寒さ深まる十月の終わりごろ、ぼくらはいつものように、放課後の野球の練習を終えて、恒例のボール拾いに来ていた。
 校舎の上に広がっている夕空に、ぽつぽつと銀色の星が見え始めるころだった。
「あー、腹へったぁ……。筋肉、筋肉っと」
「きしょい拾いかたすんな、ぼけ」
「ああ? んだよ、腹がへっちまって筋トレできねー馬鹿は、口だけでも筋トレすんじゃねぇってか!?」
「あ、それ筋トレだったんだ……」
「当たり前だぜ。ったくよ」
 ちなみに真人は、口で筋肉筋肉と言ってボールを拾っているだけだ。
「本当に気色悪いな、こいつは」
 顔をしかめてボールを拾っていく鈴。どうせいつものやり取りだ。
 真人も、特に鈴の悪口に気にしたふうもなく、口笛を吹きながらご機嫌そうにボールを拾っていく。
 ぼくも、バットのスイングで疲れ切った腕を回しながら、ゆっくりとボールを拾っていった。
 やがてみんなでそれを集めて、グラウンドで待っている恭介のところへと持っていった。
「足りねぇ」
「え?」
 恭介がしぶい顔で、うーん、と唸った。
「もし、これがおれの目の錯覚じゃなければ、ここにはボールが一個、足りてない」
「はぁ?」
 恭介が、つんつんとボール箱を指さしながら言った。
「ほんと?」
「ああ、ここには全部で野球ボールが三十二個あるはずなんだが、ここにはどう考えても三十一個しかない。おまえら、日が暮れる前にそいつを探し出すぞ」
「げえっ、まじかよ」
 真人がうえー、といった顔をする。お腹の減り具合がそろそろ限界なんだろう。
 ぼくだってお腹がすいていたし、たった一個のボールを探すのなんていやだったけど、野球部の借り物をなくしたままにするわけにもいかない。
「みんなで探せばきっと見つかるよ〜」
 小毬さんにも励まされ、みんなが頷いた。
 ぼくは、さっきのメンバーと一緒に、もう一度中庭へと戻った。
「がぁ〜……腹がへって死にそうだ……。理樹、さっさとその迷子のボールとやらを探そうぜ」
「うん。少し空も暗くなってきたし、急ごう」
 ぼくらは、もう一度中庭をすみずみまで探した。
 木立の中、芝生の中、バンジーやツワブキが咲いている花壇の中まで全部探した。
 けど、どこにも見つからなかった。
「くっそう……どこに行きやがったんだ。迷子の可愛いボールちゃんはよう」
 空腹のせいか、真人はどんどん顔が険しくなってきている。心なしか、そのセリフもまるで誘拐した少女に逃げられた誘拐犯のようだった。
「おまえ、なんか筋肉センサーとかで探せんのか」
「無茶言うんじゃねぇよ。おれの筋肉で探せんのは、筋肉だけだ」
 それもすごい能力だけど、すごく要らない能力じゃないかな。
「ありゃ?」
「ん? どうしたの、真人?」
 真人は、ある一点を見つめて、目を細くする。
「いや……あそこに乗っかってるのって、ボールじゃねぇかなぁ〜って」
「え? ……あっ!」
 真人が指差した方向を追っていくと、確かにあった!
 すごいよ真人! あんな小さいものを見つけるなんて!
 あ……でも、あそこは……。
「木の上、だね」
「つーか、てっぺんだな。ありゃ」
 まるで、クリスマスツリーの飾りのように、もみの木のてっぺんにボールが引っかかっている。
 どうやって取るんだろう、あれ……ぼく木登り苦手なのに。困ったなぁ……。
「ここは、身のこなしが軽い鈴の出番じゃねえか?」
「えっ!?」
 あ、そうだ。
 ここは鈴に頼むべきだ。鈴は、恭介に次いで木登りが得意だったじゃないか。
 ここも一発、名人の手で……。
「あ、あたしはいやだぞ!」
「え、どうして?」
「そうだぜ。ここはおめーが一番向いてるだろうが。木登り名人の鈴様が、ここはちょちょいとやっちゃってくださいよ」
「う……」
 鈴が困ったように顔を引く。
 あっ、そうか。わかったぞ。鈴はこの木が高すぎるから怖がってるんだ。
 だったら、ぼくたちがするべきことは一つじゃないか。
「大丈夫だよ、鈴。ここはぼくたちに任せておいて。下でずっと鈴のことを見てるから。いつ落ちてきても大丈夫だよ」
「は、はぁぁ!?」
 なぜかさらにびっくりしている。いったいどうしたって言うんだろう。
「おっと鈴、この筋肉様をなめるんじゃねぇぜ? 落ちてきたときの衝撃を考えねぇ筋肉じゃねえ。触るときはふんわりと、そして包み込むときはがっしりと……最後のアフターケアまで忘れねぇぜ」
 その、最後のアフターケアっていうのが気になるけどね。
「ば、ばかかっ! ちがうわ! あほ!」
「? いってぇなにがちげぇってんだよ?」
「そうだよ。さっきから様子が変だよ? どうしたの、鈴?」
 鈴は顔を赤くして、ぼくらを睨み付ける。
 いったいなんだっていうんだろう……なにかに怖がっているようにも見えるが。
「す、すかーと……」
「ん?」
 鈴は、自分のスカートの裾を手でぎゅっと手で押さえて、
「す……すかーとの中が見えるっちゅうんじゃ、ぼけっ!」
「はっ!」
 と、真っ赤な顔でぼくら二人に怒鳴った。
 直後、ぼくの脳裏に、ごろごろぴっしゃーんっと雷光が落ちる。
 そ、そうだった……。
 ぼくは、女の子に対してなにを言っているのだろう……下でちゃんと見てるから、だなんて。どう考えてもパンツ覗きたいだけの変態じゃないか。
 恥ずかしい……思わず顔が熱くなる。
「あ、ああ〜……」
 真人も、今やっと気づいたかと言うように、ぽんと手を打った。
 鈴の真人を見る目がぎぎぎぎぎ、とするどくなる。
 まずい雰囲気だ。どうしよう。
「でもよ、別に構いやしねぇじゃねぇか、そんなん。向こうで誰も来ないように見張っといてやっからよ」
「あほかぼけ! そしたらあたしが落ちたときにどうするんじゃ!」
「そ、そうだよ真人! 鈴が足を滑らしたときのために、ちゃんとぼくらが下で待ってないと――って、は!?」
 鈴の魔界の王のような視線が、こちらに向けられている! 
「ち、ちがうよっ!? ぼ、ぼくは鈴が登ることには反対だよ!? ただ、ぼくは安全と効率の話をしているだけで――!」
 自分でもなに言っているのかわからなくなってきた!
 赤くした顔でまごついていると、真人がぼくの肩をとんとんと叩いて、ぼそぼそと耳打ちしてきた。
「おい理樹。おまえ、さっき下で見てるって言ったとき――鈴のスカートの中覗けるかもしれねぇって思ってたろ?」
「ばっ――な、なんでそうなるんだよ!? ぼくがそんなエッチなこと思うわけないでしょ!?」
「いいからおまえが自分で登ってこい、あほ!」
「って、オレがかよ?」
 真人が自分を指差して、目を丸くする。
「生憎だけどよ……今のオレは、筋肉お休み状態だぜ。加えて腹も減ってるし……はやくカツが食えねぇと、勇気も元気も出ねぇんだよ」
「まっ、真人ぉ! 真人があのボール取ってきたら、ぼく、今日はカツ定食スーパー盛りをおごってあげる!」
「な、なんだって! マジかよ!? あのスーパー盛り……あの、幻の、学食のおばちゃんたちと特別な関係にならねぇと食えねぇっていう伝説の!? おーけぇ……わかったぜ! オレの筋肉に全部任せなぁ――っ!」
「ふ、ふうう……」
 助かった。
 鈴の僕らへの殺気が、みるみるうちに膨れあがっていったから、とっさに真人のことをけしかけたけど……正解だった。
 本当に真人が単純な人で良かったよ。ぼくまで巻き添えを食うとこだった。
「おーい、見つけたぜー!」
「早っ!」
 カツパワーのおかげか、真人は一瞬で頂上まで登り詰めたようだった。
 唖然としていると、ぽとんぽとんとボールが落ちてくる。ぼくはそれを拾った。
「真人―、もういいよー! 降りてきてー!」
「おう! わかったぜ! 今降りる――って? ど、どわわあああぁぁぁぁぁぁ――――!?」
「ま、真人!?」
 ばきばきんっ――と枝の折れる音が聞こえた後、真人の巨体が真っ逆さまに落ちてくるのが見えた。
 まずいっ! なんだかんだしてて、全然真人のことを受け止める準備ができてなかった!
 ぼくは慌てて木の根本のほうに駆け寄って、腕を伸ばそうとしたが――、
「うにゃ!?」
「あいた!?」
 逆にこっちに逃げようとしてきた鈴の背中と、ぶつかってしまう。
 ぼくは、鈴の逃げ道を後ろから塞ぐ形で――、
「だぁぁ――――っ!?」
「にゃぁぁぁ――――――っ!?」
 ごつ――――ん! と、両者の頭が強くかち合う原因を作ったのだった。
 ぼくはそのまま真人の巨体に吹っ飛ばされ、芝生に寝っ転がるが、二人のことが心配ですぐに起き上がった。
 て、ていうか、今ものすごい音がしてなかった?
 二人は大丈夫なんだろうか!?
「り、鈴! 真人!?」
 鈴も真人も、僕から少し離れたところに倒れていた。
 心臓の鼓動を速くして、慌てて駆け寄っていく。
 いや、まさか……と心の片隅で思いながらも、その大半では、ぼくはあの修学旅行のバス事故の光景を連想していた。
 瞬時に得体の知れない恐怖が、ぼくの体を包み込む。
「おい理樹!? なにがあったんだ!」
「恭介、謙吾!」
「どうした!? 今の悲鳴はいったい――……って、鈴、真人!?」
 謙吾が驚いて二人のほうに駆け寄っていく。恭介も唖然として、それに続いた。
 謙吾は真人のほうにつき、恭介は必死に鈴に声を呼びかけた。
「おい鈴、しっかりしろ! なにがあった……いったいどうしたんだ!?」
 だめだ、揺さぶっちゃいけない。危険だから――そう説明したかったけど、うまく言葉がまとまらなかった。
 ナルコレプシーは来そうにもないけれど、その代わり、ぼくの頭の中を多数の情報や想念がかき乱した。
 そうしてまごついている間に、なんと鈴は、自分からうっすらと目を覚ました。
 ぼくや恭介の顔に、安堵の輝きが灯る。
「鈴!」
 鈴は、頭痛がするように顔をしかめ、ゆっくりと首を振りながら、「う、うう〜」と言った。
「鈴、大丈夫か!?」
「ん……なんだ……いったい、どうしたんだ――うっ……ってぇ……頭、打った……」
「頭を打ったのか!? どのあたりだ!? 今すぐ救急車を呼ぶか!?」
「はあ? 救急車? いるかよ……いちいち大げさだな、恭介は。こんなもん筋肉つけときゃ治るっつーの」
「は?」
 ぴき。
 恭介が……固まった。
 ぼくも固まった。謙吾も、固まった。
 なに……今の。
 鈴、今なんて言ったの?
 筋肉……?
「う、う〜」
 謙吾に介抱されている真人も、しだいに目を覚ました。
 ぼくはなんだか、さっきとは別種の、得体の知れない恐怖を感じながら、おそるおそるそっちを振り返ってみた。
「真人、大丈夫か?」
「う〜? まさとだと……? ふざけんなぼけ。あたしは、あんな馬鹿とは違うわ……」
 びきびきっ!
 その一言で、この空間に完全にヒビが入ったような気がする。
 あたしってさ……真人、冗談でしょ?
「く……思い出したぞ。あの馬鹿が、あたしの頭の上に落っこちてきたんだ。いたい……」
 顔をしかめながら、真人はゆっくりと身を起こす。
 謙吾の顔が、はにわのようになっている……。
「お、おい……真人。おまえ、誰に対して言ってるんだ?」
「はあ? おまえこそ誰に対して言ってるんじゃ。目が腐ったのか? あたしは、あの馬鹿真人に――って、え?」
 あの真人の目が、今ちょうど起き上がった鈴の目と交錯する。
 ぴたりと固まる二人。
 ぼくら三人も、わけがわからずに固まっていた。
 ぴき、ぴきりと、着実に信じたい心にヒビを入れながら……。
「な、な……」
 やがて両者とも、芝生の上に立ち上がって、
「な、なんで、オレ(あたし)がそこにいるんだぁ――――っ!」
 ぱりーんっ、とガラスをぶち割るほどの喚声を、紫色の夕空に響かせていた。

 
 ◆


「精神が入れ替わった……ってことだな。信じたくはないが」
「哀れそうな視線でオレを見るんじゃねぇよ!」
 ぼくの部屋に帰ってきた。あれから、混乱してしまっている(ぼくらも混乱していたが)二人を連れ帰ってきて、いつものようにぼくの部屋で作戦会議が開かれたのだ。
 ちなみに夕食はみんなでここで取った。身の振る舞い方がわからないうちは、あんまり出歩かないほうがいいと思ったためだ。
 というか、いまだにぼくらも信じることができない……あの女の子の鈴が、あんな乱暴な口調で恭介に詰め寄っているなんて。
 あれ、いつも通りの光景?
「しかし、お兄ちゃんとしてはだな、妹がいきなりこんな口調になってることは……衝撃を禁じ得ないんでな。この視線は、そういった事情のゆえだ」
「どう見ても馬鹿にしてる目じゃねぇかよ」
「そうじゃない。妹としての新しい萌え属性に魅力を感じないわけではないんだが……中身が真人だと考えると、どうにも躊躇されてな」
「変態兄貴!」
 鈴(外見は真人)から、するどい右ストレートをもらう。
 当然のごとく吹っ飛ぶ恭介。あわてて謙吾が鈴を押さえにかかる。
「ま、待て鈴! おまえは今真人の体になってるんだから、いつもの調子で殴ってはだめだ!」
「はっ……そ、そうだった! ごめんきょーすけ! 大丈夫か!?」
「ふん……」
 恭介がよろよろと身を起こす。真人の全力のパンチをもらったんだから、無事なはずはないが――、
「は……大丈夫だぜ、このくらい。しかし……どうしてかな。顔はめちゃくちゃ痛いんだが、鈴にこうやって怪我を心配してもらえることが、こんなにも嬉しいだなんてな……お兄ちゃん、感動で泣けそうだ」
 恭介は目をうるうるさせていた。
 ぼくらは黙って、恭介から距離を取った。
「ど、どうしたおまえら! なんでおれから距離を取る!」
 いや、なんでって言われても……。当然の反応じゃないかなぁ。
「殴られた相手に、そんなに純朴に感謝しているおまえが、なんだか遠い存在のように思えたんでな」
「うん。しかも相手、自分の妹だしね」
「ま、待てよ! おまえらだって、ちゃんと鈴のような妹を持てば――」
 残念だが、たとえ実際に妹を持ったとしても、恭介のようになれる自信はない。
「くっ! もういいよ! 大体そんなことは最初からどうでもいいんだよ! 今大事なのは、これからこいつらをどうするかってことじゃねぇか!」
 恭介が最初に言い出したんじゃないかなぁ……まぁいいけど。
 ぼくらが元の位置に戻ると、真人(外見は鈴)が重く溜息をついた。
「とっととそっちの体に戻りてーぜ。見てくれよ、この体……筋肉がぷにぷにだぜ」
 真人は力こぶを作ろうとしたが、ぼこっとならず、ぷるぷると震えるだけだった。いやまあ、鈴の体だから当然だけど。
「ほら、こっちの足とかもよ」
 膝を立てて、太ももを見せようとする。っていやいやいや、なにか奥に見えるんだけど!?
「や、やめろぼけぇ――っ!」
「あがっ!?」
 鈴から拳骨をもらう。
 真人はきゅ〜、と目を回しながら、どさりと倒れてしまう。
 それからすぐに起き上がって、鈴のことを睨み付けた。
「いてぇな! なにしやがんだよ!」
「おまえがなにすんじゃ、ぼけ! あたしの体になってるんだから、もっと周りに気を配れ、あほ!」
「んだとぉ……てめぇ、変な顔してるくせに生意気じゃねぇか!」
 いやいやいや……真人の顔でしょ。
 と思いながらもぼくは、今ちらりと見えた鈴のパンツの映像を思い出してしまって仕方なかった。
 くっ……変態じゃないかぼくは。静まれ、ぼくの心……相手はあの鈴じゃないか。しかも中身は真人だ。 
「はいはい、二人とも止めろ。戻りたい気持ちはわかったよ」
 恭介がぱんぱんと手を叩いて、二人に喧嘩を止めさせる。
 そうして疲れた溜息を吐いて、ぼくのほうを見た。
「どうしたもんかな、理樹」
「いやまあ。ここは普通に考えて、二人を元に戻してあげるのが一番だと思うけど」
「やっぱそうだろうな」
 恭介とぼくがそんな会話をしていると、真人がまたもや愚痴っぽく溜息を吐いた。
「ほんとだぜ。こんなひょろっちぃ腕じゃ、おちおち腕立てもできやしねえ。すぐばてちまうぜ」
「って、筋トレする気なの!? その身体で!?」
「させるか、ぼけがっ!」
 そんなこと言うと鈴がまた噛み付いてしまう。自分の身体で、なにか妙なことされないかすごく心配みたいだ。
「ふむ。真人のように筋肉質になった鈴など……あまり見たいと思えるものではないな」
 ぼくも絶対見たくない……。
「そんなこと言ったってよう。じゃあそっちは、ちゃんとオレの体で筋トレしてくれんのかよ?」
「ふん。誰がするか、ばーか」
「なにぃ!?」
 やばい、また喧嘩になりそうだ。
「せ、せっかくオレが真心込めて鍛えた筋肉なのに……」
 と思ったら、泣き出して落ち込むだけだった。うーん……鈴の姿でそんなふうにされると、少し可愛く映らないでもない。
「どうしよう、恭介?」
 なんだか可哀想になってしまったぼくは、恭介に助言を求めた。
 恭介は組んだ腕の先で、とん、とん、と腕を叩きながら、言った。
「うーん……おれもひょろひょろになった真人なんて、見たくないしな」
「そうなったらもうおれはこの部屋に来ないぞ」
 謙吾がどよーん、とブルーになっている。確かにそっちはもっと見たくない……同じ部屋の住人として。
 しかしそれよりも、どちらかと言えば、二人の健康のことが懸念された。
 二人とも、お互いの体の維持の仕方なんてよくわからないはずだ。
 でも、今すぐ二人を元に戻す方法なんて見当つかないし……頭でもぶつければいいんだろうか?
「とにかく、元に戻す方法がわからないうちは、現状維持だ」
 恭介がみんなの目を見て言った。 
「おまえら、もっと相手の体のことを思い遣ってやれ。鈴は真人の体でちゃんと筋トレをしてやるんだ。真人は、鈴の体のことをもっと大事にしろ」
 真人と鈴が、つまらなさそうに恭介の話を聞く。
 不満たらたらであったろうが、今の恭介の雰囲気には、どこか言い返すことのできない威圧感があった。
 いつもの恭介だ。ぼくらに有無を言わさず、一人で遠いところまで引っ張っていく。
「あとは、他のメンバーたちにはこのことは内緒にしておこう。ばらしちまってもいいが……そのことは、おまえらの枷とする。しっかり本人になり切れるように、本人のことをもっと思い遣ってやるんだ。仲良くやれ、二人とも」
 最初に真人が、ゆっくりとうなずいた。
「恭介の言葉じゃ、しょうがねぇな」 
 仕方なさそうに笑う。
 こういうところはとても男らしい。今は女だけど。
 鈴もやがて、それに続いた。
「ミッション、ってことだな。きょーすけ」
「ご明察。よくわかってるじゃないか、鈴。いや、ここではその呼び名も変えることにしよう。今からおまえのことは、真人と呼ぶぜ」
「な、なにぃ!」
「誰かにおかしく思われないためだ。そしておまえのことは、鈴と呼ぶからな」
「な、まじかよ! うわぁ……ややこしいな。オレもそいつのことを、真人って呼べばいいのかよ」
 二人とも困惑顔だ。少し難しいミッションかもしれない。
 でも、ぼくらとしては、呼び名が決まってくれるのは助かった。さっきからどっちをどっちの名前で呼べばいいか判別つかなかったから。 
「もちろん、周りにおれらしかいないときは元の名で呼んでいい。つっても、今から少し、慣れるために練習してもいいがな」
「それって、今からちょっと、二人のことを別の名前で呼んでみるってことだよね?」
「そういうことだ」
 恭介がうなずく。うわっ……なんだかそう考えると、すごいややこしいかもしれない。相手は真人だってわかってるのに、鈴って呼ばなきゃいけないなんて……。
「ん?」
 鈴(中身は真人)のつぶらな瞳がこちらに向けられる。
 うっ……可愛い。見た目はほとんど鈴そのものじゃないか。
「鈴?」
「ん? おーい鈴、理樹が呼んでるぜー?」
「なんだ、理樹?」
 うわっ、すごい面倒くさい! 真人(中身は鈴だ)がこっちに近寄ってきた!
「違うって! ぼくは今、こっちの『鈴』に話しかけたんだってば!」
「なにい! オレのことかよ!?」
 真人ががびーん、としている。やっと気づいたのか。
「な……なんか恥ずかしいなー……」
 両手を火照った顔に当てる。こっちも恥ずかしいわ。
「じゃあ、こっちもやってみるか。よう、真人!」
「ん、なんだ?」
 謙吾が話しかけると、真人のほうはうまく答えていた。すごいよ真人、完璧な演技だ。
 っていうか、これって……、
「違和感ゼロだな」
「うん」
 まさしく本人そのものだった。見分けつきにくっ……。
 それからぼくらは、しばらく新しい呼び名の練習をしながら、いつものようにだらだらと夜の時間を過ごし始めた。
 漫画を読んだり、課題をやったり、恭介が手に入れてきた奇妙なゲームをしてみたり。後半はほとんどいつもと同じような空気だった。
「そういや、もう遅い時間だな」
「あ、そだね」
 恭介が壁に掛かっている時計を見ながらつぶやく。
 時刻は、もう八時半を回っていた。
 いつの間にか、二時間以上も遊んでいたのか。ぼくらの間には、べつに変な気兼ねとか無いから、二人が入れ替わっても、特に不便なことは起こらなかったな。
 鈴の座り方と、スカートの見え具合がいちいち際どかった以外は……。
「よし。それじゃ、そろそろ風呂に入りに行こうぜ。真人」
「おう。そうだな」
 鈴が恭介と立ち上がって、自然な様子で部屋を出て行こうとする。
 って、いやいやいやいや!
「ちょ、ちょっと待てぼけぇ!」
 すかさず真人が元の鈴に戻ってしまう。いや、その気持ちはすごくわかる……。
「な、なんでおまえら、普通に一緒に部屋を出て行こうとしてるんじゃ!」
「はあ?」
 恭介が不思議そう顔で鈴を見る。なにもわかっていないような顔だ。
「なんでっておまえ……あ、ああ〜」
 ぽん、と納得顔で手を打つ。うわっ……しらじらしい。謙吾の白い目が恭介に向けられる。
「悪い悪い。たははは。つい、いつもの調子で話しかけちまったぜ。言い出したおれが、ちゃんとルールを守らねぇなんてだめだよな」
 はっはっはっは、と恭介ひとりが笑っている……。
「なら、いつもみたくお兄ちゃんと一緒に入るか? 鈴」
「ん? いつもはそうなのかよ? じゃあ、わかったぜ」
 って、いやいやいやいや、こらぁ――――っ!
「理樹も一緒に来るだろ?」
 えっ……う、うん……いいの?
「だまされんな、あほ!」
「あいたっ!」
 真人からチョップをもらってしまう。痛い……。
 真人は、立ち上がって、ぎろりと恭介のことを睨み付けた。
「おい……おまえは、あたしと一緒に風呂に入りたいだけだろ! そうはさせんぞ!」
「はあ? なに言ってるんだおまえ。どうしておれがおまえと一緒に風呂に入りたいなんて言うんだよ。男と一緒に入りたいだなんて、どんなホモ野郎だよそりゃあ」
 恭介が嘲笑的な笑みを浮かべる。
 暗い笑み……あの世界のときに見た、恭介が引きこもっているときの笑顔。
 こんなところで見たくなかったよ!
「う……さ、さっきから嘘ばっかり言ってるな、おまえは! あたしは……鈴は、兄貴と一緒に風呂に入ったことなんてなかった!」
「え? あったじゃねーかよ。小さいとき」
 恭介がきょとんとする。真人がぎくっとなって、答える。
「う……あ、あった。でもっ!」
 あったんだ……。
「今になったらそんなことはどうでもいい! あたしをとにかく風呂に連れていくんじゃない、ばか!」
「ふんっ」
 恭介は目を閉じてクールに笑った。
 強そうで、なんかかっこいい……けれど、なにか、なにかすごい違和感がある!
 なんだろう!
「そんなに鈴のことが大事かよ? 真人」
「な、なにぃ」
「そんなに鈴のことが欲しいんなら、まずはこのおれを倒していけぇ!」
 ええー! 
 ずばぁーん! と恭介の背後にビッグな効果音が流れる。
 な、なんだ! このRPG的展開は!
 わけがわからなさすぎて、頭が勇者になりそうだ!
「ふざけんなぼけ! だったら、あたしが自分で恭介と一緒に入りに行くわ!」
 ええー! 
「な、なんだとぉ!」
 こっちはこっちでなんだか嬉しそう!?
「ま、まさか……実の妹から、お兄ちゃんと一緒に風呂に入りたいなどと言われるとは……」
 そこまでは言ってない。
「おれ、どうすればいいかな?」
「知らないよ!」
 ぼくが恭介に怒鳴ると、それまでずっと黙っていた謙吾が、むくりと立ち上がり、
「おまえら、面倒くさいわぁ――――っ!」
 リトルバスターズジャンパーを、ぼくらに思いっきり投げつけるのだった……。


 ◆


「おう、おかえりー」
 お風呂から部屋に戻ると、真人は床に足を伸ばして、漫画を読んでいた(少しわかりにくいから、ここから本当の名前に戻すことにする)。
 でも、なんだか新鮮だ。みんなでお風呂に行ったのに、真人一人に迎えられるなんて。姿形は鈴だけど。
「おう、戻ったぜ。……つーかおまえ、はやく女子寮に戻らなくていいのか? もう門限の時間だろ?」
「は?」
 真人が目を丸くする。恭介が時計を指差すと、そこは確かに八時五十分を指すところだった。
「え……オレ、この部屋で寝るんじゃねぇの?」
 きょとん、とした顔でなんかすごいことを言っている!
「なわけないだろう。今おまえは鈴なんだぞ。だったら女の子らしく、男子寮にはいちゃいけないし、女子寮に戻らなくちゃいけない。風呂もそこで一人で入るんだよ」
「な、なんだとぉ――――っ!?」
 真人が仰天している。まあ、当たり前だけど。
「なにぃー!?」
 なんでこっちの鈴も驚いてるの!? 
「だ、だって! こいつなんかにあたしの裸が見られるんだぞ!?」
 あ……そうか。真人がお風呂に入るということは、こっちの鈴にとっては、自分の裸が見られてしまうことと一緒なんだ。
 でも仕方ないんじゃないかなぁ……どうせ見るのは真人だし、おかしなことにはならないと思うけど。
「なに言ってるんだ鈴。風呂に入らないって……お兄ちゃんに汗くさいところを見せる気か」
 べつに恭介だけに見せるわけじゃない。
「鈴。野球で汗をかいたのだから、風呂には入らなくちゃいかん。風呂でちゃんと汗を洗い流すべきだ」
「く……」
 謙吾も至極もっともな意見を言う。鈴の顔は真っ赤なままだ。
「いっ、いやじゃ! どうしてこんなやつに!」
 真人に指を突きつける。いやまあ、女子だからそう言うのは当たり前だけど……なんか真人が可哀想だ。
「けど、なんかおれ思ったんだが、なんだか真人の声でそんなふうに言われると、急に距離を取りたくなるよな……」
「あ、恭介。実はぼくも」
「んなこたぁどうでもいいんじゃっ! とにかく、あたしはこいつが風呂に入ることには反対だ!」
「そうは言ってもな、鈴……」
 鈴が必死にわめくのを、謙吾がどうどうとなだめる。
「しかしおまえも、自分の体で汗くさいまま明日登校されて、嫌にならないのか?」
「ならないっ!」
 うわ、こっちもすごい強情だなぁ! 気持ちはわかるけど……。
「っていうかよー、おまえだってオレの恥ずかしい裸見たんじゃねぇかよ。おあいこだぜ」
 真人が腕を組んでぶつくさと不平をもらした。
 そういえば、さっきぼくらも、お風呂に行ったとき……、
「おれ、すっげぇ下半身凝視されたんだよなぁ……」
「うん」
 すごく恥ずかしかったのを覚えている。おもに、鈴にあそこの部分を見つめられたことで。
「ほら見ろ。おまえだって、理樹や恭介たちのエロいところを見たんじゃねーかよ」
 エロいところって言わないでほしい。なんだか、開脚して自分からあそこを見せていたようにも聞こえる。
「ほれ、どうだった……あの謙吾と恭介のはでかかったろう? そして、オレの筋肉も美しかっただろう?」
「ちっちゃかった」
「は? なにがだよ」
「おまえの」
「ちょっ、よ、余計なことは言わなくていいんだよ!」
 真人が真っ赤になって手をぶんぶんと振る。
 それからくるくるとダンサーのように回って、びしっと貧弱なマッスルポーズを取った。 
「へん! おまえだって、オレの筋肉を見れたんだから、オレだっておまえの裸の一つや二つ、見る権利はあるぜ!」
「見られたんじゃなくて、見せられたと言え! この変態馬鹿!」
 また喧嘩が始まってしまう。
 というか……真人はちゃんと風呂に入らなきゃだめだと思う……恥ずかしいのはわかるけど。
 ぼくがそんなことを思っていると、恭介はごそごそとポケットをまさぐって、ある機械を鈴に手渡した。
「ほれ鈴。納得がいかないなら、これを使っておまえが真人に指示を出すんだ」
 恭介が取り出したのは、昔野球のメンバーを集めたときに使った、トランシーバーだった。
 たしか、恭介の携帯電話とつながってるやつだ。
「真人は、このイヤホンとマイクをつけて女子寮へ向かえ。そしてそこの状況を逐一報告してこい。そして鈴は、そのたびに真人に指示を出せ」
「うわ、めんどくせぇな……今度はオレがこれをやるってわけか」
 真人はそう言いながらも、少し面白そうにマイクとイヤホンをつけた。
「テストだ。どうだ、聞こえるか」
『おう、聞こえるぜ!』
 真人はぴょんぴょんと飛び跳ねて、簡単に機械が外れないか確認する。
 恭介はうなずくと、携帯を片手に持って、時計を指差した。
「急げ真人! もう門限はすぎているぞ! 走れ!」
「お、おう!」
 真人は慌てて部屋を出て行った。恭介が楽しそうに、携帯に向かって叫ぶ。
「それじゃ、ミッション・スタートだ!」


 ◆


 みかん箱の上に携帯を置いて、その周りを男四人が取り囲む。
 携帯の口からは、ぼそぼそと小さく真人の声が聞こえてきた。
『こちら真人。UBラインを無事突破。いまだ誰にも気づかれておりません』
「おう了解。っていうか、べつにおまえは今鈴の姿なんだから、気づかれても構わないだろ。もっと普通にしてろよ」
『あっ、そうか』
 ずっこける。
 なんだかこの二人……ミッションのノリが同じじゃないかな……違和感なさすぎる。
「おい、きょーすけ」
「ん?」
 ふと、鈴が恭介に向かって話しかけた。恭介の顔がそちらへと向く。
「いつも、こんなふうにあたしで遊んでいたのか」
「ん……まあ、そうだな」
「ふーん」
 鈴は、とくに怒ったふうもなく、きょろきょろとみんなの顔を見回していた。
「どうしたの、鈴?」
「あ、いや」
 鈴は手を振って、少し照れくさそうな顔をした。
「結構おもしろいかもしれない、って今思った」
「こうして鈴で遊ぶことがか?」
「あ、やっぱ遊んでるんだね……」
「当たり前だろ? ミッションはミッションだが、それを楽しむのは悪い事じゃないからな」
「そりゃそうだけどね」
「いや、そういうことじゃないんだ」
 鈴はまたもや照れくさそうに手を振る。
 みんなの顔を見て、はにかむように笑った。
「実は……あたし、こうやって男だけで遊ぶこと、ちょっと憧れてたんだ」
「鈴……」
 ぼくらは固まってしまう。
 でも、鈴の女の子としての純粋な気持ちに、心が温かくなった。
「ふん」
 謙吾が、目を閉じてクールっぽく笑った。
「鈴、男の遊びはこんなものじゃないぞ。とくにおれは、おまえとのバトルは楽しみにしているからな。その巨体をどうやって扱うか、あとで拝見させてもらおう」
「むっ」
 謙吾がそう言うと、真人はむっとして、やがて好戦的な顔つきになった。
「馬鹿と同じようにやれると思ったら、大間違いだぞ」
「もちろんだ。まあ、あいつよりはせいぜい弱くならないことを期待している」
「なんだと〜……」
「よせってば、二人とも」
 恭介が微笑みながらそれを止める。
 ぼくも苦笑した。
 二人だって、ちゃんとやることはわかっているはずだ。ただ、今こうして気兼ねなく一緒に遊べるのが、新鮮で、とても嬉しいだけなんだ。
「あとでちゃんとルールを決めて、学校でな。今は、みんなであいつのミッションを楽しもうぜ」
「ふん」
「ま、異論はない」
 両者がうなずいた。ぼくは恭介と顔を見合わせて、苦笑した。
 なんだかんだ言って、一番楽しんでいるのは鈴なのかもしれない。
 そんなことを考えていると、突然、携帯の口から真人の深刻そうな声が聞こえてきた。
『お楽しみのところ悪ぃが、ちっとまずいことになった……』
 もう問題発生!?
 恭介が、何事かと顔をマイクに近づける。
「どうした、真人?」
『鈴の部屋って、どこにあるんだっけ?』
 すごく初歩的な問題だった!
 思わずずっこけてしまったが……でも、そうか。真人は鈴の部屋に行ったことがないから、部屋の場所を知っているわけないんだ。
 あれ、そういえばぼくも、知らないかもしれない……。
「入り口の近くの階段をのぼって、そこから真っ直ぐに行って、左に行ったところだ、あほ」
『って、どこの階段だよ、そりゃあ』
「なにぃ! おまえはあほか? 階段と言ったらそこに一つしかないじゃないか!」
 っていうか、鈴の説明も漠然としすぎているから……。
『いや……なんかたくさんあるんだが』
 真人は今いったいどんなところにいるんだ。
「部屋の場所は知っているやつに聞け。まずそれが最初のミッションだ」
『わかったぜ!』
 張り切った声が聞こえてくる。なんか簡単だなぁ……。
 でも、最初から人に接触するミッションか。真人、大丈夫かなぁ……。
『おっ、早速ちょうどいいやつを見つけたぜ』
 早い。だれなんだろう?
 真人はそのまま、『おーい!』と呼びにいった。もしかして、リトルバスターズのメンバーかな?
『……なんですの?』
 って、よりにもよってこの人なの!?


 ◆


 〜女子寮サイド〜
『よりにもよってさし美かよ!』
 イヤホンからそんなオレの声が聞こえてくる。んだよ……なにか問題かよ。あいつって、おまえの数少ない友人の一人じゃねぇか。
「よう!」
「よう?」
 手を挙げてさわやかに呼びかけると、なぜだか変な眼差しを向けられた。
 あれっ、おかしいな? いつもこうやって挨拶してるんじゃねぇのか?
「棗さん? あなた、わたくしに気安く『よう!』だなんて挨拶できる仲でしたの?」
「そんなことどうでもいいからよ、オレの部屋がどこにあるか教えてくれよ」
「はあ!?」
 なぜか驚いている。イヤホンから『馬鹿真人!』と罵る声が聞こえてくる。オレって、なにかおかしなこと言ったか?
 そんなことを考えていると、お嬢様の周りにいた三人の取り巻きが、こっちに近づいてくる。
「佐々美さま。相変わらずこの女、よく意味がわかりません。やっちゃいましょう」
「お待ちなさい。ちょっと今日は、様子が変なようですわ。話してみます」
 すると、お嬢様がずいっと前に出てきて、オレのことを睨み付けた。
 むっ……なんだこいつ、結構威圧感あるじゃねぇか。男のころはなにも感じなかったってのに。
「あなた、いったいどういうわけなんですの? お部屋の場所を聞きたいですって? あらあら……そうでしたわね。頭の弱い棗さんでは、たまにお部屋の場所も忘れてしまうんでしたわね」
 おーっほっほっほ、と口に手を当てて笑っている。すると、隣の取り巻き連中も、おーっほっほっほっほ、と口に手を当てて笑った。んだよ、おかしな連中だな。マリー・アントワタッタみてぇな笑い方しやがって。
 相変わらず変な友だちしかいねぇやつだ!
「んーとさ、オレ」
 と、言いかけたところ、イヤホンから恭介の『真人、『オレ』はまずいぞ。人前では自分の呼び名を『あたし』に切り替えるんだ!』という声が聞こえてきたので、
「え、ええっと……あたしさ……」
 に切り替えてみた。うわっ、なんか恥ずかしいぜ!
「なに一人で赤くなってるんですの? 気味が悪いですわねえ」
 くそっ、いちいちうるせぇなこいつ! 謙吾みてぇに陰険な野郎だ!
「あっ、あたし! ちょっと記憶喪失になっちゃってさ!」
 と言ってみると、目の前の四人は一斉に目を丸くし、お互いに顔を見合わせる。「記憶喪失?」「記憶喪失、ですって……」とぼそぼそと言い合い、またおーっほっほっほっほと高笑いした。
 くっそ! オレも真似して、ほーっほっほっほっほと笑ってやった! 
「それはいったいどういったご冗談ですの、棗さん? まさかよりにもよって記憶喪失だなんて……よもや、わたくしの名前まで忘れたんじゃないでしょうねぇ」
「佐々美さま、それはありません。佐々美さまの存在は偉大ですから、記憶がなくなっても残り続けます」
「ふっ、そうでしたわね」
 くっそぉ……なんだか知らねぇが、こいつらの会話すげぇ恥ずかしいぜ!
 しかし、このお嬢様の名前か……なんだったかな。たしか、すげぇいっぱい名前のパターンがあったような気がするんだが……。
「わかった! たしか、おまえの名前は……」
「なんですの?」
 オレは、びしぃっ、とこいつに指を差し向けて言った。
「千の名前を持つ女……それも、さざんがぜんこだ!」
「な、なんですってぇ!?」
 ぜんこは真っ赤になって怒り出した。ありゃ、間違ったか?
「なんでこの前よりパワーアップしてるのよ!」
 知るか、ばか! そもそもオレは本当の鈴じゃねぇんだから、しょうがねぇだろ!
「きぃ〜……またわたくしのことを馬鹿にしていらっしゃいますのね!? その記憶喪失とやらも、どうせわたくしを怒らせるための嘘でしょう!?」
「う、嘘じゃねぇってば! 現にオレ、おまえの名前を言えなかっただろ!」
「黙りなさい! その名前のセンスがまさしくあなたそのものですわよ! ええい、こうなったら……おまえたち! やっておしまいなさい!」
「はい、佐々美さま!」
 ぜんこが指示を出すと、取り巻きたちは一斉に飛びかかってきた。
 なんで喧嘩になるんだよ!? 面倒くせぇやつらだな! そういやこいつら、鈴がなに言っても喧嘩になるんだった……ほんと相性悪ぃなこいつら!
 だが、オレに喧嘩売っちまったのがそもそもの間違いだったな!
 オレは、毎日あの最強の剣道男とバトルしている男だぜ!?
「きゃあっ!」
「あいたぁー!」
「ふにゃん!」
 手っ取り早く、手下の三人をやっつける。
「わーっはっはっは! どうだ参ったか、取り巻きABC! あたしの筋肉は、こんなもんじゃないぜ!」
「ふぇ〜……佐々美さまぁ〜ん」
「佐々美さま、申し訳ありません〜」
 逃げ帰っていく雑魚たち。けっ、今日のところは見逃してやらぁ!
 だが、その前に決めゼリフ決めゼリフっと……。
「オレ……いや、あたしに勝ちたかったら、もっと筋肉をつけてきやがるんだな!」
 よし、ばしっと決まったぜ!
 で……次はボスなわけだろ? へん、あんな筋肉ねぇやつに負けるかよ!
「なかなかやりますのね、棗さん……。ですが、その程度の動きでわたくしに勝てると思ったら、大間違いですわよ」
「へっ、なに言ってんだ? そっちこそ、その程度の筋肉で言ってんのかい? 哀れだぜ」
「はぁ……? なんだかよくわかりませんけど、少なくともあなたよりは、部活動で鍛えているつもりですわよ!」
「げっ、そうだった!」
「わけがわかりませんわね! 覚悟なさい! 棗鈴!」
 オレが自分のぷにぷに筋肉に驚いていると、ささこは一気に間合いを詰めてくる。
 慌てて腕を上げてパンチをガードした。痛ぇ。結構重いじゃねぇかよ!
 反撃に思いっきりハイキックを繰り出したが、簡単にかわされた。
 くっそ……なんだこいつ、なかなか強ぇぜ!
 まるで謙吾の野郎みてぇだ。鈴はこんなやつと毎日戦ってたのか!
「ほらほら! 隙だらけですわよ、棗さん! 威勢のいいのは雑魚相手だけかしら? おーっほっほっほっほ!」
 ちくしょう! こんな流行遅れのおーほほ笑いのやつなんかに負けたくねぇ!
 しかも、今のオレは鈴なわけだから、なおさら負けられねぇ! あいつの名誉は守らなくちゃいけねぇ!
 そのためには――、
「これくらいやるっきゃねぇだろ!」
「え? ってきゃあ――――っ!」
 手を伸ばして、ぺろーん、とスカートをめくってやった。
 ふん。黒のレース、か。
 なかなかエロいの履いてやがるな。べつに興奮しねぇけどよ。
「隙ありだ!」
 スカートを押さえて怯んでいるところへ、みぞおちに一発、おっぱいに一発やって、ダウンさせてやる。
 わーっはっはっはっは! ざまぁみやがったか、女謙吾め!
「くっ……こ、このぉ〜」
 顔を真っ赤にして、立ち上がってくる。
「へっ、第二ラウンド、やるかい?」
「いいですわよ! 見てなさい、わたくしもめくってやるんだから! あなたのスカート!」
 おっと、怖ぇな。お嬢様じゃなかったのかよ。
 だがまあいいぜ。女になっちまってからというもの、謙吾みてぇな相手がいなくなると思って心配だったんだ。こりゃいい相手が見つかったもんだぜ。
 オレはオレで、十分楽しませてもらっ――、
「そこまでよ! あなたたち!」
 と思って、相手に突進しようとしたところ、突然、どこからか女の声がかかってきた。
 オレとささみは、足を止めて、そっちのほうに目をやる――。


 ◆


 〜理樹サイド〜
「あれ? この声ってもしかして、二木さん?」
「そうみたいだな。なんか、だんだんよくわからねーことになってきたぜ……」
「そう言いながら、実は結構楽しんでるでしょ?」
「まあな。ここからが面白い展開だぜ!」
「っていうか、あの馬鹿はいったいいつになったらあたしの部屋に着くんだ?」
 女子寮の波乱はまだまだ続いていくようだ……。


 ◆


 〜再び女子寮サイド〜
「またあなたたちね、棗さん、笹瀬川さん。何度も寮の風紀を乱して……いいかげんにしてもらえるかしら」
 真っ赤な腕章をつけた姉ちゃんたちが、ぞろぞろとこちらに歩いてくる。
 ささみは、やべっ、と手を隠してしまった。
 オレも一応手を隠して、その女たちを迎える。
「特に私が言いたいのは、笹瀬川さん、あなたよ? 棗さんと比べてあなたは、ソフトボール部でのキャプテンでもあるし、この子たちのまとめ役でもあるわ。この中で一番誰の責任が重いか、一目瞭然だと思うけど?」
「うっ……わ、わたくしは、棗さんから売られた喧嘩を買っただけで……」
「売られた喧嘩ですって? それがスポーツマンの物言い? そんなものどちらでも同じよ。一般生徒と私たちにとっては、どちらも風紀を乱す迷惑な存在。棗さんだけは単独犯と見なすこともできるけど、あなたたちはそうはいかないわね? これ以上なにか言い訳するなら、あなたたちの部の連帯責任と見なすわよ」
「うっ……」
 さし美が困ったように顔をうつむける。部活のことになると、やっぱ弱ぇんだな、こいつも。
 オレもちょっと苦手だ、この女は……いちいちおっかねぇし、たまになに喋ってるかわかんねぇときがある。
 名前は、えーと、なんだったかな。三枝の姉ちゃんだってことは知ってんだが。
「あなたを許したわけではないのよ? ちゃんと聞いてる、棗さん?」
「えっ、あ、ああ……聞いてるぜ」
「まったく要領の得ない答えね。ほんと……あなたたちリトルバスターズには手を焼かされるわ。たった一人でも大きな騒ぎを起こすんだから……まるで子供じゃない。小さなやんちゃさん。名前通りね」
 そう捲し立てられて、はんっ、と一方的に冷笑を浴びせられる。そうされると、なんだかしゅんとしてしまう。
 むかつくのに、言い返せねぇ……なんか、いたずらして怒られる小学生みてぇな気分だぜ……。
 やっぱおっかねぇなぁ。いつもからこうなのかな、こいつ?
 てか、本当にこいつの名前なんだったっけ? どうでもいいんだが、なんか気になるな。
「なあ、ざざみ。このおっかない姉ちゃんの名前、なんだっけ?」
「なっ!」
 姉ちゃんが目を剥く。
 するとすぐに、後ろの風紀委員たちもどよどよとざわめいた。
「棗鈴、委員長のお名前を知らないですって!?」
「なんて無礼な!」
「強がりに決まってますわ、委員長。この女を反省の色なしと見なしますが、よろしいでしょうか!?」
 きーきーと部下たちが騒ぎ出す。そうか、委員長と言われているのか、こいつは。
 委員長のお姉ちゃんは、そんな中でぷるぷると顔を震わしながら、うつむいていた。
「おっかない……お姉ちゃんって……私が……?」
「委員長!?」
 どよーん、背景に暗闇が立ちこめている。あれっ、落ち込んでる?
 なんかいけないこと言っちまったかな、オレ。
 そう思ってまごまごしてると、委員長はきっと顔を上げて、鋭くオレのことを睨んできた。
「ふん……。いいわ、妥当な評価よ。おっかなくて結構。私はそれくらいじゃへこたれないわ! むしろ、それでこそみんなの風紀を取り締まる、風紀委員長としてあるべき姿! 誉れとして受け取っておくわ」
「委員長、首筋にお汗が」
「うるさい! なんでそっちから見えるのよ!」
 今度は一転して部下たちをがみがみと叱っている。味方にも厳しいのかよ。やっぱ怖ぇ……。
「なあ、おっかない姉ちゃん」
「だから、私はおっかない姉ちゃんじゃないわよ!?」
 そして今度は、ぐりん、とこっちに振り返ってくる。どっちなんだよ。やっぱ怖ぇ……。
「だいたいなんなのよ、その『おっかない姉ちゃん』っていうのは! どうしていきなり下町風になったの!?」
「いや、そんなこと言われても……って、あれ? もしかして泣いてるか?」
「うっさい! 泣いてないわよ、ばか!」
 目をごしごしと擦って、きっと赤くなった目をこちらに向ける。
 そしてそれは、やがてざざみのほうへと移っていって――、
「あなたもなにか言いなさいよ!」
「へっ、わたくしですの?」
 なんだか退屈そうにしていたざざみに問いかける。
 ざざみは、目を丸くして、それからうーん、と腕を組んで考えた。
「わたくしも似たイメージを抱いてましたけど」 
「っ……!」
 おっかない姉ちゃんはぷるぷると打ち震え、赤かった顔を、さらに真っ赤にした。
「ひ、ひっとらえなさい! こいつら全員!」
 涙声での指示に、部下たちが慌てて動く。
「はい、委員長!」
「うわ、止めろよ! どこ触ってんだ、馬鹿野郎!」
「うるさい! いいからその馬鹿どもを、全員部屋に帰しなさい! ううっ……もう私も部屋に帰りたいわ……」
 オレたちは、そんなこんなで、風紀委員どもに部屋へ連行されたのだった……。


 ◆


 〜理樹サイド〜
「なんか……二木さんちょっと可哀想だね」
「そうだな。まあ、あんな明け透けなところが、真人のいいところなんだが」
「まあ、二木には能美がついているから、大丈夫だろう。明日にはけろりと立ち直っていそうだ」
「ってか……あたしだけふたきに目をつけられて、残念なんじゃないか?」
 鈴が複雑そうな顔をしてそう言ったので、ぼくは苦笑した。
 しかし、それはともかくとして、
「なんか捕まっちゃったけど、いいの、これで?」
「問題ないさ。これでようやく、あいつは鈴の部屋へと行けるじゃないか」
「捕縛されてだがな」
「あの馬鹿らしいな」
 ぼくらの好き放題な言い分をよそに、スピーカーからは、『どったんばったん!』と扉の開閉する音が聞こえてきた。


 ◆


 〜女子寮サイド〜
「ここでおとなしくしてなさい、棗鈴!」
 部屋の中に放り投げられ、だん! と扉が閉められる。
「くっそ……いてぇ。だが……鈴の部屋には無事にたどり着けたみてぇだな」
 立ち上がって見回してみれば、そこは確かに鈴の部屋だった。一度も来たことのない、女の部屋。
 しかし、不思議と心安らぐ。鈴の体が匂いを覚えているからだろうか。
『おめでとう、真人。これでミッションコンプリートだ』
「あれ? そうなのか? オレ、捕まえられただけだけど」
『コンプリートはコンプリートに違いない。おまえは見事、鈴の部屋へと帰還できた』
「ふーん。帰還っつったってなぁ……」
 オレは一度もここに来たことがないわけだが。
 しかし、きったねぇ部屋だぜ。あちこちに脱ぎ捨てられた服がある。
「オレ……なんか女の部屋って、もっと綺麗だったイメージがあるんだが」
 夢が壊されたよなぁ。ま、あんま期待してなかったけどよ。鈴の部屋だし。
 そう思いながら部屋の中を歩き回ってみると、突然イヤホンから、鈴の『あっ!』という声が聞こえてきた。
『ま、真人!』
「ん? どうした、もう一人のオレ」
『そ、その部屋は……だ、誰にも言うんじゃないぞ! と……とくに理樹には』
 イヤホン越しに、理樹の『え?』という声が聞こえてくる。
「ほほーう」
 わかったぜ。鈴は、きっとこれが見られたくないってんだろう。
 オレはなんだか楽しくなって、目の前の服の山に手を突っこんでみる。
 そこで釣れたのは、やっぱり、真っ白な、脱ぎ捨てられた――、
『な、なにをしてんだぼけ!』
「やばい。聞いてくれ、恭介、謙吾。とんでもねぇもんが手に入った」
『なに?』
『どうしたんだ、真人』
「それは真っ白な、ベッドのわきに乱暴に脱ぎ捨てられた、意外に皺のない、ちっちゃなちっちゃな鈴のパン――」
『真人しねっ!!!!!!!』
 パンティだった。
 とてつもない衝撃波がオレの耳を襲い、直後、向こうからどったんばったんとなにかが跳ね回る音が聞こえてくる。
 理樹が無事だといいが。
「ま、べつに興奮しねぇけどな」
 パンティを放り投げる。これがもし男だったら、少しは興奮したかもしれねぇが、今オレは女になってるわけだ。自分の下着に興奮してるところなんか想像したくねぇな。
「それよりも、オレにとっちゃここに筋トレグッズが一つもねぇことが信じられねぇぜ……ああ、我が相棒、アブシリーズよぉ……」
 うっすらと涙が浮かばれる。
 あーあ、今日夢に見るかもしれねぇな。アブシリーズとオレが遊んでるところ。
 そもそもオレ、ちゃんと寝られんのかな。ほとんど運動もしてねぇのに。
『く、くそぅ! いい目にあってるくせに硬派気取りやがって、いまさらながら、おまえに妙な嫉妬心が沸いてきたぜ!』
『と、とにかく覚えてろ馬鹿真人! あたしの下着を見たこともふくめて、あとできっちりお返ししてやる!』
「へん、筋肉勝負ならいつでも受けて立つぜ?」
『そういうこと言ってんじゃないわ、ばかが!』
 鈴の怒鳴り声が聞こえてくる。なんなんだよ、おまえだってオレや理樹の恥ずかしいところ見たんじゃねーか。あれ、ちっと恥ずかしかったんだからな……。
「そういやオレ、これからどうすりゃいいんだ?」
 部屋に着いたのはいいが、特になにもすることがない。
 この汚ぇ部屋を掃除するか、あるいは鈴の下着目当ての泥棒対策をしておいてやるか……ええっと、まずはカーテンを閉めとくか。
『ああ。それについては、これから鈴のほうより指示があるはずだ』
 オレから? ああ、向こうの鈴からってことね。
『おい変態……まずは、そのまま布団に入って寝てしまえ』
「いや……まずは、ってよぅ、それじゃもうやることねぇじゃねぇかよ」
『うっさいばか。あたしの体でなにかしやがったら、もう絶交だからな。風呂に入るのもだめだ。制服の上着だけは、ちゃんと脱いでハンガーに掛けておけ』
「んーとよ、一ついいか、鈴?」
『なんじゃ』
「オレ、ちょっとしっこ行きたくなってきたんだけどよ……」
『はあ!?』
 驚いた声を上げる。うーむ……実は、さっきから少し我慢していたんだよな、オレ……。
 でも、どうやってすればいいのかわからないし。
『ふ、ふざけんなあほ! トイレもだめだ! あたしが絶対許さん! あたしがそっちの身体に戻るまで、おまえはなにもしないで――もごもごっ……』
 鈴の声が遠ざかっていく。おおかた、恭介と謙吾あたりに口でも塞がれたんだろう。
『こちら理樹です。えーっと……今の鈴の言葉は気にしないでね。こちらから、鈴の健康に留意して、ちゃんとした指示を出させてもらいます』
「おう、助かるぜ。なんだ?」
『恭介の指示だけど、真人はちゃんと風呂にもトイレにも行けってさ。それについてのことは、知ってるやつに聞いてくれって』
「なるほどな。よくわかったぜ」
 わからねぇことは知ってるやつに聞け、か。単純なミッションで良かったぜ。
『そろそろ夜も遅くなってきたし、これが本当の今日最後のミッションだよ。頑張って。あ、この機械のスイッチはまだ入れたままでいいからね』
「え、しっこしてるときもか?」
『えっ!? い、いや、トイレに入ってるときはいいんだよ! お願いだから切ってよ!』
『どんなプレイじゃ、ぼけ!』と遠くから鈴の声が聞こえてくる。
 オレはほっと安堵して、制服のポッケから携帯を取り出してみる。
 って……そう言えば、これオレの携帯電話じゃねぇんだった。鈴のだ。
 でもま、それだったら都合がいいか。女たちに電話かけるのに、オレの携帯からじゃ不審がられるもんな。
 ぽちぽちと操作して、電話帳を開き、知り合いの名前を探す。
 来ヶ谷唯湖――か。博識で色んなことを教えてくれそうだが、逆にいらないことまで教えられそうで怖いな。却下。
 馬鹿――って、誰のことだこりゃ? って、これってオレの電話番号じゃねぇかよ! うぜぇな!
 ぽちぽちぽち、と操作して、天才真人様、に名前を変えてやる。
 能美クドリャフカ――クー公だったら、親切に教えてくれそうだが――いやまてよ、あいつの部屋ってそう言えば、風紀委員長の姉ちゃんと一緒だったんじゃねぇか。いろいろ都合悪ぃな。却下。
 そうすっと、やっぱこいつだけしかいねぇかなぁ……。
 オレは、「神北小毬」の電話番号を選んで、おそるおそる発信ボタンを押した。
 ぷるるるる、ぷるるるる、とコール音が二回鳴り、すぐにあいつが出た。
『もしもし、鈴ちゃん〜?』
「おう、小毬か? うん、あたしだ。鈴だ」
 使い慣れてない一人称を使ってみる。
『こんばんは〜』
「お、おう……こんばんはだ」
 女子っていちいち電話でも挨拶すんだな。なんだかやけに恥ずかしいぜ!
『鈴ちゃん。お怪我の具合はどうですか〜?』
「ん? おう、べつになんともねぇぜ。ちょっと頭にたんこぶができただけだ」
『ほんとに? よかったよ〜』
 嬉しそうに笑ってくれる。なんだこいつ、すげぇいいやつじゃねぇかよ。
 なぜだか、甘ったるい声が恥ずかしいが……。
『理樹くんと恭介さんたちから、べつに鈴ちゃんたちの怪我はたいしたことないって言われたんだけど、やっぱり心配だから、今から鈴ちゃんにお電話して、こっちの部屋でお泊まり会しませんか、って言おうとしてたところなの〜』
「おお! なんだ、そうだったのかよ!」
 そりゃ嬉しいぜ!
 小毬と一緒にいられるなら、わからねぇこともすぐ聞ける! 
 まさか向こうから言ってきてくれるとは……なんていいやつなんだ、小毬!
「すぐ行くぜ――って、あ、そうだ」
 オレはしまった、と思った。
 そういやオレ、小毬の部屋もどこにあるか知らねーんじゃん。慌ててオレは、電話口に向かって前置きをした。
「わりぃ、小毬。ちっとあたし、記憶喪失になっちゃったから、小毬たちの部屋の場所がわからねーんだ。わりぃけど、こっちに迎え来てくんねーかな」
『え、ええー!? うそ! 鈴ちゃん、記憶喪失になっちゃったのー!?』
「お、おう」
 なぜだかすごく驚かれる。あれ、もしかしてこの説明ってまずかったか?
『た、大変だよー! い、いいい今すぐそっちに行くからね!? どこにも行っちゃだめだよ!? あ、あわわわわ、急がなきゃー!』
 ぶつっ、と返事もしないうちに切れてしまった。
 ツー、ツー、と無機質な音が虚しく響く。
 まっ……いいか。どうせ目的は達成できたんだし。あとは小毬を待つだけだぜ。


 ◆


 〜こちらまた男子寮サイド〜
「よくやった真人。小毬のやつに協力を申し出たのは正解だ」
『へん、鈴より頼りになるやつだぜ』
「うっさいわ、なんであたしが比べられんじゃ」
 小毬さんが、真人のことを助けてくれることになったらしい。よかった。
 これで女の子のことも色々詳しく教えてくれるだろう。やらしい意味じゃなく……。
「そういえば、こっちも鈴に男の子のことを教えてあげなくちゃいけないね」
「そうだな。決してやらしい意味じゃなく」
「ああ、もちろんだ。やらしい意味じゃなくな」
 恭介と謙吾がうなずいた。なんでいちいちぼくらは注釈つけなきゃいけないんだろう……。
「つっても、なにか教えることなんてあったか?」
 恭介がきょとんとした。う〜ん……そういえば、実際にそう言われてみると、とくになかったような気がする……。
 男子って、女子にくらべてはるかにやること少ないかもなぁ。
「簡単でいいな、男は」
「いや……ここは男というより、真人自身について、色々と教えてやったほうがいいんじゃないのか?」
 謙吾の意見だ。たしかにその通りかもしれない。ぼくはうなずいた。
「そだね。真人の生活スタイルって、どんなふうだったっけ」
「真人か……」
 恭介が目を閉じて考え込む。
「筋肉と馬鹿でしか構成されていないな」
「うむ。たった一言で説明できてしまうところが、あいつの素晴らしいところだ」
 謙吾が賛嘆する。いやいやいや……。
『おっと。そいつはオレ様を褒めてくれてるってことでいいのかい?』
 うるさいのがまた勘違いしている。べつに褒めてないから!
「ふん。あたしはべつにあの馬鹿のことなんか聞きたくないぞ」
『あんだとてめぇ。せっかくオレの身体を手に入れたんだから、ちっとはオレらしく過ごせよ!』
「うっさい! あたしは、とっとと自分の身体に戻りたいんじゃ!」
 ああ〜……。ぼくは手を打った。
「そういえば、そっちのことも考えなきゃいけないよねぇ……」
「そうだな」
 問題は山積みだった。まさか、朝起きたら二人とも元に戻ってる、なんてわけはないし。
「とにかく今は、鈴に真人みたいに筋トレさせとけばいいんじゃないのか?」
『それだぜ!』
 恭介がそう言うと、向こうの真人が目ざとくそれに反応する。
『鈴には、オレみたくちゃんと筋トレしてもらわなきゃいけねぇ。腕立てとか、ちゃんとやってるか?』
「まったくもってやってないな」
『おいコラ! ちゃんとやれよ!』
 鈴の声できーきーと怒り出す。声だけ聞いていると可愛い。
『頼むぜぇ? オレが自分の体に戻ったときに、ひょろひょろになってるだなんて、そりゃごめんってやつだからな!』
「そうだよね……。鈴、真人の言うとおり、筋トレやってあげようよ」
「面倒くさいが、しかたない」
 しぶしぶと立ち上がる。そうして床に両腕をついて、腕立ての体勢に入った。
「これでいいのか?」
 携帯のスピーカーから、真人の応援する声が聞こえてくる。
『おっ、やってくれんのかよ? よし、いいか……鈴。筋肉っていうのは、いわば女みたいなもんだ。大事に扱わないとだめだぜ?』
「え、女?」
 また変なことを言い出した……。鈴だって女じゃない。
『そうだぜ。筋肉は、こっちの好きなように振り回したって、疲れさせちまうだけだし、かといって放っておきすぎても拗ねちまう。絶妙な距離感が大事なんだよ』
「ふむふむ」
 いやに含蓄のある……っていうか、鈴はなんで感心してるの?
『ときには押して、ときには引いてみたりもいい。その難しい駆け引きも、慣れちまえば楽しいもんだぜ。たいていの筋肉なら、オレのトークにイチコロだがな……』
「うんと、でも筋肉だよね?」
 なんで途中からトークとかいう話になってるんだろう。
『当たり前だろ、理樹? なに言ってんだ。おかしいことなんて一つもねーだろ?』
 へっ、と笑われる。おかしいのは真人の頭なんじゃないかなぁ……。
「感動したぞ……」
 ええー、ちょっと鈴!?
「面白そうだから、あたしもやってみるぞ!」
『おっしゃあ! その意気だぜ、鈴!』
 スピーカーから真人の檄が飛ぶ。鈴はそれを受けて、ふっ、ふっ、ふっ、と体を動かし始めた。
 うわぁ……いつもと同じ光景になってしまった。
「あれ?」
 するとさらに、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、とスピードを速くしていく。
「なんか楽しくなってきた」
「ええー!」
「馬鹿な、あの鈴が!?」 
 鈴は、さらに右手を背中に回して、左手だけで腕立てを続ける。こちらもぐんぐんスピードが上がってきた。
「燃えてきたぞ! きんにくきんにく―!」
「マジかよ……オレの妹が……」
「真人の体だからだろうな……」
 恭介はがくっ、と床に手をついて、謙吾はそれを複雑そうな顔で見ていた。
 まあ、もちろんこの単純さは、恭介譲りなんだろうけどね……。
 とにかく、鈴が真人の言うとおり筋トレしてくれるようになってこっちは助かった。
 向こうはどうなってるのかな?


 ◆


 〜女子寮サイド〜
「鈴ちゃ〜ん、大丈夫? 変なとこない?」
「大丈夫だぜ。まあ、強いて言うなら筋トレする気がまったく起こらねぇってことかな」
「ふえ?」
 力こぶを作ってみるが、ぷるぷると震えるだけで、まったくぼこっとならない。
 これじゃ本当にしょうがねぇぜ……今すぐ鍛えてぇところだが、男のときみてぇになんかやる気が起こらねぇ。
 どうすっかなぁ……などと思いながら、ふと小毬のほうを見ていると、きょとんとしていた。
 やべっ、今のオレは鈴だったっけ。
「もしかして、真人君のこと?」
「えっ、いや。その〜……」
「鈴ちゃんは、真人君のことも心配してるんだね〜、優しいね♪ 私も、なにか真人君にお菓子とか作ってあげようかな」
 えへへ、と笑ってくれる。
 うおお……すげぇ嬉しいぜ、小毬! なんて素晴らしいやつなんだおまえは!
 でも、オレにお菓子かぁ。似合わねぇな。プロテインアイスとかだったら食いてぇけどよ。
「鈴ちゃん。鈴ちゃんは、もうお風呂も入っちゃった?」
「ん。いや、まだだぜ」
「そっか〜。じゃあ、一緒に入りましょ〜」
 小毬に手を引かれて部屋を出る。えっ、ちょ……。
 なにぃ――――!?
『な、なんだとっ!?』
「い、いいって小毬! オレ大丈夫だから! 体洗うぐれぇ一人でできるよ!」
 本当はそんな自信なかったけど……。
 すると小毬は、オレのほうを見て、むーっ、と頬を膨らませる。
「鈴ちゃん? 鈴ちゃんは今、とっても危な〜い記憶喪失なんだよ? 誰かが守ってあげなくっちゃ」
「え……守ってくれるって、小毬がか?」
「私でよければ、私はいつでも鈴ちゃんの味方だよ?」
「そ、そっか〜……」
 小毬の温かい笑顔になだめられ、オレはドキドキしながら、頷いてしまう。
 って違ぇ――――っ!?
 とにかくそれと一緒に風呂に入ることとは、関係ねぇだろ!?
『おい真人! てめぇ、なんで今日だけそんなにおいしいんだよ、この野郎!』
『馬鹿真人! もしこまりちゃんになんか変なことしやがったら、ぶっ飛ばすぞ!』
 イヤホンから棗兄妹の怒鳴り声が聞こえてくる。
 そ、そんなこと言われてもよぉ〜……まさか、オレでもこんな展開になるとは思ってもなかったぜ。
 くっそぉ……どうすっかなぁ。
「あ、あのよ、小毬」
「なぁに? 鈴ちゃん」
 暗い廊下の中で、小毬はオレのほうに振り返る。
「やっぱさぁ……今からあたしの部屋に戻って、あたしだけ一人で風呂に入ってくるとか、だめかなぁ……」
「鈴ちゃん……」
 小毬が悲しそうな顔を作って、顔をうつむける。
「鈴ちゃん、そんなに私と一緒に入るのがやなの?」
「いやっ! そういうわけじゃねぇけどぉ――っ!」
 なんなんだよこの恋人みてぇなトークはぁ――――っ!?
 く、くっそう! べ、べつに一緒に入りたくないってわけじゃねぇんだけど! 髪のこととか、体の洗い方のこととか詳しく教えてほしいし、い、いや、べつにオレは女体の神秘とか、鈴の裸やら小毬の胸やらにはほとんど興味ねぇっつーか! この晩を越えられればもうあとはそれでいいっつーか、だからただ小毬には服や水着着て手伝ってくれるだけでいいのに、あ……でもそれじゃちょっとよそよそしいっつーか、距離作っちまうと思うかな? じゃあオレと一緒に入る……って、やっぱ脱ぐんじゃねぇかよぉ――――っ!?
「じゃあ、一緒に入れるね〜」
「そんなぁ――っ!」
 それって友だちとしてどうなんだよぉ――――!?
「鈴ちゃん、そんなに恥ずかしがらなくていいのです」
「恥ずかしがるっつーの!」
『お願いだからもっと恥ずかしがってくれ、こまりちゃん!』と向こうで鈴も叫んでいる。
 くっそぉ……小毬は傾ける耳なし。オレを、自分の部屋へとどんどん引っ張っていく。
 そうして、部屋の中へと入れられる。
 真っ赤な顔してあたりをうかがってみると、なんと、部屋の中にはもう一人人物がいた。
 そこにいた人物を見て、オレは固まった――。


 ◆


 〜男子寮サイド〜
「あっ、そういえば!」
「ん? どうした、理樹」
 悶絶しながら横たわっている鈴と恭介を尻目に、謙吾が尋ねてくる。
 いや、たしか、小毬さんの部屋にはあの人がいたはずで――。


 ◆


 〜再び女子寮〜
「へ……?」
「な……」
 目があって、オレたちはお互いに固まる。
「ただいま、さーちゃん」という小毬ののんびりした声がなければ、オレたちはいつまでも固まったままだったろう。
 直後、ほとんど同時に指を突き出して、叫び合う。
「な、なんでこの野郎がいるんだよ!」
「なんで棗さんが来るんですの!?」
「ふえ?」
 小毬は目を丸くする。どっちの質問に答えていいかわからねぇみてぇに。
 ちくしょう……つーかそういえば、小毬のやつ、いつかルームメイトがいるとかいう話をしていたことがあったっけな。よりにもよってぜんこだったのかよ。あー、最悪だ……。
「うーん? 鈴ちゃんはね、さっきお電話して、お泊まり会をしましょうってことになったからここに来たんだよ?」
「なんですって!? 棗さんがここに!?」
「そのとおりです」
 ぽわ〜、と小毬は笑う。
 それに代わってこっちは、
「ええい……なんでわたくしに相談してくれないんですの!? わたくし、ルームメイトとして存在価値が下げられてると思いますわ!」
 涙目で顔が真っ赤だった。あっ、こいつって、相談されなかったんだ……哀れなやつ。
「え? でも、さーちゃんは、さっきここにいなかったし……。それにね、鈴ちゃんは今、記憶喪失になってるんだよ? 私たちが助けてあげないと」
「って、その話本当でしたの!?」
 ささみは今度は驚きで目を丸くしていた。
 こっちに怪訝そうな眼差しを向けてくる。オレはずいっと前に出て、それを睨み返してやった。
 むかつくが、ここは筋を通さなきゃいけねぇぜ。
「どうも、このたび記憶喪失になった、棗鈴です。よろしく」
「嘘を言いなさい! さっきあたしに廊下で『よう!』って話しかけてきたじゃないの!」
「ピンポイントな記憶喪失なんです」
「だまれあほ! そんなことが通用するとお思い!?」
「さーちゃん! もし、鈴ちゃんが記憶喪失じゃなくてもいいんだよ〜。それは、とってもいいことなんだから」
 相変わらず小毬はぽわぽわと笑っている。ふん……小毬の笑顔には、やっぱりこいつも勝てなかったみたいだ。悔しそうに顔を下げている。
 ま、そんなこと言うおれも、小毬の笑顔には逆らえねぇんだがな。
「それじゃ、鈴ちゃんとさーちゃんも、ここで仲直りのしるしに、一緒にお風呂ですよ〜」
「なんですって!?」
「なにぃ――――!?」
 このときだけはすげぇ逆らいたかった!

 
 ◆


 〜男子寮〜
「なんかさ、もうさらにとんでもないことになってるみたいだけど」
「……理樹。もうあまり、深く考えないほうがいいんじゃないか? あいつは男じゃない、女だ。鈴がおれたちと一緒に風呂に入ったというふうに思っておけば、話は楽だろう」
「そうだね……」
 なんか色々と疲れた……あそこにいるのが真人だって思うと、余計にそうだ。
 でも、真人だから大丈夫だろう。変なことは起こらないはずだ。
「さあ、おれたちもそろそろ帰るぞ、恭介」
「うぅ……」
 就寝の時間が近づいてきたので、謙吾が恭介の肩をそっとたたく。
 恭介は、先ほどから床に倒れている。まるで駄々っ子みたいだ。謙吾がその肩をたたくが、起き上がろうとしない。
「まだだぜ……まだおれは、小毬と笹瀬川と鈴の衣擦れの音を聞いてねぇ。それが聞けなかったら、おれは死んでも死にきれねぇ……」
「……」
 恭介、それは犯罪だから……。
 謙吾は恭介を起こすことを諦め、元の位置にまたどっかりと座った。
「謙吾? 恭介は起こさないの?」
「ああ。勝手に連れ戻して喚かれても困るからな。こいつが満足するまで、おれもここにいてやることにした」
「そんなこと言って……実は謙吾も、三人の着替えの音を聴きたいだけなんじゃ?」
「ふん」
 謙吾は、馬鹿にするな、というふうにすまして笑った。
「そうだったとしたら、どうするつもりだ」
「やっぱそうなんだ!?」
 真面目な顔に思わずつっこみを入れてしまう。
 っていうか、とうとう来たね馬鹿謙吾! 今日は比較的大人しいほうだと思ったけど……やっぱり油断ならなかった! なんでこんな深夜近くに覚醒するんだよ、すごく面倒くさいよ!
「おまえらなぁ……」
 いままで突っ伏していた鈴が立ち上がる。ぼくは慌てて謙吾から距離を取った。
「出ていけ、ぼけぇ――――っ!」
 ぽいぽいぽいぽい、恭介と謙吾を部屋の外へ投げ出してしまう。そうしてばったーん! と扉をきつく閉める。
 ぼくははっとして、慌てて携帯のマイクに向けてしゃべった。
「真人、真人! 今日はこれでミッション終了! あとはそっちでうまくやってね。それじゃあ、こっちはスイッチ切るよ! ばいばい!」
 返事を待たないうちに通信を切って、ぼくはその携帯を恭介に返しに行ってやる。
 恭介は廊下にも寝っ転がっていた。
 その手に携帯を持たせてやると、よろよろとゾンビのように立ち上がった。
「じゃあな。明日……また学校で」
 ぼそぼそと消え入るように言って、恭介は謙吾と共にっていった。
 恭介……明日なにかするつもりだな。どうせろくでもないことに決まってるけど。
 ぼくは溜息をついて、扉を閉めた。
「理樹ぃ……」
 部屋に戻ると、鈴は体育座りで涙を溜めていた。
 ぼくはまた溜息をついて、近くにいってやる。これが真人だったら絶対に近づきたくないけど、中身が鈴だから仕方ない。
「どうしたの、鈴」
「どうすればいいか、わからない……」
「鈴」
 鈴は、やっぱり悩んでいるみたいだった。
 当然だと思う。人の精神が入れ替わるなんて、まるでドラマの中の喜劇みたいだ。今まではみんなとの楽しい雰囲気で誤魔化せていたんだろうけど、そろそろ限界かな……。
 なるべく早く、元に戻る方法を探してあげなくっちゃ。
「真人に裸を見られた……もう終わりだ……」
「そっち!?」
「な、なんだ、そっちとは! 乙女にとっちゃ重要な問題だ!」
 い、いや、乙女ってねぇ……鈴。そんな顔と声で言われても。
 でも、鈴にとっては重要な問題なのかもしれない。幼馴染みの男の子に見られるっていうのは、いろいろとプライドが崩れるものなのかも。
「でもさ、鈴。ぼくだって、鈴に普通に裸見られちゃったけど、こうやっていつも通りに話してられるじゃない。相手もあの真人なんだから、きっと大丈夫だよ。こっちが普通にしてれば、向こうも普通に付き合ってくれるはずだよ」
「うーむ……でも、はずい……」
「まあ、恥ずかしいのはわかるけど」
 ぼくは苦笑した。
 これがもし普通の相手――たとえば、クラスの異性とかだったら、ぼくも混乱しただろう。
 でもそうじゃなくて、ぼくらはリトルバスターズなんだ。そんな体の秘密の一つや二つ、分かち合ったぐらいで、関係が壊れてしまうものじゃない。
 だってぼくらは、もっと別の、大事なところで結びついているんだから。
 そんな障害へっちゃらなんだ。
 さて、そろそろ寝よう。小毬さんたちに比べればちょっと早いけど、ぼくらはもう寝る時間だ。
「って、そういえば今日は、鈴と二人っきりなんだったっけ」
 姿が真人だから意識してなかったけど、そういえばぼくは今日、鈴と二人で寝るんだった。
 うわ……なんか恥ずかしいなぁ、どうしよう、などと考えながら、ぼくはそれでもそれを外面には出さず、いそいそと制服を脱いでいった。
「り、理樹!? なにやってんだおまえ!?」
「ん? なに、鈴?」
 ぼくはYシャツを脱ぎ、それをハンガーにかけ、Tシャツも脱いで上半身裸になったところだった。
「ちょ、ちょっと待てぼけぇ! ど、どうしていきなりそういう展開になるんじゃ!? あたしたち、友だちじゃないか!? もしかして理樹たちは、そういう――」
「え、いや……ちょっとパジャマに着替えたいだけなんだけど……」
「え……」
 鈴は顔を真っ赤にして、固まってしまう。
 なんとなく、なにを想像していたかわかるけど……聞きたくない。だって姿が真人なんだもの。鈴でもちょっといやだけど。
 ぼくはズボンも脱いで、パンツ姿のまま部屋を歩き、完全なパジャマ姿となる。
「ねえ、なんでまだ赤くなってるの……鈴」 
「あ、あたしは赤くなってなんかないぞ」
「さっき、すごくぼくのパンツ凝視してたけど、なんかあるの?」
「い、いや! なにもないぞ! ただ、少しめずらしいパンツの柄だな、って思っただけだ」
「どうして鈴は男の人のパンツの柄に詳しいの……」
「あ、兄貴のをいっつも見てる……」
「そう」
 ぼくは溜息をつきながら鈴に近よって、上着の学ランを脱がせてやる。
「な、やっぱりあたしも脱ぐのか!?」
「学ランをハンガーにかけるだけだよ……もう」
 なんで期待するような視線を送るかな、鈴は……。
「真人はいつも、その赤Tシャツと、スウェットのズボンだけで寝てるよ。はい、下のズボン」
 スウェットの半ズボンを投げて渡す。鈴はそれをおずおずと受け取って、ゆっくり着替え始めた。
「うわ……あいつはこれだけで寝て、風邪とかひかないのか?」
「不思議と、ひいたことはないみたいだね」
「なるほど。さすがあの馬鹿だ」
 そう言うと思った。ぼくは鈴と笑った。
 そうして、ぱちんと電気のスイッチを消して、部屋を真っ暗にする。
 カーテンから洩れる月明かりの光で、うっすらと鈴の顔が見える。
「鈴は、二段ベッドの上だからね。ぼくは下だから」
「なにぃ……一緒に寝るんじゃないのか」
「ぼくが鈴の体にはじき飛ばされるだけなんだけど……」
 残念だが、このベッドは二人同時に寝られるものじゃない。そうであってもいやだけど。
「どうして変な目であたしを見るんだ? すこし傷つくな……」
「しょうがないでしょ。そういうこと言うんだもん」
「ちっ。理樹のばーか」
 悪口を言って、とんとんと梯子を登っていく。ぼくは溜息をつきながら笑って、自分のベッドへと潜った。
 鈴と一緒に寝るなんて、なんか恥ずかしいと思ってたけど、案外なんでもない。ほとんど真人と一緒のように思えた。
 目を閉じて、息を体から吐き出せば、すぐに眠りに就くことができる。
 ほら、こんなふうにもう――、
「なあ理樹……起きてるか?」
 と、最初は思っていました――。
「うん? 今ちょっと眠ろうとしてたよ」
「なんか、こうやってしてるとドキドキするな」
「そうだね……まるで、修学旅行の夜みたいだね」
「む。理樹は、あたしのこと異性として認識してないだろ」
「真人の姿でそう言われても無理があるよ……」
 鈴からやたらと話しかけられるせいで、眠れないのだ。
 
「理樹。好きな女の子はだれなんだ?」
「どうしたの、また急に?」
「ちょっと、修学旅行っぽい話をしてみたくなった」
「やっぱ修学旅行気分なんじゃん……いないから、そんな人は」
「嘘だな、理樹。おまえってやつは絶対、あたしらに内緒で彼女作ってるタイプだろ」
「嘘じゃないし、それは絶対偏見だよ……」
「本当のことを教えてくれるまで寝かさない」
「お願いだから寝かせてください……」
 とかなんとか、詰問させられたり。

「なあ理樹、怖い話とかしてみたくないか?」
「ならない。っていうかぼくとしては、今の時計が指してる時間が恐ろしいんだけど……」
「何時?」
「三時四十分……」
「すごいな。あたしまだ全然ねむくない」
「そのことが、ぼくにとってはまさに恐ろしい話だよ……ほんとに……」
 とかなんとか、しつこく眠りを妨げられたり。

「なあ理樹、この前はるかがな――」
「へえ、それはすごいサンマだね」
「だろ? この前はなんと熊狩りを――」
 そんなおかげですっかり目が覚めてしまったり。

「理樹……なんか空が明るくなってきた」
「そだね」
「理樹……なんかあたしもうだめだ。寝るな、おやすみ……」
「うん。おやすみ、鈴」
「……」
「……」
「……」
「……なんで、今度はぼくが眠れなくなってるんだろう……」
 そんなこんなで、ぼくは結局完徹させられたりしたのだった。

 

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