっと……」

 僕がなにか返答をする前に、来ヶ谷さんはとうとうと言葉を捲し立て、さらに帽子を取り、不良警官らしく、くるくると人差し指で回しながら、笑った。

「どうせ私がこの町に住んでいると知って、ここに自ら転勤を申し出たのだろう。知っているよ。そんなこと会社に受理されるのかどうかはおいといて。……ふっふっふ。もう、可愛いなぁ、理樹君は。そんなに私のことが忘れられないのかい? でも残念だ。君にはもうすでに女性がいる。この私なんかと不倫したら……」

 そうしてどこからともなく手錠(本物!?)を取りだして、にわかに僕の腕にかけた。

「逮捕だ」

「ちょぉ――――っ!?」

 天下の往来で、僕は逮捕されてしまう。

 い、今のは、本気でっ!? ちょっと待て! 今はこんな朝早くだからいいものの! これが通勤ラッシュの時間帯だったら、僕はとんでもない汚名を被っている!?

 慌ててあたりを確認すると、近くには、ほんの少数の、犬の散歩に来ているお爺さんと、僕のようなサラリーマンしかいなかった。誰も僕のことを見ていない。いや、っていうか、来ヶ谷さんが、ことごとく僕の腕が死角になるように隠してくれている……。

 ふーっ、と溜息をつく。

 でも僕の片手は鉄の手錠に繋がれたままだ。

「なにするんだよっ!」

 僕は大声を上げた。

「驚くな。ちゃんとカギはある」

「そういう問題じゃないでしょ!? って……勝手に手錠とかかけていいのかよ!」

「なにを言っているんだ。これはおもちゃだ。規則に忠実な私が、そんなことするわけあるまい」

「ほんとかなぁ……」

 がちゃっ、と、すぐカギを外してくれる。ふらふら、と手を振ってみるが、なんだか変な気分がする……生々しく、鉄の感触がじんわりと手首に残る。

 人生で初めて手錠かけられたよ……ふぅ、いやな経験だった。

 僕は改めてその人の姿格好を見やる。

「久し振りだね、理樹君」

 初めて見る――、来ヶ谷さんの、警官姿だった。

「うん……」

 来ヶ谷さんはあのときとほとんど変わらない顔で、僕に笑いかけてくれる。

 下はスカート。当然高校生だったころの、あんな丈の短いスカートなわけではなく、普通の中くらいの丈。べ、べつに残念なわけではないけど。

「なんだ?」

「いや……意外だな、と思ってさ」

「私のスカート丈が?」

「違う!」

 顔が赤くなる。

 来ヶ谷さんはけらけらと笑った。

「冗談だよ、理樹君」

 僕が当惑しているところへ、つんつん、と僕の眼鏡のフレームを指で叩く。

「生意気にも眼鏡を新調したな、貴様?」

「べ、別にいいでしょ……」

 言ってなかったが、僕は今では、眼鏡をかけるようになった。もちろん仕事やフォーマルな場所に行くとき以外にはかけないが。その……なんていうか、素の顔だと、色々、馬鹿にされるからだ……。子どもっぽいというか、女っぽいから……。

「似合っているよ?」

 そう臆面もなく言われると、また顔が赤くなる。

くっそぉ、二十八にもなって、まだこの人に手玉に取られるか……。

「でも私は、以前の丸っこい純朴な眼鏡のほうが好きだった」

「どうして」

「そちらのほうが眼鏡萌えするからだ」

「意味わからないから……」

 僕は部下を持つようになったので、それ相応の、大人っぽい、細い眼鏡を選んだのだ……。

「しかし、こんな暑い日に、紺のスーツ着用とはご苦労様だね」

「来ヶ谷さんもでしょ……」

 どちらかというと来ヶ谷さんのほうが、色々な装備に固められていて、暑苦しそうだ。

「私のほうは問題ない。これは最新鋭のテクニカルスーツで、常に弱冷暖房完備だからな」

「子どもでもわかる嘘つくのは止めてよ……」

「……君はロマンを解しないのか?」

 ロマンはロマンでも、そんな世間じみたロマンは解したくないよ……。

 僕は溜息をついて、さっきの話題に戻す。

「僕が意外と言ったのは、来ヶ谷さんまでもが……この浜月町にいたってことだよ」

「ふむ?」

 来ヶ谷さんが眉をひそめる。だがそれからすぐ後に、来ヶ谷さんは顔を平然にして言った。

「そう言うなら、君は、すでに恭介氏にも会ったね?」

「会ったよ。……もう、ひどいじゃないか。どうして住んでいるところをちゃんと詳しく教えてくれなかったのさ。僕はびっくりだよ」

「いや、私は、てっきり鈴君から聞き出してきたものなのだとばかり」

 来ヶ谷さんは僕の言葉をはぐらかして、まともに取り合ってくれない。なんでだろう。まるで、僕に、自分たちがこの浜月町に住んでいるということを隠したがっているみたいだ。僕がこの前来ヶ谷さんに住所を尋ねたとき、来ヶ谷さんは、関東の南らへん、と大まかに言っただけで、すぐ他の話題へと会話を転じてしまった。もっとも、たったそれだけで、そう決めつけるのもよくないけど……。

「鈴には聞いてないよ」

「ふむ、そうか」

「もう、そのせいで僕は要らない疲労を感じじゃったじゃないか」

「私も恭介氏も、君のことをびっくりさせたかったのだよ」

「嘘ばっかり」

 僕は溜息をついて、あからさまに目を逸らす。

 横目で見た来ヶ谷さんは、目を細めて、こちらを薄い微笑みでじっと見つめていた。

「おこりんぼだなぁ、理樹君は」

「……来ヶ谷さんは、ここで警官をしていたんだね?」

「そうだよ」

 来ヶ谷さんは隠したがる気配もなく、答える。

「浜月署。……こんなつまらない町ながらも、生意気に署など構えている。昔は規模が広かったらしいからな。そこの交通課所属の、来ヶ谷唯湖だ」

「他の人はいないんだね? 本当に、ここには、来ヶ谷さんと恭介以外、リトルバスターズのメンバーは住んでないんだね?」

「しつこいな」

 来ヶ谷さんは顔をしかめる。だが、どこか楽しそう。僕は再三確認をし終えて、ようやくほっと一息つくことができた。

 もう、疲れた。最初からそう言ってくれればよかったのに……。

「確かにもう、ここには、私と恭介氏以外、君の知り合いは住んでいないと思う」

「本当に?」

「うん。美魚君は東京の本郷に住んでいるし、小毬君は大阪に住んでいる」

「うん。それは知ってるけど」

 僕は、ちょっと、なんとなくだけど、高校のころはハイスペックの、超人的な二人、絶対将来は財政界や産業界のトップに出入りするはずだと思っていた二人――つまり、恭介と来ヶ谷さんだ――が、この、なにも特徴がない、つまらない浜月町というところで、建築会社と警察官をやっていた、ようするに、立派に町の社会の一部として、活動していたということに、驚きを抱かずにはいられなかった。

 あんなにすごい人だったのに……この浜月町では、ただの、住人だ。

 真人が海外を転々としたり、謙吾が剣道界のビッグネームになっていることと比べれば、なんだか、すごい、ショックなようなものを感じるわけだ……。

「佳奈多君と葉留佳君は海外にいるし、あのわんこも一緒についていって、物理の勉強をしているのだろう? あとは鈴君は、東京の武蔵野に住んでいる。どうだ。もうここに君の知る者はおるまい?」

「あと叉夜さんもいるよ」

「叉夜君は死んだよ」

 来ヶ谷さんはわりときっぱりと言った。

 僕は首肯する。

「そうだってね」

「……」

 それから来ヶ谷さんは、なにか言いたそうにしていたが、悲しそうに目を遠くするだけで、なにも言わず、また制帽を深々とかぶってしまった。

「さて、あまり長話もしていられんな」

「そうだね。仕事中……だったんだね。こんなに朝早くから」

「本官は朝番でありますから

 さっきと同じような、堅苦しい口調で、来ヶ谷さんは力強く言ってみせる。僕は苦笑した。すると、悪戯が発覚したような、ばつの悪い、可愛い表情で、来ヶ谷さんはすこし笑ってみせる。

 けれどそれは。

 叉夜さんのことを思い出したからか、どこか寂しそうな顔だった。

「本官は引き続き任務に当たります。お仕事中に、引き止めをして申し訳ありません」

「いいよ、いいよ。そんな、どうせ僕も時間はあったわけだし」

 堅苦しい口調で喋らないでよ、と僕は、眼鏡を外してみて、目で語ってみせる。

 そうすると来ヶ谷さんは、くすぐったそうに笑ってくれた。

「また、ちょっとだけ楽しくなるな」

「毎日が?」

「うん。……それじゃあ理樹君、達者でな」

「……」

 やけに重い一言を残されて、僕は置いてかれてしまった。来ヶ谷さんは背中を見せて、かっこよく、白い手袋に包まれた手で、ひらひらと僕に挨拶をした。

 僕は出勤の道を急いだ。

「あちゃー……」

 仕事でミスをしてしまった……。

他の製造会社へのファクスに載せる、数字の桁を間違えたのだ。初歩的なミスだった……初歩的なミスだけに、損害が痛い。後輩や部下に見せる顔がない。

 それから僕は、内心かなり焦りながらも、表に出さず、一つ一つ着実に問題を解消していって、仕事を無事終えたけれども、失敗した今日の分は、その日のうちには、最後まで取り戻すことができなかった。

 残業として居残りすることもできないし……(僕の会社は、あまり残業を許してくれる会社ではない)、家に帰って仕事の続きをするのも、あんまり必死すぎるように見えて、同僚の受けが良くないので、結局僕は、上司や同僚に慰められながら、定時よりちょっと遅い時間に、家に帰ったのだった。

 コーヒーを入れて、部屋でテーブルに肘をついて、目頭を押さえる。

 やっちゃったぁ……。

いやな日だったなぁ。必ず不幸に出会います、って、こういうことだったんだろうか。

 いや、止めよう。

 はやく夕飯の準備をしなきゃ。ご飯を炊いて、スーパーに総菜でも買いに行こう……。

 そう思って、僕は手早く私服に着替え、家を出た。

 夏だから暑い。

 暗い住宅地を歩いていく。まばらにしか街灯が見えない。わおーん、と、どこかの家で飼っている犬の遠吠えが聞こえる。月明かりが、ぼんやりとカーテンのように照っている。しばらく歩くと、帰宅していくサラリーマン数人と出会う。彼らと挨拶することもなしに、すれ違う。

 首にじっとりと絡みつく汗を感じながら、僕は、手で気持ち悪げに拭いつつ、スーパーへと向かった。

「はぁ……」

 スーパーの自動ドアをくぐると、一気に涼しい風が舞い込んでくる。僕のシャツの隙間を縫って、体を冷ましてくれる。

 でも、ちょっと冷房が効き過ぎてるかもな。寒い。

 僕は手早く買い物を済ませ、さっさと家に帰ろうと思った。

 またどこかで、不幸に出会ってしまうとも限らないから――。

「おや」

 と、思った直後、また僕はその人に出会ったのだった――。

「く、来ヶ谷さん……」

「やあ、理樹君。奇遇だね」

 さっと髪を流して、来ヶ谷さんはにやりと笑う。

「君もこのスーパーを利用するんだね」

 買い物かごを手に取った、私服姿の来ヶ谷さんだった……。

 僕はどぎまぎする。

 黒のレースの、ひらひらした、袖の短い夏用の服に、また黒のロングスカート。靴がわずかにしか見えないぐらいのそれは、来ヶ谷さんに驚くほど似合っていて、また、上品な感じをも醸し出していた。

 夏の夜に似合っているな、と僕はなんとなく思った。この静かで素朴な浜月町を、こんな美人が楚々として歩いていたら、そりゃ絵になるだろう。もっとも、楚々なんてこの人には似合わないだろうけど。でも来ヶ谷さんは、なんとなく、こういった名もなき素朴な町の夜が、似合うと思ったのだ――。

 反して、僕は、半袖のポロシャツに、ジーンズのハーフパンツ。

 ……なんか、大学生みたいだった。

 来ヶ谷さんはまるで気にも留めないみたいに、笑う。

「と、いうことは、近くに住んでるんだね? 理樹君」

「まあね……」

「君の住んでいるところと、私の住んでいるところは近くらしいね」

 やたら色っぽく言う来ヶ谷さん。遊んでいるだけだろう。僕は聞かないことにした。

「恭介の家の近くだよ」

「ほう」

 来ヶ谷さんはそれだけ言うと、なにやら考え込むように、腕を組んでうむうむと言っていた。

「……して、それは今晩の夕食かね?」

「……来ヶ谷さんのほうこそ、それは今晩食べる用なの?」

「まさか」

 と言って、来ヶ谷さんは軽々と買い物かごを掲げてみせる。

 レタス、人参、キュウリ、卵、……名前がわからない魚、豚、パスタ、そうめんが大量、バターに、トマト、梨、豆腐、納豆、油揚げ、醤油……。

 代わって、僕の買い物かごのほうは……、

「なかなか君も、精のつくもの食べているね」

 皮肉だった。

 肉じゃが(総菜)、天ぷら(総菜)、唐揚げ(総菜)、サラダ、カップ焼そば、カップ麺、あとは食パン、ヨーグルト、チョコのお菓子……。

「サラダとヨーグルトだけは感心する」

「……もう、なにも言わないで……」

 僕は項垂れた。どこの大学生だ……僕は。

「ふむ」

 それから来ヶ谷さんは、じろじろと僕の買い物かごと、僕の顔を見て、なにか言いたそうにしていたが――、

「理樹君」

「え?」

 なにも、僕が予想していたようなことは、言わなかったのだ。

「一緒に売り場を見て回ろうか」

 来ヶ谷さんは、僕を連れて、主要な売り場を周り、軽く、それぞれのタイムセールや、特売日を教えてくれた。

 豚肉が安くなるのは木曜日。第一と第三になる。魚は残念ながらあまり安くなることがない。野菜や果物は、県内の農家から直接仕入れることがある。そのときはとっても美味しい上に、値段もちょっと安めになるので、狙い時だとのこと。入ったときには広告で告知がある。卵はよく安くなるが、不定期。

 それから、なるべく料理はしたまえ、と言い、お味噌と鰹だしとワカメを持たされてしまった。

 僕は、

「一人だけだと、まともに作る気も起きないんだよ……」

 と言いながら、やっぱりそれを、買い物かごに入れる。っていうか、お鍋も買ってなかったっけ……あとで買いに行かなきゃ。

 でも僕がそう言うと、来ヶ谷さんはまともに頷いていた。

「それは確かにそうだな」

「面倒くさいよねぇ」

「うむ。よくわかる」

 来ヶ谷さんは笑った。けれど、それだと、どうして来ヶ谷さんがあんなに熱心に材料を買い込んでいたのか、わからなくなってくる。でも僕は、それを聞くのがすこし憚られた。きっと来ヶ谷さんは倹約家だから、真面目に料理を作っているのだろう。

 でもちょっと、やっぱり不思議だった。

 会計を済まして、またあの蒸し暑い、夏の夜に帰っていくとき、ふと、僕のポケットに入れておいた携帯が、ぶるぶると鳴った。

 取りだしてみると、恭介からのメールだった。

『今日は来ないのか?』

 ……恭介。

 僕はちょっと、驚いた。

 今日は止めておこう、と思ったのだ。そう連日で続けてお邪魔しちゃ、潤君も疲れるだろうし、恭介にも悪いと思ったのだ。でも、向こうは、さっぱりそんなことを考えていないらしい。

「どうした」

 来ヶ谷さんが振り返って僕に尋ねる。僕はちょっと微笑んで、来ヶ谷さんに携帯の画面を見せてみた。

「ほう」

 来ヶ谷さんはまるで面白いものを見つけたように、目をキラキラと光らせる。

「君はこれから棗家へ行くのかい」

「うん。……恭介に遠慮するのって、やっぱり変だから」

「なるほど」

 来ヶ谷さんは感心したようだった。

「やっぱり君たちは親友だな」

「来ヶ谷さんでもでしょ。リトルバスターズなんだよ」

「ふむ」

 来ヶ谷さんは、嬉しいながらも、どこか寂しそうな目だった。

 そうしていると、またもや恭介から続けてメールが送られてくる。返事を打っている最中だったので、僕は一度それを全部消すはめとなった。

『潤も待っている。こっちはもうすでに三人分飯を炊いてあるぞ。あとは料理を作るだけだ。はやく来い』

 問答無用だった。やっぱりこういうところは、あのリトルバスターズのリーダー、棗恭介らしくって、僕はひとたびの安心とともに、呆れかえってしまったのだった。

「……来ヶ谷さんも行く?」

 僕が何気なくそう尋ねると、来ヶ谷さんは素の顔に戻って、目をぱちぱちと瞬かせた。

 驚いているらしい。

 でも、微笑んでくれた。

「君の持っている材料では、たいした食事にはなりそうもないな」

 ぎくり、と僕の心臓が打つ。図星だった。

 来ヶ谷さんは初めて、そこで、僕の買い物袋と、自身の買い物袋を見比べて、そのことに言及するのだった。

「君たちには任せておけん。今日の夕食は私が作ってやろう」

 どうして嬉しそうなのか、僕の頭には、判然としなかったけれど。

 高校生のころの友だちと、また一緒に食卓を囲めて――それは、とても妙で、めずらしい光景だったかもしれないけど――でも嬉しくて、そうあるのは事実で、僕は、うきうきと恭介に返事を書くのだった。

 返信し終える前に、来ヶ谷さんは背を向けてすたすたと歩いていってしまう。

「恭介氏に、」

 そうして振り返ったときの来ヶ谷さんの微笑みは、

「酒を用意するように、言ってくれ」

 とても綺麗で、可愛く、僕のよく知っている、昔の来ヶ谷さんの笑顔だった。

「菓子もついでに用意したまえ」

 さらに続くお約束な一言も同じで。

 第3話

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