恋に、哀しみという調味料を混ぜれば、その恋は尋常よりも激しく燃え立つ。

 今、真人と鈴の中にある感情はそのようなものだった。

 はっきりとその根拠をイメージにしたわけではないけれど、そのとある一つを連想させるものとしては、年老いた猫――マイルスの死は絶大な材料だった。

 真人と鈴は、にじんで沈んでいく夕陽の中、墓の前にしゃがみ込んでいた。

 時の流れていくのが遅く感じられる。

 鈴はようやく涙を拭った。マイルスのために流していた涙。それを止めて、細い眼差しになって、マイルスの墓を静かに見つめていた。

 真人は、先ほど鈴に看取られながら死んでいくマイルスの魂に、自分の存在を重ねていた。

 いつか終わる命。

 自分も同じだった。

 真人も、いつか鈴と理樹を残したまま、そう遠くない未来に死んでしまう。

 いつまで続くだろう。

 真人と鈴は、そう思ったから、今すぐ自分が生きているという証拠が欲しかったのかもしれない。

「真人」

 見つめ合ったときに、鈴が弱々しげに話しかける。

 真人は、言われるより前に、鈴に手を差し出してやった。

 冷たい鈴の手が、温かい真人の手に寄り合わされる。

 真人は振り返って言った。

「帰ろうぜ」

「うん」

 手を強く握り合ったまま、二人は寮に帰って行った。

 色褪せた太陽が、空に貼りつけられた絵のように、乾いて見えた。

 

 

 ◆

 

 

 それからだった。

 鈴がはっきりと真人を恋愛相手として認識するようになったのは。

 手を繋いで帰ってきたという妙な事実も大いに鈴を赤面させる材料となったが、それよりもずっと、鈴はマイルスの死のショックから、自分を支えてくれる人を探していた。

 それは、特別な根拠などない、ただ本能的な恋愛だった。

 真人と寮の入り口で別れ、自室に戻ってきてから小毬や葉留佳たちに慰めを受けているときすら、鈴は真人のことばかり考えていた。

 今なにをしているんだろう。

 どうしてそばにいてくれないんだろう。

 それが不思議でどうしようもない。男子と女子だから、部屋が分けられているのは当然なのに、今さらそんなことを不思議がる自分が、自分でも不思議だった。

 寂しい。わからない。不思議。なぜ。

 そんな疑問が心中に真人への恋心を呼び覚ます。

 恋する気持ちと、羞恥の感情はときどき反発し合う。

 鈴がすっきり、真人への気持ちに納得できたはずがない。

 布団にくるまってごろごろと転げ回る。

 頭を角にぶつける。すると大人しくなる。

 先ほど、友人の誰にもこの気持ちを打ち明けなかったのは、鈴にとってはある意味正解だったのかもしれない。

 恋というものは難しいものだ。

 とくに真人という馬鹿は、学校で第一種特別指定を受けているほどの超絶馬鹿。リトルバスターズ女子主催男子モテ度ランキングでも常にトップ下。永遠のエース馬鹿。そんな相手に今さら恋心を向けるのは、鈴のみみっちいプライドがどうしても許さなかったのだ。

 そもそも出会えばいつも喧嘩口調だ。

 恋の「こ」の字もそこには窺えない。

 そんな葛藤が、ますます鈴を恋の自覚へと引きずった。

 もう観念だ。

 あれこれと適当な言い訳を思いつくが、そのどれもが納得できない中途半端な言葉。

 確実かもしれない。

 鈴は、気を持てあました挙げ句、耐えきれなくなって、ついに深夜に恭介へと電話をかけた。

 ぷるるるるる――、と簡素なコール音が鳴り、恭介はすぐに電話に出た。

『はい』

 鈴は無理に声を低くさせた。

「……きょーすけ?」

『どうしたんだ? こんな夜遅くに。そんな便秘中みてぇな声出して』

「……うん」

 便秘という冗談にも反応しない。恭介のほうが驚いた。

『なんだなんだ? どうしたんだよ? お兄ちゃんになにか言いたいことでもあるのか?』

 そう言われて、鈴ははっと赤面した。電話をかけたのはいいが、まさか「恋した」なんてストレートに白状できるわけがない。

 鈴はとっさに言い訳をし始めた。

「あ。ちょ……ちょっとあたし、恋の相談を……」

『なんだとぉ――――!?』

 予想以上にびっくりされる。鈴は衝撃を受けた。

「ち、ちがう!?」

『鈴がコイ!?』

「ばかばか! あほかっ!」心臓が半鐘を打ったように脈動している。

「あたしじゃないわ! ほかのやつから恋の相談を頼まれたんじゃ! あたしじゃない!」

『……は?』

 恭介の反応が止まった。代わりに訝しげな声が返ってくる。

『相談? 相談って……おまえがか? 誰から?』

「こ、後輩のAさん」

『は?』

 苦しかったかもしれない。恭介の反応がやけに白々しい。

『おまえに後輩の知り合いなんかいたっけか?』

「うん。実はいた」

『へえ』

 絶対疑っている。声からそんな気配が伝わった。鈴はええい、ままよ、という気持ちで、一気に虚飾の情報を付け加えた。

 ずるずると、あり地獄に沈み込んでいる気がした。

「か、かわいいやつでな。あたしと同じ猫好きで、にゃーにゃーと語尾につける、面白いやつなんだ」

『ふーん』

 そんなやつ現実にいるわけないが、恭介はひとまず理解したようだった。

『で、相談ってなんだよ? おまえじゃ答えられないことなのか?』

「う、うん……」

『オーケー。内容は?』

 鈴はどきっとした。とうとう本題に入る。

 鈴は――なるべく慎重に、その後輩には今好きな人がいるらしいのだが、日頃から喧嘩ばっかりしている相手で、今さら「好きです」などと言えるような相手ではない、だから、そのためにどういう工夫をすればよいかと尋ねられた、と伝えた。

『ふむ』

 恭介は間を置いて思案した。

「ど、どうだ?」

『難しい質問だなぁ』

「みゅ」

 鈴としては、この恭介の反応は意外だった。

 恭介だったらなんでも魔法使いみたいに答えてくれるものと思っていた。

『恋愛ってもんは、本人がもうちっと努力してくれねぇと、周りは口出しずれぇもんなんだよなぁ』

「ど、努力?」早速難しいワードである。

『それはな』

 と、恭介は若干呆れ気味に答えた。

『喧嘩ばっかでも、その中になんとかして親密っぽいムードを作るとか、その過程で自分の気持ちを確かめてみるとか、そういう各方面での努力だよ。そいつの質問からは、なんだかこっちに必要な作業を全部投げているように感じられる』

 鈴は困った。

 まさかこんな解答をしてくるとは思ってもみなかったのだ。

 厳しい。こんな悩みは、恋する青年女子にはほぼ当たり前なものなのだと思っていた。

 甘かったということだろうか――。

『恥ずかしがってちゃいけねぇぜ、って応援しかできねぇと思う』

「や、やっぱそうか」鈴はとっさに見栄を張った。

「そうだな。あたしも実はそう思ってたんだ」

『だろ?』

「うん」

 冷や汗だらだらである。

『そうすりゃ話は簡単だ』

 話がどんどん進んでいく。鈴は頭が故障しそうだった。

 恭介は舌が乗ってきたのか、ついに自身の恋愛論まで語り出した。

『恋心ってものは伝染しやすい』

「でんせん?」

『ああ。もしそいつが、本気で相手のことが好きなら、そう思ってれば相手も自然とそいつのことを好きになる。まじめな話だぜ』

「お、おぉ〜」

 恭介がめずらしく真面目なことを言ってくる。鈴は久々に兄貴を尊敬した。

 とっくに化けの皮が剥がれていることに鈴は気づいているのだろうか。もうすでに質問者と回答者の体になっている。

「でも、きょーすけ」

『ん?』

「もしそうしたら、相手にこっちの気持ちがばれちゃうこともあるんじゃないか?」

『ばか。そこはどんどんばらしていくんだよ』

「なにぃ――――っ!?」

『そうしなきゃ意味がないだろ』恭介はしれっと言う。

『『私はあなたのことが好きです』って顔に書いとかないと、相手はなんとも思ってくれねぇぜ? それにこのやり方なら完全に恋愛対象外とかじゃねぇ限り大抵はうまくいくよ。おまえも女だったらわかるだろ?』

「う、うん……」

 今ここに明らかになった、恋愛の奥義。鈴はまさに、今ここに天啓を受けた気分であった。

「まーな。おんなだからな」

 おんなという名のメスである。

『で、肝心のおまえの好きな相手は誰なんだ?』

「うん。えーと……」

 すこしだけ考えて――、

「!?」

 鈴は呼吸が止まった。いま恭介はなんて言った――。

『ん? だからおまえの話だろ?』

「にゃっ!? にゃ、にゃにゃにゃんでそうにゃるんじゃー!?」

『『にゃ』、いっぱいついてるじゃないか』

 恭介は爽やかに笑う。鈴は熱気で顔が爆発しそうになった。

 ヒートパラダイス状態のまま、鈴は口をぱくぱくと高速で動かす。

『途中からおまえの話だと思ったよ。相談を本当に受けているにしろ、受けていないにしろ、おまえにもいるんだろ? 鈴』

「あ、にゃうにゃうにゃう……」

『にゃうにゃうにゃう、じゃねーよ』

 恭介は、はっはっは、と笑った。もう逃げ場なしである。

「ぜ、絶対に言うなよ……」

『わかったよ。約束する』

 教えてしまった。

 本当に教えてしまった。

 毛布を思いっきり掴んで、体に巻き付け、ダンゴムシ状態となった。

『へー』

 恭介は意外とあまり驚いてないようだった。鈴は顔をトマト爆弾のようにして、ダンゴムシローリングを床に繰り出していたのだが。

『いいことじゃないか。幼馴染みだし、気が知れてる仲だし』

「で、でも!」

『恥ずかしいってなんか思うなよ、鈴』

 恭介はあくまで優しく諭してくれる。

厳しい言葉を吐くつもりはないみたいだ。純粋に応援してあげたいらしい。

でも鈴は必死だった。必死でローリングだった。

「あたしでも、あいつに対してなんて言ったらいいか……」

『簡単さ』

 恭介は言った。

『今おれが言ったようなことをすればいい』

「できるかぁ――――――っ!」

『はっはっは……鈴』

 恭介はあくまで余裕だ。鈴は角に頭をぶつけて止まる。

『言葉で考えるから難しいんだ。おれがわかりやすく具体的な方法を教えてやる。明日の朝にな……』

 しかしそれでも、重要なことには耳を傾けてしまう鈴。

 本気の本気で、真人のことが好きなのだ――。

 

 

 ◆

 

 

 翌日の朝。朝食の場。

 真人は不思議な光景を目にした。

「おまえ……」

「……」

 なぜか、鈴が自分の席に座っている。

「そこオレの席じゃね?」

 そう声をかけても、反応しない。若干顔を赤くした鈴が、こちらにわずかに振り向き、またそっぽを向いてしまう。

 目線を合わせずに、ぼそぼそと小声で答えた。

「今日から……あたしの席だ」

「は? なんでだよ? いや……まあ、いいけどよ?」真人は近づいていった。「そんじゃあ、オレはこっちに座るぜ?」

 どかんと真人は隣の席に座り込むと、鈴は、ひっ、とわずかに腰を浮かした。

 それを見て恭介がガッツポーズする。

本当に――、恭介の言うとおりになった。真人の席に座っていれば、必ず真人はそれを見てその隣の席に座ろうとする。

真人は机の上にあった朝食を見て、にっとご機嫌そうに笑った。

「今日は鯖のみそ煮だな! いやっほう――って、うわぁ!?」

 作戦その二――、真人に寄りかかる。

 まるで恋人の動作ように、すりすり、と頬をくっつけるのだ。

 そうすればどんな馬鹿であろうとゴキブリ並の脳みそでしかない真人でも、平常で居られるはずがない。

「な、なんだよ鈴!? おまえ、どっか、具合でも悪いのか!?」

「……ううん。どこも悪くない」

 するする、とまるで猫のように体をくっつけている。鈴は心臓が爆発しそうな気になりながらも、これはすごい、かなり効いている、と実感していた。息も切れ切れだが。

 真人のほうも当然顔が真っ赤になる。ちょっとは好きでいる女子にやられればなおさらだ。

「じゃ、じゃあなんで離れねぇんだよぉ――!?」

「どうしたんだ?」

 謙吾が遅れてやって来て、首を傾げる。真人は慌てて首を横に振った。誤解だと言うために――なにが誤解なのかと言わないうちから――。

 謙吾は訝しそうに隣の赤くなっている鈴を見て、ただの風邪だと判断したらしい。とくに気にした素振りも見せずに、ふぅ、と溜息をつくと、白いご飯にのりたまを振りかけ始めた。

 真人は鈴に小声で囁く。

「おまえっ! どうしたんだよ、急に?」

「……まさと……」

「あわわわわ!」

 そんなとろけるような声を出されたら、こっちはもうお終いだ。

 真人は頭をがしがしと掻きむしり、今はとにかく、この妙な状況から脱出しようと試みた。

「お、おいおまえ! やっぱり――その、ほらっ? 体調が悪いんだろ!? ったくよー、わかってるぜ!?」

「え?」

 真人は、まだ手をつけていなかった鯖のみそ煮を指差した。

「ほれっ、これやるよ! どうせ夜更かしでもしたんだろ!? しょうがねぇなぁ――風邪ならちゃんとメシ食わなきゃだめだぜ!? 特別大サービスで鯖のみそ煮だ! ――あっ、全部は食うなよ!? 半分のはオレんだかんな!」

 朝食をとりわけ、いつか鈴がやったみたいにそれを相手の皿に載せてやった。

 これにはさすがの鈴も飛び起きざるを得ない。

「え、これ……」

 半分に取り分けられた鯖のみそ煮である。

 好物だったので嬉しいことには嬉しいが、ここまでされることは望んでない――というか、完全に準備不足だった鈴は――、

「いっ、いるか!」

 素早く戻してしまう。

「あっ、なにすんだよ!」

「これも――こっちもいらない! あたし今日は体調悪いから! 全部いらない!」

「野菜ばっか回すんじゃねーよっ!?」

 真人の嫌いな緑黄色野菜が全部運ばれてくる。ほうれん草なんか食べられるか。

「風邪ひいてんだったら野菜は食っとけよ!」

 また回す。

「いやだっ!」

「わからずやが!」

「うっさいわぼけ!」

 野菜がころころと二つの皿を移動しまくる。可哀想なのはその野菜さんである。どちらの箸にももてあそばれ、けがされている。

 そんな光景を正面から見ていた謙吾が、そのまま見て見ぬふりするわけもなく――、

「かぁ――――――――つっ!」

『うわぁ!?』

 野菜さんを救出した。

 二人が飛び退くのを見ると、謙吾は、見開いていた両眼を再び細め、また黙々と箸を動かし始めた。

「……静かに食え。あと、食べ物をあんまり粗末にするんじゃない」

『は、はい……』

 二人がびっくりして固まってしまった隣で、理樹が気味悪そうにそのお皿を眺めた。

「……で、それ、どっちが結局食べるの?」

「……」

 見ればそこには、ぐちゃぐちゃと、両方のおかずが渾然一体となった皿が出現していた。

 さいわい下には落ちなかったので、きちんと整理すればまた食べられるだろうが――、

「そ、それじゃあ、」

 と、鈴は天啓を得たように、箸を持ち出した。

「い、一緒に食おう」

このときほど真人の目玉が飛び出したことはなかったと思う。

なぜか急に箸を持ち出した鈴は、真人のだか鈴のだかわからない鯖のみそ煮の残骸をちょこっと掴むと、あむっとわずかに口で囓った。

もにゅもにゅと咀嚼する。だがその後でやっぱり恥ずかしくなったのか、その一口だけで後を済ませ、箸を置いた。

「もういい……」

 真人は黙っている。

「あとこれ、おまえが全部食っていいぞ」

「……まじ?」

 ずっと端で見ていた恭介が、にやにやと笑っていた。

「い、意味がわからないんだが……」

「だから、あたしの残したおかずを全部食べていいっていうことだ」

「いや、そうじゃなくて……」

 なにを言えばいいのかわからない。それって、それって――と頭の中で高速再生される。

 正面では恭介がにやにやと笑っている。居場所に苦しい。

 真人が返事に窮していると、恭介はいよいよしびれを切らしたのか、

「……それ、間接キスだろ」

 と、小声で洩らした。

「っ!?」

 真っ赤な顔で飛び上がる鈴。どうやらそれは想定の範囲外だったらしい。

 そこからの鈴というのはすごかった。

「全部やる」と言ったくせにものすごい勢いで鯖のみそ煮を平らげると、残っていた野菜どもにも目をつけ、一気に殺戮してしまう。真人は黙っていた。

 なにをしたかったのか結局わからない。今日の鈴は行動が一千倍くらい不可解だった。

 ただ、その奥のほうに一種の懸命さが見えなかったら――真人はほんの少しも心を動かさなかったろう。媚びを売るだけでなくて、なにもかんにも一所懸命だから――真人もすこしは冷静に鈴の顔を見られたのだ。

 よく見ると、鈴は常にこちらの顔を見つめている。

 きらきらと光る眼差しで。

 そんな熱い瞳になにも感じるところがないほど、真人は腐ってない。

 ただ、その思惑がなんだろうと、ただの真人の勘違いだろうと、今日の鈴はとびきり可愛い――そう思いこむことで、その謎にひとまずのケリをつけようと思うのだった。

 ◆

 学校で一日を過ごし、深夜になってみんながそれぞれの部屋に帰った後も、鈴からは、常にメールが送られてきた。

 その内容というのも、ほとんどが「げんきか?」だとか、「なにしてるんだ?」だとかという取り留めのないもの。

 中にはちょっとした日記的ものまであった。「えきまえのねこ屋さんがもんぺち一個五十円」だとか、「こばーんがありすとてれすに恋をしたらしい」とか、中には文面だけ見ているととんでもない内容のものまであった。

 真人がこれらたくさんのメールから、なんにも感じられなかったことなどない。そんな薄情な男なら誰かに恋されるということもなかったろうし、たとえ好かれてもすぐに愛想を尽かされていたに違いない。真人は当然嬉しさを感じて、逐一そんな冗談みたいなメールに真面目な返信を書いていたから、ここまで続いている。鈴だって喜んでいるはずだ。

 真人はもう、鈴との恋を夢物語だと思わないようになっていた。

 それは確かな現実のことだ。もうすぐそこまで来ている。決して掴むことのできない夢なんかではない。

 いや、たとえまだ夢のようなものであったとしても、自分は必ず現実のものとしてみせる。挑戦してみたい。

 そう思われることさえあった。

 そんな折に、鈴からまた送られてきたメール。

 ――まさと、まだおきてるか?

 真人はすぐ返信を書いた。

 ――おう。あたりめぇだろ?

 こんなやり取りで一喜一憂しているくらいだから、もうとっくに手遅れなやつらである。

 ――理樹はもう寝ちまったから、つまんねーな。

 ――りきはまだこどもだからな。

 そんなことでちょっと誇らしくなっている鈴のほうが、よっぽど子どものように思われた。

 ――まだ眠くはねぇか?

 ――うん。

 時計を見るとかなり遅い時間だったのだが、真人のほうもまだ全然眠たくなかった。楽しい時間は人に疲れを感じさせない。

 ――でも、ほんとうはちょっとだけねむいかも。

 我慢してみたがやっぱりだめだったらしい。真人は苦笑いして、返信文を書いてやった。

 ――それじゃあしょうがねぇな。話はまた明日に回すか?

 ――まって()

 その顔文字がいったいどこからどうやって誕生したのか、そのルーツを探れなかったのはちょっと残念である。

 ――まだだいじょうぶ()

 ――ほんとか? でも、眠いんだろ?

 ――ねむいけど、まさとの話がおわるまで待ってられる。

 ――まってられるって……。

 こうまで言われると引き下がりづらい。実を言うと真人も、鈴と同じ気持ちだったのだ。

 すなわち――、この会話が終わってしまうことになんとなく恐怖を感じていた。綺麗な終わり方ならばそれだけ恐怖も薄まるが、中途半端な終わり方であればこの現実が途切れてしまうような気がしたのだ。

 まるで翌日眼が覚めたら、この事実がすべて無くなってしまうかといったように。

 そんな漠然とした不安が心の隅にあったのだ。

 真人は、取りあえず会話を続けることにした。

 ――鈴、オレらって、理樹たちからどういうふうに思われてんのかなぁ。

 このメール文には、すぐには返事が来なかった。

 真人は自然な気持ちで、次の文も続けざまに打っていった。

 ――どういうふうに思われてたって、オレはいいよ。

 途中からなにを言いたいのかよくわからなくなった。ただ指は勝手に動く。

 指に直接繋がっている心は知っている。ただ頭で理解できなかっただけで、真人の心はこの言葉を言うことをずっと望んでいた。

 ――好きだ、鈴。

 返事はすぐにやって来た。

 ――あたしもすき。

 ――ほんとか?

 ――うん。

 真人は喜びでぷるぷると打ち震えた。

 ベッドから飛び起きて、がん! と天井に頭をぶつける。

 痛い。

 だが真人はその後でちょっとだけ怖くなった。

 すぐに確認のメールを入れる。

 ――ほんとにまじか?

 ――まじ。

 全然まじっぽく見えないのがどこか鈴らしくって、真人はそれなら、と今度こそ安心できた。

まじまじとメールの履歴を眺めて、今のやり取りが現実であったことを何度も確認する。

すると、やっと今ごろになって、自分が今とんでもないことを口走ってしまったという羞恥心が真人を襲ってきた。

 ――うわっ……なんかすっげぇ恥ずかしいな。携帯で告白しちまったよ、オレ。

 ――ははは(∵)←わらってる

 笑ってないだろ。

 ――とにかく、オレら、もう恋人になっちまったんだな。うわぁ……想像できねぇ。理樹たちにも話してもいいか?

 ――やめろー!

 なぜだかこれはすごい勢いで拒絶された。

エクスクラメーションマーク(!)を使ってくるぐらいだから、鈴としては相当の拒絶の意味合いだろう。真人は若干興奮していて頭がどうかしていたのだが、鈴だけはまだすこし冷静なようだった。酔っぱらって言いふらしたがる真人を必死に止める。

――みんなにばらしちゃやだ!

――なんでだよ?

――とにかく、ひみつにしてほしい。

 ――理由は?

 このメール文には、返事が来るのにすこしだけ時間がかかった。

 ――はずい。

 ……、と、真人は硬直してしまった。

 この頃になって、ようやく真人も酔いが覚めてきた。すこし冷静になって考えてみるとものすごく恥ずかしいことだった。鈴も、きっと今ごろものすごく赤面していることだろう。

真人は黙っていることに了承した。

――じゃあ、これからどうする?

――とりあえず、ばれるまであたしたちのひみつだ。

――わかったよ。でも、ずっとは無理だと思うぜ?

――なにーΣ()

なにが、なにーΣ()なのか、わからなかった。隠し事がばれるのはわかりきっていることだ。

公然といちゃいちゃしていれば発覚するのは当然だし、だからといって隠れて鈴と付き合うのはどこか気持ちが悪かった。

そもそも、今日一日の鈴の行動を考えれば、理樹や恭介たちにはとっくにばれているかも。

真人はそう考えると不思議と心が軽くなった。

(たいしたことねぇじゃねぇか)

――とりあえず、もうちょっとするまではひみつ!

真人は一応同意しておいた。まだ心の整理がついてない。

しかし、もし自分たちが一緒にいるところを目撃されたらどうするんだと返信を送ると――、

――だるまさんが転んだをしていたと言えばいい。

また鈴の天然が炸裂した。

――そうそう何度もはやってはいねぇだろ……だるまさんが転んだは……。

――じゃあ雑草の生態系についてぎろんしていたと言うことにしよう。

意味不明だ。かなり熱くなっている。もしかすると鈴を怒らせそうだ。

真人はもし、この事実を隠し通せないと思った場合は、こっちから打ち明けることを提案し、鈴にも納得させた。

そうして携帯のフリップを閉じる。

なにかまだ忘れていることに気づき、真人は慌てて携帯を開いてメールを送信した。

――また明日な、鈴。

それだけの文では飽き足らなくて、一つ改行した後に、

――好きだぜ。

と送ってしまった。

送信画面を過ぎてからかなり後悔したが、しばらくすると鈴は想定以上の返事を送ってくれた。

――あたしもすき。まさと、おやすみ。

寝られるわけがない。

こんなんで寝られるわけなど!

 

  

 ◆

 

朝。

四時過ぎまで起きていたような記憶はあるのだが、目が覚めてみると夜はとっくに明けて、暑くなっていた。

時計を見ると七時過ぎ。三時間ほどしか寝ていないのに、やけに頭は冴えている。

とても清々しい気持ちだった。

窓を大きく開いて深呼吸したところで、ふと真人は、妙な不安に襲われた。

もしかして昨日あったことは夢だったんじゃないだろうか。こんなにもすっきりした気分なのだし、夜更かしというのももしかしたら夢――? と一瞬思って、真人は慌てて携帯を取り出し、メール履歴を確認した。

昨日のやり取りはばっちり記録に残っていた。

ふぅ、と浅く溜息をつく。

 だが現実なら現実として、あんな一大告白をした後に鈴と話すのはすこし勇気がいるものだった。

 もう鈴とは恋人。

 そんな夢のような事実に、今さら頭がおかしくなりそうになる。

なんて簡単だったのだろう。あれだけ長い時間普通に友だちとして接してきた鈴という女の子と、今自分は恋人の関係になっている。

 言いふらしてしまいたいという変な気持ちはもう消え失せているが、今はとにかく鈴と気持ちを確認し合いたかった。

 記録は残っていても、なぜだか鈴が傍にいてくれないと不安だ。

 もそもそとベッドから抜け出してきた理樹と、真人は顔を洗いにいって、なるべく急いで食堂へと向かった。

 食堂に入ると、真人の緊張は極限に達した。

 ただ、人間の見栄を張りたがる心がそれを上手に覆い隠し、代わりに能面のような不気味顔をでっち上げてくれた。

 席に向かう途中で、鈴と鉢合わせをする。

 挨拶は無し。見ると、向こうも似たような顔をしていた。

「おはよう、鈴」

「……」

 理樹が挨拶をしても、鈴はむすっとしていて返事をしない。自分も黙りこくったまま鈴と隣り合って席に向かった。

 今度は正面の席に座る。お互い、半亡霊、幽体離脱中のような顔で食卓につき、朝食の献立を眺める。

「よっ、早いなおまえら」

「おはよう。待ったか?」

「あっ、おはよう、恭介、謙吾」

「ん?」

 真人がおもむろに携帯を取り出すと、正面に座っていた鈴も同時に携帯を取り出す。

 かたかたかた、と現代っ子ばりのスピードで素早く画面を操作して、メールの履歴画面を開くと、ばっとテーブルの中央に投げ合った。

 そしてお互いの携帯を覗き込む。

「……本物か?」

「……ほんものだ」

 確認完了。そして意思疎通完了。

 お互いがほっと長い溜息を吐き出した。

 本物だった。昨日の出来事は。好きだと鈴に言ったことも、鈴が好きだと自分に言ってくれたことも。そう思って鈴の顔を見ていると、目が合い、顔が赤くなる。

 その睨めっこに最初に音を上げたのは鈴のほうだった。照れて嬉しそうな顔をする。恥ずかしさのために我慢しているような差分が、余計に鈴の顔を可愛く見せていた。

 そんな愛らしい笑顔を向けられたら真人も黙っていられない。にかっと気の良い笑みを見せる。ただそれは友愛の笑顔ではない。恋愛の笑顔だ。「好きだぜ」と視線で語る笑顔である。

 どうして自分たちは電話で告白をしなかったんだろう。

 こんなくだらない確認に時間を費やして、こんな楽しい時間を遅らせてしまった。

「なに熱い眼差しで見つめ合ってんだよ、おまえら?」

『っ!?』

 恭介の冷やかすような声に、二人は同時に息を止めた。

 ばっと視線を逸らして、同時に恭介のほうを見る。中央に投げ出されていた携帯はすぐにポケットにしまった。

 と思ったらお互い相手のものを取ってしまった。慌てて交換する。

 理樹と謙吾は白い眼を向けていた。

「なにやってるの……?」

 そう思う気持ちはわかるが答えられるわけがない。真人は筋肉を多少増量させてそんなメッセージを送ったがそれこそ届くわけがない。

「おまえら、最近なんか様子が変だな?」

「様子が変ってもんじゃないよ。あからさまにおかしいよ……」

 理樹は微妙な心情の差異を感じ取ったらしい。恥ずかしそうに顔を赤くさせ、溜息をつくと、ふるふると首を横に振った。

 馬鹿謙吾はそれでも気づかないのか、理樹に顔を向けて自分の馬鹿さ加減を調査する。

「なんだ? 理樹はあいつらのことを知っているのか?」

「知っているもなにも……見ればわかるでしょ?」

「なにぃ!? なんだって言うんだ!? ああっ……まさか、理樹までおれを仲間はずれにするのかぁっ!?」

「まあまあ」

 恭介がぽんぽん、と後ろから謙吾の大きな背中を叩いた。

 そして、まだ赤い顔で視線を迷わせている馬鹿な二人に視線を送った。

「すぐボロを出すさ……見てればじきにわかる」

 真人と鈴は聞こえない振りをして、そっぽを向いた。

 もう一度携帯を見て確認をしようとすると、鈴もそれに気づいて、携帯を取り出す。

 夢ではない。

 お互いにほっぺを引っ張ってみるが、確かに夢ではない。

 ぱああっ、と鈴の顔が輝いた。

「あ……」

 そんな嬉しそうな表情が自分に向けられているとわかって、真人は幸せだった。

 この世界で、自分たちほど幸せな恋人もいまい、と心底思ったくらいだった。

 

 

 ◆

 

 

 それからというものの、真人は授業の間さえずっと気を張っていた。

 鈴と些細なことで視線を交わしたりするのが楽しいからだ。

 ときにはよく意味がわからないジェスチャーを送ってきたりする。それは、ときに意味が通じたり、通じなかったりする。前者であれば鈴は喜び、後者であるとぷりぷり怒り出す。そんな様子が可愛くて、真人はまったく飽きることなどなかった。

 これほどまで鈴が可愛いと思ったことはなかった。

 教師に睨まれるとすぐ止める。でも怒鳴られるということはない。ギリギリのラインで上手に隠しているので、教師も後半は半分ほったらかしにしている。そんな秘密のいたずら感が、小学生時代に戻ったかのような錯覚を真人に思い起こさせた。懐かしさを感じたものだ。

 鈴とやると、何事も楽しくなり、悲しいこと、寂しいことも忘れられた。

 授業が終われば真人たちは教室を出て、あらかじめジェスチャーで伝えていた通りの場所へ駆けていく。まず鈴が出て、その次に真人が出ていく。

 途中で鈴が待ってくれている。公然と手を繋ぐのはまだ恥ずかしかったので、並んで歩くだけにした。

 たどり着いたのは鈴のお気に入りの場所、渡り廊下だ。

 真人たちはそこの一角に腰を降ろす。

猫たちが集まってくる。ご主人様の鈴だけではなく、今日は筋肉馬鹿までいるので驚きだ。

「これはな、こうするといいんだ」

 鈴はちっちゃいブラシをポッケから取り出して、こう言った。

 虎柄の猫を一匹捕まえ(たしか名前はヒョードルだ)、お腹にブラッシングをかけていく。

 ヒョードルはくすぐったそうに身をよじり、大好きなご主人様にかまってもらえてご満悦なのか、誇らしそうな表情でみんなを見下ろしていた。

「ぐるーみーぐるーみー」

 なにやら妙な呪文を唱える。独創的だ。ただ、その手の動きだけはとても忠実で勤勉だった。乱れていたヒョードルの毛並みが、あっという間に綺麗に整えられる。

「やってみるか?」

 鈴は琴の音のような声で、真人に振り返って言った。

「お、おう……」

頷くと、鈴からそっとブラシを受け取る。

真人は若干気が引けていた。

「なんか難しそうだなぁ……オレなんかにもできんのか?」

 鈴は答えない。そっぽを向いてご機嫌そうに他の一匹の背中を掴むと、ぎゅ〜っと胸で抱いた。お日様の暖かさを吸収していて、それを抱く鈴はとても心地よさそうだった。

 真人はなるべく丹念に、毛を剥いでしまわないように力を弱くして、テヅカのお腹をブラッシングしてやった。

「ぐる〜み〜、ぐる〜み〜?」

 真人の真似がおかしかったのか、鈴はこちらに振り返って、ふっと微笑むと、ゆっくりと真人の肩に頭を預けた。

 突然の接触に身が飛び上がりそうになったが、真人はなんとか耐えきった。ふー、と長く息を吐き出し、触れ合っている部分をなんとなく意識する。

 鈴は、どうやらそのポジションが気に入ったらしい。

真人も鈴の甘い香りを嗅ぐのは嫌いじゃなかったので、そのままにしておく。

 なんだか落ち着く。

 ぽかぽかと温かい陽射しは、もう初夏の薫りがする。

 風は優しく流れ、空は群青に輝く。

山は紫、花は黄色に塗られ、蝶はその上で踊る。

 虚構の世界でも、こんなにも風景が美しく見える。真人はすべての世界が美しく、まるで自分たちを中心にして歌っているように思われた。

 こんな詩的な気分になるなんてどこかおかしかった。きっと酔っぱらっているのだ。

 鈴の可愛さはどこか人を酔わす。そうに違いない、と真人は思った。

「まさと」

 鈴は細く、すこし甘い声で真人の耳を撫でる。

「なんだ?」

「……好きだ」

 優しい声だった。真人はすぐに答えた。

「オレも好きだ」

「……ぷっ」

 なにかがおかしかったらしい。くすくすと笑っている。

 テヅカは微妙なヘアースタイルになっていることも気づかぬまま、満足そうに猫たちの間に混じっていった。それを見送ると、真人は振り返って言った。

「なんだよ?」

「ううん」

 鈴は横目でかすかに微笑むと、猫の毛を撫でた。

「なんでもない」

 そんな微笑みを見せられると、なにも言えなくなってしまう。

 どうでもよくなってしまう。

「ところで、真人」とんとん、と肩を叩かれた。

「昨日またこれが来てたぞ」

 鈴が手に持って見せたのは、あの恭介からの課題の紙だった。どこか懐かしさすら感じられる。

 真人は鈴からその紙を受け取ると、二つに折られていたのを開いて、中を確認した。

「――『明日のHRで立候補しろ』?」

「うん」

 これもまた、意味のわからない課題だった。

 真人は裏面をめくったりしてみるが、どうにも意を得ない。クエスチョンマークが頭にいくつも浮かぶ。

 鈴に紙を返すと、鈴は先ほどよりも、ずっと真人に体重を預けながら、爽やかな風の中に髪を委ね、遠くのほうを見つめながら答えた。

「昨日これを受け取ったから、今日のHRだ。今日のHRでなにかがあるらしい」

「へぇ」

「あたしは、そこで取りあえず立候補してみる」

 真人はふと、鈴のその立候補の件に、自分も参加できないのだろうかと考えた。

 鈴がこっちを見ている。どうやら考えを読まれたらしい。

 でもそこで意地悪をしないのが、恋人になった証ということか――、

「あたし、真人と一緒にやりたい」

 鈴は照れくさそうにもじもじとしながら、そう言ってくれた。

 真人はほっとする。ただ、そのまま「オレも当然」と言うのがどこか恥ずかしかったので、クールになってしまった。

「オレがやんねぇんじゃおまえが心配だなぁ」

 その切り返し方は、どうやらあまり気に召さなかったらしい。むっとして、真人を半眼で睨む。

 ぷりぷりしているのは真人がずるいからだ。

「あたし一人だって、十分にこのミッションはクリアーできる」

 当たり前の自負かもしれなかった。鈴はきっと一人でだってやったろう。

「でも、真人と一緒にやれるなら……」

 その先の言葉は言わなかった。恥ずかしかったのだろう。顔を赤くして、目を逸らす。

 真人はにっと笑って、その言葉を引き継いだ。

「悪かったよ」今度こそ素直に白状する。「オレも一緒にやりてぇよ。彼氏なんだから、当たり前だろ」

 すると鈴の瞳は、ぱあっと輝き渡った。

 嬉しそうにこちらを見つめて、視線だけで、嬉しい気持ちをアピールしてくる。

 そうしていると、顔がなんだか熱くなってくる。

 見つめ合うという行為には不思議な効果があるらしい。そう――、人の心を酔わせて、当たり前でないことを当たり前としてしまう魔法の効果が。

 微笑みながらじっと見つめ合っていると、向こうも同じ効果にはまったらしい。恥ずかしそうに目を丸くしたが、そのあとで、またさらに顔を赤くしつつ、目を伏せた。

 甘い眼差しでこちらを愛してくる。顔がすこしずつ近づいていく。

 体が熱い。それでいて、片方ではその熱さがどこか心地よくもある。

 自由がきかない。でも片方ではその不自由さに身を委ねてもいいような気もする。

 どんどん近づいていく。

 鈴の睫毛の長さがよく見える。やっぱり鈴はとびきり美人だ。

 真人はふと思った。

 昨日の今日で、自分たちはもうこんなことをしてしまっていいのだろうか――でも、今の自分たちの所作にはなんの不自然さもない。至極自然だ。この階段に登ったことは大いに自然で、だからこそ自分たちはなんのやましさも感じていない。

 自分はそのピンク色の唇を求めている。

 目をふさぐ。

 もうどうにでもなれ――、そう思った折、真人は耳の彼方で、二人の世界が破られるのを確かに聞いた。

「――、――っ! ――!?」

 誰かくる。

同時に二人は我に返り、反射的に顔を離す。

「葉留佳さん!? ちょっと――」

 理樹が深刻そうな顔でこっちに駆けてくる。その先に目をやれば、目を伏せて全速力で駆けてくる葉留佳の姿が。

 真人と鈴はお互いの姿に目をやり、ほとんど抱き合うような姿になっていたことに気づいて、勢いよく飛び退いた。今しようとしていたことに冷静な光を当て、羞恥の渦に巻き込まれる。

 葉留佳たちがこっちに近づいてきた。

「はぁっ――、はぁっ――」

「葉留佳さん! ……って、え?」

 立ち止まった理樹が、目を丸くした。

二人の姿を目に入れて、ぱちぱちと目を瞬かせると、二転三転、顔の色を急激に変化させた。

葉留佳の様子がおかしい、と思ったのはようやくだ。

いつも通りの元気さがない。しょんぼりとしていて、目が虚ろになっている。ここに向かって駆け出してきたわけではないということがよくわかる。

 だがそんな葉留佳の不自然さも、時が経つと消え去った。落ち着いたのか、理樹同様に真人と鈴の姿を発見すると目をぱちくりと開け、ようやくなにか原因に思い当たったのか、にんまりと顔を歪ませる。

「あれっ……なにしてたの? 二人とも」

「……」

 今葉留佳がなにを考えているのか、聞きたくもない。

 ぼくたちはたまたま通りかかっただけです、などと言い訳できる場所でも状況でもない。真人と鈴は黙っていた。

「あ、じゃあ、はるちんたちはこっちに隠れてるんで、どうぞ……」

「するかっ!」

 鈴が顔を真っ赤にして飛び上がった。葉留佳はやはは、と笑って、改めて首を伸ばして、真人と鈴を見渡した。

「っていうか……二人って、『マジ』……?」

「っ!」

 鈴はぼんっ、と顔を真っ赤にした。

真人も胃液が逆流するような目に遭った。

 葉留佳は黙ったままでいる二人の顔を見て、ようやく事実を確信したのか、身をくねらせると、「きゃっ」と小さく叫んで、顔を赤くした。いちいちむかつくやつである。

 葉留佳は目をキラキラさせて二人に詰め寄った。

「あれっ、あれ!? 二人はいつの間に!? もぉ〜、はるちんに黙っているなんてずるいぞっ!? 前々っから怪しいなぁ……とは思ってたけど、まさかはるちんたちの知らないところでこんなこと――」葉留佳は二人に反論の隙すら与えず滔々と捲し立てると、

「で、二人がつきあい始めたのはいつ?」

「言えるかっ!」

 鈴をついにプッツン切れさせた。目がグルグルと渦巻きになっている分怖さはなかったが、かなりテンパっている。あと一言なにか言えば倒れそうだ。

「やはは、付き合ってるってところを否定しないんじゃ、当たりですネ」

「にゃぁ――!?」と叫んで、「あぁぁぁ……」と倒れ伏す。

 へなへなとしゃがみ込んだ鈴に、真人は「鈴!」と叫びながら駆け寄った。理樹すらも「うわぁ……」という眼差しで二人を見た。

「やは〜、仲が良くってうらやましいなぁ〜」

「あのさ、葉留佳さん……」

「んー?」

 理樹が葉留佳に目線だけでなにかを伝えようとする。だが葉留佳の満面の笑みを見て観念したのか、溜息をついて、「もういいよ、あとで」と諦め気味に言った。

 葉留佳はどこか恥ずかしげな笑顔になる。

 そしておもむろにポケットから携帯を取りだして、ぱちぱち、ぱちぱち、と順に操作していく。

「あっ、てめぇ! それ、なにしてんだ!?」

「ん? なぁ〜んにもぉ〜? あっ……そうだ、告白ってどっちからしたの? はるちんそれがすっごく気になってて――」

「言えるか、ばか!」

「あれ、じゃあ鈴ちゃん?」

「ちがうわぁ――――っ!」

 と、とっさに鈴が答えてしまったせいで空気が凍ってしまった。とたんに葉留佳の目がカッと見開かれ、爛々と輝き出す。

 真人は衝撃で固まっている。鈴は、自分がなにを口走ったのか気づかずに、どうだ、言ってやったぞ、というような顔つきをしている。馬鹿だ。

 その自慢の長っ鼻がへし折られたのはすぐである。葉留佳は真人のところまで行き、ぱんぱんと背中を叩くと、「真人くんやるじゃん!」と一言。鈴は真っ赤になり、顔を押さえてそこら中を駆け回った。「鈴!」と真人が追いかける。

 結果的にすべてを話してしまうこととなった。

「ふぅ……なるほどねー」

「葉留佳さん、やりすぎだよ」

 携帯片手にご満悦の葉留佳陛下に理樹が諫言する。鈴はようやく落ち着きを取り戻したが、「誰にも言うなよ!」という決死の叫びには、葉留佳陛下はいとも無慈悲な裁定を下すのだった。

「え?」

「え?」

 後者の「え?」は鈴のもので、前者は葉留佳である。葉留佳はとっさに決まりが悪そうな顔になり、ぽりぽりと頭を掻くと、「ごっめーん!」と言った。

「もう全員に送信しちゃったー!」

 鈴が少女漫画風に真っ白になった瞬間であった。

 

  

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