翌日。ぼくはふらふらと重い体を引きずって、鈴と一緒に食堂へやって来た。
 入り口をくぐると、ちょうど近くに、真人たちの姿を見つける。小毬さんと一緒に食事を採っていたみたいだ。
 真人は、ぼくの姿を見つけるなり、どどどどどどと走り寄ってきて、ぼくに抱きついた。
「理樹ぃっ! さびしかったぜぇ! 一晩会えなかっただけでもよぉ!」
 ぐりぐりぐり、と頭を胸に押しつけてくる。いやいやいや……その格好でそのセリフを言うのはやばいでしょ、色々と。
 そう突っこみたかったけど、徹夜明けで気力がなくって、ぼくはただ真人の頭を押さえつけるだけになってしまった。それがなぜか、周りからは頭を撫でているように見えたらしく、周りから「直枝しね!」とか「直枝君と棗さんが……ウソー!」とかなどの野次馬の声が聞こえてきた。
 そんな中で、小毬さんがこちらを信じられないような目つきで見ていた。
「り、理樹くんと鈴ちゃんって、そういう関係……っ」
「いやあの、小毬さん……」
 すぐにでも言い訳したかったが、声が思ったように出てくれない。そうやってまごまごしているうちに、小毬さんは顔を隠して、食器を持って行ってしまった。
「わ、私先に学校行ってるね! おそまつさまでした!」
「ああ、小毬さんっ……」
 ご飯を食べたなら、おそまつさまじゃなくて、ごちそうさまだよ小毬さん……。
 って、そうじゃなくって。
「なにやっとんじゃ、おまえは!」
「うぐぐ……」
 鈴が真人を引きはがしてくれたおかげで、助かった。
 もしかしたら鈴も恥ずかしかったのかもしれない。真人がじたばたと暴れている間に、恭介と謙吾も遅れてやって来た。


 ◆


「なるほどな。だから今日は真人が理樹に怒られてるのか。ふん、自業自得じゃねぇか」
 恭介はまだ昨日の真人の役得について、根に持っているのか、どこか冷たげだ。
 自業自得ということについてはぼくも賛成だけど。
「自業自得っつったってよう。しょうがねぇだろ……。だってオレ、昨日一晩、理樹と一緒にいられなかったんだからよぅ」
 おかしなこと言うんじゃない、鈴の体で。
「だからといって会ったとたん抱きつくか、おまえは……。もう、おまえと理樹は、校内公認のカップルになってるぞ」
「へっ、照れるじゃねぇか」
 想像したくない。来ヶ谷さんや葉留佳さんにすごくからかわれそうだ。
 ぼくはもう一度、真人のほっぺをつねってやることにした。
「いで、いでででで! ふ、ふん……こんなの筋肉ですべて耐えきってみせるぜ」
「わけわからないこと言ってないで、あとで本当に小毬さんのところに弁解しに行ってよね。ぼく傷ついたんだから」
「わ、わかった! わかったから、この手を離せってば! 鈴の体が伸びきっちまうぜ!」
 しぶしぶ離してやる。鈴の体のことを持ち出されると、ちょっと弱い。
 ひーひー言いながら、真人は目元の涙を拭いている。女の子になってから、どうも涙もろくなったみたいだ。物理的な意味で。
「いいからおまえは反省しろ、馬鹿真人!」
「な、なんだと鈴? おまえに言われることかよ。せっかくオレが校内公認のカップルにしてやったっつーのに……」
 それは真人がしてくれたことじゃなくて、真人が引き起こしてくれたことでしょ。
「うっさいぼけ! 余計なことすんじゃない!」
「いだだだだだ!」
 鈴までが怒り出して、真人の頭に手を置いて拳でぐりぐりとした。
 再びじたばたと暴れる真人。また涙が目に浮かんできた。こうやって端から見てると、少し可哀想になってくる。まるでよってたかって、一人の女の子をいじめているみたいだ。
「そのへんにしとけ、鈴。自分の体だろ」
「ふん」
 恭介がそう言って鈴を引き下がらせると、真人は目元の涙をぬぐって、ふうと溜息をついた。
「ところで真人、昨日のあれから起こったことを、ここで聞いておきたいんだが」
 きん、と冷たい空気があたりに流れる。
 ずずず……とみそ汁を飲みながら、恭介は低い声で真人に問いかけた。真人は驚いたようにぎょっとして、目を逸らす。
「な、なに言ってんだ恭介? 昨日のことって、なんなんだよ? べつに、普通に風呂入って寝ただけだぜ?」
「見たんだろ」
「な、なにを」
「決まってるだろ。小毬のあれや、鈴のこれ、笹瀬川の○×△のことだ……」
 恭介の小指がくい、くい、とわずかに動く。なんのジェスチャーなんだろう……。
 真人はそうすると、急に遠い目になった。
「へ……それだけじゃねぇぜ」
「なに?」
「寝るころになったとき、急にベッドの数が足らねぇってことになって、オレは毛布だけもらって床に寝るって言ったんだが……」
 真人の顔がどんどん切なげになっていく。ぼくらは息を呑んで、それを聞いていた。
「小毬の性格上、そこからどうなったかわかるだろ」
「……」
 ずずず……と恭介のみそ汁を飲む音だけが、あたりに虚しく響いた。
 謙吾は、なにも言わずにのりたまの袋をちぎって、ご飯の上に振りかけた。
 なんなのこれ……すごい圧迫感。
「それで、どうなったんだよ?」
「は?」
 恭介の目が、いっそう鋭くなる。
「とぼけんじゃねーよ。そこからおまえは、どっちのベッドで一緒に寝たかって聞いてんだよ」
「う、え……ど、どっちのベッドって、そりゃぁ……」
 真人は目を閉じて、昨日のことを思い出そうとする。
 直後、桃のような色が両頬に浮かんだ。
「い、言えるかこんにゃ―――――っ!」
 頭を抱えて悶えだした! っていうか、鈴の口調になってる!?
 ど、どうやら真人には……お風呂のときよりも、就寝のときのほうが、刺激的だったらしい。
「そ、そもそもおまえのほうはどうだったんだよ! 理樹と一緒に寝たんだろ!」
「ん? あたしのほうか?」
 なぜか、さっきからずっと話したそうにしていた鈴が、やっと口を開く。
「当たり前だろ」
「なにぃ!」
 いや、嘘だからそれ。
「理樹と一緒に朝を迎えたんだぞ、あたしは」
 いや、それは当たってるけどさ! 意味が違う!
「あたしと理樹は、おまえらがしたよりも、もっとすごいことをしたぞ」
「う……」
 真人が信じられないような顔になって、身を引く。恭介と謙吾も、別の意味と取れるような動きで、ぼくから身を引いた。
「まじなのかよ、理樹……」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 恭介!」
「いや、いいぜ……。中身は仮にも女だしな。仲良くやれよ……」
 恭介が遠い目でぼそぼそとつぶやく。お願いだから人の話を聞いて!
「まあ、理樹に鈴。今は朝の食事中だ。そういう話はなるべく止めにしないか。たとえ、真実がどうであったとしてもな」
「ふん、そう言っといておまえも、本当は悔しいだけなんだろ、どうせ」
「くっ、悔しくなんかない!」
 えっ、その怒り方はどうなの、謙吾!?
「まあ、なにはともあれ……真人は今日の学校生活を色々と楽しみにしているんだな」
 恭介がご飯を噛みながら意味深なセリフを発する。いや、完全に根に持ってるなこの人は……。
「ちっ。なんなんだよ、恭介」
「恭介、今日はなんかする気なの?」
「いいや、なにもしねぇぜ」
 恭介はすましたように笑う。
「なにもするつもりはねぇ。いつもどおりに行こう。みんな」
 恭介のその妖しげな微笑みが、なんだかすごく気がかりだったけど、時計を見ると登校の時間が迫っていたので、ぼくらは慌ててご飯を口に入れた。
 登下校の連絡通路の途中で、ふと真人が、思い出したように鈴のことを呼び止める。
「あ、そうだ鈴。おまえにちょっと言っときたいことがあったんだけどよ」
「ん」
 鈴がそちらに振り返る。呼び名を入れてくれなきゃ、ほとんど気づくことのない、昨日精神が入れ替わった二人だ。
 真人は、鈴と対面すると、ふう、と小馬鹿にしたような溜息をつき、肩をすくめてみせた。
「『小せぇ』じゃねーか、おまえのもよ」
「――――っ!」
 鈴は顔をトマトのように真っ赤にして、そこから鈴と真人の校内鬼ごっこが始まった。


 ◆


「ところで、理樹君。あれを見てくれないか」
「ん?」
 休み時間になった教室。ぼくは自分の席に座って、来ヶ谷さんと世間話をしているところだった。
 来ヶ谷さんの指す方向を見てみると、鈴が見えた(ここからは真人のことを少しのあいだそう呼ぶことにした)。
 来ヶ谷さんは、鈴の顔を見て、妖しげな微笑みを浮かべた。
「今日の鈴君なんだが……なにやら、いつもより可愛らしいと思わないか?」
「えっ、そう?」
 本当は中身が違う人だからなんだけど、ぼくはすっとぼけておくことにした。
「うむ。とくに後ろから抱きついたときなどはもう最高だ。いつもより必死になって逃げようとするから、つい追い回したくなってしまう。止められん」
「あ、あはは……」
 それは中身が真人だからじゃないかなぁ……と思ったけど、まさかそれを口にするわけにもいかない。ぼくは苦笑を浮かべた。
「さあ、君も一緒にどうかね。そこでちょいと一走りでも」
「いや、そんなちょいとそこで一杯、みたいなノリで誘われても……」
「なんだつまらんな。彼氏である君の権限で、思う存分おっぱいに触らせてもらおうかと思ったのに」
「いや、それは誤解だし犯罪だからね……」
 しつこいなぁ……本当に。しかもそのパターンだと、ぼくは必ず最後に逮捕されるじゃないか。
 溜息をつきながら鈴のほうに目を移してみると、鈴は、小毬さんと一緒に話をしているところだった。あれから鈴は小毬さんとすごく仲がいい。もっとも、小毬さんはべつにいつもの調子で話しかけているだけなんだろうけど。
 でも、そうとは言っても、今日の鈴も、まさしく鈴そのものにしか見えなかった。あの人は別に、演技なんか意識してないんだろうけど。
「さて、それじゃあ私は、もう一回鈴君にチャレンジしてくるかな」
「あんまり虐めないであげてね。鈴も可哀想だから」
 来ヶ谷さんはこっちを振り返り、にやりと笑った。
「なにを言っているんだ君は。昔、私と理樹君は、一緒に鈴君のことを追っかけ回した仲じゃないか」
「勝手に人の経歴に泥を塗らないでくれますか」
 そんな事実はない……。
「はっはっはっは。まあそれは一種の冗談だが。だがしかし、今日の君もなんだかやけに鈴君の肩を持つじゃないか。なにかあったのか?」
「う……」
 来ヶ谷さんの細い目がこっちを向く。うぅ……ぼくの演技がばれたんだろうか。ぼくって演技下手くそだからなぁ……。
 来ヶ谷さんは、ぼくのことをじーっと見つめると、ふっとかすかに微笑んで、なにも言わず、手をひらひらさせながら向こうへと行ってしまった。
 ふう、助かった。
 一方の真人は……(こっちは今、本当の鈴のことを指している)、恭介と一緒に腕相撲やレスリングなどで遊んでいた。まるで本当の男兄弟みたいだ。二人とも楽しそうだし。
 そんなところに、まるで猫のような悲鳴が響き渡り、ダッシュでで鈴が駆け込んでくる。
「どけっ! 真人、恭介! はやくどけぇ!」
「は? ――ぐはぁっ!」
「にゃ!?」
 どどどどど、と鈴はその軽快な体を駆使して、恭介と真人の背中を足蹴にしていった。
 そして、すたん、と近くの机の上に着地する。
「はーっはっはっはっは! 待ってくれ鈴君! どうして私の手から逃げるんだね!?」
「自分の胸に聞きやがれ、ぼけ! っていうか、いきなりなんでオレに抱きついてくんだよぉ――っ!?」
 鈴の泣き顔が来ヶ谷さんに向けられる。来ヶ谷さんは恍惚とした表情で鈴のことを追っかけ回していた。
「はっ、そんなの知れたこと! 今日の鈴君はなぜか可愛さ百二十パーセント! そもそもいったいなんだ、その男みたいな一人称は。まったくけしからんな! 萌えるだろうが!」
「知るかよ、あほ! 興奮してっと『あたし』って一人称が使えねーんだよ!」
「なに? 鈴君は今、ひそかに興奮しているというのか?」
 どったんばったん、と椅子や机がひっくり返る中、来ヶ谷さんは一人思案し、直後顔を押さえた。
「うっ……想像したら鼻血が」
「変態来ヶ谷! なにを想像しやがったんだ!」
「だまれ! これはなにもかも君のせいだぞ! おとなしく私の胸に抱かれろー!」
「いやだ! ぼけ!」
「小毬君! すぐそいつを捕まえてくれ!」
「は〜い。り〜んちゃんっ♪」
「げげ! 小毬!」
 そして、捕縛。
 小毬さんの腕に抱きつかれ、鈴は泣く泣く御用となる。
 そして、その場に後ろから来ヶ谷さんがやって来て、二人のことを一気に抱き寄せた。鈴の顔は真っ赤に染まる。
「た、助けてくれよ、理樹!」
 こちらに助けを求めてくるが、ぼくは無視した。
 ごめん……もうなんて言ったらいいのかわからないよ、鈴。ただ無事に、ぼくの親友が戻ってきてくれることを願うだけだ……。
 ぼくは席から立ち上がって、恭介たちのほうへと歩いていった。
「あ……」
 恭介と真人は、まるで呆然としたような目で、鈴の抱きつかれる姿を眺めていた。前の人間とのギャップが激しすぎて、なにも言葉にすることができないのだろう。
「あ、理樹……」
 ぼくがやってきのがわかると、恭介は悄然とした目をこちらに向ける。そして、儚げな笑みを浮かべて、かすかに息をついた。
「女って……ずるいよな」
「うん……」
 ぼくは頷くしかなかった……。
 女の人からしてみれば、いくらでも男の良さというのは挙げられるのだろうけど、ぼくらはここではこうするしかない。あんなところを見せられちゃぁね……勝手な生き物ですみません。
「……」
 ただ、少し見上げた真人の眼差しだけは、ぼくらのとは少し違っているように見えた。どこか寂しげな、意味深い輝きが灯っているようだった。
「もしかして……寂しいの、鈴?」
「っ!」
 真人は、ぼくの言葉にはっとして、ぶんぶんと首を横に振った。
「んなわけないだろ、あほか」
 少し苛立ったように言って、ぼくからも目を逸らす。
「ああやって追いかけられなくなって、せいぜいしてるんだよ、オレは」
 男らしい口調になって、そう言った。本当は鈴のものではないのに、それは。
 今彼女は、なにを思っているんだろう。わかるようで……でも、わからないことだった。
 ぼくらがそんなふうにしていると、もう一人の鈴がへろへろになってこちらにやって来て、涙の貯まった目をぼくらに向けた。
「はぁ、はぁ……おい助けろ、理樹、恭介……」
「断る」
「そう言われても」
「な、なんでだよー! 死んじまうぞ、こいつは! オレの筋肉でも、耐えることはできねぇ……くそ」
 手のひらで涙を拭いて、真人は(ここから名前を戻してみる)膝に両手をついた。
 恭介がその前に立ちはだかる。
「ふん。断る理由を教えてほしいか」
「あぁ?」
 恭介は目を閉じて、クールそうにそう言い、真人にびしっと指を突きつけた。
「単純に、おまえの境遇がうらやましいからだよ! この野郎!」
 個人的な恨み以外のなにものでもなかった。
「だ、だったらオレと交代してくれりゃいいだろ! 恭介なら、すげぇ簡単じゃねぇかよ。すげぇもてんだから!」
「ふん、おまえはなにもわかっちゃいないな」
 恭介は、真人のことを嘲るように笑って言った。
「おれは、親しくなった女子には全然もてねぇタイプなんだよ!」
 そんなこと大声で宣言されても!
「いや、っていうかそれは多分、おまえの趣味趣向に問題があるからじゃねーのかよ?」
「くっそぉ! 筋肉しか取り柄のないやつに、妹声で言われたくねぇな!」
 どっちもどっちだった……。
 ぼくが、なんだか嫌になってその喧嘩から目を逸らすと、そのときちょうど、廊下から謙吾が帰ってくるのが見えた。部活動の用事で出かけていたんだ。
「あ、謙吾。おかえりなさい――」
 そんなぼくの謙吾へ挨拶をも待たず、真人がすかさず謙吾に走り寄って言う。
「おい謙吾! もはやおまえでいい、オレのことを助けろ!」
「は? どうしたんだ、いきなり?」
 謙吾がきょとんとして聞き返した。
 真人がなんて言ったらいいかわからず戸惑ってると、謙吾はその意を察したのか、にっこり笑顔になった。
「わかった。任せておけ、真人。おれはいつでもおまえの力になるぞ。真人は今大変な時期だからなぁ、手伝えることなら、なんでも手伝おうと思っていたんだ」
 爽やかに微笑む謙吾。いや、どこか馬鹿謙吾臭がするのは気のせいだろうか……。
 真人はやっと考えをまとめることができたのか、来ヶ谷さんのほうにびしっと指を突きつけて言った。
「オレの代わりにあいつらとスキンシップしてこい! 謙吾!」
「なんで!?」
「なるほど。了解した!」
「いや、了解しちゃうの!?」
 ぼくが続けてなにかを言う前に、謙吾はからからと笑いながら、来ヶ谷さんたちのほうへ歩いていってしまった。
 いやいやいやいや……それはなにか絶対に間違ってるでしょ、謙吾!?
 ぼくらが呆然と見守る中で、謙吾は臆することなくすたすたと歩いていって、後ろから来ヶ谷さんたちに抱きついたのだった。
 って、ええぇー!?
「みんなぁ! おれもスキンシップに混ぜてくれぇ!」
「いや、あほでしょ!?」
「あほだ、あいつは!」
 ひゃぁー!? とか、わふーっ!? とかいう叫び声が聞こえてくる。ただ、来ヶ谷さんだけは微動だにしなかった。
「な、なにやってんだおまえはぁ――!」
「ぐは!?」
 すかさず鈴のジャンピングキックが飛ぶ。そして横に吹っ飛んでいく謙吾。 
 と、当然のつっこみだ……ぼくも思わずジャンピングハリセンを決めるところだった。
「な、なにをするか! 貴様!」
「おまえがなにすんじゃ、ぼけ! 変態はこの……いや、このオレが成敗してやるわ!」
「なんだとぉ……ふん、いいだろう。その勝負、受けて立ってやろう――ぐはっ!?」
 かっこよく竹刀を構えようとしたところで、来ヶ谷さんの回し蹴りが後ろから飛んできて、吹っ飛んでいく謙吾。
 そしてその倒れた胸に、ふんわりと軽く来ヶ谷さんの足が乗せられる。
「弁解は、聞かないことにしてやる……少年。ただ一つだけ、こっちの質問に答えろ」
「ぐ、ぐ……」
 謙吾はよろよろと首だけで起き上がり、来ヶ谷さんを睨み付けた。
「キサマがさっき、鈴君からの話を受けたことは知っていた。だがしかし、正直に言って、キサマはただ私たちに抱きつきたかっただけだろう?」
「く……ひ、否定できん……」
「否定してよ!?」
「死ね」
 夜叉のような来ヶ谷さんの、衝撃の断罪の跡が、くっきりと謙吾の頬に残った休み時間だった。


 ◆


 ところでここで、友人のKさんに聞いてみました。
 今日のお題:今日のRの様子をどう思いますか?
「ふえ? 鈴ちゃん? う〜ん、いつもと変わらないと思うけど」
 いや、でもずっとKさんのこと呼び捨てにしてますよね。おかしくないですか?
「う〜ん? そうだったかなぁ〜……でもそうだとしても、呼び捨てって、なんだかすっごく親しくなった感じがするよね。ちょっぴり恥ずかしいけど、嬉しいかも〜」
 ご満足なわけですね。
「うん!」
 ありがとうございました。

 もう一人のKさんに聞いてみました。
「ふむ。この私にそう尋ねてくるということは、きみも同様に今日の二人がおかしかったと思っているということだな?」
 いや、そういうわけじゃないですけど……。
「まあいいか。それで……今日の鈴君と真人少年のことだったか」
 はい。どう思いますか?
「ふむ。まあ確かに、今日の二人の様子は少しおかしかったようだが、特に問題にすることのほどでもないだろう。私は私で、そのかすかな違いを楽しんでいるつもりだが」
 ええー。
「風邪でもこじらしたか、あるいは……いや、これは止しておくか」
 そうですか。ありがとうございました。

 三人目の友人のKさんに聞いてみました。
「私は、そのことよりも宮沢さんが最近色々てりぶるになってしまったほうがずっと気になるのですが〜……」
 うん。それはまったくぼくも同感です。

 友人のHさんに聞いてみました。
「さっきね、真人君に『おい、はるか』って名前のほうで呼ばれちゃったから、びっくりしましたヨ」
 それでHさんはどうしたんですか?
「真人君のくせに生意気だゾ! ってふざけたら逃げられちゃった」
 ええー……。
「やはは、本当はちょっと嬉しかったんですけどネ。びっくりしちゃったんですヨ」
 あとでちゃんと理由を話したほうがいいですよ。
「あいヨ!」
 
 友人のNさんに聞いてみました。
「そうでしょうか? 確かに今日はお二方とも、様子が変なように見えますが……」
 やっぱり、わざわざ問題にするほどでもないですか?
「ええ。大きな違いは見受けられません」
 そうですかー。
「いえ……というより、そうやって質問してくるからには、なにか事情を知っておいでですね、直枝さん」
 うっ……鋭い。
「私には話せないことなんですね」
 べ、べつにそういうわけじゃないけど!
「だったら話してください」
 うー。
「直枝さん」
 わかったよ!

「というわけで、連れてきちゃいましたー……」
 西園さんを作戦会議室(ただの部室だ)に連れてくると、恭介と謙吾は唖然とそれを見ていた。
 西園さんは、今回の秘密を教えてもらえたことにご満悦なのか、うきうきとみんなに言った。
「まったく水くさいですね、皆さん。最初から私にも話してくだされば、私も面白い視点で鈴さんたちを眺められたというのに、ひどいです」
「いや、前半のセリフと後半のセリフが噛み合ってないからな……」
 恭介の言うとおり、それは水くさいとは言わないと思う……。
 西園さんが空いている席に腰かけると、恭介は頭をぽりぽりかきながら、溜息をついて言った。 
「ったく、まあいいけどよ。秘密を話しても。それじゃあもうこなったら、西園も一緒に考えてもらおうか」
「考える、とおっしゃいますと?」
「もちろん、あの二人を元の体に戻す方法だ」
 恭介がそう真剣そうに言うと、部室の中にしんとした空気が流れる。
 まあ……少し放っておきすぎた感じがあったけどね……でも、恭介が真面目に考えてくれるようになってよかった。
「もう、戻してしまうのですか?」
 西園さんは残念そうに小首を傾げている。いやいやいやいや……。
「まだ、ほとんど気づかれていないように見えますが」
「もちろん、恭介がそうなるように指示したからな」
「ああ……それはおれの指示だ。だが、まさかあそこまで気づかれないでいれるとは思わなかったぜ……。おれの計画では、昼頃までに来ヶ谷に気づかれてアウト、真人はジ・エンドになってくれるはずだったんだが」
 物騒だからね、恭介……。
 そう思っていると、横からちょんちょんと西園さんに肩を突かれた。
「直枝さん。恭介さんは、どうして井ノ原さんに対してあんなに冷たいのですか?」
「多分、真人が女の子たちに囲まれて浮かれてるように見えたからじゃないかな……」
「……なるほど。嫉妬と不安に駆られて、というわけですね」
「そんな期待のこもった視線でおれを見つめても、なにもないぞ……」
「うっ……今、西園さんが考えているであろうものを想像したら、ぞっと背中に悪寒が走ったぞ……」
「言うんじゃねぇ、謙吾……」
 取りあえず、西園さんが考えているのは絶対に違うと思う……。
「はあ。しっかし、ばれねぇもんだな。意外に」
 恭介が溜息をついた。すると、西園さんが口元に手を添える。
「そうですね。思い返せば、鈴さんの言動の中にも、井ノ原さんらしいセリフがいくつかあったような気もしますが、言われてみないと気づかない程度かもしれません」
「キャラが、本質的に似ているのかもね」
 そう思ってぼくは、両者の性質の似ているところを思い浮かべてみた。
 言動が荒々しいところ、マイペースなところ。どっか天然なところ。筋肉や猫のように、個性を象徴するなにかがあるところ。
 どちらも、似たようなライバルが一人ずついること。笹瀬川さんと、謙吾。
 もちろん、こんなものは、ぼくたちリトルバスターズのメンバーだったら、どんな人でも一個や二個は共通するものだが。
「まあ、そういうことだ。あまりにもばれなさすぎるんで、もういいかげんあいつらを元に戻してやることにした。その方法は、これから考える」
「井ノ原さんが女性にちやほやされるのは、やっぱり気に入らないですか」
「いや、そういうわけじゃねぇけどよ……って、なんかおまえの考えてることとおれの考えてることが、すごくかけ離れているように見えるのは気のせいか……」
「気のせいでしょう。私だって、そこまで頭が腐女子じゃないですから」
 西園さんが少し不機嫌そうに言うと、恭介は悪い悪い、と苦笑した。
「しかし、元に戻す方法ですか……可能性だけなら、いくつも頭に浮かぶのですが」
 と言いかけて、西園さんはふとなにかに気づいたみたいに、きょろきょろと部室の中を見回した。
「そういえば、鈴さんと井ノ原さんはどこにいるんですか?」
「ああ……、」
 と恭介は言葉を切って、部室の外のほうを眺めた。
「あいつらは多分、今一緒にどっかにいると思うが」
 外の空は、秋らしく高い晴天だった。


 ◆


 ぼくたちは、それからみんなで鈴たちのことを探すことにした。
 携帯には出ない。これじゃ本当におかしいということになって、みんなで手分けして探した。今日は色々あるので、野球の練習はお休みにした。
 一応ここにいない人にはメールを送ったけれども、あの二人からはやっぱり返信は返ってこなかった。
「いったいなにしてるんだろう……」
 ぼくの足は自然と速くなっていき、駆け足になった。けれど、なかなか二人のことを見つけることはできない。
 そうして、やがて体育館の裏の小さいスペースに入っていったときに、ぼくの足はふとそこで立ち止まった。
 鈴の猫たちが集まっている。もしや……と思ってそっちに駆け寄ってみると、やっぱりぼくの想像は当たっていた。
 陰になっているところに、二人がうずくまっていたのだ。
「あ、理樹……」
 鈴は、まるで先生に見つかったいたずらっ子みたいに、ぎょっとして、それから悲しげな顔になった。真人はとくに驚いた様子も見せず、猫たちと遊び続けていた。
「よう、理樹じゃねぇか」
 少し重そうに猫のコバーンを持ち上げて、真人が立ち上がる。でも、やっぱりその顔にはちょっと元気がなかった。
「こんなところでなにしてたの、二人とも? みんなで必死に探したよ?」
「お、おう……悪ぃな」
 真人は申し訳なさそうに笑った。けれど鈴は、ただ地面のほうを見つめて黙るだけだった。
「ずっと、ここにいたの?」
「うん」
 ぼくは、ゆっくりとしゃがみ込んで、鈴のほうに問いかける。すると鈴は、こっちを見ないままそう答えた。
 ぼくは、その二人の雰囲気にただならぬ気配を感じ、まず慌てないようにした。
 ゆっくりと深呼吸をして、鈴の隣に腰かける。真人は制服のスカートを押さえて、ぼくの正面に座った。
「どうしたの? 鈴、真人」
「いや〜……う〜ん。どうしたっつーかなぁ……」
 真人は難しそうな顔をして、頭をひねる。
「べつに、なにかあったわけじゃない」
 鈴はそう言って、猫のお腹を撫で続ける。そしてその後、ちょっとしてから一言付け加えた。
「べつに、なにもなかったわけでもないけどな」
「鈴」
 ぼくが鈴の顔を覗き込んでも、鈴はこっちを見てくれず、ただ地面を眺めるだけだった。少し落胆する。
 真人はぽりぽりと頭をかきながら、溜息をついてそれに続けた。
「なんか、疲れちまったんだよな……オレら」
「え?」
「そう」
 鈴が短く答えた。ぼくは困惑して、二人の顔を見比べる。
「疲れたって、どういうこと?」
「う〜ん……」
 真人がまた難しい顔をして、首をひねりながら答えた。
「いや、なんつったらいいかな……いい言葉が思い浮かばねぇよ。鈴に聞いてくれ」
「あたしに聞くな。あたしもわからない。けれど……もうこれ以上なにかするのは、やだ」
「ど、どうしてなの? なんか学校で嫌なことでもあったの?」
「嫌なこと、か……」
 真人は遠い目をして、ふと空を見上げた。フェンス越しに見える青空は、陽が少し傾いて、うっすらと琥珀色に染まってきていた。
「全部が全部、嫌なことかもしんねぇ……」
「全部が?」
「うん。オレが鈴としていることだよ。いつもとは違ったふうにみんなから接せられたけどよ、これって……オレが鈴の体だからなんだよな。真人の体だからじゃねぇ。そう思うとよ、なんか鈴に対して悪いことしてるような気持ちになってくるんだよな」
 真人は、目線を元に戻してそう答えた。
 そうして、ぼくの顔をちらりと見るが、そこにはいつもの覇気がなかった。なんだか疲れているように見えた。
「こいつらだけは、あたしたちのこと見分けられるんだ。たとえ姿は変わっても」
 鈴は、猫たちのことを指差した。
 そうして、片方では愛おしげに猫のことを眺め、もう片方では憂鬱そうに顔をしかめ、鈴はつらそうに続けた。
「みんなは、気づいてくれなかった。あたしが本当の真人じゃないってこと。くるがやも、くども、こまりちゃんも、はるかも、みおも、みんなあたしのことに気づいてくれなかった。それは、あたしの心を、最初っから大事にしてくれてないからだと思った。体さえあればいいんだ……あいつらは。結局友だちって、そういう付き合いだったんだな……って、ふとそう思った。だから、これ以上あいつらを嫌いになる前に、ここに真人と二人でやって来たんだ……」
 ぼくは、そんな鈴の言葉にすぐにでも反論したいと思った。けれど、いい言葉が思いつかず、迷っているうちに、下にいた猫の一匹が、みゃーおと鳴いた。
 それはアリストテレスだった。そしてその近くにいたテヅカも、にゃーおと鈴を慰めるように鳴いた。それはまるで、自分たちだけが鈴のことを理解してやれるんだと誇っているようで、現にそれができていないぼくのことを暗に責めているようにも見えた。
「鈴……それは違うよ。みんながそんなふうに思っているはずがない。鈴は、鈴に違いないよ」
 ぼくは苦し紛れにそう言った。けれど、鈴はこっちのほうを見ようとしなかった。
 真人から、そんなに単純なことじゃねぇぜ、という非難の眼差しをもらう。
 ぼくはそれを見て、ごくりと息を呑み、半分苛立たしげに立ち上がった。
 二人に手を差し伸べ、はっきりとした口調で言う。
「じゃあ戻ろう。お互いの体に戻れれば、そんなこと考える必要もないよ。みんなで戻るための方法を考えよう」
 鈴の考え方は間違っているはずだ。
 けれどぼくは、そのことを正せるほどの上手な言葉を持っていない。
 それどころか、この口から吐き出される陳腐な言葉は、そのほとんどすべてが、鈴をさらなる闇の淵へと叩き込むだけに終わるものだろう。
 それじゃいけないんだ。だからぼくは行動する。
 行動して、結果で示すんだ。鈴の考えが間違っているっていうことぐらい、示すのは簡単だ。
 だってぼくらはリトルバスターズなんだから。
 それくらい、簡単なんだ。
 

 ◆


 放課後の中庭。
「え、えぇ――っ!? 鈴ちゃんって……本当は真人くんだったの!?」
「お、おう」
 真人は、ばつが悪そうに小毬さんから目を逸らした。目が点になっていた小毬さんの顔に、みるみる赤いのが上がっていく。
「じゃ、じゃあ、昨日のも、も、もももももしかして……ひゃ、ひゃぁ――――っ!?」
「小毬さん!?」
 小毬さんは顔を真っ赤っかにして、ぶんぶんと腕を振り回しながら逃げていってしまった。ああ、小毬さん……。
「理樹ぃ……やっぱこれ、へこむぜ」
 真人ががっくりと肩を落とす。
 まあ、小毬さんの反応も当然だけど。どちらも可哀想だった。
「まあ、この私は気づいていたがな」
「ええー!?」
「嘘だろ!」
 来ヶ谷さんがくつくつと笑って答える。さっきの質問では反対のことを言っていたが……。
「もちろん、容易に信じられることではなかった。科学的に証明できないことだからな、これは。なにか奇跡でも起きたのだと思いこんで、途中から前向きに遊ばせてもらっていた」
「前向きって、おい!? それってただタチが悪ぃだけじゃねぇかよ! おまえは!」
「そんなに怒るほどのことかい? 私のおっぱいを十分に堪能していやがったくせに」
「うっ……」
 とたんに真人が恥ずかしそうに目を背ける。葉留佳さんたちの白い眼が向けられた。
「ていうか、真人くんってさー」
「変態です」
「おぉぉぉ――――っ!?」
「それじゃあ、真人くんのことは、これからおっぱい星人と呼びましょう!」
「ぎゃぁぁ――――――!? 止めてくれぇ――!」
 真人が芝生を転げ回っていく。いやいやいや、パンツ見えてるから……隠してよっ。
「わ、わふ〜。私、全然鈴さんだって気づかなかったですー」
「……そっか」
「筋肉筋肉〜って、そういえばあまり言ってなかった気がします」
「うん。あたしはそんな馬鹿なこと言わないからな」
 鈴は、寂しげに目を逸らして答えた。
 クドは不思議そうにそれを見つめていたが、鈴はもうそちらには目を合わさなかった。
 ぱんぱん、と恭介が手を叩いて、みんなの視線を集める。
「よーし。みんなだいたい事情はわかってくれたみたいだな。それじゃ、こいつらを元に戻すために知惠を早速貸してもらうぞ」
「ふむ。知惠か」
 けれど、その来ヶ谷さんの呟きに続く人は誰もいなかった。
 当然かもしれない。みんなまだ混乱しているんだ。人格が入れ替わっただなんて、頭で整理し理解するのにも時間がかかる。
 その上、なにか知惠をくれだなんて、難しいことだ。
「わふ〜。どうしたらいいんでしょう」
「やはは……っていうか、二人のこと気づけなかったのも、ちょっとはるちん的にはショックだったというか、まだそこから立ち直ってないんですよネ」
 ショック、という言葉に、ぼくの胸はずきんと痛む。
 けれどそのすぐ後に、それはただの葉留佳さんの自分への言葉だったということに気づいて、少しほっとした。
「私の意見ですが、セオリーに従えば、もう一度両者の頭を強く衝突させ合うことにより、両者の精神は元に戻るはずです」
「よし。まずはやってみようぜ」
 恭介がずいっと前に出て、両手で別々に二人に指示し、離れたところに立たせる。
「よし、まずは真人。おまえがそこから一気に助走をつけて、鈴に思いっきり頭突きを食らわすんだ。鈴は少し痛いかもしれねぇが、我慢しろ」
「わかった」
「へっ、了解したぜ!」
 真人がぴょんぴょんと飛び跳ねて、準備運動をする。
 対する鈴は、少し怖じ気づいたように、中腰になって、ゴールキーパーのように真人を待ちかまえた。
 すたんっ、と地面を蹴って、真人が猛烈な勢いで走り出す。
 途中でもぐんぐんスピードを上げていき、まるで豹のように鈴に突進していく。
「いっくぜぇぇぇ――――――!」
「こ、こい!」
 真人は、鈴とぶつかる一歩手前で、さらに力強く地面を蹴り、飛び上がった。
 そして勢いよく、ごっつ――――ん! と両者の頭がかち合わされる。
 踏ん張りがきかなかった鈴の体は後ろに吹っ飛び、真人も、その勢いで鈴の体の上に倒れることになった。
「大丈夫か!」
 みんなが心配して駆け寄っていく。
 どうなったんだろう……二人は、無事に元に戻れたんだろうか。
「う……いててて、」
 いや、これは――。
「おまえ、鈴か……?」
「う? い、いや、オレは真人だ……って!」
 変わってなかった。
 真人の下敷きになっていた鈴もゆっくりと身を起こして、ふるふると首を横に振る。
「い、ったぁい……。ぜ、全然変わってないだろ。ばかきょーすけ」
「うーむ」
 恭介はすくっと立ち上がって、顎に手を置いた。
 その横では、葉留佳さんやクドたちが、心配そうな顔で、鈴の顔を覗き込んでいた。
「大丈夫? 鈴ちゃん」
「地面にもごっつんと頭を打ってしまいましたけど、大丈夫ですか〜?」
「え、」
 鈴はびっくりしたように固まって、眼をぱちぱちと瞬かせていた。
「あ……う、うん。大丈夫だぞ。くど、はるか」
 しどろもどろになって、言葉を返す。そうは言っても、みんなの心配そうな顔は解けなかった。
「しかし……きみも大変な目に遭ったな、鈴君。このごっつい真人少年の体を負わされて、色んな嫌な目に遭ったろうに」
「なんだとぉ、てめぇ」
 真人がしゅばっと立ち上がって、来ヶ谷さんに指を突きつける。
「へっ! このオレの筋肉のおかげで怪我もなくて済んだんだから、感謝ぐれぇしてほしいもんだぜ!」
「きみは誰に対して言っているんだ? そもそも、きみの無駄すぎる筋肉を受け取って喜ぶ人間など、この世にいるのだろうか?」
「きゅ、急にそんな不安な顔になるんじゃねぇよ! いるかもしんねぇじゃねぇか! 一人ぐらいはよ!」
 急に弱気になった……。
「はいはい。余計な無駄話はそこまでだ」
 恭介がまた手を叩いて、再びみんなの注目を集める。
「しかし……失敗したな。漫画とかドラマじゃ、これでいっつも元に戻れるはずなんだが」
「はい。ですが、これが一番セオリーに則ったやり方で間違いはありません。それ以外の選択肢となると……極端に成功率は落ちると思います」
 西園さんが顔を曇らせる。謙吾がそれを元気づけるように言い返した。
「待て、西園。このやり方がだめになったというわけじゃない。理樹の話では、精神が入れ替わったときは真人から鈴のほうにぶつかっていったということだから、このケースが失敗してしまったのは当然かもしれん。鈴では体重もすごく軽い。衝撃も、それ並のものとなるだろう」
「ふむ。だったら、鈴のほうを真人に……か」
 恭介は少し逡巡するような目つきで鈴を見て、ゆっくりと語りかける。
「やってみるか、鈴?」
「……」
 鈴も迷うように、一瞬顔をうつむけたが、
「うん」
 恭介の目を見て、立ち上がった。


 ◆


「よし。それじゃ今度は、鈴のほうから真人に向かってぶち当たっていくんだ」
 恭介は、もう一度二人を同じ位置に立たせて、手で合図する。
「さあ! いけぇ、鈴!」
「ああ!」
 鈴は一気に体勢を低くし、ものすごい勢いで走り出した。
 目標は真人。入れ替わってしまう前の、元の自分の身体。
 その場所の中に還るために、鈴はそこへ向けて、全速力で突っ走っていく。
 そして、
「ううううにゃぁぁぁぁぁ――――――!」
 鈴の渾身のダイブは――、
「……」
 ひょいっ、と真人にかわされて終わった。
 って。
「ええー!?」
 どさあっ、コンクリートの地面に顔をぶつける鈴。
 その少し手前のほうで、妙なポーズのまま固まっている真人。
 ひゅぅぅぅ……とぼくらの間に、冷たい風が吹いた。
「な、なにやってんじゃぼけぇ!」
「あ、わ、悪ぃ……」
 真人が恥ずかしそうに笑って頭をかく。鈴は起き上がって文句を言った。
「も、もう一回頼むぜ、鈴」
「ったく……ほんとにしょーがないな、おまえは」
 ぶーたれながらも、鈴はすたすたと元の位置に戻っていく。
 テイクツーとなった。
 ぼくらは誰も突っこまず、黙ってその光景を見つめていた。
 恭介がさっきと同じように、腕を振って鈴に合図した。
「行けぇ! 鈴!」
「うおおおぉぉぉにゃぁぁぁぁ――――っ!」
 再び真人に向かって突進していく鈴。だが、それを迎え撃った真人は――、
「……っ」
 ひょい、とまた横に飛んでしまう。困り顔のまま。
 がりがりがり、とコンクリートの地面に口づけする鈴。うわ、すごく痛そう……。
「も、もう一回頼むぜ」

 テイクスリーとなった。ぼくらの額に冷や汗が浮かぶ。
「今度は避けんじゃないぞ、くそ真人! にゃぁ――!」
「……」
 ぴょーん。
「悪ぃ。もう一回頼むぜ」

 テイクフォー。
「おまえ……あたしになんか恨みでもあんのか、こら! ぼけぇー!」
「……」
 ぴょーん! ずさぁー!
「おまえいいかげんにしろー!」

 テイクファイブ。
「にゃにゃにゃにゃー! ぶっ殺すぞ真人!」
「……」
 ひょいっ、どどーん!

 テイクシックス。
「にゃおー!」
「……」
 どーん。
「こらぁー!」

 テイクセブン。
「いいかげんにしろぼけ! いつまでやらせんじゃ!」

 ぼくらは、真人のところへと駆け寄った。
 真人はしょんぼりとした顔で、うつむいていた。
「どうしたの、真人? さっきから、鈴が可哀想だよ?」
 可哀想だよ、なんてレベルじゃないわ、ぼけ! と鈴が後ろで怒鳴っているが、謙吾が取り押さえている。
 真人はしょげ込んだ状態のまま、ぼくのことを上目遣いでちらりと見た。
「だ、だって……」
「だって?」
「だってこの作戦って……なんか危ねぇじゃんかよ」
 ぴたり、とみんなの顔が固まる。
 危ない。
 そう言われるとは思っていなかった……けれど確かに、真人の言うとおりかもしれない。ぼくは昨日、真人と鈴が頭を打ってしまったときの、自分たちの取り乱しようを思い出した。
 あの恐ろしいことを、ぼくらはもう一回やろうとしていたんだ……。
「この鈴の体に、オレの体で思いっきり頭突きを食らわしたら、いったいどうなっちまうんだよ。鈴……絶対ただじゃ済まねぇぞ」
「……」
「オレは、鈴の体のほうが大事だと思う……」
 そう言って真人は、首を横に振った。
「もう、こんな危ねぇことは、やりたくねぇよ……」
「真人」
 少しだけ、嗚咽を声に滲ませて、真人はうなだれた。
 誰も、真人になにも言うことはできなかった。
 じゃあ他にどういう方法があるんだ、とも言える人はいなかった。簡単だけど、それを言ってしまうのは……。
 でも、ぼくらはみんな真人の気持ちがわかった。同調しさえもした。
 鈴の体のほうが大事だ。目的の解決なんかよりも、ずっと。 
 だから一瞬だけでも、そんな真人への反駁を思い浮かべたとしても、ぼくらはすぐにそれを消してしまえたのだ。
 みんなで話し合って、すぐに「この方法は危ないから、別の方法を探そう」という結論に達した。
「ふむ。しかし頭をぶつける以外でこの二人を元に戻す方法か……なにか上手なもんはあるかな」
 恭介が、うーん、と腕を組んで考え込む。
 ぼくらも一緒になって考えた。
 けれど、なかなか良い案は思い浮かばなかった。
「しばらく経ったら、元に戻ってるんじゃないですかネ?」
「朝起きたら元の姿に……のパターンでしょうか?」
「少し虫が良すぎるんじゃないか、三枝? まるで神さまにただ祈るようだが」
「待て、謙吾少年。葉留佳君の考え方も、あながち的はずれなことではない」
 来ヶ谷さんが、顎に手を添えながら続けた。
「肉体と精神は、もともと一つの『鈴君』というものに結合するものだ。鈴君の体に、鈴君の精神が合わさり、それで完全な『鈴君』が存在することになる。しかし今は、二人とも体と心があべこべになった状態だ。自然的な意志がもし存在するとするなら、こんな矛盾的な二人を放っておけるはずがないと思うが」
「やはは、姉御の話はちょっと哲学チックで難しいんですけど……でもたぶん、今無理矢理危ない方法を探すよりは、ここは気長に待ってみるのも一つの手だと思うんですヨ」
「まあ、そりゃそうだな」
 真人が少し嬉しそうに笑った。
「何事もなく、無事に精神が戻ってくれれば、言うことはないぜ」
 恭介も、ふっとかすかに笑って、それに続く。
「しかし、おれとしては、なにもせずにただ未来を待つというやり方は好かんな。もちろん、自然に精神が戻ってくれることを期待して就寝しはするが、起きている間は方法を模索し続けるつもりだ」
「もちろんです! 私たちがとにかく頑張らないとですっ」
 クドと謙吾がやる気を出して、みんなが頷いた。
 ぼくも頷いて、腕を組んで考え込む。
 そもそも今回の事態は、さっき来ヶ谷さんも言っていたことけど、非科学的な事態なんだ。正攻法やぼくらのルールや常識が通じる問題ではない。
 常識を超えた問題なら、それに対応させるべき手段も、常識を越えたものでなければならない。
 なんだかよくわからない問題に対する、なんだかよくわからない手段か……。
 あっ――そうだ!
「西園さん。そういえば、あの西園さんの持ってる、なんだかよくわからないパワーってやつなら、どうにかできないかな?」
「なんだかよくわからないパワー、と言いますと……NYPのことですか?」
「そう、それだよ! そのNYPってやつなら、このなんだかよくわからない問題にも、対応できると思うんだよね!」
「ふむ……確かに理解できますが。しかし、なんだかその直枝さんの言い方には、少しかちんときます」
「えっ?」
 西園さんが、じ〜っとこちらを蔑んだような眼差しで見つめてくる。
 あれ……え、えと? なんかぼく、変なこと言っちゃった?
 すると恭介から、おまえってデリカシーねぇよな……とぼそぼそ言われる。
 な、なんだかよくわからないけど、西園さんに失礼なことを言ってしまったみたいだ。なんだかよくわからないけど……。
「とにかく、わかりました。直枝さんの提案には一理あると思います。NYP機器はすべて科学部の方々が保管しているので、彼らに相談に行ってみましょう」
 西園さんの謎の視線は置いておくことにして、ぼくらは科学部の人たちに会いに行くことにした。
 って……待てよ? なにか一つ重大なことを忘れてるような……。
「そういえば、小毬のやつどこに行ったんだ?」
「あっ」
 そうだった……小毬さんがさっき逃げて行ってしまってから、まだ帰ってきてないんだった。
 どこに行ったんだろう……。ぼくはくるくるとあたりを見回して、その辺にいないか探してみる。
 すると、すぐに見つけた。
 木立の陰に、ひっそりと佇んで、こちらのほうをおずおずと窺っている小毬さんがいた。
「う、ふ、ふえぇぇぇ〜ん……」
 ぼくと目が合ったとたんに、小毬さんは叱られた子供みたいにもぞもぞと泣き出して出てくる。
「もう、お嫁もらえないよぉ〜……」
 いや、最初から小毬さんはお嫁もらえない……。


 ◆


 静かな夕焼けが見え始めてきたころ、ぼくたちは校舎の廊下で科学部の部長さんと会った。
 一通りこちらの事情を説明すると、部長さんはけろりと笑って、いとも簡単そうに答えた。
「この二人を元に戻すだって? もちろん可能だよ、NYPなら」
「ええー」
 なんかすっごい簡単だった……おそるべし、NYP。
「まあ、だけど、こういった難解な機械を使用するには、それなりのNYPが必要だよ。ぼくらも一応作ってみたはいいけど、結局西園さんにしか使えないものだったし、バトルでもいまいち役に立たないから、いつの間にかお蔵入りになっちゃったんだよね」
「あほだろおまえら」
 もう科学でもなんでもなかった。NYP部に改名すべきじゃないかな。
「けれどこれ、言っとくけど……相当のNYP値が必要だよ? 西園さんでもかなり調子いいときじゃないと使えない、っていうテスト結果が出ている。精神を入れ替えるぐらいなんだから、当然だけどさ」
「今の私に、その機械は使えるのでしょうか?」
「ん。ちょっと待ってくれるかい」
 部長さんはスカウターのようなものをポケットの中から取り出して、片目に装着した。ぴぴぴぴぴぴ、とNYPの数値を測定する音が聞こえ、直後、しぶい顔を作る。
「うーん、ちょっと難しいんじゃないかなぁ……今日は、とても標準的な数値だからね。使えるのもビームソードくらいだよ」
 ビームソードって……この国の警察はいったいなにをやっているんだ。あと誰も突っこまないけど、あのスカウターみたいな機械いったいなんなんだよ。ベジータじゃないんだから。
 って、そうじゃなくて……西園さん、今日はその機械使えないのか。困ったな……どうすればいいんだろう?
「じゃあ、おれたちでどうにかして、その西園のNYP値とやらを上げることはできないのか」
「NYP値を? うーん……これはすべて西園さんの調子に関することだからね、断言はできないけど、たとえば西園さんが喜ぶことをしてみたり、脳を活性化させるようなことをしてあげれば、自然とNYP値も上がるんじゃないかな」
 なるほど……とぼくが思った直後、ぞぞぞっ、と背中に妙な悪寒が走った。
 だ、誰かがぼくのことを見ている!
 ものすごい強烈な視線が、ぼくの背中に当てられている!
 おそるおそる、そちらのほうを振り返ってみると、そこには、やはり彼女が――。

 
 ◆


「それじゃ、スタート! ですヨ!」
 ぼくは、その合図を期に、息を呑んで恭介のほうを見つめた。
 今回のシチュエーションは、みんなが帰宅して誰もいなくなった学校の廊下で、一人恭介のことを待ち続けていたぼく。
 一緒に帰るという約束をしていたのに、恭介はだいぶ遅れて、待ち合わせの場所にやって来たのだ。
「恭介……」
 恨めしい声で、恭介の名を呟くぼく。
 一方恭介は、悪びれたふうもなく軽い足取りでやって来て、ぼくに近づく。
「悪ぃ、待ったか? すまなかったな、日直の仕事が長引いちまってよ」
「……ふん」
「さぁ、一緒に帰ろうぜ、理樹」
 恭介はぼくの肩を叩こうとしたが、ぼくはするりと身をかわした。
「……」
「あれ? お、おい……なんだよ理樹」
「もう知らない。恭介なんか、一人で帰れば?」
「はあ?」
 ぷいっと顔をそむけて、すたすたと夕暮れの廊下を歩いていく。
 後ろから恭介が走って追ってくる。 
「お、おい。なんなんだよ理樹? なにを怒ってんだ? おれちはさ、その――」
 恭介が少し恥ずかしがるように言いよどんだ後、息を呑んで、はっきりとそれを言葉に出した。
「恋人だろ?」
 女性陣たちから、きゃーっ、と黄色い歓声が上がる。ぼくは冷や汗を浮かべながら、足を止めた。
「それがわかってるなら……どうして恭介はさっき、教室の男の子と仲良さそうに話してたの?」
「はあ? お、おいおい……理樹」
 恭介はさらに走りより、ぼくの前に出て、その肩をつかむ。
 恭介の額にも、ぼくと同じように冷や汗が浮かんでいた。おまけにカタカタと手が震えている。
「べ、べつに、あいつとは、ちょっと世間話してただけだぜ? なんでおまえ、そこまで怒ってるんだよ?」
「べつに。でも恭介‥…このまえ、ぼくに優しくしてくれるって、言ってた」
 ぼくは恭介のことを睨み、冷たい声で告げる。
「嘘つき」
 ぎくり、と恭介がわずかに首を引く。
 それから、だんだんとゆっくり、人をからかうような顔つきになって、口を歪ませながらぼくの目を見た。
「もしかして……そいつに嫉妬してんのかよ、理樹?」
「なっ……ば、馬鹿にしないでよ! どうしてぼくが、恭介なんかに――」
「好きだぜ、理樹?」
「えっ……」
 恭介の目が、妖しげに細められる。震えるぼくの手をぎゅっと力強く掴み、自分の口元に持っていって、軽くキスをした。
「おれは、誰よりもおまえが好きだぜ? どこへも逃がさねぇ……」
「恭介……ほんとはぼくも、」
 お互いの口がだんだん近づいていく。
 あともう少し……あと数センチで触れ合いそうというところで、葉留佳さんの「カ――――ット!」という声が鳴り響いた。


 ◆


「満足ですっ♪」
 西園さんがうっとり目を細める。そのわきで、ぼくら二人はがっくりと肩を落とした。
 さらにその脇で、部長さんがスカウターを目にして、狂喜に打ち震えていた。
「す、すごい! ものすごい勢いで、NYP値が跳ね上がっていくよ!」
「へーえ、そうですか……」
 ピピピピピピッ、と、NYP値を測定し直す音が聞こえてくる……なんていうか、なにもかも西園さんのために作られたような機械だ。いやになってくる。
「しかし、なかなか迫真の演技だったじゃないか、二人とも。……おねーさんも少し興奮したぞ」
「るせぇ! だいたいな、なんでおれと理樹が恋人だっていう設定なんだよ! わけがわからねぇ!」
「でもでも、恭介さん。みおちんのNYP値を引き上げるには、しょうがないことなんですヨ。あれ……でも恭介さんは、もしかして鈴ちゃんたちのことはどうでもいいとか……?」
「くっ!」
 にやにやと意地悪い笑みを浮かべている二人の前で、ぼくらは恥ずかしさに打ち震えた。
 そうなんだ……これは真人と鈴を元に戻すための、仕方のない演技。だけど……そうだとわかっていても、自分たちの人間としての価値に一種の疑問を抱かざるを得ないのは何故だろう。
「なんだか見ていてドキドキしました〜。えろいむえっさいむ、えろいむえっさいむ〜」
「恭介さんが……あんなに理樹くんと近くで、あんなに、あんなに〜……」
 小毬さんとクドが真っ赤になっている。くっ、馬鹿な。こんな清純な二人をも、おとしめることができるというのかBLワールド。
 けど、よりにもよって、西園さんのこんなあほらしいお願いを聞かなきゃいけないだなんて……いったいなにをやっているんだろう、ぼくらは。
 でも、もうこれでNYP値はすべて貯まったはず。もうこんな残酷な仕打ちはこれまでで……。
「それでは次は、井ノ原×棗でお願いします!」
「まだやるの!?」
 そんなわけがなかった。
「NYP値が足りませんから、仕方がありません、直枝さん」
 西園さんが満面の笑みを向けてくる。くっ……めずらしく無邪気な笑顔で可愛らしいけど、その笑顔の中にどうしても魔性めいたものを感じずにはいられないのはなぜだろう。
「私、ひとつ思ったんですが」
 なんですか。
「今、井ノ原さんは鈴さんの体になっているわけですから、こういうふうにすれば、男女としてのノーマルカプ的シチュエーションも、BLとしてのアブノーマルカプ的シチュエーションも、同時に楽しめるということです。素晴らしいことです」
「へぇ……」
 そんな、世紀の大発見をした、みたいに言われても。
「加えて言えば、今日の恭介さんは井ノ原さんにちょっと嫉妬気味でしたから、こちらの妄想にもすごい助けになります。ああもう最高ですっ……はぁ……」
「いや、そもそも恭介と鈴って、男女カプとしてどうなんだろう」
「それでは、お二方とも準備に入ってください!」
「無視しないでよ!」
 

 ◆


 ぼくは、哀れな視線で二人のことを眺めていた。
 恭介は、悲しさと寂しさを湛えた目で、ちらりと真人のことを見た。
「いいんですよ、もう。どうせ……先輩はおれのことなんか、ただの後輩としか思ってなかったんでしょうから」
「おい、ふざけんじゃねぇよ! どうしてオレがそんなことを思うってんだ!」
 鈴の声だから、すごく違和感があるよ! 真人!
「じゃあ! どうして先輩は、あのときおれのそばに居てくれなかったんです!? 宮沢先輩とばっかり一緒に筋トレしてて……どうせおれのことなんか、どうでもいいって思ってるんだ!」
「馬鹿っ!」
「くっ……」
 ビンタを食らうかと思った恭介は、きつく目を閉じる。しかし、すぐに自分が抱きしめられていることに気づいて、はっと目を開いた。
「オレは……おまえのことがずっと好きだったんだよ! たとえ一緒に居られなくっても、ずっとおまえのことを思って筋トレしてたんだ! 謙吾の野郎と一緒に筋肉旋風に励んでたのも、全部おまえのことを守るためなんだよ! 後輩だったら、それくらいわかれよ、馬鹿野郎!」
「先輩……すんません」
「ったく……」
 二人は熱い眼差しで見つめ合う。そしてだんだんと近づいていく唇。
「いいよ。好きだぜ……恭介」
 身を屈めていく恭介。背伸びしていく真人……って、いやいやいやいや、だめでしょそれは!
「いいかげんにしろ! あほー!」
 最後は鈴が止めに入ったのだった……。

「それでは次、宮沢×棗お願いします! 脚本はこれです!」
「どうしておればっか配役されるんだよ! おかしいだろおまえ!」

 謙吾が、恨めしい眼差しで恭介のことを睨み付ける。
「恭介、貴様ぁ……」
「ふん。遅いご到着だな、サムライメェーン・謙吾。囚われの理樹たちのことを助けたかったら、まずはこのおれを倒していけ」
「望むところだ! 言われなくても、この運命の戦いが避けられないってことぐらい、わかっていたさ!」
「なに? ぐっ……」
 その後両者は、服のつかみ合いになり、組んずほぐれつの大乱闘になっていく。そして……その間になぜか順調にはだけていく衣服。すべて西園さんの指示だ。なんていうか、それを忠実に守っている二人もすごい。
 やがて、恭介に馬乗りになった謙吾が、熱い雄叫びを上げる。
「だが、最後に一つだけ言っておこう! おれが最初から好きだったのは、誰でもない、おまえだったとな!」
「なにぃ!」
「恭介‥…敵方になってしまったおまえと、このおれが結ばれるわけはないと思っていた……だがしかし、最後に、ほんの少しだけ、夢を見させてくれないか……」
「謙吾……」
 そして、だんだんと近づいていく唇――って、西園さんこのパターン好きだね。
 でも今回は今までみたいに普通じゃない。顕わになっている胸。馬乗りになっている謙吾。触れ合う筋肉。すごく官能的だ――。
「み、みおちん! これ以上はやばいって! ストップストップ!」
 まあ、それを許すはずはないんだけど。クドなんか失神していた。


 ◆


「は、はにゃ〜……」
 ぼくは、かつてこれほどまでに幸せそうにしている西園さんを、見たことがなかった。
 まるで、何事にも囚われず、思うがままに日向で寝ころんでいる猫みたいに、ぽわぽわと幸せそうに体を伸ばしていた。
「つ、ついに西園さんのNYP値がMAXに! すごいよ……これであの、精神を入れ替える機械も使えるはずだ!」
「は、はははは……やったぜ、おれら」
 恭介が力なくガッツポーズする。ぼくらもゾンビみたいにそれに倣った。なんていうか、すごく痛々しい光景だ。この数分の間に、ぼくらはどれだけ人として大事なものを失ったんだろう。
 これでちゃんと二人が戻らなかったら……ぼくらは、科学部を襲撃して、その後数週間引きこもる決意でいるぐらいだ。
「機械はすでに用意してあるよ! さぁ西園さん、この、精神入れ替えダイナミックスバズーカのトリガーを握って、あの二人を撃つんだ!」
 その、なんだかひどくネーミングセンスのない、ごっついバズーカ砲のようなものが、ぽわぽわと幸せ空間にいる西園さんの手に握られた。
 西園さんはすぐにはっとして、それをゆっくりと、真人と鈴に差し向ける。
「鈴さん、井ノ原さん……この、私たちの仲間を助けたいという想い、どうか受け取ってください!」
 その、この上なく不純色に染められたぼくらの想いは、なにやら不気味なけばけばしい色の光となって、そのバズーカ砲の先端から放たれる。
 ぴゃ〜〜〜〜、というひどく力の抜ける音とともに、その光は、真人と鈴の身体を包んでいった。
 二人はしばらく不安そうにその光を眺めていたが、やがて気を失ったようにどさりと床に倒れる。
 ぼくらは慌てて二人に駆け寄った。
 作戦は成功したのだろうか。二人の精神は、ちゃんと元の身体に戻ったのだろうか?
「成功だ。しばらくは意識を取り戻さないよ。とりあえず保健室に運んであげよう」
 ぼくらは、部長さんの言うとおりにした。


 ◆


 ぶるっ、と少し身体を震わせて、うっすらと目を開いていく。
 直後、ぶつんと弦が切れるような痛みが頭を襲った。
 それと同時に、ざざざざ、と目の奥に荒いノイズが走る。
 あたしは、その痛みとノイズが消えてくれるまでじっと待ち、やがて平気になった後に、ゆっくりと体を起こした。
 ここは、どこだろう。
 窓から吹いてくる風が冷たかった。まずは、開いていた窓を閉じる。
 そのとき、ふと自分の右手の甲に目が移って、その部分にゆるやかに血液が通っていくのを感じ、あたしははっとした。
 髪を触ってみる。
 ちりん、と鈴が鳴った。
 髪も長かった。
 股間を触ってみるが、やっぱりなかった。
 戻ったんだ……あたし。
「……」
 夕焼け色に染まっている保健室。あたしはその部屋をきょろきょろと見回してみたが、人影はなかった。
 その代わりに、馬鹿が一匹、隣のベッドで気持ちよさそうにいびきをかいている。
 ちゃんと戻れたんだな……こいつも。
 よかった。
 あたしはそのままじっとその顔を見つめていたが、なんだか暇になってきたので、その馬鹿のことを起こすことにした。
「おーい馬鹿、起きろ」
 ゆさゆさ、と肩を揺さぶってみる。
「むにゃ……」
「起きて、なにかあたしに面白いことを言え」
 そのまましばらく揺すってみたが、真人は嫌そうに身じろぎするだけだった。しかも「るせぇなぁ……そんなにプロテイン出されても、食い切れねぇよ……うへへ〜」と寝言を言った。
 きもちわるかったので、あたしは思わず手を上げてしまった。
「きしょい! なにがプロテインじゃ! あたしが起きろっつってんだから、とっとと起きろぼけ!」
「ぷおっ!?」
 顔に数発ビンタを食らわしてやると、真人はすぐに飛び上がった。
「な、な――? ぐ……いっ、てぇ……」
 だがその直後、あたしと同じように頭痛で顔をしかめる。
 しばらく頭を押さえて、やがて痛みも引いてきたようで、うっすらと目を開けてあたしを見る。
「あれ……お、おまえ、鈴か?」
「そうだ」
「戻れたのか、オレら……」
「戻れたから、ちゃんとここにいる」
「そっか」
 そう言うと、真人はほっと安心したように溜息を履いた。
「はぁ、よかったぜぇ〜……」
「おまえ、あたしの体が嫌だったみたいじゃないか」
「いや、そうじゃねぇんだよ。今オレさ、ちょっと夢を見てたんだけどよ、オレの部屋でみんながプロテインパーティをしてんだよ。そこで、プロテインの紳士淑女となった理樹と鈴が、オレにプロテインをプレゼントしてくれんだけどよ、あまりにも量が多すぎるせいで、部屋が崩壊して生き埋めにされるとこだったんだ」
「きしょ!」
 足を伸ばして蹴っ飛ばす。なにを考えてんじゃこいつは……きしょすぎる! 
 てか、プロテインの淑女ってなんじゃ。あたしを得体の知れないものにするな、あほ。
「理樹たちはいねぇのか?」
 真人は、思いっきり足を蹴っ飛ばされたのにもかかわらず、けろりとした顔で部屋の中を見回していた。
「ああ。気づいたら誰もいなかった」
「ふーん」
 真人はどうでもよさそうな返事をして、ベッドから飛び降りる。
 ぐっぐっ、と屈伸運動をして、嬉しそうな顔を作った。
「おお! やっぱこの感じだぜ! オレの体、筋肉! 全身に血が通っていく感じがするな! いやっほぉーい! 筋肉筋肉―!」
 ふんっ、ふんっ、ふんっ、と早速スクワットを始める。うっざ……暑苦しすぎるな。
 ってか、そもそも理樹たちはどこに行ったんじゃ。あたしとこいつを二人っきりにするな。なんだか馬鹿がうつりそうで怖いだろうが。
「ふっ、ふっ、ふっ、って……ありゃ?」
 しかし、あたしがそんなことを考えてる思っている間に、こいつはすぐに、ぴたりと筋トレを止めてしまった。
「あぁ〜……なんかだめだ、オレ。気持ち悪ぃ……疲れてんのかな」
 そう言いながら、だるそうな顔でベッドに寝っ転がってしまう。
 確かにそう言われてみると、あたしもなんだか調子が悪いような気がした。動いてないのに、体全体が疲れているような。中身が違うやつに、体を酷使させられたからだろうか。
 真人は、またすぐに起き上がって、ベッドから飛び降りた。
「なんか喉渇いちまったな。飲むもんねぇかな、飲むもん」
 そうして奥のほうに姿を消し、直後、がたがたとなにか物色するような音が聞こえてくる。
 それ以外の音は、なにも聞こえない。運動部の掛け声も、吹奏楽の練習の音も。そんなものはここから、遠く離れているから。
 夕暮れの青白い光が、あたしの制服をぼんやりと照らしている。
 あたしはそんなところで、みんなのことを考えようとしていた。
 これから、みんなとどうやって付き合っていけばいいんだろう。みんながここにいなくて、助かったと思う反面、こうまで静かにされてしまうと、余計なことまで考えてしまうような気がした。
 友だちって、いったいなんなんだろう。
 誰かに教えてほしい。理樹や馬鹿たちみたいな関係のことを、友だちと言うんじゃないのか。
 難しい……。
 難しいことだと思う。考えないでいられるなら、なるべく考えないようにしておきたい。けれどそれじゃだめだ。だってあたしは……。
 誰にも、気づいてもらえなかったんだから。
 誰も、あたしが鈴だって気づいてくれなかった。
 来ヶ谷だって、本当のことを言っているか怪しいもんだ。あたしたちが教えてやるまで、なにも言い出さなかったんだから。
 実はずっと、半信半疑だったに違いない。
 そういうことに目をつぶったまま、またみんなと同じようにやっていくのは、なんだか嘘っぽいというか、窮屈なような気がした。
 あたしはやっぱり、また昔のころのように、理樹や馬鹿たちとだけ仲良くやっていくのがいいのかもしれない。
 そっちのほうが、ずっと楽な気がした。
「よう」
「ん」
 急に声がかかったので、そちらに振り返ってみると、真人が湯飲みを二つ抱えて立っていた。
「なんか、勝手に淹れちまったけど、大丈夫だよな。すっげぇ喉渇いてんだよ、オレ」
「いいんじゃないか。もしだめだったら、後でちゃんと謝ればいい」
「そだな」
 真人は特に気にしたふうもなく、自分勝手に茶を飲み始めた。片方の手で、もう一つの湯飲みを手渡される。
「馬鹿にしては気が利くな」
 ありがとう、と言うのは恥ずかしかったので、あたしはそう言った。
「へっ」
 真人はなにも言わず、おかしそうに笑って、目を逸らした。
 あたしもお茶を飲む。ずずず、と。
 すると、ほっと温かい気持ちになってくる。冷たい感情がどんどん薄れていく。
 けれどあたしは、だからこそ、その中に、一種の後ろめたさのようなものを感じていた。
 このまま――ほっとした温かい気持ちのまま――冷たい感情をどこかに仕舞ってしまって、再びこまりちゃんたちとなんら変わりなく付き合うとして、あたしはそれで本当にいいんだろうか。
 本当にそんなことを望んでいるんだろうか。
 この胸に残っているもやもやとしたものは、あたしの痛みだ。
 痛みを抱えたまま、その原因のものと仲良くするなんて、できるんだろうか。
「なんかおまえ、元気ねぇな? 大丈夫か?」
「ん」
 あたしは気のない返事をして、真人のほうをちらりと見た。
 真人はうーん、と難しい顔をしたまま、腕を組んだ。
「そんなにあれか、オレに裸見られたことがショックだったか……。大丈夫だ、安心しろ。見たっつっても、あのときはオレも女だったから、とくに変な気持ちは――いっ、いででででで!」
「わすれろっ! ぼけ!」
 なに言い出すんだこいつは!
「う、うんわかった! 忘れる! 忘れるから、つっ、爪を立てるのは止めろぉ! いだだだだだだい!」
「ふん!」
 つねっていた手を離してやる。
 まったくあほじゃないか、こいつは。あたしがせっかく「せんちめんたる」な気分になっていたというのに、空気を読まないこと言い出して、ほんとあほなやつだ。
 う、うー……で、でも、こいつに裸見られたことは……恥ずかしすぎる。なるべく忘れたい。それを水に流してやる代わりに、もうあたしの前でそんなことは言ってほしくなかった。
 って、そんなことはどうでもいいんじゃ! あたしもなに考えてんだ!
「も、もっと別のことだ! ぼけ!」
「ふぅー、ふぅー……って、別のことだ? なんだよ?」
 そう質問されて、はっとした。
 しまった……悩みがあるって告白してしまった。どうしよう。
「ふぃ〜……いってぇなくそ」
 真人は赤くはれた手をひらひらと振りながら、片手でうーん、と考えた。
「しかし、別のことかぁ……なんなんだろな。無事に元の体に戻れたのに、おまえはなんでそんなに元気なく……って、そ、そうか! わかったぞ!」
「言っとくが、おまえの筋肉に興味はないぞ」
「い、今、言おうとしたのによ……」
 しゅん、とうなだれてしまう。いちいちきしょい。こいつは、あたしがおまえの体に未練を抱いていると言いたかったのか。ばかだ。
 なんだかイライラしてきて、真人をきっと睨み付け、あたしは、両膝を抱えてそっぽを向いた。
「じゃあなんなんだよ。もしかして、さっき悩んでたことか?」
「……ふん」
 あたしはそっぽを向き続けた。
 ちゃんとわかってるんじゃないか、こいつは。むかつくな。真人のくせに生意気だ。
 あたしが顔をしかめていると、真人はふうと溜息をついた。
「はぁ……当たりかよ。つまり、さっきおまえが悩んでた、みんなが自分のことを見てくれないとか、そういうことだろ」
 その言い方に少しかちんときたので、あたしは真人のことをきっと睨み付けた。
「馬鹿にするな、ぼけ」
「へ? い、いや、してねぇよ! オレも同じこと思ってたんだからよ」
「本当か」
「本当だぜ。当たり前だ」
「そっか……」
 真人の言っていることが正しいと思ったので、あたしは睨みを解いた。
「じゃあ、真人はどうしたらいいと思う? あたしは、これまでと同じようにこまりちゃんたちと仲良くしてくのか。それか、もう友だちじゃなくなってしまうのか」
「うーん」
 真人はまた腕を組んだ。
「難しい問題だよなぁ、そりゃあ」
 その言葉に、真人もこのことを真剣に考えてくれているのだとわかり、あたしはほっとした。
 真人はやっぱ仲間だ。あたしと同じことを悩んでいる。
「そのことでオレ、ちょっと思ってたことがあってよ」
「え? なんだ?」
「ああ」
 真人は、飲み干した湯飲みをテーブルに置いて、また戻ってくる。
「おまえの言うとおり……ずっとみんながオレ自身のことを見てくれなかったのは、確かに嫌な気分だったぜ。もちろんオレ自身にしてもそうだったが、おまえに対してもなにか悪いことをしているような気持ちになってよ。けれど、今日あいつらのことをずっと見ていて、ふと思ったんだが。もし、今日学校で会ったとたんに、『おまえ鈴じゃねぇだろ?』って言われたら、それもなんだか嫌な気分になるなぁ……ってよ」
「……」
 あたしはなにも言わなかった。けれど、心のほうはびっくりしていた。
 おかしいところを見つけたからじゃない。そうなったときの、真人の気持ちがすごくわかったからだ。
「たとえ理樹や恭介たちでも、会ったとたんすぐに『おまえ真人じゃねぇのか?』って言われたら……なんか困るっつーか、逃げ出したくなるくらい恥ずかしくなるっつーか……変な気持ちになるよな。そんで、もし誰にも正体がばれずに、オレが鈴であり続けることができれば、少しは安心するところもあるっつーかさ。なんていうか……そういうの、どっちも良くねぇって思ったんだよ」
 あたしは、白いシーツに目を落として、その真人の言っていることを想像してみた。
 嬉しくなかった……思っていたより。
 あたしたちの正体がばれるということは、あたしはもっと純粋に嬉しいものだと思っていた。
 けれど……そこにはちょっぴり怖いものがあった。
 それこそ本当に、以前と同じようにこまりちゃんたちと付き合えなくなるかもしれない。
 真人の言うとおりだ。
 そんなことを言ってくるこまりちゃんは、本当のこまりちゃんじゃない。
 もしあたしに会ってすぐ、『鈴ちゃんだよね?』ってこまりちゃんが聞いてきたら、あたしはまず真っ先に誰かにあたしの正体を聞いたかどうかを疑う。
 それはどうしてかというと、本来のこまりちゃんだったら、絶対にそんなこと聞いてくるはずがないからだ……。
「そうだ」
 その通りだった。
 あたしは、変な勘違いをしていた。
 あたしは、すごく妙なことをこまりちゃんたちに要求していた。
「怖くなるな」
「だろ。急に、そいつのことがわからなくなった感じがするぜ」
 こまりちゃんたちは、別に冷たくなったんじゃない。
 それが、そのままこまりちゃんたちの本当の姿だったんだ。
 あたしは、そんなみんなの姿を否定して、おかしいことを要求していた。
 なにやってたんだろう、あたしは。
 あたしのありのままの姿を見て欲しいって、そんなことをみんなに要求していたくせに、あたしはみんなのありのままの姿を見ようとはしなかった。
 そんなものは間違いだ、嘘だ、汚いんだ、って決めつけて。
 あたしは、あほだった……。
 友だちじゃなくなりかけていたのは、あたしのほうだった。
「きっとさ……オレが思うによ、今日のあいつらがそっくりそのまま、一番の形ってやつだったんじゃねぇかなぁ」
「一番の形?」
「おう」
 真人は腕を組みながら、上手な言葉を探すように首をひねって言った。
「きっとさ……おまえが探してたように、心だけを見るんじゃなく、ましてや、体だけしか大切にしねぇんでもなく、オレら自身のことをそっくりそのまま大事に見てくれる。そんで、もしオレらが困ってたら、そんなちょろくせぇこと考えてねぇで、一緒になって問題にぶち当たってくれる。そういうのが……本当の友だちってやつじゃなかったのかなぁ」
 そう言い終わってから真人は、溜息をついて「こんなことあいつらに言うのは、恥ずかしいんだけどな」と笑って頭をかいた。あたしも少し恥ずかしいと思った。
 こまりちゃんたちと仲直りできるのは嬉しいけれど、そんな言葉をはっきり口にするには、やっぱり恥ずかしかった。でもそれ以上に、この馬鹿な真人が、意外にもまともなことを言っているのも、すごく恥ずかしかった。
 あたしなんかじゃ、全然思いつかないことだったから。
 少しすごいと思った。
 そうして、ずっと自分の心にかかっていたもやもやが、今になって全部晴れてくれた気がした。
 こまりちゃんたちのことを疑わずに済んで、そんな本来のこまりちゃんたちこそ、あたしの一番の友だちなんだって、信じ直すことができたから。
 あたしは嬉しかった。
 そんなふうに、真人と二人で笑っていると、まるで狙いすましたように、廊下からぞろぞろとたくさんの人間の足音が聞こえてくる。 
 きっと理樹たちだ。
 はしゃいで出ていこうとする真人の学ランを引っ張って、あたしはぼそっと呟いた。
「真人。そう言えばおまえに、言い忘れてたことがあった」
「へ? なんだよ?」
 はやくしろよ、といったふうに顔を向けられる。
「え、ええっと……いや、あの……」
 いざそれを言うとなると、すごく恥ずかしくなった。できればなるべく言いたくない……。
 でもこれを言っちゃわないと、完全に心がすっきりとしてくれないから、あたしは言おうと頑張った。
 足音がどんどん近づいてくる。あたしは息を呑んで、目を閉じて言った。
「あ、ありがとう……さっきは……」
「は? さっきって、なんのことだよ?」
「だ、だから……っ、もう!」
 なんなんだこいつは! 天然ぼけか。すごく恥ずかしい……なんであたしがこんなことを言わなくちゃいけないんだろう。
 いや、それは、あたしがこいつに本当にありがとうって言いたいからだ……くそ。
 がらがらがら、と保健室の扉が開いてしまう音がした。あたしはぎょっとして、呼吸が止まり、ばたばたと慌て、思い切って大声で言ってしまった。
「だ、だからっ! さっきあたしと頭をぶつけることになったとき、あたしの体を庇ってくれたことだ! それをあたしは、ありがとうって言ってるんじゃ!」
「へっ――」
 ぎょっとしたのは、真人だけではなかった。
 ちょうど保健室に入ってきたみんなが、こっちを信じられないような目つきで眺めている。
 ベッドに膝立ちになって、学ランを思いっきり引っ張っているあたし。今のセリフは……完全にみんなに聞かれたに違いない。そう思うと顔がどんどん熱くなってくる。
 ああ……これからみんなになんて言われることだろう。きっとくだらなくて、あほなことに違いない。
 でもいい。そんなちくちくとした小さな痛みも、今はこの大きな幸福感に包まれて、心地よいものへと変わっていくだろうから。
 友だちを、信じられるようになってよかった。本当に。
 友だちがいてくれれば、どんなことでも楽しくなって、苦しい痛みは減っていき、笑顔や喜びは増えていく。
 そんな友だちのことを、あたしは今までよりも愛し、信頼し、大事にしていけることだろう。
 それだけは間違いない。
 そんな言葉を頭にリフレインさせながら、あたしは必死にみんなに言い訳をし始めた。

 終わり

 

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